●
崩れた建物の間を、乾いた風が吹き抜ける。
不安そうに周囲を伺う避難民達に、どこか澱んだ匂いを撒き散らして。
ぎゅっと眼を瞑り、開く。景色が、痛い。
(これは、私たちのせいでもある)
瞬きさえ禁じて、山里赤薔薇(
jb4090)は街を、避難民を見据え続ける。
避難民達の故郷は更に遥か遠く、此処よりも激戦区だった。
(冥魔と一緒に「私たちがやったこと」なんだから)
整わない街、諦観の浮かぶ顔。己の行動の結果から、眼を、逸らしてはいけない。
夢前 白布(
jb1392)の視界で重なるのは、天使に蹂躙された己の故郷。
「僕はあの時、撃退士に『夢』を貰った」
怯えて潰れそうだった小さな心に、確かな光を。だから今度は。
「今度は、僕が誰かに『夢』をあげる番だ」
ドン、と拳で胸を打つ。片隅で震えている『あの時の僕』達に、この勇気を。
眼前に広がる光景に、とある記憶がソーニャ(
jb2649)の脳裏にフラッシュバックする。
廃墟の町を歩く少年、必死についていく妹――繋がれた、手。そう。
(人は誰かの為に強くなる)
瞳に強い想いを乗せる。あの日の少年のように。
「ねぇ君たち、ボクを助けてくれないかい」
怯えた子供達の目に、金色が眩しく映えた。
「これ、置いてもらえませんやろか」
本部の放送機器の前で、亀山 淳紅(
ja2261)は頭を下げる。手には幾枚かのCD。
ずっと此処にいられない己に、何が出来るのか。考えて、考えて…自分には、音楽しか無い、と。
「頼んます」
だから、必死に勉強した。音楽は魂の薬、造るにも、全身全霊を込めて。
万人に効くなんて思ってない、それでも。音楽が聴こえる心までは、この音が守ってくれると信じて。
スピーカーから、緊急連絡以外の音が、初めて流れた。
「まずは、物資搬入をスムーズにし、町の方々の生活物資を安定供給出来る様にしましょう」
銀縁の眼鏡を押し上げ、地図を広げる黒井 明斗(
jb0525)。
指のなぞる先は主要道路、被害状況等も聞いて、マーカーでラインを引いていく。
「次はいつ来れるか分からないしね」
バナナオレを補給しながら、水枷ユウ(
ja0591)も無表情に賛同する。
「広いからの、分担するのぢゃ」
隣のテーブル、同じく地図を広げて、木花咲耶(
jb6270)は小さな手で区域を分けていく。
「応援要請の合図も決めておかない?」
高虎 寧(
ja0416)が首を傾げる。眠そうな雰囲気の奥に、瞳は真剣な色で瞬いて。
時は有限、成す事は山積。この手の届く範囲は、余りにも狭い。
眼差しを合わせ、頷き合って各々の場所へ。さあ、己の出来る最善を始めよう。
「名付けて、『わたしたちがいる間に大変なとこを終わらせちゃおう大作戦』ーどんどんぱふぱふー」
●
臨時に設置された調理場にて。
「どうか一日も早く復興がなりますように」
Rehni Nam(
ja5283)は、祈りを込めて野菜を刻む。内側から癒せますように。
「美味しいもの食べて元気になりましょう♪」
己の活力を分け与えるように、柚祈 姫架(
ja9399)は鍋をかき混ぜる。
作るのは、野菜たっぷりで栄養たっぷりの田舎うどん。暖かい食事を、お腹一杯食べられたなら、きっと。
託児施設と呼ぶのもおこがましい、布で区切られただけの一区画。
「こんにちはー。僕の名前はうさ太っていいます。皆、宜しくね!」
