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ディメンジョンサークルで研究所に到着した時には、そこは不気味な圧で包まれていた。
まだ戦端は開かれてはいない。けれども数時間後には確実に此処は戦場になる。
報告のあった場所まで6人は走る。
龍崎海(
ja0565)は内部と繋げたハンドフリーの通信機を確認する。いざとなったらこれで内部に雫の破壊を進言するつもりだった。
(この規模だと騎士団が関わってそうだ)
海は研究所の壁越しにちらりと建物を確認した。
(奪還に来たということは雫は大量生産品じゃなかったのか。となると、感情搾取が目的じゃないな。もしかしてレーヴァティンの燃料なのか?)
そうだとしたら雫の研究をしているよりも破壊してしまったほうが天界に対するダメージは大きいだろう。
そして海は騎士団も脅威として見ていた。
(今はバラバラに動いているからいいが、騎士団と名乗る位だから結束はあるはず。彼ら天使・使徒らが纏まって動かれたら、相当な脅威だ。今のうちに削っておかないと)
雫に対して思いを抱く者がもうひとり。天羽 伊都(
jb2199)だ。
伊都は雫の回収に関わっている。それは大事な戦果だ。その戦果を守りたいと思うのは当然だろう。同時に今回も天使の目論見を御破算にしてやろうと考えていた。
(懲りずに来ましたか天界の者達よ、悪いけど今回も泣いて帰ってもらいますよ)
やがて見えたのは漆黒の巨大なサイが2匹と、その背後、シュトラッサーと思しき少女。
濡羽色の髪は肩で揃えて切り、黒の瞳が微かに驚いたように6人に向けられた。真っ黒な着物の上に白銀の軽鎧、藍色のマントという奇妙な姿はハルルカ=レイニィズ(
jb2546)にある天使の姿を思い出させた。だが天使の姿は今はそこにはない。
(さあて、私の待ち人は来たるかな?)
わずかに浮き立つ気持ちを抱き、ハルルカは開いていない傘をくるりと回す。
使徒の少女の驚きを目にして思わず笑みが漏れたのは若杉 英斗(
ja4230)だ。
(まだ守りが固まっていない……とでも思ったのだろうが、残念だったな)
この使徒の攻撃は明らかに不意打ち目的だ。サイ2匹と使徒で研究所の壁を破り、まだ守りの固まっていないところを襲う――そんな計画だったのだろう。
(俺達がココを通しはしないぜ!)
英斗がパシンと拳を手の平に打ち付ける横でトンファーのような形状のスターライトハーツを肩にかけるのは向坂 玲治(
ja6214)。
(月並みだが、ここを通りたきゃ俺を倒してからにしな)
英斗と玲治の役目は文字通り壁役。巨大なサイが壁へと突進してくるのを足止めする。けして倒れられない大事な役目だ。その間に海、雨野 挫斬(
ja0919)、伊都、ハルルカの4人は使徒の少女を倒す。
(ありゃ天使を解体できると思ったのにお人形とペットだけで飼い主はいないみたい。残念)
挫斬は敵を一瞥して一瞬表情を暗くするも、
(まぁいっか! 準備体操にもなるし前菜は美味しくいただこうっと!)
