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絶好の体験日和、かどうかはわからないが。
「……本日は、よろしくお願いしますぅ……」
早朝の清々しい空気の中、執務室のミハイル・チョウ(jz0025)の前で頭を下げるのは月乃宮 恋音(
jb1221)。ミハイルの補佐が、本日の講義内容だ。
「ああ、よろしく頼む。技量的には問題が無いと聞いている……今日は“オツカイ”を頼もうか」
差し出された書類は、ほとんどが他部署とのモノ。顔つなぎを欲する彼女への、ミハイルなりの餞別らしい。
「……はい、有難う御座いますぅ……」
恋音ははにかみながら微笑むと、用意された机に書類を広げた。
「はぁ…戦いが終わるなんて考えていませんでしたね」
溜息をつきながらミハイルの執務室を目指す雫(
ja1894)。目指していた未来ではあった、だがまさか実現するとも思ってはいなかったのだ。
「進路…か」
反対方向から同じような表情で鳳 静矢(
ja3856)が歩いてくる。ノックすべく伸ばした手は同時。思わず視線が合わさったところで、中から呼ぶミハイルの声に、揃って入室する。
「この戦いで得た術を棄てるのはもったいないですよね…」
「今後重要なのは戦いではなく、三界の均衡を保つ事でしょう」
「ふむ、鳳は進路が決まっているようだ」
ミハイルは頷くと雫に目をやり。
「先日、君は上手く鏡国川を説得してくれたと聞いた。教えるという事は説得する事に似ている。どちらも、相手を理解しなければ出来ない。…鳳」
「なんでしょうか」
「彼女を同行させてやってくれ。道は増えるだろう」
「よろしくお願いします、静矢さん」
おずおずと頭を下げる雫に、静矢は優しく微笑んだ。
「一度”先生”ってやつになってみたかったんですよね」
初等部の教室を眺め、夕貴 周(
jb8699)は感慨深く呟く。どこか実家を、慣れ親しんだ児童養護施設を思い出しながら。子供と接するのには慣れている、けれど。
(また、だ…)
何故だろう、一緒に遊んでいる子供達が、いつもどこかぎこちない。
(上手く笑えない表情のせいかとも思ったけど)
父親を思い出す。口も態度も悪く、煙草まで遠慮なく吸っていた。それでも子供達は離れることはなかった。何が違うというのだろう。
考え込んでいる間に、次の授業になったらしい。実技担当の教諭が、見知った顔を連れて入ってくる。
「今日一日皆さんの講師をさせてもらいます鳳です、よろしく」
では早速、と見本の組み手を雫を相手に披露する静矢。
「これなら戦いの術を活かせますね」
同じような体格の雫が静矢相手に互角に組んでいる。子供達は目を輝かせた。
「おまえちっこいのにすげーじゃん!」
「あの、えっと」
「ねえねえどうやったの?」
終わった途端、子供達に囲まれ四苦八苦している雫を見て、周はまた悩む。
(彼女もあまり表情が動くタイプには見えないが…どうして、俺ではダメなんだ)
もう少し見ていたら答えは掴めるだろうか。
銀髪スーツの男が、ミハイルの前で悩んでいる。
「一日体験学習ですか。…はっ!?天啓を閃きましたよ!」
カッ!と目を見開いた加茂 忠国(
jb0835)に、ミハイルはすごく嫌な予感がした。
「女子高です、私は女子高の先生になりたいです。
もう一度言いますね。
女子高です!!!!」
頭痛が痛い、そんな気持ちになるミハイル。
「教える授業は保健体育で是非お願いしたいです」
「……えと、あとは先生の許可印だけなんですけどぉ……」
