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霊査精密研究室に6人の撃退士が現れたのは天使の攻撃が再開されてからだった。遠くで響く剣戟の音。
覚悟を決めた研究者たちと撃退士たちの間には特別に作られたケースが置かれている。
雫の共鳴を防ぐケース。
それを運ぶために撃退士たちが選んだのはストレッチャーだった。また各々ハンズフリーの通信機も用意してある。
集まった6人の思いもそれぞれだ。
「……確かにお預かり致します」
赤い瞳をまっすぐに研究者たちに向け、ケースをまず手にとったのは佐藤 七佳(
ja0030)だ。一人で持つにはやや大きなケース。
(他の皆様の思いが詰まった大事な仕事ですね……頑張らなくては)
ストレッチャーを押して静かな決意を抱くウィズレー・ブルー(
jb2685)。その上に顔と毛布に血糊をつけながらクロエ・キャラハン(
jb1839)が腰掛けた。
(天使が人類から奪ったものの多くは取り返せないが、せめて代償は取り立てるべき。よって、雫は人類が有効活用してやるのが筋)
クロエは七佳からケースを受け取るとにんまりと笑った。
(それに天使の思惑を妨害できるなんていい気味)
クロエがケースを抱くようにしてストレッチャーの上で横たわるとウィズレーが血糊のついた毛布を上からかぶせた。こうして怪我人のふりをして護送する作戦だ。
「ぬぬっ……これはセキニンジューダイなんだよっ」
むぅと難しい顔をするのは新崎 ふゆみ(
ja8965)。金のツインテールが揺れるのを横目で見ながら、崖ヶ岳 無縁(
ja7732)は白衣を羽織った。
「欲しがられると、あげたくなくなるね」
「うん、あげちゃダメなんだよっ☆」
「大丈夫、今から僕たちは重傷者を運ぶからね。雫? 知らないなあ」
気負いなくとんとクロエが抱えるケースの上に手を置く無縁。
(様々な想いが結び付き、雫は今我等の元にある。……そう易々と奪い返されるわけにはいかん)
ダニエル・クラプトン(
jb8412)は研究者に一礼した。
「貴殿らの勇気に賛辞を贈りたい」
研究者たちは首を振る。
「運送をよろしくお願い致します」
「……だが雫よりも貴殿らの命の方が尊い。身の危険を感じたら逃げて欲しい、頼む」
「ありがとうございます」
研究者たちは誇り高い撃退士に深々と頭を下げ返す。
「そういえば、雫のレプリカとやらは数に余裕はあるのかな」
無縁の言葉に研究者たちは不思議そうに頷いた。
「数個でしたら」
「じゃあひとつもらえるかい」
無縁は研究者からレプリカをひとつ受け取る。白衣にねじ込んでいたおもちゃのブーメランを取り出すと手早くその先にレプリカを括りつけた。
ダニエルが箱に手をかける。これで3人の撃退士がケースに触れた。
「ひっそりこっそり、タクハイビンするんだよっ……☆」
小声でふゆみが言い、握りこぶし。
「では、参りましょうか」
ウィズレーの声にケースに触れている3人がアウルを流し始める。それは目には見えぬ共鳴が止まった瞬間。
「迅速に行動ね」
七佳が呟くように言うと先に立って歩き出す。その後をストレッチャーを押したウィズレーたち一行。そして最後尾をふゆみが務める。
(雫は我が身を省みずに守る。それが力持つ者の義務、ノブレス・オブリージュだからだ)
ダニエルは決意を胸に秘めながら、もう一度研究者たちを振り返って黙礼をした。
これから2時間以上の護送作戦が始まる。
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選択したルートは西研究棟から中央研究棟を通過、裏口から駐車場に出て屋内実験棟を経由、東研究棟に至る遠回りのルートだ。スピードよりも安全性を優先した。これによってアウルを流し続ける時間が増えるがそこは交代でしのぐ。
