●
それはもしも、の話。
力に目覚めたとき、それを怖がらず認めてもらえたら。
誰しもが久遠ヶ原学園への道を教えてもらえていたら。
けれどもそれは「もしも」の話。
現実は――。
●
『小楽園』の信徒らしき少女が召喚獣を連れてこちらに向かってきている――。
そんな情報を得て8人は少女の元へと赴いた。
色々と不可解な点は多い。
信徒は悪魔ではない。召喚できるのはバハムートテイマーと同じはずだ。
(一体どころかこんな戦力を……?)
黒須 洸太(
ja2475)が訝しがるのも当然だ。遠目に見える召喚獣は9体。それは信徒には成し得ぬことのはずだ。
(あの子が持ってたなんて訳はないだろうしね)
洸太が見やるのは自分よりも年下だろう少女。
緊張しているのだろうか、強張った表情で少女もこちらを見ている。
少女の傍には異形の獅子が1体。目がなく口から何本もの牙が生えているその顔はおぞましさを感じる。
その前方に白いドレスを着たふわふわ浮かぶ女性が3体。顔は白いヴェールに遮られて見えない。まるで花嫁のようだが、その胸に細剣が突き刺さり、朱が滲んでいる。
そして最後に地蔵のような浮かぶ石像。これが5体。横一列に並んでいる。
少女は一定の距離を置き、身構えるも攻撃してくる様子は見えない。
阻霊符を発動させ、森田良助(
ja9460)は声をかけた。
「その獣は何? キミの力で出した奴じゃないよね?」
返事はない。
「何で、人間であるあなたが……ディアボロを連れてるの……? ヴァニタスになったの……?」
燐(
ja4685)も淡々と尋ねる。
だが感情の見えないその問いかけに少女が小さく震えるのがわかった。
そして燐の言葉に、納得したように弾ける笑い声。
「きゃはは、何あんたー。悪魔が使うみたいな召喚獣を操ってんの?」
アリーチェ・ハーグリーヴス(
jb3240)の小馬鹿にしたような笑い声が場に不似合いに響く。
「あんたみたいな小娘が扱えるシロモノじゃないでしょ〜。何を代償にして、誰にソレもらったのか、言ってごらん?」
少女がぐっと言葉に詰まる様子がありありと分かる。その様子が楽しくてアリーチェはまた笑う。
少女に注視する仲間とは別に、召喚獣の位置や蓬莱山の様子、そして仲間たちの様子を伺っていたカルマ・V・ハインリッヒ(
jb3046)はウィズレー・ブルー(
jb2685)の微かな変化をも見逃さなかった。
「……どうしました、ウィズ?」
「これは……」
ウィズレーの脳裏に浮かぶのは、蓬莱山が多くの悪魔に包囲されたあの時。
ウィズレーはカルマと共にセーレに肉薄した。
あの時、セーレと共にいた数多くの召喚獣――。
(そして、あの少女の表情……)
無関係と切って捨てることはできない。ウィズレーはそれだけセーレと対峙し、そして嫌悪感を抱いている。
(もしかして……)
●
自分の命を代償にしたってことは、この召喚獣が倒されれば、私は死んじゃうってことだよね?
あんな強そうな奴らに、私は勝てるのかな。
もし死んだら……聖女さまは悲しんでくださるかな。
怖い。憎い。怖い。憎い。怖い。
背後で悪魔が笑ってる。
さあ、殺し合いを見せてよって笑ってる。
憎い。怖い。憎い。怖い。憎い。
聞こえる、笑い声。
あんなに余裕たっぷり笑ってる。
私だって――私だって!
「私は、叶笑(かなえ)! 聖女さまのために!」
憎い。怖い。憎い。憎い。憎い!
私の命を削って、あいつらの命を、狩る!
