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撃退士たちが現地についた頃には日は沈む直前だった。濃密な闇があたりに立ち込めている。
それは夜の暗さであり、同時に冥魔が側にいることによる雰囲気的な暗さでもあった。
「展望台か……白ちゃんと来たかったなぁ」
暗くなっても海に点々と灯る灯りは綺麗だ。雅楽 灰鈴(
jb2185)はポツリと呟く。
「これが観光なら良かったんだけどな……」
同じようなことを口にするのは陽波 透次(
ja0280)だ。二人の視線は展望台の奥に注がれている。
そこに、ゲートと呼ばれるものがあった。
大きさは直径5メートルくらいだろうか。あまり大きなものではない。
悪魔の趣味なのだろう、ぽっかり口を開けたその空間は淡いピンク色だ。夜の闇の中、そのピンクだけがやけに浮いていて逆に非日常を刺激する。
その空間の奥にゲートを形作る「コア」がある。コアを壊せばゲートも壊れる。
「さぁってと、小さいうちに壊すわよ。まだ被害が少ないけど、大きくなってからじゃ遅いしね」
やる気たっぷりに口にするのはメフィス・ロットハール(
ja7041)だ。フローラ・シュトリエ(
jb1440)がうん、とそれに頷く。
「小さくてもゲートはゲート。油断なく確実に破壊しないとよね」
「大輪の悪意を咲かさぬように……ってやつかね。ほなら今回の舞台もかっちりきっちり、歌ってきましょかー♪」
それにやはり同意するのは亀山 淳紅(
ja2261)。
淳紅にとって「歌」は息をするのと同じくらい大事な行為だ。カウンターテナーの歌声は今回の戦いでも鍵を握るに違いない。
「いつも通り叩きのめす……それでいいよね?」
確認の口調で言うのはゲートの大きさを確認していた紀浦 梓遠(
ja8860)。残りのメンバーの顔を伺うとリル・マウルティーア(
jb2701)がやや思案げに口を開いた。
「予想通りゲートの同時多重展開か。どれもが囮であり、どれもが本命なのでしょうね。もちろん、その中でも大本命はどこかに存在してるんでしょうけど」
ちらりとつまらなそうな表情で小さなゲートを見ると、ふぅと小さくため息をついた。
「こんな稚拙なゲートに長く構ってる暇はなさそうね。とっとと殲滅して、ゲートは壊させて貰うわ」
「下等悪魔の召喚したコア……他より劣るとはいえ、放置すれば被害の拡大は必至。速やかに取り除くとしよう」
まとめるように淡々と言うのは焉璽(
jb4160)だ。天使である焉璽とリルの言う言葉はやはりどこか冷静で冷酷だ。
焉璽は吸っていた煙草を吸殻入れでもみ消すとゲート近くの上空を見上げた。
「……あれか」
そこにはまだ撃退士が来たことも気づいていない様子の悪魔がいた。
金の髪に淡いブルーのワンピース。背には悪魔の翼。あまり空気が張り詰めるほどの強さが伝わってこないのはおそらく悪魔の能力が低いからとゲート開閉に力を割いているからだろう。
一見すると天使の焉璽よりも天使のような外見の少女悪魔に焉璽は苦笑いしかできない。
「愚かな悪魔。自ら敵の怒りを買おうとするなんてね。戦略でも戦術でもなく、ただ自分の思慮の不測の為だけに。愚かすぎて憐れむ気にもなれないわ」
リルが吐き捨てるように悪魔を見て言う。
「お前が原因かクソアマ。雑魚は引っ込んどれ」
地に落ちろと指で示しながら灰鈴が喧嘩腰に言うも、ゲートの前にゆらりと姿を表した異形の者に気づき、視線をそちらに向ける。
元は人間であったもの――それが腐り、肉を零しながらふらふらと立っている。悪魔の作ったディアボロ、グールだ。
「グール……なぁ……見た目キモ過ぎやろ」
げんなりと言う灰鈴。
「もーちょいマシな手下使えよな……これやから三下は……」
ついでにため息のおまけもつけた。
淳紅と透次が同時に阻霊符発動する。
(見た目は関係ないって分かってても……やり切れないな……)
灰鈴と反対にグールを見て胸を痛めるのは透次だ。
(ディアボロにされた人達は警戒抱く暇も無かったかもしれない……。助けられなくてごめんなさい……)
少し目を伏せ、黙祷をする。
グールたちは知能もほとんど残っていないのだろう、7匹まとまってゲートの前に立ち、こちらに向かってゆっくりと近づいてくる。
「よし、私は空から連中を急襲する。戦場で再び会おう」
焉璽が翼を広げて大きく悪魔とグールを迂回しながらグールの背後を狙うべく、空へと舞った。
それが戦闘の合図となった。
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「討ちもらしたら被害が出るし、殲滅させてもらうわよ!」
オープニングは派手に。
メフィスが遠距離から鶴の形の符を投げた。符は展開し黒い炎を纏った不死鳥のようなものが羽ばたき、まっすぐにグールを貫く!