大きな身振りで、ユウ(
jb5639)は元気良く挨拶をする。
うさぎの着ぐるみは、万が一にも冥魔と悟られないため。癒えない傷を、微かでも突かないために。
「僕も昔は天使に襲われて挫けそうだった」
白布の言葉に、幾人かが顔を上げる。諦めの色濃い顔に、胸が苦しい。
「だけど、僕もこう教えられて強く生きているんだ」
言葉を紡ぎながら、既視感を覚える。ああ、彼らはかつての自分だ。暗闇にのまれそうだった、あの頃の。
「希望が無い、なんてことは無いんだ。どこにもなくても、自分の中にあるはずだ、って」
意図はすぐには届かないだろう、それでもけして諦めはしないと、白布は拳を握り締める。
「頑張ったんだね」
俯き、座り込む子供達の一人ひとりをそっと覗き込んで、桜木 真里(
ja5827)は柔らかく微笑む。
撫でる手も、怯えさせないように。少しずつ、根気良く、教えていく。独りではないのだと。
「神様もちゃんと見てるって、風で教えてくれるよ」
怖ず怖ずとした視線が向いたところで、そっと空を指差す。折良く、強い風が彼らの髪を揺らしていった。
「ね?」
子供達の顔に、笑顔はまだ無い。けれど再び、目線が下を向くことは無かった。
「おっきなこはちっちゃいこをちゃんと教えてあげてね。ちっちゃいこもちゃんとお手伝いするんだよ」
一人ひとりに説明をして、ソーニャは子供達を送り出す。
真剣な表情で散らばっていく子供達を見て、思う。人は守られるだけでは、立てないのだと。
「人は救う時に救われるんだね」
「じゃあ、この薬を渡してきてもらえるかしら」
薬品名の書かれたメモを、真っ赤な顔で差し出す子を一撫でして見送って。
「1番の方、お入りください」
休む間も無く、フィーネ・アイオーン(
jb5665)は診療を開始する。
天界に居た頃から培ってきた医療技術と、人界で得た治療方法。
そして、何よりも大切な、救いたいという想いを駆使して、丁寧に患者を診ていく。
「病も気からと言いますし、何かあれば直ぐにご相談を」
軽い雑談混じりの診察を締めくくる。列はまだまだ途切れない。
目まぐるしさに、頭が時折痛む。それでも、入る時には不安に揺れていた患者の瞳が、安心して涙ぐむから。
フィーネは姿勢を正し、次の患者に声をかけた。
「そっち持っててくれる?」
子供達と一緒に、下妻ユーカリ(
ja0593)は竹を組み上げる。
こくりと頷く彼らに、言葉は少ないけれど。急かすことはせず、鼻歌交じりで作業を進めていく。
「お姉ちゃん、これなあに?」
結構出来上がってきた頃、大掛かりな装置に、少女から怖ず怖ずと疑問の声があがる。
「んー…まだ内緒っ!」
戯けたウィンクで、ユーカリは人差し指を口元に立てる。少しずつ反応が出てきた事に、嬉しさを噛み締めながら。
炊き出しの広場に、うさみみカチューシャが揺れる。
「ハッピーっていうです。触ってみるです?」
ヒリュウとデコギターをお供に、安原 水鳥(
jb5489)は子供達に楽しさを振り撒く。
寂しさも悲しさも、溜め込んでいてはいつか澱む。少しずつ楽しさを混ぜ合わせて、昇華していけたなら。
「せや、安原さん、皆も、手伝ってくれへん?」
一緒に歌っていた淳紅が、皆を集めて耳打ちする。簡単なものでいい、此処にステージを作ろう、と。
「素敵なのです!」
両手を叩いて賛同する水鳥。子供達の瞳も、わくわくに彩られた。
