●デスオブザ暴力
ドドドドド。ゴゴゴゴゴ。映画のワンシーンなら良かったものを。
圧倒的破壊光景。絶叫と恐慌。秩序ならば既に死んだ。死んだのだ。
「怖いか!? 怖いやろぉが! 救ったろか? ほな従え敬え奉れぇい!!」
ギャハハげらげら。大型ディアボロ『重銃燈篭』の上で笑う人物、辺枝折 猛鉄。森田良助(
ja9460)は鷹よりも鋭い視界でそれらを視認する。次いで彼はその周囲の状況も確認した。
重銃燈篭とその天辺の猛鉄を中心に、散開する形で武装覚醒者、飛行するディアボロ『銃撃蝶々』。シンプルな隊形だ。近すぎず遠すぎず。それ故に目立った隙は無いように思われる。
と、その時。アウル覚醒者のインフィルトレイターと『目が合う』。奇しくも同じ『目』で同じ様に周囲警戒を行っていたようだ。
「……気付かれた。皆、注意して!」
声を張った良助は仲間へ警戒を促すと共に見た光景を素早く伝える。
了解、と応えたのはリボルバーをその手に構えた神埼 晶(
ja8085)である。思い返すは出撃前――編成に苦言を呈した彼女に「不可能を前提とした任務はない」と応えた教師の言葉。極端な事をいえば、あらゆる任務に全生徒をつぎ込めば全ての任務は達成されるだろう。だが戦力は極端に疲弊する。大きな戦力を動かす事は容易ではないのだ。
とまぁ、上に文句をつけてもキリはない。なにより志願したのは晶自身だ。今ここに居るのも晶自身だ。であるならば、今は。
「ま、キッチリ仕事はやりますよ。その上でちゃんと生還します」
仲間と共に光纏、阻霊符発動、攻撃態勢。
矢野 胡桃(
ja2617)も同様。その中で軽く、確かめる様に左腕を動かしてみる。閉じ、開き、ぐっと閉じ。握る銃。
(……だいじょうぶ。いける)
前を向く。仲間達が見える。
力による強制服従。鳳 静矢(
ja3856)はそれに対する嫌悪感を隠せない。寄せた眉根、気持ちを表すかの様に不穏に揺れる紫のアウル。
「……暴威を振るい命を脅かす者が、救済を説くか……!」
理不尽だ。理解に苦しむ。赦せない。故に全力を尽くそう、人々を護り救う為に。
「心無き破壊、こんな非道は許しません」
リディア・バックフィード(
jb7300)も同様、視界一杯の惨劇を愚の骨頂と断ずる。罪無き者への一方的蹂躙、力に驕った破壊への陶酔、それに何の意味があるのか。
力とは、そんなものの為に使うものではない。然らば己は、不当な暴力に対抗する為に力を揮おう。
罪無き者を護る為に。道理から外れた者を正す為に。
(覚醒者による事件、か)
龍崎海(
ja0565)は学園新聞に取り上げられた記事を思い出す。その真相に興味があった。それを明かす為にも、これ以上犠牲者を出さぬ為にも、海は勇然と前を見据える。強化に強化も重ねた。そこいらの覚醒者相手なら負けはしない筈と深呼吸一つ。
状況は混沌。悲鳴と共に逃げ惑う人。或いは瓦礫の下敷きとなり動けない人。腰を抜かした人。ただ震えて隠れる人。人だった肉塊。
それらを救う為に、影野 明日香(
jb3801)は動き始める。見渡し、張り上げる声。
「私達は久遠ヶ原学園から派遣された撃退士です。あなた達を助ける為にここに来ました!」
だがその声は悲鳴と騒乱に掻き消され、更に一般人は恐慌状態。マトモに届く筈も無い――が、想定内だ。アウルを増幅させ、精神安定の効果のあるそれを拡散させる。
「敵は私達が抑えます、だから皆さんは今すぐここから退避を!」
「にげろ!」
「私達が持ち堪えますから慌てず避難して下さい。広範囲の攻撃に巻き込まれないように!」
「這ってでも良いから退避しろ、その時間は稼ぐ」
晶、リディア、獅童 絃也(