にっこりと笑顔を浮かべた。
「行こう」
阻霊符を準備し終わった海の声で戦端は開かれた。
2匹のサイは並んで走ってくる。その後方に使徒の少女。
ごく自然に海と伊都はサイの右側を、挫斬とハルルカはサイの左側に別れ使徒の少女へと距離を詰める。
海はその移動時にもサイを攻撃することを忘れない。サイの脚を狙った槍の一撃は綺麗に決まり、少しだけ足が遅くなったように見える。
玲治は海の攻撃を横目で見ると、まだ攻撃を受けていないサイへと視線を向けた。英斗と一緒に薙ぎ払われない場所へと移動しながら、にやりと笑って指でサイを招く。
「そら来いよ。相手にとって不足無しだぜ」
注目を集めるオーラというより、それは挑発に近い。サーヴァントのサイにそれは通じたのか、サイは壁を背にした玲治へと向かい、速度を緩めず玲治に突進した。
間髪を入れずに玲治の手にレアメタルシールドが顕現した。
「おら!」
重い攻撃を受け流すも、腕には痛みが残る。
伊都は手にしたスナイパーライフルに闇を纏わせる。
「アナタみたいに硬い子にはコレね! ふふ、体の中から解体してあげる!」
楽しそうに玲治にぶつかったサイの脚へとワイヤーを絡ませる挫斬。硬いサイの皮膚にワイヤーは食い込み、一瞬その勢いを止める。そこへハルルカの大剣がタイミングよく当たった。
サイの脚から血が滲む。嬉しそうな笑みを浮かべた挫斬の目の前で光の粒が舞った。
使徒が弓を構えていた。光の矢はサイの脚に当たり粒になって消えると同時に怪我を癒していた。
「なるほど、少々厄介だね」
ハルルカの表情が笑みに変わる。挫斬も笑みを崩さない。
「お人形はお人形なりに楽しそうね!」
残ったサイは壁の前に立った英斗へと向かった。
「これはまた……ずいぶんと攻撃が重そうだな」
玲治への攻撃も見ている。
(敵をかわせば、そのまま壁を攻撃されてしまう。ここは気合いを入れて攻撃を受け止めるしかない! 厳しい役目だけど、まぁ、自分向きの仕事かな)
皆の盾になる。それは英斗の決意のひとつでもある。深呼吸を一回。
「よし、かかってこい!」
ぶつかる。
(絶対にこの壁は守りきる!)
その決意が英斗の手に黄金の盾を生まれさせた。アウルに上乗せするのは気合と根性、そして「絶対」の決意。それは『絶対防御』を凌駕する光の盾。
勢いを受け止めたかすかな痛み。だが消えた光の盾を目で追うこともせず、英斗は構えていた盾に付いている穂先でサイの脚を狙った。確かに幾分かダメージが効いているようにも見える。
けれどもその英斗の目の前で再び光の矢がサイにあたって消えた。体が軽くなったのかサイは角を高く上げ、英斗に突進する。
「どぉっせい!!」
再び顕現する光の盾。それを振り返りながら海はサイの脚を再び狙って槍を繰り出す。
英斗も海が狙った箇所に向けて盾の穂先を突き出すも、海の攻撃ほど効いているようには見えない。
玲治は自分が相手をしているサイとの距離をさらに縮め、一対一の形を作り出す。
「俺が相手だ。よそ見すんなよ」
ブンと振り回す棍。それは磨かれた技というよりは戦うために身につけた術。荒々しい棍の軌道は脚を狙い、幾分かサイの威力を弱める。サイの突進。顕現した盾で受け流しつつもじわりと削られる体力。ちっと舌打ちをするもまだ余裕はある。
そのサイの後ろ脚を狙って挫斬のワイヤーが食い込んだ。
「すぐに解体してあげるから、いい子にして待っててね!」
噴き出すサイの血を浴びる挫斬はますます愉悦に浸っていく。
伊都はアウルの力で霧散しそうな闇を引き止め、ハルルカは自らの力を増幅させた。
使徒への攻撃可能範囲へはあと数歩。
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真っ先に動いたのは伊都だった。
「条件は整いました、覆しますよ!」
立ち位置は使徒が射程ギリギリに入る場所。かつ、サイへの攻撃もできる場所。
冥へと傾けた力にさらにアウルを込め、使徒へと向けて一撃を放つ。
