●
鉄のレールを滑る様に、列車は静かに駅に入る。
「ワイントレイン、か…。随分とハイソじゃねーか」
乗車前の一服と、紫煙を燻らせるヤナギ・エリューナク(
ja0006)。
頬を撫でる風も、眼を灼く陽射しも、この時期にしては柔らかい。それもそのはず、此処は。
「東北で村おこしか…」
久遠 栄(
ja2400)の視線は、列車を通して北の大地へ。
「こんな催しがいつでもどこでも開ける世界に早くなると良いな…いや、そう、しないとな」
「わたしもがんばらなきゃね!」
両の拳をガッツポーズに、藤咲千尋(
ja8564)は友の横に立つ。
想いは同じ、自身の決意を新たに。
「すごいね……諦めないって、大事なんだね……」
言葉に詰まるアドラ・ベルリオス(
ja7898)の後ろから、加納 晃司(
ja8244)の感嘆が響く。
「寝台車や食堂車のあるって列車って、ある種『夢』ですね。…あれ?電車でしたっけ?」
地元に電車ないからな、とボヤく同行者にクスリと微笑うと。目元を拭った手で肩を叩いた。
「すいません、一枚撮ってもいいですか?」
「お、坊主わかってるねぇ…とびっきりの余所行きだぜ」
デジカメを抱え眼を輝かせる和泉早記(
ja8918)は、被写体を見付ける度にパチリ。
グィド・ラーメ(
jb8434)の青いシャツが、ワインレッドの車体に映える。
「サキ…」
自称保護者のアカル(
jb3264)さんは、何やら目頭を押さえているようです。
「たまにはゆっくりするのも良いものだね」
普段世話になっている友人達を想いながら、速水啓一(
ja9168)が呟く傍ら。
「飲み過ぎないように…」
銀に煌めく前髪の奥から、雪之丞(
jb9178)は決意に赤を煌めかせる。
各々の想いを乗せて。
ワイントレインは緑の旅路へと――
●
「風が強いね…エリ、大丈夫?」
幼馴染を窺う礼野 明日夢(
jb5590)に向けられたのは、神谷 愛莉(
jb5345)のデジカメレンズ。
「東北の自然は凄いですの」
デッキからの背景を舞台に、連写モードかと見紛うシャッター捌き。
楽しそうな様子に、美森 あやか(
jb1451)は釣られて微笑み。美森 仁也(
jb2552)は経緯を思い出す。
『アシュ、これ行きたい』
『ワイントレインだから飲める人いないと』
ちゃっかりな二人が頼ったのは、仁也…ではなく。
『『お願いします、あやかさん』』
子供達のお願いに、向けられる最愛の人の無垢な瞳。
『承知しました、俺のお姫様』
(完全に読まれてるよな、俺を連れて行く為にはまず妻を味方に付ける事だと)
「あなた?」
あの時と同じように振り返る妻に、苦笑しながら首を振る。
陥落するしかないじゃないか、と。
風に乗って家族らしき笑い声が聞こえてくる。
何となく騒ぐ気になれなくて、ヤナギは独り、グラスを傾けていた。
「アイツも来てっかな…」
呟くのは友人の名。紫煙に紛らせ、密やかに風に溶かす。
車輪の刻む音は優しく、静かにヤナギを包んでいた。
「こういうの、いつも大体1人だから嬉しかったんだけどなあ」
引きこもりな同行者は、出先でも引きこもりだったらしい。
颯爽と個室に寝転がった姿に、早記は溜息を吐く。
「これは…正しい休日の父親の在り方…」
「父のそんな姿見たこと…って、お子さん、いたんですか?」
「ああ…クニに…可愛い盛りの子が…」
完全に逸らされた目線。あっこりゃダメだ。
生温い気持ちで悟ると、早記はそっと個室を後にした。
彼方此方をウロウロ、まずはこの車両の散策から。
「おっと、使うかい?」
「あ、いえ、特に用事があったわけじゃ…」