●
「叶笑さん、ですかー」
澄野・絣(
ja1044)はおっとりと名乗りをあげた少女を見た。同時に天波を構える。長大な和弓は絣の凛とした姿をさらに引き立たせる。
(何か様子が変ですが、そうも言っていられませんねー)
舞うは花吹雪。光の花を纏って絣は近づいてくる3体の<花嫁>を見据える。
<獅子>と<地蔵>は動かない。
叶笑本人も動かない。
「飽くまで抗うか」
南雲 朔夜(
jb9506)に浮かぶのは好戦的な笑み。他の者には表情を変えたことすらわからないかもしれない。
「最後に垂らされた蜘蛛の糸を無駄にしたな。ならば良し、縊り殺してやろう」
手にするは純白の糸。ぼうと白を浮き上がらせるその糸はまるで垂らすも手に取られなかった蜘蛛の糸のよう。
<花嫁>の1体が突出した。白いドレスが羽のように舞い、動く軌跡はそのドレスが翻ることでしか見えない。けれどもそれは<地蔵>の効果範囲を確実に超えた動き。
絣はその素早い<花嫁>よりさらに早く動いた。
キリと弓を引き絞り、射る。
<花嫁>はそれを回避するために消えたかに見えた。
「甘い、ですよー」
矢は<花嫁>の肩にしっかりと突き刺さる。同時に洸太が前衛へと駆けた。
(<地蔵>が攻撃してこないならやることは決まってくる)
射程の長い<花嫁>の攻撃が後衛に当たらぬよう、壁になる。
突出した1体と様子を見るように後方に控える2体。さすがに3体の相手をするのは1人では厳しい。どうするか、と洸太が目を細めると、その横にカルマが並んだ。
「回避には自信がありますので」
微かに笑うカルマに洸太も笑う。
「来るぞ!」
<花嫁>が自身の胸を鞘にしているかのように、剣を引き抜く。朱色にそまった銀の細剣を朱を散らしながら一閃した。
銀の光が走る。
咄嗟に防御した洸太にダメージは来ない。カルマの回避は紙一重で間に合い、同時にカルマは目にも留まらぬ速さで八岐大蛇を抜いた。
いや、抜いたことすらわからぬ、神速。
ただあるのは白のドレスを裂かれ、動きを封じられた<花嫁>が1体と、銀の残滓。
連携はもとより8人が重視していたことだ。
洸太の白雪と月牙が躍る。そこへ良助が走り込み、手にしたアステリオスの両端の刃で切り裂く。追い詰められた鼠は虎をも食いちぎる――窮鼠・虎千噛。
(相手が人でも、敵として……私達の前に立つなら、排除するだけ)
黒いスカートを翻し、燐がアウルを一点集中で叩きこむ。
上体を揺らした<花嫁>に朔夜の闇蜘蛛の追撃。
「己の剣を一匹ずつ剥がされ、死が近づいてくる恐怖を味わうといい」
朔夜は糸を手に戻すと叶笑をちらりと見た。
(その憎しみに満ちた顔が恐怖に歪む様をこそ見てみたい)
翼で上空から見ていたアリーチェも朔夜と同様の気持ちだ。
(喧嘩売ったことを後悔させて、助けてください私が悪かったです、って泣いて土下座させたい★)
しかもだ。
(8人で攻撃したらあっという間に召喚獣倒れちゃうんじゃないのー? 口ほどにもないなー)
上空から<花嫁>に火の玉を放ち、アリーチェはやれやれと息を吐いた。
そんな中、ウィズレーは洸太に聖なる刻印を刻みながら、叶笑を見つめる。
<花嫁>がやられる様を青ざめた表情で見守る叶笑。その表情は今は憎しみよりも恐怖と驚きのほうが強い。
まるで信じていたものに裏切られたかのように。
「この子はセーレの気紛れで利用されている……?」
人の命を簡単に遊びに利用する悪魔、セーレ。
彼女のやり口を、ウィズレーは何度も目の当たりにしてきた。だからこそ予測もできる。
あの戦いと同じ形の召喚獣。恨みを持つ信徒。
(セーレなら貸し与えたなどということはないはず。ならば……)
絣の矢。洸太の斬。白いドレスが横たわると同時に小さな悲鳴が短く響き、ウィズレーの予測を確信に変える。
●
なんで?
