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階段を駆け上がるよりも翼を使ったほうが速いということで、龍崎海(
ja0565)は窓から屋上へと向かった。セーレには3人が対応に当たることになっていたが、やはり階段よりも飛んだほうが速かったようだ。
見覚えのあるピンクの髪の悪魔、セーレは屋上の手すりに足をぶらぶらさせて座っていた。海を見て、意外そうに首を傾げる。
「下の子のほうに行かなくてもいいの?」
海はセーレから距離を取った。対応に当たる3人が来るまで、状況把握に努めるつもりだった。セーレからは攻撃してくる気配は感じられない。とは言っても仮にも相手は悪魔だ。気は抜けない。
「もうちょっと撃退士が来るのは遅いと思ったんだけどな。つまんないの」
セーレが口をとがらせるのを見て、海は身構える。セーレが少年と合流するようなら止めなければいけない。けれどもセーレは大きく伸びをしただけだった。
「帰ろうかなー」
海は全員に配られている無線を使って声を潜めて言った。
「セーレは少年と合流するつもりはないらしいぞ。でも、急がないと逃げるかも」
急ぐ、との返事はすくに戻ってきた。
ウィズレー・ブルー(
jb2685)と、森田良助(
ja9460)、詠代 涼介(
jb5343)の3人がセーレ対応として屋上へ向かっていた。
最上階に着くと看護士による避難誘導が始まっていたが、当然のことながらややパニック気味だ。志峰院凍矢(jz0259)が率先して看護士たちにまざって患者たちを避難させていく。
それを追うように少年が現れた。中学生くらいだろうか、両手で引きずるように持っているのは大きな黒い鎌。少年の細い体には似つかわしくない、重そうな鎌だ。
(……! 少年?)
ケイ・リヒャルト(
ja0004)は思わず足を止める。
それは誰もが違和感を覚える組み合わせだった。少年と大鎌。普通の少年が重い鎌など振り回せるのか。
疑問はあるが、それはこの場を担当するメンバーに任せることにする。少年は屋上への道を閉ざすような場所にはいない。ウィズレーは先に階段を駆け上がり、屋上へと向かう。
涼介は凍矢や看護士の動きを確認しながらストレイシオンを呼び出した。ストレイシオンに少年を傷つけず、逃げ遅れた一般人がいたら守るよう指示するとウィズレーの後を追った。
(屋上の悪魔が少年を魅了とか幻惑とかしたのかな?)
Robin redbreast(
jb2203)は首を傾げる。ふらふらと歩く少年には確かにそれらしき雰囲気があった。
「セーレ……今度は何を企んでいるか」
鳳 静矢(
ja3856)は屋上をちらりと見上げると呟く。向坂 玲治(
ja6214)は軽く舌打ちをした。少年がどこか駄々をこねているように見えたからだ。
「ねえ、キミ。そんな武器を振り回してどうしたの?」
声をかけたのはパサランを召喚しながらの良助だった。
「足が欲しいんだ」
思いの外はっきりとした声で少年は答えた。そして大鎌をぐるりと振り回す。狙いは下半身、足。狙いはことごとく外れるが、風切音で大鎌の重量感は知れた。
(その大きさ……重さもあるハズ。彼の腕力に見合うかしら……)
ケイは少し考えるも、すぐに首を振った。
(まず大鎌をなんとかしないと、ね。得物が無ければ、周囲に危害も与えれないハズだわ)
流れるような動きでレゾネイトOW48を構えると、大鎌に向けてアシッドショットを放つ。まずは大鎌の耐久度を下げる作戦だ。
ハイドアンドシークで潜行していたRobinも大鎌をなんとかしないとと思った一人だ。
(武器を吹っ飛ばしたら、少年が怪我してしまうかも)
少年の不意をついてひょこりと姿を現すとこちょこちょと少年をくすぐってみる。
「わっ」
少年は当然驚くも、大鎌はしっかり握って離さない。
パサランで大鎌を飲み込ませようと思っていた良助だが、大鎌が手から離れなければさすがに飲み込ませられない。屋上のセーレも気になる。少し迷ってから良助はパサランに一般人の護衛と味方の援護を指示すると屋上への階段を駆け上る。
静矢は雪村を構えると少年に挑発をしかける。一般人や病院内の機器への被害を防ぐのが目的だ。静矢のほうへと視線を向ける少年。
「直接人命を守るのは勿論だが、可能な限り設備への被害も留めたい所だな」
玲治は一般人と少年との間に割り込んで一般人をかばいつつ、冥魔認識をまず鎌にかける。
「……鎌は普通だな」
状況から考えて、大鎌がディアボロという可能性もあった。武器の姿をした冥魔は例がないわけではない。が、その可能性は極めて低そうだ。残る可能性は、少年がすでにディアボロ化しているかだが――。
ケイは大鎌破壊を念頭に置きつつ、少年の隙を伺う。先にRobinが一旦少年から距離をとり、ゴーストアローで鎌の上部を狙った。衝撃で少年は鎌の握りが甘くなる。すかさずケイが同じく鎌の上部を狙ってアウルの弾丸を正確に放った。カランという金属音が響き、少年の手から大鎌が落ちる。