気を取り直して開けたドアの先には、緑あふれるデッキと先客。
「気にしないでいいよ、そろそろ遊戯車にでも行こうかとね」
東北で起きた先の大戦。思いを馳せて黄昏れるには、ここは眩しすぎる。
笑って立ち去ろうとする栄に、咄嗟に向けられたレンズ。
「じゃあ記念に一枚、一緒にどうですか?」
「お、いいねっ」
夏風に煽られるくせ毛とサラサラストレートが、煌めく光ごとフレームに切り取られた。
「おお…休憩車ってこうなってるんですか!」
きょろきょろと忙しなく、馴染みの無い乗り物にはしゃぐ晃司。
歳相応の姿に僅か微笑みながら、叶 結城(
jb3115)は傍らを見上げる。
「ちょっとした小旅行ですね。列車とワイン、とても楽しみだったんです」
「天界にいた頃は思いもよらなんだが…のんびりと味わう時間の、なんと心豊かにすることか」
バルドゥル・エンゲルブレヒト(
jb4599)の視線は、流れる車窓のその向こうへ。
「なんかあんたら、縁側で茶すすってるおじいちゃんの気配がするんだけど」
くすくすと笑うアドラの手の内、ワイングラスから最後の一滴が喉奥へ。
「せっかくだから食堂車で何か作ってもらうか」
全部を見てみたい。そんな本音と共に、一行は食堂車へと続く扉を開けた。
●
焼き立ての匂いが鼻孔を擽る。
最後の一口を滴る肉汁ごと口腔で味わい、丁寧にナプキンで拭って。
「風雅な景色と料理、そしてそれに合う酒。これだけあれば旅は楽しめる」
グラスに残った一雫まで、味わい尽くさねばワインに失礼というもの。
余韻を愉しむ眼には青葉。五感の殆どで、フィオナ・ボールドウィン(
ja2611)は旅を味わう。
「こんなに美味しいワインなんだ、作るのにもさぞ苦労があっただろうね」
隣のテーブルから、グラスを掲げる速水啓一(
ja9168)。
懐かしき故郷の血を感じたか、親し気に話しかける彼にフィオナは口角を上げる。
「ワインは一朝一夕には出来ぬ。この味は、天候と土地と、何より人の尽力の賜物だろう」
「違いないね、ソムリエの手が空いた時にでも尋ねてみようか」
そのままワイン談義を愉しむ。ワインを愛する同胞同士、拘りも中々のもの。
ふと啓一は何かに気付き、フィオナに断って席を立った。
そこかしこから談笑する声が響く中を、千尋は縫うようにくるくると動く。
熱いものは熱々のうちに、冷たいものはヒエッヒエのうちに。
「はーい!!ご注文はお決まりですか?」
「チーズや生ハムなんかのワインに合う奴頼むぜ」
ツマミを頼みながらも、グィドは豪快にワインを流し込む。
普段ビールばかりの舌にも、美味しく味わって頂けたようで。
「良い呑みっぷりだ」
クク、と笑い、自身も一気に干すミハイル・チョウ(jz0025)。
空になった二つの杯に、近付いてきたのは啓一。ボトルから辛目の白が注がれる。
「同年代とは珍しい…少し混ぜてもらっても?」
「あ?お前のが大分若ぇだろ」
よく三十路に間違われますが、五十代です。
おっさん共の語らいは、酒が尽きるまで。
「あ、ジュース美味しー。他に葡萄使っている料理ってあるのかなー」
ジュースを左手に、カメラを右手に。
料理好きな愛莉は、出てくる料理もきっちりとフレームに収めます。
「あやかさんだったらこれ作れます?」
「…作れるんじゃないかしら」
ベーコンが香ばしいキッシュを、あやかは調理人の瞳でじっと見詰め。
材料と方法を頭の中で組み立てる。焼き加減はやってみて、かな。
「…あ、写真撮れなくなっちゃった。アシュ、カメラ貸して」
「エリ、デジカメで取れなくなったってどんだけ…」