真っ白な使徒の頬を一撃はかすった。自分の頬から落ちる血を不思議そうに少女は見た。
「ボクの射界内で好きにはさせませんよ、大人しく帰って頂きましょうか」
少女は微かに笑っただけだったが、海の次の言葉に顔色を変えた。
「アセナスって知っているか?」
「……!?」
動揺したらしい使徒に海の強烈な魔法書の一撃が走る。光の矢が使徒の肩にあたって消えた。
「この前はけが人もいて逃げるしかなかったから、雪辱戦をしたくてね」
使徒が口ごもる。そこに降り注いだのは挫斬の言葉だった。
挫斬は撃退士としても充分強い。だが、彼女の強さをさらに後押しするのは言葉による刃だ。
「ふふ、アレだけ惨敗しておいてお人形任せなんてアナタの主は余程の無能か怠け者なのね?」
使徒の少女の瞳に怒りが浮かぶ。視線は海から挫斬へと向けられた。
「それとも私達が恐くて部屋で毛布でも被って震えているの? キャハハハ!」
挑発をしながらも挫斬は冷静だ。海が安定して後方から攻撃できるよう、彼の前に移動しながらワイヤーをしならせ、使徒を弾き飛ばそうとする。けれどもそこは使徒だ、ワイヤーを回避した姿勢で弓に矢をつがえた。
「口を慎みなさい」
挫斬の狙い通り、使徒の攻撃は挫斬へと向けられた。光の矢が挫斬の腹部に突き刺さる。正直挫斬の予想を越えた痛みだった。くっと笑いが漏れる。
「ふふ、本気出すよ!」
挫斬はワイヤーから大剣へと持ち替えた。その隙を狙って大剣を翻し、使徒の至近距離へと走りこんだのはハルルカだ。
「やあ、御機嫌ようお嬢さん。キミも騎士団の一員かな?」
少女は今度はハルルカへと視線を動かす。
「騎士団の方の、下で働かせていただいてます」
驚くほど正直に言った使徒にハルルカは目を細める。
「そうか、そうか、ならば問おう」
同時にかざした手の平に降り注ぐは黒き雨。天の力を蝕み侵す、無色の雫。
「白焔は、元気にしているかい?」
「……っ」
天の意思を穿つ雨は少女の体を打ち付ける。返答のない少女からハルルカは答えを導いた。
「なんだ、彼は来ないのか。それは残念。もう一度剣を交わせるかと思ったのだけれど、それじゃあ仕方ないね」
少女は動揺しながらも前方のサイを一瞥した。癒やしの矢が英斗の前のサイへと突き刺さる。面白くないのは挫斬だ。彼女の意識は自分へと集中させておきたい。
ハルルカの二度目の雨を軽いステップで回避した少女はまだ伊都の射界内。
「逃げなかったことを後悔しますよ」
伊都の冥へと傾けた攻撃も少女は回避する。
「お前を倒せば、あいつも出てくるだろう」
海の的確な攻撃は少女の肩をまた抉るが、傷は浅い。
挫斬は大剣を振りかざし、使徒の注意を引くべき言葉を放った。
「アタシは優しいからアナタの首の横にアナタの主の首を並べて飾ってあげる! だから安心して、あははは!」
「首を並べるのは貴方のほうです」
挫斬の攻撃をするりと回避し、少女は挫斬の狙い通り彼女を狙う。射られた矢は一直線に挫斬の胸を抉り、胸に血が滲んだ。
(お人形のくせに、生意気)
言葉にしようとすると血が零れた。けれども挫斬は少女の狙いを自分に定めさせ続けた。
だから他の3人には傷ひとつついていない。
ハルルカの黒い雨が少女に降り注ぐのを見て、挫斬は意識を手放した。
サイの防御は一進一退の五分だった。途中、使徒による回復があったのが苦しかったが、二人は文字通りの盾として壁の前に立ちはだかっていた。
玲治が棍でサイの脚を殴りつけると、サイは角で玲治を突き刺そうとしてくる。咄嗟にシールドを斜めに構え受け流そうとするも衝撃は疲労として積み重なっていく。
英斗のほうは光の盾のせいもあり、玲治ほど疲労は大きくない。けれども、何度も光の盾を使えるわけではない。サイの突進に三度目の決意を込めた盾を使えば、あとはサイとの一瞬の素早さの勝負だ。
そして運悪く、サイのほうが先に英斗にぶつかっていく。光の盾は顕現しない。重いダメージを全身で受け、一歩だけ英斗の足が下がった。
