●あいはなんだい01
「はじめましてなんだよ? あたしスピネル」
放課後の夕暮れがらんとした教室。にぱっ、と明るい笑顔を向けたのはスピネル・クリムゾン(
jb7168)だった。それに応えたのは依頼人の恋人、レジエル。
「大学部に天使とニンゲンの恋人さんが居るって聞いたの。あたしの気持ちもきっと同じだと思うんだよ? だからお話聞かせて欲しいの。ねぇ、レジちゃんは美由ちゃんが好き? 大切? 一緒に居たい?」
「それは、まぁ……そのつもりです」
直球の問いに、逸らされる視線。
「そっかぁ。あたしはそうだよ? でもでもあたしは絶対に置いて逝かれちゃう……それってとっても悲しくって、辛くって……怖くって……こんな気持ち無かった事にしたいって思ったんだよ……でもでもだからって他の人になんてあげたくなんて無いんだもん」
スピネルは天使だ。レジエルと同じ。だから彼女にはレジエルの気持ちがなんとなく分かる気がした。想い人とは未だ恋仲では無いけれど、それでも、苦しいぐらいに。
それでも――否、そうだからこそ、諦めて欲しくなかった。
「それにね……美由ちゃんは大切な大切な気持ちをレジちゃんにくれたんでしょ? それって置いて逝っちゃう辛さも乗り越えて、勇気いっぱいの決意だと思うんだよ……美由ちゃんはきっとわかっててレジちゃんに気持ちをくれたんだと思うの。レジちゃんは? 一生懸命な美由ちゃんにあげられることは? 気持ちは? 全然無いの? それとも遊びなの?」
「違う」
スピネルの言葉が終わる前にレジエルは声を張っていた。
「……私だって、美由さんを好いています。遊びなんかじゃない、彼女が大切です。でも、だからこそ、悲しませたくなくて」
「悲しませたくない、より、喜ばせたい、だと思うんだよ。素直になったら、もっともっと幸せになれるんだよ。想う気持ちに種族なんて無いと思うんだよ? 短い時間なら尚更、一緒に居れる時間を大切にするべきだと思うんだよ? それなのに怖がってる時間なんて、あるの?」
曖昧な態度で逃げられぬように。レジエルの返事は――立ち上がるという行為だった。逃げる為ではない。向き合う為だ。
「ちょっと美由に会いに行ってきます。……ありがとう、スピネルさん」
「うんっ、いってらっしゃいなんだよ!」
「好きだ、って気持ちは種族とかそんな事より前に出てくるものですものね。けど、それだけで済まない問題があることも確かで……」
シャロン・エンフィールド(
jb9057)の正面には依頼人の美由が座っていた。沈鬱な雰囲気の彼女を励ますように、シャロンは言葉を続ける。
「でも、好きだって気持ちが確かなら、きっと何とかなります!」
「本当に『確か』なのかなぁ」
「嶋さんのお話によれば時々でも『好き』ときちんと口にしてらっしゃるようですし、大丈夫ですよ。嫌々言っている、という感じではないのでしょう?」
「そうだけど……」
美由は頭では分かっているが、といった様子であった。不安だからこそ、依頼したのだ。
「んー……」
シャロンは考え込む。天魔の人の気持ちは天魔の人の方が分かるかなぁ。スピネルの顔が脳裏に過ぎる。彼女も頑張っている筈だ、己も頑張らねば。
「レジエルさんが、ストレートに想いを伝えるのが苦手な人だって分かっていらっしゃるんですよね。それに嶋さんは気持ちを真っ直ぐにぶつける方のようですから、レジエルさんもそれで無意識に安心してしまっているところがあるのかも? レジエルさんなりに、気持ちを分かりやすく伝える方法をお二人で模索出来ればいいんですけど……」
「例えば?」