苦笑しながらも、己のデジカメを差し出す明日夢。
あとで確り、変な写真は消しておこう。そう脳内にメモしながら。
●
密やかに流れる楽の音は、少ないながらも奏者によるもの。
舞台の上で踊る様に、ノスト・クローバー(
jb7527)操るナイトが、鮮やかにポーンを討ち取る。
「まずは一人、頂くよ」
「何、城は崩れないさ」
常に絶やさぬ微笑みが、悪友を前に勝ち気に彩られるも。
ウィンスノゥ・クロノス(
jb7528)もまだ、涼しい顔を崩さない。
「折角の機会だ、何か賭けないか?僕はそうだな…、久々に君のタルトでも食べたいかな」
「賭け?構わないよ。それならば…あのクエストでレアアイテムドロップするまで俺に付き合ってくれよ」
ホールを巡るボーイが、然りげ無く空のグラスを満たす。
酒精の強まる中、持ち出された交渉は悪い笑みと共に成立して。
「まさかまだ出ていなかったのかい?…ピンクのお姫様を呼ぶ事も考えた方が良さそうだねぇ」
「彼女は全部運だけで持っていくからね、でも、あと一つ足りないだけだよ。…そういえば綿菓子の彼は上級に上がれたのかい?」
共通の友人を肴に、ゲームは一進一退。
もう何度目の勝負だろうか。拮抗した実力は、手の内を知ってなお予断を許さない。
車両の対角線上では、手の内を知らぬからこその戦いが始まろうとしていた。
「邪魔しても良いかい?」
「ああ」
独りビリヤード台で練習する雪之丞に、不敵に微笑む栄。
コイントス。先行は栄、チョークを確りとティップへ塗り付け――ブレイクから、本気で。
「慣れてるみたいだからねっ」
ラシャの上で弾ける的球。幾つか、ポケットの中へ。
「…やるな」
雪之丞の口の端が楽しげに上がる。
キューを構えて、けれど、手球と次の的球の間には邪魔者が。それなら。
「よ、っと」
高く持ち上げられるバット。
独特のフォームから撞き下ろされるキューは、反発力を以って手球を跳ばして。
「…さらに本気になった方がいいみたいだね」
華麗に決まったジャンプショット。初手からの大技に、栄の瞳が緑に燃える。
どうやらスキルを使い出したようです。
大人げない勝負の行方のその向こう。小さな舞台が、スポットライトに照らされる。
「Ladies and Gentlemen!」
上げられた幕の裏から、エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)が進み出る。
優雅に翻るマントの裾は、現実と夢とを区切る境界のよう。
「ではまずは…そちらの方、一枚引いて頂けますか」
「えっ俺ですか?」
ナイスタイミングで遊戯車を覗き込んだ早記の前に、扇状のカード達。
「ええ、有難うございます。それではこちらに食べさせて下さいますか」
カランカラン、エイルズは掌サイズのカボチャを振る。
繰り抜かれた口へ、早記はおっかなびっくりカードを差し込んだ。
「もう少し奥まで…そう。ではそのまま手で温めてて下さいね、すぐに産まれますから」
「…産まれる?ってわああ!!」
クルッポークルッポー
頭のヘタを吹っ飛ばし、真白い鳩が窮屈そうに飛び出してくる。
「サイズ的に無理があるんじゃ…ってカードが無い!?」
気付いた時にはカボチャは再びもぬけの殻。
意味深に微笑うエイルズの肩で、鳩は一心に毛繕いをしていた。
●
(折角のデートやし璃々那ちゃんを楽しませてやらんとな)
休憩車の一室、手製のオードブルを広げる瓜生 璃々那(
jb7691)の姿に、古島 忠人(
ja0071)は内心で握り拳を作る。
「車窓から見る流れる景色ってのもまたええもんやのぉ」
