●はじまりの蝶
特設の室内スケートリンクはまるで鏡のように綺麗な氷が張られていた。
やじ馬という名の観客と、審査員を担当する志峰院凍矢(jz0259)および篝さつき(jz0220)はリンクの外で、滑走練習をしている8人を眺めている。
(北の方にいた頃、冬はスケートができて楽しかったな〜。今度息子を連れてスケート場に行ってみようかな〜)
星杜 焔(
ja5378)がのんびり思い出に浸りながら事前練習をしている横を、既に光纏し真剣な目で滑っていく元 海峰(
ja9628)。海峰はこの競技のために猛特訓をし、スケートが滑れるようになったという努力の人だ。その努力は服に隠れて見えない湿布の量にも表れているが、けして表情には出さない。
滑走よりも会場の担当者と入念な打ち合わせをしているのはゼロ=シュバイツァー(
jb7501)だ。どうやらライティングや音響のリクエストをしているらしい。
「フィギュア、綺麗ですよね……」
滑りながら、テレビで見たフィギュアの演技をほわんと思い出しているのは北條 茉祐子(
jb9584)。それに同意するのは華宵(
jc2265)だ。
「美しいスポーツと聞いたら、参加してみなきゃと思って」
「本当っすよね。その上進級もできるなら、頑張らないといけないですよね」
ばっちりと衣装を決めた高野信実(
jc2271)が頷く。
滑走の順番はくじ引きで平等に決めた。
一番滑走は華宵だ。
7人がスケートリンクから出てから、華宵はリンクの中央へ滑り出た。
(あまり競うのは得意じゃないから……私も楽しんで頑張りつつ、他の子の演技も楽しみにするわ。それに気楽にしてた方が、体も柔らかく指先まで綺麗に表現出来ると思うの )
微笑む華宵の衣装は割りと普段の服に近い。ダークカラーのカットソーにスリムパンツ、その上に蒼系の華やかな柄の和服を合わせて。髪は動き易いように高く結い上げている。
一瞬の沈黙の後、華宵はふわりとジャンプをした。そこから黒で縁取られた深い青の蝶翅を広げる。陰陽の翼で滞空時間を長くしてのバタフライキャメルスピン。スピンしながらゆっくりと着氷する。軸足が若干揺れたものの、ふわりと着氷する姿はまるで蝶が花に止まる春のよう。
「凄いの……です」
わくわくと楽しそうに見守るのは華桜りりか(
jb6883)。その呟きに大きく頷いたのはゼロ=シュバイツァー(
jb7501)だ。
「ああ、あれは完全に蝶のイメージやな」
スピンはウインドミルスピンに変わる。上体を斜めに傾け、勢いを増す――それは夏の日差しの強さのようで。
キャノンボールスピン。沈み込めば、強い夏の光に負けぬよう、力強く。
そこで、蝶翅が消えた。
キャッチフットレイバックスピンへと態勢は変わる。顔を上げての演技は闇の中、それでも光を目指し飛び立とうとするかのようで。
そして最後にワンハンドビールマンスピン。キャッチしている足を伸ばし、空いている手で火遁・火蛇の焔を上空へと打ち出した。それは闇の中の炎でも舞うことを辞めない力強い蝶のよう。
スピンを決めると、華宵は優雅にお辞儀をする。蝶を演じきったそのプログラムに惜しみない拍手が送られた。
●咲き誇る華
(楽しそうなの、ですね。綺麗に回れるように頑張ってみるの……)
二番手の演者はりりかだ。
全体的に和風で纏められた衣装はスピンのときの見栄えを計算されたものばかり。透け感のあるかつぎは邪魔にならぬよう、短めの物に変えて髪に固定。袖は蝶の羽の模様が入った姫袖。手を下ろしたときは気が付かないが、手を広げるとまるで蝶が羽を広げているかのように見える。スカートは短めでひらひらと桜色から濃い桃色へのグラデーションがかかり銀の模様が入る。
髪は簪を使ってツーテールにまとめると、光纏をする。りりかの動きに合わせて桜の花弁が舞う。そして現れるのは鳳凰。ペアはできない分、鳳凰をペア代わりとしたのだ。
バタフライシットスピンから始まる演目、スピンの伸ばした足先に鳳凰が乗る。短めのかつぎがふわりと舞った。
流れるようにビールマンスピンへと。桜の花弁が舞い、姫袖がはためけば蝶が春を喜んでいるかのよう。そこでりりかの手の先へと降り立つ鳳凰が、りりかを空中へと誘った。
それはまるで、天女が鳳凰と共に空中へ飛び立つかのようにふわりと。指先の演技さえも美しく、鳳凰はりりかの細い指の先でペアの相手を立派に務める。
上を向いたキャメルスピンは鳳凰と共に。間にウィンドミルスピンを挟み、最後はクロスフットスピンで速い回転を決めるとフィニッシュ。鳳凰と共に降りてくる。
りりかと鳳凰がお辞儀をすると、観客席からはその圧倒的な表現力に感嘆のため息が漏れた。
次は茉祐子だ。
スカート部分がフレアになったシンプルなライン。襟元はハイネック。
色合いは白を基調とし、スカートの裾部分から紅藤色、淡い紅藤色、白のグラデーションになっている。
茉祐子のイメージは冬に咲く花。シンプルさは動きやすさ重視のことだが、それがまた綺麗だ。