なんでこんなに呆気無くやられるの?
私の命がかかってるんだよ、何やってるの召喚獣?
体が震える。
目にも留まらぬ連携攻撃に、考えがついていかない。
出し惜しみしてたら負ける。
でも、全部殺されたら?
悪魔が笑う。もっと争ってよって笑う。
うるさい、うるさいうるさい。
殺される。
だから、その前に殺さなきゃ。
●
<獅子>が、<地蔵>が、動き出す。
その中で叶笑だけが動かない。総攻撃を指示する出来損ないの軍師のようだった。
<獅子>と2体の<花嫁>は互いの攻撃範囲をカバーするように突っ込んできた。それは策も何もない、がむしゃらな突進。
しかも<花嫁>の移動速度は<地蔵>のそれをはるかに上回る。結果<地蔵>の射撃無効をまったく活かしきれていない。
ディアボロや召喚獣を複数扱うには指示者にそれなりの軍師的な能力がいる。セーレはその能力が低いほうだが、彼女は生み出す召喚獣の数が桁違いなため物量で押し切ることができる。
だが、普通の、しかも弱い部類だった叶笑にそんな特殊能力があるはずもなかった。その結果がこの互いの能力を生かし切れない、意味のない突進だ。
それは逆に撃退士には好都合だった。
「<花嫁>の麻痺がやっかいだ。先にそっちから行こう」
的確な洸太の指示に従い、絣は狙いを絞る。<花嫁>は<地蔵>の範囲から外れている。絣の素早さから言えば撃ってくださいと言っているようなものだ。
――ヒュッ
アウルの矢が牽制のように1体の<花嫁>に突き刺さる。
洸太とカルマがそれぞれの武器に手をかけたときだった。
「待ってください」
ウィズレーの声が響く。
「何を待つ」
間髪を入れずに問い返すのは朔夜。カルマはウィズレーの表情にある事実を感じ取り、ちらりと叶笑を、そしてその後ろにいるであろう存在を見やった。
「彼女――叶笑さんは、利用されているだけかもしれません」
「利用?」
洸太も近づいてくる<花嫁>との距離を計りながら短く問いかける。良助が鎖を手に首を傾げた。
「どういうこと? 確かに彼女が召喚獣を持っているのはおかしいけれど……」
「セーレという悪魔がいます。先日の蓬莱山での戦いで、カルマと私はその悪魔がそっくりな、けれどももっと力の強い召喚獣を連れているのを見ました」
ウィズレーはなるべく早口で言うが、こうして話す間にも<花嫁>は距離を縮めてきている。
燐が無表情に指をさした。
「……来る」
<花嫁>よりも少し遅く、<獅子>も前進してきている。
洸太は白雪と月牙を抜き放った。
「話は相手をしながら聞こう」
カルマはウィズレーの判断を待とうという態勢だ。刀の柄を握りながら周囲を油断なく見渡す。
ウィズレーの言葉は続く。
「この3種類の召喚獣はおそらくセーレが関わっているでしょう。とは言え、セーレが自分の召喚獣を貸し与えるような真似をするはずがありません」
「アハッ、悪魔に騙されちゃった系?」
アリーチェが上空から笑う。そして遠くで立ち尽くす叶笑に聞こえるように声を上げた。
「変なシューキョー団体にも騙されちゃってもっと人を見る目、つけた方がいいよー★」
あはは、と甲高い笑い声が響き、叶笑がアリーチェを睨むのがわかった。
それは1体の<花嫁>が浮き上がったのと同時だった。アリーチェは上空でマジックシールドを展開するが、<花嫁>の一閃のほうが早い。かろうじて麻痺は免れるものの、浅くはない傷が腕に刻まれる。
だが、アリーチェの笑い声は止まらない。
「そこまでしてあたしたちを殺したいわけー? きゃはは、何でそんなに恨んじゃってるのー? ソレ、逆恨みって言うんだよ★」
