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初夏の新緑が目に眩しい。
キャンプ場の温泉ということで野趣あふれる、というほどではない。それでも湯船から見上げれば遮るもののない空が広がっている。夜はさぞかし綺麗だろう。
こちらは女風呂。
温泉を一時的に止め、栓を抜き、一時的に浴槽内を空っぽにする。
田村 ケイ(
ja0582)は体操着姿で亀たわしとモップを持って気合充分だ。浴槽内を力いっぱい磨く。時折水をかけながら鏡のようにぴかぴかになるまで。
(そう、全ては最高の一番風呂のために!!)
(一番風呂とは〜とても幸せなお時間なのですよぉ〜♪)
神龍寺 鈴歌(
jb9935)もふんわり楽しそうに笑いながら洗い場の清掃だ。もこもこ石鹸で泡立ててモップで洗っているうちに本人までもこもこになっている。
「あはは、神龍寺さん、面白そうー!」
そこに文字通り突っ込むは今回初依頼のエメ。
「きゃ〜! エメさん、だめです〜!」
「もこもこー!」
エメももこもこになって鈴歌と楽しそう。見る見る間に洗い場は泡だらけ。
粛々と掃除をしているのはアイリス・レイバルド(
jb1510)だ。
(まあ、たまには緊張感とは無縁に湯につかるのも悪くはないさ)
浴槽内をケイと共に洗いながら、アイリスは時折上を見上げた。アイリスは温泉そのものよりも景色に心を奪われる。そんな観察狂。
ゆえに掃除をしながらもどこが景色を観察するのにベストなポジションか、常に注意を怠らない。
「こーら。お水で流しちゃうわよ」
ケイが洗い場を眺めて言うと鈴歌とエメが「きゃ〜♪」と言いながらもこもこ逃げる。逃げれば逃げるほど泡だらけになって、2人が走るだけで洗い場が綺麗になっていく。
和やかな掃除はなかなか終わらない。
一方男風呂。
「人数足りないと思って、手伝いにきたよ!」
Tシャツ短パン姿で蓮城 真緋呂(
jb6120)がやってくると、
「ああ、助かる」
と当たり前のように答える蘇芳 更紗(
ja8374)。
……あれ?
不思議に思ってお風呂を洗う手を止めちゃったのは神谷春樹(
jb7335)。
「蓮城さんは手伝いに来てくれたんだよね? 蘇芳さんは?」
「ん? わたくしがいるのが何か問題あるのか?」
当然のように洗い場を掃除している更紗は春樹から見るとどう見ても女性なのだけれども、あれ?
「いや、問題っていうか、その」
「男が男湯の掃除をするのは問題なかろう。手が止まっているぞ」
これぞ久遠ヶ原クオリティ。首をひねりつつ春樹は掃除を再開。
包帯などを巻いて少々痛々しい龍崎海(
ja0565)は掃除の前にちゃんとキャンプ場の清掃員に普段の掃除のコツを聞いておく用意周到ぶり。
「浴槽内はこの隙間と隙間を洗うのが大変らしい」
たわしを片手に隙間を洗っていれば、手伝うよ、とモップ持参で隣に並んだのは米田 一機(
jb7387)。
ゴシゴシ浴槽を洗っているのをさらに手伝おうと真緋呂が近づけば、
「水かけるね」
気づかない一機が水をバシャリ!
