●誰そ彼
血の滴る様な夕方だった。遠巻きから聞こえてくる夕刻の喧騒以外は静かなものである。
「寄生型、か。悪趣味ね」
「人の身のままヒトデナシにするなど……よいご趣味ですことで……やりきれませんね……」
呟いた氷雨 玲亜(
ja7293)に支倉 英蓮(
jb7524)が小さく頷いた。
「最近はこういった、気持ちの良くなさそうな依頼が、多うございますね……」と英蓮の言葉に「そうね」と氷雨は応える。何故斯様なディアボロが創り出されたのか、理由は知らないけれど。
(心理的な効果は……さて)
チラリ、視線を仲間へやった。
「希望も奇跡も信じねぇ弱者が救われると思ってんのかねぇ」
そう言った悪食 咎狩(
jb7234)の顔は劇の開始を待つ観客のそれである。キラワレ者の末路か。人間はいつからそんなに偉くなったんだかなぁ。
「死ぬよりマシって言うが、死んだ方がマシなこともある世の中だよな。まあ、汚れ役は嫌われ者の担当だろうよ」
それは即ち自分。平然と自嘲。なんてことない物言いで、荒城 砕月(
jb8356)。
汚れ役、か。矢野 胡桃(
ja2617)は父のお下がりであるコートの中に仕込んだ銃器の重さを感じながら、思った。
一人の為に、まだ見ぬ数百を犠牲にするのか。見えぬ数千の為に、一人を犠牲にするのか。
(私は、後者を選ぶ)
凛然と前を向いた。
その横顔をエリーゼ・エインフェリア(
jb3364)はにこにこしたままガン見している。至近距離。ももちゃん可愛いなー。可愛すぎて目が離せない。見ているだけで幸福。ああもう、ももちゃんに抱きついてすりすりもふもふくんかくんかはぐはぐしまくりたい。だから正直働きたくない。彼女を見守る為だけにこの任務に参加したようなものだから。
でも不真面目過ぎると愛しのももちゃんに怒られるので一応働きます! 働きます……。
踏み出す一歩。仲間と共に。けれどイリス・レイバルド(
jb0442)の表情は、普段の快活な様子からは想像の付かぬほど『無』であった。知っている。自分がこれから向かう先にある、悲劇を。
津山沙堵。ただの一般人、だった少女。青春盛りでこれからなのに。「大丈夫だ。助けに来た。もう何も心配要らない」なんて言えたらどれだけ恰好良いだろう。その通りになれば、どれだけ救われる事だろう。
(……泣き言は言えない、言っちゃいけない)
もっと辛い子が目の前にいる。ぎゅ、と拳を握り締めた。
●一番星は昇らない
少し歩けば沙堵の姿は直ぐに発見することが出来た。橋の真ん中。複数人の足音に振り返る。ただの通行人、ではなさそうだ。ただの通行人ならこちらに一瞥もくれないで通り過ぎる筈だから。取り囲む様な事はしないはずだから。警戒する沙堵。
「逃げたら殺しちゃいますよー。だから逃げないでくださいねー」
頭上からのそんな声。翼を広げたエリーゼがにこにこしていた。天使――それは一般人にとっては『恐るべきバケモノ』以外の何者でもない。
逃げなくても殺しますけど! そんなエリーゼの心の声は勿論沙堵には聞こえないが、殺意と殺気と十二分な害意は深く深く伝わった。天使<バケモノ>に殺意を向けられ、平然と出来る一般人など居ようものか。「ヒッ」と悲鳴を上げた沙堵は咄嗟に走って逃げ出そうとする。が、それを止めたのはイリスが張り上げた大きな声だった。
「待って! ……ボクの話を聞いて」
真っ直ぐに見る目。沙堵が止まったのは、イリスの目に声に『沙堵への嫌悪』が欠片も無かったから。
「いきなり、ごめんね……」
チリチリと意識を焼いてくる不快感を感じる。けれど表層的なそれだけで好き嫌いを決めるほど、イリスは安い女ではなかった。