「まったくだ」
朔夜も呆れたように息を吐く。
「で、彼女が悪魔に騙されているとしたらどうするつもりだ?」
「話をします」
ウィズレーの言葉に、朔夜は心底意味がわからないという表情になった。
「こちらを恨む敵だろう」
「セーレに騙されているのであれば被害者です。問題は彼女と召喚獣の間のからくりがわからないことですが……」
はあ、と大きくため息をつく朔夜。
「勝手にしろ」
洸太も白雪と月牙を翻す。
(人間同士のやることだから命までは取らず捕縛で済ませたい)
地上にいる<花嫁>から確かな手応えが帰ってくる。
(ただ、この状況になってまで助けようと思う程、自分を強いとも思っていない)
召喚獣は強いわけではない。けれども油断して勝てる相手でもない。少なくとも叶笑はまだ負けたとは思っていないだろう。
「事情はわかったけど、向こうが矛を収めてからだよ?」
「そうですねー……」
絣も思案げだ。
「助力は惜しみません。とは言え、叶笑さんはあくまでも敵ですからー……」
だから、見守ると。戦闘でもサポート役に徹する絣らしい意見だ。
燐はわからないと首を振った。敵は殺すものである彼女には「話をする」という対応は想像の範囲外だった。ゆえに判断がつかない。
「俺はウィズに従いますよ」
カルマは事情を知るゆえ、あっさりと言った。ウィズレーの発する「セーレ」という名前にどれだけの憎悪がこもっているか、カルマはよく知っている。
だからこそ今は失った力を取り戻すべく、アウルの力を借りる。結晶の翼が背中から生え、開く。銀の鱗粉がこぼれ落ちる。それは、『銀』の誇り。
最後に良助はじっと考えてから口を開いた。
「話して助けられるなら助けたい。でもその前にウィズレーさんの言う『からくり』を見破らないと駄目だね。矛を収めてからというのも当然だと思う」
「……ありがとうございます」
ウィズレーは刻印をカルマに刻みながら頭を下げた。
地上の<花嫁>の攻撃を洸太はガードし、カルマはかすり傷を負うものの、麻痺にはならず。
反撃するように良助の虎千噛が<花嫁>を食いちぎる。
燐がアウルを叩き込み、朔夜の黒蜘蛛が翻ったときに<獅子>が割って入った。
<花嫁>を集中攻撃する5人のうち、朔夜以外が<獅子>の炎を浴びる。燐が苦しそうに顔を歪めた。この攻撃は洸太のガードでは防ぎきれない。身をじりじりと焼く熱に洸太は周囲を見る。
「カルマ、良助、<花嫁>の引きつけを頼めるか」
「了解しました」
「任せておいて」
「<花嫁>の殲滅が先なのは変わらない。<獅子>は俺が相手取る」
「ねー、あたしの前のこれはー?」
上空、アリーチェは<花嫁>と1対1だ。
「1体倒すまで引きつけておいてもらえるか」
「きゃは★ それってなぶり殺してもいいってことー?」
「任せる」
羨ましそうに朔夜がアリーチェのほうを見た。
「ふん。そっちのほうが面白そうゆえ、私も加勢しよう」
燐は迷わず、自分を傷つけた<花嫁>を狙う。
「足止めは、私の役目ですよー」
絣の矢がアリーチェの前の<花嫁>に突き刺さった。
●
8人で集中して1体を倒せば早いが、こう混戦になると連携がしっかりしていてもなかなかうまく行かない。
とは言え、8人もそれなりの撃退士だ。傷を負うも相手に与えるダメージのほうが大きい。力を解放したカルマ、虎千噛を使い果たしても接近戦を挑む良助、素早い動きでダメージを与える燐、後方から雷を操るウィズレー。
