初春の肌寒さが、磯の香を纏って吹き付ける。
「ぶぇっしょいぃ!ってまた崩れぇえ!!」
二の腕の鳥肌をさすりながら、鏡国川 煌爛々(jz0265)は狼狽える。
乙女にあるまじき豪快なくしゃみで崩れた砂の壁から、貝殻がキラリと夕陽に輝いた。途端。
『カニィィィ!!』
「ノォォォーー!!!」
一斉に群がってくる子カニを、煌爛々は必死にキャッチ・アンド・リリース。
終わりの見えないループが、到着したばかりの撃退士達の目前で繰り返されて。
「…なんだこの状況は」
咥え煙草の残滓を、名残惜し気に灰皿に押し付け。
呆れた声音を隠しもせず、ネームレス(
jb6475)は愛剣の布を解く。
「…えっと、確かフェッチーノのシュトラッサーなのです?」
不倶戴天の敵――の、シュトラッサーを目の前にして。オブリオ・M・ファンタズマ(
jb7188)は困惑した。
必ずその翼を奪う、と誓った仇敵は、陰湿で強大で…だが、この使徒は。
「夕焼けに爛々と煌めく金色の髪…間違いありません、愛しのマイハニー煌爛々ちゃんです」
夕陽に負けぬ真紅の薔薇が、抱えきれぬ程の束となって加茂 忠国(
jb0835)の腕の中で咲き誇る。
「煌爛々、なにしてるのかなー?」
「煌爛々様、大変そうですの?」
ふんわり、ふわふわ。ふっさふさの白い尾がふたつ、潮風と絡み合って遊ぶ。
フェイン・ティアラ(
jb3994)とヤンファ・ティアラ(
jb5831)。傾げた首は合わせ鏡のように、髪飾りがしゃらりと揺れた。
「ね。きららちゃん、どうしたのかな」
双子のような兄妹に微笑みかけながら、木嶋 藍(
jb8679)も首を傾げる。
敵対している割には、攻撃に精彩を欠くような。
「何で鏡国川ちゃんが戦ってるのかは知らないけど…ま、ディアボロは倒さなきゃね」
淡い白光を刹那に立ち昇らせ、砂原・ジェンティアン・竜胆(
jb7192)が、その両の青紫で見つめる先には。
大きな鋏を振り回す巨大な蟹と、その背からボトボトと小さく蠢くモノ。
独り戦う金髪の少女の絶望の叫びが、戦闘の開始を告げた。
●
ネームレスが懐の阻霊符に触れる。展開される、不可視の領域。
それを合図に、オブリオは疾走る。狙いは巨大蟹、その最短コースを一直線に。
――ソレは、一瞬の出来事。
視界が、砂で埋まる。遅れて、脇腹に軽い鈍痛が響いた。
「何が…っ!」
慌てて跳ね起きた視界の端、プリーツが揺れる。
スカートから伸びるのは、蹴り上げられた煌爛々の脚。
「…やはり、敵ですか」
空気が張り詰める。見据えるオブリオの眼が、細く眇められていく。
彼女も敵、あの、主たる陰鬱な天使と同じ――
「煌爛々、そこでどうしたのー?」
尖った視線を遮るように、純白の羽根が舞う。
無防備に降りてきたフェインに、オブリオは勿論、煌爛々も虚を突かれたようで。
「え、えーと、ボスの城が…」
「お城ー?後ろのー?」
壊れた人形のように首を縦に振り、つっかえながらも説明する煌爛々。
んー、と考え込み揺れるフェインの頭に合わせて、砂浜が弾む尾にかき混ぜられる。
やがて、ポンっと一叩き大きく砂が舞うと。
「お城を崩したくないんだねー、わかったよー」
「えっ」
あっけらかんと放たれた言葉。声変わり前のソプラノが、目的を高らかに周知する。
フェインの意図は、違わず全ての仲間に届き。
「きららちゃん、久しぶり」
名と同じ色の瞳が柔らかく微笑む。
藍の構えた銃口から、戸惑う煌爛々の横を通って流星が海面を滑っていく。
アウルで眩く輝くソレに、近付いていた子カニの群が釣られ追い。
「お嬢さん、手伝おっか?」
水晶の斬撃が、砂煙ごと纏めて断ち切る。
視界の晴れた後には、チャーミングなウィンクがひとつ。
見知らぬイケメンであるジェンティアンに、しかし常とは違い、煌爛々は困惑を返すだけ。
「なん、で…」
途方に暮れる幼子の風情に、向けられる気配はただただ暖かく。
「僕、可愛い子の味方だから♪」
戯けて微笑うジェンティアンの隣、進み出る藍。
「大事なものなんでしょう。一緒に、守ろう?」
差し伸べられた手の理由は、よくわからないまま。
それでも何かに背を押され、煌爛々はおずおずと己の手を重ねた。
「…そういう事なら、僕は構わないのです」
差し出された手が取られたのを見て。オブリオは刹那、仇敵を想う。
己の手は、あのロクデナシに届くのだろうか。
(差し出す意味は違うのですが――っ!?)