グールは火だるまになり、そのまま崩れ落ちた。
「え……呆気無い?」
メフィスが驚いている間に銃を構えるのは透次だ。崩れたグールの左横のグールを狙うも、弾はわずかに掠るのみ。そのグールの背を純白の大鎌で抉るのは翼を広げ、上空から急降下してきたリルだ。狙っていた首にわずかに届かなかった悔しさは表情には表れない。
「あいにくだけど、天使の力は捨てたわけじゃないの。一気に屠らせてもらうわ!」
その言葉に反応したようにグールはリルに手を伸ばした。だが腐った指先は空をかく。上空にいるリルがさらに高度を上げたのだ。リルは残酷な天使の微笑みを浮かべる。
「天国か極楽か、好きな場所へ送ってあげるわ。もっとも、そんな所があるかは知らないけど。少なくともこのままディアボロでいるよりはマシのはずよ」
グールは何か言おうと口を動かすがぼとぼとと死肉が落ちるばかりだ。
「これで足止め……な……下級なだけあって考えもお粗末さんやなぁ」
くっくっと笑いを噛み殺しながらリルとは逆のグールに接近するのは灰鈴だ。もともとグールをまとめてから攻撃をくらわすつもりだったが、現状、既にまとまっているのだからやりやすいし、これだから下級だとも思う。
ぎりぎりの範囲に滑りこむと魔法陣を出現させる。そのまま魔法陣は爆発を起こした。3匹のグールが爆発に巻き込まれる。1体はまともに当たった。残りの2匹はまだふらつくこともなく立っている。
「っても思ったよりしぶといな。早う、逝ねや」
ギリとグールを睨むと灰鈴の横に淳紅が駆け込んだ。響くのはカウンターテナーの歌声。歌は霧を作り出す。その様はまるで魔法の吟遊詩人のようだ。立っている2匹のグールに霧は漂い、1匹が眠りに落ちた。
「寝てないのを先にやってや」
淳紅の言葉が響くと同時に発砲音が響いた。背後から奇襲をかけた焉璽の攻撃だ。天使のダメージはディアボロには厳しい。肩口に銃弾が埋まると同時にグールの肩から腕が落ちた。
淳紅の言葉に手を軽く上げたのはフローラだ。
「まとめて攻撃するのはまあそれなりにできたりする訳よ」
反撃も顧みず倒れた1匹のグールの横に駆け込む様はまるで柔らかな雪が舞うかのよう。すかさず魔法陣を展開すると広範囲に冷気が吹き荒れ、氷の欠片が飛散した。
その氷の欠片がグールたちの体を抉る。今までの攻撃の積み重ねもあるがいっきに4匹のグールが凍りついたり体を抉られ、動かなくなったりしてしまった。
これで動いているグールは2匹。まさに呆気無い。
動いているグールがフローラに腕をあげる。鋭い爪が白い肌を抉る。
そのグールへと梓遠が大剣で斬りかかる。掠るものの、大きなダメージにはならない。
もう一体、動いているグールがリルへと手を振り上げた。高度をあげてやり過ごそうとするリルだが、ほんのすこしの差で間に合わない。脛に爪あとを付けられ、グールを睨みつける。
その時だった。
「なっ、何よ、あなた達!」
上空から怯えたような甲高い声が響いた。
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ゲートの拡大は止まっていた。
グールが2匹になってコアらしい、赤いクリスタル型のものが戦う8人からもよく見えるようになった。
声をあげたのは少女の型の悪魔だ。
一瞬、光が走る。淳紅のカメラのフラッシュだ。
「できればお名前、教えてほしーなーってね!」
悪魔は口をぱくぱくさせてから、覚悟を決めたように胸を張った。
「アニスよ。悔しいけど、ここは撤退したほうがよさそうね」