ja0694)も協力して一般人に避難勧告を行う。一瞬で完全に人々が全員冷静になる事こそなかったが、明日香のマインドケアによって彼女に比較的近い場所にいる者は言葉を聞ける程度には安定したか。一先ず、撃退士を武装覚醒者と混同せずに『撃退士』と認定はしてくれたようだ。それだけでも、効果は十二分といえるだろう。
白衣を翻し明日香は駆ける。瓦礫に足を挟まれ動けない一般人の下へ。
「大丈夫、諦めないで。今助けます!」
ヘタに武器を出せばパニックになってしまうか。素手のまま瓦礫を掴む。その細腕からは想像の付かぬ力で、常人ではありえない力で、持ち上げる。這い出した一般人はけれど、超常の力にただ口をパクパクさせるのみ。そんな一般人へ、瓦礫を下ろしながら明日香は言った。凛然と言い放った。
「アウルに覚醒した者が撃退士なのではありません。人々を守る為天魔と戦う者、それこそが撃退士なのです」
真っ直ぐな眼差し、真っ直ぐな物言い。マインドケアを使用しながら一般人の脚を応急処置し、近くを逃げていた者を呼び止めると負傷した一般人を運ぶように指示を下した。
次だ、と明日香は他の者を救う為に奔走する。動けぬ者は助け、隠れた者を諭し、傷ついた者は癒し、逃げる者へはルートを指示し、流れ弾が飛んできた場合はその身を以て護りきる。
瓦礫の中に靡く白銀の髪。毅然とした態度で、救う為に戦場を駆けるその白い彼女。破壊の中に舞い降りた救済。それを見た人々の心に浮かんだ安堵はある種の崇拝に近かった。
「天使……」
ある者が呟く。ごうと吹いた風に翻った明日香の白衣が、まるで真白い翼の様に、見えたのだ。
それを横目に見守りながら、リディアは黒き銃を敵に構えて引き金を引く。牽制射撃。一般人を逃がす為に。その時間を稼ぐ為に。
「ここから先は絶対に通しませんっ!」
盾の如く展開された光纏の金書。その真ん中でリディアは射抜く様に、敵を睨め付けていた。
同様に胡桃も静かに銃を向ける。敵を睨む兵器は少女の一部であり、少女はアウルに輝く銃の一部である。
「貴方達の相手をする人なら、他にいる……。そっちに集中して頂戴。私の邪魔、しないで」
強弾【Eroica】。それは暴れ回る様に弾丸を被害を撒き散らす蝶を狙い、確実に撃つ。
敵を攻撃する事。それだけが正解ではない気が、胡桃にはした。敵が『見せ付ける』為に暴れているなら、見せ付ける相手がいなくなれば行動に意味は無くなる筈だ。
(それに……)
一般人に撃退士と武装覚醒者の見分けがつくものか。撃退士は彼等の様な野蛮なバケモノではないと分かって貰うには、護らねばならぬ。護らねばならぬのだ。罪無き命と同時に、撃退士としての誇りと矜持を。
が、それを黙って見詰めている敵ではない。撃退士が動き出すのと同様に武装覚醒者集団も動き出しているのだ。
重銃燈篭の天辺、猛鉄はハッと笑う。
「セイギノミカタ面しゃーがってよぉ〜〜気に喰わんのぉ! オォイお前等、いてこましたろやぁ!!」
令を下し振り下ろす鉈。展開。後衛らしい覚醒者3人――アストラルヴァンガード、陰陽師、インフィルトレイターか――が射撃武器を構える。空中では銃撃蝶々が縦横無尽に飛びながら上から撃退士へ照準を合わせた。そして重銃燈篭も、その大量の銃砲を向けるのだ。
「オープンファイアぁああ〜〜〜っヒャーーッハーーーー!!」
それは銃撃の嵐。鉄の暴風。正しく弾幕。雨霰、弾丸が弾丸が弾丸が撃退士を一般人を街を切り裂かんと唸りを上げる。
「う、ぐぅっ……!」
防御に腕を構えたけれど、無慈悲な暴力が鳳 蒼姫(
ja3762)に襲い掛かる。皮膚にめり込む痛みの感触。噛み締めた歯列より漏れてしまう苦痛の声。それでもぐっと奥歯を噛み締め、その目で見るは愛しい旦那。彼の気遣う眼差しをしっかり見返し、『絆』と共に声を張った。
「アキは大丈夫……行って、静矢さん!」
「……分かった。無理はするなよ、蒼姫!」
託された絆。感じる温もり。足を止めぬ静矢は重銃燈篭に近付き、それを見上げる。不敵に笑みながら。