ただし、表面はあくまでスマートに格好良く。ゆっくり流れる景色の中に、野鳥を指差したりなんかして。
「んー、デートは何回目なんです?手馴れているようにも見えるのですが」
「んっ?何百…は流石にないな。十数回くらいかのぉ」
他愛も無い会話をしながら、オードブルに舌鼓を打つ。流石の腕前に、箸が止まらない。
と、うっかり転がった忠人の箸を取ろうと、璃々那が立ち上がった瞬間。
「きゃっ!」
悪戯な谷風が列車を襲う。
箸を掴むはずだった手は、空を掻いて地面へと――
「っと、吃驚したのぉ」
叩き付けられる衝撃は、予想に反して柔らかく、暖かく。
「…璃々那ちゃん?大丈夫か?」
「っ!な、何でもありません…有難うございます」
頭を下げる璃々那に笑って、忠人は席にエスコート。
離れていく温もりが、少し惜しいような。
どうしてこうなった。
赤い顔で青くなる、という器用な事を繰り返す米田 一機(
jb7387)の右手は、細く柔らかな温もりに絡め取られている。
どうしてこうなった。
至近で鼻孔を擽る女子特有の甘い香りに、心頭滅却も兼ねて自問自答、一機は理由を、ほんの少し前を思い出す。
『ワインを飲めないのは残念だけど、ジュースも美味しそう♪』
食堂車から持ち込んだアレソレを、蓮城 真緋呂(
jb6120)は嬉しそうに頬張る。
ここ暫く落ち込んでいた心は、食欲も共に引っ張っていて。でも。
『あ、真緋呂。これジュースに合うよ』
差し出される皿、いつもの微笑み。
立ち直れたのは、大好きなこの人のおかげ。
『ふふ、幸せ』
口内の味と共に噛み締め飲み込み。
テーブルに手を付き、身を乗り出して受け取ろうと――
『危ない!』
揺れと温もりは、ほぼ同時。
何が起こったかを理解する前に、何が起こっているかに気付いてしまい。
『あ、その、お、お返しを要求するっ』
すぐに離れたはずなのに、唇から広がる熱は、一瞬で顔を染めて。
『…!?え、いや、ちょ…うぉぅ!』
片頬を抑え動揺する一機に、何とか心を落ち着かせる。
照れ隠しの勢いは、どう返されるのか。
(で、こうなったわけですよね!)
恋愛初心者が咄嗟に返せるはずもなく。隣に座り、手を握って他愛も無いお喋り。
どうか、鼓動の早鐘に気付かれませんように。
「すごい風だったけど…ふふ、ぐっすり寝てる」
激しい揺れもなんのその。個室のベッドで寝息をたてる愛莉の頭を、あやかは優しく撫でる。
「汽車を楽しみにしてたみたいですから」
苦笑する明日夢の指は、愛莉のデジカメを行ったり来たり。
ブレている等、必要ないデータは消して…ここでふと、悪戯心が沸き起こる。
「あやかさん、そのままで」
「えっ?」
パシャリ、と偶には。無防備な寝顔をカタチに。
いつも翻弄されてばかりの幼馴染が見たら、どういう顔をするだろうか。
「…普通なんだろな」
結局、変わらず振り回されるんだろうと。満更でもない苦笑を一つ。
●
東北の湧き水で舌を新しく。赤の次は白を味わう。
「我はこういう時に語る蘊蓄は持ち合わせておらぬが…美味いものだな…」
「…なんというか、上手く言葉が出てきませんね」
飲み干したグラスを片手に、バルドゥル達4人は暫く黙って過ぎ行く景色を眺める。
遠く木々の合間に、脳裏の過去に、垣間見えるのは未だ癒えぬ爪痕。
「戦いで傷つき失われた景色は…どれほど多くあったのでしょうね」
痛ましげに瞳を伏せる結城。
掌を溢れる様に失われた平穏、戻すには途方も無い時間が必要なのに。
「それでも、全て無くなったわけじゃない」
薙ぎ倒された老木の幹から芽吹く新芽が、晃司の金の瞳に眩しく映る。