真顔で言い切る忠国。恋音の差し出す書類に、ミハイルは遠い目をして許可印を押した。
「あの、相談してもいいでしょうか…?」
「構わない、入りなさい」
手早く席を整える恋音に頭を下げ、木嶋 藍(
jb8679)は口を開く。
「私、未来は最初から決めていたんです」
家族を守りたい。その為に強くなる。その想いは今も揺るぎない。けれど。
「今はもうひとつ…好きなひとを倖せにしたいんです」
大切な人を想い、知らず、頬に笑みが浮かぶ。世界で一番倖せにしたい、だからこそ。藍は膝の上の手を、ぎゅっと握りしめる。
「彼は大人で、私はいつも助けられてばかり……先生、強くなる、って、どういうことだと思いますか」
あの人の笑顔を守るには、どうしたら。教え子の強い視線を、ミハイルはあえて穏やかな視線でなだめる。
「強さを論じる前に。目的は何だ?彼が倖せで在る事だろう。それは、君が決める事か?」
倖せにしたい、と願い努力する事は尊い。ただ何を倖せと感じるかは、彼自身のモノであると。
「まずは聞いてみなさい。そして、聞いてもらいなさい。納得のいくまで、言葉を尽くしなさい」
それはとても難しい事だが、と苦笑する教師に、藍は一生懸命に考え込む。
「彼が私に何を求めているか、で、強さの定義は変わってくる、という事ですか…?」
倖せは与えるモノじゃない、二人で作っていくモノだと。言葉を必死に咀嚼する藍に、ミハイルはだが、首を振る。
「これも一つの私見に過ぎない。悩みなさい。それが出来る未来を勝ち取ったのは、君達なのだから」
「意外と忙しいんだなぁ…」
箒に顎を乗せ、佐藤 としお(
ja2489)は腰を叩く。爺臭いと言うなかれ、巨大学園である久遠ヶ原の学生寮もまた、それなりの規模なのだ。
「ええと、庭は終わったから次は自習室かな。いや、先に手紙の仕分けにしようか」
ブツブツと呟きながら歩くとしおのお腹が、重低音を奏でる。男の子は燃費が悪いのです。
「そろそろお昼か、料理も教えてもらえるかな?」
料理は得意(ただしラーメンに限る)なので、切実にレパートリーを増やしたいのだ。
「寮生用のは教えてもらうとして…自分用にラーメン、作っちゃってもいいかな?」
重低音の鳴り止まないお腹をさすりながら、としおは駆け足で厨房に向かった。
むき出しの土に、コテ先が慎重に触れる。
「ほう、手際がいいねえ」
「ありがとうございます!以前に少しやったことがあって」
熱中症対策の帽子を直しながら、黄昏ひりょ(
jb3452)は照れ臭そうに笑う。
この土の下にはどんなロマンが埋まっているのだろう。想像するだけでワクワクする、幼い頃から変わらぬ夢。
(ほら、形になってきた)
何が飛び出すのだろう、何を語ってくれるのだろう。ほら、彼も見つけてほしいと言わんばかりにもぞもぞと――
「…もぞもぞ?……うわっ!?」
「あっはっは、お手柄だな」
そういって摘み上げられたのはモグラ。すなわち遺物が攪乱させられた可能性がある。再調査だな、とぼやく彼の顔は、しかし悲嘆にくれてはいない。
(こういう挫折にめげず、立ち向かってきたんだ)
ならば自分も折れない心を、諦めない想いを胸に灯そう。ひりょは、コテをしっかりと握りなおした。
オルガンに合わせ、幼子の声が響く。元気に歌う園児達に微笑む蓮城 真緋呂(
jb6120)の脳裏に、ある言葉が浮かぶ。
『戦いが終わったらどうする?』
半年前に投げかけられた言葉。あの時も、そして今もはっきりと答える自信はない。
ここを選んだのも、赤子となったかの神王の姿があったからで――