「さて……戦舞(ダンス)に付き合ってもらうぞ」
挑発。瞬間、重銃燈篭の砲列が静矢に向くや火を噴いた。弾丸、衝撃、ディアボロとは言え上級と謳われる上にこの巨体、事前情報に恥じぬ火力。されど静矢は踏み止まり、地を蹴って駆け出した。一般人の少ない方へ重銃燈篭を誘導する心算だ――が。
「……!? くそっ」
重銃燈篭が追って来る事はなかった。ただ銃砲だけが獲物を狙う蛇の様に静矢を見詰めて狙っていた。当然だ、おそらく静矢が遠く遠く走って駆けてもそこはディアボロの『射程内』。わざわざ親と見間違えたヒヨコの様に付いて回る道理はない。
「デカ物に釣られんな! 各自目的を忘れんなよ!」
重銃燈篭の圧倒的存在感に惑わされぬ様に金鞍 馬頭鬼(
ja2735)は声を張り上げる。今日ばかりはお茶目な馬ではない、真剣に敵を確殺せんとする冷酷な戦人。否が応でも視界に映る死体、負傷者、瓦礫の山――燻る煙の様なアウルが馬頭鬼から噴出していた。その間隙より覗くのは『ブチ切れ』た男の形相である。
「……おォあアアアアアアアアアアアッ!!」
轟かせるは鬼の咆哮。死活。命を代価に死を拒む。痛みを拒む。血走る瞳で駆け出した。狙うは敵のアストラルヴァンガード――だがその者は後衛である上に、馬頭鬼の行く手を武装覚醒者のルインズブレイドが立ちはだかって妨害してくる。構うものか。死活のリミットにはこうしている間も近付いている。
「纏めて相手してやる、掛かって来い!」
アスファルトが砕けるほどに地面を蹴る。宙を舞う。そのまま重力に乗って、敵ルインズブレイドへ隕石の如き蹴撃。鈍い悲鳴が確かに聞こえた。
「我等に刃向かうか、異端者め!」
返す高速の剣閃が馬頭鬼に鮮血の花を咲かせた。が、それは文字通り今の彼には『痛くも痒くもない』のだ。
「まぁまぁだな、悪くない……だが、これでも攻撃を当てるかな?」
そのまま、馬頭鬼は発煙手榴弾をその場に叩きつける。濛々と立ち上る白煙が全てを多い尽くす――
「よし、いくよ!」
タイミングを合わせて詠唱したのは蒼姫だった。翳す掌、展開する魔法陣より流れ出るのは睡魔の霧。馬頭鬼が敵を引き付け、そこに蒼姫がスリープミストを放ち一網打尽に寝かしつける。という作戦だった。
何も見えない白煙の中。そこではルインズブレイドが睡魔に負けて頽れてしまう。そして馬頭鬼もまた、視界を断ち切る眠気に倒れこんでしまった。
だが、しかし。
眠ったのはその二人だけという辛い結果に終わってしまう。
――注目はグッドステータス。目的の誰かに狙って付与できるバッドステータスではなく、それを使用した者が複数であるなら否が応でも標的は分かれる。そして『使えば絶対に引っかかる』ものでもないそれは、仮にひっかかったとしても『態々近接まで接近して殴りに行ってしまうもの』ではない。射撃できるならそうするし、動く必要がなければその場での攻撃を選択するのだ。
特に馬頭鬼の場合は視界が不良になり馬頭鬼の姿が上手く見えない。となれば注目の効果は二回りも三回りも減少してしまう。
そして何よりこの煙だ。それは敵だけでなく味方の視界もまた遮ってしまうという状況になっていた。
「く……!」
見えない。後衛の晶、良助、胡桃は特にだ。絃也も進撃ルートを変えざるを得ない。風上に回るよう駆けながら煙から逃れると、絃也は同じく煙を迂回して立ち向かってきた敵ディバインナイトを見澄ました。
「いくぞ――」
ぐ、と絃也が拳に込める脅威の力。何処までも真っ直ぐな、だからこそ恐るべき疾風の如き右ストレート。堅い硬い固いモノ同士がぶつかり合う凄まじい音が響いた。絃也の山をも砕く一撃と、ディバインナイトの鋼の如き障壁が、真正面からぶつかり合う。
「盾対矛……か、面白い。その盾、粉砕してやろう」
