●だいさんじ!
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。
何十もの絶叫が重なり合って、転移装置で辿り着いた撃退士達の鼓膜を掻き毟った。人間の咽から奔る恐慌音。
逃げ惑う人々が見える。或いは、スライサーにかけられたかの様にバラバラになった人肉死体がそこかしこにボトボト落ちている。
人の渦の中で、また一つ、首が飛んだ。血が飛んだ。
「殺人ショー? そんな古い芸を見せられて誰が喜びますか」
「全くだ……下郎め、とでも言い捨てればいいのかな」
今し方一般人の死亡が確認できた地点。間違いなく殺人鬼はあそこに居る――半悪魔の翼を広げて一直線にそちらへ向かう橋場 アイリス(
ja1078)の眼下では、ルドルフ・ストゥルルソン(
ja0051)が壁を街灯を全てを足場に飛ぶ様に駆けている。
「斃す、がベストでしょうけど。いいわ。目標はベターな『退ける』、ね」
じゃき、と重く構えるのは個人防衛火器PDW SQ。それを携える銀髪緑眼の少女の名は矢野 胡桃(
ja2617)。仲間に続き、敢えて銃を見せ付ける様に駆け出した。突然銃を取り出す人間を見れば一般人は更に逃げるかもしれない――そんな胡桃の思惑通りだった。重厚な銃を持つ少女に、悪魔の翼を広げて飛翔するアイリス、そしてリンド=エル・ベルンフォーヘン(
jb4728)の禍々しい風貌。一般人はこう思った。「バケモノだ」「天魔の襲撃だ」と、更に恐慌し混乱しながら。
が、その最中に大きく響いたのは他でもないリンドの声と、彼が高く鳴らしたホイッスルである。
「久遠ヶ原の撃退士だ! 奴は俺達が引き付ける! 迅速に、恐れずに進め!」
既に極度のパニック状態が彼の一声でたちまち収まる事は流石になかったが、まるっきり無視されたという事もなかった。数人の意識がリンドへ向けられたように思える。
人間。
それを殺しているのもまた人間。
(力に溺れた末路があの者だというのなら……いや、考えるのはよそう)
今は人間達を助ける事が先決だ。仲間達へ視線をやりながら、リンドは一般人へ声を笛を響かせる。
「てめぇぇぇ、許さねぇぞ!! 俺を殺ってみろよぉ!!」
怯え惑う人々の波を掻き分け、後藤知也(
jb6379)は殺人鬼目指して走り駆ける。常軌を逸した怒り。悲鳴を切り裂かんばかりの怒声。その傍を馳貴之(
jb5238)が続き、走る。
「わしなりに、できる限りのことを頑張るわ」
狂乱、狂乱、何処も彼処も滅茶苦茶だ。
やがて。狂乱の震源を目指す撃退士の目に、殺人鬼が――コメディアンの道化の笑みが、映った。
●ちゃららん
「見つけたわよ、この売れないコメディアンが……!」
周囲の恐怖の感情を切り裂くが如く、憤怒。胡桃が見せるは本物の激昂。背中が見えた。コメディアンだ。追いかける。同時に向ける銃。引き金が押し込まれたのはコンマの後。素早く振り返ったコメディアンに掠めたが、『命中』。
「もう逃がさない……絶対に逃がさない。逃がしてなんか、あげない」
言い放つ、冷たい敵意。くるりと振り返る道化の顔は、笑った仮面。ジャグリングをしている。湿った液体を散らしている妙に大きな球体――真ん丸ではない、あれは――人の、首、だ。
「へいパースパース」
口調の軽さとは対照的に、迫り繰る『怒り』――胡桃、ルドルフ、アイリスに投擲される三つの生首は剛速球だった。べしゃ。覚醒者<バケモノ>の腕力で投げられるそれは命中するや熟れたトマトの様に爆ぜ散り飛ぶ。脳漿。目玉。歯と目の欠片。垂れ下がる皮膚。
「く、っ……!」
ずるんと割れずに済んだ誰かの目が、胡桃の腕に視神経ごと絡み付いて垂れ下がっていた。少女を見ていた。じっと。
「ドウシテタスケテクレナカッタノダ」
「っ!?」
声が聞こえた。バラバラになった唇でソレが喋っている。幻覚だ。幻聴だ。きっとそうだ。それでも――目。目。視線。声。
「ヒトゴロシニヒトガスクエルモノカ」
「ナニガダイジョウブナンダ?」
「キレナイケンハ、イラナイヨ」
耳元で蝿がわんわん飛び交う様に。声が止まない。蔑みの目も。胡桃は咽がヒュッと絞まる様な心地を覚えた。吐きそう、だ、と、思った頃にはもう、地面に蹲って胃袋の中身を全部ひっくり返していた。
(これは……!)
