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未だ、雨は止まない。
幾分か血の匂いの薄れてきた教会に戻ってきたのは谷崎結唯(
jb5786)とリディア・バックフィード(
jb7300)だ。
指輪を渡すか渡さないかは新婦たる女性次第だが、とにかく指輪はまずクリーニングすることになった。ウィズレー・ブルー(
jb2685)と蓮城 真緋呂(
jb6120)、九条 泉(
jb7993)の3人が中心になって手近な貴金属店に指輪のクリーニングをお願いしている間、結唯とリディアは新郎についてできる限り調べておくことにしたのだ。
(新郎さんは最期、何を願い何を語ったのか……)
リディアは教会に踏み込みながら思う。
被害の爪あとは片側に集中していた。おそらくはそちらがほぼ助からなかったという新郎の関係者がいた場所なのだろう。
結唯はまっすぐに新郎と新婦、そして神父がいたであろう場所を目指し、床を見た。
「神父が生きているかもしれないな。血痕が少ない」
「それがわかれば充分です。戻りましょう」
あとは証言を集めていくしかない。
(大切な人の最期を知る)
リディアは教会から出ると金の髪をかきあげた。
(死者は戻りませんが新郎の行動は調べられます。そして、調べた記録やその記録から辿れる意思は不滅です)
「これからどこへ?」
結唯の言葉にリディアはしっかりと答えた。
「警察へ。それから関係者に話を聞きます。結婚式の様子を撮ったビデオやカメラがあれば、それも調べたいです」
「付きあおう」
結唯は淡々と言った。
「新郎の最期、それがどのような最期だったか。最も知りたい情報の一つであるはずだ」
思いは同じ。2人は場所を移動することにした。
久遠ヶ原学園の名を出すと警察も地元撃退士も快く協力してくれた。
新郎の友人が撮っていたという結婚式のビデオを見せてもらう。
初めはごくごく普通の、幸せな結婚式だった。
それが惨劇に変わったのはちょうど指輪の交換のとき。透過能力を使い、壁から突如現れたのは黒い影のようなディアボロ。いたぶるように一人ずつ殺していく。悲鳴と怒号が渦巻く。
ディアボロが新郎新婦のほうへと向かったとき、ビデオの画面がブレた。おそらくここでビデオの撮影者が逃げ出したのだろう。
新郎が新婦を庇い、何か叫んだのを最後に、ビデオは途切れた。
今度は関係者から話を聞くべく、リディアと結唯は新郎の友人が入院しているという病院へ向かった。
「よお」
病院の前では手持ち無沙汰といった風情で赤坂白秋(
ja7030)と心配そうな表情の華愛(
jb6708)が待機していた。
大きくはない街での事件だ。病院はここ一つらしい。
「そっちは頼みました」
「頼まれても新婦次第だがな。何かあったら連絡くれ。可愛い子からの連絡なら大歓迎だ」
「華愛に連絡する」
結唯の言葉にこくりと華愛が頷く。がっくりと肩を落とす白秋にリディアはご愁傷様と軽く手をあげた。
中へと入っていく2人を見送り、白秋は空を見上げる。
「……こんな話聞かされて、ゆっくり温泉に浸かれって? そいつは無理な相談だ」
医者の許可をもらい、リディアと結唯が面会したのは新郎の友人だった。新郎側の参列者で助かった数少ない人物であり、ビデオを撮っていた人物でもある。
ショックのせいか青白い顔の男性に、リディアは声をかける。
「撃退士のリディア・バックフィードです。ご協力をお願い致します」
「同じく谷崎結唯だ」
がくがくと震える男性にリディアはそっと触れ、友達汁を使用する。
「これは、悪意の塊のような事件ですね」
うっすらと涙を浮かべ、頷く男性。彼も大事な友人を失った被害者だ。悲しみのほどは察するに余りある。リディアが新郎の末期の行動を探していると告げると、男性は思い出したのか苦しそうな表情になった。呼吸するのも苦しそうに胸を抑える。声が出てこない。
「大切な記憶、私に託して頂けませんか?」
リディアが助け舟を出すようにシンパシーを使ってもよいか、提案した。男性は辛い記憶と戦うように頷く。
結唯が見守る中、リディアは男性の額に手の平を当てた。流れこむのは小さなチャペルでの惨劇。
ディアボロがなだれ込み、倒れていく人々。撃退士に応援を頼む声、逃げ惑う人々。そんな中で男性は新郎を助けようと一歩踏み出した。
新郎は新婦と神父を庇うように押し倒し、上から覆いかぶさっていた。新婦が悲鳴を上げる。新郎の名を呼ぶ。
ディアボロの持っていた黒い刀が、新郎の背をなぶるように斬る。リディアですら目を背けたくなるような、なぶり殺し。
そんな中で、新郎は言った。
――生き残れ。
――生き残って、幸せになってくれ。
――どうか、笑って。
新婦は泣いていた。あなたがいなくちゃ幸せになんてなれない、と。
