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その場所に着いて絵菜・アッシュ(
ja5503)が真っ先に感じたのは鉄錆のようなムッとする臭いだった。
生者のいない幼稚園。園内に踏み込んでから「死」の匂いはずっとまとわりついていたけれども、その場所の「死」の濃密さは比較にならなかった。
森林(
ja2378)が目を凝らすと、奥に3体の黒い影がいるのがわかる。昼間なのに、そこだけ闇が落ちているかのようだ。
紅が闇から滴った。
影が何かを引き裂いている。
「我々の……主は……アニス様……」
呟くような声とともに、滴る真紅。
引き裂いたそれを投げ捨てて、また別のものを引き裂く。
「はぁ……なんとも」
溜め息と共に声を落としたのはヴィルヘルミナ(
jb2952)だ。最近、彼女的に『当たり』の依頼ばかり請けていたこともあり、今回のことは呆れることしかできない。
(知に寄るなら嘘をつかず、約束を破らず、相手の魂を落とし穢して我が物し、暴に寄るなら総て打ち壊して投げ捨てるべきだろうにそれを喰らいもせずにチマチマと……これだから最近の若い者は)
悪魔的にお説教もしたくなるというもの。
一方の天使であるウィズレー・ブルー(
jb2685)は、人も殺したことのない天使なれば静かな怒りと悲しみを胸に宿す。
(……酷い……はやく、助けてあげなくては)
ウィズレーが足元に阻霊符を置くと同時に怒りが口から溢れたのは山城 珠邑(
jb4641)だ。
「抵抗出来ない弱い物を虐殺するってのが、気に食わないね。虫唾が走る」
踵で床をリズミカルに叩きながら、その目はまっすぐに黒い影を見ていた。
「あんた等の主人はアニスっていうの? ……へぇ……滅多に気に食わない奴ってのは出てこないもんだけど、その名前は覚えておくよ。絶対泣かすっ!!」
(やーっぱあのクソアマ生きとったんやなぁ……ほんで? 逆恨みで弱いもん虐めか? せやから三下やぁ言うねん)
一人、皆から距離を取りながらくっくっと笑うのは雅楽 灰鈴(
jb2185)。彼女はアニスという悪魔と一度会ったことがあった。
(ザコはザコらしゅうおとなしぃしとけばえぇのに。ま、売られたケンカは買わなあかんやろ?)
溜め息をついて髪をかくが、彼女には一つ疑問があった。
(っつーか……クソアマ、グール以外のん作れたんか? ほんだ前回でコイツ等連れて来た良かったのに……他の悪魔も絡んどるんか?)
そう、前回灰鈴が会ったときはゲート展開という大きな事件のときだった。けして失敗してはいけない場だったのに、アニスという悪魔は弱いグールを数揃えただけだったのだ。
「討伐とは言いません」
アステリア・ヴェルトール(
jb3216)が凛として言い放つ。
「滅びて尽きなさい。それが、魂もなき眷属如きには似合いの帰結でしょう?」
(亡くなった人達は静かに眠らせてあげてよ。その身体は遊び道具じゃない)
森林は静かな悲しみを胸に顔を上げた。
「その子達から離れてもらいます……」
同時に、風のように神凪 宗(
ja0435)が動いた。
「悪魔のやる事は所詮こんなものか? 久遠ヶ原にいる悪魔達と、とても同じ種族とは思えんな」
柄のみの刀をすらりと引きぬくとアウルの力で光る刀身が現れる。
「何れにしろ、こちらのやる事に変更はない。貴様らは切り刻む」
「ガキを狙いやがって……ふざけんなよ、クソがッ!」
絵菜が怒り心頭に叫び、戦端は開かれた。
●
宗は風のように右端のディアボロに向け駆けた。
エネルギーブレードを横に倒し、一気にディアボロの首を狙い、薙ぐ。狙いは確か。だが、それはわずかにディアボロの首を抉っただけだった。
(こいつら……硬いのか?)