静矢は少年へと気迫を使用し、行動の抑止を試みる。
「さて……これで止まってくれれば有り難いが」
果たして少年は怯んだように動きを止める。どうやら少年もディアボロというオチはなさそうだ。念のために玲治が床に手をつくと影の腕が伸びて少年を拘束する。ダークハンドだ。
「こんなところで、長物振り回すんじゃねぇよ」
ケイが放ったアシッドショットは大鎌を打ち砕く。玲治は少年の懐に走りこむと軽く少年に体当たりした。少年がバランスを崩したところで腕を掴み簡単に拘束する。少年は抵抗するも、それは普通の人間が暴れているのと同じだ。
「足が欲しいって言ってたよな」
玲治はぶっきらぼうに少年へと声をかける。
「誰かにプレゼントを恵んでもらおうと思ってちゃ、サンタクロースなんざやって来ないんだよ」
少年ははっとしたように玲治を見上げる。
そこへ海が階段を駆け下りてきた。状況を即座に把握すると、海は少年へとマインドケアをかける。暖かなアウルが少年を包み込む。
「さて、セーレの狙いはどこにあったのか」
静矢は各自セットしてある無線を確認しながら、すっかり戦意も喪失したらしい少年を見下ろした。
●
時間は少しだけ遡る。
屋上で海がセーレと睨み合っていると、まず飛び込んできたのはウィズレーだった。
(セーレ……まだこのような事を……)
沈痛な面持ちでセーレを見るウィズレーに対して、セーレは小さくあくびをしてみせた。
少年が何者で何が目的かは判らないが、セーレが少しは知ってるはずだ。
続いて涼介が屋上に到着すれば、海は油断なくセーレを見据えながら、階段を下りて少年の元へと向かった。
ウィズレーは温かい日本茶入り水筒と人数分の紙コップを用意、お茶をセーレへと入れる。
「少しお話していきませんか?」
「うん、少しならいいよ」
お茶から立ち上る湯気に釣られたのか、セーレは座っていた手すりを下りて、ウィズレーと涼介に近づいてくる。
「お前のことだ、あの少年が暴れているのは、そうするようにお前が仕向けたんだろ?」
涼介が言うも、セーレはにやにやしているだけだ。
「一体、何を言った?」
「悪魔のボクが言うことを、涼介は信じるの?」
セーレはにやにやと笑ったままだ。涼介とウィズレーは顔を見合わせる。
「嘘を言うかもしれないよ? あの子に聞いたほうが確かじゃないのかなあ?」
涼介はじっとセーレを見てから、ゆっくりと口を開いた。
「……いつぞやの茶会を覚えてるか?」
それはセーレが気まぐれで開いたお茶会だった。四国のメイド悪魔が開いたお茶会に便乗して、セーレも甘いもの目当てでお茶会を開いたことがあった。その場に涼介もウィズレーも、そして良助も参加していた。
「あの時、こちらがお前の質問に答える代わりに、お前もこちらの質問に答えていたな」
「うん、大福美味しかったからね」
そのとき良助が大量に持参した大福を、セーレはいたくお気に召していた。
「だが、俺はお前の質問には答えたが、俺からは質問していない。その分、今ここで答えてもらいたいな」
涼介の言葉にセーレはぽかんと口を開いた。
(我ながら、酷い言いがかりだが)
涼介がセーレの様子を伺うと、セーレは笑い出した。
「ボクの負け。じゃあ、あのときと同じく1つだけ――何を言ったかだけ答えるよ」
そのとき、ようやく良助が屋上へと到着した。
(……会いたかったよ)
良助はセーレを見てまずそれを思う。会話が進行しているのを見て取れば、大福だけ用意してセーレの言葉を待つ。
セーレは遠慮なく大福を頬張りながら涼介を見た。
「ボクがサンタクロースになってあげるって言ったんだ」
「……は?」
思わず、涼介は聞き返す。
「誰かの右足を奪ってくれば、彼のお母さんの右足を届けてあげるって」
「それで、大鎌を渡したんですか」
ウィズレーの問いかけにセーレは頷いた。
「人間でも扱えるように、大きいけど軽い特注品を渡したよ。あれ、作るの大変だったから、できればそのまま返してほしいなあ」
時すでに遅しだったことを屋上の面々は知らない。
セーレはぺろりと大福をひとつ平らげるとお茶を飲んだ。
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屋上の会話は無線を通じて少年対応の5人にも届いていた。
まさに少年は悪魔の甘言を聞いてしまったということだろう。
絶望していたところに、甘い言葉をささやき、結果、また絶望する姿を見て楽しむ。セーレだったらやりそうなことではあった。
「どうして暴れてたんだ?」
海が少年に尋ねると、少年の答えも同じだった。
「オレが右足を奪ってくれば母さんの右足を届けてくれるっていったから」
「母さんの右足って?」
「交通事故で切断したんだ」
その場にいた5人は顔を見合わせた。海がため息まじりに言う。
「あれが足を治せるっていうのはどうせディアボロ化して治すとかだと思うぞ」