男性も同じ意見だったに違いない。死ぬな、と叫んで新郎のほうへ駆け寄ろうとしたとき、仲間に腕を掴まれた。逃げるぞ、と告げられ、彼はかろうじて生き残った。
助けられなかったという負い目を背負って。
「……」
リディアはそっと男性の額から手の平を離した。
何を告げればよいのだろう。一度手の平に顔を埋める。
「無念は晴らします。首謀者には贖罪を必ずさせます……」
リディアに言えることはそれだけだった。
新婦の元には行かないとリディアは告げた。結唯は先に華愛に状況を連絡し、そちらに合流するつもりだったため、当然のことながら「どこに行くのか」と聞いた。
「新郎の墓前へ行きます。新婦の結果は連絡をください」
結唯の了承の言葉を聞くと、リディアは一人病院を後にした。
雨はまだ降っている。
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綺麗になった指輪を箱に収め、ウィズレーは皆から数歩遅れたところを歩いていた。
彼女は、指輪は返すべきだとは思っていても記憶を戻すことが良いか否かの最善を選べずにいた。
波風は立てぬ性格ゆえ、皆の行動のフォローに回ることにしたがそれでも迷いはまだ胸にある。
(人も天使も怒り、責め、傷つきますが、忘れられるのは確かにとても哀しい)
ウィズレーは手の中にある指輪の箱へ視線を下ろす。
(でも、忘れる事は罪なのでしょうか)
人の強さは忘れることができること、という言葉もある。
(遥か昔の大事な存在との別れ。辛くて、辛くて、忘れたいと思った。でも忘れられずに今もこの胸に)
そっと胸を押さえると薄い青の髪が揺れた。
(ただ、この気持ちを大事な存在にさせる位なら、私の事等忘れてもらってもいいとも思うのです)
優しさゆえの迷い。
そして強さゆえの皆の決断。
ウィズレーが迷う間に、皆は新婦の病室の前に立っていた。
「……そういえば新婦さんのお名前聞いてへんだね」
泉が気づいたように言う。案内をしてきた看護士が小首を傾げて笑った。
「はな、さんといいます。撃退士の皆様でしたら大丈夫かと思いますが、何かあればすぐに呼んでください」
「わかりました」
真緋呂が頷くと代表して病室のドアをノックした。
「……」
心配、なのです。華愛が祈るように状況を見ている間、病室から出てきた新婦――はなの家族と話し始めたのは真緋呂と泉だった。
家族といってもはなの母親が一人。父親と妹は怪我を負い、別室で治療中だと言う。
(幸せな記憶を思い出すんが……いっちゃん残酷やなんて……そんでも……忘れたらんとって欲しいて思うんは、ウチの我儘なんかもね……)
泉は丁寧に母親に挨拶をする。
怪訝そうな表情の母親に泉と真緋呂は来訪した意図を告げる。
「辛い記憶を思い出すんを望んでる訳や無い……せやけど、幸せやった記憶を忘れてまうんは寂しいよって……。二人の幸せな記憶を持っとるんは、今はご家族の方だけやて……な……」
「愛した人を忘れたままなのは哀し過ぎます。けれど思い出す事はリスクも伴うかもしれません」
真緋呂はまっすぐに母親という女性を見た。
「それでも彼の存在を否定して欲しくないから、記憶を取り戻すよう働きかけます。ご了承いただけますか」
迷う母親の背を押すように泉も言葉を続ける。
「娘さんの辛い姿を見とう無いやろて……ご家族さんにとっても辛い事や思う……無理に思い出せとはよう言わん……けど……そんでも……ちょっとの可能性の為に……協力したって欲しい……」
2人の言葉に勇気をもらったように華愛もおずおずと告げた。はなさんの記憶を取り戻させてあげたい、と。
「娘は、辛くないでしょうか」
母親はさすがに困惑したようだ。
「辛くて忘れたんです。思い出したら、どうなるのでしょうか」
ウィズレーは答えられない。真緋呂が口を開こうとしたときに、先に言葉を投げ捨てたのは白秋だった。
「決めるのは新婦だ」
そのまま、一人先にはなが寝ている病室へと入っていく。
「ちょっと待って」
フルートの演奏で慰問学生を装おうと思っていた真緋呂は慌てる。ウィズレーが安心させるように、真緋呂の肩に手を置くと白秋の後を追った。続いて母親に頭を下げ泉が、華愛が、傍観していた結唯が、中へと入っていく。
真緋呂は母親を宥めながら、はなの好きな曲を尋ねた。
病室は真っ白だった。
ぼんやりと窓の外を眺めていたはなは見知らぬ男性が近付いてくるのに、不思議そうな顔をする。
「久遠ヶ原学園から参りました。……今回は、その……哀しい事が、起きてしまったのです……」
華愛が慌てて自己紹介をするのを制して、白秋ははなのベッドの横に腰掛ける。
「例えばの話だが――あんたがちょっと辛い事があった時、ふと見ると足元で花が咲いていた。その花を見ると、何故だかちょっと元気になれた。……何でだろうな、不思議な花だ」
突然の話にはなはきょとんとしながらも白秋の言葉を黙って聞く。