「あなたも下級兵みたいね。まぁ、何でもいいけれど、私たちの邪魔をしないでくれるかしら?」
髪をかきあげリルが言うと、悪魔――アニスはむっとした表情を作った。
「かっ、下級兵なんて言わないでくれる!? 私は――」
「弱いものほどよく吠えるんやな」
灰鈴が鼻で笑って見せるとさらにアニスは顔を真っ赤にする。
「うるさいわね、覚えておきなさいよ、人間風情が!」
「天使もいるがな」
焉璽が冷静にグールへと射撃を行う。今度はグールの足が吹き飛んだ。
同じグールに梓遠が大剣を振るう。袈裟懸けの攻撃は体が斜めにずれるが、あと一歩で倒れない。
別のグールがフローラへと爪を振るうが、フローラは身を軽く後ろに下げるだけで避けた。
「Canta! ‘Requiem’」
カウンターテナーの歌声がフローラを襲ったグールへと紡がれる。グールの足元には血色の図形楽譜が展開される。そしてその楽譜から伸びるのはグールよりもっと深い恐怖を連れてくる死霊の腕。
淳紅はグールの動きを封じる。
「ナイス!」
メフィスの声。フローラが、メフィスが、それぞれ動きを封じられたグールに攻撃をしかけ、それを倒した。
符を構えながら、最後のグールに飛びかかるのは灰鈴だ。身軽に跳ねると蹴りをグールの頭にかましながら符をグールの体に押し付ける。雪玉のようなものがグールの体を抉り、グールはその二つの衝撃で倒れた。
「とりあえずこの騒ぎの原因のクソアマ悪魔にはご挨拶させてもらわななぁ」
トン、と地に降りると灰鈴がニィと笑う。
「くっ」
同時にアニスが悪魔の翼を閃かせ、上空へとふらふら登っていく。逃げるつもりだ。
上空、追うようにリルが高度を上げる。その牽制の間にゲートに飛び込んだのは透次だ。
(――決めなきゃ)
冥魔の力の圧迫が体にかかるのがわかる。腕が重い。体が重い。
それでも、透次は銃を構えた。
パァン!
発砲音。そして同時にパリンとガラスが砕けるような音。
吹き飛ばされ、透次は地を転がった。はっと顔を上げると、ゲートは消えていた。
(コアを、壊せたんだ)
ゲートをひとつ破壊できたことになる。透次はその喜びよりもグールたちの冥福を祈ることを選んだ。
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梓遠がクロスファイアでアニスに狙いを定める。当たるとは思わない。あくまでも牽制だ。
フローラもいつアニスが動いてもいいように構えを解かない。
そのアニスに発砲したのは焉璽だ。狙いは翼。ほぼ同時に灰鈴が狙おうとアニスを睨むが、距離が届かない。
ふらふらと飛ぶアニスに上空にいる焉璽が弾を当てるのは難しいことではない。片翼に弾を受け、アニスは頭から海へと墜落する。
「……死んだの?」
メフィスが聞くがリルが首を振った。
「ただの雑魚だったわね。でも、このくらいでは死なないわ」
リルと焉璽が上空から降りてくる。焉璽は煙草に火を点けると口に咥え、リボルバーの弾倉に弾を込め直す。
「ここは囮だったみたいね。それもかなり見え透いたやつ」
リルの言葉に梓遠が顔をあげた。
「それじゃあ……」
「既に開かれたゲートよりも、これから開こうとしてるゲートがあるのかどうか。それが気になるわ」
リルはこれからまだ大きくなるであろう混乱に思いを馳せる。
「始まったばかりってことやね」
淳紅が静かになった展望台から海へと視線を投げた。
アニスが沈んだ海は夜の闇を吸い込んだかのように静かだ。それはまるで嵐の前の静けさのように。