●
森の中はわずかに霧が立ち込めていた。
けれども、視界を遮るはずのその霧は龍崎海(
ja0565)が放つ光によって効果を失っている。
天までそびえるような光の柱。その輝きを髪に宿したかのような天使は、長剣を引き抜いた態勢でやってきた8人の撃退士を見た。
「許せない? 貴方方にそれを言う資格はありません。何千何万の力無い者を奪い、反撃を受けたら『許せない』? 身勝手ですね」
きっぱりとそう言うも礼儀正しい風情の黒井 明斗(
jb0525)はまっすぐにアセナスを見る。興味深そうに明斗を見るアセナスの前にマントの切れ端らしい布が舞い落ちた。
アセナスが拾い上げるそれは、血で真っ赤に染まっていた。
「はい、夏音ちゃんの遺品」
平然と言い放つのは雨野 挫斬(
ja0919)だ。
「それと遺言があったんだけどごめん、忘れちゃった! まぁ天国で聞いてよ。ジグソーパズルみたいにバラバラに解体したけど首から上は無事だから多分話せるよ、キャハハ!」
その笑い声は挑発的に。アセナスは挫斬をまっすぐに見つめ、血に濡れた布を握りしめる。
布の血は実際は夏音のものではない。挫斬の血だ。それは挑発するための彼女の策。
「怒ったのなら本気で来て。騎士ではなく天使アセナスの全てを見せて!」
「……君には色々と話したいことがあったのだがな」
アセナスは大きく息を吐いて気持ちを落ち着けるように言う。
「求められたのなら、応じよう。それが礼儀というもの」
アセナスは布を地へと落とす。肩に止まっていた鳥が動きを妨げぬよう、すぐ近くへと飛ぶ。
「ねえ、アセナス君」
ハルルカ=レイニィズ(
jb2546)は微かに笑んで声をかける。
「白の焔と黒の雨が混ざり合ったら、どうなると思う?」
「それは、この戦いが終わったらわかるんだろう、黒雨の君?」
ハルルカはくるりと閉じた傘を回す。
その隙に海は黒き羽を広げた。
「実際に戦場で会うのは一年前の病院以来かな」
「そうなるな。あの時、負けたのは俺のほうだった」
アセナスはあっさりとそれを認め、長剣を8人へと突きつける。
「もう、負けぬよ。それが夏音への手向けだ」
●
白金の獅子が動き出した。アセナスは未だ動こうとしない。
明斗と山里赤薔薇(
jb4090)がタイミングを合わせて獅子めがけコメットを叩き込んだ。
(四国の人たちの安息を取り戻すんだ、私たちが!!)
赤薔薇の強い意思が篭った流星が獅子めがけて降り注ぐ。そして地上で弾けた。
流星が降り止んだところへ走りこむのは獅子担当のハルルカと獅童 絃也 (
ja0694)。
(形振り構わずか、ならば相応の武を持って相対しよう)
足で強く地面を踏みつける。震脚。絃也は八極拳をベースとした動きを得手とする。すでに海が羽を広げたタイミングで己の闘気を解放していた絃也は、踏み込んだ動きから流れるように崩撃を繰り出す。目にも留まらぬその動きは続けざまに範囲にいたもう一匹へとぶつけられた。手首に巻いた黒色の羅喉神布が絃也の動きに沿うように不思議な光の帯を描く。
(此処は火力を集中して獅子を潰し数の優位を取るか)
ちらりと視線を巡らすと、絃也に並ぶようにハルルカが踏み込む。
ハルルカは迷うことなくツヴァイハンダーFEを手にし、一閃する。その仕草すら見えぬほど、刹那の攻撃。
(この際多少オーバーキルでも構わない。回復される前に出来る限り片をつけてしまおう)
狙ったのは絃也と同じ獅子だ。手応えがあった、と思うと同時に白い光が獅子たちを包み込む。
白い鳥の回復が発動した。一瞬の静寂。
絃也とハルルカが狙った獅子2匹も含め、獅子たちはまだ余裕がありそうだ。
「あまり時間はかけられない、一気に攻める!」
遠方からヴァルヌス・ノーチェ(
jc0590)は白い鳥を狙う。
ヴァルヌスはすでに翠と黒のメタリックカラーを基調とした人型戦闘マシンのような悪魔姿になっている。肩から背にかけてメカニカルな外見の機械羽が開いていた。鳥に合わせて飛翔すると緑と金の粒子が放出され、鮮やかだ。
カチリとデュアルアイにかかるは予測攻撃。羽ばたく鳥に狙いを定める。
「射撃シークェンス良好。……そこだッ!」
魔銃フラガラッハからアウルの弾丸が放たれる。だが、ぎりぎりのところで鳥に回避された。
3人の撃退士は獅子をすり抜けざま、一撃を与え、アセナスの元へ駆ける。
海と挫斬、そして既に動体視力を高め、瞳を金に染めた天羽 伊都(
jb2199)。
(久しぶりの再会と言いたい所だけど、お前はまた人に仇なす侵略者としてオレに立ちはだかるんだな……いいよ、オレが必ず阻止してやる! 人の意地を見せてやる!)