「そうですねぇ、レジエルさんに『天界での恋愛ってどんなものか』を聞いてみたりして、それで興味が沸く話があればそれを示してみれば、レジエルさんも『それをやってみよう』という風になるかも? 気持ちはあるんですから、後はその表し方を人・天魔の両方から歩み寄れればいいですよね」
「上手くいくかな……なんだか間違っちゃいそうで、怖い」
「想いや信念に、悲しい事や恐ろしい事はあっても『間違い』なんてありませんよ。大丈夫」
これは理屈でもなんでもない、シャロンの直感だけれども。先ず己から信じなければ、他人を信じる事など出来る訳がない。
そんな性格を表すかの様な揺ぎ無き眼差し。見詰め返した美由が、クスリと笑んだ。
「そうね。もうちょっとだけ、信じてみようかな」
――教室のドアが突然開いて、駆け込んできた堕天使が美由を抱き締めたのはその直後。
愛してる。
そんな言葉が、夕暮れに響いた。
抱き締め返す少女の背中のなんと幸せそうなこと――ほら、間違いなんて無いんだと、シャロンはニッコリ微笑んだ。
●あいはなんだい02
金城ハル、依頼人の道田靭の恋人。39歳独身。沖縄を中心に活動をしているフリーの撃退士。妥協無く実直、かといって生真面目臭さは無し、そんな人柄。20年以上続けてきた撃退士業に裏打ちされた確かな実力。若い頃は数人との交際経験があったらしいが、今はそういった噂なし。
それが、クイン・V・リヒテンシュタイン(
ja8087)が行った聞き込み調査の結果だった。勿論、依頼人が恋人にバレる事を良しとしていないので口止めも忘れない。事前調査は絶対必須ではないだろうけど、知らないのに勝手な口を叩く者など信用できまい。そういった考えであった。
「ふふふ、悩んでるようだね若者よ」
あぁ、年齢なんて関係ないんだよね? 微笑んだクインの眼鏡に、正対して座す靭が映る。その姿は鈴原 賢司(
jb9180)の眼鏡にもまた映っていた。
「愛か、愛ね、そう、愛はいいものだよ、とてもいいものだ。深遠で浅はかで複雑で単純で高尚で下らなく、そして美しくて醜い。そんなあやふやでいい加減なものだが、それこそが僕達の心を救うんだ、人も天も魔もなくね」
まるで戯曲の台詞の様な。じっと相手を見澄ます賢司の瞳。教えてくれないかと彼は問う。靭が何かを愛しているのか、何を愛しているのか。
「君の心を知りたいんだ、だって僕は君を愛しているから」
本音の様な嘘。嘘の様な本音。そりゃどうも、と靭は苦笑してから真面目に語り始める。金城ハルについて。彼女を本気で愛している、と。
「成程、道田君の話を聞く限りでも確かに彼女は魅力的だね。強くて綺麗で……そして優しい」
であるからハルは靭を試しているのではと賢司は言う。同時に、ハルが靭に引き返すチャンスを与えているのでは、と。
「……彼女は君よりずっと早く老いてしまうよ。君は白髪も皺も増えた彼女を想像しそれでも美しいと言えるかい? 一線を引き剣も握れなくなった彼女を強いと讃えることが出来る?」
「老いない人間なんて居ない。僕は見た目や強さだけでハルさんを選んだんじゃない」
「素晴らしい。それじゃあもう一つ、遠い距離や会えない時間にも価値があると思える?」
「あると思うし、一人の時間も大事だと思うけど……やっぱり、学園ですぐ会える距離にいるカップルを見ると、羨ましい気持ちになるよ」
そうかい、と賢司は頷いた。答えは是でも非でも何でも良かった。
「僕は君が大好きだよ道田君。君の弱さも迷いも若さも、何もかも」
傍に立ち、触れる背中。押して欲しいなら、微力ながらも叶えよう。