「きゃっ」
「ご、ごめ……っ」
真緋呂さん、Tシャツ透けてます。
幸か不幸か気づいたのは一機1人のみ、らしい。いやそうであってほしい。
「ごめん、真緋呂、大丈夫? 変えのTシャツとか……」
「ん? ちょっと冷たいくらいだよ、大丈夫」
ちらちら見える白くて清純な(以下略)。
「どうしたの、一機君?」
「い、いやなんでも……」
「ふむ、上の埃も落としておこうか」
海が羽を使って洗い場に差し出てている簡素な屋根の埃を落とし、柱を磨く。
「そうだな、普段できないような所もやっておくか」
更紗も同意して空を飛ぶと埃を落とし、下で春樹がそれをモップで流す。
そんな3人をちらっと見て真緋呂は一機に囁いた。
「一機君、一緒にお風呂入ろ?」
「えっ」
思わず真緋呂を見てまた見えちゃって、視線がそわそわする一機だった。
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「篝さんとエメさん、こんにちは」
「龍崎さん、お疲れ様です。お怪我、温泉で少しは治るといいんですが」
海に話しかけられた篝さつき(jz0220)は少し眉を落とす。エメは「はじめまして!」と元気だ。
「少し養生していくよ。あ、一応阻霊符を使おうと思うんだけど、大丈夫かな?」
「はい、用心にこしたことはありませんので。女子風呂はエメさんにお願いしてもいいですか」
「お願いするね」
エメが「阻霊符ってなあに?」と言い出したので海がその説明をしている間に、ちょっとしたトラブルが持ち上がっていた。
「えっと、じゃあ、蘇芳さんは男湯……なんだね?」
「ああ。男が女湯に入るのはまずいだろう」
春樹の確認に当たり前のように答える更紗。
「だがわたくしが入ると周りが騒がしくなり、ゆるりと入ってられんので他の殿方が入ったのを確認後に入るとしよう。一応入り終わったら連絡してくれ。其れまでは近くで素振り稽古をしておく」
「うん、わかった。じゃあ……」
「ごめん、俺も後から一人で入ってもいいかな」
できるだけさりげなく言う一機。とても「真緋呂と2人で入るから」とは言えない雰囲気だ。
「えっと、じゃあ、龍崎くんと俺、米田くん、蘇芳さんの順で入ればいいかな」
「ごめん、安全のために米田くんと蘇芳さんは阻霊符を使ってほしいんだけど」
エメに説明を終えた海が言うと更紗は「心得た」と頷き、持参しなかった一機は話を聞いていた真緋呂が小さくOKの合図を送った。
温泉後を快適に過ごすためにも、準備は欠かせない。
「コーヒー牛乳、冷やす方はこちらでどうぞ」
さつきが氷を詰めた水バケツを差し出せば、その隣に置かれるクーラーボックス。
「冷たいお茶やジュースを持ってきたわ。おやつも大事だけど、水分補給も必要だからね。特に長風呂の場合」
長風呂前提のケイが提供。春樹も同じようにクーラーボックスを取り出すと中を見せた。
大量のアイスとドライアイス。まさに食べごろだ。
こうして事前の打ち合わせと準備が終わったところで、いざ、ぴかぴかの露天風呂へ!
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女風呂はケイ、アイリス、鈴歌、エメの4人が同時に入ることに。洗い場は満員だ。
「あれ、蓮城さんと篝さんは?」
ケイが尋ねると淑女的に髪と体を洗っているアイリスが口を開く。
「蓮城は遅れてくると言っていたな。篝は雑用に追われてると言っていた。どちらにしてもこの状況では……」
ケイも持参の石鹸とシャンプーで掃除の汚れをまず落とす。お風呂セットを持参した鈴歌も先に汗を流している。
温泉にそのまま飛び込もうとしていたエメは3人を見て、首を傾げた。
「温泉も普通のお風呂と同じなんだね?」
「まあ、そうね。シャンプーとか持ってきた?」