それよりも問題は西研究棟から中央研究棟に至る手前の空間だった。南北がガラス張りになっていて通過するとき斥候に見つかる可能性があるという。
雫を移動させていることを悟られず、もし見つかったら口封じのために斥候はすべて殲滅するべき。少なくとも七佳は「輸送していることがけっしてバレない」ことを一番に留意していた。安全に運搬することが目的な他のメンバーとは覚悟が違う。それは危険ではあるが大事なことでもあった。
霊査研究室を出てからしばらくは静かだった。剣戟の音も遠く、西研究棟を直接襲う敵はまだいないようだ。ウィズレーの押すストレッチャーの音だけが響く。
緊張した重苦しい空気が続く。アウルを流し続ける者は思った以上にそれが体に負担のかかることだと分かり始めていた。
普通は戦闘などの際使用するアウル。爆発的な力を短期決戦で使用する。だが今回はできるだけ抑えた力を長時間使い続けなければいけない。遠距離ルートを選ぶデメリットはそこだ。
交代などに気をつけなければいけないなとクロエが考えを巡らせていると七佳がまず足を止めた。
「ほえ?」
最後尾のふゆみが首を傾げ、それから「あ☆」とウィズレーを見た。
最初の難関と言われた、中央研究棟の手前の空間。ダニエルも慎重に視線を動かす。
ウィズレーは阻霊符を用意しながら目を伏せる。生命探知を使用する。
「生命反応は……複数ありますね。北側が……5つ、南側が7つ、でしょうか。空中にも反応があります」
「輸送班だけ2階に回る?」
無縁が提案するが、七佳が首を振った。
「上空の敵が追ってきたとき対処できないわ。私とふゆみさんが囮となって引きつけておくうちに護送チームが全力で通過したほうが安全かと」
「うんうん☆ ふゆみにおまかせなんだよっ」
最後尾にいたふゆみがストレッチャーを守るように前に出る。
「陽動が敵を引きつけたら阻霊符を発動、全力でストレッチャーを押しますね。何かありましたら……」
ウィズレーが言って、各自つけているハンズフリーの通信機を指さす。
「できれば外に出たいな」
窓ガラスを割るのは避けたいとクロエが言うも、ここから一番近い出入口は中央研究棟の正門と裏門だ。ウィズレーが心配そうに口を開く。
「現地の撃退士の力も借りれると聞いています。中央研究棟の撃退士に此処をお任せすることも……」
「……余計な手間はかけさせたくないわね」
七佳が少し迷うように言った。
「確実を期すなら、囮はもう少し欲しい所だけれど……精々派手に暴れてくるわ」
「危険ではないか、佐藤殿」
ダニエルが渋い顔を作る。ふゆみは二つに分かれた意見にきょろきょろと視線をさまよわせるがぽん、と手を叩いた。
「ふゆみなら大丈夫だよ★」
「じゃあ決定だね、表で引きつけてもらっている間に僕たちは中央研究棟まで走ろう」
無縁の言葉で方針が決定した。
七佳が南側の端を、ふゆみが北側の端を走りぬける。
「カウント取るね」
クロエが通信機へと声を送る。
「3、2、1……0」
同時に七佳とふゆみが駆け出し、ウィズレーが阻霊符を発動した。
七佳の緋色の儀礼服の裾が翻る。ふゆみの金の髪が踊る。小型のサーバントが気づくくらいの速度で2人は駆け抜けるとサーバントたちが攻撃しようとする前にそこを通過した。
サーバントたちは撃退士が中で動いたことに反応し、ぞろぞろと壁ぞいに移動していく。
「接敵するわ」
七佳の端的な言葉が通信機に響いた。
運送担当の4人は視線を左右に動かす。こちらを見ているサーバントはいない。
「移動開始」
クロエの指示でウィズレーと無縁、ダニエルはストレッチャーを押して駆け出した。