こちらの攻撃力が勝るか。そちらの防御力が勝るか。力と力の純然勝負は嫌いじゃない。
もう一度だ――絃也は再び拳に力を込めて、躍りかかる。
一方の海は翼を広げ空中にいた。狙うは猛鉄だが、その行く手を銃撃蝶々が飛び交い阻む。毒の鱗粉が、彼を毒にこそしないものの激痛と共に肺を蝕む。咳き込めば血。顔を顰める。
「邪魔だ、退け!」
盾を構えて蝶の銃撃を防ぎながら、ひらひら飛ぶそれを地面に叩き落してやろうと蹴りを繰り出した。当たりこそしなかったが――当たっても落とせるか不明だが――囮にはなっている筈だ。
そんな蝶を狙う弾丸があった。立ち位置を調節した晶と良助が向ける銃。交差。翅を穿つ。
「アンタ達なにがしたいわけ? 聖女が世界を救う? 救うべき民間人を殺して回って、アタマわいてんじゃないの?」
「キミ達って弱いもの虐めしか出来ないの? 違うなら僕達と遊ぼうよ」
そのまま二人は武装覚醒者を見、晶は苛立ちを含め、良助は皮肉の冷笑を浮かべ、挑発。
応えるようにインフィルトレイターと陰陽師が攻勢に出た。精密狙撃、炸裂陣。爆風と弾丸。爆炎の中から横転で飛び出しながら、晶はリボルバーを差し向けた。狙いは絃也の前に立ち塞がるディバインナイト。
「受け防御じゃアシッドショットのいい標的よ!」
発砲。357アウル弾にたっぷり込められた腐敗毒がディバインナイトの盾刃に命中した。どろりとその表面を溶かす。
その一瞬の隙。回し蹴りでディバインナイトを押し退けた絃也はそのまま一気に陰陽師への間合いを詰める。
「押し通す……!」
漲らせる闘気を全て右拳へ。流れる様な動作には一切の無駄が無い。己の全てを攻撃へとつぎ込み、絃也が繰り出したのは破山の鉄拳。闘気が螺旋に軌跡を描く。腹の真ん中に拳をぶち当てられた陰陽師が血反吐を吐きながらぶっ飛ばされた。
が、トドメには至らない。撃退士のインフィルトレイターが仲間へ応急手当てを施すように、敵側も回復手段を持ち合わせているのだから。
しかし、と絃也は身構えながら思った。 示威的な行動、冥魔と覚醒者の共闘、裏に動きがありそうだ。破壊活動は文字通りの意味と陽動? 覚醒者による資金や著名や有力者の確保? 本命は悪魔か覚醒者か? 何かしら組織めいた匂いを感じるが……
(深読みすぎか)
今は戦闘だ。拳を握り直す。
●暴力パワー
重銃燈篭は尚も進軍を続ける。まるで逃げ惑う人々を追い詰める様に。向けられる砲。猛烈な無差別散弾×2。それは撃退士は勿論の事、一般人をも狙っていた。そして晴れた煙の跡地に倒れている睡眠状態の馬頭鬼にも。
悲鳴すら上がらない。死活によって体力が限界まで削れている上に、昏睡している故に躱しようがない。ルインズブレイドは聖なる刻印を付与した敵アストラルヴァンガードが早々に回収し戦線復帰したが、撃退士側にはそういったフォローが無かったのだ。
あれもこれもは護りきれない。だが明日香とリディアはその身を以て斜線を防ぎ、一般人の被害を少しでも食い止める。
「ここを通りたければ私を倒すことね。まあそう簡単にやられるつもりはないけど……ほら、言うじゃない。『守るべきものがいた方が強くなれる』のよ」
浅い溜息。弾丸に抉られた体をアウルで修復しながら、感情を崩さぬ明日香の双眸が敵一団を見澄ました。
「この戦いに何の意味があるのかしら。あなた達の正体も気になるところね」
「聖女は言った。『聖女に従え、されば救われん』! そうわしらこそ『恒久の聖女』、選ばれし超越種族!!」
空は青い。と言う様に、応えたのは猛鉄だった。だが理解不能だった。顔を顰めたのはリディアである。
「この行為を許容する事は私には出来ません。撃退士の貴方が戦う理由が何処にあるのですか」
「我等は撃退士に非ず。我等は選ばれし存在也や!」
恍惚と応えたのはルインズブレイド。振り下ろされる剣――だがそれは胡桃の放つ避弾【La Campanella】が、軌跡を捻じ曲げ撥ね落とす。