海はセーレをよくわかっていた。
「足は治るけど人間のままでとは言ってないよとかいうタイプだぞ」
少年は「え?」と海に聞き返す。静矢も静かに頷いた。
「悪魔なら確かに無くした足をつけられる……だがそれはお母さんが殺されディアボロになってからだ」
少年は愕然とした表情を浮かべた。
「君がお母さんの足になってあげなさい。息子が人から奪った足をつけるより君がお母さんを連れて一緒に色々な所に行ってあげた方がお母さんも嬉しいのではないかな 」
静矢の言葉にRobinもこくりと頷く。
「奪った人の家族から恨まれるし、お母さんも犯罪者になっちゃうかもよ。お母さんは他の人から足をもらいたいのかな」
呆然としてうつむく少年にケイも言葉を重ねる。
「ねぇ……お母様の足、確かに遣る瀬無い出来事だわ。けれど……だからと言って他人の足を頂いても良いの? もしそうすれば。第二のお母様が出来るだけ……」
ケイは警戒しながらも少年に目線を合わせる。
「お母様はそんなことを息子に望むかしら? 考えてみて……お母様を思い浮かべながら。今よりもっと深い悲しみに包まれ、悄然とするだけ」
少年はケイの顔をおずおずと見た。ケイは微笑む。
「それなら。今のお母様と貴方しか出来ないことをした方が良くない?」
少年はケイをじっと見つめた。
「……でも、オレは、悪魔と取引してでも母さんの足を取り戻したかった」
「プレゼントってのは奪うもんじゃねぇんだ。与えるもんなんだよ」
玲治がつまらなそうに言う。少年ははっとしたように玲治を見上げる。玲治はそれ以上、何も言わない。少年は少し考えるように言葉を繰り返した。
「奪うものじゃない、与えるもの――」
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「さて、つまらないしボク、もう帰るね」
屋上では目論見に失敗したセーレが二つ目の大福を食べ終えて立ち上がったところだった。
(このままではいつまで経っても奴がゲームの主催者で、こちらはその参加者という立場は変わらない。何か手を考えないとな……)
涼介が思っていること同じことを良助も思っていた。眼光鋭くセーレを睨み、良助はセーレに宣言する。
「もう茶番は飽きたよセーレ。人の命を弄ぶのが好きなら今度は僕にやってみなよ」
セーレはきょとんと良助を見る。
「この僕を絶望の淵に落としてみなよ。面白そうじゃない?」
挑発するように笑う良助にセーレは少し考えるようにその場にいる3人の顔を見た。
「ボク、なんだかんだでキミたちは好きだから、あんまりそういうことはしたくないなあ」
どこまで本心かわからない口調でセーレは言った。
「お望みなら考えてみるけど、気は進まないや」
そう言って、セーレは屋上から飛び立って行く。
ウィズレーはそんなセーレの背を複雑な思いで見送っていた。
屋上からセーレがいなくなったという報を受け、5人は少年を屋上へと連れてきた。多くの者が懸念していた自殺の心配はなさそうだ。
「義足って知ってる? 足の代わりになるんだ」
登ってきた少年に良助が提案すると、少年は複雑な顔で頷いた。
「事故で片足を失ったのは確かに不運で、この先の生活は不便だろう。だが、それは必ずしも不幸に直結するものじゃない」
涼介も少年に声をかける。
「いいか? お前がやるべきことは代わりを持ってくることじゃない。お前が右足の代わりになってやることだ」
それから涼介は今回の件は『少年は操られて暴れていただけ』ということで解決できないかと皆に提案する。Robinも涼介の言葉に頷いた。
「騒ぎを起こしてしまったから、お片づけして謝って、他の病院に転院するといいかもね」
少年はこくりと頷く。
「此処から歩き出す……貴方がお母様を連れて」
ケイは少年へと微笑むと何処までも届きそうな透明感のある、けれど力強い歌を歌う。歌は屋上から広く響いていく。
(あとは貴方の勇気次第、よ)
ケイの思いを感じながら少年は遠くを見た。その横顔をちらりとRobinは見る。
(お母さんが居るだけで、羨ましい。あたしにはいない)
ふと思って、Robinは慌ててその感情を打ち消した。
(――あたしは機械)
凍矢から誰も怪我がなかったことが伝えられたのはそれから間もなくだった。
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――その後、凍矢はこんな後日談を聞いた。
少年は母子家庭で、医師からも義足を勧められていたが、金銭的な問題で無理だったこと。転院するのにもお金がかかるため、転院もできず、入院も長い間できず、親戚のツテで他県へと引っ越したらしいこと。
『少年』の名がわからなかったため、それ以上の追跡はできなかったこと。
ただ、騒ぎがそれ以上起きてないことから、母親の右足として頑張っているのではないか。いや、そうであってほしい。
それは凍矢の『願い』でもあった。