頬に散った脳の欠片を拭いながら、アイリスは眉根を寄せていた。うぞうぞ、生首に生えていた長い髪が細い細い虫となって己の皮膚の下に潜りこんでぞわぞわ蠢いている。虫。虫……気持ち悪い、気持ちが悪い! 激しい不快感。だが。これは。現実じゃない。そう判断し、アイリスは己の顔面を思い切り殴りつけた。
「精神攻撃です、気を確かに!」
正気を保ち、声を張る。その直後にはもう、アイリスはその銀髪を靡かせて走り出していた。ただ殺意と怒りだけをその目に。救助や避難は他の仲間に任せよう。今の自分に『救う』力は、無い。そう思いつ、葡萄酒色のワイヤーをコメディアン目掛けて繰り出した――狙うはその腕だ。
だがそれは躱されてしまう。ただでさえコメディアンはすばしこく身軽だ。その辺の雑魚ではない。それの部位狙いとなれば、難易度は恐ろしいほどに跳ね上がる。
高起動型でトリッキー。己と似ている、と生首を回避したルドルフは思うた。
「キャラ被ってるんだよ、クソ道化。舞台に同じキャラは二人も要らないんだ」
故に隠す事のない苛立ち。忍ぶ事をかなぐり捨てて大胆不敵に立ちはだかる。
直後に目配せ――頷いたのはリンドだった。フラッシュライトで合図を送りつつ、発煙筒に点火する。するとたちまち大量の煙が周囲に溢れ、周囲を白く白く染めてゆく……。
「煙の流れる方向に逃げろ! 我々は撃退士だ、久遠ヶ原の撃退士だ!」
笛と大声をリンドは用いる。確かにそれは効果零ではなかった。だが恐慌状態に突然の煙、それは例えるならば泣きっ面に蜂。視界を奪われた者達の混乱は更に高まる。悲鳴がリンドの声すらも掻き消してしまう。遠くの方までには聞こえない。
そして騒乱は騒乱を呼ぶ。
「くっ、何処だ……!? 出てきやがれ、イカレ野郎ぉっ!!」
零距離に接近していたならば兎角、この煙の中で距離をとった知也はコメディアンの姿を見失ってしまった。鼓膜が破れそうな悲鳴の中では音すらも頼りにならず、周囲の人の気配に闇雲に攻撃をして一般人を傷つける事などあってはならない。
虹の光を帯びた豪奢な霊符をその手に、知也はは怒りを湛えた鋭い眼光で慎重に周囲を見渡した。
瞬間、ざくり。まるで肩にナイフが突き刺さったような。
あちこちで悲鳴。コメディアンは、煙で周りが見えなくなったから取り敢えず見えた者を片っ端から殺す事にしたのだ。先ほど以上に無差別攻撃となったのである。跳ね回る様に動くコメディアンは律儀に立ち止まったまま同じ場所で撃退士と戦うなんて行わない。速い。この煙の中で見失えばかなりマズイ。
が、その動きに付いていく者が一人。ブリザードの如く荒れ吹雪く白銀色を纏ったルドルフである。
「機動力勝負なら負けるつもりはないよ?」
積極攻勢。影の如くコメディアンの傍らに付く。目まぐるしい速度。地面に落ちたバネの様にあっちへこっちへ不規則に。流石に敵に判別用のサイリウムを着ける事は難しいか。それでも戦わねばならぬのだ。速くもっと早く。俊敏性。それがルドルフの武器であり誇りである。
