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「これが本物です――いいですかくれぐれも、くーれーぐーれーも丁重にあつk「終わった?次こっちだから」ぁぁあぁーー」
「何だか大変そうですね」
己を押し倒さんばかりに血走った暑苦しさを醸し出していた宝石商が、呆気無く引き摺られていくのを、鑑夜 翠月(
jb0681)は小首を傾げながら見送った。
その手には白い包み、中では至高の貴石が、我関せずと眠っている。
「ほらさっさとする、ギア忙しいんだから」
アシンメトリに三つ編みを揺らし、蒸姫 ギア(
jb4049)がツンとペンを走らせる横で。
「やらかしちゃったものはしょうがないし、なんとか穏便に済ませたいからさ」
ユリア(
jb2624)が己に消臭剤を振り撒きながら、ウィンク一つ。
「これが所謂アメとムtあっすいません真面目にやります」
よくわからない感動に震える宝石商を、噴き出る蒸気が正気に戻させる、が。
「お前の為じゃ、無いんだからなっ」
「それなんてお約束熱いぃぃ!?」
懲りないヅラを転げ回らせながらも、ギアの指先は、正確な見取り図を作り上げていく。
「何だか楽しそうですね」
振れる翠月の小首に合わせて、緑の蝶がふわりと踊った。
ヴンと、ポケットが微かに震える。塀の向こうを見つめたまま、鈴屋 灰次(
jb1258)はスマホを引き抜いた。
大っぴらには口に出来ないような場所から、送られてくる数多の情報の羅列。さらに愛用のノートパソコンに転送すると。
「なんてーの、必要悪、っていうヤツ?」
ニッ、とチェシャ猫のように哂い、一息に壁を駆け上がった。シルバーアクセが触れ合う音だけを、僅か、置土産に。
門番の操作に従い、瀟洒な見た目に反して、滑らかに開いていく門扉。
要所に掠める黒いスーツと、機械仕掛の視線を感じながら、橘 樹(
jb3833)は敷地内に踏み出す。
例えミッションがインポッシブルであろうとも、やり遂げねばならぬ理由がある、そう――
(ヅラの未来のためであるよ……!)
眼前を歩くヅラの後頭部を、決意に燃える瞳で熱く見詰めると。角隠しの帽子を、確りと被り直した。
●
けして低くはない、屋根の上。
「個人宅用防犯セキュリティシステムちゃん、あーそびーましょ?」
感電防止用の薄いゴム手袋越し、灰次は剥き出しの配線を愛おしげに撫でる。
無機質な赤い電線で繋がれた、運命の相手。標的であることすら気付かせない繊細さで、けれど、けして逃さない周到さを以って隅々まで手を這わす。
次々に瞬くウィンドウ、錯綜する意味の無い文字列、まさぐる指先は縦横無尽に電子世界を泳ぎまわり――そして。
「――弱いトコ、見付けた」
目を細め、いっそ優しげに、堕ちた獲物を慈しむ。機械仕掛の視線は、今や全て己のモノ。
「さて始めますかー」
スマホに告げる声は無邪気に、煙草代わりの飴が、口内でころりと鳴った。
「ほむ……これは素晴らしい壺だの!」
平安調の和服を着こなす店員見習いに、初めこそ胡乱げな眼差しを向けたものの。
人当たりの良い雰囲気と滑らかに紡がれる美辞麗句に、資産家夫婦はすっかり御機嫌なようで。調子に乗ってあちらこちら、と樹を連れ回す。
庭や書斎、ダンスホール等――そこへ、袂がふるり、屋根の上からの合図を震わせる。
「お手洗いを、お借りするの」
宝石商に目配せをし、樹はするりと場を抜け出した。狙いは裏口、時折入る灰次の指示に、平静を装ってルートを辿る。
『あー……裏口、誰かいるね』
辿り着いた目的地に、ごそごそと動く人影。格好からして使用人だろうか、様子を窺うも、暫く、退く気配はみえない。
待つ程の猶予は余り、残されていないのに。
「ほむ……」
暫しの思案の後。樹は徐に近付き、使用人の肩を叩く。
「おぬし、――向こうに、シャグマアミガサタケが生えておっての」
ずい、と迫る真顔。
はい、と振り向いた笑顔は――見事に固まった、ようで。
「知っておるかの、嘔吐・下痢・痙攣、さらには体中から出血させ七転八倒の痛みを与えた後死に至らしめ……ぬ、まだ話は終わってないであるよ!」
『樹ちゃん、目的、忘れてないー?』
立て板に水のごとく流れる説明に、そそくさと愛想笑いで立ち去る使用人。呼び止めようとする樹に、灰次の愉しげなツッコミが入る。
「ほむ、そうであったの……すまぬ、これもヅラのため」
く、と見送る眼差しが、何処と無く残念そうなのは気のせいだろうか。
高く高く、上空から見下ろす視点。己のそれと同時に展開されるヒリュウの視界を、無意識下で処理して。
(えへへー迷スパイけーこさんだぜー!)
