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赤倉アキラは屋上で立ちすくんでいた。
撃退庁に連絡はした。じきに撃退士が来てくれるはずだ。
けれども、階下では悲鳴が聞こえる。殺されたくなければ自分を殺しに来ると言う。
3階から屋上へ来る扉は1つ。屋上は安全ではない。
震える手で携帯を握りしめたとき、携帯が鳴った。
「はい」
「久遠ヶ原学園の撃退士です。赤倉アキラさんですね?」
柔らかな女性の声だった。アキラはほっとしてその場にしゃがみ込む。
「助けてくれ。俺もみんなも。あのチビ悪魔、俺を殺さなければ皆がディアボロに殺されるって言ってた」
「護ります、絶対に」
声に強い意思がこもる。
それから2、3の確認があった後、声は告げた。
「今から屋上に参ります。赤倉さんはそこを動かないでください」
「わかった、信じる」
「それから……」
そこで声は言い淀んだ。
「屋上には2人の撃退士が参ります。そのうちの1人、私は天使です」
一瞬、アキラの息が詰まる。
「今は学園所属の堕天使ですが、思う所はあると思います。申し訳ありません……今回だけでもご理解頂きたく。勿論、もう一人は人間の撃退士です」
「……みんなを助けてくれるんなら、関係ねえ」
アキラは大きく息を吐いた。少なくとも、こうして事前にそれを明かしてくれる相手に嫌悪感は抱かなかった。むしろ律儀な奴だと感心するほどだ。
「ありがとうございます」
声は不意に近くから聞こえた。振り返ると男性を抱えた天使が透けるような真っ白な羽で屋上へと昇ってきているところだった。
携帯は抱えられている男性が持っている。
「よっ。助けに来たぜ」
久遠ヶ原学園の儀礼服を着た天使――ウィズレー・ブルー(
jb2685)に抱えられた森田直也(
jb0002)は屋上の柵に手が届く高さになると携帯をポケットに突っ込んで、ひょいと屋上の柵を越えてアキラに近づく。
「懸命に生きる人間を踏みにじるとはふざけたヤローだ」
呟くように直也は言うとハンズフリーの無線に向かって仲間に声をかけた。
「こちら森田。赤倉は保護完了。ディアボロは任せるぜ」
同時刻に高校内に潜入を果たしていた他の6人は阻霊符を設置して二手に別れていた。
その6人に先行するのは詠代 涼介(
jb5343)の召喚したヒリュウだ。ヒリュウの飛行速度は走る6人より若干速い程度だ。それでも先に校舎内の様子を伺えるのは大きい。
視覚共有をしながら、涼介は見えないはずの校舎2階と3階を眺め渡す。
「生徒が3階に数名、屋上に向かっているようだ。2階にも数名……ディアボロ、1体が2階に登ってきた」
全員が持つハンズフリーの無線に向かって状況を報告すると、虎落 九朗(
jb0008)が小さく舌打ちをした。
(くそ、気にいらねーやろうだ。いつか引き摺り下ろしてぶん殴ってやる)
此処にはいないセーレに対して毒づくも、すぐに首を振る。
(……今は、ディアボロを倒して生徒達を解放する事だけを考えよう)
冷静さを取り戻し、ふと思いついたことを聞く。
「ディアボロはすぐにわかるんですか?」
「ああ。全身が漆黒で、黒い太刀を持っている。肌も黒いから影みたいな感じだ」
それは『あの時』のディアボロと同じ姿だ。涼介は苦い思いを噛み締める。
(これはゲーム……)
Elsa・Dixfeuille(
jb1765)はこの状況に思いを馳せる。
(彼らにとって私達の命などその程度の物なのね)
それは胸の痛みを伴う現実認識。けれどもElsaは顔を上げる。
(冷静に受け止め、抗おうと思うだけの心を今の私は持っている)
「まったく……やっかいなゲームを始めやがって。急ぐぞ」
蒼桐 遼布(
jb2501)は九朗とElsaに言うと階段を駆け上がる。
残りの3人が向かうのは家庭科室だ。そこが今回のスタート地点。
自分のいる範囲内で聞こえる音を全て拾いながら各務 与一(
jb2342)はディアボロと生徒の気配を探る。不意に小さな物音を耳が拾い、与一は足を止めた。
「先に行っていてもらえないか。後から追う」
涼介と高瀬 里桜(
ja0394)に告げると与一は家庭科室ではない一室を覗きこむ。
生命探知を行なっていた里桜にもそこに『誰か』がいることは感じることができた。
「うん、与一くん、気をつけてね」
里桜と涼介はより大きな気配を感じて、そちらへと向かう。
与一は2人を見送ってから教室の扉を開けた。
ガタン!と大きな音が響く。2人の女生徒が包丁を持ってがたがた震え、与一を見ていた。
「久遠ヶ原学園の撃退士だよ。心配しなくていい。包丁を置いてくれないかい」
2人は顔を見合わせた。
「赤倉くんを殺しても悪魔が君たちを助ける保証はない。俺たちがディアボロを倒し、君たちを守って見せる。だから、俺たちを信じて今は逃げてくれ」
「本当? あたしたちも赤倉くんも助けてくれる?」
「約束しよう」
2人の女生徒は泣きながら包丁を置いた。
「ここから校門まではディアボロはいない。校門まで走るんだ。いいね?」
2人の女生徒はこくんと頷くと「ありがとう」と言いながら走り去った。
その後姿を確認し、与一は先行する2人を追う。
(悪趣味にも程があるね、この悪魔は。今まで見てきたどんな敵よりも不愉快だ)
生きたいと必死に足掻く1人の命と30人の命。
(絶望の中で足掻き、生きる意志を失わない者を弄ぶのを赦しはしない)
与一は走る速度を上げた。
「包丁を持ってる人が北方向の階段に向かってるから、ディアボロがいるのはこっち!」
ヒリュウと視覚共有をする涼介とは違う観点から里桜はディアボロの位置を特定していく。
「あった、家庭科室!」
里桜は涼介がヒリュウを落ち着かせるのを一瞬待つ。
(赤倉くんも生徒も助けて、こんな悪趣味なゲームは終わらせる!)