(ケースから手が離れれば敵に見つかってしまう。であればこの手を離すわけにはいかんだろう)
ダニエルはアウルを流しながら、周囲を見渡す。
(たとえ我が身が傷つこうとも、だ)
幸い、ストレッチャーの姿はサーバントたちに気付かれなかったようだ。無事中央研究棟まで辿り着くとウィズレーはストレッチャーから手を離した。回復はウィズレーの担当だ。
(どうかご無事で)
中央研究棟の中は不気味なほど静かだ。ウィズレーは祈るように目を伏せた。
北側の露払いのふゆみの口調は明るい。
「ブッコロ★しちゃうぞっ!」
敵5匹のうち、2匹は焔の蝶と言われる小さな朱色の蝶だ。後の3匹は犬型の機動力だけありそうなサーバント。
ふゆみは闘争心を解き放つとスナイパーライフルを構える。1人で5匹相手は弱い敵でもさすがにキツイはずだがふゆみは笑顔を崩さない。
「えーい、ばーんばーん☆」
確実にまず蝶を狙う。一撃で蝶は地に落ちる。その隙に3匹のサーバントがふゆみを狙うが、ふゆみの身のこなしに攻撃がついてこない。
無傷で斥候5匹を追い払うと、ふゆみは追ってくる斥候がいないことを目視で確認してから中央研究棟へと戻った。
一方の南側は正門から出た途端、激しい剣戟の音に七佳は一瞬目を見張った。こちらは蝶が3匹、小型のサーバントが4匹。浮遊型力場制御器である偽翼[煌炎]を展開させると三対の光の翼が顕現した。未だ慣れぬ力なれど、この程度の敵であれば充分だろう。
後は他のサーバントに気づかれないように迅速に殲滅するだけだ。
「正義を謳って討つつもりは無いわ。生きるという正義を為す為に殺すだけよ」
対戦ライフルを改造したガトリング砲を発砲すれば蝶は跡形もなく消滅する。まずは蝶を始末し、上空を舞う七佳に手の届かないサーバントへと刀――滅で上空から切りかかる。
それは鮮やかな戦闘だった。だが鮮やかなならば混戦の場では人の目を引く。
斥候を倒し終わった後、現地撃退士の隙をついて、一体のサーバントが突っ込んできたのだ。
「天魔が人を狩るのはひとつの正義。……ならば、此処で倒して生き残ることはあたしの正義」
七佳は偽翼[煌炎]を再び展開し、滅を振るう。光の軌跡が描かれる。
「積み重ねた死を無駄にしないためにも、あたしは生きる」
加速した攻撃がサーバントを切り裂いた。
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七佳が戻ってきたときにはふゆみが戻ってきてしばらくが経っていた。ふゆみが七佳の援護に行こうとしたのだが、七佳が戻ってきたときにすぐに出発したほうがいいというクロエの意見もありクロエの代わりにふゆみがケースを預かることになった。此処からはふゆみと七佳ともう一人は交代でケースを運ぶ。
戻ってきた七佳はさすがに手傷を負っていた。ウィズレーが慌てて駆け寄りヒールを施す。七佳は「ありがとう」と笑った。
「佐藤殿、ケースの運搬に支障はないか?」
不安そうにダニエルが尋ねると七佳は頷いた。
「むしろここからの護衛はお任せしたいわ」
「心得た。では僭越ながら私も護衛に回ろう」
「ウィズレーさん、生命探知は後何回できるの?」
無縁が尋ねる。
「此処を出る前に一度使用すれば、あともう一度ですね」
「じゃあそれまで僕が運搬していよう。その後で交代してほしいな」
「わかりました」
ウィズレーは裏口から駐車場の周辺を探る。さすがにふゆみが斥候を倒したばかりということもあり、出たすぐは生命反応がない。
血糊を落としたクロエが顔を外へと覗かせ、確認した。遠く戦いの気配はするが、このあたりはまだ静かだ。
ダニエルが空のストレッチャーを押し、ケースは3人で運ぶ。此処からは怪我人の回収に向かうふりだ。
建物に沿って行けば目立つこともない。