●
目の前に広がるのは、何処から手を付けたものか、迷う程の瓦礫の山。
「そちらを埋めて貰えますか?」
「わかりました」
明斗は自身も動きながら、手にした地図の書き込みを現場レベルで修正していく。
その指示する先、道路の陥没箇所へ瓦礫を埋めていく赤薔薇。
浮かべるのは笑顔、たとえ心は痛みで一杯だとしても。否、だからこそ。
「まずはインフラを整備しましょう。当たり前に食べ、眠れる事がきっと活力生みますから」
明斗の語るライフラインの再構築。今日だけで其処まではいかなくても。
(街を壊した私達に出来る、最大の罪滅ぼしだから)
新たな瓦礫を担ぎ、赤薔薇は確りと前を向いた。
「天魔に対抗するだけが戦いではない、という事を痛感する場所ですね」
耳を伏せた子猫のように。鑑夜 翠月(
jb0681)は痛ましげに眼を細める。
隣で戸惑いかけて、けれどサミュエル・クレマン(
jb4042)はぐっと歯を食いしばる。
「僕の力はこんな時こそ振るうべきだと思うんですっ」
まだまだ頼りなくても、自分は撃退士。惑う様子を見せれば、守るべき人達が不安になる。
「がんがんいくわよー♪」
「うわっ」
「ひゃっ」
立ち尽くす少年達の背を、バシンと一叩き。
ウィンク一つ残して、雀原 麦子(
ja1553)は風のように瓦礫の元へ。
千切っては投げ、とはいかないまでも、宝物を探すポジティブさで瓦礫を引っこ抜いていく。
「思ったより軽いわねー♪」
唖然と固まる周囲に、手招きしたりなんかして。麦子姉さんの独壇場。
「…この瓦礫ですね、これぐらいなら僕一人で大丈夫ですよ。それっ!」
サミュエルが動いた。大の大人がまごついていた瓦礫を担ぎ、ひょいひょいと運び出す。
「ここが厄介そうでしょうか」
次いで、猫のしなやかさで翠月が隙間に潜り込む。
「ほら皆も頑張りましょ。一汗かいた後の一杯は最高よ♪」
落ち込んでても幸運がやってくるわけじゃない。どうせやるなら、笑顔の方がきっと楽しいから。
くるくる動く彼らと、意識の端を掠めるように流れる軽快な音楽に押され。
ぎこちないながらも、避難民達の空気が回り始めた。
●
ざり、と靴底が擦れた音を立てる。
「こういう問題は、何時かて変わらんね」
微弱な気配も逃さぬよう気を張り巡らせ、宇田川 千鶴(
ja1613)は吐息で囁く。
「変わりませんね。…見飽きる程に」
応える石田 神楽(
ja4485)の声も、どこか遠くて。
思い出すのは、駆け抜けてきた数多の戦場。倒してきた相手の、様々な理由と哀しみが、走馬灯のように過る。
スピーカーから流れる物悲しい旋律が、そっと包み込むように二人に寄り添った。
(行方が知れぬ人のたった一人でも良い、咲耶が見つけられれば…)
祈りを抱えて、咲耶は手付かずの場の上空を飛ぶ。
と、眼下に、キャロライン・ベルナール(
jb3415)が佇むのが見えた。
「生命反応は無いが…」
其処彼処にある崩れた家の一つ。だが何故か気になるのだと、降り立った咲耶に難しい顔で零すキャロライン。
「見てくるのぢゃ」
瓦礫を透過する。薄暗い空間には何も無い。気の所為だったか、と踵を返そうとした瞬間。
「これは…」
きらりと。光ったのは割れた写真立て。家族だろうか、幸せそうに微笑んで――
「どうだった…どうかしたのか?」