それは心底からの思いであり、里桜特有の正義感。
(誰かの犠牲の上で生きるなんて、絶対駄目だよ! 皆助けてみせるんだからっ)
「涼介くん、準備いい?」
「大丈夫だ」
里桜は頷くと扉を開けた。同時に耳をつんざくような悲鳴。
ディアボロが黒い剣を構えていた。一人の生徒を薙ぎ払わんとしているところだ。
涼介の脳裏に苦い記憶が蘇る。
「……させるか」
涼介は即座にヒリュウからスレイプニル召喚に切り替えた。召喚すると同時に黒と蒼の馬龍を走らせ、生徒とディアボロの間に割り込ませる。
痛みが体に走った。赤が飛んだ。
剣は生徒1人の体を掠め、残りの衝撃はスレイプニルと涼介が受け止めた。
里桜が生徒の元に走る。包丁を持てず、逃げる勇気も持てなかった生徒は5人。教室の隅で震えている。残りは包丁を持って走っているのだろうか、それとも逃げ出したのだろうか。
そしていま1人、腕から胸を浅く斬られ、血を滲ませている生徒。命に別状はなさそうだ。
ディアボロは1体。事前情報のとおり、撃退士には目もくれない。
生徒への追撃を今度は里桜が受け止めた。
注意深く進みすぎて、ゲームが始まるのに間に合わなかったのだろうか。だが、とりあえず失われた命はない。
「今のうちに逃げろ」
中へと走りこみながら涼介は6人の生徒へ告げる。
「逃げたら、殺される!」
「赤倉殺さないと、助からないよ」
口々に言う生徒を里桜が一喝した。
「あなたは自分が赤倉くんの立場でも同じ事言えるの?」
里桜は銀色の脚甲を煌めかせ、ディアボロに肉薄する。
「今考えるのは赤倉くんを殺すことじゃなく、自分が生き延びる事だよ! 敵なんて私達があっという間に倒しちゃうんだから!」
「そういうことだ」
教室の入り口に弓を構えた与一が追いついていた。
「ここから校門までディアボロはいない。走れ」
涼介の言葉に6人は顔を見合わせた。
「走れ!」
涼介の声に6人はようやく走りだした。
それを追うように動き出したディアボロに里桜が聖なる鎖を放ち縛り上げる。
「誰かを殺す隙なんてあげないよ! 一気に叩き潰す!」
与一も射る矢にアウルを集め、弓を引き絞る。
「この手で救える命がある限り、俺も諦めたりはしない」
放たれた矢は光を宿し、動けないディアボロに突き刺さる。
「だから、この手で絶望を射抜いて見せる」
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屋上の扉が開け放たれた。
「赤倉ぁあああっ!」
狂気に目を血走らせ、2人の男子生徒が包丁を構えて突っ込んでくる。
「今、仲間が皆さんの為に敵撃破に向かっています。どうか引いて下さい」
ウィズレーが声を上げるが恐怖に支配された2人は聞き及ばない。
直也はアキラを庇うように立つと、無造作に突き出された包丁を腕で受けた。滲む紅に2人はようやく正気を取り戻したように動きを止める。
「つっ! 俺が撃退士じゃなけりゃ死んでる一撃だぜ?」
言いながら手早く、直也は加減した当て身で2人をあっという間に気絶させる。
包丁を取り上げながら屋上入り口を見ると、包丁をやはり握りしめた3人の生徒がこちらを見ていた。
「各班の保護状況を確認させてください」
ウィズレーが無線に声をかけると与一の声が返ってきた。
「家庭科室、ディアボロ1体。現在8人保護、内怪我人1人」
「2階、ディアボロ1体! 生徒数不明、追って連絡します!」
続いて返ってきたのは九朗の声だ。
「ディアボロの動きは捕捉済みですね」
「3階にディアボロがいないってことは逆に安全だな」
階段を駆け登る音がして、新たに2人の生徒が顔を出す。それぞれがそれぞれに恐怖に引きつった表情を浮かべていた。
念のためにウィズレーが周辺の生命探知を行う。
「3階に反応があります」
「まだいるってことか。引き付けるか?」
「そうですね……」
ウィズレーは少し悩んでからまた声をあげた。
「久遠ヶ原学園の撃退士です。今、仲間が敵撃破に向かっています。どうか引いて下さい」
生徒たちは入り口に固まってこちらの様子を伺っている。そうしている間にまた2人の生徒が顔を出した。
「この数だと2人でも手に余るな。仕方ねえ」
直也が一歩前に出た。
「ウィズレー、赤倉は頼む」
