●真っ赤に燃える
夕方。夕暮れ。斜めに差し込む赤い光。
「ヴァニタスが悪人断罪、か……」
天魔にそんな権利があるはずがないのにね。僅かに目を伏せ、イシュタル(
jb2619)が淡々と呟いた。彼女は敵視している。殺戮や侵略を繰り返す天魔を。天魔という身でありながら。
「……どだっていいよ。私には関係ない。立ち塞がるなら、害なすなら……全て、敵」
矢野 胡桃(
ja2617)が溜息と共に零す。俯いた顔の視線の先、手には銃、重力に流れる長い桃髪。いつも自分は自分に出来る事をやるだけ。ヴァニタスが『セイギノミカタ』を気取っていようと。
それに。自分達を正義だと、言ってくれる人に、見送られた。
(……なら、それに応えないと、ね)
臨戦態勢。
「まったく、自分勝手極まるって感じだが、これ以上の被害者が出る前に倒さないとな」
後頭部を雑く掻き、蒼桐 遼布(
jb2501)は前を向く。彼方。階段の天辺は直ぐにドア。それは天国への扉か、はたまた地獄の門か。
撃退士はドアノブに手をかけた。
そして一気に――開け放つ!
●真っ赤に燃えて
「や、やめろ、来るな化け物ぉおおおおーーーっ!!」
開幕一番、鼓膜を劈いたのは見知らぬ男の絶叫だった。何事だと見遣ってみれば、屋上の隅に男が一人追い詰められている。へたり込んでガタガタ震えて。一般人だ。直ぐに分かった。それがどういった人物かまでは、撃退士には分からなかったけれど。
その直ぐ正面。立ちはだかっていたのは、もう一人の男。覆面、靡く赤マフラー、マントの様に棚引く翼。一目で分かる。ヴァニタス、タダシキ。
「――君達、危険だ。下がりなさい」
振り返る事も無く、悪魔は言う。
「コイツは凶悪な殺人犯だ。君達の様な子供を、己の欲望を満たす為だけに攫い閉じ込め辱め殺しバラバラにして土に埋めたような奴だ。危険だ。あまりにも悪だ。近付いてはならない。下がりなさい」
「そうか。だがこちらは警察では、ない。故に一切関知しない。する気も、ない。……止めはせん、殺したいなら殺せばいい」
赤く渦巻く光纏の右目。アスハ・ロットハール(
ja8432)は淡々と言い放った。何よりも結果を重視してる彼にとって、己も味方も敵も一般人も盤上の『駒』に過ぎない。だからどうなろうがこちらが勝てるならばそれで良い。
「――」
独り言つのは愛する伴侶の名前。それは呪文となり魔法となりて、誓いの闇<プロマイズ・フェザー>となる。黒に染まらんとする淵紫の霧が、同色の羽と共にアスハの身体を包み込む。
「撃退士か……俺は君達と敵対するつもりは無い。だが、この男は――オオイケは討つ。賛成してくれるなら『そうする』よ」
やはりタダシキは振り返らなかった。拳を振り上げ、一歩。「ヒッ」とオオイケが涙と共に息を飲んだ。
ひゅん。振りぬかれた拳。
ぐしゃ。鈍い音が響いて。
びぢゃ。血が飛び散った。
「うぐ あ゛」
タダシキの拳が突き刺さったのは、オオイケ――ではなく、その間に割って入った胡桃、の、柔らかく薄い腹部。くの字に折れた華奢な体。見開いた目と、酸素を求めるように開いた口から溢れるのは血交じりの胃酸。ビチャリ。
「っ ッ〜〜〜!」
悲鳴にならない悲鳴。シンプルな一徹はけれど、地に倒れ悶絶するほどに激痛。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。でも。我慢。悲鳴を喚き散らしたい口を、奥歯同士をぐっと噛み合わせる事で封印。ひゅーっ。ひゅーっ。歯列から痩せ我慢。怪訝な目でこちらを見下ろすタダシキを他所に、少女はただただ震えている一般人を見返る。
「『貴方』が何なのか、今はどでもいい。……大人しくしてて」
タダシキが言っている事が本当でも。道端の指名手配書で見た事あるような顔の男が目の前にいても。