伊都もまた、アセナスと戦場で会うのは一年ぶりだ。
3人は獅子を倒しきるまでアセナスを相手取り、可能ならば撃破するのが目的だ。
海は羽を使って上空から、挫斬は正面、伊都は横から囲むように展開する。
アセナスは見知った3人が来るのを見て、好敵手に会えたかのように笑った。
「夏音は君を危険だと言っていた。彼女のためにも名を教えてくれるかい?」
挫斬に問いかけるアセナスに、彼女も笑う。
「夏音ちゃんに聞いてって言いたいけど、教えてあげるわ。雨野挫斬よ」
「ならば、俺はその名と君の血を彼女に捧げよう」
アセナスが踏み込み、長剣を振るう。生まれた竜巻は上空にいた海もろとも巻き込む。かまいたちのような風は挫斬の肌を切り裂き、視界を薄闇に染めた。海もかすり傷を負うが体に刻んだ刻印のため、視界は取られない。
その隙に伊都が黒き獅子の如く横から天之尾羽張を翻した。
「久しぶりだね、聞けば温泉でうつつを抜かしていたとか」
挨拶代わりのような攻撃を鎧の一部で受け流しながら、アセナスはその言葉に視線を逸らした。触れられたくない過去というやつだろう。
「オレに出し抜かれたのに、随分と余裕だね」
一年前の病院で。ヒュアデスの雫を巡った攻防はアセナスの圧倒的な敗北に終わった。それは伊都の捨て身とも言える防御策が功を奏したものだった。
その後アセナスは自信を喪失し、一年の間、彼が表舞台に立ち戦闘をしかけてくることはなかった。
だから、伊都のその言葉はある意味真実を突き、攻撃の矛先をこちらに向ける挑発にもなる。
だが、アセナスは伊都を一瞥しただけだった。
「あのときのことをよく考える。君と俺の戦い方はある意味似ているとね」
「オレにしてみたら、大した実力じゃなかったと思うけど?」
伊都はさらに挑発を続ける。アセナスは苦笑した。
「ああ。だが、一年だ。俺も君も、何もしていなかったわけではないだろう?」
アセナスの蒼い瞳が伊都へと滑る。
「あの時は完敗した。それは認めよう。だが、一年前と同じなわけではない。そして、同タイプの君と削り合うよりは、俺は」
アセナスの視線は正面へと向いた。
「夏音の敵をまず討つ」
視線をまっすぐに受けた挫斬はアハハ、と笑う。
「じゃあいいこと教えてあげる。夏音ちゃんアナタが好きだったのよ? だから約束したの。アナタと夏音ちゃんの首を仲良く並べて部屋に飾ってあげるって! キャハハ! 」
新緑色の金属糸、ヴェルデュールがアセナスの前で翻る。アセナスはそれも鎧で受けきると小さく言った。
「……嘘を言うな」
「信じないの? それじゃあ貴方の名前を呼びながらボロボロになっても戦った夏音ちゃんが可哀想」
挫斬の挑発はアセナスを引きつける。その隙に海はシュトレンでアセナスの手元を上空から狙う。武器を持つ手にダメージを与えられれば、戦況は大きく変わるはずだ。
だが、特定部位を狙う攻撃はただ当てるだけの攻撃よりもはるかに難しい。海の一撃はアセナスの腕をかすっただけだ。
海の攻撃も構わず、アセナスは挫斬へと長剣を突き出した。肩をまっすぐに貫く切っ先。血が舞う。そのまま二撃目。挫斬の防御の上から剣先が跳ね上がる。
「アハハ! 本気出すよ!」
挫斬は体内のアウルを活性化させ、一時的に痛覚をシャットダウンした。彼女の得意な捨て身の戦法だ。
挫斬が身を挺して囮となっていることがわかれば、海と伊都のやることは攻めることだけだ。海が再び上空からシュトレンで腕を狙う。海は伊都や挫斬よりも攻撃力に劣る。だからこそ、搦手を使っての攻撃を仕掛けるものの、両手で長剣を操るアセナスには片手だけのダメージでは弱い。