手応えを確認しながら壁際に跳ぶように移動する。その一瞬後をディアボロの鋭く長い爪が追った。爪は刀のように鈍く光り、宗の眼前を通過する。
「もう誰も殺させないから」
悲しみの奥に眠る決意。森林は弓を引き絞り、中央のディアボロを狙う。だが、矢は爪によって弾き飛ばされた。
無言の怒りをもってアステリアが床を蹴る。デュランダルでディアボロの脚へと斬りつけた。斬に斬を重ね、その脚を磨り潰すが如く。抉れた脚の一部がボトリと落ちる。
それはいつものアステリアの剣技とは違う、どこか残忍さの滲む剣。静かな怒りはアステリアの人間としての矜持を越え、本来の残忍な魔龍としての本性を浮き上がらせる。
「クソがぁぁぁッ!!」
絵菜はリボルバーの銃口をやはり中央のディアボロへと向けた。狼の遠吠えとともに弾丸はディアボロの肩を弾く。
「おーい、落ち着けー!」
珠邑が絵菜へと声をかける。
作戦としては三班に分かれ、それぞれ一体ずつのディアボロを受け持つことになっていた。絵菜は宗、灰鈴と同じ班だったはずだ。
我を忘れる怒りは珠邑もわかる。
(あたしだって、許せないもんね)
明日も続くはずだった幸せな、普通の日常。それを遊び半分で壊したディアボロと悪魔は絶対に許せない。
だからこそ、心の底は冷静に。珠邑は爪先でステップを踏みながら、自分の跳び出すタイミングを見計らう。
この中で唯一悲しみも怒りも感じていないのはヴィルヘルミナだ。彼女が感じているのは「呆れ」以外にはない。
「毒をくれてやる。侵すとはこうやるのだ」
距離を取り、符を軽く弾いた。中央のディアボロに符は接触すると蛇の形に変わり喉元に噛み付いた。
「我、我々の、の、……ある、主は」
壊れたレコーダーのようにディアボロは同じ言葉を繰り返す。
「主が誰か等聴いていないが、そんなに主の名を公言して、そいつは得するのか?」
宗がふと疑問を呈した。
「得などするものか。愚を呈しておるだけだろう」
ヴィルヘルミナの言葉に珍しく灰鈴が反応した。くっくっと笑う。
笑いながら巫鳥翔扇を持って右端のディアボロへ肉薄する。
「まぁいっちょ死んどけや?」
符を投げるものの、その符はディアボロの爪で弾かれる。灰鈴は舌打ちを一つ。
「ウィズレー、行くよ!」
左端の担当はウィズレーと珠邑。未だ左端のディアボロは子どもを切り刻んでいる。珠邑は床を蹴ると壁へと足場を変え、壁を疾走する。
「その子を離して!」
壁からディアボロの真横へと近づくと壁を蹴り、床ギリギリを跳ぶ。片手を床につき、それを軸にしてフォトンクローを嵌めた手を大きく振りかぶった。ディアボロの脚が揺れ、子どもがドサリと床に落ちる。同時に振りかぶった手をも床につき、珠邑はバク転の要領で身軽にディアボロの背後の壁へと逃れる。
「……許しませんよ」
ディアボロがバランスを崩した隙にウィズレーは符を投げた。だが、この符もディアボロは爪で切り裂いてしまう。
(配置のせいかな。範囲攻撃がこない)
森林は矢を弓につがえながら全体を見渡す。
(連携しているようにも見えない。知能はそれほど高くないのかな)
「この遣り様……ただ殺戮を楽しんでいる節が見られるな。こんな事で犠牲者を出してしまうとは、情けない」
宗が駆けた。狙うは右端のディアボロの首のみ。ディアボロの爪と切り結び、力で押し切る。
だが、首を抉られてもまだディアボロは元気だ。カチカチと爪を鳴らして宗と近くの灰鈴を見比べる。灰鈴は怒りのあまりディアボロに肉薄したままだ。
右端のディアボロが不意に両手を上げた。爪を天井へと向ける。
(今までと違う動きだ……!)