4人の相手取った<花嫁>は素早い動きで4人を翻弄するも、何回かの攻防の結果、良助が仕留めた。
同時に良助は叶笑を見る。青ざめた苦しそうな表情。胸を押さえ、悲鳴を噛み殺すかのような口元。
それは「悔しい」という感情だけでは表現できない何かを感じさせた。
「ウィズレーさん、セーレって悪魔はそんなにひどいやつ?」
「そうですね、人を玩具のように扱います。どの悪魔も多かれ少なかれそうですが……セーレはそれを見せつけて楽しむところがあります」
良助は足元に倒れた<花嫁>を一瞥し、ヨルムンガンドを抱え直した。今度は上空の<花嫁>を狙うためだ。
上空を狙えないカルマと燐は洸太の援護に即座に回る。
「ウィズレーさんも最後の<花嫁>が倒れたときのあの子の様子、見ててもらえないかな。……嫌な予感がするんだ」
「わかりました」
ウィズレーもそのまま<花嫁>狙いだ。
最後の1体の<花嫁>は未だ回避にも攻撃にもキレがある。アリーチェは麻痺にこそなっていなかったが、マジックシールドを使っても攻撃が当たることに小さく舌打ちをした。
アリーチェと朔夜の現状ではどうしても与えるダメージも小さく、攻撃を当てるのがギリギリだ。絣の矢は何度も牽制のように<花嫁>に突き刺さったが、良助とウィズレーの援護がくるまでの間は接戦だった。
それでもアリーチェと朔夜の余裕は続く。それは「負かしてやりたい」というよい意味での気の強さゆえだろう。叶笑と対話する気がないため攻撃に対して気を使う必要もない。遠慮どころか積極的に潰す気満々だ。
朔夜の鬼蜘蛛が翻り、<花嫁>の胴体を切り裂いた。それが致命傷となり、最後の<花嫁>が白いドレスを朱に染めて地に落ちる。
「――ッ」
苦しそうな声が叶笑から漏れた。「悔しそう」ではない。「苦しそう」な声だ。呼吸も荒いように見える。足元もどこかふらついているようにも見える。
あからさまにおかしい。
良助とウィズレーは顔を見合わせた。
「どうかしましたかー?」
駆け寄ってきてアリーチェに応急手当を施しながら絣が首を傾げる。
「この召喚獣を倒すと、叶笑さんの体に影響があるのかも」
「……え?」
良助の言葉に絣はきょとんとした表情をする。それでも手当の手は止めないのはさすがだ。
「例えば、全部倒すと死んじゃうとか……」
「好都合じゃーん★」
アリーチェが言うも、ウィズレーは首を緩く振った。
「セーレらしいやり口です。全部話せば、説得に応じてくれるかもしれません」
途端に嫌そうな顔になるアリーチェと朔夜。
「説得? 知らん」
ため息をつくと朔夜はそのまま<獅子>のほうへ向き直る。
「甘いことを言うのは<獅子>を倒してからにせよ。まだあれはこちらに害意を持っている」
アリーチェも手当が終わるとすぐに上空へと飛び立った。<獅子>は飛ばないし<地蔵>は攻撃する気配がない。今度こそ上空は安全圏内だ。
絣は天波を再び構えた。
「彼女を傷つけるのは気が進みませんが、必要以上に手加減するつもりはありません」
絣にあるのは芯の通った考え方。
「とは言え、お二人の助力はするつもりです。存分に」
絣にとって7人の仲間は自分より年下の(あくまでも学年的にではあるが)「守るべき存在」だ。懐に入れたものを突き放すような考えは絣にはない。
<獅子>に牽制の矢を射掛け、「行きなさい」と短く伝える。
良助とウィズレーは<獅子>を任せ、叶笑の傍へと走った。
状況をつまらなそうに報告したのは朔夜だった。
「ここは頼みます」
カルマはウィズレーを追って走りだそうとする。