戻った咲耶の表情に、キャロラインは戸惑う。それにふるりと首を振って。
「とても大切な物を、見付けたのぢゃ」
袖で埃を拭い、咲耶はそっと懐に写真を仕舞った。
終わりの見えない瓦礫の街を進む、幾人かの影。
時折、雲に隠される日差しによって、不安定なコントラストを見せる。
「この巡回が無駄に終われば良いのですが…」
無表情に僅かな願いを乗せ、雫(
ja1894)は周囲の気配を探る。
「少しでも復興の手助けが出来れば」
少し後ろから、紅葉 公(
ja2931)が痛ましい表情で続く。
巡回に出る前に、ちらりと見かけた子供達。遠目からでもわかるほどに怯えていた。
「同じ苦しみを味わった仲間に、尚も苦痛を振りまく、か」
嫌悪感を隠そうともせず、アリシア・リースロット(
jb0878)は吐き捨てる。
幼いながら我が道、信念を持つ彼女には、青森の現状は度し難い所業で。
「規律には、定められる意味があるのですよ」
最後尾の風紀委員会所属、イアン・J・アルビス(
ja0084)は呟く。
法は、縛り付ける為にあるのではない。日常を、秩序を維持する為に。
青森の現状を、その立場からの視点で憂うる彼の懐で、通信機が二度、身を震わせた。
●
広場の片隅を掘り起こして。
服が汚れる事も厭わずに、真里は地面に座り込んで、ガーデニングの本を開く。
「皆で一緒に育てていこう?」
自分も初めてだからと、皆で本を眺めては種を植えていく。
「頑張れ頑張れ、大丈夫、キミなら出来るよ!」
水が一杯のジョウロを、両手で必死に運ぶ少女。心から応援するユウ、だがけして手は出さない。
必要なのはただ差し伸べるだけの手ではなく、必要な時に支える手なのだから。
「綺麗な花が咲くと良いね」
咲いたペチュニアが、心のやすらぎとなりますように。祈りを込めて。
「頑張ったからお腹空いてない?ここまで終わったら、ご飯食べに行こうか」
もう一頑張りだよ、と真里は頭を撫でた。
瓦礫を運ぶ音に掻き消されそうなほどか細い鳴き声が、みゃあぅ、と風に舞う。
微かな其れが、耳に届くや否や。サミュエルは背にアウルの翼を広げる。
「ふふふ、もう大丈夫だからね」
屋根の上で蹲り震える命は、それでも懸命に生きようと。精一杯の虚勢でサミュエルを威嚇する。
「あっ、暴れたら危ないよっ」
壊れ物を扱うように子猫を抱いて。おっかなびっくり、瓦礫を滑り降りる。
「怖かったんですね…もう大丈夫」
サミュエルの腕の中でもがく子猫を、翠月は怖がらせないようそっと撫でる。
独りぼっちで、どれだけを過ごしたのだろうか。
「だいぶ衰弱してるね」
欠けた戦力は自分が補うから、と救護室の方面を指差す水枷。
ついでにバナナオレのおかわりを頼むのは、彼女なりの気遣いなのだろう。たぶん。
比較的、原型を留める、元は2階建てだった一軒家の前。物陰に隠れながら、寧は通信機をしまう。
(恐らく複数、かな?)
コール二回は、事前に決めた空き巣発見の合図。応援が来るまで移動しないよう祈りながら監視を続ける。
待つことは苦ではない、数分か数十分か。微動だにしなかった寧の、一軒家を挟んで向こう側。
「間に合ったみたいです」
鏡による信号をやり取りしながら、公は安堵の吐息をつく。
「出入口は表と裏、それと庭ですね」
瞬時に見て取って、雫は裏口へと回る。寧は表に、残りは庭に。
心の中でカウント5。3,2,1――Go!