通りかかったソムリエが、何も言わずにおかわりを注いだ。口当たりの柔らかな、優しいロゼを。
「…自然ってすごいですよね。俺達がもうダメだって絶望した時も、立派に生き続けて実らせてくれる」
「いいよね。絶望することもあるし、苦しいこともあるし、嫌だって投げ出したくなることもあるけどさ…ちゃんと、こうやって実りを返してくれて、それをきちんと受け止めてこんなに美味しいワイン作ってさ」
生きてるって、それだけですごい。
目元をごしごしと擦るアドラの手は、ソムリエの差し出す白いハンケチにやんわりと遮られる。
「そうだな…大地を、植物を、自分達を信じてあたらねば、戦火の中で失われたかもしれないものだ」
宝石の様な一滴を、最後まで大切に。
流れる車窓よりもゆっくりと飲み干し、バルドゥルはソムリエの目を見据え。
「辛い時をよう乗り越えられた。今一度このような芳醇なる喜びに会わせてくれたこと、深く御礼申し上げる」
「美味しいです。作ってくださり、ありがとうございました」
「諦めずにいてくれて、ありがとうございます」
一瞬の間。鼻をすするアドラの涙腺だけが、止めどなく働いて。
「…有難う、ございます」
深く一礼したソムリエは、客の前で無様は見せまい、と暫くそのままで。震えた語尾は、車輪の音に紛れて消えた。
そのまま、最後にもう一度ワインを注いで静かに立ち去る背に、アドラの口から想いが滑り落ちる。
「負けないでいこうって思えるよね。どんだけ強い力で攻めてこられてもさ」
ハンケチが、ギュッと握り締められた。
「お待ちどうさま!」
チーズやハムを乗せたカナッペが、ワインと共に運ばれる。
いつしか千尋に纏わり付くのは、甘くて爽やかな葡萄の香り。
「個人での取り寄せなどは出来るかな?出来るのなら、連絡先を教えてもらいたいのだが」
「あ、俺も頼みたいな」
翻るフリルのエプロンを呼び止めるのは、食事を終えたフィオナ。
ワインのおかわりを、と休憩車から顔を出した仁也も便乗する。
「ちょっと待っててください!ソムリエさん呼んできますね!!」
呼び止められた千尋は、振り返って目一杯の笑顔。
ワインの知識はないけど、込められた想い尊敬を込めて、皆さんに楽しんでもらえるように。
「自分用ですか?」
「ああ、深みのある味が気に入った。良いテロワールなのだろう」
腕を組んで目を閉じ、余韻に浸るフィオナの口角は、満足気に上がっていて。
「わかります。俺も自分用に…あと将来、妻と飲めたら、と」
数ヶ月前に籍を入れたばかりの妻を思い浮かべる。
彼女が成人した暁に、飲み交わすのも悪くない。そうやって、楽しい予定で未来を埋めていけたなら。
「お待たせ致しました」
和やかな雰囲気を壊さぬよう、ソムリエは静かに声を掛ける。
差し出したのは、連絡先の書かれた用紙と小さめのボトルワイン。
「違う風味の物を、まずはどうぞお試しに…当方のワインを気に入り下さったとの事、有難うございました」
渡されたボトルのラベルをなぞり、仁也は年号に微笑む。新しい二人の始まりの年に。
(後数年で飲めるようになるのかは、非常に疑問だけどね)
ボンボン程度で酔っていたような…と、微笑みはすぐに苦笑に変わったけれど。
●
遠く喧騒を離れ、耳に届くのは車輪のリズム。
足元から突き上げるソレに、身体は無意識に音を刻んで。
「…メロディーを作ってみるのも良いかもな」
サイドテーブルにグラスを置くと、ヤナギは愛用のベースを引き寄せる。
フィンガーボードの上を、まずは探るように踊って。
「もう少し…もっと遅く、か」