そして、語り始める。先ずは「貴方達は誰」と問われたので自分達は久遠ヶ原撃退士である事。それから、生き物に寄生するというディアボロの話。その性質、特徴。そしてそれを殺すにはどうすればいいのか。
「宿主ごと、殺さないといけない。そして……そのディアボロの宿主は、津山沙堵、きみなんだよ」
打算も何も無い、それは真実。愕然としている沙堵に、「身に覚えがあるよね?」とイリスは問い重ねる。
「どうして君にそんな事が、というのはそれはボク達にも分からない」
「私、殺されるの……?」
「……」
無言が回答だった。辛く、苦しく、理不尽で、納得のいかない真実だと思う。それでもイリスは伝えたかった。何も分からないまま命を狙われ殺されるのは、怖すぎると思ったから。
死にたくない、助けてよ、と沙堵は泣く。撃退士なんでしょ。助けて。怖いよ。死にたくないよ。それは自然な反応だろう。沙堵はただの人間、極普通の少女だ。イリスの話を理解はしたが、それで死を受け入れられる筈などなく。
そしてそれに呼応するかの様に、メキリメキリと少女の身体から黒いオーラが立ち上ったのだ。
「取り憑かれた方が悪い、とは言わん。津山沙堵、お前が未だに『人』とあろうとしている事は重々承知。だが、現実はそれを認めんよ 」
「同情などしない。天運に嫌われたと思って諦めろ」
銀炎の飛べぬ翼を展開しつつ断神 朔樂(
ja5116)が、そして牙撃鉄鳴(
jb5667)が告げる様に言い放つ。
やはり、言葉で結末が変わろう筈もないのだ。朔樂は思う。正直に言うと『言葉』は『非効率的』と判断していたが、それを選んだ仲間の意志は嫌いではない。寧ろ好意を覚える。だからこそ、それで意志を持った仲間自身が傷付いて欲しくはなかった。
黙して見守っていた砕月も言葉は不要だと思っていた。だが、それを邪魔してまでとは考えていない。受け止め方は人それぞれ。
「行こう【開邪】。『剣』と『矜持』を、取り戻すために」
話している暇はもうないだろう。胡桃は開邪と名付けられた黒桃の銃を静かに構えた。うすっぺらい笑み。消えない言葉が脳裏を打った。
「……逃がすわけには、いかない」
そして響く銃声が、戦いの開始を告げる。
●明日にサヨナラ
「ククッ、逃げるのかい? もっと正直になりなぁ。恨め、憎め。そんな感情全部無駄だがなぁ」
吸いかけの煙草を吐き捨てて、翼を広げた咎狩は妖艶な笑みを浮かべた。黒い黒い――沙堵の身体から溢れ出た闇が棘となって周囲の撃退士達に襲い掛かる。まるで少女の恐怖や叫びそのもの。恐慌の少女は無我夢中、己の超常の力にすらも怯えていて。
その棘は咎狩の肩口にも突き刺さる。血は出るが表情は変えない。そのまま、意思疎通にて曰く。
『足掻きもがいて可能性に縋るのが人ってぇもんだろぉ。で、お嬢ちゃんが生き残るにゃ可能性がいくつか』
一つ。中のディアボロが逃げ出す。尤もその時には沙堵は瀕死だろうが。
一つ。この場から逃げて冥魔に下る。お勧めは出来ない。
一つ。一番理想の奇跡。即ちアウルに目覚める。
『千に一つか万に一つか、それとも億か。冥魔に寄生され命の危機っつー覚醒の条件は揃ってる。あとは誰かに祈ってみるかい?』
「でも、誰に!?」
その言葉を切り裂いたのは鉄鳴の声と、その銃声だった。
「先程の説明は嘘だ。悪魔が付いたのは本当だが周囲に嫌われたのはお前自身が原因だ。俺たちはお前を殺してくれという依頼が殺到したのでこうして来た。お前の死は皆が望んでいる事だ。理由など知らん。大人しく死んでくれ」
「なんで、どうして、私、何もしてないのに!」
