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叩きつける雨が、鳥海山を見つめる撃退士達を濡らしていく。
「ミハイルさんは、少々気負い過ぎてる様に見えますね」
雫(
ja1894)は斡旋所でのかの教師の姿を思い出す。隠し切れない疲労を背に負っていた。
「きららちゃんは大丈夫。先生が、彼女を信じているのと同じように」
頷き、木嶋 藍(
jb8679)は両手を決意に握る。一緒に帰ると告げた時、刹那、垣間見せた縋るような表情。先生のためにも。
「自由という言葉は時に酷く心を縛ります。心の目を隠したまま歩いている様な、そんな弱い人の心ほど」
「……迎えにいかないと。迷子になっていたら大変だわ」
誰もが強く在れるワケではない。どこか実感の籠った言葉が加茂 忠国(
jb0835)から滑り落ちるのに、アルベルト・レベッカ・ベッカー(
jb9518)は唇を噛みしめる。
いなくなったと聞いて、心の奥がヒヤリとした。手を差し伸べてあげないと。帰る家はこっちだよ、と。
「僕は……逃げないのです。これまでやってきたことと、これからやるべきことから」
オブリオ・M・ファンタズマ(
jb7188)の脳裏に浮かぶ、陰気な片翼の天使。後悔はしていない、けれど
己が望みが彼女の幸せを壊したというならば。自らの罪と対峙するべき時は、今だ。
「彼女の目的がなんであれ、危険な場所に立ち入っているのは変りません。慎重にけれど迅速に彼女を見つけなくてはいけませんね」
掌の光信機を動作確認しながら、ユウ(
jb5639)はその存在を透過させる。今度は己が誰かを助ける手伝いをするのだと、そう胸の奥の誓いに宣言して。
●
木々の合間を縫って、高くヒリュウが飛んでいく。
「では、私はあちらの方を探しますね」
「じゃあ、私はあっちの方かな?」
視覚共有した雫に頷くと、ユウは背に昏き翼を顕現させる。同時に、対をなすような光の翼が藍の背に羽ばたいた。
「僕は地を行くのです」
今は雨、泥濘に足跡はよく残るはず。今にも駆け出しそうなレベッカと共に、オブリオが準備を整えたところで。
「そうですね、じゃあ私は――えいっ」
吹き抜ける一迅の風!そう、忠国は腹チラ腿チラを狙う悪戯な風へ――となる前に、それぞれ鉄壁のガードに阻まれる。
「何がしたかったんですか?」
「遺言は聞いてやるのです」
「待って下さい決して邪な気持ちがあるワケではなく皆さんの気持ちを和らげ様と思いでもだって周り女子ばっかりだしこんなんスケベするしかあっごめんなさい殴らないであっ」
〜しばらくお待ちください〜
「よしっ、方位術で迷わないようにきららちゃんを探します」
この空模様のように荒れ狂う鉄拳制裁により、忠国と流れは強制に矯正された。
●
知らない場所だ、だって迷っているのだから。それなのに、どこか懐かしいのは。
(いっつも、迷ってたですし)
あの頃もいつも帰り着けなくて。夜になってますますわからなくなって、そしたら。
(迎えに、来てくれたですし)
ブツブツと文句を言いながら。あれは、誰だったか。思い出そうとする煌爛々の無防備な背に、淡い揺らめきが牙を剥いた。
「ここ危ないかも」
水嵩の増した川の情報を光信機で発信する。渦巻く濁流に、藍はふと思い出す。煌爛々と一緒に釣りをしたこと。川に飛び込んで迷子になって、でも最後には皆で笑ってた。皆、ともだちだった。
(わたしは、まだきららちゃんの”ともだち”で居られてる?)
絶対に見つけなきゃ、昏い山の中で一人ぼっちなきららちゃんを。
(どこにいるんだ)
焦燥と共にレベッカは駆ける。……突然いなくなるだなんて、想像もしていなかった。
未来に悩む気持ちは己にもある。でも先を示す言葉を紡ぐほどには煌爛々の事を知らない。それに、愕然とした。
(……煌爛々の話を聞きたい)
今、何を思っているのか。これまで、何を思ってきたのか。
●
雨粒を切り裂いて飛んでくる葉を、苛立たし気に叩き落す。
「うっとおしい、です、し!」
気配は数多。迷う内に囲まれ断崖に追い詰められた。触れれば飛ぶほどの弱さのくせに、これが数の力か。
(人間と、同じですし?)