田中恵子(
jb3915)は、茂みから茂みへと飛び回る。華奢な体躯は、透き通る妖精の翅のように。
無音で振動するスマホ、灰次の合図とほぼ同時、目の前の裏口の鍵が、カチャリと音を立ててスリルへと誘う。
「こちらデルタ1、侵入を開始しますオーバー!」
一息に囁き放ち、未知の扉の向こうへと、躊躇いも無く身を躍らせる。気分はそう、映画の主人公の様な。
あぁこの世界は楽しいね、すごくすごく――愛おしい。
●
質の良い絨毯の道を、密やかに、軽やかに駆け抜ける。
「ネックレスをこっそり取り替える……難しそうですけど、宝石商さんのためにも頑張りましょうね」
夜を渡る足取りは、尾を跳ね遊ぶ黒猫のしなやかさで。
「別にギア、宝石商の老後とか興味ないけど、こういうのも悪くないかって」
黄金色のグリーブが、長い毛足を容赦なく踏みつける。ツンと前を向く双眸は、けれど裏腹に、高まる鼓動に彩られて。
対照的な雰囲気を纏う二つの影は、違う意図を以って同じ目的へと足並みを揃える。
震えるスマホの導くまま、応接間まであと幾許か。順調な道行き、家路を往く気安さで角を曲がろうと――
(ストップ、あっちから誰か来る……隠れて)
翠月の脳裏に、突如閃く『声』。向けた視線の先、生きたピジョンブラッドが、鋭く曲がり角を見据えている。
戸惑いは刹那、スッと軽く腰を落とすと。くるり――翻る身体は、屋根を飛び回る猫のように。
天井に迫り出した、僅かな物陰。絶妙なバランスでぶら下がる。眼下に黒いスーツが通り過ぎるのを、姿が消えても暫く身動ぎせずに待ち。
『……今なら、安全に行けるよ』
スマホからの声に、降り立つのは同時。揺れる虹色の羽飾りと、噴き出す蒸気が、着地の名残を彩る。
上げた顔、何方からともなく交差する、赤と緑の視線。浮かぶのは――堪えきれない、悪戯な笑み。
「さ、さっさと行くぞっ」
「あ、待って下さい」
赤く染まる頬は、白い肌によく目立つ。
●
しゃらりと、音を立てそうな。硬質な質感を持つ、闇骸の翼を羽ばたかせ。
「見つかっちゃったら終わりだから、慎重に行かないとね」
行動は慎重に、けれど、込み上げるわくわくとした衝動は、抑える気など無いままに。
ユリアは楽しげに瞳を煌めかせ、新月の様に闇に身を隠し、木々の間を抜ける。
機械仕掛の視線が沈黙した今、恐れるのは狩人の嗅覚。幾度か滞空しては眼を閉じ、確かめる。
頬に纏わり付く月色の糸。揺らす風は、今、どちらから吹いている――?