柔らかな指弾きで少しずつ、心を打つような、揺さぶられるような…そんな音楽を…
アルコールにも景色にも、どうせ酔えやしないのだから。
「随分と、物言いたげな旋律だね」
赤ワインを片手に、啓一は微笑む。
ほろ酔いで火照った身体に、山から吹き降ろす風が涼しい。
「君は何を言いたいのかな、問いたいのかな、それとも」
何処からか流れ聞こえる旋律に、酔いが手伝ってか言葉が溢れる。
探るような音は、悩み迷った若かりし頃を思い出させて。
「…伝えたいのか、だな」
「Excellent!」
デッキの入口からかけられた声に、笑顔で杯を掲げる。
ミハイルの透き通った白ワインが、応えて打ち合わされた。
食堂車で包んで貰った軽食を片手に、ドアをノック。
「アカルさん、開けますよ」
「サキ…お腹すいた…」
もぞもぞ、ごろん。
頭の生えた毛布、もといアカルが顔を向ける。
「引き篭っているひとの分は無いです」
溜息とも苦笑ともつかない顔で、早記が並べた軽食は、二人分。
何だかんだ、この引きこもりに甘いのかもしれない。
「そうだな…小さいお子様は…沢山食べないとな」
「うわー多感な青少年のワイングラスより儚い硝子のハートが傷付きました」
平均的ですし、と抑揚の無い声(ぼうよみ)でパンを齧る目の前の少年に、アカルはチーズを食みながら不思議そうに首を傾げる。
「硝子…?………天然ゴム製か…あっ…」
テーブルの上のチーズが、手の届かない所へ没収されたようです。
●
宴もたけなわ、ショーもたけなわ。
エイルズのマジックは、メインへと進むようです。
「さて、こちらの縫いぐるみ、実はとんでもないヤンチャ者でして…ああ、ほら!」
マントを一払い、中から取り出したるはヒリュウの縫いぐるみ。
首根っこを捕まれたソレは、口上の終わる前に束縛を振り払い。
「わわっ、危ないよ!」
「おっと」
女の子が好きなのは、人も縫いぐるみも共通でしょうか。
千尋とフィオナの足元を、ちょろちょろと逃げ回ると。
「あはは、くすぐったいよ!!…こらっ!」
千尋のお腹に飛び付いてモゾモゾ。
お返しにくすぐろうとした千尋の腕をすり抜け、車内を縦横無尽に飛び回る。
「あれは…もしや」
その姿に何かを勘付いたのだろう。鋭く細められたフィオナの視線は、暫く縫いぐるみを追い。
問い詰める様に返された視線に、エイルズはしーっと人差し指を立てた。
「…暴くほど無粋ではないわ」
不敵に笑むと、フィオナはふと、ある存在を思い出す。
何の運命か最近手元に来た、ヒリュウと同じ召喚獣を。
ヒリュウの気配など何のその。
ビリヤードとチェス、二つの勝負は決着に向けて加速する。
「角度が甘かったか」
雪之丞のショットは、ポケットを僅かに掠めて止まった。
「この配置なら狙える…!」
手球と9番を結ぶ軌跡が、栄の緑に光る瞳にはっきりと写る(ような気がする)。
軌跡は万全、読みは狙い通り。ここでダメ押し、邪魔な的球を回避射撃だ――
「あ、あれっ」
力み過ぎたようです。
クッションの壁を越え、手球はあらぬ方向へ飛んで行く。
討ち取られた駒が左右に並ぶ。盤上に生き残る駒は、あと僅か。
「チェック」
「甘いね」
果敢に攻めるノストのナイト。
だが囲むように配置されたウィンスノゥの臣下が、キングの城となり阻む。
「それでも、近付いてはいるかな」
数手かけて仕留めたビショップに口吻を。
並ぶ首級の列に、戦果が加えられた時。
「なっ…!?」
数分の暗転。おそらくは停電。
窓の少ない遊戯車は、一瞬にして暗闇に包まれ。
――ゴンッ!
(形容しがたい鳴き声)
がっしゃーーん!!