力を合わせ何度も挑んできた姿を思い出す。では迷ってる自分は、いったい何?
「しまっ」
考えの隙をつき、葉が煌爛々の額を掠める。流れ出る血は少量、だが片目の視界を奪って。その死角を燈狼が狙う。
『見つけました。無事ですか?』
急降下でそれを防いだヒリュウが、雫の言葉を紡いだ。
「え、あ」
『すぐに行きます、耐えてください。――ミハイルさんが、心配していましたよ』
言葉に揺れる煌爛々を庇い、ヒリュウがブレスを吐いた。
連絡を受け、オブリオはひた走る。
かつて手折った翼、揺らしてしまった箱、罪に傷を重ねた自分が、助けに行く資格があるのか。何度も自問する。止まりそうになる足を、叩いて叱咤する。
「向き合うと、決めたのです。痛くても、辛くても……嫌われてでも!」
勢いのまま、戦場へと飛び込む。曇天を切り裂く眩き短剣が、煌爛々を狙う燈狼へと赤い軌跡で突き立つ。
「オブリオ、も、来てくれたですし?」
片目を真っ赤に染めながらも立つ姿に、オブリオは安堵する。
「絶対に、助けるのです!」
「ええ、そのために私達は来ましたから」
赤い短剣を目印に、いっそ優しいほどの昏さで闇が広がっていく。頭上から降る声に、煌爛々は空を見上げて。
――昏い闇、夜の闇、ブツブツと文句を言いながら。
「あ、ぁ」
バサリと、闇色の翼が降りてくる。手を、差し伸べる。
白い視界でユウが微笑む。赤い視界で――が、顔を顰める。
「あ、ああああああ!!!」
ただ、幻影を振り払いたかっただけなのだろう。煌爛々の腕は、けれど使徒の膂力を持っていて。
「あ……」
すぐに正気を取り戻した瞳に、微笑んだままのユウが映る。絶望が宿る。傷付けたいわけじゃないのに、もう、止められない
振り抜いた拳が、無防備なユウの体へと――
「……痛い、んだけど」
銃声が、煌爛々の腕をはじいた。自分が撃たれたかのように、痛みを堪えた顔で木の上からレベッカが飛び降りる。痛い、心が痛い。
(出会ったのは学園に保護された後。煌爛々が使徒として何を考えていたのか、何を思っていたのかは知らない。でも)
ともだちを、とても嬉しく思っていたのは知っている。その膂力で、傷付けることを恐れていたのも。今だって、泣きそうにホッとした顔でユウを見上げている。
これでよかったんだ。悲鳴をあげる心を、レベッカは押し隠す。
「……大丈夫、私は、大丈夫ですよ」
「ご、ごめん、ですし……っ!」
傍らに降り立ったユウが手を広げてみせるのに、気が抜けたかのように座り込む煌爛々。常夜の闇が、ユウの微笑みのように優しく包み守っていく。それに被せるように、頭上から真っ白で大きなタオルが煌爛々を包んだ。
「きーららちゃーん!おまたせっ!」
タオルごと、降り立った藍の温もりがむぎゅっと煌爛々を包み、ゴシゴシと水滴を拭っていく。
「風邪ひいちゃうから着てて。すぐに終わらせるから」
「これ……」
着せられた水玉のレインコートは、学園での、新しい場所でのともだちとの思い出。見上げる煌爛々に笑顔を返し、藍は刃の雨のごとく迫る葉へ弾幕を返す。
その空白へ、小柄な影が白銀の一閃で切り込んでくる。煌爛々の眼前で止まると、額の傷へ小さな手をかざして。
「目的はわかりません。ですが、貴方が此処で何を成そうとするのか見届けるぐらいの事はさせて下さい」
かつて自分がしてもらったように、雫は煌爛々に回復を施す。ヒリュウごしではなく、しっかりと視線を合わせて。
「……ちょっと虫の居所が悪いのよ。八つ当たりで、ごめんなさいね?」
「とっととこいつらを蹴散らすのです。――僕は、キララにいうべきことがあるから」
レベッカが、オブリオが、それぞれの想いを武器に乗せ。戦場が落ち着くのに、さほど時間はかからなかった。