表と裏が、同時に蹴破られる。元よりさほど大きくもない一軒家、何事かと空き巣達の視線が集い。
「そこまでです、大人しく投降してください」
「子供ぉ?」
雫が静かに促す。だが幼い外見を侮ったか、男が舌打ちしてつまみだそうと手を伸ばした、その瞬間。
「うちら、こう見えて撃退士なんよ」
壁を蹴り、背後を取った寧が耳元で囁く。同時に、雫が威力を落とした掌底を見舞った。
「何で撃退士が居るんだよ!」
音もなく崩れ落ちた仲間に、勝ち目を諦めたのだろう。残りは身を翻して窓へと駆け寄る。
それが、思惑通りだとも知らずに。
「何処へ行くのだね?」
庭に降り立った瞬間、彼らに叩き付けられる重圧。
年端の行かぬ小娘が、腕を組んで立っているだけ。なのに、何故、身体は指一本動かせないのか。
「悪い事はしてはいけないのですよ?」
知らず小刻みに震えていた彼らを、むしろ哀れに思いながら。イアンは持っていた縄で、歩ける程度に縛った。
●
陽が、薄く雲を纏う空の、中天に差し掛かる頃。
「柚祈さん、具材の追加をお願いするのです!」
「すぐ持ってくよー!」
炊き出し会場は、一種の戦場に。田舎うどんの汁が、冷める暇も無いほど。
「ご飯だけが楽しみなのかな」
大鍋で麺を掻き混ぜながら、ユーカリはぽつりと呟く。見渡す限り瓦礫の街では、娯楽など望めようはずもない。
「よし、がんばるぞー」
必要なのは、きっとイベント。己の考えに頷くと、ザバリと大鍋をザルにあけた。
「いい匂いですね」
「活気が違います。やはり、早急にライフラインを」
お腹をさすりながら、顔を綻ばせて列に並ぶ翠月。横では明斗が、地図に何やら書き込んでいる。
「冷たい方を貰えるやろか」
「はいどうぞ、お疲れ様ですよー」
千鶴が片手で扇ぎながらうどんを受け取る。巡回班も瓦礫班も、続々と炊き出し会場に集まってきていた。
「冷たいお茶をどうぞ♪」
「気分が悪い方はいませんか?」
長い列の間を縫って、忙しなく動き回る姫架とフィーネ。
働いた身体を労るよう、本人でも気付かない不調を見過ごさないよう。額に汗が滲むのも、お構いなしで。
「すごい人だかり…」
目を丸くする公の横で、イアンは渋い顔をする。
逃げないようにと縄で繋がれた空き巣の片腕は、彼らが咎人だと雄弁に物語っていて。
「違う方面から――」
「おい、何でコイツら縛られてるんだ…?」
踵を返す間も無く、気付かれてしまった。
「いえ、これは」
舌打ちを笑顔で隠して、イアンは然りげ無く前に出て空き巣を隠す。だが、時既に遅し。
「もしかして…」
ザワリ、広がっていく騒乱の波紋。避難民の瞳に浮かぶのは、抑え付けざるを得なかった鬱屈の発露。
――暴発は、いとも容易く。
●
「他人様の物に手ぇ出してんじゃねえよ糞野郎!」
血の気の多い一部が、空き巣の胸倉を掴んで吠える。
「じゃあどうしろってんだよ!野垂れ死ねってか!」
縄で縛られたままの片腕で掴み返し、空き巣も負けじと叫ぶ。
不満や鬱屈、言いたいことはこちらにだって腐る程。迸る激情が、言葉というカタチをとる前に。
「あぁその方が世のためじゃね?」
売り言葉に買い言葉。せせら笑う悪辣な言葉は、放ち戻らぬ鏃と同じ。
ただ、眼に視えないから、簡単に抜く事が出来ない。
「――っ!」
手が出たのはどちらが先か、なんて些細な事。波紋は、瞬く間に場を揺さぶって――
「ええかげんにせいや!」
――パァァン!!