うわあああああ。再度、男の悲鳴。縺れる様な足取りで走り出す。逃げる為。タダシキが逃がすまいと行動しようとしたが、オオイケを打ったのは悪魔の拳ではなく、鈴代 征治(
ja1305)の手加減の拳。
「一般人に天魔の戦闘の場は危険すぎるでしょ、『普通』に考えて」
常識的に一言。普通の人間が普通に考えたら普通に分かる事だ。普通だ。気を失って頽れた一般人の身体を受け止めて跳び下がる。いよいよ困った色を見せて、ようやっとタダシキが撃退士達へと振り返った。
「邪魔をするのか? 正気か? そいつは指名手配されている極悪人なんだぞ?」
「知らね。ダメだからダメ。この世界のルールだ。お前の納得できる、いや、そもそも答えがあると思うな。世の中は矛盾だらけで、だから意味があるんだよ」
タダシキの行く手を阻む様に、無装飾の大剣レッセクーラント<流れに任せる>を構えた桝本 侑吾(
ja8758)が立ち塞がる。気怠げな目をしていながらキッパリと言い放つ。その言葉が終わってタダシキが返事をする前に地を蹴って跳び出した。膂力を爆発させて振り抜いた痛烈な一撃は、防御姿勢をとったタダシキをそのまま強引に圧し飛ばす。
「やめたまえ、悪人を庇うなんて悪人のやる事だぞ!」
「悪人はあんただ。殺人犯が悪であるなら、法の場で裁かず人を殺してるあんたも悪だよ」
吐き捨てる様な冷徹さで森田良助(
ja9460)がタダシキを睨め付けた。赤が灯った両手に銃を携え、不敵に笑う。
「僕も人殺しの悪だよ。お互い勝負してどっちが正しいか決めようよ。まさか逃げないよね?」
自分も元は人間であるディアボロを殺してきたのだ。嘘ではない。故に悪だ。悪人だ。さぁお前の前に悪い奴が現れたぞ、と口角を吊ってアピールする。
「なんと。悪人を庇う上に人殺しとは……『断罪』せなばならんようだな」
ゆらり。タダシキの様子が転ずる。膨れ上がる敵意。殺意。ちり、ちり、大気を悍ましく揺るがす。それはディアボロとは異なる次元、恐るべき外敵、『ヴァニタス』のそれ。濃密過ぎる殺気。
背骨をナイフが這う様な。『逃げるが勝ち』を信じているからこそ、良助は己の本能が警告を発している事を自覚する。が、尻尾を巻いて逃げる訳にはいかないのだ。
「あんな情けない悪より、僕を倒してみろよ」
あくまでも徹底的に悪を装い、悪役然にゲラゲラ笑い、構えた銃の引き金を引く。放たれるのは酸だ。悪魔が跳び躱せば地面にばしゃりと酸が散る。
「そこの張りぼて」
それを視線で冷ややかに刺しながら、天宮 佳槻(
jb1989)が声を発する。視界の隅では征治に後方へ下げられるオオイケ。彼は悪人なのだろう。タダシキの言った事は本当なのだろう。十分推察できる。印を切った。四神結界。東西南北、四なる神獣が聖域を創り出す。タダシキがこちらへ意識を向けたのを感じた。故に言葉を続けた。
「自分の自己陶酔を他人に押しつけた時点で正義はない。断罪? ヴァニタスが何を抜かす。それを正義というなら、人に対して責任のある人間のままやればいいだろう。いつか裁かれるとしても、それ自体が他人の精神的な安寧になる」
ヴァニタスにそれが出来るか。その言葉に、「愚問だ」とタダシキは即答する。
「正しき事に姿形など関係なかろう。人でなければ、どんな正義も悪なのか? ならばお前と共にある天魔達は決して正義にはなれないのか? お前は仲間をそういう目で見ているのだな」
「では貴方に問おう。正義と悪の違いとは何ぞやと」
切り返す様に言葉を、柊 朔哉(
ja2302)は投げかける。盾にならんと立ちはだかり、真っ直ぐな眼差し。タダシキは応える。
「正しいか、そうでないかだッ!」
「そうだな、そういう事だ。善悪は共に主観によって決められるものだろう?」
コインの表と裏の様に。正義の反対もまた正義、或いは悪とも定義できて。彼女を取り巻く血色のアウルが禍々しくも神々しい光を帯びた。魔力を練り上げる。