「君より長く生きた彼女はそれだけ色んな事を知っている。その分知りたくなかった事も知ったのかもしれないが、それを癒すのは君の若さであり純粋さだ。今彼女を幸せに出来るのは君だけだよ。それに遠く離れていても心は繋がっているという真実は君達の絆を強く出来る。……ま、僕にも遠い所にいる思い人が居るもんでね」
君の愛を信じたまえ。世界は愛に満ちている。陳腐な言葉だが、それが一番だと賢司は信ずる。
靭は黙した。クインは彼を見る。もう一押し、必要だと思ったから。
「君は愛ってなんだと思うんだい?」
ふと、質問。顔を上げる靭は考え込む。一言ですぐに出てこない――君は、と問い返す眼差し。
「僕は思うんだ。愛とは眼鏡だ、ってね。例えばここに古い、味のある眼鏡があるとしよう」
クインは己の眼鏡を外して、手の上においてみせる。
「僕や君には少し早いような、でもとても気に入った眼鏡さ。君は好きで眼鏡をかけるだろう。でも、周りから笑われるかもしれない」
似合ってない、年が合わない。だからその内、新しい眼鏡が欲しくなるかもしれない。軽くて、手入れも簡単で、見栄えも良くて、評判もいい眼鏡。古い眼鏡はすぐに壊れてしまうし、片隅に仕舞われて埃を被ってしまうかもしれない。
「今はこの古い眼鏡を気に入ってるだろう。でも眼鏡が似合うかどうか迷うならきっと似合わないさ。君が堂々とかけ続けていれば自然と似合ってくるものさ。不安だからと眼鏡の位置を変え続けていればいずれかけなくなるだろう?」
信じるのさ、この眼鏡は絶対に外れない、自分が一番似合うってね――外した眼鏡を静かに着けて、クインはレンズと共に笑顔をキラリと光らせた。人生は、眼鏡に似ている。
「……ん、何の話だったかな。あぁ、そうだね、手紙出したらどうだい。気持ちも伝わるんじゃないかな」
眼鏡も添えるとなおいいさ。そんな言葉で締め括られたクインの眼鏡愛に満ち溢れた言葉は、けれど確かに的を得ていた。
頷く靭。そこにはもう先ほどまでの迷いは無かった。
信じる事。それが今は大切で、それがハルに対する最もな愛なのだと思ったのだ。
きっとハルも、一皮剥けて自身を身につけた靭を喜ばしく思うだろう。
――後日、沖縄に眼鏡と共に手紙が届くのはまた別のお話。
●あいはなんだい03
(彼氏いない歴=年齢の私が恋愛相談とか役者不足でしょ……)
ぼっちマエストロことフレイヤ(
ja0715)の目の前には依頼人の日枝翔子が沈痛な面持ちで俯いたいた。フレイヤは努めて余裕ある笑みを悠然と浮かべているが――チラ、と横目に見たのは梅ヶ枝 寿(
ja2303)。何だかんだでこの手の問題は寿の方が得意そうだし任せてしまおう。
(……超悔しいけど、私より女子力高いとかマジ何なの)
思ったが、口にはしないでおく。それにああ見えて彼は結構真面目なのだ、きっと依頼人を導いてくれる筈。
「おー片思いとか甘酸っぺーな」
不意に、頬杖を突いた寿が飄々と笑む。
「俺らから話漏れる心配ねーし、この機会にどこが好きとか萌えポイントとか、普段言えないコト好きに言っちゃえ」
「……え、あ」
「いいからいいから」
寿に促され、翔子は俯きながらも訥々と語り始めた。友人、ルリの好きな所。優しい。前向き。明るい。etc……幾らでも出てくるそれを、寿は目を細めて見守っていた。
「で」
翔子の言葉が途切れたそこで、寿の声。静かな教室に響く一声。依頼人の瞳を見澄ます。
「ルリに告ったとするじゃん? OKもらったとするじゃん? OKもらって付き合って、んでどーする? チューとか、それ以上とかしてーと思う?」
あ、男からいきなりこんな質問されてヤな気分になったらごめんな。付け加えた言葉に、翔子は「いえ」と緩く首を振った。それから寿にかけられた問いについて考え込む。考え込んだ。言葉は無い。只管に沈黙。