直也はすぅと息を吸い込むとアキラを範囲外にして強烈な叫び声を上げた。本能的に恐怖を感じ、7人の生徒たちは包丁を取り落とし、屋上から転がるように退散していく。
そのまま即座に直也は無線に叫ぶ。
「こちら森田。生徒を3階に追い返した。ディアボロは3階に上げるな」
「1階は了解」
涼介の声が返ってくるが、2階からの応答はない。
「戦闘中でしょうか」
ウィズレーは不安そうに空を見上げた。
2階へと駆け上がった九朗、Elsa、遼布はすぐにディアボロの背を廊下に見かけた。その前に逃げ惑う生徒の姿がある。数は判然としない。
廊下に血が点々と落ちている。倒れている生徒はいないが、攻撃をうけた生徒はいるのだろう。それはゲームの開始に失敗したのか、それとも嬲っているのか。
ウィズレーからの無線に九朗が反応しているうちに遼布はアウルの力を脚に集めた。加速する。それは蒼と銀の光が尾を引くような素早さだ。一気にディアボロに突撃し、生徒とディアボロの間に割り込む。
ディアボロは遼布の姿が見えないかのように生徒に向けて黒い剣を振りかざす。
「させるか!」
闘気を高める。血脈の底で眠っていた龍の血が覚醒する。その強引とも言える覚醒方法に血が滲み、右腕に龍の鱗が現れるが今は構っていられない。
「削剣active。Re-generete!! ……悪いが邪魔させてもらうぞ」
鱗のように無数の刃が重なった大剣、アジ・ダハーカ。脚部を狙い、その機動力を削ぐ。
「撃退士!?」
追われていた生徒たちの足が止まった。血はそこから続いている。慎重な分、やはり到着が遅かったのだろうか。
「止まるな、走れ!」
九朗が叫びながらアウルの力で槍を作り出し、力いっぱい投げた。アウルの色を抑えたそれは生徒たちの目には入らない。槍はディアボロに突き刺さるが、ダメージを与えるだけだ。
(動きを、止めなければ)
Elsaは黒蛇弓を構え、射線を確保する。狙いは遼布と同様、脚だ。矢にアウルを集め、慎重に射る。矢は脚に確かに突き刺さる。
だが、それでは足りない。ディアボロはボロボロの片足で一歩踏み込むと生徒に向け、剣を一閃させた。
「ちっ」
咄嗟に遼布が生徒を突き飛ばし、ディアボロの剣と己の大剣をぶつける。強い力で吹き飛ばされそうになるのを何とか抑える。
生徒たちから悲鳴が上がった。
「騒ぐな!! こいつは俺らが倒す!! だから敵のふざけた遊びに乗るな!!」
振り向く間もない。遼布は再度、ディアボロのもう片方の脚を狙ってアジ・ダハーカを振るう。
ようやく近づいた九朗が聖なる鎖を振るい、ディアボロを縛り付けた。
「Elsa先輩、遼布先輩、今です!」
(抗い、護るための力)
Elsaはキリキリと弓を引き絞る。
(私はそれを奮っているのだ)
射線は確保できている。アウルの力が矢に集う。目を細めた。
(願わくばたった一つの命さえも零れ落ちぬように。きっとその結果が私に自信をくれる……)
長大な洋弓。そこから放たれる矢はディアボロに突き刺さる。
「騎槍active。Re-generete。……消え失せろ!!」
ランスを具現化させると、遼布はディアボロの腹部を抉る。
九朗がシルバーマグWEを構えたときにはディアボロの体は崩れ落ちていた。息を吐き、無線に声をかける。
「2階、ディアボロ退治完了です」
「1階も終わったよー」
里桜の明るい声が聞こえてきた。後は生徒たちにそれを知らせるだけだ。
8人は屋上に集まった。
「本当にありがとうございます」
深々と頭を下げるアキラにウィズレーが「当然のことをしたまでです」と微笑む。
直也と九朗と与一が救出した生徒の人数を確認している間に涼介がアキラの傍に近づいた。
アキラは涼介を見る。涼介は表情を変えずに口を開いた。
「生きたいと願うその思いは間違っていない。その命、無駄にしないように生きろ」
それは、あの時告げられなかった言葉。
(あの時散っていった命を無駄にしないために……その悔しさと怒りを糧に強くなり、これから先も出るであろう被害者を一人でも減らす)
そして誓う、思い。
(それがせめてもの、自分にできる唯一の償いだから)
アキラは涼介の言葉に頷いた。
セーレは負けを認めたのか出てくる気配はない。
8人はそれぞれの思いを胸に空を見上げた。