憎き敵を浮かべた所為か、不意に湧き上がる、戦いへの愉悦。
冷たく塗り潰してくる激情を振り切るように、大きく息を吸い。
「では――空から行かせて貰いましょうか」
引き上げたマントで、記憶に蓋をする。無意識の切り替え、己にすら気付かせぬよう。
潮風にはためく襟元が、淡く光った。
●
腕に絡ませた神の亡骸が、空を切る。
間髪を入れず返す刃は、見た目通りの硬質な甲羅に弾き返された。
「硬い癖に足の速い蟹か、うぜぇ」
振り被られた大きな鋏を、舌打ちと共に避けるネームレス。
開いた距離は詰められる事はなく、代わりに、背から零れ落ちる小さな塊達。
「…ぶっちゃけ面倒だなこいつ」
輝く城目掛けて一直線に向かう子カニに、舌打ちが重なる。手が回らない。
面倒臭そうに髪を掻き上げるネームレスの横から、スーツに包まれた腕が伸びて。
「大丈夫です…私の守備範囲はゆりかごから墓場まで」
不可視の結界が、檻となって巨大蟹を包む。
何時に無く真剣な面持ち、手慣れた素早さで忠国は印を組む。
「そして」
結印。アウルの檻は形を変え鎖のように巨大蟹を縛り上げていき――
「妻と名の付く方であれば問答無用で口説けます!」
真剣な表情にかかる前髪を、潮風が容赦無く崩していく。
気にも留めずに、そっと近付くと。
「あぁ!カニ妻ちゃん!その大きなハサミもチャーミング!如何です?私とこれから砂浜デートでmブグハァ!?」
束縛する男はお気に召さなかったようです。
鋏に空高くふっ飛ばされ、ダメ押しで泡ビームを食らい。忠国は宵の明星となった。
「あー…人の好みに口出しする趣味はねぇけどよ」
一連の流れに毒気を抜かれつつも、隙は逃さずに。ネームレスは一足飛びに巨大蟹の懐深く潜り込む。
小回りの効かない鋏がまごつく間に、連撃が怒涛の如く穿たれる。同じ関節を、幾度も。
「なるほど、合理的ですね」
冷徹なまでに冷静な言葉が、光の短剣と共に降り落ちる。
オブリオの投擲するソレは、巨大蟹の鋏を弾き行く手を阻み的確に援護する。
少しずつ、巨大蟹は傾いていく――
●
段々と、宵闇が勢力を増していく。それを厭うように。
気の早い一番星が、天上から転げ落ちたかのような。幻想的な光が、砂浜の一角を染める。
途端、彼方此方から集う小さな影。
彼らは本能的に知っているのだ、光ある所に人が、餌が在るのだと。
「動きを止められるかもしれない、と思ったけど」
光の中心にて、発信源たるジェンティアンは思考する。むしろ集うというならば、逆に。
「煌爛々ー、そっちいったよー」
背に揺れる尾の柔らかな白とは色彩の異なる、静謐な月光を思わせる弓身から、矢が流星のように降る。
身の丈を超える洋弓を難無く取り回し、フェインは上空から星の輝きに照らされた舞台を指揮していた。
「ええいちょろっちょろと…あっ」
的が小さくすばしっこい子カニを、地道に踏み潰す煌爛々。
数も多いソレらを、網羅するのは当然厳しく。けれど。
「まーかせてっ!」
黒き鷹の名の通り、獲物を見逃さぬ素早い銃撃が、過たず真芯を撃ち抜いていく。
それらの猛攻を潜り抜けた僅かも、水晶の煌めきにあえなく断ち切られて。
「それでも追いつかない、かな?」
「親玉を潰さないとだ「大っきいのきたよーっ!」ね…っ!」
子カニの波の合間、手短に状況を確認し合う藍とジェンティアンの頭上から、フェインの警告が響く。
ネームレスとオブリオの地道な攻撃を厭うたか、振り払い、鋏を構え突進してくる巨大蟹。