伊都は自分がアセナスを惹きつけるつもりでいた。アセナスと切り結べば負けないという自負もある。それはアセナスが言ったとおりタイプが近いということと、一度彼に勝っているという自信からくるものだった。だからこそ、削り合い、自分の防御を高める策もとってきた。それは逆に言えば、戦闘を長引かせるためのもの。今の状況のように挫斬のみに攻撃が集中している場合、大ダメージを与えることは難しい。
伊都の攻撃を受けてもなお平然としているアセナスは、確かに一年前よりも力が増している気がした。
挫斬の体力は削られていく。3人の攻撃はさほどアセナスを削っているようには見えない。じりじりと焦りが生まれる。
挫斬が二度目の死活を使用した。ダメージが蓄積していく。
伊都はアセナスの鎧の薄い箇所を狙って天之尾羽張を振るう。海はやはり腕狙いだ。上空からシュトレンを突きだし、武器を振るう手の動きを阻害しようとする。
挫斬のヴェルデュールが翻る。アセナスの血を欲し、新緑の糸が踊る。鎧の薄い箇所を斬れば滲む血に、挫斬は笑う。
「死が怖くないのか」
問うアセナスに挫斬は答えない。痛覚のない今の彼女にはその恐怖はない。
アセナスの剣が翻る。斬っても、挫斬は倒れない。血が零れる。そろそろオーバーダメージだろう。
「アナタは怖いの?」
「このゲートを守ると決めたとき、恐怖は捨てた」
「じゃあ、私と同じかしら」
「死ぬ前に退け、雨野挫斬」
「アナタがゲートを放棄するならね。でもそうしたら夏音ちゃんが可哀想!」
その名を口にするな、とばかりにアセナスの剣が挫斬の脇腹を掠る。
「それ以上させるか!」
伊都がアセナスの肩口に天之尾羽張を突き立てた。血が滲むも、アセナスも気に介した風はない。海は集中して再度、手元を狙う。槍の穂先はアセナスの腕をかすり、血を流させた。だが、武器を落とさせるところまでは至らない。挫斬のヴェルデュールもアセナスを刻んでいくが、まだ全体に軽傷だ。
アセナスが苦い表情で挫斬に剣を振るう。挫斬の口元から血が滲んだ。零れる赤にアセナスの動きが止まる。
「もう一度言う、死ぬ前に退け」
「私ひとりでなんて死なないわ。だって、夏音ちゃんにアナタの首を並べて置いてあげるって約束したんだもの」
血を流しても挑発を止めぬ挫斬。それこそが彼女の大きな武器のひとつ。
アセナスは苦しそうに挫斬を貫いた。同時にヴェルデュールがアセナスの首めがけてしなる。それは当たれば一気に息の音も止めるだろう一撃。
アセナスは長剣を引き抜き、ヴェルデュールを弾いた。それはアセナスが初めて受け防御のスキルを使った瞬間だった。それに勢いづき、伊都が、海が、攻撃を繰り出す。
続く攻防。三度目の死活。そして、それが切れる瞬間が来る。
挫斬は最後の力を振り絞り、自分のリミットを外す。
「これに耐えられる? 色男!」
それは5回の連続攻撃。新緑色の鋼糸がアセナスの体を打ち据える。狙うは相打ち。アセナスの肌を裂き、肉を斬り、返り血を浴びて、挫斬はそこで意識を失う――はずだった。
海の神の兵士が発動した。
体はすでに動かない。けれども、意思の力で挫斬はそこに立ち続ける。
アセナスは苦々しい顔をする。
「……なるほど、周到な策だな」
「甘く見られたら困るよ」
海も歴戦の強者だ。攻撃力を捨てて防御に徹するだけの理由がある。
「切り刻んで、夏音ちゃんの隣に並べてあげる!」
挫斬はまた躍りかかる。そして4度の連続攻撃を放つ。アセナスが咄嗟に身を引いた。
白い回復の光がアセナスに降り注いだ。
●
獅子5匹と鳥の連携は意外にも厄介だった。