けれども屋内実験棟まで後少しという屋外実験場付近で剣戟の音が響いてきた。
東門付近もまだ危険だと言う。
「一度生命探知を使ったほうがいいかもね」
クロエが言うとウィズレーは屋外実験場の付近で生命探知を行う。
「屋外実験場付近に3つほど気配が。東門のほうまではわかりませんでした」
ウィズレーは無縁と運搬を交代しながら報告する。
「ならば私たちの番だな」
「うん。視認できたら私が行くよ。ダニエルさんは運搬の護衛で……」
「僕はサーバントを死ぬまで斬るよ」
飄々とした口調で無縁が言えば、行動は決定した。
クロエを先頭に無縁が、そして運搬の3人と護衛のダニエルが進む。
クロエの目に敵が見えた。小さな犬型のサーバントだ。さほど強そうには見えない。
クロエは闇に紛れるように姿を隠す。サーバントに近づくと闇の矢を繰り出した。隠密裏に1匹を倒すと残りの2匹が浮足立つ。物陰に隠れて接敵した無縁が直刀を振るうが、一撃では仕留め切れない。クロエが2匹目を倒したのと同じタイミングで無縁も1匹を倒した。
「あとは屋内に入っちゃえば……」
クロエがふうと息をついたときだった。
「向こうからまだ数匹来るようだ」
ダニエルが東門の方向を指さす。ざっと見ただけで5、6匹はいるだろうか。
「雫は私の命に代えても守りぬく。先に屋内研究棟へ」
ダニエルが運搬の盾になるように立ちふさがる。
東門の方向をみて苦笑いしたのは無縁だ。
「熱狂的なファンだね」
「熱狂的っていうより狂信的かな」
クロエが軽口を返す。その隙に無縁はポケットにねじ込んでいたブーメランを取り出した。ブーメランの先には雫のレプリカ。
「仕方がない、これは君たちに返そう」
わざと声を大きくして無縁はブーメランを放った。雫が煌めき、サーバントたちがどよめく。
「ごめんなさい、これあげますから許して下さい、ぼくたちは天界軍に全面降伏します、じゃあ、そういう事で」
さっさと無縁は運搬の3人を建物の中へ押し込む。あまり知能の発達していないサーバントたちは雫を誰が持ち帰るかで仲間割れを起こし始めていた。クロエは肩をすくめる。
「あれなら雫がどこに移動したかわからないだろうね」
「助かったと思うことにしようか」
ダニエルも同意すると、6人は無事に室内実験棟へと侵入した。
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室内実験棟から東研究棟に至るあたりは未だ大きな戦闘も起こっていない。静かだった。
さすがにただ黙々とアウルを流し続ける作業は精神的にも負担が大きく、6人は交代しながら無事に2時間以上の行程を踏破した。
東研究棟、第二霊査研究室。
すでに3人の現地撃退士が待機しており、6人が姿を見せると安堵の表情を見せた。
「研究者たちも無事中央研究棟へ避難したと連絡が入っております。お疲れ様でした」
アウルの流れを止めないように気をつけてケースを受け渡す。
「天使たちに移送はバレていないですか」
七佳が尋ねると撃退士たちは頷く。
「未だ西研究棟に斥候は多く、こちら側は大きな動きはありません。東南部で謎の魔法陣を破壊したとの連絡が入っているくらいでしょうか。ここは安全ですよ」
七佳は大きく息を吐き出した。どうやら目的は達成できたようだ。
「時間がかかっているようでしたから心配したのですが、ご無事で何よりです。後は各所の報告をお待ちいただければ」
「ありがとうね。でも、何かできることがあるかもしれないから中央研究棟に私は戻るよ」
クロエの言葉に残りの5人も同意した。情報もできるだけ早く欲しい。
現地の撃退士たちは眩しいものでも見るように6人を見た。
未だ天使の襲撃は終わっていない。1つを成し遂げれば次が待っている。
ケースの中で雫は沈黙を守っていた。