●黒い夜01
月を喰らう様な夜に吼える、黒百合(ja0422)の姿があった。立っているのが不思議なぐらい、ボロボロな身体だった。
紛れもなく、学園の仲間。一先ずその無事を確認した後、狩野 峰雪(
ja0345)はそのまま素早く周囲状況を確認した。月が朧に照らす夜の森。蠢く不気味なディアボロ。死体二つ。倒れている人間一つ。ここは少し開けた所か、とは言え疎らに木が立っており、茂みもある。可能ならもう少し余裕を持って隅々まで確認しておきたいが、そういう訳にはいかなさそうだ。敵の増援が来るかもしれない。錯乱しているらしい黒百合が何をするかも分からない。時間に余裕は、無い。
「黒百合さんを救出してみんなで帰るのですよー!」
若葉色の光を纏う櫟 諏訪(
ja1215)が発した声の通りであった。撃退士の使命は、仲間を連れて帰る事。
「あぁ、失敗するわけにはいかんな」
「撃退士の仲間を助ける為だ。退く訳にはいかない」
「勿論だ。必ず、皆一緒に学園へ帰ろう!」
「黒百合さんには何度もお世話になりました……その恩、今ここで返します!」
声を揃えたのは蘇芳 更紗(
ja8374)、月野 現(
jb7023)、若杉 英斗(
ja4230)、久遠寺 渚(
jb0685)。誰もが、誰しもが、黒百合を救わんとしている。
それはナナシ(
jb3008)とて例外ではない。思い返すのはつい先日だ。後悔の記憶だ。もし、もし、あの時ああすればこうすればもっと強ければ。そんな思いと共に、帰って来ない彼女を待つのは辛かった。けれど見つけた今、泣いてる暇は無い。今度こそ、後悔しない為に。親友の為に。
「黒百合さん、少しだけ……待っててね」
心配だ。本音を言えば今すぐ駆け寄りたい。けれど、黒百合の安全を確保するのが己の役目だ。いの一番に行動を開始したナナシは背より悪魔としての翼を展開する。一気に上昇して夜の空に溶け込みながら、生命の樹を模した巨大魔導施条銃を向ける先には大型上位ディアボロ『五四得』。
「――私の友達、返して貰うわよ!」
バゴン、と響いた砲声はまるで大気が殴り付けられたかの如く。銃火が一瞬夜を照らした。上空から地上目掛けて放たれるそれは宛らにインドラの火矢。二度に渡り、超火力砲撃が五四得にブチ当たる。
硝煙、爆煙。その薄膜の向こうで、五四得の蠢く気配がした。瞬間、周囲の者へ一気に放たれたのは、ディアボロの多数の腕から繰り出される殴打の嵐。文字通りの手当たり次第。物理の雨。数の暴力。暴力の弾幕。×3。
往なし、躱し、或いは掠り、当たり、そこから地を滲ませながら。狂気的なまでに穏やかな笑顔で鷺谷 明(
ja0776)は前進を続けていた。阻霊符も展開されている以上、ディアボロ達が透過能力を使う事もない。
「祝福あれ。私は愉しむ事しかできん」
異形の目と夜色の斑紋と。そんな光纏。笑う唇で空気を吸い込み、肺の奥底から迸らせるのは万物を揺るがす竜の雄叫び。竜咆。弱者に畏怖を、強者に歓喜を。聞け、聴け、我が立つ場所こそ戦場だ。それは全ての意識を視線を、明のもとに惹き寄せる。
しかし、先ほどの凶悪すぎるディアボロの三撃に黒百合はどうなったのだろうか――距離を取った者にまで届いた攻撃、腹を打ち据えた重い拳に胃液がせり上がる感覚を覚えつつも峰雪は黒百合の姿を目で追った。
「……ふぅ」
黒百合は全くの無傷だった。英斗が、庇護の翼によって彼女を庇ったのだ。黒百合が負っていただろうその攻撃も含めれば、英斗に降り注いだのは実に合計6発。そこいらの撃退士なら致命傷になっていたかもしれない猛打。が、それを受けても尚、英斗の両足はふらつく事なく地面を確かに踏み締めていたのだ。揺ぎ無き立ち姿は無敵要塞。倒れない。
「俺がいるかぎり、黒百合さんには触れさせないぜ!」
護ると決めた。男に二言は無い。仲間の窮地は放っておけない。必ず護れと彼の血が誇りが声を大に叫ぶのだから。
(さて――)
一先ずは安心か。ところで、何故黒百合はあの狂気の『楽園』から脱出できたのだろうか。あの暴走状態のまま力尽くで脱出に成功したのだろうか、それとも……戦場を見ていた峰雪は一つの仮説を打ち立てる。五四得は今、倒れていた(おそらくまだ死んでいないと思われる)『恒久の聖女』結社員までをも狙っていた。あれがディアボロにとっての味方であれば攻撃などしない筈。だがそうしたという事は――あの結社員は、『恒久の聖女』にとっての敵。では、何故敵となった? それは、黒百合を逃がそうとしたからではないか? あそこまで重傷の黒百合がここまで逃げ延びてきたのは、偏に彼等の尽力があったのではなかろうか?