「今日の私は『護る剣』。私の前で、それは許さない」
護るのだ、という揺るがぬ意志。そこに『弱虫泣き虫』の色は無い。胡桃とて無傷ではないが倒れる訳にはいかないのだ。仲間が護った一般人にちらと目をやる。
「だいじょうぶ。私たちの後ろに向かって走って。貴方達に攻撃は『通さない』」
一般人は震えながらも確かに頷いた。胡桃を、そして撃退士を見返りながら走り出し――
「頑張ってくれ!」
「ありがとう……!」
「負けないで!」
「私は撃退士(あなたたち)を信じてるからっ!」
撃退士を信じる想いがそこにはあった。
一般人を救わんとする撃退士の想いは届いていたのだ。
(敵の殲滅なら、他の皆がやってる……なら、モモがやれる『ベスト』は、フォロー)
己は銃にして壁。構える銃。
一方、静矢の挑発によって銃撃蝶々の妨害が薄れたのを見計らい、海はその場を高く飛んで切り抜ける。眼下、猛鉄を睨め付けた。人間と戦う事に躊躇いは無い。天魔生徒だって同族と戦っているのだから、自分が臆す訳にはいかない。
「従ったら救う? だからって従わない人を殺す理由にはならないじゃん」
「ゴミは無い方がスッキリするやろがい」
「ああ、そう」
素っ気無く皮肉の溜息。海は止まる事無く戦闘用ワイヤーを猛鉄へと繰り出した。斯くしてそれは狙い通りに猛鉄へ絡み付く――否。違う。猛鉄は『敢えて腕に絡み付かせた』のだ。ワイヤーが食い込み、腕に傷が刻まれるのも厭わずに。
「頭が高ぇわクソボケがーーッ! ナメとんちゃうどオルァ!」
まるで重力が100倍にもなった様な。しまった、と海が気付いた頃にはもう遅い。有り得ないほどの馬鹿力が彼を手繰り寄せる。地面に叩き落される。皮肉にも――海が猛鉄にしようとしていた様に。
戦闘用ワイヤーは敵を束縛する為のものではない。武器だ。箸でスープを飲む様なものだ。本来とは異なった使い方だ。敵が完全に無抵抗なら、或いは敵が相当弱い存在ならば、ひょっとすれば上手くいく可能性もあるかもしれない。だが猛鉄は強い。何が強いと具体的に言えば『力が強い』。そして彼は人間であり海の敵だ。抵抗する。頭で考え行動する。簡単に捕縛が成功する事など、万が一にも有り得なかった。
「ぐ、っ……」
脳天から地面に叩き落された海。それがどれほどの衝撃だったのかは、彼を中心にクレーターが出来たアスファルトの残骸を見れば容易く理解出来る。どろどろと流れる血。ぐわんぐわんと揺れる視界。それでも海が起き上がれたのは、やはり『学園の親衛隊並み』と評価されたという、歴戦の騎士の成せる業か。
だが――起き上がる海の視界の、目一杯に。
映ったのは。
地面を全てを耕す様に抉りながら進む、重銃燈篭の鉄脚の葬列――
めき。ぐぢゃ。ぼきごきばきぐしゃ。
まるでミンチ。或いはミキサー。もしくはシュレッダー。
「龍崎!」
静矢の援護も間に合わない。撃退士のインフィルトレイター達も回避射撃を放ったけれど。否、援護の為に攻撃したところでその巨大冥魔が止まっただろうか? 奥歯を噛み締め静矢は海を見遣った。海は『辛うじて人間の形を保っている』といった状況だった。死――んではいない、まだ生きている。骨が砕け臓物が潰れ手足が有り得ない形に曲がりながらも。良かった。なんとか息をしている。しかし、もし、彼以外の者が轢き潰されていたらどうなったのだろうか……考えたくも、ない。
「他人の心配しとる場合かぁ?」
空中からの声。冥魔の天辺から跳び降りた猛鉄が一直線に静矢を狙う。観戦は飽きた。力尽くで振り下ろされた二振りの刃は、静矢が構えた防御ごと文字通り『叩ッ斬る』。それは特殊な技能でもなんでもない、純然な力。猛鉄の粗暴な見た目にそぐわぬ超膂力。ぶば、と静矢の身体から迸る鮮血。せり上がる鉄の味を、断ち切れそうな意識を、しかし彼は根性によって繋ぎ止める。返す刃で踏み止まった。