だが、その沈黙が十二分に答えであった。即答出来ないという事は――やはり。寿は思う。翔子の感情は恋愛ではない、独占欲。即ち友情の延長線上なのでは、と。
「精神的な繋がりが深いと、友情なのか恋愛なのか曖昧になることとかって割とあると思うんだけど、そん時に、こーゆー想像に抵抗あるかないかが分かれ目になる気がするんだよな」
どーよ、と寿は沈黙の少女に問う。
「俺予想では抵抗あるんじゃねーかと思うんだけどさ」
「……はい。その通り、です」
「そっかぁ。ま、どっちにしても、さ。親友ポジ堅守一択じゃね? んで、やってみてバレたらそん時に腹括って告ればいんじゃね? 無責任もいーとこな意見かもしんねーけど、でも好きなコの隣にいるためなら手段選んでる場合じゃなくね?」
バレで翔子を軽蔑する様な人間であれば、そもそも最初の段階で思い切って告白してみても間違いなくアウトだ。告白以前に、そんな者とは縁を切る方が良い。
「……」
翔子は押し黙っている。寿の言葉が寸分のズレもなく正しかったからだ。正しく『正論』。良い訳や逃げの台詞が思い浮かばないほどに。そして翔子は自覚する。己の想いが、友愛を恋愛と勘違いしていた事に。自覚する。己は何て馬鹿なんだと涙をポロポロ零しながら。
そんな彼女の頭を、寿はぽふっと撫でた。
「で、こーゆーのは一人で悩んでたら100パー迷走すっから、事情知ってるやつに定期的にグチんの超大事。ルリに恋人できたときのお祝いの言葉シミュレートとかも余裕で付き合うし」
と、そこでフレイヤを指差し。
「ここにぼっちの女王もいるしな」
「ことぶ子は余計な事言ったらぶっ飛ばすわよてかぶっ飛ばす」
「うわやめろごめんなさい」
もみあげを毟り取られそうになって押し黙る寿、「全く」と息を吐くフレイヤ。さて、今度は己の番だと黄昏の魔女は少女へ向いた。
「私は黄昏の魔女」
言葉、伸ばす手、指先で翔子の涙を一拭い。
「魔女は見知らぬ誰かを笑顔にする者」
本当は、意気込んだものの『田中良子』には恋愛なんて分からなくて。だって恋愛なんてした事もないんだもの。
でも、彼女は『フレイヤ』だ。分からないなんて泣き言は、浮かべる微笑に押し隠し。笑顔にする。そう思い、言ったのならば、絶対にそうしてみせる。
「翔子ちゃん」
呼んだ。伸ばす手もう一つ。ぎゅっと、抱き締めるは体温。伝える温度。
「貴方は一人ぼっちなんかじゃないよ」
「でも、」
「大丈夫。一人ぼっちだと思っちゃうのは周りを信じ切る事が出来ないから。何より自分は他人から愛される程の人間じゃないって、自分に自信が持てないから」
だから、『大丈夫』。本当は、そんな事はないんだから。
「翔子ちゃんは自分で思ってるよりずっとずっと魅力的で素敵なんだから。愛されていいんだよ、もっと自分に自信を持っていいんだよ、不安に思わなくっていいんだよ、駄目なんかじゃないんだよ、大丈夫だよ」
飾らない言葉。上からでも下からでもない真っ直ぐな言葉。翔子を一人の人間として見詰めた言葉。
「私も一人ぼっちが長かったから、何となくだけど分かるんだ。――ね、私と友達になろうよ?」
フレイヤのその言葉は、翔子の心にどれほど染み渡った事か。
いいの? 震える声の少女が問う。
いいよ。頷いた魔女が応える。
「だからほら、笑って御覧?」
――そして少女は、恋が成就した親友を心から祝福した。
それでも少女はもう、寂しくはなかった。もう友愛を見誤らない。笑顔を浮かべて前を見る。
もう、一人ぼっちではないから。
『了』