それを裏付けるかもしれないモノがある。倒れていた結社員のすぐ近くに落ちていたもの。それはヒヒイロカネだ。黒百合のものと思われる。あれは、没収された黒百合の武装を彼等が取り返したのだろう。そんな推察が出来る。
(尤も、答え合わせの機会は永遠に喪われてしまったようですけど……ね)
今の攻撃で、結社員は完全に潰されてミンチと成り果ててしまった。死人に口無し。そして峰雪の仕事は死体を検め謎を解く探偵ではない。少しくさい言い方をすれば、姫君を護る騎士である。
「準備はいいですか、櫟くん」
「バッチリですよー!」
策敵。二人で二倍。峰雪は戦場を『見る』。諏訪はあほ毛がレーダーの様にみょんみょんさせて周囲を探る。探すのはディアボロ『這腕』だ。
『潜行』――それは『気配を殺し、敵に狙われにくくなる』もの。あくまでも消えたり居なくなったりする能力ではない。故に、見えさえすればこっちのもの。一旦視界に納めて意識してしまえば、その能力は途端に効果が消えてゆく。
「見えました」
「お見通しですよー?」
その数、実に15。居るわ居るわわらわらと。草葉に隠れて。地面を密やかに這って。木の上から。暗闇に紛れて。その居場所を二人は正確に伝えてゆく。これで不意打ちを喰らう可能性はほぼ零になったか。
「やったぁ。これでジャマされないで楽しめるね、嬉しいね! 楽しいね!」
少女の様に明るく楽しくはしゃぎながら、雨野 挫斬(
ja0919)が白いワンピースを靡かせる。まるでお花畑にいる女の子がお花を踏まない様に、スキップで這腕をぴょんぴょん跳び越えると、ホップステップジャンプ――
「フフ、そんな壊れかけの玩具は放っておいてあたしと遊びましょ」
踏み潰す様な着地。ヒールで踏み付ける五四得の腕。あたしを見て、あたしだけ見て、それは駄々をこねておねだりする子供の様に純粋で、笑顔で虫を引き千切る子供の様に残酷だ。
明と挫斬が注目効果を得た事によって、ディアボロ達の標的は二つに向いた。手数の多いこれらに集中狙いされる事はかなり危険であろうが――仲間は、黒百合はもっともっと危険な状態なのだ。
「絶対に仲間は助ける……」
仲間に聖なる刻印を施しつつ、現は前線に出る。仲間が苦しんでいる、それだけで戦うには十二分。この任務、必ず成功させよう。その為に己が出来る事は、同じ目的を抱く仲間達を支える事だと現は断ずる。出来る事を、一つずつ確実に。
「普段以上に気合をいれて事に当たらねばならんな」
現の思いに応える様に、更紗も前線へ。防御に特化したアウルを纏いつつ、『神の救い』の力を持った断罪の斧をしっかと構えた。
戦闘態勢。攻勢。
「面倒そうな敵だが特性を理解し戦えば勝機は必ずある」
「無論だ、月野様。さぁ勝利をもぎ取ろうではないか」
地面を踏み締め、一気呵成に跳び出だす。
次々と臆す事無くディアボロに立ち向かう撃退士達。それらを見送り、影野 明日香(
jb3801)は黒百合へ視線を向けた。その時には既に掌に小さなアウルの光を浮かばせている。医者を志し、医師免許も取得している彼女にとって、黒百合がどんな状態かは一目見て分かった。だからこそ心の中で顔を顰める。一体、どれほど、どれほど、どれほど嬲られたというのか。身体だけではない。心もだ。あまりにも酷い。あまりにも、酷過ぎる。
(正直、今あの子が動いてるのが不思議なぐらいよ……)
スキルではないが、これが火事場の馬鹿力というものなのだろうか。極限状態の精神が身体のタガを外してしまう。だがそれこそ、あそこまで痛めつけられた身体で無理矢理に動いたら、たとえ生き延びたとしても再起不能状態に陥るかもしれない。故に飛ばしたライトヒール。焼け石に水かもしれないが、焼け石なりにも少しはマシになった筈だ。
「影野さん、ありがとうございます!」