「わかった、倒さないようにしておく。ただし、説得に失敗したら、俺にまかせてもらうよ」
「心得ました」
洸太の言葉にカルマは神妙に頷く。燐も洸太とカルマを見比べ、少し迷った後、
「……見て、くる」
ゆっくりとした足取りで叶笑のほうへ向かった。
容赦がないのはアリーチェと朔夜だ。アウルの炎が2人から獅子に手加減なくぶつけられる。
「狙うなら足を狙ってくれ」
洸太が状況を見ながら2人に言うとアリーチェの笑い声が上から降ってきた。
「きゃはは。幼稚園児ならまだしも、中学生くらいで人を殺す意味が分からないなんてあり得ないじゃん」
アリーチェは楽しそうに言う。
「そも、この戦いは先に聖女側が街中でテロって大量無差別殺人したわけで因果応報」
「まあ、ね」
洸太も絣もその意見には頷けるものがある。
相手が人であるゆえ助けたいとは思うが説得までして助けるのもどうだろう。
洸太は苦い顔で説得に行った4人と何もすることなく浮かんでいる<地蔵>5体を見た。翻り、やはり手加減するつもりはなさそうなアリーチェと朔夜を見る。絣の矢は<獅子>の鼻先すれすれを飛び、洸太を狙うのを難しくさせていた。
説得が長引かなければ、洸太は防御さえしていれば<獅子>が倒れることもない。<獅子>が倒れなければ、<地蔵>に攻撃の余波がいくこともないだろう。
(悪魔に踊らされるのは不愉快かな)
話に出てきたセーレという悪魔のことはあまり知らないが、たちが悪いらしいことは知れた。だからこそ、無防備に説得に行った4人の代わりに、洸太は叶笑の、そのさらに後ろに目を凝らす。
凝った悪意さえ見破るように、鋭く。
●
4人がやってくるのを見て叶笑はぎょっとした顔になった。けれども、走って逃げる体力ももう残っていないようだ。
うずくまってしまいそうな揺らぐ体で、一歩後ずさる。
逃げるに逃げられぬ叶笑をあたたかなアウルが包み込む。ウィズレーが手を差し伸べていた。
「私はウィズレー・ブルーです。叶笑さん、といいましたね」
その手から逃げるように叶笑はまた一歩後ずさった。
「来ないで、私、あなたたちのこと――」
「人を殺しても、良い事は何一つありませんよ」
カルマの言葉には言い知れぬ重みがあった。それは多くの命を屠ってきた重み。それに気づいたからこそ叶笑はごくりと息を飲む。
だが、すぐに叶笑は気を取り直したようにポケットからナイフを取り出した。
「来ないで!」
手が震えているのに気づいたのはその場にいた全員だった。
良助が一歩前に出る。ウィズレーは目配せをして生命探知を行った。
気配がないのはセーレがいないからか、それとも。
(来るとしたら背後からでしょうね)
ウィズレーは叶笑を守るため、叶笑と背中合わせに立った。それを補佐するようにカルマが脇に控える。
ナイフを出しても恐れぬ様子のないウィズレーとカルマの行動に、叶笑は震えた。背に控える2人を感じ、目の前の良助、そのわずか後ろに控える燐を見て、叶笑は目をつむって叫ぶ。
「来ないでってば! 本当に殺すから!」
燐はじっと叶笑を見る。何故、自分の他の3人がここまで必死なのか、理解しようとするかのように。
良助はナイフを構えた叶笑とまっすぐに対峙した。
「そんなに僕達が憎い?」
返事はない。ただ、ナイフが揺れた。
「なら召喚獣なんて使わずにキミ自身の手で僕を攻撃しなよ」
良助は一時的に魔具を格納し、両手を広げた。
「良助……っ!?」
洸太の叫びが聞こえたのと、叶笑が叫んだのはほぼ同時。
「――ッ!!」