『裏口、開いたよ。しばらく誰も来ないね』
ふっと、瞼を上げる。息を吸って、止める。目標は真下、風は止んだ、懸念はオールグリーン。
急降下する視界の中で。ありがと、と形作った唇は、屋根に寝そべって手を振る彼に、伝わっただろうか。
夜を行く旅人に人知れず寄り添う、月光の然り気無さで以って。配電盤を目指し、ユリアは館を進む。
事前に叩き込んだルートと、時折震えるスマホから、その足取りに迷いはない。
「ここ、かな?」
ガードをやり過ごすために滑り込んだ部屋は、奇しくもお目当ての場所のようで。思わず軽く手を叩きながら、薄手の手袋越し、慎重に盤を確かめていく。
『そっち、誰か行ったよ』
のんびりした声が、危急を告げる。咄嗟に見回すも、身を隠せる場所が無い。暫しの逡巡。
『視線を右後ろ、排気口、ユリアちゃんなら入れるかなって』
「……あれね!」
軽やかに伸び上がり蓋を外して、身を滑らせるまで数瞬。閉じると同時、乱雑な足音がドアを開ける。
いたか?いや異常なし、気のせいでは?そんなニュアンスのやり取りの後、再び遠ざかる足音。
「何だったのかしら?」
するり、降り立った足で、ドアをそっと窺う。細い隙間越し、特に変わりはなく――ただ、幾許かの騒然とした気配が空気を震わせる。
「何か起こって――っ!?」
何の変哲もない廊下、を、猛スピードで横切る――ダンボール。
一瞬の邂逅、見間違いかもしれない、ユリアは己の目を擦り頬を抓った。そして。
「灰次さん、あたし――」
『……作戦、早めよっか』
何を言うべきか、上げた声は、ちょっと信じ難い現実の前に、沈黙することしか出来ずに。
知らず、漏れた溜息は、一体どちらのモノだろうか。
●
色とりどりの、光の洪水。眼前に広がるのは、まさに、そうとしか形容出来無い程の。
資産家夫婦のしたり顔も、納得せざるを得ないというもので。
「ほむ……なんと素晴らしい輝きかの!本物はやはり違うの!」
世辞抜きの称賛が、樹の口から零れ落ちる。
そのまま感嘆の眼差しを彷徨わせながらも――同時に、目標のブツを捕捉する。
「どどどれが贋物だっtアイタっ!?」
「ごほん、――ちと持病での、気にせんでほしいであるよ……おお、その指輪!」
ヅラの足に振り下ろした踵を、密やかに戻し。反対に、大仰な仕種でのけぞってみせる。
「輝きからして、相当なものに違いないと見たの!」
良く見せて欲しい、と然りげ無く誘導する。そう、もう少しこっちへ、目標が死角となる位置まで、と。
「ほむ……やはり見る目がある方は違うの!コツなどあるのかの?」
言葉巧みに乗せていく手腕は、どちらが見習いかわからない程で。
ヅラが唯一勝てるといえば、揉み手の速さくらいだろうか。この上なくどうでもいい。
幾重にも重々しく垂れ下がるカーテンの裏、翠月は息を潜める。
じゃらりと存在を主張する重みは、布を解かれいつでもすり替えられるように。
淡い隙間から機を窺う眼は静謐に。事前に用意した停電開始のメール、その送信ボタンに指をかける。
(何か起こったみたい……なるべく早くって)
タイミングをはかる脳裏に、浮かぶ情報。ガラスの窓の一枚越し、ベランダに潜むギアから伝えられるそれに、こくりと喉を鳴らすと。
――翠月は、意を決してボタンを押した。
気を取り直して、ユリアは配電盤に向き合う。
何度も手順を反芻する傍ら、思考をもっていくのはやはり、ダンボール。
「どうなってるのかな……」
『あんなカンジで一瞬だからさーみんな夢かと思うみたいだね』
危惧する程には、騒ぎになってはいないようで――だが、それも時間の問題。
「連絡しといてくれたんだよね……じゃあ、そろそろ、かな?」
ふるりとひとつ、武者震いして。両の手で勢い良く頬を叩く。見えていたかのように、スマホが震えたのは、ほぼ同時。
「ミッションスタート、ってね!」
ナイトビジョンを嵌め直し、気合十分に、白い指が盤の上を踊る。