明斗と赤薔薇のコメット、そしてハルルカと絃也の続けざまの攻撃で、半数は減るだろうと大方予想していたのだが、獅子はそれを上回る高体力型だったようだ。
ハルルカと絃也の攻撃で2匹は負傷しているものの、当然攻撃をしてくる。絃也に向け、2匹が咆哮する。魔力的な圧を1匹は回避するも2匹目は体にくらった。同時に絃也は痺れが走るのがわかる。
もう1匹が絃也へと再び咆哮を浴びせる。圧はダメージとなって蓄積する。残りの2匹の攻撃は絃也には届かない。1匹はハルルカを狙うが外し、もう1匹はのろのろとアセナスのほうへと進路を戻した。
「今、治します」
明斗がとった行動は絃也のスタンの解除だった。絃也の体力もだいぶ持って行かれているが、まずは動けるようにならなくては、回避するものもできない。
「動けるかい、獅童君」
ハルルカは確認しながら再度ツヴァイハンダーFEを翻した。
「このくらいなら、問題ない」
絃也はその言葉が嘘ではないかのように足を強く踏み出すと一気に崩撃を仕掛けた。獅子を投げ飛ばし、その体を他の獅子にぶつける。その一連の流れもまさに芸術のような動きで、素早い。
赤薔薇は目を眇めてまとめて攻撃のできる2匹へと狙いを絞った。ぎりぎりでハルルカや絃也たちを巻き込まずにコメットが撃てる。
判断すれば早かった。
「貴方たちに恨みはないけど、ごめんなさい」
再び降り注ぐ流星。圧倒的な力をもつそれは確実に2匹の体力を削り取る。
だが、鳥の回復が再び行われた。削った分、元に戻される体力。
ヴァルヌスはアセナスのほうへと向かう1匹を狙い、リントヴルムで上空から補足した。獅子をこちらで押さえなければ、圧倒的に不利になる。攻撃を散らすのは得策ではないが、この場合はやむを得ないだろう。獅子の側面へと回りこむとアカ・マナフを叩き込む。黒い大鎌は獅子の腹部をえぐるが、致命的な一撃とはならず。
だが、獅子の意識をヴァルヌスへと向けるのには十分だった。
獅子はヴァルヌスへと咆哮するが、コメットの重圧が効いているのか、ヴァルヌスはぎりぎりでかわすことができた。
残りの獅子は赤薔薇を狙う。吐き出す息。1匹はかろうじて避けるが、もう1匹につかまった。体に走る圧は強く、吐き出された酸がじわりと魔装にこびりつく。
明斗が今度は赤薔薇の酸を払拭する。
「ありがとうございます。ごめんなさい、少し待っていて」
絃也やハルルカが攻撃に入ろうとする動きを制して、赤薔薇は息を吸い込んだ。これが最後のコメット。
「誰も、奪わせない!」
決意に似た言葉と共に降り注ぐ流星。ハルルカが駆け込みツヴァイハンダーFEを一閃した。
絃也はヴァルヌスを狙った獅子へと肉薄した。絃也は翼を持っていない。けれども、獅子へと手が届けばさしたる問題はない。
痛む体を無視して、絃也は気合の声を発すると獅子を引きずり落とすように崩撃を決めた。落ちた獅子へとさらに肘撃を叩き込む。獅子の動きを封じたところで飛んでくる回復の光。まだ獅子は動く。
(やっぱり、あの鳥が面倒だな)
ヴァルヌスは少し迷ってから、アカ・マナフを振り上げた。
「ごめんね。どちらかといえば猫派だけど、手加減してる余裕はないから」
黒い鎌が獅子をえぐるも、まだ最期の一撃には届かない。獅子はまたヴァルヌスを狙う。咆哮が耳を貫き、動きを封じられる。
明斗がヴァルヌスのスタンを回復している間に絃也は強く一歩踏み出し、拳撃を食らわせた。ハルルカが、赤薔薇がそれぞれの武器で獅子を狙う。
「全員で同じ個体を狙わないと、難しいです。コメットが効いているうちに」
明斗の声に合わせ、まずはアセナスのほうへ戻ろうとしている一体に集中する。
削っては回復されの繰り返し。初撃のコメット重ねがけは確かに効いているはずなのに、最後の一撃が鳥に阻まれる。