ケイの言葉に首を振るエメ。
「私のを貸してあげるわ。温泉はまるで初めてなのね」
「うん」
「大事なことを1つ教えておくわね。温泉は泳いでは駄目よ」
「ええーっ、こんなに広いのに!」
どうやら楽しみにしていたらしい。エメはしょんぼりとしてしまった。そんなエメのとある箇所をじっと眺めるケイ。
(……しかし大きな胸ね。羨ましい)
体を洗い終えると4人はそれぞれ温泉に浸かる。アイリスは準備していたベストポジションに座るとそこから空を見た。木々のフレームの中に星空が映り込んでいる。
そのアイリスの手元には桶。桶の中には大量の針金。アイリスは観察狂であり観察結果を作品として残す芸術家でもある。
「何をするのですか〜?」
鈴歌が興味津々に尋ねると針金を器用に曲げながらアイリスは言う。
「ワイヤーワークだ」
細い指先が動き、手始めとばかりに蔦冠をあっという間につくり上げる。
「わぁ〜♪」
「興味があるか? 欲しいのなら贈るぞ」
「もらえるのですかぁ〜? 是非ほしいです〜♪」
「あたしも! あたしも欲しい!」
エメが言うのにアイリスは苦笑いを浮かべた。
「専門とは違うが、こういう毒気のない観察も悪い物ではないな」
星と木を絡めた鳥籠を作りながらアイリスは一切の妥協なく指を動かす。
ケイは頭にタオルを載せ、火照れば岩に座り、冷えれば浸かり直すの繰り返し。遠くに聞こえるのは夜風が木々を揺らす音。贅沢な時間だ。
鈴歌も星空を見て感動している一人。湧き上がる感動についにすだれ越しの春樹へと声をかけた。
「春さぁ〜ん、とてもきれいな星空と景色なのですよぉ〜♪ あぁ〜お湯加減いかがですぅ〜??」
男湯は海と春樹の2人だからくつろぎ放題だ。
海は怪我のこともあり、無理なく、味わうように湯船に浸かっている。とは言え、すだれ越しに女子のきゃっきゃした話し声が聞こえると静かに出たほうがいいのかなあ、とぼんやり考えるほどには冷静だ。
春樹も景色を味わいながらゆっくりと温泉を堪能中だ。特に男同士語り合うこともない。心地よい沈黙が男湯には流れていたのだが。
「あ、うん。こっちも気持ちがいいよ。鈴ちゃんは?」
答えを返せば鈴歌の「とっても気持ちいいですぅ〜♪」という声が。そして次々送られてくる女子風呂内情報(とは言ってもワイヤーワークの話やケイの温泉堪能法の話なのだが)。うん、うん、と相槌を打っているうちにふと春樹は気づく。
(こういうのってドラマだとカップル同士がよくやってるよね……?)
海の視線がどことなく優しいのはきっとそのせいもあるだろう。
「あぁー、鈴ちゃん。そろそろ止めない? 気恥かしいし、変な勘違いをされるかもよ?」
慌てたように鈴歌を制止しようとするも、
「友達同士なので全く問題なしなのですぅ〜♪」
「あぁー、うん。そうだね」
結局諦めた。今日は女性に押し切られることの多い春樹である。どうせならと春樹はすだれの近くに陣取り、話し始める。星座の話は以前星空鑑賞に行った経験もあり、詳しい。
「頭の真上にあるアークトゥルスは見える?」
「はい〜♪」
「南に見える火星と土星を結ぶと大きな三角形ができるよ」
「本当ですぅ〜♪」
海も言われるまま空を見上げる。いつも戦場を駆けている彼はあまり星を見ることもない。
(たまにはいいかな)
海はゆっくりと深呼吸をした。
一時間ほどの後。
温泉に人がいなくなったのを確認してから真緋呂は一機に声をかけた。
「お待たせ。それじゃ入ろっか」
そして真緋呂は女風呂へ。
(そうだよな、ちゃんと男女分かれてるもんな)
一機もほっとしたような残念なような思いを抱いて男風呂へ。
(いや、でも、ひょっとしてもしかしたら)
「一機君、背中流しにきたよ」