全ての力無き人を、護る。一般人。仲間。自分。可能な限りの命達を。護る力を持つ者――撃退士として。
「誰も、何も、失わせない。その為の力だ!」
「ほぉお〜〜!? ご立派ご立派ァ〜ほな有言実行で楽しませてみろや! でけへんくて後で泣いてもわし知らんど〜?」
護る為に敵を斃す。そこに迷いは欠片も無い。静矢は見澄ました。狂暴なケダモノそのものの如く、襲い掛かる猛鉄を。
「一緒に戦う仲間が無事、で帰れないのは嫌なのです。一般人の方々も然り。待っている人が、家族が、誰しも居るのです。アキが必ずその人達の元へ連れて帰ります」
何が何でも一緒に帰る。倒れた海と馬頭鬼がこれ以上脅威に晒されぬよう、蒼姫は二人を抱えて後方に下がる。当然ながら狙われるも、カウンターで繰り出すは激しい魔法の風嵐。飛来した銃撃蝶々を一体、粉々に粉砕する。
「まとめて堕とす!」
そこへ颯爽と、数の減ってきた銃撃蝶々へ良助が『黒鼠』と名付けた銃を向けた。窮鼠猫を噛む。どんな状況でもどんな敵でも立ち向かう。赤く光る両手甲に、黒鼠も赤く赤く燃え上がった。
爆ぜる様な猛射撃。バレットストーム。荒れ狂う様で、されど的確精密に敵という敵を射抜いてゆく。全ての蝶が貫かれ、蜂の巣となって崩れ落ちた。
銃撃蝶々全滅。
が、とてもじゃないが安心できる状況ではない。撃退士は一般人を逃がすようにしているが、敵は一般人を追うように前進を緩めない。足止めしようにも、重銃燈篭の前に出れば轢殺されてしまう。
つい目を惹かれてしまうその巨大バケモノから何とか視線を逸らし、リディアは銃口を武装覚醒者に向けた。
「そろそろイタチゴッコは終わりにしましょうか」
撃つ、銃。剣で防御し、ルインズブレイドが封砲を放つ。衝撃に震える待機。それを横目に晶は駆ける。回り込む様にしながら、アストラルヴァンガードを狙った。
「その綺麗な装甲を吹っ飛ばしてやるわ!」
アシッドショット――だがそれは、インフィルトレイターの回避射撃に叩き落されてしまった。舌打ち。使うと便利なスキルだけれど、敵が使うとここまで嫌らしくなるとは。
激戦の様子。それを視界の端で確認しながら、明日香は一般人の為に走る、叫ぶ。その背中は降り頻る巨大ディアボロの砲撃を喰らい、白衣を赤く汚していた。そして胡桃は、そんな敬愛する彼女が少しでも動きやすいようにとフォローに徹しているのだ。
幾度目か、
幾度目かの、攻撃。
陰陽師を狙った絃也の拳は、庇いに入ったディバインナイトに命中する。陰陽師の技の所為で毒に蝕まれ口唇から血を溢れさせながら、それでも彼は何度でも拳を振り上げた。
「破ッ!!」
一徹。針の如く鋭く鉄の如く重い一撃。それは撃退士インフィルトレイターのアシッドショットによって溶かされた盾を貫き、ディバインナイトの胸を真っ直ぐ貫通した。
返り血。見開いた目のまま、心臓を壊された騎士は絶命した。
それは紛れもない人殺し。手放しに喜べる状況ではないのだろうなぁ、と、良助は理性の片隅で思っていた。直接殺めたのは自分ではないが、その手伝いをしたのは確かに自分。そして今も、『人殺し』をしようとしている。仲間達と共に。
胸の何処かでは。人と人が殺しあうなんて、とリディアも思っている。確かに思っている。それでも銃を向けねばならない。引き金を引かねばならない。
人間。
破壊を繰り広げているのも、逃げ惑っているのも、秩序を取り戻さんとしているのも。
「胸糞悪くなってくるわね、ほんっと……!」
向け合う銃。晶とインフィルトレイターは視線で銃で睨み合う。
その時、蒼姫に何か重い固まりが投げ付けられた。
「うわわっ……!?」
衝撃に転んでしまった彼女は慌ててその身を起こし上げた。その手に、ぬるり。何だ。これ。血だ。誰の?