一体何手の応酬をしただろう。
明斗のクリアランスも使いきり、回復をしながら彼は盾として立つ。ハルルカと絃也が攻撃を畳み込み、赤薔薇とヴァルヌスが撹乱する。
そんな応酬の中赤薔薇が倒れ、明斗の神の兵士で立ち上がる。まだ倒れないと、その桃色の瞳が強く輝く。
そして、一瞬の変化は訪れた。
鳥の回復が飛んでこない。
鳥を見ると、アセナスに猛攻している挫斬の姿と、咄嗟に回復を求めるアセナスの姿が見えた。
ハルルカは迷わなかった。手を翳す。生まれるは無色の力。それは黒き雨へと形を変え、天の力を蝕む。そうして白金の獅子を穿ち、必殺の一撃を与えた。
倒れた、一匹目の獅子。
絃也が肘撃を加え、ふらついた獅子へと明斗、赤薔薇、ヴァルヌスが畳み掛けるように攻撃を加え、二匹目を倒す。
数が減ればこちらへの攻撃も減る。それは大きな変化だ。
終わらないかのような戦いは先が見え始めていた。
●
挫斬のダメージは限界を超えていることは、誰の目にも明らかだった。
だからこそ、彼女の連撃は命を削るような苛烈さがあった。受けたダメージを回復させ、アセナスは祈るように剣を一閃する。
一撃に彼女は膝を折るも、再度、海の神の兵士が発動した。ボロボロになりながらも、血を流しながらも、挫斬はゆらりと立ち上がる。
アセナスは息を飲む。それは彼がこのゲートを守る覚悟以上の覚悟だった。
(これが、撃退士の強さ)
もう立ち上がらないでくれと正直祈った。夏音の敵と知りつつもアセナスは雨野挫斬という撃退士を失うには惜しい存在だとも思っていた。
アセナスは切っ先を挫斬から海へと向けた。ばさりと翼を広げ、海の前に踊り出る。
「龍崎海。お前を先に倒せばいいということか?」
「俺を倒しても、俺も起き上がるけれどね」
「なるほど。それがお前たちの覚悟か」
海は空中でアセナスから距離を取る。槍での攻撃はかわされ、アセナスは空中で一歩踏み出す。
シグナルレッド。一直線に貫くその攻撃を海はかわそうとして、かわしきれず、胸のすぐ上を貫かれた。血が滲む。その痛みに、海はアセナスが今までほとんどスキルを使っていなかったことを知る。ごっそりとえぐり取られるような命に、空中で態勢を崩す。
「龍崎さん!」
伊都が助けるようにスナイパーライフルXG1で上空のアセナスを狙う。
「アナタの覚悟ってそんなものなの? 本当に弱いのね!」
挫斬の挑発。新緑色の糸を構えて、連撃に入ろうとするも、アセナスの攻撃のほうが早かった。
再度貫かれ、海は地上へと落ちる。同時に発動する神の奇跡。海は微かに笑う。
(何度だって立ち上がってやるさ)
まだ、終わらない。終われない。それが撃退士の強さ。
アセナスが鳥を自分の身の近くに置いたことが幸いした。
回復の飛ばなくなった獅子は呆気無く思えるほど次々と倒れていった。
明斗の手に残った回復は神の兵士だけ。その状況で獅子対応組が合流した。
絃也は気を練り上げ、アセナスを油断なく見据える。ハルルカが翼を広げ、上空からアセナスへと接敵する。
「これで形勢逆転。お前の目論見は又ご破算だ!」
高らかに宣言する伊都にもアセナスは動じることはない。唇の端を歪めた。
「どうかな。言っただろう、一年前とは違うと」
アセナスに近付かず、武器を持ち替えたのは赤薔薇とヴァルヌス。二人の狙いは鳥だ。アセナスを回復されては敵わない。
「ニューロ接続、アウル最大! マキシマイズ起動!」
ヴァルヌスはアウルを最大限まで引き上げる。口元、腕部、胸部、脚部の一部外装が開き、淡い翠光を放った。
「……無理矢理にでも押し込む! ここで引くわけにはいかないッ!」