言いながら、渚は黒百合へと駆け出した。状況が目の前で開始された為に事前準備をしている暇はなかったが、泣き言を言ってはいられない。戦場とは想定外と予想外で回るのだ。であるからこそ慌ててはならない。邪念を振り払い、心を落ち着かせる。気配を潜ませた渚はその髪をざわりと蠢かし、黒百合へ掴みかからせた――だがそれは幻覚。しかしそのプレッシャーが、黒百合の移動を封じ込める。
「よし……!」
次だ、と渚は手錠をその手に持った。黒百合の拘束にかかる。が、
「ああ うあ゛ァあああああ゛あ゛あ゛ーーーーーッ!!!」
凡そ人とは思えぬ絶叫。移動が出来ぬだけで、その場で荒れ狂う様に暴れる黒百合。振り回す手の爪が渚の頬に掠った。薄く皮膚がめくれて、血が滲む。
「黒百合さん、落ち着いて……! 私です、渚です!」
悲痛な声。友にスキルを使ったり手錠をしようとしたりなんて、楽しい訳がなかった。辛かった。でもそんな事より渚の心を悲しませるのは、こちらに向けられる黒百合の目が『敵意』を浮かべている事で。だから今すぐ、こんな悲しい事は終わりにしたかった。
「ごめん黒百合さん。ちょっと我慢してくださいね」
それを手伝う為に、英斗は抱きつく様にしてその両手で黒百合を押さえ込む。相手は重体の身、力加減に気を付けねば――と思っていたが、油断すると振り解かれてしまいそうだ。
「――――!!」
黒百合が叫ぶ。開かれたその口の、犬歯が。鋭い毒牙に変異した。押さえ込む英斗の肩にそれを思い切り突き立てる。零距離密着故に回避は困難か。
「ぐッ……!」
憑かれた狂人の凶牙。思考・神経中枢に作用する幻覚物質が英斗の身体に流し込まれる。意識がブツンと断ち切られる。ずる、と麻痺した英斗の身体が頽れた。だがその間に、渚は黒百合の手首と足首に手錠を装着する事に成功する。バランスを崩した黒百合が転倒した。それでも尚、黒百合は無理に身体を引き起こして歯列を剥いて拘束を破壊せんと試みる。ひょっとしたら、しばらくもすれば手錠は引き千切られてしまうかもしれない。
そんな中、黒百合の正面に凛然と現れたのは明日香である。展開するのは心を癒やす暖かなアウル、マインドケア。
「悪魔には効果が薄いけど……でもあなた半分は人間なのよね。私はその人間の血に賭けるわ」
その傍にしゃがみこむ。信じている。明日香は黒百合を信じている。そっと手を伸ばした。
「――戻って来なさい。いい子だから」
ぎゅっと、黒百合を抱き締める。拘束の為ではない。それは体温を安心感を信頼を伝える為の、抱擁。母が子にする様に。恋人が恋人にする様に。友達が友達にする様に。明日香の腕に力は篭っているけれど、それは力を感じさせぬほどに、優しかった。
「戻ってきて! いろいろ言いながらも優しい、いつもの黒百合さんに! あの時、仔犬を自分から助けに行った様な、優しい黒百合さんに!」
涙を堪えながら、渚も黒百合を抱きすくめる。
「助けに来ましたからもう大丈夫ですよー! もうすぐ帰れますよー!」
二丁拳銃を繰り、ディアボロ達へ暴風の様な猛射撃を放つ諏訪も続けて声を張った。
「怖いのは全部、自分達がやっつけちゃいますからねー、安心して下さいねー! ……さて、一気に削らさせてもらいますよー?」
非日常から日常へと帰る為に。
帰る為に。
掴み捕らんと襲い来る五四得の腕を空蝉で回避し、ナナシは上空から巨大魔道銃の射撃を続けながら、されど意識は黒百合へ――親友へ、向けていた。
「洗脳なんかに負けちゃだめ、貴方が生きて帰るのを待つ人達が居るのよ、黒百合さん!!」
懸命な、仲間達の声。
「う、ぐゥ、うゥうううう……!」
ギリ、と黒百合が歯を食いしばった。仲間に攻撃を繰り出す事は無い。その様は何かに耐えている様にも見えた。
――撃退士である以上。