●
先程までの喧騒が嘘のように沈黙がおりる。誰もが口を開くのを躊躇う、どこか緊張を孕んだ空気に。
「よっ大将今日もやってるかい!ははぁきららちゃんはくまさん派ぶげらっ」
「さすが山ですし、おっきな害虫がいたですし」
馴染みの暖簾を潜るようにスカートをめくる忠国を地面に沈めたところで。馴染みのやりとりにきららの表情がふっとゆるむ。いつも、いつも。
「助けてくれて、ありがとですし」
「いえ、私こそ……何か、触れてしまったみたいで」
「違うのです」
すみません、と頭を下げるユウの腕にそっと触れ、進み出るオブリオ。
「謝るのは、僕なのです。僕が――」
歯を食いしばる。爪が掌に食い込むのを感じながら、けれど視線はそらさない。罪から、そらさない。
「僕が、フェッチーノを、殺したのです」
キララの幸せを、壊したのです。
――煌爛々の時間が、止まった。
「……焦らなくていいから」
「ゆっくりでいいよ、何かを探しに来たのかな」
オブリオの告白に、口を開いては閉じ、言葉にならない煌爛々。その震えだした右手をレベッカが、左手を藍が握り包む。
「何か此処へ来た理由があると思います。たとえ、ラファエロの元へ向かうのだとしても」
「あっ迎合するなんてさっぱり思ってませんよ。きららちゃん、そんな頭ないでしょ?」
雫が眼前から見上げる。後ろから、忠国がそっと頭に触れる。じんわり、煌爛々の冷えた全身へ熱が巡っていく。
今なら届くだろうか、届いてほしい。オブリオは雨音に負けじと声を張り上げる。
「僕を、許してくれなくてもいいのです。ただ、“シュトラッサーのキララ”としての物語に囚われているなら、もう解放されてほしいのです!」
“青春を生きるキララ”という物語は、今ここから始められる。罪も罰も全部犯した自分が背負っていくから、貴方はどうか囚われたままでいないで。
「キララはいま生きている、それなら楽しいことはこれからいっぱい見つけられるのです!」
オブリオの掌から血が滴り落ちる。その掌をそっとほぐすと、ユウは静かに問いかけた。
「どこか、目指していた場所があるんですか?貴方の想いを、教えてください」
かつて自分が救われたように。皆の想いが、煌爛々に届くといいと願いながら。
ぽたり、と。大粒の雨にまじるように、煌爛々の瞳から雫がこぼれる。
「ゲートに……あそこが、おうちだったですし……」
しゃくりあげる言葉は要領を得ず、だが誰も口を挟まない。
「も、誰も、いないけど…行ったら、なっ、何か、わかるかもって」
自分がどうすればいいのか、自分が居ていい場所はどこか、思いつくかもって。
この雨のように、煌爛々の涙はあふれて止まらない。
(そんなに、悩んでいたのか)
レベッカは握りしめた手を、壊れ物を扱うかのように己の額に当てる。からかえば怒って、変なことに一生懸命な煌爛々しか知らなかった。事務的な情報だけでわかった気になっていた。
(馬鹿か俺は)
気付いてやれなかったことが悔しい。相談してもらえなかったことが悲しい。失わずにすんだことが――こんなにも、嬉しい。
「黙っていなくなるな、このバカ」
呟く声は雨音に紛れて。少しでもこの想いが伝わればいいと、ただただ、手に温もりを与えていた。
「未来は果てしなさ過ぎて、何をしたらいいのかわからなくなるよね」
新しいタオルで煌爛々を拭いながら、藍は語り掛ける。自分にだってわからない、と。
「でもね、”居場所”はきっときららちゃんが望むところにあるから」
いくらでも迷っていい、探せばいい。でも。
「何かを選ぶなら、きっと背中を押すから。だから、一人ぼっちで悩まないで」
ひとりじゃないよ。ひとりにしないよ。ともだちなんだから。
「迷えばいいじゃないですか」