森林が注意の声を発するより先にディアボロが両手を振り下ろした。宗と灰鈴に向けて黒い闇のようなものが落ちてくる。
宗は半歩ずれるだけでその攻撃を避け、灰鈴は巫鳥翔扇でそれを振り払った。
「ひょっとして、範囲攻撃は威力がないのか?」
宗が呆れたように言う。
「やっぱりあのクソアマのディアボロってことかい」
灰鈴はくっくっと笑いを零す。
森林が中央のディアボロを狙って弓を射る。今度の矢は脚へと当たった。だが、ディアボロはそれを物ともせず鋭い爪をアステリアに振り下ろす。アステリアは剣を構えるが間に合わない。
肩から胸にかけて、真紅が吹き出した。
「アステリアさん!」
ウィズレーはアステリアとぎりぎりまで距離を詰めると小さなアウルの光をアステリアへと注ぎ込んだ。
その間に絵菜と灰鈴が右端のディアボロに攻撃をするが、ディアボロは手負いとは思えぬ動きで避ける。だが、攻撃を重ねることに意味がある。
「おお〜っと。逃がさねぇよぉ〜?」
絵菜が笑う。そう、これで右端のディアボロは他のディアボロを相手にしている味方のほうには行かないのだ。
アステリアは回復してもらうと、華麗な剣さばきで中央のディアボロを傷つける。
ウィズレーがその様子にほっとしたときだった。
「ウィズレー!」
珠邑の声。ウィズレーが視線を向けると左側のディアボロが迫ってきていた。それを態勢を低くして珠邑が追う。
とっさのことに対応できない。ウィズレーの腕に血が滲んだ。そこを珠邑が仰向けに片手で体を支え、ディアボロの脚を蹴りつける。鈍い衝撃を爪先に感じると珠邑は体を支えていた腕をバネに一回転して横の壁に着地した。
「怪我は大丈夫ですか」
森林がウィズレーに声をかける。
「大丈夫、かすり傷よ」
ウィズレーは静かに微笑んだ。
「これは認識を改めたほうがいいな」
宗が言う。
「注意すべきは範囲攻撃よりも直接攻撃だ」
そのまま右端のディアボロを狙う。灰鈴と絵菜が宗の作る隙に合わせて攻撃をする。ディアボロは宗と絵菜の攻撃をかわすが、灰鈴の放った札だけはまともに食らった。灰鈴はニィッと笑う。
「俺の事も刻んでみろや? お前らの事粉砕したるから」
中央のディアボロの動きは速かった。誰も動けずにいる間にまたアステリアを袈裟懸けに斬りつける。アステリアの足元がふらついた。
「大丈夫ですか? 直ぐに治します」
ウィズレーが再度アウルの光をアステリアに注ぎ込む。森林も慌てて駆けつけた。
「気休め程度ですみませんけど……」
ウィズレーも傷を負っているが、今はアステリア優先だ。そのくらい、今の一撃は重かった。
葉の形をしたアウルをアステリアに飛ばす。葉はゆっくりとアステリアの体に溶けこむように消えていく。
その間に中央のディアボロに向けてヴィルヘルミナが風を操った。鋭い風は中央のディアボロをずたずた切り裂き、動きを止める。
「我々の……」
「喚くな、小物が。貴様なぞ喰らう価値も無い」
その言葉と同時にディアボロは崩れ落ちた。
左端のディアボロは今度は珠邑を狙う。爪が壁を抉るがそこにはもう珠邑の姿はない。壁を跳ね、床で着地のために転がると、そのまま両手をバネにディアボロの背後の壁へと降り立った。
アステリアは怪我が塞がると同時に左側のディアボロへと駆ける。
(ただ叫べと)
剣の切っ先をディアボロへと突きつける。
(それを以て死者への鎮魂歌と。そして主への報復としよう)
切っ先はディアボロの腹部を貫く。だが、ディアボロはまだ倒れない。
戦闘は長期戦の様相を呈してきた。
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宗はしっかり回避していた。
「まったく、よくもこんな事をしてくれた。好き放題やったんだ、自分達も、滅多切りにされる覚悟持ち合わせているな」