「その花は至るところに咲いている。あんたが辛い時、楽しい時、悲しい時、嬉しい時、ふと見ると必ず何処かで咲いていてあんたに力をくれる。ああ、不思議な花だな」
ベッドサイドには花が活けてある。それを一本引き抜くと、白秋は花びらを一枚ちぎった。
「その花が、ある日目の前で獣に喰い千切られてしまった。無残な姿になった花は萎れ、爛れ、腐り、枯れてしまった。もう、どんな事があっても、あんたの目の前にその花は咲かないだろう。そうなったら、あんたはどう思う?」
白秋の手から花びらがはらりと落ちる。それを見てはなは考えながら言った。
「……悲しいと、思うわ」
「そうか。ならもう一つ聞かせてくれ。あんたはその花の記憶を、どうしたい? 忘れたいと思うか? 覚えていたくないか? その色を、香りを、姿を、その花の名前を、あんたは、忘れちまいたいと思うか?」
はなは、はっきりと首を振った。
「何のたとえかはわからない。でも、忘れたくないと思う」
「生き残って幸せになってくれと願った男がいた。笑ってくれと言い遺した男がいた」
白秋の言葉にフルートの音色が重なった。はなが顔を上げると真緋呂がはなの好きな曲を演奏していた。
「お好きな曲だって聞いたの。何か思い出でもあるのかしら」
「思い出……」
はなが呟く。
「悲しみは乗り越えた時力になるとか、それを背負って生きて行く事が美しいとか、色々理屈を言う事も出来るが、人間、結局は理屈じゃねえと俺は思う」
白秋は花びらを千切った花をはなへと差し出した。
「悲しい事は忘れたいだろう。なら、忘れたくない事は何だ?」
「忘れたく、ない、事?」
オウム返しに尋ねたとき、泉が口を開いた。
「ウチ……こないだ大事な家族に庇われて大怪我させたとこやて……下手した新婦さんと同じ状態になっとったかもしらん……」
「同じ、状態?」
はなは、頭を押さえた。
「亡くして耐えれるかどうかもわからへん……そんでも……辛いからて忘れてしもうた、自分の為に生きてくれた人の想いまで、見んふりするいう事や思うから……。何の事やわからんでもえぇ……ただ……貴女を想う気持ちが、今も側に居るよっていう事だけでも覚えとって欲しい……忘れんといたって欲しい……」
フルートの曲が変わった。
「母が教えてくれた曲。もうこの世にはいないけれど、私が覚えている限り私の中で生き続ける。だから私は忘れないの」
真緋呂はきっぱりと言った。
「忘れ……」
――生き残って、幸せになってくれ。
――どうか、笑って。
はなの耳元に響くのは。
辛くて辛くて辛くて辛くて耳をふさいだ、あの、優しい、声。
忘れたくない事、は。
「あ、あ、あ、」
がたがたとはなが震えだした。
ウィズレーが慌てたように前に出る。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
喉の奥から絞り出すような悲鳴。
(命をかけて一生、新婦を守ると誓った一人の男がいた。辛いかも知れんが記憶は思い出すべきだ)
それがこの時。結唯は黙って見守る。
ウィズレーの手がはなの背中を撫でる。そっとマインドケアをかけると、悲鳴は収まり、がたがたとただ震えるだけになった。ぼろぼろと涙が溢れ出る。
そのはなを抱きしめたのは泉だ。同じような辛い気持ちを抱えてきた泉だから、はなの涙が理解できる。我慢できないように泣きだした。
「あ、あの、大丈夫です。大丈夫です、よ」
華愛も必死に落ち着いてもらうように声をかける。
「苦しかったら泣き叫べばいい。我慢する必要はないよ。だけど孤独にはならないで。ご家族の手を忘れないで」
真緋呂もそっとはなの手を握った。
白秋は立ち上がる。
「ウィズレー。指輪を渡してやってくれ」
ウィズレーは迷うような間の後、はなの手に指輪の箱を握らせた。
「実のところ俺達は、これを届けに来ただけなんだ。その花がこの世で一番似合ってるのは、あんただろうからな」
ひらり、と片手を振ると白秋は病院を出た。
違和感を感じて視線を上げると、雨は止んでいた。フン、と小さく笑う。
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後日、華愛が新郎の墓に花を手向けにくると、そこにはリディアもいた。
「新婦さん、苗字を新郎さんのものに変えたんですってね」
斡旋所で情報の仲介をしてくれた少女から聞いたことをリディアは呟くように言った。華愛は頷く。
「もう忘れないって、言ったそうです」
「強いですね」
リディアは晴れ渡った空を見上げた。
――生き残って、幸せになってくれ。
――どうか、笑って。
覚えて生きていくのは辛く、苦しい。
どうやって幸せになればいいかなんてわからない。
体を、心を、悲しみは蝕む。
それでも、生きていくしかないから。
ただ、悪魔がつまらなさそうに、晴れた空を飛んでいった。