――暗闇は、呆気無いほど唐突に。
コグニッショングラスに縁取られた緑が、虚を突かれ瞬いた。――その刹那が、むしろ、幸いだった。
数拍の後、再び灯るシャンデリア、戸惑いにざわめく応接間。疾る緊張、彷徨う視線、何事か、と空間が動く――寸前に。
フッと、落ちる照明。1秒、2秒……今度こそ、電気系統の、紛うこと無き完全なる沈黙。
――それは、本当?逡巡する思考、だが迷っている暇は無い、やり直すタイミングも。
深く息を吸い、吐き出す。目標を見据える緑の眼差しに、覚悟の色が灯って。
最小限に翻るカーテン、獲物を定めた猫のような、無音の狩り。
皆の眼が暗順応する頃にはもう、尾に揺れる緑色の蝶の残像さえ、掴ませることは無く。
変わらぬ景色、重厚に垂れ下がるカーテンが、全てを覆い隠して。
翠月の脱出を手伝いながら、カーテンの隙間、樹に向けられる赤い視線。
(樹、任務成功、ギア達行くから)
返事は当然無い、けれど。
「手が滑ったの……!」
「アイエェェーー!?」
――チラと振り返った視界を華麗に舞う、ヅラ(文字通り)がきっと、その応え。
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「……あっぶなーー!」
任務完了の報を受け、ホッと胸を撫で下ろす――前に、座り込み額に滲む冷や汗を拭う。
「そうだよね、予備電源とかあるよね……」
沈黙させたはずの配電盤が再び息をし始めた時には、こっちの息が止まるかと思った、とは今だから振り返れる事で。
取り乱す事無く即座に対応出来たのは、偏に潜り抜けてきた修羅場のおかげだろうか。
暫しの放心状態を――えいや、と再び両頬への刺激で取り戻す。そう、まだ全て、終わっていないから。
「報告までが任務です、ってね」
近付く気配に迅速に、けれど痕跡を残さない慎重さを以って。ユリアは配電盤を復旧させていった。
リアルタイムの画面越し、仲間達の脱出をナビゲートしながら、映像を編集する。
灰次にとっては、欠伸が出るほど容易いことで。大口を開ける代わりに、何個目かわからない飴を噛み砕く
「あー……酸素、足んない」
紫煙の箱を探して無意識に彷徨う手を、誤魔化すように飴袋へ突っ込んで。2,3個纏めて口に放り込んでは、また噛み砕く。
そうこうするうちに完成した動画を、鼻歌交じりに繋ぎ合わせると。――味わい尽くした獲物に、興味はあっさりと消え失せて。
繋いだ赤い電線も、後腐れ無く切断してしまえば。一時の夢の痕跡は、同色のテープが覆い隠す、傷跡のみ。
「バイバイ、楽しかったよ」
いっそ無邪気な瞳で嗤って、けして振り返ること無く、灰次は屋根の向こうへ消えた。
●
興奮醒めやらぬ、帰り道にて。
「これでヅラが守られたの……!」
「ギリギリアウトな気がしますってうひょいぃ!?」
悪気などこれっぽっちも無い、遣り遂げた笑顔の樹に、涙目で訴えかけるヅラ。の横を走り抜ける、一迅の風。
「カツラのおじさん、ちょー萌えキャラ!」
「アイデンティティ燃やしちゃらめええぇ!?」
楽しげにはしゃぐ恵子の、高々と掲げられた手。走るリズムに合わせて、ふっさふさと風に靡くカツラ。
転がるような追いかけっこを横目に、ユリアはそっと胸を撫で下ろす。
「危うく忘れるところだったよね……」
苦笑する片手には、ダンボールが。人が入れそうな大きさのそれを、時折、よいしょと抱え直しながら歩く。
「さしずめギアは、蒸気怪盗って所かな」
「わ、かっこいいですね」
四肢に金を煌めかせ、ゴーグルを上げながら得意気に依頼を振り返るギア。
穏やかに相槌を打つ翠月の手には、白い包み。イミテーションとはいえ、価値は馬鹿に出来無い。
「このネタで強請ったらいつか結婚指輪安くしてくれっかなー」
心ゆくまで燻らせた紫煙と共に、灰次の明け透けな呟きが、澄んだ空に溶けていった――