「こ、こんにちわですし…」
おずおずと覗いた金髪に、園児達の歌声が止まる。そういえば彼女、鏡国川 煌爛々(jz0265)もまた、未来に悩んでいるとミハイル先生が言っていた。
「……皆、あのお姉ちゃんに突撃よ!」
「えっえっ」
叫びながら、真緋呂は率先して飛びつきに行く。遅れて取り囲んだ園児達によじ登られ、煌爛々は固まったように動かない。
「こんにちは、調子はどう?」
「う、動けないですし」
脂汗を流す様子に、真緋呂は笑って語り掛ける。
「私もね、ずっと悩んでいるの」
道が見つからないこと、それでも焦らないようにしてること。
「貴方だけじゃないわ、たくさん迷ったらいいじゃない」
「そん――」
煌爛々の返答をかき消し、泣き声が響く。どうやら遊具から落ちたらしい園児をさっと抱き上げると、真緋呂は狼狽える煌爛々の額に優しくチョップ。
「大人が狼狽えていたら子供達は不安になるわ。冷静に、そしてどんな時でも笑顔を忘れずに、よ」
病院に向かう真緋呂を見送り、煌爛々も園を出る。自分の膂力では、うっかり傷付けない自信はない。
「笑顔……」
使徒の力が無ければ、触れ合うことにおびえずにすむだろうか。
貸与された白衣を身にまとい、春都(
jb2291)は息を潜めてメモを取る。包帯の巻き方一つとっても、プロの技術に学ぶことは多い。
「次は小児科ね。子供は何よりも手早くが重要よ」
「はいっ」
他にも教科書ではわからない、細かいポイントをメモしながら小児科へ。次の患者さんは、高所から落下した男の子。
「次の方どうぞ……おろ?」
「あら、貴方も体験中なのね」
真緋呂から向けられた微笑みに、良い意味で肩の力が抜ける。今なら、しっかり頭に入りそうな気がする。
「そうなんです、遊具から落ちて」
医師に向け真緋呂が説明している間に、看護師の指導の下、男の子に相対する。
「ごめんね、ちょっと見せてくれる?」
「やだ、いたいもん」
「大丈夫、痛かったらすぐやめるよ。約束!」
笑顔を維持しながらも、胸は早鐘を打っている。ずっと興味のあった医療関係の仕事。勉強だってこっそり頑張っていた。でもいざ場に立つと、頭が真っ白になって。
(尻込みしてる場合じゃないよ私。漠然としたイメージじゃない、生の現場を記憶に刻み込むんだから!)
「あれぇ〜もうすぐ久遠戦隊ゲキタイジャーの時間じゃなかったかな?」
「あっ!はやくかえろ!おねーさんはやく!」
ウィンクする真緋呂のナイスアシストに目礼を返し、春都は手早く少年の服をめくった。
さいきょーに相応しい職業とは何か。雪室 チルル(
ja0220)は懸命に考えた。さいきょーなら国家や世界を相手取ることが出来るはず。つまり。
「政治家しかないわね!」
「君、静かに」
「スイマセン」
突き上げた拳をそっとおろす。今から政治家のお供で、有力者との会談が控えているのだ。
(どんな人かしら、ドキドキするわね)
慣れないスーツに動きにくさを感じながらも、チルルは胸を高鳴らせる。ああ、この扉を開けばそこではさいきょー達の戦いが…!
「はっはっは、歓迎しよう!」
「って学園長じゃない!!」
両手を広げて出迎える宝井正博(jz0036)に、思わずツッコむチルル。道理で見覚えのある場所だと思った!
「私も実はすごいのだよ雪室くん!」
「ええー…あっそうだわね!スゴイデスワ学園長サマ」
個人的にはガッカリだったが、そうだ今はさいきょーの修行中だった。秘書の必死の目配せに、慣れない営業スマイルを浮かべる。さいきょーへの道は、意外と近いのかもしれない?