魔銃フラガラッハは鳥の羽を貫いた。
赤薔薇もバスターライフルAC-136を構え、鳥を狙う。小さな体の赤薔薇にバスターライフルはことさら大きく見える。赤薔薇の狙いはわずかに逸れる。
(この戦いは、一体どうすれば終熄するの)
赤薔薇は鳥を見て、天使を見た。
(守っても守っても、奴らは現れて奪っていく)
そびえ立つ、光の柱を見た。壊すべきものは目の前にある。
(でも、私は諦めないよ。どんな形であれ、必ず終わる時がくるって信じてる)
それは、赤薔薇の強さでもあった。
戦闘は第二局面を迎えていた。
天使とは言え、1対6だ。短期決戦を予想していた者もいるし、長期戦にもつれ込んでも回復手さえ倒しておけばこちらの勝利は間違いないと誰もが思っていた。
赤薔薇とヴァルヌスは鳥を攻撃するも、鳥は自分とアセナスを同時に回復してしまう。
アセナスはここまで温存していたスキルを畳み掛けるように使う。上空を使っても6人で囲むとなるとどうしても複数人がスキルの範囲に入ってしまう。
産み出された竜巻は、複数人を狙う。認識障害にかかった者を海は回復する。
同時に竜巻で倒れた挫斬を明斗の神の兵士が助ける。
だが、逆にそれは明斗にとっては踏ん切りをつける機会となった。
(このまま押されているのでは負けてしまう。それなら)
明斗はアセナスを攻撃する輪から離れた。向かうのはゲートだ。駆ける。
アセナスも明斗の目的に気付いた。
「させるか!」
広げた翼で明斗を追う。そしてまっすぐに明斗を突き刺した。
明斗は背を貫かれ、振り返った。どこか勝ち誇ったように笑う。
「かかりましたね」
打ち込むのは捨て身のコメット。自分とアセナスの間に降り注ぐ流星。
アセナスの顔から余裕が消えたことに絃也は気づく。それは大きな隙にもつながった。
絃也は素早くアセナスの背後に回りこむと乾坤一擲を発動した。それは次のことなど考えぬ捨て身の一撃。震脚から、掌、腕全体を上から下へと叩きつける大技だ。
「この一撃押し通す」
伏虎、と名づけられた技は地面に虎を押し伏せるというところから来ている。それは驚異的な力を瞬間発し、アセナスを一気にねじ伏せ、地へと叩きつけた。咄嗟に受け身を取るアセナス。ダメージは回避しても、態勢の崩れは免れない。
「面白い技を使うな、人の子」
「余所見をしている暇はないよ」
伊都とハルルカが追撃のように剣を振るう。それを当たり前のように身に受け、アセナスは挫斬を素早く貫いた。意識を失うはずの挫斬を、再び海の神の兵士が救う。
限界を越えた戦いが続く。
状況が動いたのは赤薔薇とヴァルヌスのほうだった。何度攻撃しても回復されていたが、やがてダメージが回復を上回った。白い鳥がボロボロになって地へと落ちる。
とは言え、こちらの回復も神の兵士と海の生命の芽のみ。
生命の芽さえあれば、体は蘇る。
海はタイミングをはかり、アセナスの周囲から一歩引いた。
挫斬はすでにボロボロだった。アセナスの一閃。海の神の兵士が発動するが、すでにそれに応えることはできない。挫斬の体は崩れ落ちる。
挫斬は意識を失う寸前に微かに笑った。
「さっきのは……」
何か告げようとして、そのまま意識を失う。命に別状がないことをアセナスは確認すると視線で海を探す。
タイミングを測っていることを察した伊都が海の前に庇うように立つ。
「悪いけど、ここは通さないよ」
「ならば、纏めて貫く」
シグナルレッド。まっすぐに伸ばされた剣は赤金の光を纏い、伊都と海をまとめて貫いた。海の足がふらつく。
(まだ、倒れないさ)
何度も神の兵士の世話になるわけにもいかない。海は毅然としてアセナスを見返す。アセナスは小さく舌打ちをした。