暗中で何が起こったのか。
光の戻った車内に、乗客達が見たものは。
状態:縫いぐるみがチェス盤の上で目を回してる
推察:何かが当たったらしい
付近:駒が散乱する中にビリヤードの手球
結論:犯人は
「…お前か」
雪之丞は、固まる栄の肩をそっと叩いた。
一眠りからの目覚めは爽快。食べて寝たなら、あとは遊ぶだけ。
「…アシュ、ゲームのルール解る?」
片付けられた車内は、先程の騒ぎなど微塵も感じさせない。
配られたカードを眺め、愛莉は眉根を寄せる。
「こっちが揃ったら場に出して…場っていうのは…」
懇切丁寧に教える明日夢。この構図は、幼い頃から変わらない。
何とかルールを飲み込んだ愛莉がゲームに熱中してる隙に、明日夢は仁也にこっそり耳打ち。
「何時もすいません、付き合ってもらっちゃって」
きっと夫婦水入らずで行きたかっただろうにと、賢しい少年は謝罪する。
仁也は一瞬目を見張り、次いで苦笑交じりに破顔すると。
「子供は大人に甘えるものだよ」
絹糸の様な黒髪を、絡まるまで撫ぜた。
「ヤンチャ坊主にはお仕置きが必要ですからね…有難うございます」
おかげで戻せます、とエイルズは一礼して高らかに指を鳴らす。
途端、ガワだけになりぺしゃんと凹む縫いぐるみ。中身は目を回したまま、ちゃんと召喚主の元に戻ったようです。
「…今回は引き分けかな」
「残念だ、君のタルトが食べられると思ったのに」
「お相手ありがとう」
「勝敗はつかなかったけど、俺の完敗だな」
肩を叩き握手をし、愉しい一時を、互いの健闘を讃え合う。
遊び終わったら、後はお腹いっぱい飲んで食べるだけ。
「おう、賑やかじゃねぇか、俺も混ぜろよ」
すでに出来上がってるグィドが、瓶を片手に乱入上等。
その時、栄の脳裏にチラシが浮かび――そして閃くモノが!
「…アンタが怪盗かっ!」
「うん?…はぁ?」
わけがわからないよ!
と思ったかどうか。いきなり逃さないとばかりに青いシャツの袖を掴まれたグィド。
「おいおい、おっさんの一人旅を邪魔すんじゃねぇよ」
「何を根拠にか知らんが…怪盗、スタッフ内にいるんじゃなかったか?」
「あれっ…」
腕を振り払い、引っ張られてズレた赤茶のネクタイを締め直す。
雪之丞にも宥められ、栄は首を傾げながらお詫びの酒を注いだ。
「まぁ、訳わかんねぇこと言ってねぇで飲め飲め!奢ってやるぞ!」
「飲み過ぎるから…」
「いーからいーから!」
注がれるままに杯を重ねる雪之丞は、案の定飲み過ぎて。
「んー、もう飲めないよう…」
「うわっ!?」
「ガッハッハ、隅に置けねぇな坊主!」
うつらうつらと揺れる頭は、栄の肩で安定する。
再び固まる栄の反対の肩に、今度はグィドの一発が入った。
「人は強いねぇ。本当に」
喧騒を肴に、微かに笑いながらウィンスノゥは杯を傾ける。
応えるノストの杯も共に、幾度目かの空になり。
「おかわり、お注ぎしますね!」
「ああ、ありがとう」
旅路も終わりが近付く頃、千尋のデキャンタージュも慣れた手付きで。
「村おこしにするのも納得だ。良い味だね…」
「あの、ワインってそんなに美味しいんですか?」
未成年の千尋には、お酒の良さはまだわからない。
特にワインは渋そうなイメージだけ。
「踏み荒らされてなお、繋げる努力をした歴史の雫」
ウィンスノゥは目を細め、時の波間に消えていったモノ達を想う。
「ワイン自体も好きだけどね、今は、このワインが美味しいんだよ」
クスリと微笑って相棒の言葉を解説する。
そのまま、土産に出来ないかな、と首を傾げるノスト。
「あ、出来ますよ!ソムリエさーーん!!」
心得たソムリエが、赤のボトルを差し出す。
受け取ったノストの手元を覗き込み、綺麗なラベルに魅入る千尋。
「お酒が飲めるようになったら、わたしもこのワイン飲みたいな!!」
「あと何年後なのかな?」
「ええと―」
――談笑する二人に気付かれぬよう、ウィンスノゥはソムリエに囁く。
ソムリエは微笑んで、白のボトルをそっと差し出した。
先程の赤と対のラベル。悪友で相棒へ、サプライズの贈り物に。
●