「蒼柳、おねがいだよー!」
刹那の間も無く呼声に応え、顕現せしは蒼黒の龍。
緑の瞳で主の敵を不機嫌に睨むと、赤い組紐を靡かせて駆ける。
衝突の爆音。幾許かの勢いと、軌道を逸らされた巨大蟹の進路上には。
「なんか楽しくなってきましたし…ほらアレ、プチプチするヤツみたいな」
一心不乱に子カニを潰すアh…煌爛々の姿。当然、気付いていない。
遮る物無い彼我の距離に、それでも強引に捩じ込む人影。
「ちょおっと重い、かな。でもここは退けないからね」
軽い声音とは裏腹、青紫の奥に灯るのは掛け値なき本気の色。
退かぬ遺志を退魔の紋章に込め。ジェンティアンは長盾で巨大蟹を抑える。
骨が罅割れていく音を、何処か遠くで聞きながら。
「貴方の相手が、独りだとでも?」
投げては手元に現れる光のナイフを、オブリオは矢継ぎ早に放つ。
降り注ぐ頭上からの痛みに巨大蟹は苛立ち、ジェンティアンへの圧力が緩む。
弱められた勢いのまま、止められた突進。撹乱される意識は、無防備な隙を晒して。
「スマートに行こうぜ」
残像が、赤い尾を引いて疾走る。神骸の一閃が、最後のダメ押しとなって脚を断ち切り。
間髪を入れず、瞬速の龍の体当たりが大きくバランスを崩す。
「蒼柳、がんばれー!」
「あと少しっ!」
巨大蟹の動向に気を配りつつも、フェインと藍は未だその背から落ちる子カニを逃さず屠っていく。
オブリオのナイフが、迸る泡を押し返しながら巨大蟹の口に吸い込まれた瞬間。
「ああくそ、重てぇなぁ!」
ネームレスの背に大きく広がる翼、蒼柳と息を合わせて、巨大蟹の腹を下から押し上げる。
耐え切れず崩れ落ちる自重は、生まれかけていた子カニの大半ごと、背負った卵を容赦無く潰した。
「チャンスかな?」
地面で藻掻く脚を盾でいなしながら、ジェンティアンが再び、煌きを身に纏う。
「ヤンファ、いくよーっ!」
「いきますですのっ、おにいちゃんっ!」
ティアラ兄妹が懐から、手鏡を取り出し巨大蟹目掛けて放り投げる。くるくる回る鏡面は、そのまま星の輝きを反射しながら四方に光を届けて。
今までで一番強い光に、岩の陰から砂の中から、ざわざわ、と子カニが集まってくる。
勿論、巨大蟹が大人しくしているハズも無い。我武者羅に叩き付けられる脚が砂浜を穿ち、吐き出される泡が空中を蹂躙する。
全て集まるまで、と盾を掲げ耐えるジェンティアンを、蒼柳のブレスが優しく癒していく。
「これで全部だよ!」
砂の城周囲を慎重に確認していた藍が、声を張り上げる。
同時に、振り上げられた鋏の勢いを利用して、空中に飛び出す赤い影。
その無防備な姿を狙うべく、巨大蟹の口が泡を生成し――
「自由な動きなど、させる気はありません」
刹那に色を変えた白眼が、寄せ付けぬ冷たさで殺気を叩き込む。
重圧さえ感じられるソレは、巨大蟹を本能的な恐怖で以って縛り付け。
「食えるなら良いが、産廃になる蟹は要らねえよ」
重力さえも味方にして。
空より疾走る黒き奔流が、集った子カニごと巨大蟹を飲み込んでいった。
●
水平線上で夕陽が、最後のひと睨みをきかせている。
いつもより紅く染まった髪を鬱陶し気に払うと、ネームレスは神骸に布を巻き付けていく。
「――お前と戦う気はねえ、面倒だ」
「あっハイ」
所在なげな煌爛々に一瞥だけ流し、給料分は働いた、と嘯くと。
煙草を咥え、振り返りもせずに砂浜を戻っていく。
「じゃ、じゃあ私も帰r「きーららちゃん!」うえぇ!?」
ガシィ!