敵と戦えば怪我もするし、捕まったりもするし、死んでしまう事もあるだろう。覚悟している。それが戦いに身を置く者の覚悟だ。当然の事だ。覚悟していなければならない。実際、己は覚悟していた。
でも。
(あぁ……やっぱり怖いな、実際に死ぬ縁に立つのって……)
二つの鉈、大きなチェーンソー。死ぬ寸前まで身体を傷付けられて。自分の温かい血潮に塗れながら、身体がどんどん冷えていって。治療もされないまま牢獄に閉じ込められて。お終いだと思った。あの時。死を感じて。確かに、怖いと思って――今も、だ。恐ろしいバケモノの前に、丸腰で放り出されて。もう駄目だ。死ぬんだろうか。今度こそ。死ぬんだろうか。死んでしまう。自分は死ぬ。死。死。死が。死が。嗚呼。
怖いよう。
嫌だよう。
だって。
まだ学園に残してきたものが沢山ある。
もっと戦いに興奮に身を奉げたい。
もっと多くの人々と語りたい。
何より、学園に残して来た子達を悲しませるのは私の性に合わない……
会いたい。
話したい。
帰りたい。
無性に。
だから――
「生きたい……生き延びたい……死にたくない、死にたく、ないよぉお……!!」
ボロボロと大粒の涙を零しながら、黒百合は消え入りそうな声で――けれどハッキリと、『生きたい』と言った。それは錯乱が故の激しい感情だろうか。それとも、外殻が剥がれ剥き出しになった彼女自身なのだろうか。
「私もっ、黒百合さんに生きていて欲しいです!」
「そうね。少なくとも、ここに居る人は皆そう思ってるわ。……さ、皆で帰りましょ」
もう一度、確かめる様に渚と明日香が黒百合をしっかと抱き締めた。
その直後、黒百合の体からフッと力が抜ける。
「……大丈夫。極限状態だった心の糸が緩んで気を失っただけみたい」
すぐに黒百合の様子を確認した明日香が一先ずホッと息を吐く。が、まだ安堵するには早い事は分かっていた。渚と交わすアイコンタクト。頷く渚が、黒百合を抱き上げる。
「イテテ……はっ! 黒百合さんは!」
そこでスタンから回復した英斗が素早く身を起こした。見て、状況を把握するのはすぐさま。この辺りの地形は既に地図で確認済み、離脱ルートは想定済み。
「良し。渚さん、こっちだ!」
「あっ、はい!」
魔除けの五芒星を展開し、渚は走り出す。
「殿は任せてくれ。黒百合さんは任せた」
ディアボロの行く手を阻む様に現は立ちはだかる。己の仕事はディアボロ対応。
そして後は、黒百合と共に無事に帰れば任務完了だ。
が――ガサガサガサ、と腕音を響かせて撃退士達を引き止めるのはディアボロである。
明鏡止水による潜行、ドーマンセーマンによる隣接防止、注目を使用する仲間。渚が、そして彼女が抱える黒百合が狙われる可能性はかなり低いだろう。万が一、攻撃が飛んできたとしても英斗が必ず盾となる。撃退士の見事な連携によって、黒百合の安全はほぼ確保されたと言っても過言ではないだろう。
問題は、この凄まじく追いかけてくるディアボロを如何に振り切るか、だ。黒百合が無事に逃げられても、他の仲間が逃げられなくてはそれこそ木乃伊取りが木乃伊である。
特に挫斬、明の二人は注目によって被弾数が他の仲間と段違いであり、しがみ付いてくる這腕達によってスキルも封印されてしまっている。そこへ容赦なく発射されるのが五四得の精密拘束腕ミサイルだ。動けない。指先一つも。そして動けない二人に、他の這腕達がざわざわと寄ってくるのだ――その姿が覆い隠れるほどに。
が、その拘束も永遠ではない。腕の拘束を振り解き、肉を毟られ血だらけの挫斬は歯列を剥いてケタケタ嗤いながら自分の身体に爪を食い込ませていた這腕を引き千切る。生命力を貪る。
「アハハ! 痛い? 痛い? なら放しなさい」
黒百合を解体するのも楽しいかもしれない、と思っていた。でも怪我してるし正気を失ってるからまた今度かな。だから今は、搦め手ばかりの雑魚ばかりで退屈だけれど、何もしないのはもっと退屈だから、せめて退屈なりにも遊ぶとしよう。