それは雄叫びというよりは追い詰められた獣のような声。
ドン、と。
叶笑の体が良助にぶつかった。
ナイフが、腹部にめり込んだ。
「あ、あ、……」
ナイフを引き抜けば、真っ赤な血があふれる。
目を見開き、よろよろと叶笑は後ずさった。
ケホン、と良助は咳き込む。血を吐き出した。
「いや、ちが……っ」
目の前の光景を否定するように、叶笑は首を振る。
「いやあああああああああああっ」
<獅子>が、<地蔵>が、止まった。
応急手当をもった絣が慌てたように駆けてくる。
けれども良助は自分の足で立ったまま、告げた。
「人を殺すのは怖い? なら殺し合いなんてやめようよ」
良助は手を伸ばし、叶笑に触れる。
「聖女さまを思うなら自分が生きることを考えろ! 僕はキミを殺さない」
震える叶笑に燐が淡々と問いかける。
「ねぇ……貴方は自分が今してること、いいことだと思ってる……?」
本当は人を殺すことがいいことなんて思ってない。燐は強くそう思う。それは彼女が置かれた境遇ゆえ。
(彼女も本当は悪いことだって分かってるんじゃないかな?)
だからこそ、ゆっくり問いかける。
「人の敵の悪魔と手を組んで……私達と戦うのは、貴方にとって本当にいいこと……?」
絣が良助を叶笑から引き剥がした。良助は気を失い倒れこむ。慌てたように絣は応急手当をする。
燐のまっすぐな視線と問いかけ。
叶笑は燐をじっと見て、首を振った。
「人が死ぬのはイヤ。聖女さまが死ぬのもイヤ。……あなたたちのことはまだ信じられない。でも……その人には、死んで欲しくない」
叶笑は絣から手当を受けている良助を見た。
<獅子>が止まり、洸太とアリーチェ、朔夜もこちらへとやってくる。朔夜はあからさまに舌打ちのおまけもつけた。
ウィズレーはおそらく叶笑が把握していないだろう現状を告げる。『小楽園』は包囲したこと。その上で外奪が全国に散らばる悪魔を集めて、撃退士たちを包囲、撃退士たちはそれを打ち破ったこと。そして、聖女たるツェツィーリアがゲートらしきものを開けようとしていること――。
「その上で学園では貴女の聖女様を処分ではなく学園で確保したい意思もあります。それにこのままでは貴女の聖女様は更に悪魔に利用されるでしょう」
「そんな……」
「ここで貴女が騒ぎを起こすと、今後、学園側は貴女を危険人物とみなし、聖女様に会わせないという方針をとる可能性もあります」
「……っ」
「お願いです、今は刃を収めてください。私は貴女の邪魔をしたいわけではないのです」
「本当に……?」
叶笑がウィズレーを見つめる。ウィズレーは手を差し伸べた。
「貴女が死なない方法を私は選びたい」
叶笑は血で濡れたナイフを手から落とした。涙で真っ赤になった目でウィズレーを見つめる。
「信じて、いいの……?」
「ええ。守ります。信じていただけませんか」
「ウィズ」
カルマが鋭い声で名を呼んだ。
「うん、なかなか面白い余興だったよ」
近くの木の上にセーレが座っていた。
●
「説得すると言ったやつがウィズレーと叶笑を守れよ」
洸太はそう言いながらも式鬼「盾身」を使用する。未だ扱いになれない式鬼だが、仲間を守るには都合がいい。
燐がその言葉にこくりと頷いた。
「<地蔵>と<獅子>を殺されると厄介だ。そっちの防御を――」
絣は首を振る。彼女の腕の中には出血で気を失った良助がいる。彼を見捨ててまで叶笑を守ることはできない。
アリーチェと朔夜はつまらなさそうに洸太を見るだけだ。彼女たちはもとより叶笑を守る意識は薄い。