「とんだブラックジョークだ」
であるからこそ、ルドルフはまるで自分自身と戦っているようにも錯覚するのだ。嫌な心地だ。嗚呼嫌だ嫌だ。
笑う余裕なんて、あるわけない。
「笑えない道化は要らない子ですよね?」
ルドルフが振り被る忍刀。その頭部目掛けて叩き落す一撃。が、それはコメディアンがパントマイムで作り出した『見えない壁』に阻まれる。
「ていやっ」
そのまま殺人鬼が腕に力を込めて壁を押し『飛ばし』た。それはルドルフを撥ね、真っ直ぐ、貴之へと飛んで――どむっ。貴之を撥ね飛ばし、更に押し遣り、壁際に。プレス。圧力。ぎりぎりぎり。
「ぐ、ぐ、がッ……!」
ぎりぎりぎり。背中に冷たい壁の感触。眼前に見えない壁の感触。貴之は両手で不可視のそれを押して抗うも、重い、重い、折れた腕が悲鳴を上げる。じわじわ潰されてゆく少しずつ。
「く、そ、死んでっ、たまっ、るっ、か、ああ、うああ、ああァあ゛あ゛……!」
じわじわ。じわじわ。めきめきめき めき ぐしゅ。ぶち。
一瞬だけ悲鳴。見えない壁と建物の壁に押し潰された貴之の身体が頽れた。
仲間の悲鳴に、歯列を剥いたのは知也。煙の彼方に朧に見えた殺人鬼に指先を突きつける。
「やってくれたな、イカれたパント野郎が!! もうてめぇは人には戻れねぇ。しでかしたことの代償をその身に味あわせてやるよ」
「ヒトデナイから、ヒトデナシ。ヒトデナイから、殺人鬼」
手を銃の形にしたコメディアンがケラケラ笑いながら、近くの一般人を狙った。死の恐怖に凍りつき、腰を抜かした子供を。
「させるか、ぁあああああッ!」
ほぼ反射的に。知也は飛び出した。盾となるため飛び出した。
ばーん。
鮮血。
撃ち抜かれた男の身体は、貫かれた盾は、それでも尚、子を護らんとその上に重なる様に倒れ伏した。じわじわ、血が。血が。嗚呼。子供の悲鳴。
それに反応するコメディアンがその子を狙った。
「笑えない冗談やめなさい!」
不可視の弾丸、それに貫かれたのは割って入った胡桃である。痛い。けれどその表情は揺るがない。いつもは薄っぺらな笑みだけれど、今は只管、只管憤怒。
「面白くもないコメディアンは、さっさと退場して頂戴!」
殺人鬼の居場所は手に取るように分かる。故に至近距離にまで近付き銃を向ける。合理的専門思考によって全ての動作に無駄はない。全力を尽くす。命の限り。迷いの無い銃撃。コメディアンが衝撃に仰け反る。その姿勢のまま、『手榴弾を投擲する』。
「Brroom!!」
どかーん。見えない爆発。吹き飛ばされる。焼ける痛み。
が、戦える。
まだ胡桃は戦えるのだ。手がある。銃がある。それを撃てる。撃てるのだ。
「甘く見ないで。なんの覚悟もなく、ヒトゴロシをしてるわけじゃないのよ!」
まだ、戦える――!