「一石二鳥な仕事じゃないだろうか」
山と積まれた本を前に、築田多紀(
jb9792)は感動に打ち震える。欲を言えばチョコレート専門がよかったが、スイーツ関係なら許容範囲だ。だが。
「ううむ、折角の素晴らしい本達が台無しではないか」
「あはは…こういうの苦手で」
店主が苦笑する。掃除や分類は行き届いているが、どうにもレイアウト等が苦手らしい。
(これが『チョコレート関連』ならばどうするか…)
多紀のスイッチが入る。広くはないが大量に本のある店内を空間的に把握し、何をどう配置すればいいか、脳内が凄まじい勢いで計算していく。
「趣味でやってるようなものでさ。需要も少ないし」
「何を言うか、レアな分野を扱う店はその界隈にとって宝物庫だぞ。」
図書館と違い、気に入れば購入できるのも魅力的だ。この宝を埋もれさせてはいけない。使命にも似た決意で、多紀はまず特集棚の作成に取り掛かるのだった。
久遠探偵社、と書かれたビルを見上げ、ユリア・スズノミヤ(
ja9826)は気合一発。大好きな彼と未来を歩むため、彼の隣に立ちサポートをするために。今日は技術を身体に叩き込んでいこう。
「今日はよろしくお願いしまっす☆」
「ああ、早速だが依頼だ。出るぞ」
「あっ待ってください先生!」
どうやら初っ端から張り込み体験が出来るらしい。地味な活動だけど調査の基本でもある。赤髪の彼の背を思い出し、ユリアは気合を入れ探偵の後に続く――前に、呼び止める。これは、これだけは聞いておかねばならない。
「尾行する時はハンチング帽とサングラスで合ってますか?」
持参したマイサングラスを片手に、至極真面目な顔で質問するユリアだった。
扉を開けると、様々な音に包まれる。合わせているわけではないのに、けして不快ではない音の渦。
「音を楽しむ、ですねー」
ピアノの鍵盤を一音ずつ確かめながら、Rehni Nam(
ja5283)は瞳を閉じる。
(ヴァイオリンか、ピアノか)
思い入れのあるピアノ、練習しやすいヴァイオリン。どちらもバイト楽士として触っている。けれど、将来を考えるならどちらかにしなければ、身が持たない。
「いい音を出すね。合わせてみない?」
「あ、はい」
知らず、旋律を奏でていたらしい。指揮者に誘われ、Rehniは楽譜をめくった。
「ピッツァなのです」
オブリオ・M・ファンタズマ(
jb7188)の全ては、そこに込められていた。
「ピッツァって…リオ、いつも通り…」
Spica=Virgia=Azlight(
ja8786)の言葉もまた、真実であった。
だがオブリオは重々しく首を振る。今までは趣味としてやってきた。これからは誰かのためのピッツァを作りたい。その為に知識と技術を身に着ける。そして。
「そしていつかピッツァで天下を取る、僕の決断は何者にも止められないのです!」
ピッツァヨーラの意地とプライドをかけて!
オブリオの背後に炎が見える、気がする。Spicaは目をこすった。ここまで言うのなら、何かあるのかもしれない。少なくとも、未来と言われてもピンとこず、友人についてきただけの自分よりはきっと。
「簡単そうに、見えるけど…難しい…っ」
「愛なのです。情熱を込めるのです」
オブリオに倣ってピザ生地を手に取る。説明はちょっとわからないが、オブリオは店主も唸るピッツァを作り出している。それは身近な人の笑顔を生み出すと、知っているから。
「愛…情熱…?むむむ…っ」
首を傾げながらも、Spicaはピザ生地にナニカを込め始めた。
絵を描く人や踊っている人。パフォーマーと呼ばれる人々にとって、ここは手頃な場所のようだ。
「ふむ、悪くないですね」
掌でカードを弄びながら、エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)は満足そうに頷く。途中、ピッツァの店からいい匂いがしていたのもポイントが高い。