「無理すんな。サイの2匹くらい、俺が受け止める」
玲治の言葉に英斗はアウルの力で回復を行う。とは言ってもダメージの回復ではない、光の盾の回復だ。
「大丈夫、まだ行けるよ」
「余裕そうじゃん」
玲治もサイを殴りつけ、サイの突進を受け流す。だが角の攻撃を受け止めきれず角が肩を抉った。
けれども二人の後ろには守るべき壁があり、それを守り切ることこそ使命。
英斗は光の盾を、玲治は盾をかかげ、攻撃をひたすらに耐える。
玲治の額をサイの角がかすめ、額から血が溢れたのは次の攻防でだった。
「向坂、大丈夫か」
「まだ行ける――ってさっき若杉も言ってたな」
玲治は血を舐め取りながら、微かに笑った。
「痛ってぇな……だがまだまだ足りねぇぜ」
肉体の活性化。再び沸き上がってくるエネルギー。
二人の盾はまだ崩れない。
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崩れ落ちた挫斬を見ながら、少女も息を吐いた。ハルルカの黒き雨が少女の身に危険を告げたらしい。
ばさりと白い翼が広げられる。
「帰るのかい」
海も伊都も油断なく構えた状況でハルルカが言う。
3人を身を挺して守った挫斬に肩を貸すように起こしながらハルルカは少女に声をかけた。
「お嬢さんも騎士団の一人なら名前を名乗ったらどうだい」
「……夏音(かのん)。アセナス様に仕える者」
「そう。帰ったら、雨の悪魔が待っていたよ、と。失ったものはその剣で以て取り返しにおいで、と。そう白焔に伝えておくれ」
「承知いたしました」
「それじゃ、いずれまた会おう」
「逃しませんよ!」
タイミングをはかっていた伊都の銃口が火を噴くが少女――夏音は結局これも回避した。
サイを一瞥すると翼を翻し、届かぬ場所へと帰っていく。
「仕留めたかったな」
海が正直な気持ちを告げるが伊都は首を振った。
「攻撃を全部雨野さんが受けてくれたから攻撃に専念できました。これ以上は……」
「うん、それよりもさっさとサイを倒してしまおうか」
ハルルカはくるりと振り返る。
「や、お待たせ。向こうは片付いたよ。あとはこちらを片付ければお終いさ」
掃討戦は思った以上に早く終わった。海が英斗と対峙していたサイに無数の鎖を絡ませる幻影を見せ、動きを封じたのだ。
玲治が回復に徹している間、伊都の大剣での攻撃は硬いサイの皮膚をやすやすと切り裂く。そこへハルルカが最後の黒い雨を降らせ、再度玲治にサイが攻撃する前にサイの体を穿ち、どおっと横倒しにする。
「この後はもう出し惜しみ無しだ。ちゃっちゃと終わりにしてやる」
仕上げは玲治の拳。大きくテイクバックをとりながら打ち込んだ光の拳はサイを地面にめり込ませるほどの勢いで、サイの動きを止めた。
動きを封じられたサイへは英斗の攻勢。
「ここからは思いっきりいくぜ!」
瞬間的に高められたアウルは盾を白銀に輝かせ、圧倒的な破壊力を持つ。
「喰らえ! セイクリッドインパクト!!」
それはけして倒れぬ盾がけして負けぬ矛へと変わった瞬間。硬いサイの皮膚を盾の穂先が貫いた瞬間に、伊都の大剣がサイの首を落とした。
サイは壁に触れることすらできぬまま、果てた。
海が食料で回復をし、雫の防衛や他の加勢に回ろうと提案している時に、挫斬は暮れていく空をぼんやり見ていた。
「つまらないの。もう少し美味しく前菜をいただきたかったな」
ぽつりと言った言葉にハルルカが笑う。
「どうやら、まだ一段落つかせちゃくれないみたいだな」
玲治の言葉に頷いたのは伊都だ。
「仕舞いには未だ早いですが……大詰めには違いないですね」
研究所を囲む圧はどんどん強くなっていく。
「行こう」
海が簡潔に言った。
「立てるかい?」
英斗の差し出した手を挫斬は「大丈夫」と笑い、一人で立ち上がる。
「今度来たら切り刻んであげるわ、お人形さん」
そうして挫斬は海に続いて走り出した。
本当の天使の襲撃はこれから始まる。