腹を深々と切り裂かれ意識の無い静矢の。
「 あ」
上げた視線の先で猛鉄が嗤っていた。ベッタリ血に染まった鉈を下品に舐め上げながら。
静矢は根性で耐え忍んだけれど。猛鉄の圧倒的暴力の前に遂に敗れ、蒼姫へと投げ付けられたのだ。だが強敵相手にここまで長らく喰らい付いた事は賞賛すべきなのだろう。
「い や いやぁああああああああああああああッ!!!」
蒼姫の絶叫。恋人の名前を連呼。腹から零れた中身がこれ以上零れてなくなってしまわぬよう両手で塞いで泣き叫んで。
――手分けしての行動は確かに有利ではある。だが、『手分けして行動』と『やる事がバラバラ』では意味が違う。二兎追う者は一兎をも得ず。あれもこれもと漫然に手を伸ばしては中途半端で終わってしまう。詰め切れてないならば尚更だ。
それだけではない。やや、撃退士は『こうすれば必ずこうなる』と予測を誤っていたのかもしれない。過信しすぎていたかもしれない。確定ロールで世界は回らない。
そして敵の配置にあまりにも気を取られすぎていたか。懸念に終わってしまった分、他の面が薄くなってしまったか。
幾つもの綻び。
致命的。
もう、無理だ。これ以上は、無理だ。
不幸中の幸い――それは一般人の被害が大幅に食い止められた事、適切に対応した為に撃退士による更なる混乱を防げた事か。
「これ以上は……。一度退きましょう」
感情を噛み殺し、胡桃は仲間達に提案する。同感だ、と絃也が頷いた。
となれば行動は迅速。倒れた者を抱え上げ、撃退士は撤退せんと駆け出した。
が。
悪夢は終わらない。
「逃ィがすかぁあああッ!!」
猛鉄が地を蹴って駆け出してきた。残りの武装覚醒者が射撃攻撃を、そして重銃燈篭が無慈悲な砲撃を。
殿として明日香はその身を以て仲間の盾となる。蒼姫は炎の魔弾を放ち、胡桃と晶とリディアは牽制射撃。逃げ切れるか。逃げ切らねばならぬ。
その最中、足を止めた者が一人。良助だった。猛鉄の目を真っ直ぐ見据え、交渉を持ちかける。
「街の人や仲間は見逃してくれない? 代わりに僕を好きに扱っていいからさ」
――猛鉄が理知的な男なら、それは大いに効果を発揮したかもしれない。
「ぜぇええ〜〜〜ったいに イヤやーあ!」
突進の勢いを止めぬまま。猛鉄が突き出す双鉈が横薙ぎに奔った。斬線。一つは良助の二つの目を。一つは良助の白い咽を。
それでも猛鉄は攻撃を止めないのだ斬る斬る斬る斬る嬲る弄ぶハラワタを暴こうとして腕を千切ろうとして脚を潰そうとして殺そうとする殺そうとしている良助はきっとこのままだと死んでしまう死んでしまうだろう殺されて彼は死んでしまうのだ。死ぬんだろう。死。
だがそれは確かに『時間稼ぎ』になった。良助の自己犠牲。自己犠牲――胡桃は奥歯を噛み締める。まるで自分を見ている様な気がしたから。
思いやる事が、強さだと教わって。自己犠牲に対する考え方が少しずつ変化して。
自己犠牲。それを目の前でされた仲間は、果たしてどう思う?
「……そんなの、いや! 絶対にいや!!」
悲鳴の様に悲痛に叫び、引き返す。胡桃は撤退と逆の方向に走り出す。良助を救う為。
それを見、言葉を発する事無く、明日香は彼女達の盾になる。既に言った通りだ。『通りたければ殺してみせろ、出来るならな』。
伸ばした手。
掴んだ手。
死に物狂い。
走る。走った。
10人。
脱落者無く生還できたのは、正に奇跡に近かった。
『恒久の聖女』とは。
冥魔と武装覚醒者の関係性とは。
超常に目覚めた人間の力は何の為にあるのか。
されど蝕む、胡乱な影。
平穏は既に、食い殺されたのだから。
『了』