頭を撫でていた手で、忠国はそっと涙を拭う。
「イケてるメンズな私だって未だ迷子です。たぶん死ぬまで迷子です」
そのまま頭を引き寄せると、己に寄りかからせる。鼓動が聞こえるように。生きるとは迷いの繰り返しだと教えるために。
「よくわからないのでしたら、私と一緒に歩んでみませんか?自分で言うのもなんですけど、良い反面教師になれると思うんですよね〜うっふふ〜」
軽い口調の影で鼓動が速くなったことに。口説いてるということに、気付いてくれただろうか。
「そこが貴方の立志点なのですね。始まりに戻り振り返るのも良いのでしょう」
視線を外さないまま、雫は思いを馳せる。自分にも居場所がわからない時があった。でも常に、親身に支援してくれた誰かがいた。
「ただ貴方は一人じゃない。貴方を思い心配してくれる人がいるでしょう?」
色濃い隈を目の下に作っていた教師。責任はとると言う口とは裏腹、瞳は希っていた。
「ミハイルさんは、敵対するなら倒せ、と言っていました」
でも、と雫は首を傾げる。
「耳が悪くなったのでしょうか。私には、敵対しても絶対に連れ帰ってくれ、と聞こえました」
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雨足が弱まってくる。煌爛々の涙も落ち着いてくる。
「オ、ブリオが、陰険天使を、とか、なんかごっちゃで、よくわかんないですし」
ここまで来たのに、結局わからないことだらけで。でも。
「迷ってて、いいですし。皆、そう教えてくれたですし」
おずおずとした瞳が、全員を順繰りに捉える。
「帰ってよく考えるですし。……帰っても、いいですし?」
あそこを“帰る”場所と呼んでもいいのか。いまだ戸惑う煌爛々の手を、レベッカは強く引くと。
「いいからみんなで帰ろう。雨も降っているし風邪を……いや、何とやらは風邪を引かないんだったな。あははっ」
「ムキィィ!!」
いつもの笑顔がようやっと、煌爛々の顔に戻ってきた。
●
「ピザですし!窯のピザですし!」
「違うのです!ピッツァ!ちゃんと言えるまでお預けなのです!」
「えええ!?」
懸命に練習するきららに、オブリオは複雑な気持ちを飲み込む。許してもらえたとは思っていない、でも、当たり前のように傍に寄って来るから。まだ、ともだちでいてくれるのだろうか。
「ぴざぴざぴっざ」
「きーららちゃん、ここは?」
「膝ぁ!」
「肘だと思いますよ?」
「藍に騙されたですし!?」
(……忘れてるだけな気がしてきたのです)
苦悩を返してほしい。年下の雫にツッコまれてるきららに、オブリオは半眼で溜息をついた。
「よかったですね」
一人離れて見守る教師に、ユウはお代わりを差し出す。
「ああ……ありがとう」
この他愛ない日常を取り戻してくれたことに感謝を。ユウは微笑んで隣に座ると、沈黙の会話に付き合うのだった。
「れっ、レベッカ!」
「はい、こっちも美味しいわよ」
「はちみつですし!甘いやつですし!…じゃなくて!」
レベッカの耳を引っ張る。どうしても言っておかなければ。
「止めてくれて――ありがと、ですし」
傷付けていたら、きっと、ここに帰ってこれなかった。
向けられた心からの笑みに、レベッカは喉にピッツァを詰まらせたのだった。
「ねえきららちゃん」
その声音は、不思議な引力で煌爛々を呼び止める。
「貴方が何を想っているのか。何時間でも話を聞きましょう」
座った忠国を見下ろしてるはずなのに、囲われてる気がするのはなぜだろう。
「だから何かあったら私の所に来てください。……これからも、ずっと」
今、自分はどんな顔をしているのか。煌爛々はとりあえず、照れ隠しに殴っておいた。
それぞれの思惑を胸に。縁は続いていく――