一方で、同じく拘束から解放された明もヤレヤレと呟きながらも薄笑んでいた。享楽主義者は何だって楽しめる。苦痛や逆境も何だって。故に彼は享楽主義者なのだから。
「さぁさ、『お手を拝借』」
咆哮。夜を舞台に、震わせる。
●黒い夜02
未だ完全撤退とは成らず。撃退士の作戦に於いて、唯一難点を上げるならば『増援の可能性』をあまりにも重要視しすぎて本作戦がややなおざりであった事か。本末転倒――否、未だだ。全てはまだ途中、終わりの結末など今の誰にも分からない。
「厄介なミサイルだな。命中する訳にはいかないか」
早く撤退せねば、という撃退士にとって五四得の精密拘束腕ミサイルは厄介極まりない。五四得の攻撃に対しては諏訪が回避射撃で被害は減らされたが、回避射撃にも限りがある。仲間を護るべしを旨とする現は拘束された仲間の救出を手伝い、或いは体力の危機となったものをその身を盾に庇う。
が、それでも、伸縮拘束腕ミサイルで引き寄せられた峰雪が五四得の腕に殴りつけられ、戦闘不能になってしまう。明も挫斬もいつ戦闘不能になっても可笑しくない。
しかしここで諦める訳にはいかないと、避けた唇から伝う血を手の甲で拭いあげた更紗はディアボロを睨め付けた。
「何処を見ている、こっちを見ろ、木偶の坊」
当たれば必ず拘束される。厄介だ。故にシールドでは回避に向かないか。然れば小細工抜きの真っ向勝負。
南無三――当たるか否か、一か八か。
「それを易々と使わせるわけには如何のでな、邪魔させてもらうぞ」
地面を蹴る。勇猛果敢。雄々しくも流麗。矢の如く見据えるその先には、今にもその腕を伸ばし誰かを拘束せんとしている五四得が。
させるものか。厄介な敵に「恐ろしい」と震え上がるのは性に合わない。先手必勝。
「戦場を支配しているのは、貴様では――ないッ!」
瞬間的に活性化した盾に有りっ丈の力を込めて。力の限り殴りつける轟の一閃。それは伸びかけた五四得の腕を叩き落し、厄介な技ごと封じ込める。
今だ。
そう、誰もが思った。
「さて、あとは帰るだけですねー? 皆で一緒に帰りますよー!」
「援護するわ。走って!」
銃を向ける、諏訪とナナシ。直後の銃声、それに紛れて走り出す音。足音。
「またね。次は本気で愛してあげる」
挫斬は発煙手榴弾を投擲してみる。天魔に対してその効果はあまり期待できない上に移動しているという状況上、張られた煙からすぐにディアボロ達が出てきてしまった。
撤退の前に明日香は倒れていた結社員へと目をやったが――どう見ても死んでいる。となれば、悪いがそのままにしておく他に無い。そのまま現と共に殿となり、二人の『星界の先駆者』は聖なる刻印により更に強化した特殊抵抗を防御という名の武器に変えて、這い酔って来る小型の腕達を相手取る。
「邪魔よ、雑魚はすっこんでなさい」
「仲間にこれ以上触れさせん……!」
明日香が振るう青白い重鉄槌が這腕を薙ぎ払う。現は己が身がどれほどズタズタになろうが省みず、その身を文字通り盾にして仲間達を守り続ける。
現の体は血だらけだった。されどその脳は冷静。諦観は死後で良い。希望を捨てるのは絶望してからでいい。全力を尽くすは幸せの為。
護る、と。仲間の背を守り、盾を構える。
眼前に五四得の拳が迫り、鈍い音と共に意識が断ち切れても尚、彼の心に諦めと恐怖は微塵もなかった。
「っ……」
明日香は僅かに眉根を寄せる。倒れた仲間を放置して逃げる訳にはいかないので、当然ながら撃退士は仲間を抱えて撤退している。仲間を抱えた状態ではどうしても動きに制限がかかる。その状態で、果たしてこのままディアボロを振り切れるのだろうか? 確かに這腕の数はかなり減っている、五四得も無傷ではない、だがしかし、自分達はこのままディアボロ達に逃げながらジリジリと削り殺されはしまいか――?