水平線が夕陽に染まる頃。
完成されたメロディが、列車に寄り添うように響く。
「アイツも来てっかな…」
爪弾く想いを旋律に乗せて、悩み多き友人の為に。
どうか届くといい、イイと思う…心から。
沈む夕日にぶつけるように、ヤナギはロゼのグラスを掲げた。
開け放つ窓辺に、白いふわふわが座る。
「おぬしは何故我の所に来たのであろうな」
取り寄せたワインを片手に、フィオナはケセランの頬を突く。
ふわ、と僅か浮くも、無表情は崩れぬまま、応えも返らず。
「まあ、これも何かの縁だ。これからよろしくな」
微笑んで掬い上げる。
旋律に彩られた風の悪戯か、頷くようにふわり、と揺れた。
水を流し込むようにワインが消えていく。
「…お酒、美味しいですか?」
「美味くないなら…飲むものでもない…」
何とは無しに見詰める早記の前で、アカルは一瓶を飲み干した。
「いいな、あと数年、待ってくださいね」
「そうか…人の子の劣化…成長は特急か…」
感慨深げに夕陽を眺める様は、一幅の絵のよう。
「…まあ僕は…サキが13歳未満になるように…毎日Bボタンを連打している…が…」
「俺は引きこもりが治るように、リセットボタンを押すべきなのかな…」
「待て…やはり酌み交わすのも…悪くない…」
言ってる事は、とてもよくわからないが。
「終点に付いたら即学園に帰らないといけませんよね」
出発前に手配した切符を確認する。
本当は一泊したいのに。天魔生徒の行動制限は、こんな時には少しにくらしい。
「いつか行こう、時間は沢山あるから」
僅かしょんぼりする妻に、仁也は微笑ってデッキへ誘う。
心得たように頷く明日夢に見送られ、二人きり、寄り添った。
「二人で、色々な事をしよう」
嬉し涙の滲むあやかを、夕陽と旋律が優しく包み込んだ。
夕焼け色に染まった金糸の髪が、潮風に煽られる。
軽く片手で押さえながら、璃々那は同行者を振り向く。
「お誘いいただき有難うございました、有意義な一日になりましたわ」
「にしし、なーに。ワイは璃々那ちゃんの笑顔が見たかっただけや」
忠人の言葉に、溢れる璃々那の笑顔は夕陽色。
それでもその余裕を少し、崩してみたくて。
「古島さん」
「ん――っておわぁ!?」
眼前で弾けた光球に目を押さえる忠人の肩に、柔らかく置かれる温かい何か。
それが何かを理解する前に、もっと柔らかくて温かい感触が、羽のように頬に触れる。
「いま、の…?」
涙目を必死で開けるも、滲む視界には変わらぬ景色。
沈む夕陽を背に微笑う璃々那は、そっと人差し指を立て。
「何をしたかは禁則事項です♪」
真実は、すでに宵闇の中。
カタンコトンと列車は揺れる。ただ終着駅を目指して。
真緋呂を温めるのは、窓から照る夕陽と太腿からの熱。
「ふふ、ぐっすり寝ちゃって」
触れるか触れないかのタッチで髪を撫でる。起こさないように、そっと。
いつも助けてくれる貴方に、今はただ安らぎを。
「…ありがとう」
寝返りで顔は見えなくなったけど、感謝を込めて撫で続ける。
腿に当たる吐息が、何か言葉を形作った気がしたのは、寝言だろうか。
(…元気になってよかった)
頬で感じる柔らかさを、諸々の想いと共に噛み締める一機。
狸寝入りの耳が染まるのは、きっと夕焼けのせい。
全ての想いを見守るかのように、ヤナギの旋律は響く。
デッキに独り座る、鈴木悠司(
ja0226)の耳にも。
終着駅は、もうすぐそこに。
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「お疲れ様でした!!」
宵闇の迫る中、頭を下げる千尋へ、ソムリエは一本のロゼボトルを差し出した。
「一日、有難うございました。…いつか飲みたいと言って下さった、貴女へ」
沢山の人に飲んで貰えた、美味しいと言って貰えた。なんて幸せな一日だろう。
目元の雫を誤魔化すように、気の早い一番星を見上げて。ふと。
「それにしても…あの方、ワザとじゃなかったんでしょうか」
青地のシャツに赤茶のネクタイの怪盗ソムリエは、チラシの一行目を縦になぞった。