ふわりと背に淡紅藤の翅が開くとリンクの中央で宙を飛んだ。空中でのフライングシットスピン。速度は速い。その姿勢からアップライトスピンの態勢になって着地する。まるで蝶が氷上という花に舞い降りたかのよう。
(し、視覚的に綺麗かなって……)
少し不安に思いながら、アップライトスピン、緩やかに回転を上げてレイバックスピン、回転速度を上げてビールマンスピン、そしてシンプルなキャメルスピンに戻し、緩やかなドーナツスピンへ。その流れるようなスピンの構成は、審査の二人をうならせるものだった。
最後に翅で空中へと上がるとシットスピンへ。茉祐子曰く『エアチェンジスピン』と名付けたそのスピンを終えると最後に、着氷し、回転速度を上げてフィニッシュ。
拍手が鳴り響く中、茉祐子は少し青白い顔だ。
「ど、どうかしましたか?」
さつきが尋ねると、茉祐子は真顔で言った。
「その……気分が悪くって……」
あれだけのスピンを決めれば当然とは言えるが、心配性のさつきに茉祐子は休憩室へと連れていかれたのだった。
事前に体の軸を作っていたのは焔。筋トレや平均台運動、柔軟体操などでじっくり体を作り、練習時に演出用のスキルの確認や技を体に馴染ませたり……表現力は素晴らしいものを持つ分、やや心配の残るバランス感覚を補ってきたのだ。
今日の晩御飯の献立を考え、リラックスしながら、リンクの中央へ。
焔のテーマは「花」。
首からスケート靴まで黒づくめの衣装。腰に飾り布をつけ、要所要所に星の輝きのイメージでクリスタルガラスラインストーンを埋め込んでいる。
光纏を消し冬を使うと、焔は銀髪碧眼姿に変わる。光を透かし虹色に輝く髪、湖面のようにたゆたう青。事前に培ってきた基礎練習を活かし、次々と高速度スピンを決めていく。軸足がブレても持ち直す、その集中力は類稀な経験から培ってきたもの。クリスタルストーンが回転することで冬の星の輝きを表す。
銀の髪が春のような淡い緑の髪に戻ってくると、焔は虹色の光纏を顕現させた。
春を謳歌するようなフライング。バタフライシットスピンから足を換えてのキャメルスピン。腰の飾り布が春風のようにたなびく。
そして絶妙なタイミングで楽園降臨を使えば、リンクは一面の花畑となる。観客席がわっと湧いた。
回転速度を上げ、鮮やかなスクラッチスピンでフィニッシュ。
ライラック鎧の少女幻影騎士に手を差し伸べ、余韻を残して終わる。
北の冬に星になった皆へ捧ぐ花――焔の祈りはきっと届いただろう。
●王子たちの競演
次はゼロの演技だ。
ゼロがリンクを滑り出すとアップテンポの曲が流れ出す。リンクを周回し、脚力を活かして4回転ジャンプを決めればあっという間に観客はノリノリだ。
曲の音量が落ちたところで、観客の勢いも借りてスピンへ。ドーナツスピンから回転を上げ、足を延ばし、キャメルスピン。雷打蹴を使用すれば、照明を落としたリンクで雷を宿した脚がひときわ目を引く。そのままビールマンスピンを決めれば雷が上へと昇っていくかのよう。
回転数、速度、そして圧倒的な脚力。すべて申し分のないスピンを終え、またリンクを周回する。客席へと手拍子を要求すれば一気に盛り上がる会場。フィーバービートで身軽に、さらに体を安定させれば、BGMは雄大なものに切り替わった。
スポットライトが当たる中、小さく速いシットスピン。
氷塵を使用して、周囲にダイヤモンドダストを生む。そのまま翼を出せばアップライトスピンへと移行しながら空中を飛ぶ。空中の位置を維持しながら翼を一枚ずつたたんでいく。そして両手を延ばして、アップライトスピンの正確さをこれでもかとアピールした後、再び翼を一気に開き、ダイヤモンドダストを振り払い、フィニッシュへ。
拍手の中、ゼロは何故か全員にたこ焼きを配った。これはたこ焼きの神だから仕方ない。
(スケートなんて小学校以来だなぁ)
続いて楽しそうにリンクに滑り出してきたのは信実。
彼のテーマは「夜空」。
上が水色で下に行くにつれ群青になる燕尾服と白いYシャツ。白手袋と群青色のズボンを合わせて。
演技前にジャケットの右胸に手を当てるのはその裏に青い龍の刺繍をつけてあるから。これは尊敬する人からこの日の為にと貰ったお守りだ。
(基本を大事にして滑るっす)
息をすうっと吸い込むと、ゆるいスタンドスピンから始める。そして一気に速度を上げてスクラッチスピンへ。回転すると、ジャケットからズボンまで天の川のようについている金と銀のラインストーンがまるで銀河のように見える。タウントで皆の注目を浴びて、氷上の銀河が群青の夜空を彩っていく。
足を換えてシットスピンへ。そして集中力を活かし、最高速でのショットガンスピン。少しだけ軸足がぶれるも、基本を大事にしたことが幸いした。ここでトーチを使い、フラフープのように体の周囲につなげる。群青と銀河は火に照らされ、夜明けの暁色の空に見えて。
そして朝へと向かうように天井に手を伸ばし、信実のフィニッシュ。
見事に夜から朝への移り変わりを演じた信実へと送られる拍手へ、本人は照れくさそうだった。
(音楽がなければ……自分でつける!)