「まずは、ランチ代を稼ぐとしましょう」
エイルズの指笛に合わせ、一斉に鳩が飛び立った。
●
何とも空腹を誘う匂いがする。煌爛々はフラフラと近付いていく。どうやらある建物かららしい。そうっと扉を開けてみる。
「ふんふーん…ん?煌爛々ちゃん?」
「ぎくっ、ですし」
隠れてるつもりだったらしい煌爛々に苦笑すると、としおは椅子を勧める。今、麺から目を離すわけにはいかない。
「そういえば煌爛々ちゃんはさ」
「?」
「僕と同じでバk……器用な方ではないと思うし」
「ケンカ売ってるですし?」
としおは慌てて出来立てのラーメンを目の前に置く。こってり豚骨は、どうやら煌爛々の好みだったらしい。一心不乱に食べる彼女へ、そう、軽い雑談を。
「人間より長い時間を過ごせるのなら、色んな事を経験してみたら良いんじゃないかな」
「人間より、長い時間……」
ラーメンをすする手が止まる。考えてもみなかった、という顔が愕然と自分を見るのに、としおは己の失言を悟った。まさか知らないなんて。
「あの、煌爛々ちゃ」
「……えと、お邪魔しますぅ……」
「あ、すいません厨房です!」
玄関からの声が、おずおずと顔を出す。どうやら事務書類を持ってきてくれたらしい恋音に、としおは必死でアイコンタクトした。
(落ち込ませてしまったかも…)
「……えと、鏡国川さん。ミハイル先生の所に、お友達がいらしてますよぉ……」
「おともだち、ですし?」
「……はい、一緒に行きませんかぁ……?」
状況がわからないまでもフォローしてくれる恋音に、としおは感謝のラーメンをお土産に渡すのだった。
執務室に広がるラーメンの香り。
「私までいいのかな」
「美味しいご飯はわけっこですし!」
相談中の藍も交えて、豚骨ラーメンの昼食会。
「ん、美味しいね!あ、そうだきららちゃん。好きな食べ物ってある?」
「何でも美味しいですし!でも今は、甘いものの気分ですし」
「あはは、ラーメンの後だもんね!今度一緒に甘いもの食べに行こう!」
指切りげんまん、約束に喜ぶ煌爛々。その嬉しそうな顔に、藍も笑って口を開く。
「あのね、誰かと一緒に居るのは楽しいよ」
大切な人達の顔を思い浮かべる。そして何より倖せを願う、優しい彼を。
「あなたを大事に思ってる人と一緒に居るのも、いいんじゃないかな」
「一緒に……」
考え込む顔に僅かに出る、途方に暮れた煌爛々の表情。恋音は気付かれないようにミハイルにメモを渡す。先程何があったのか、ラーメンどんぶりの隙間に挟まれていた走り書きを。
「……ご配慮頂いた方が良いと思いますぅ……」
「説明したはずだが…覚えてなかったか」
鶏頭なことを忘れていた、とミハイルは溜息をついた。
「ありがとーございましたっ!」
「ふふ、ちゃんとお礼が言えたわね」
えらい、と真緋呂は子供の頭を撫でる。褒める時はしっかりと。もちろん、叱る時も。人を育てるのは大変だと、今日一日で嫌というほど実感した。
「あっ、おかーさん!」
「怪我は大丈夫?まったくもう」
「わざわざすみません…あら?」
園から連絡がいったのだろう、迎えに来た女性のお腹は、それとわかるほど膨らんでいる。
「そろそろなんです。…今回は安心して産めそうでよかった」
「安心ですか?」
慈愛の笑みでお腹と少年を撫でる女性は、思い出すように少し遠い目をした。
「この子の時は、天魔の襲撃の絶えない場所でした。不安のあまり、流れそうにもなりまして」
「それは……」
妊婦にはストレスが一番ダメなのだという。であるならば、どれほど危険だったことか。胸を痛める真緋呂に、だが女性は明るく笑う。
「貴方も撃退士さんなのでしょう?本当に、ありがとう」
出産という戦いに挑むのに、何より得難いサポートをくれたと。