打ち消し合う波が、大喝と共に放たれる。
両手を広げ乱闘只中に飛び込んだ千鶴と、彼女に向かう拳を、敢えて音が出る様に受け止めた神楽。
辛い事があった分、幸せになってほしいのに。優しく在りたいのに。どうして自分は、こんな風にしか出来ないのか。
「――とりあえず、落ち着きませんか?」
そっと唇を噛む千鶴を、その苦悩ごと背に庇いながら。
無駄な労力は使いたくない、と微笑う神楽の冷えた眼差しに、沸騰していた場が停止する。
「あ、あんたら撃退士が」
「わたしたちが、なに?」
酸素を求めて喘ぐ、空き巣の苦し紛れの一言に。群衆を掻き分け、水枷がゆっくりと近付いて行く。
「ゲートが消えるまでには長い時間が必要で、それはわたしたちにはどうにも出来ないこと」
突き付ける、現実を。目を逸らしても良い、だが言い訳にするな、と。
「…その時まで、そうやって不満を積み重ねてくの?」
下から見上げる無機質な眼差し。何の気負いも無い質問は、男の喉から、拳から力を奪う。
「まったく、辛いのは自分達だけではないと言うのに」
反対側に歩み寄るのは、アリシア。緑に浮かぶ侮蔑を隠そうともしない。
「如何に感情の捨て所が無いからと言って、より弱者に対して向けるとは、言語道断なのだよ」
「空き巣野郎の肩持つっていうのかよ!」
「違うわ、戯け」
再び沸騰しかける男を鼻で嘲笑い、眼前で仁王立つ。腕を組み、顎で指し示したのは。
「――これ以上、怯えさせないで貰えますか」
涙を堪え耳を塞ぐ子供達。辛い世界を拒絶して。
腕に抱き庇う真里は、激しい憤りを、奥歯を噛み締めて耐える。
自分まで言い争っては、折角綻んできた蕾が、完全に閉じてしまう。
「子供たち、ちゃんと助け合っていたのよ」
寄り添い歌うように、ソーニャは羅列する。子供達が今日何をしたか。
一生懸命に動き、失敗を助け合い。たとえ独りの力は小さくとも、誰もが誰かのために全力だった。
「貴方たちは、どうしていがみ合うの?」
誰かのために動く時、こんなにも人は救われるのに、と。金の眼差しが不思議そうに語る。
「皆さんが戻れないのは、私たちのせいでもあります」
震える声で、赤薔薇は頭を下げる。深く、地につかんばかりに。
「仕方なかったなんて言いたくありません。だから」
ぬいぐるみを抱きしめる。もう遠い、唯一の家族の痕跡を。
大切な物を理不尽に奪われる苦しみは、痛い程理解できるから。
「贖罪の機会を、ください」
涙は、意地でも堪える。泣きたいのは、泣いていいのは自分じゃない。
微動だにしない赤薔薇に、幼い銀色が寄り添う。
「どんな理由が有ろうとも、人の不幸に漬け込む様な真似は恥です」
それでも、と雫は群衆に訴える。
「同じ立場なら、どうしていましたか」
冥魔に蹂躙された故郷を身一つで逃げ出して。現在地も、何処が安全かも、何もかもわからない。
飢えと疲労と極限の緊張の中、それでも光を探して這いずり回ったであろう日々。
「――許せとは言いません。ただ、贖罪の機会を」
息を呑む音が、其処彼処から響く。故郷を奪われたのは誰もが同じ。
ただあの混乱の中、青森という安寧を得られたのが、どれほどの幸運だったのか。
「今、目の前に広がる現状はとても酷いものぢゃ」
咲耶の眼差しが、静謐に群集を射る。
「辛い現実に心荒れる者もいよう。やるせない思いに、つい乱暴を働いてしまう事もあるぢゃろう」
幾人かが目を逸らす。心当たりならば、誰の胸にも。
「しかしの、必ず人はそれを乗り越えて行ける――信じて欲しいのぢゃ、自分達の持つ力を」
儚く寄り添う桜の花びらの様に。言葉は、そっと心に滑り込んでいく。
「…腫れてきましたね。冷やしましょう、こちらへ」
騒ぎが落ち着いたと見て取り、フィーネがドクターストップをかける。
争っていた避難民も空き巣も、もはや拳を振り上げる気力は無く。大人しく彼女の先導に従って救護室へ消えていく。
広場には戸惑いだけが残り、誰もが互いの顔を伺って動けない。そこへ。
「La La La La La…」
停滞した空気を切り裂いて、高らかにa cappellaが響き渡る。
音源を探し彷徨う視線の束が、ある一点に収束した瞬間。
ダンッ!