「あと、君に言っておかなければならない事がある。自他共に認められた正義など存在しない――つまり勝利が正義、てな!」
掲げた手。後光の如く展開された魔法陣。光。降り注ぐのは星の雨。轟音を上げて。地響き。土煙。やったか。未だだ。人影。
「君の意見には大いに賛成する! 勝った者こそ真の『正しき』なのであると!!」
飛び出す姿と振り上げた拳と。今やタダシキは撃退士を完全に『敵』として判断したようだ。明確な敵意が肌を刺す。
「問答無用。上等ですわ」
戦場に響いた声は凛然、真正面、タダシキの拳を受け止めたのはクリスティーナ アップルトン(
ja9941)が構えた盾だった。ビリビリと響く衝撃。けれど踏み止まり、退く事はない。
「はァッ!」
撥ね上げる。閃光の名を持つ刃を携え、威風堂々と黄金の髪を靡かせて。
問答無用、という言葉通りだった。ヴァニタス相手に、正義だの悪だの。あの見知らぬ指名手配犯とて同じだ、彼に正義を振り翳すとかそんなつもりは欠片もない。人なら人としての裁きを受けさせる。そしてそれを、悪魔に邪魔はさせない。
言葉の代わりに剣を。問答の代わりに目まぐるしい攻防を。
「『久遠ヶ原の毒りんご姉妹』華麗に参上! ですわ」
さぁ。死合おうか。
ざん。立ち並ぶ。ケラケラケラ、と涎に濡れた舌を出して、革帯 暴食(
ja7850)の銀襴の瞳。全身の口。哄笑。哄笑が響き続ける。
「よぉ、そこ行くハリキリボーイ、悪人だったらうちとかどうよ、マジモンの食人族だぜぇッ?」
そして何より。眼球を笑ませ、名乗り上げるは罪なる名前――即ち、『暴食』。
「うちは大罪名乗り罪名暴食ッ。これ以上ねぇ悪だろォッ! 」
「よろしいッ! 悪は等しく裁き切る! かかってこい、『悪』!」
「言ったなッ! 骨の髄まで食って<愛して>やるよッ、ケラケラケラ!」
正義を騙る冥魔の拳と、悪を騙る『人狼』の蹴りが、交差する。
●正正正
燃え上がるアウル。活性化する力。血が、熱く体を巡る。
「正義のために悪を滅ぼす、ですか。正義と言う言葉に酔って、悪と判じた者に対して暴れたいだけじゃないですか?」
じゃらりと鎖が唸った。刹那をも飛び越える速度、一瞬で間合いを詰めた征治が鎖を振るう。肉薄の距離、ぶつかる視線、撃退士の攻撃に怯む事無くヴァニタスは息を吐く。
「やれやれ、取り敢えず『正義』をアンチする中二病は困るな」
「高三ですけどね、僕。ま、どの道あなたはここで滅ぼしますがね」
征治は鎖でタダシキを拘束せんと試みているが、拘束専用ではない――ましてやスキルでもないそれで易々と『ヴァニタス』が捕縛できる筈はなく。鎖が絡んだタダシキの腕はされど勢いは止まらず、少年に迫る拳。防御を展開し被害を抑えるも、顔面。突き刺さる右ストレート。地面に叩きつけられて数度のバウンド。揺れた脳。
「……ッふ、」
視界が揺れる、世界がブレる。鼻が熱いと思ったら鼻血か。裂けた唇を拭いながら、征治は立ち上がる。無表情。逆巻く髪。
まぁ、なんだ。征治は武器を握ったその手を握り直す。自分は、自分達は、撃退士。故に依頼をこなすだけ。淡々と、粛々と。
「殺人犯がどうなろうと知ったことでは無いけれど、天魔の妨害ができるのなら――これ以上好き勝手はさせないわよ?」
羽音を翻し、言い放つイシュタルが聖槍を構え吶喊する。戦う理由は言葉の通り。高められた魔力に、蒼銀の刃に煌く薄紅の宝玉が一層爛々と輝いているかの様に見えた。それは天使の敵意を帯びた睥睨の如く。
「……逃がすとでも?」
一閃。躱される。だが狙い通りだ。敢えて『そう』した。態と軌道を甘く逸らし、タダシキの動きを誘導する様に。
今だ。
アイコンタクトはしなくとも。
飛び出したのはゾロアスターと名付けた巨大な鱗剣を携えた遼布。何であれ、どうであれ、彼が戦場で成す事は変わらない、揺るがない。