立ち去る親子を見送って、真緋呂は思う。新しい命のために、もっと自分に出来ることはないだろうか。
動物達が様々な声で会話をしている。知っている動物がほとんどだが、稀に全く見た事がないモノも居て。
「診察方法、全然違うんですね」
「はは、そりゃ全く違う生物だからね」
毎日が勉強だよ、と笑う獣医に、春都は尊敬の眼差しを向ける。人間相手でさえ覚える事が山ほどあったのに。
「言葉も通じないもんね…」
患者犬と視線を合わせる。何かを訴えてる、気がする。さっぱりわからない。
「難しいなぁ……あれ?」
こんなところに段ボールなんてあっただろうか。視界の端に映ったそれを、春都はしゃがんで見つめる。心なしか、段ボールが緊張しているような。
「……えいっ」
「あっ」
一気に取ると、中から銀髪の少女が出てきた。雫は、あわあわと隠れる場所を探している。
「その、私は動物に嫌われるもので…」
誇張ではないのだろう、周囲の動物達がざわざわと鳴き始めたのを感じ、心なしかしょんぼりとする雫。
「わっ、えっと…えいっ!」
咄嗟に春都は白衣を脱ぎ、頭から雫に被せる。気配は残るものの視線は遮られたからなのか、動物達は少しだけ落ち着きを取り戻す。
「ちょっと手を貸してね?」
「あの、何を…っ!?」
指先に柔らかな毛皮の温もり。ざらりと湿った舌先が、指を舐める感触までも。
「獣医…動物に嫌われる私には無理ですけど」
絞りだすように雫は呟く。
「ありがとう、ございます」
春都は、照れ臭そうに笑った。
ピッツァヨーラのプライド、とはよく言ったもので。
「リオ、すごい…」
「まだまだこんなものではないのです!」
列は途切れることなく、飛ぶように売れていくピッツァ。
「さいきょーのヤツを頼むわ!」
「僕のピッツァは全部さいきょーなのです!」
「少し辛めのピッツァが、いいんじゃないかな…」
ピリ辛ピッツァを大量に買い込み、チルルは選挙カーへ走っていく。街頭演説前の体力補給だ。
「気配が薄くなりそうなの、よろしくーぅ☆」
「任せるのです朝飯前なのです」
「リオ、あんこ、使う…?」
牛乳瓶を抱えたユリアが、あんこたっぷりピッツァを受け取り忍び足で消えていく。サングラスがとても目立っていた。
「ひと段落、だね…」
鬼気迫る勢いでピッツァを焼いていた友人にお茶を差し出すSpica。休憩する二人の前を、見た事のある人影が横切っていく。
「あれは…」
「キララ!なのです!」
Spicaが思い出す前に呼び止めるオブリオ。声と匂いに誘われて、煌爛々はフラフラと歩いてくる。
「オブリオのぴっざですし!」
「惜しいのです!」
言えるまでお預け、と慣れたやり取りをする二人に、Spicaは首を傾げ。
「もしかして、知り合いだった…?」
「ともだちですし!」
「……ともだち、なのです!」
友と呼んでくれた事に、密やかに安堵するオブリオ。煌爛々にはやはり屈託のない笑顔が似合う。
「キララが元気になってよかったのです」
内緒、とオブリオが差し出したピッツァを分け合う三人。ピッツァは皆で分かち合える、多くの人を笑顔に出来る。それがオブリオの理由。この世界で堕ちずに、大好きでいられた理由。
「ん、でも…キララ、何か悩んでる…?」
もぐもぐしながら、Spicaは煌爛々の笑顔の陰りを指摘する。感情を取り戻すための過程が、人のそれにも聡くさせたのだろう。ぐ、と喉に詰まらせると、煌爛々は数分沈黙し。
「ともだちが、先にいなくなったら、どーするですし……?」
「…どういうことなのです?」
ようやっと絞り出した一言。その意図を聞き返そうとしたところで、店が混んできてしまう。
「キララ…」
再び鬼気迫る友人の代わりに、Spicaは立ち去る煌爛々の背を見送るのだった。
「そこの若者!よろしくお願いするのよ!です!」
慣れない敬語を駆使してビラ配りをするチルル。大体勢いに負けて受け取ってくれるのでこれでいいのかもしれない。