木の板を並べ、地面から一段高くなっただけの簡易ステージ。
何時の間にか出来ていた其れの上で、デコラティブなギターが弾けた。
「さあ、皆も一緒に歌おうや!」
マイクは無い、伴奏はギターのみ、ダンサーはうさぎの着ぐるみ――充分だ。
淳紅は声を張り上げる。魂にまで届くように、共鳴を引き出すように。
「みんなでお歌を歌うです!」
「僕と踊ろうよ!」
時に淳紅とデュエットしながら、ユウとヒリュウとリズムを刻み。水鳥はHappyを振り撒く。
歌は不思議、そこにあるだけなのに、こんなにも幸せな気持ちにしてくれる。
(どうか、光を――)
祈りを乗せて、彼らは全身全霊を振り絞る。
目を瞑らないで、この音を聴いて。どうか幸せが届きますように。
諦めなければ、世界はこんなにも光に満ちているのだから。
――パン!
固まっていた群衆の間から、手拍子がひとつ、打ち鳴らされる。
呼応するように上がる歓声が、うねりとなって会場に轟く。
音は、避難民達の心に、確かに届いた。
●
「こっちにもご注目だよっ!」
熱狂の冷めやらぬ中、高台から、楽しそうなユーカリの声が降ってくる。
何事かと集まる視線に、もはや陰りはなく。これから始まるであろう楽しい出来事に、ただ胸を踊らせて。
「ちっちゃい子たち、もーちょっと前へ来ようねっ。…いい?いっくよー!」
ザバッと、ユーカリの手からそうめんが流される。
勢い良く飛び出した白い糸は、竹組みの流水を軽快に滑り落ちて――
「うわわっ!?」
カーブを曲がりきれませんでした。
あたふたとするユーカリの視線の先、最前列の子供達が呆然と、そうめんを引っ被った互いを見つめ合って。
「…ぷっ…あははっはははは」
――広場に、幼い笑い声が、弾けた。
(ああ、やっと笑ってくれたね)
心の奥底から込み上げてくる何かを、微笑みで押し止めて。
互いを指差し笑い合う子供達に、真里はそっと願う。さっき植えたペチュニアの花言葉は。
「『あなたと一緒なら心が和らぐ』――友達がいると、楽しいね」
共に育ち、未来へ咲き開いてくれるといい。その糧となるように、希望を置いていこう。
「自分の中に希望が見えないとき。そんなときは友達を頼るんだ」
白布は、彼らの一人ひとりに順繰りに、視線を合わせていく。
一人で挫けそうなときでも、助けてくれる人がいれば大丈夫。
あの時、心ごと救って貰った自分だから言える、確かな事実。
「だから、友達が辛いときには、ううん、友達じゃなくても誰かが辛いときには助けてあげて」
旭川で夢を受け取った、今度はそれを、東北の子供達に受け継ぐ。救いの光は、希望はこうして繋がっていくのだと。
手を繋ぎ真剣に聞き入る子供達。その顔に、怯えはもう、見えない。
高らかに掲げられた缶が、其処彼処で打ち鳴らされる。
「おもいっきり汗をかいた後のビールは最高ね♪」
缶ビールをごくごく一気飲み。麦子おねーさんはご満悦。
「なぜお酒が…」
「いいからいいから」
葛藤するように缶を見つめるイアンの後ろから、お盆に山と追加を乗せた姫架が現れて。
「おかわり、おまちどうさまです♪」
可憐なウィンクにおっさん達が沸き立つ。
「よーし飲み比べねー♪姫架ちゃんじゃんじゃん持って来てー」
「ちょっ!?」
「はーいっ♪」
片っ端から麦子に潰されていく会場の端。
「程々でお願いしますね」
苦笑しながらも止めないフィーネ。これが麦子なりの励ましだと、気付いているから。
ステージの裾で伸びをする淳紅に、近寄る人影。
「ジュンちゃん、お疲れ様でした」
Rehniが手渡した田舎うどんは、喉に優しい温かさ。
「ありがとさん、やでー♪」
ステージでは愉しそうに自分の世界に入り込んで、ちょっと遠くに感じる時もあるけれど。
(お仕事はご一緒できませんでしたけど…貴方がそこにいるだけで、元気も気合も百倍なのです!)