振り向けば藍。びっくりしている間に片腕を取られ。
「ちょっと崩れちゃってるかな?砂遊びも久々だなぁ」
引き摺られていった砂の城では、ジェンティアンが土台を固めながらウィンクひとつ。
「えーっと…?」
「大事なんだよね、壊れたところ、一緒に直そう?」
疑問と共に立ち尽くす煌爛々に、藍は優しく促す。前と同じにはならないかもだけど、それでも、と。
向けられる笑顔に、煌爛々はおずおずと砂を手に取り、そーっと屋根の部分を――
「煌爛々ー!」「煌爛々様っ!」
「どっしぇえええ!!」
背後から元気よくかけられた声に、思わず砂をぶちまける。
目を白黒させる煌爛々を他所に、楽しそうに城の補修を手伝い始める兄妹。
「そうだ、この前の、美味しかったー?」
「自信作ですのっ」
不意に向けられた、純真な眼差し。
問われた言葉に思い出すのは、奥にしまい込んだ包み紙と疑問。
「なんで、くれたんですし…?」
疑問はそのまま、言葉として零れ落ちる。
本人さえも無意識な呟きに、しかしフェインは。
「一人で食べるより、皆と一緒に食べた方がもっと美味しくなるんだよー!」
破顔一笑。あっけらかんと告げられた答えは、煌爛々の胸にストンと落ち。
「私ね、とりあえず包容力あって、ちょっと無精くらいの方が良くて、口は悪くてもいいから裏にかすかに優しさがあるようないけオジが好みかな」
言葉も無い煌爛々に、藍は優しく畳み掛ける。
「何もあげられないけど、一緒に何かすることはできるから。砂の城直したり…イケてるオジサントークだったり、ね」
笑いかけてくる彼らに、煌爛々は足掻く。
「いっぱい喧嘩したですし…!」
「今煌爛々悪いことしてないよねー?それなら問題ないよー!」
だって、それはまるで。自分には関係ないと思っていた、それは。
「もしいいなら、友達になりたいかな」
ダメ押しの一言。
フリーズした思考の海で、煌爛々は溺れたように口をパクパクと――
「そう!つまりは私と浜辺デートにトゥギャザーしませんか☆」
「ぎぇえええ!!」
突如現れる忠国。一分の隙もないキメ角度は、驚いた煌爛々に砂をぶつけられても崩れることなく。
ドサッ
「あっ」
出現場所が悪かったようです。
煌爛々の投げた砂は、忠国と同時に後ろの城にもダメージを与え。
「…捕まえてごらんなさぁ〜い☆」
「……待てぇ〜こいつぅ〜☆」
そして始まる浜辺のトゥギャザー。
呆気にとられ見送る一同はしかし、顔を見合わせ密やかに微笑う。
「煌爛々様、真っ赤でしたのっ」
●
「それにしても、東北には不思議な天使たちがいるのです」
岩場に忠国を追い込む煌爛々を見つつ、オブリオは想いを馳せる。
風に乗って流れてくるやりとりは、人間よりも人間臭い。
「観念するですし!」
追い詰めた、そう思った獲物はしかし、静かに振り返る。
「これだけやれば、いい加減慣れたでしょう」
「えっ」
「ホストの性ですか、どうにも寂しい女性は放っておけない…」
いつもと違う雰囲気、詰められる距離に、思わず後退る。
動揺してます、と書かれた顔に、忠国は薔薇の花束を差し出すと。
「煌爛々ちゃん、私と友人になりませんか?」
追い詰められたのは、はたして。
「…ただ、きっと次に会った時は敵対者。その時は容赦はしません」
言い切る言葉は、想いごと襟に覆われて。
沈みゆく太陽だけが、全てを暖かく照らしていた。