「むっ、殺気!?」
咄嗟にビラで紙飛行機を折り、視線の方角へ飛ばす。だがそれは目くらまし、自分も同時に木立に飛び込んでいくと。
「あれれ、バレちった。完璧だと思ったんだけどなー?」
「あたいの目は誤魔化せないわ!」
具体的に言うとサングラスが反射してました。ユリアはちょっと残念そうにサングラスをしまった。
「さすが政治家は違うわね、命を狙われるなんて」
一人で盛り上がっているチルルに、ユリアは首をフリフリ。
「ただの演説を聞きに来た恥ずかしがり屋のファンだよん?」
「ええー」
疑わし気な視線に、にっこりスマイル。頬を染めて恥ずかしがるオプション付き。腑に落ちないながらも戻っていくチルルを見送り、ユリアはホッと息をつく。
「えへへ…囮の役目は、果たせそうねん☆」
自分もバレないのが一番だったけど、でも、本命の探偵は隠し切れた。調査の成功率は、ダイレクトに信用に関わってくる。もっと自分を磨こう、大切な人の為にも。ユリアはぐっと拳を握りつつ、首を傾げた。
「命ってゆーか、ただの浮気疑惑だけどね」
「お嬢様、こちらをどうぞ?」
「えっ、わわ」
ポン、と目の前に薔薇が咲く。反射的に受け取った煌爛々の手を、エイルズはそのまま引いて人混みの中へ。
「お次はこちらの麗しいお嬢様にお手伝いを頂いて」
パフォーマンスの途中だったらしい、周囲の見物客から期待に満ちた拍手が鳴る。
「動かないで」
言われずとも驚いた身体は固まって動かない。その隙に煌爛々の頭にキウイを乗せると、エイルズの爪先が地面を蹴った。
「It’s show time!」
バク宙からの投擲。視線もくれず放たれたトランプは、過たずキウイを真っ二つに。大歓声が起こった。
「お付き合いありがとうございました」
「びっくり楽しかったですし!」
お礼に、と煌爛々は先程もらったピッツァを半分差し出す。なんとなく二人並んで座ってもぐもぐ。
「趣味でたまにこういう事をするんですが。自分の本質は戦いにあると思っています」
何でもないような口調で、エイルズは語り出す。奇術師ではなく奇術士であると。
「日本が平和になったというなら、欧州に、戦いのある場所に帰るだけ」
シンプルでしょう?と微笑う顔はこちらを見ない。
「人間だの天使だの、世界の行く末だの。そういうのは物好きな誰かに任せておけばいいんですよ」
抑揚のない声音は、耳触りが滑らかで。するりと脳まで入ってくる。
「自分がどうしたいか。何が一番楽しいのかだけ考えてみてください」
「一番楽しい、こと…」
ピッツァの包み紙を鳩に変え飛ばす。その軌跡を、煌爛々はただ眺めていた。
額を流れる汗を拭う。演奏は優雅に見えて、実は体力勝負だ。
「いい音だけど、何か迷ってる?」
「はい…どちらにしようかと思ってるのですー」
ピアノには思い入れがあるが練習場所の確保が難しい事を告げるRehniに、指揮者は頷く。防音設備や調律など、音楽は環境を整えるのが大変だ。
「個人的な意見だけど。僕としては、諦めてほしくないな」
誰かが環境を理由に諦めるのをもう見たくないのだと、彼は自嘲気味に笑った。対価はもらうけれど、練習場所を提供してもいい、とさえ。
「誤解しないでほしい。君の音なら配慮するに値すると思ったからだ」
「ありがとうございます。……よく、考えてみるのですよ」
音と共に生きる先達の言葉に、Rehniは深く頭を下げた。
どこからか悲鳴が聞こえてくる。具体的には頭上から。立ち止まった煌爛々の目の前に、べちゃっとナニカが落ちてきた。
「キャピキャピした女の子のスメルをクンカクンカ…したかっ、た」
とりあえず踏んでおいた。
「ハッ、この感触はきららちゃん!ここであったが運命なのであぁっと悪戯な両手が勝手にスカートをォ!」