いつもの笑顔で美味しそうに食べてくれる恋人に、尊敬の念と、心からの労りを。
夕陽の沈み行く瓦礫の巡回路。
「ほんまああいうのはなくならんね」
喧騒から離れ、先程の乱闘を思い出す千鶴。野垂れ死ね、と躊躇無く放たれた言葉。
人は、同じであるはずの人に、あれほどまでに残酷になれるのか。根は底知れぬほどの深さで、怖い。
これでは、天魔相手の方が余程――浮かびかけた想いを、銀糸を振って散らす。
「仕方ないでしょう。それが恐怖を昇華する、最短の道ですから」
苦境から逃げる事は容易い、けれど、いつかは立ち向かわねばならない。
少しずつでも、変えていくしかないでしょうね、と神楽は呟く。
「せめて何時かは、天魔の不安だけでもなくしてあげたいな」
空を見上げる褐色の瞳。宵闇の中に、導の星は遥か遠く。
黄昏色に染まるテントの中。
「すぅ…ん、くっ、くすぐったいよ……すぅ」
「…バナナオレさいこー…」
「ん…それは尻尾じゃありま…」
右側に水枷、左側に翠月。真ん中で大の字に眠るサミュエルの。
「みゃあぅ」
胸の上で、子猫があくびをひとつ。
「お疲れ様、だ」
三人と一匹にそっと毛布をかけ、キャロラインは書類に向き直る。
纏めているのは、撃退署に提出する報告書。自ら歩き回った現実、他からの意見、そして。
「む、これも追加しておこう」
空き巣からの陳述を付け加える。いかな理由があれど罪は罪、けれど根本の原因と向き合おうとしないのもまた、怠慢という名の罪ではないだろうか。
「すぐには無理だろう、だが」
故郷に帰れるその時まで、少しでも笑顔でいて欲しい。綴る報告書の束は、次第に分厚く。
「主要道路は何とかなりましたか…」
作業経過を書き込んだ地図に、物資搬入経路を書き加える明斗。安堵の吐息が、口から漏れる。
この身に顕現せしアウルの力。敵を討ち滅するだけでなく、誰かを助ける事も出来るのだと。
(僕らが戦い以外で役に立つなら、いくらでもお手伝いします)
人の為に力を尽くす、それが自分の存在意義だから。
書き上がった地図を手に、黄昏のテントを出る。
「む、そちらもか」
ちょうど隣から出てきたキャロラインと会釈を交わし、共に本部へと広場を横切りかけたところで。
「たったいま連絡が入りました!十和田市の定期掃討が成功したそうです!!」
興奮を抑えきれないままに、スピーカーから叫ぶ声。
一拍の空隙の後、轟く歓声が、広場を覆い尽くす。
「――あちらも、やってくれたようぢゃの」
咲耶の瞳には、人の示す希望という名の可能性が、確かに眩しく映っていた。
●
気の早い宵の明星が、西の空から優しく地上を照らし始める。
スピーカーからゆったりと流れるのは、安寧へと誘う憩いの調べ。
この場所はあくまでも避難地区。仮初の故郷。
望む場所は手の届く距離に、しかし定期掃討が成功したとはいえ、その道のりはまだまだ遠い。それでも。
「おうちじゃないけど、もうこわくないよ」
帰りの挨拶と集まった撃退士達に、心からの笑顔を見せて。子供達は一人ひとりに手紙を手渡す。
封筒も無く、便箋ですら無い何かの切れ端は。
沢山の拙い『ありがとう』で埋め尽くされていた――