一機の煩悩がバスタオル一枚ですだれを乗り越えてやってきた。撃退士ならこのくらいのすだれを超えるなんてちょろいものです。
(一機君にはいつも元気づけてもらってるし、ここ最近は特に励ましてもらった。だからね、少しでもお礼がしたいなとお背中流そうと思った訳です)
少しだけ自分にも言い聞かせるように笑顔の真緋呂。一機は無理やり真緋呂を返すわけにもいかず、結局迷った末、「お願いします」と背中を向ける。
「一機君、やっぱり男の子ね。背中広い」
ごしごしと背中を洗いながら真緋呂は無邪気に素直な感想を告げるが、背中に何か当たる感触に一機としては理性が色々と危ない。
「真緋呂、今度は俺が背中流すよ」
一機は窮地を脱しようと提案。
「では、お湯かけまーす」
真緋呂がお湯をかけようとした瞬間、バスタオルがはらり。一機が慌て、何故か湯煙が立ち込め始めるも、じゃーん。湯煙隊が去った後にはストラップレスビキニ姿の真緋呂が。
「がっかりした?」
首を振る一機。どちらにしろ理性が危ないのは間違いない。
小さな真緋呂の背中を洗う。少し落ち着いた一機が思うのは片手で洗えるほどの小さい体で色々なものをしょってきたんだなぁという事。
(そろそろ過去とは別に自分の為に生きて欲しいんだけどなぁ)
だから頭を撫でながらごく自然と言葉は出ていた。
「少し温まっていく?」
並んで座って星を眺めて。綺麗ね、などと話す真緋呂のナイスボディにドキッとしながら、一機は視線を上に向けて呟くように言う。
「焦らなくていい。急がなくていい。その努力はちゃんと明日を変えているから」
「……ありがとう」
真緋呂はそっと一機の背中を抱きしめた。
素振りをしていた更紗が呼ばれたのはそれなりに時間も経った頃だった。
礼を言うとたった1人の男風呂へと入る。
汗をかいた後に入る風呂、それも露天風呂もなれば最高だ。
(それに最近は少々気が立っていたのでここで心身ともに疲れを癒し、次に獲物となる敵に備えなければならんからな)
足で湯を堪能し、次に半身浴、最後に手足を投げ出し肩までゆっくり浸かってリラックス。
ここで一度涼み、このサイクルを何度か繰り返す。
この時の更紗の入浴時間は要らぬ騒ぎのことも考え、短めに。お楽しみはとっておくものだ。
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お風呂から上がるとみんなが持ち込んだ牛乳や飲み物、アイスなどにごく自然に手が伸びる。
「風呂上りはやっぱりコーヒー牛乳でしょ」
海が腰に手を当ててコーヒー牛乳を飲めば、続けとばかりにケイも腰に手を当てコーヒー牛乳を。そういうしきたりなのかと勘違いしたエメも素直に従った。
「アイスもいただくわね」
「どうぞ、みんなも食べて」
春樹の声にみんなアイスにも手が伸びる。何故かお風呂に入っていないさつきもにこにことアイスを食べていたがそれもご愛嬌。
夜。
合宿所の屋根に春樹と鈴歌は並んで座り、アイスを食べながら星を眺める。春樹は鈴歌が落ちないように気をつけながらだが、鈴歌は嬉しそうに空を眺めたままだ。
「山の中は一段とお星さまが綺麗に見えるですねぇ〜」
「うん、あっちの星はね……」
2人の星語りはもう少し続きそうだ。
同じ頃、再度露天風呂を堪能しにきたのは更紗。さすがに寝静まった時間は騒ぎなどが起こる心配もない。
同じようなサイクルで入浴、ただし、今度はゆっくりと。
(一番風呂は逃したが一人貸切状態を味わえるのは変えがたく、得がたい経験だ)
星空を肴に乾杯。
「キャンプって楽しかったね、コルネリア!」
「そうですね。花火、とってもとっても綺麗でした」
「温泉も楽しかったよ! 花火も今度見たいな」
「温泉は気持ちいいんでしょうか。今度一緒に入るですよ」
2つの初花は並んで四国の星空を眺めていた。