と、その時。撃退士の前方から駆けて来る人影。
英斗である。
黒百合は戦場圏外に脱出した。彼女に関しては渚が付いている。だが味方本軍が撤退に手間取っている。その事を現より連絡を受け、手助けの為に駆けて来たのだ。
「どォらぁああああああああああああああああッッ!!」
走る、勢いの、そのまま。速度と堅さと重さを武器に、仕掛けるはアーマーチャージ。奇跡よ起これ、12m。今にも撃退士に追いつかんとしていた五四得をかっ飛ばす。
「逃げるぞ!」
飛び下がる英斗の声に、誰しもが応える。
再びディアボロ達が追いついてくる前に。諏訪とナナシの猛射撃で牽制しながら、撃退士は走り、走り、走りに走り――……
●黒い夜03
「……なんやぁ」
辺枝折 猛鉄がディアボロ『刃隼』によってその場に辿り着いたのは、本当に『ニアミス』と呼べるタイミングだった。ディアボロに乗ったまま周囲を見渡せど、そこには獲物を見失いその場を所在無さげにうろつく五四得と這腕達。撃退士も、黒百合も、居ない。
「なんやぁ……逃げられたんかぁ。まっええかぁ〜。これでまた喧嘩できるっちゅーこっちゃがな」
落胆は欠片も無く。強いて言うなら少し戦いたかったとボヤきながら、『恒久の聖女』の小隊は夜の森から立ち去った。
●絆華
目が覚めたら白い病室だった。朧に開いた黒百合の視界に映っていたのは、彼女を覗き込むナナシの相貌。目が合った。そんなに感情を大げさに表さないナナシであるが、その時確かに、ぱっと表情が華やいだ様に思えた。
見間違える筈がない。
友の、顔だ。
「あ……」
黒百合は思わず起き上がろうとしたが、「まだ寝てて」とナナシに止められ再びベッドに身体を預ける。そのままばつが悪そうに顔を横向ける事で視線を逸らしつつ、いつもの黒百合とは打って変わって弱々しい物言いで言葉を紡いだ。
「その……ご……ごめんなさい……物凄く……」
「いいよ。……友達でしょ?」
安堵や様々な感情を全てひっくるめて、ナナシは微笑む。黒百合が起きるまでずっと隣にいた彼女にとって、親友がこうして目を覚ましてくれた事が何よりも嬉しいのだから。
我侭を言えばもう少しだけ黒百合とこうしていたいのだが――空は夕暮れ。夜が来る。大規模作戦が、始まる。ナナシは往かねばならぬ。『奴ら』とその背後に居る者を 、完膚なきまでに打ち砕く為に。
もう一度ナナシは真っ直ぐ友と目を合わせた。その手を、ぎゅっと握り締める。
「……行って来るわね、黒百合さん」
「えぇ。行ってらっしゃい、ナナシさん」
握り返された体温。
必ず戻る、信じて待つと交わした誓い。
そして――踵を返した悪魔の少女は、戦場<楽園>に向けて歩を進める。
『了』