「――、」
一方、上空のアイリスは歯噛みしていた。目印としてフラッシュライトを地面に設置したものの、コメディアンはその場に止まらずあちらこちらへ動きまくる。また、マーキングでコメディアンの位置が分かるのは使用者である胡桃のみだ。部位狙いも困難であれば、徹底して攻めるのみか。
煙の中から仄かに光って見えるのはルドルフが予め仲間に配ったサイリウムである。一先ず味方の判別は付く。そこから敵の位置を何とか判別できぬかとアイリスは目を凝らした。
「……見付けました」
ゆら、と朧に見えたそれを見逃さなかった。翻す翼。『復讐者』の双刃を構えて矢の如く急降下。張り上げる鬨声は、避難誘導の声を掻き消し殺人鬼の耳に届かぬようにする為に。その声に気付いたコメディアンがハッとアイリスを見遣った。だがその時にはもう、彼女は攻撃態勢。同族を殺す愚か者に対する純粋な怒りと殺意。力を込めて、思い切り、その首を刈らん勢いで、少女が薙ぎ払った。赤と黒の軌跡。切り裂かれた殺人鬼の身体より迸る鮮血の軌跡。
「そこだァっ!」
すかさずルドルフがコメディアンに毒を纏った貫手を繰り出した。殺人鬼のくぐもった悲鳴。毒に冒され仮面の中で血を吐いて。
この煙。自分のような存在には大歓迎だ。五感を誤魔化せる高機動タイプは凶悪だとルドルフは思う。実際その通りとなっている気がする。だからこそ、攻撃を。ダメージを。
直後にコメディアンが口から火を吹く。火吹き芸だ。笑いながら、ぼん。
赤く染まる。
●ふぉーえばー
続く戦闘。
煙が徐々に晴れてくる。
血だらけの撃退士。勿論、殺人鬼も無傷では無いけれど。
「よいしょ」
コメディアンが『大きなハンマーを振り上げた』。狙うは胡桃。速い。まずい。胡桃は咄嗟に左腕を構えた。先ほどからずっと盾にしていたその腕は既にボロボロで血で真っ赤に染まり、感覚は無い。
そこに、落ちる、一撃。ぐしゃり。それが、胡桃の意識を、押し潰す。左腕ごと。千切れたかもしれない、と、断ち切られる感覚の中で少女は思った。確認する術は無かった。
――そして煙が完全に晴れる。
一般人の避難に付きっ切りであったリンドの目に映ったのは、血溜まりの中に沈んだ胡桃。或いは草薙。大切な人。
ブツッ、と、彼の心の中で何かが千切れる音がした。
「貴様……貴様ァアアアアアアアアッ!! これ以上好きになどさせぬ、早々に消えろ!」
それは歪んだ戦闘本能。抑え切れずに溢れ出した悲しみ怒り快楽、それらが全て融け合って。正気ではない。狂気でもない。ただ混沌をその身に纏い、脆弱な己を殺す為の術によって取り込んだ曇天の糸を指と爪の間より発射した。コメディアンの腕を切り裂く。交差するように、コメディアンも『ナイフを投げた』。
血潮。
混沌の戦場。
しかし撃退士の半数は倒れ、残った者も満身創痍。
――駄目だ。
と。誰かが思った。誰しも思った。
これ以上戦えば誰かが死ぬかもしれない。もうコメディアンを抑え切れない。
「……退きましょう」
「っ、……分かった」
アイリスの冷静な声にルドルフは一瞬唇を噛み締めるも頷きを示した。その高機動力を以て倒れた仲間を抱え、走る。逃げる。
その最中、リンドは怒りのままに撤退を是としなかった。そんな彼をルドルフは抑え付ける。落ち着くんだ、と耳元で叫び。羽交い絞めてでも引き下げる。
逃げ行く撃退士を、殺人鬼は追わなかった。
だが、また一つ――罪無き一般人の断末魔が、撃退士の鼓膜を打った。
●マジキル後日談
撃退士が撤退した後、散々殺し尽くしたコメディアンはまるで手品か何かの様に現場から消えてしまったという。
その足取りは尚も不明。
素性も名前も一切不明。
けれど。
今日も町の何処かで、曲芸の愉快な音と道化の笑い声が響いているかもしれない。
『了』