カルマはウィズレーと叶笑を守るように既に態勢を整えている。そんなカルマを叶笑は不思議そうに見、そしてセーレを見た。
「悪魔……」
「そんな程度の覚悟だったの? キミには失望したけど、まあいいか。ボク、もう疲れちゃった」
セーレはパチンと指を鳴らす。すると、動きを止めていた<獅子>が消えた。ガクリ、と叶笑が膝をつく。胸を押さえて、ゲホゲホと咳き込んだ。その咳に血がまざる。
「しま……っ」
カルマも洸太も予想していたことだったが、こうも簡単に消されてしまうと対応できない。
叶笑の残りの命は<地蔵>5体。
どうする、と洸太は自問する。血を吐いて咳き込む叶笑。出血のせいか動かない良助。場に緊張が走る。
それを破ったのは皮肉にもセーレだった。
「安心して。それなりに楽しいものが見れたからボク、満足なんだ。今回は見逃してあげるよ」
セーレは伸びをするとご丁寧に欠伸のおまけをつけた。
「みんなは楽しかった?」
「セーレ……っ」
ウィズレーの声に怒りがこもる。それを遮ったのは朔夜だった。
「何をもって楽しいと?」
「ん?」
セーレがきょとんとする。朔夜は言葉を続けた。
「人と人が争う絶望やら苦悩やらを望んでいたなら生憎だが、そのようなもの皆無だ。くだらぬ余興に付き合った感謝が欲しいくらいだよ、小童」
その言葉に珍しくセーレが黙った。じっと朔夜を眺めて口を開く。
「キミは、今の自分の立場を理解して、それを言ってる?」
「わかってるとも。それと、年上には口を慎め」
「南雲さん、挑発は危険です。セーレは……」
ウィズレーが言葉を挟むとセーレはため息をついた。
「ボクは」
セーレは羽を広げる。
「悪魔同士で戦うのは嫌だな。はぐれは別だけど。けど、撃退士は違うのかな。だったら……つまらないね。相手にする価値もないや」
「ふん、負け惜しみか」
「セーレ、待ちなさい!」
「ウィズ」
ウィズレーが攻撃態勢に入るのをカルマが留める。洸太が良助と絣を守るように動く。絣が良助を抱きながら、安心したように頷いた。
重体者がいる中、手負いとは言え悪魔と剣を交えるのは危険すぎる。それは賢明な判断だ。
「しばらく普通の人間とだけ遊ぶことにするよ。じゃあね」
セーレが飛び立つ。
「悪魔、これ……は……」
叶笑がかすれた声で残った<地蔵>を指さすと、セーレはようやくいつもの笑みを浮かべた。
「そこの人たちに泣いて頼んでみたら? きっと喜ばれるよ」
それを最後にセーレは消えた。
どこかほっとしたように叶笑が崩れ落ちた。咄嗟に燐が抱き止める。燐の腕の中に、叶笑のぬくもりが伝わってきた。
「……生きてる」
微かに嬉しそうに燐が言う。
「そのほうがいいんじゃないー?」
アリーチェは猫のような目を細めて笑う。
「犯した罪深さを知って絶望するといい★」
そう、学園が聖女を保護したからといって、『小楽園』の犯した罪が消えるわけではない。すべてを背負って叶笑は生きていかなければいけない。
ウィズレーは複雑な表情をして叶笑を見た。
救いを求め、すがって、生きながらえて、罪を背負う。
それを仕組んだのがすべて悪魔なのだとしたら、やはり救われない。
それでも絣は良助の血で濡れた手で、叶笑の髪を撫でた。
「説得に応じたあなたを歓迎しましょう」
●
それはもしも、の話。
力に目覚めたとき、それを怖がらず認めてもらえたら。
誰しもが久遠ヶ原学園への道を教えてもらえていたら。
これは、そんな小さな曲がり角で恵まれなかった少女の一幕。
救いたくて、でも救われない、そんな小さな事件。