ただ生きていただけなのに。半分嘘で半分本当である冷徹な言葉に泣き叫ぶ少女。鉄鳴の弾丸は少女が纏う闇の奔流が壁となって撃ち砕く。どうやら完全に無意識で斯様な芸当をこなしているようだ。
が、決して陥ちぬ要塞などない。再度男は狙い定める。最中――鉄鳴の外套の裾から鴉の羽の様なモノが舞った、気がした。その光景。彼は己が悪魔との混血ではないのか、疑ったが、今は戦闘だ。考えるのは後だ。引き金を引く。
「愚図。今を不幸と思うような幸せな日常を送ってたってことだろ? 俺はそっちの方が羨ましいどね」
辟易しきった様に肩を竦めて砕月が言う。放つ、沙堵の気を逆撫でるオーラ。正面に立つ。沙堵の背後には回りこめなかった。何故なら沙堵は高欄にその背を付けていたからだ。
「世界で一番自分が不幸なんですって顔してんなあ。失うまでありがたみにも気付かなかったんだろお? ははっ、気付けてよかったなあ愚図?」
嘲笑、小馬鹿にして鼻で笑う。「なんで皆々私の敵になるの」と少女は泣いている。闇の大腕が砕月を掴み取る。圧力。めきり、と鈍い軋み。痛み。けれど、砕月は醒めきった目で眺めていた。
母に見捨てられ父に虐待され。愛されなかった。だから愛された事があるだけ沙堵の人生はうんと幸せだ。
「失って痛いと感じられるものを、俺は持っていない」
血を吐く赤い唇の。独り言。本当は少し――羨ましい。だから、殺す。ハッキリとした意志を以て。逃がしやしねえよ。
「まぁ何が悪かったかと言えば……運が悪かった、ただそれだけでしょう。理不尽な話だけどね」
銀の髪、金の瞳。呪本を開いた玲亜は冷然と告げる。容赦は無い。甘えも無い。誰かの手を呼ぶ魔なる呪文を氷の様に冷たく紡げば、禍々しい魔方陣より数多の手が雪崩出でる。ぞろぞろ、ぞろぞろと。それは沙堵の身体を雁字搦めに掴み縛る。睨め付ける視線が玲亜と撃退士達を射抜く。
ふと、周囲が薄暗い事に撃退士は気が付いた。異変、見上げた頭上、黒い霧。刹那。降り注ぐ様に押し潰す様に重力波。飛んでいた者をも叩き落す。
「う……」
脳天に直撃したそれ。胡桃の顔につぅと赤い一筋が伝う。くらっとするけれど、その意識が印をつけた獲物を見逃す事はない。効率化した体内アウル。向ける銃。
「これ以上、嫌われたくないなら……今、ここで、終わらせましょう?」
それがきっと、これ以上誰も傷つかない方法だから。
放った弾丸。それは地面に叩き付けられたエリーゼが放った黒雷槍「ブリューナク」と共に沙堵を追い詰める。
他人の不幸は蜜の味。「自分が助からないと知った少女の絶望は、どんな表情を作らせるのか?」恐怖と恐慌の沙堵に精神的興奮すらも覚えていたエリーゼであったが。
「その腕、その脚、頂きますね。破壊天使と云われる所以をその身をもって知ると良いです」
愛しい胡桃が傷ついたのなら話は別だ。天使の微笑みで怒髪天。その手を飾る白銀の輪から立ち上るオーラが不気味に揺らめいた。
「死ぬより辛い目に遭わせてあげますね。さぁ、豚の様にお啼きあそばせ」
容赦なく殺意殺意殺意。その手に再度生み出す黒い槍。稲妻がバチリと瞬き、次の瞬間には電光石火の速度を以て沙堵の身体に突き刺さった。
「……、」
一方の英蓮はじっと、成り行きを戦場を見守っていた。胡桃のマーキングが成功した以上、非常に当て辛い塗料風船を無理に当てる必要も無いだろう。手には幻獣の斧槍。集中する。何が起こるかわからぬが戦場。
できるだけ苦しまぬように。せめて痛みが無いように。死を感じる瞬間が少しでも短いように。
「ごめんなさいは、言いません……」