龍磨はフリルのついたブラウスにジャケット、ズボンを全て黒で揃えた。短めのフリルとドレープたっぷりのマントを羽織り、紅を引く。髪には今だけ黒薔薇を刺して。
『横たわるのは深々と、延々と続く未練なり』
クラシックのようなメロディで朗々と歌い上げながら、リンクに滑り出てくると静かに定番のアップライトスピンからレイバックスピンへ。ふわりと創造で薔薇を作ってちらしていく。
『沈みゆくのは我が魂、浮き上がるのは空笑い』
シットスピンへ。回転速度も上がっていく。
『御覧じろこの葬送、御覧じろこの昇天』
歌が切々とリンクに響く。殊更に張り上げることもなく、けれども、美しい歌声。薔薇の花が、花びらが舞う。
『笑っておくれこの哀れさを、この身は道化のなり損ない』
加速を維持しながら、翼で高く上がり、バタフライキャメルからシットスピンへ。
『それでも続く永き葬送、通り終わるは何時の日か』
最後にアップライトスピンへと戻り、歌が静かに終わるにつれ、回転も緩やかになっていき――
『――笑っておくれ、この哀れさを』
きゅっと止まって一礼すると、一瞬、その沈黙に誰もが気圧されて。
にこりと龍磨が笑ったところで拍手が沸き起こった。
「今の歌は、九鬼の心境か?」
凍矢が尋ねれば、
「いや、心境とかではなく。……気圧かなあ、強いて言えば。あと久しぶりに中二病したくなった」
龍磨はアイドルスマイルを決めたのだった。
●さいごの黒鳥
最後にリンクに滑り出てきたのは、陰陽師風の衣装を中華風にアレンジした紫の衣装に黒のズボンと黒の手袋を合わせた海峰だ。両手首につけた鈴付きの赤い紐は大事な師匠の形見だ。
光纏して、視覚を確保すれば膝まである大きな黒い翼と黒い鳳凰の尾羽が出現する。これが、彼が黒鳥を名乗る所以だ。
リンクの中央で印を結べば、小さく鈴がりん、と鳴った。
まずはキャメルスピン。途中にウィンドミルスピンを交えながら次第に回転を速くしていく。スピードに乗ったところでシットスピンからキャノンボールスピンへ。
比較的高い脚力を活かし、スクラッチスピン、クロスフットスピン、ハーフビールマンスピン、ショットガンスピンと次々と技を繰り出し、アップライトスピンで締め――と思わせておいて。
孔雀覚醒で鳳凰の羽は金に染まり、尾羽は虹色に染まる。空中でのビールマンスピン。黒鳥から孔雀へと変化してのスピン――海峰の名付けたコンボ名は『孔雀天舞』。そう、それは黒鳥が天に羽ばたいて、孔雀に変わったかのような神秘的な光景。孔雀のスピンは金の粉を振りまくかのように鮮やかで。
ぴたりとスピンを止めると陰陽師のポーズを取った後、合掌をする。観客の拍手への彼なりの礼だった。
猛特訓を隠し通したその背は、少しだけ自信で満ちていた。
審査は難航した。凍矢とさつきの1時間に及ぶ協議の結果、互いに光纏を始めるに至って参加者に止められる始末。ゼロに押し込まれたたこ焼きが二人を正気に戻した。
結果、技術、表現力、そして鳳凰をペアとしたアイディアが素晴らしかったりりかに金を、それに一歩及ばなかったものの、テーマの表現が完成させられていた焔に銀を、そして表現力を演出でカバーし、圧倒的な技術力を見せたゼロに銅が送られた。
でも、滑った人も、見ていた人も皆知っている。
フィギュア演技の数だけ勝者がいる。誰かの胸に残る演技をできた人が、その誰かにとっての一番なのだ。