スカートに手を伸ばすと同時、ぶっ飛ばされてもいい体勢をとる忠国。訓練されているその行動はしかし、どうやら空振りのよう。
「あれ、きららちゃん…?」
戸惑う忠国を煌爛々はじっと見つめる。いつも通りの行動で変わらない日常を与えてくれているのだと、本当は知っていた。
『私と一緒に歩んでみませんか』
『これからも、ずっと』
その言葉を疑ったことなんてなかった事に、今更気付く。
『誰かと一緒に居るのは楽しいよ』
『人間より長い時間を過ごせるのなら』
自分は使徒で、忠国は人間。ともだちになった人とは、ずっと一緒に居られるのだと思っていた。
「……そつき」
煌爛々は俯き、踵を返して走り出す。八つ当たりでしかないと、わかっていたから。
考古学とは古きを知る学問である。つまり。
「古書も侮れないんだよね」
発掘現場で大いに発奮したひりょは、その熱意のままに古本屋を渡り歩いていた。
「あ、こことか、狭くて古くてそれっぽい気がする」
商店街の片隅、ビルの陰に埋もれるような。穴場っぽい空気に、ひりょの期待は高まる。
「失礼しまーす…」
「いらっしゃいませだ」
「あれっ、多紀さん?」
知った顔に首を傾げる。そういえば体験講座の名簿に載っていたような。
「飛んで火にいる夏の虫、もといお客様だ、遠慮せずに見ていくといい」
「何か物騒な台詞が聞こえたような…」
苦笑いしつつ店内を見回す。右、製菓関連。左、有名スイーツ店一覧。正面、スイーツの歴史。
「そんな気がしてたぁ!」
「む、探してるモノはなかったか。じゃあこれなんかお勧めだぞ」
多紀が差し出した本を見る。『部屋とチョコと私』と可愛い丸文字で書いてある。
「意味が分からないけど!?」
「発掘調査に行ってきたのだろう。土もチョコも同じ茶色だ、飾るに問題ない」
「ありまくりだよ!!」
10分後。
「毎度あり、である」
「うう、でも美味しい」
押し負けたようです。やりきった笑顔の多紀に見送られ、ひりょはおまけのチョコをもぐもぐ帰路についた。
放課後の校庭で遊ぶ子供達をぼんやり見つめ、周は詰められない距離の理由を想う。
「…見えないんです、子供達の心が」
様子を見に来たミハイルに思わず呟くと、教師はおもむろに子供達を手招いた。
「鬼ごっこをしよう。鬼は夕貴だ。アウルの使用も許可する。勝てば、今日の宿題は無しにしてやろう」
子供達の大歓声の中、周に視線を寄越しミハイルは笑う。
「夕貴はアウル使用不許可。負けたら単位はやらん。…全力でぶつかってこい」
久遠ヶ原らしい鬼ごっこを観戦しながら、静矢は苦笑する。
「人に教えるというのは難しいものですね…指導されてる教員の方々の苦労が解りました」
「では、諦めるか?」
意地悪く聞く教師に、ご冗談を、と口角を上げる。
「大変ではありますが。次代に繋ぐ重要さはわかっているつもりです」
満足そうに、ミハイルは笑った。
「子供のタフさを舐めてたわけじゃないが」
何とか全員を捕まえ、周は大の字に横たわる。と、覗き込む幾つもの影。
「せんせー速いね!」
「もう一回やろ!」
どの顔も屈託のない笑顔を向けている…自分に向かって。ああ、そうか。
(ただ全力で、心から向き合えばよかったんだ)
思えば自分も、父や幼馴染のように正面から向き合ってくれる人が好きだった。気付けば簡単な事だったんだ。
思わず笑いだした周の手を、子供達が一生懸命引っ張っていた。
「……お疲れ様でしたぁ、お預かりしますねぇ……」
「お願いします。あと、これどうぞ」
体験講座の報告書を纏める恋音の前に、簡単お洒落なサンドイッチが置かれる。
「フォローのお礼と…今日教わったんで、意見も貰えると嬉しいな、って」
「……美味しそう、ですねぇ……。……有難う御座いますぅ……」
照れ臭そうに頭をかくとしおに笑って、恋音はお茶を淹れるべく席を立った。
未来への導は、見えましたか?