ヴァニタスはたった一体だが故に悍ましいほど強敵だった。ならば出し惜しむ余裕はない。龍血覚醒。我が血よ滾れ。漲る闘気が右手を蝕み、龍の如く変貌する。それは出血をも伴う強引な荒業。
「オォオオオオオオオッ!!」
張り上げるは二重咆哮。バヂリバヂリと火花を上げるのは稲妻の様な蒼銀のオーラ。振るう刃。
それに合わせて降るは酸。銃を構えた良助。遼布の一撃が血花を咲かせた悪魔の傷口をジュゥと溶かし、痛みを刻む。再度照準を定める良助が浮かべるのは挑発の笑み、送るは罵声。
「まさか逃げるわけないだろ? 悪人を目の前にして逃げたらとんだ腰抜けだな!」
「逃げるな? それはこちらの台詞だ!」
タダシキが逃亡するつもりは微塵も無いようだ。彼は撃退士を『裁くべき悪』だと認識しているのだ。故に全身全霊、振り抜いた拳が衝撃波を纏って周囲一切をなぎ倒す。
「ぶはッ……ハハ、ケラケラケラッ!」
みしりと全身が歪む痛み。痛み。けれどそれすら愛おしく、暴食は舌なめずるのだ。
「人間の味ってモンを教えてやろうかぁッ? 代金はテメぇの味でいいからよォッ!」
真正面からブッ喰い殺す。攻撃の直後の隙を狙い踏み込み接敵、唸りを上げたのは腹の虫か咆哮か。アギトを開け、それが慰撫だとただ信じて。牙を立てろ、それが愛だと只管信じて。食い破れ、忘却すらも飲み込んで、この世界のハラワタを。
飢餓の牙。或いは、暴なる食を愛せし顎門。<オボロートニ・ゴーリェ・ジャーロスチ>。ばぢん。暴慢なる人狼の牙が、防御に構えられたヴァニタスの肉を食い千切る。ふーーっと漏らした息は恍惚。
「最悪が悪だと言っているッ。だからテメぇは正義なんかじゃあねぇんだよッ」
「正義でありたいと願う姿は正しいだろう!」
「ったくさっきから女の腐ったみてぇにピーチクパーチク理屈こねやがってよぉッ! 喧嘩くれぇ理屈抜きで出来ねぇのかぁッ!?」
交差するは暴力。張り上げた声。
その別方向、正にタダシキを強襲したのは『横槍』だった。靡く赤。アスハが構えた右腕に超密度の魔力が集まり回転式弾倉付バンカーを形成する。
「……穿つ」
零距離攻勢魔術、魔断杭<ブレイクバンカー>。撃ち出されるは破壊に満ちた脅威の杭。
「正義だの悪だの、下らん理屈、だな……そんなもの、自他を正当化し、法に縛るための言い訳にすぎん。大体、正義などで無く、ただ法を犯した者を裁いてるだけに過ぎん……唯の偽善、だな」
「偽善だろうが、『善』である事に間違いは無かろう?」
「……詭弁だ、な。世の中、正義も悪も、本来存在などしない」
展開する魔法陣。それを貫く腕で悪意穿槍<ペネトレイトマリス>を作り出し、タダシキが拳より放つ破壊の衝撃を緩和させて。アスハは極めて淡々と、淡々と、語るのみ。赤き戦乙女の外套が戦場に凛と翻る。どんな敵であれ、彼はそれを『撃ち』『貫く』のみ。
そんな彼等が戦い続けられるよう、佳槻は回復の術を仲間に施してゆく。その間にも油断無く、視線はタダシキへ。
「正義なんてものは元を正せば単に各々の拠り所。それが他者への理解や思い遣りと結びつき、より多くの人の安定や利に繋がって正義として認められる。ヴァニタスが悪人を殺して誰が安心する?」
「逆に問おう。『悪人が消えて安心しない者は誰だ』?」
「愚問だ。所詮、力を振るって優越感を満たしたくても自分でそれを支えられないから、既製品の正義を振り回す。お前は正義という紙を貼っただけの、中身空っぽな張りぼてだ」
「そう言って自分を正当化させたいだけなんだろう? 身勝手で自分本位で根拠の無い決め付けばかり。自己満足で薄っぺらいのはどっちだろうな」
皮肉の笑み。言葉の毒。けれど、朔哉はその合戦に応じようとも、仕掛けようとも思わなかった。彼女の役目は、祈る事。仲間の無事を勝利を願い。