玲亜の魔法に縛られた沙堵へ真正面から踏み込んだ。靡く白髪、爆ぜる白雷。発した九字。撒き散らす黒き炎は死霊の呪怨。ごりごり、と魂を求める邪刃が沙堵の身体を食い千切る。殺禍・黒鬼灯。
玲亜も炎で脚を狙うが部位狙いは難しく、且つ魔的に強化された沙堵が簡単にバラバラになる事は無い。
それでも攻撃するのみだと、朔樂は銀炎を纏った特殊武装刀『天霞』を鋭く構える。常に前へ。前へ前へ。例え沙堵が凍てつく炎で周囲を薙ぎ払おうとも。
「詫びもしない。赦しも乞わない。ただ――斬る!」
断神流<一ノ太刀>『銀星』、<弐ノ太刀>『銀華』。迸る。銀。炎。大地を割き、天を裂く。一撃必殺の巨刃が、沙堵を大きく吹き飛ばした。返り血。痛い痛いと悲痛な声。
「そこのディアボロ、ボクの逆鱗に触れ過ぎなんだよ……ボクの前での愛と絆の冒涜、代償は高くつくよ」
イリスは噛み締めた唇から血が滴る程に冥魔を憎悪した。感情が露になるほどイリスの表情は無となってゆく。絶対に逃がさない。壁で防ぎ、オーラを纏い、長い髪を棚引かせ、白い鎚を振り上げる。沙堵とキラワレは完全に別物と見ているけれど、容赦はしない。躊躇も、しない。
「人間ってのはもーちょい丈夫なもんだと思ったんだがねぇ」
術式で仲間を治癒しつつ咎狩は血に染まり逝く沙堵を見る。意思は残したまま、味方の筈の人間に襲い掛かる。それに殺される。愉快だ滑稽だ。
さてそんな喜劇も終わりが近いようで。
「人殺しと言われようと。誰からキラワレようと。私は一を、犠牲にする」
殺す少女。殺される少女。胡桃の銃は震えない。己は剣、なのだから。敵は殺す。
「ディアボロと運命を共にしてもらおう」
鉄鳴も同様。救うつもりは無い。沙堵はもう誰にも好かれない。世界で一人ぼっち。
ならばひと思いに殺してやろう。
それは沙堵に対する、鉄鳴にとっては『らしくない』情けだった。
それに、だ。誰もが彼女の死を望んでいるだろう。ならばそれに応えるのが自分。金を貰って任務を承諾したのは自分だ。
「――依頼は誠実に確実に遂行する」
二人の射手が至近距離で銃を向けた。
苦しまずに逝けるように。或いは、確実に仕留める為に。
「さようなら、嫌われ者」
「謝罪は、しないわ。……ありがとう。犠牲になる一、として、倒されてくれて」
二重の銃声。ブーストショット、強弾【Eroica】。
それは沙堵の頭部を、そして心臓を、貫いた。
●今日にサヨナラ
撃退士の目の前で、沙堵の死体はキラワレの酸に溶かされて跡形も無く消えてしまった。キラワレと共に。
「このようなディアボロを造る者の気が知れませんね……本当に……可哀想な方です……」
「最後まで悪趣味なディアボロね」
英蓮が言い、玲亜は静かに目を伏せる。今度、お線香でも上げてあげよう。英蓮はそう思いつつ、両手を静かに合わせるのであった。
「クククッ、ご馳走さん。まあまあな味だったぜぇ」
「……悪夢が終わって良かったな。もう苦しむこともない」
咎狩と砕月が祈る事は無かった。砕月は死後の世界など信じていないが故に。ただ厭な現実が終わった事を、彼女は簡潔に結ぶ。
自分達は誰かの不幸で金を稼いでいる。そう、鉄鳴は思っている。そしてそれはこれまでもこれからも変わらない。
(被害者の事などいちいち気に掛けていられるか)
●昨日にサヨナラ
「あぁ、そう」説明と報告を行ったイリスに対し、彼女の両親はそれだけを告げた。興味も関心もなさそうに。ディアボロの所為で愛する娘を嫌いになった事を信じずに。
「あぁ、そう」イリスはそう応えた。お邪魔しました。一礼。そして、虚無を浮かべた顔を上げて。
「……呪われろ」
『了』