だが鋭さと力強さを秘めた一撃をここぞとばかりに放つも、そういう攻撃に限ってディアボロは奇跡的に避ける。
「ペースを上げてくぜぇ!」
絵菜の銃口が狼の遠吠えと共に火を吹く。
(ディアボロも、あのクソアマも、それに手ぇ貸したボケナスも絶対許さへん)
灰鈴はサバイバルナイフに持ち替えると近接戦に持ち込んだ。ナイフがディアボロを掠めるが、掠めるだけだ。それがまた怒りに火を注ぐ。
ヴィルヘルミナが溜め息をつきながら、符を弾いた。符は右側のディアボロに張り付くと蛇と化し、喉笛を噛み切った。
それでようやく右側のディアボロが崩れ落ちる。
珠邑は素早い。ディアボロも素早いが珠邑は壁を使った立体的な攻撃の上、自身の身体能力を最大まで使っている。
結果、右側のディアボロは三人目の前衛、アステリアを狙う。
アステリアも避けようとするが、彼女よりディアボロのほうが速い。今度は腹部を抉られた。血が噴き出る。
「アステリアさん」
治癒しようとするウィズレーをアステリアは手で押し留めた。
「殺してください、ディアボロを。私なら大丈夫」
珠邑が、森林が、ウィズレーが、満身創痍のアステリアが、最後のディアボロを狙う。けれども、ディアボロはどの攻撃もかわし。
宗が鋭いなぎ払いを見舞った。
「悪いが容赦はしない。一匹足りとも逃がしはしない」
「塵と尽きるまで叫びなさい」
アステリアは剣でディアボロを貫いた。
「――その果てに、殺してあげますから」
最後のディアボロは叫ぶこともなく崩れ落ちた。
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「手傷を負った者はいないか? こんな事で怪我をしては詰らんぞ?」
ヴィルヘルミナはアステリアを治療していく。
アステリアはぼろぼろと涙を零していた。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
それは、救えなかった子どもたちへの言葉。アステリアが謝ることは何もない。むしろ彼女は手傷を負ってまで仇を討ったのだから。
(けれども、子どもたちの恐怖を思えば。そして)
人間としての矜持を捨て、冥魔としての本性に突き動かされ、ディアボロを殺したことを思えば、彼女の後悔は尽きることがない。
「もっと早く来れなくてごめんね。もう痛くないからね。おやすみなさい。ホントに……ごめんね……」
同じく謝罪の言葉を口にするのは森林だ。
(事件が起きてからしか動けないのは仕方ないことだけど、こういう事件があるとやっぱり割り切れない気持ちになる)
森林は普段から人命優先で行動しているので悲しみのほうが強い。
ウィズレーも持ってきたタオルで倒れ伏した子どもたちの顔をひとりひとり、綺麗に拭いていく。
「遅くなって申し訳ありません。せめて安らかに……」
無事な遺体も、切り裂かれた遺体も。どの子も平等に、次の世では痛いことも、苦しい事も無い様に、静かに黙祷する。
壁を殴っているのは絵菜だ。せめてそうして怒りを収めようとしているのだ。
「アニスとかいうやつ……いつか絶対後悔させてやるからな……!」
それを黙ってみていた珠邑はふと視線を上げた。
(……誰かに見られてる?)
気のせいかもしれない。けれども、それは大いに有り得ることだった。
「ザコが悪趣味な事にどっかで見とるんやろけど……次は無いで?」
同じく気づいたのだろう、灰鈴が中指を立てる。
「そのアニスという悪魔が絡んでいるとしても、もう一体くらい悪魔が居てもおかしく無さそうだ」
宗は周辺を見回りながら懸念を口にした。
「で? 戦略的に効果も無く、特定個人を追い詰める意図も無く、畏怖を撒き散らすにも物足りず、無駄に手駒を減らすだけの、頭の足りない策を打ったのはどちらだね?」
ヴィルヘルミナも見えぬ相手へと語りかける。
返答はない。ヴィルヘルミナは溜め息をついた。
「少しは本でも読め、愚図が」