「その能力、目障りだ」
「そのために持っているんだ、当たり前だろう」
あとは、生命の芽を使うだけ――。
海が挫斬へと視線を向けたときだった。アセナスは長剣で海をなぎ払う。スカーレット。それは海の脇腹をえぐり、体力をごっそりと奪っていく。
それは神の兵士では限界のダメージ。
「龍崎海。お前だけには負けたくないと思っていた」
それが海が気を失う前に聞いた最後の言葉。
(俺だって返り討ちにしてやるつもりでいたさ)
海はゆっくりと崩れ落ちた。
●
赤薔薇は皆がアセナスの相手をしているのを尻目にゲートの方向へと瞬間移動し、残りの距離を全力で駆けた。
ゲートは光の柱のような障壁で守られている。中にぼんやりと球形のコアが浮かんでいるのが見える。
(あのコアを壊せば、このゲートを壊せる)
フレイアを振り上げる。障壁がそれを阻む。
赤薔薇は両手を胸の前でクロスさせ、アウルを練り上げる。足元から立ち上るは火竜を模した赤いアウル。それは腰を落として構えた赤薔薇の手元へと収束した。生まれるは紅蓮の『龍槍』。
赤薔薇は迷うことなくそれを障壁へと突き出した。
「壊れろ」
呟くように発した言葉は強くアウルを放出するごとに、大きくなっていく。
「壊れろ壊れろ壊れろぉ!!!!」
みしりと音を立てる光の柱。金の光と紅蓮が混ざり合い、ぶつかり合う。
(覚悟なんてない。戦うのだって、正直好きじゃないんだ)
赤薔薇を追ってきたヴァルヌスが金と紅蓮の戦いを見上げて思う。
(でも、死に方しか知らなかったボクに、この世界は生き方を教えてくれた)
ふと思い出す。
この世界を嫌いだと言っていた、死にそうな使徒を。
「ボクはこの、色に溢れた世界と共に生きるんだ!!」
振り切るように、宣言するように、ヴァルヌスは赤薔薇と共にゲートを壊すために決断する。
「魔装限定解放! アンチェイン起動!」
それは普段は意識的に隠している対天使殲滅機能。瞳が朱に変わり、口元、腕、胸、脚の一部外装が開き、禍々しい紅光を放つ。
「いけッ!」
放ったアウルの弾丸は赤薔薇の紅蓮の後押しをする。
一撃、二撃。金の光が弱まり、音を立てる。
ゲートの障壁にヒビが入る。
それはアセナスの身に直接響いた。
体力の残る4人を相手取り、明斗の神の兵士も残っている。そんな最中だった。
「ぐっ……」
アセナスは突然、胸を押さえる。切り結んでいた伊都が異変を感じ、一瞬動きを止めた。
ハルルカと明斗がゲートを振り返る。状況はすぐに知れた。
「我々の勝ちです。降伏して下さい」
明斗が静かな声で言う。
「……まだだ」
アセナスは絞りだすような声を上げた。
「ゲートはまだ壊されていない」
アセナスは羽を広げる。一直線にゲートの傍へと飛ぶ。
伊都が、絃也が、明斗がそれを追う。ハルルカも翼を広げた。
「アセナス君、コアとのリンクを切りたまえ。このままだと、君が死ぬぞ」
「その覚悟だ!」
「その覚悟があるならオレと勝負しろよ! またオレから尻尾巻いて逃げ出すのか!?」
伊都が挑発の言葉を口にするが、アセナスは振り返らない。
「お前との勝負は預けておく、天羽伊都」
「ふざけるなよ!」
金の光は紅蓮に押され、揺らめいている。
「壊れろ、壊れろ、壊れろぉっ!!」
まっすぐにコアだけを見つめる赤薔薇。ヴァルヌスがふと、アセナスたちが来たことに気づく。
「山里さん!」
赤薔薇は振り返らない。
「守らなきゃならない人達が山ほどいるんだ!!」
障壁を破れば、コアに手が届く。そうすれば終わらぬ戦いに、小さな区切りをつけられる。
(諦めない。諦めたくない!!)
赤薔薇はアウルを練り上げる。ありったけの力が足元から吹き上がる。
「壊れろぉぉっ!!!」
「させるかぁっ!」
「リンクを切れ、白焔!」
ハルルカが珍しく声を上げる。
障壁が破れる。
アセナスのシグナルレッドが赤薔薇の背を貫く。
赤薔薇はけほりと血を吐いて、なお、コアへと一歩近づいた。フレイヤを振り上げる。
アセナスはよろめく足で赤薔薇の背から長剣を引き抜き、肩越しに振り下ろした。
「四国は、あなた達なんかに、渡さないよ」
赤薔薇はゲートコアをフレイヤで打ち砕いた。
そのまま倒れこみ、意識を失う。
アセナスはその場に膝をついた。追撃をかけようとする伊都、絃也、ヴァルヌスを制して、明斗が、ハルルカがアセナスの顔を覗きこむ。
「……また、負けたよ」
アセナスは口元の血を拭いながら、かすれた声で言った。
「リンクを切ったのですね」
明斗が確認するように聞く。アセナスは頷いた。
「ここで死ねないと思った。つけねばいけない決着が、まだある」
「それでいいよ、白焔」
ハルルカは微かに笑った。
「私たちの勝ちだ。退きたまえ。途中まで送っていくよ」
「あなた達の行動には怒りを覚えますが、退くのであれば無闇に殺そうとは思いません」
明斗もハルルカに続けて言う。アセナスは明斗を見て、おかしそうに笑った。
「騎士のようだな」
「あなた達と一緒にしないでください」
「誇り高いと褒めたんだがな」
長剣を杖にアセナスは立ち上がる。壊れたコアを振り返り、ゆっくりと歩き出す。ハルルカが追いかけるように歩く。
「白い焔は黒い雨によって消されるのだな」
ぽつりとアセナスは言った。ハルルカはアセナスを見る。
「黒は白を塗り潰し、焔は雨を焼き焦がす。白は黒を飲み込んで、雨は焔を溶かしゆく。そうして何も。何も残らないんだ。けれど―― 」
もしも。
(混ざり合ってなお、白も黒も雨も焔も消えずに残ることができたなら)
遠くにアセナスを迎えるような金の髪の女騎士の姿が見えた。彼女は夏音を抱きかかえている。それを遠目に見て、ヴァルヌスは声を上げた。
「彼女なら生きてるよ」
アセナスは振り返る。ヴァルヌスは視線を逸らした。
「彼女には借りがある。それだけだよ」
ハルルカはそこで止まった。
「ああ、そうだ。そのうち一緒にお茶でもどうかな。ごちそうしてあげるよ」
アセナスは苦笑して、女騎士のほうへと歩み出す。
(消えずに残ることができたなら、それはきっととても素敵なことなのだと、そうは思わないかい?)
ハルルカはアセナスの背を見送る。
「ねえ、『白焔のアセナス』」