「主よ、貴方の加護を」
聖女が謳う聖譚曲<ダズ・オラトリウム・ダズ・アイン・ヘイリッジ・フラウ・アークハルト>。聖女に杖など必要ない。その両手こそが救済。救うのだ、救うべし、この両手がある限り。
「正義を盲信する者に限って、悪に堕ちる場合が多いのにな」
信じる事とは。正しい事とは。「主を信仰する俺とて、言えない事も無いな」と――そう思い、護る為に、己の命をすり潰してでも『救う』為に、盾を構えて『盾』となる。
「砕いてみせろ……!」
胸元で輝く十字架は、何処までも凛と神々しく。
自己犠牲。
胡桃は他人がそれをするのが赦せなかった。けれど自分も無自覚に、『そちら側』の人間で。だからこそ、「どうでもいい」と嘯きながらオオイケを庇うような真似をして――今も尚、意識を刈り取られた彼を背中に護っている。何があろうとも護る心算。胡桃は知らない。それが己の『反射運動』である事に。
「牙を剥くなら、人であろうと天魔であろうと……。私にとっては、全て、敵」
仮にタダシキが正義であろうと、彼女には関係なかった。
危害を加えてくるならそれは敵。敵ならば撃つ。撃つ――『名無し』の黒銃のスコープを覗き込もうとした身体が震えた。せり上がる胃液は先ほど腹を殴られたからだけではない。心を毟る心的外傷。
「……戦える。私は……戦える……!」
自己暗示、ブツブツ呟き、胃酸の苦さが残る歯を食い縛り、足手纏いは嫌だ。邪魔者扱いは嫌だ。嫌われるのは嫌だ。スコープを覗き込む。必死、とも言えた。
引き金を押し込む。発砲音。螺旋を描く一筋の弾道。
後方支援。対極、侑吾は前線支援。
真っ向から撃退士を叩き潰さんと襲い掛かるタダシキの猛攻に血だらけで、けれどその目の奥には確かな『やる気』を燃えさせて。
道具による拘束はやはり上手くいかない。弱小なディアボロならば兎角、相手はヴァニタス。これは高難度の危険な任務。ただでさえ難易度の高い『一方的な展開に持って行く事』は、絶望的な難易度となる。
「ったく面倒臭い奴だな……」
自嘲めいて吐き捨てて、祈る様に構える剣。身体を巡る神秘の力を制御して、癒しの力に変換する。消えゆく痛み。
「俺は未だ戦えるぞ」
かかって来いよと言外の挑発。良いだろうと構えるタダシキ。
攻防。命のやり取り。血を流しながら死に物狂いで。殴られ蹴られたのであればそれ以上に斬撃を返し。
その最中、ふと侑吾が思い出すのは棄棄の言葉だった。
『背負い込んだら、あっちゅー間に心が死ぬぞ』
人間は弱い。あれもこれもそれもどれも、なんて、そんなワガママがいつも思い通りになる筈なんでなく。妥協は救いなのだろうか。それでも。だって。だから。嫌だ。抗うのだ。抗ったのか。嗚呼。死んで、その慣れの果てなのかな、『彼』は。
それは――撃退士である自分の、他の誰かの未来なんじゃ、なかろうか。なんて。
「……どっちにしても、もう倒すだけなんだけど、さ」
引き返す事も、言葉で平和的に解決する事も、諦める事も放置する事も最早出来ないのだ。
剣の切っ先が空を切り裂く。赤い花を咲かせて。
「己の正義を力に任せて振りかざし、それでヒーロー気取りですか」
クリスティーナの蒼い眼差し。直剣の如く。その白い肌は血と痣で彩られていながらも、瀟洒な動きに鈍りは無い。振るわれる剣戟の音は宛ら洗練された麗しき舞踏曲。
「正義なんてモノはひとそれぞれ。そのようなモノはヒーローに本当に必要な条件ではないのですわ」
「では『本当に必要な条件』とは!?」
「ヒーローの条件――それは! 華麗であること、人々に希望を与える存在であること。そう、この私のように!」
その証拠を今、魅せてさしあげようではないか。ひゅるん、と振り抜いた剣を構える。そこに集い、煌き、光を帯びるのは幻想的な星屑達。それはクリスティーナの必殺技である。
「流星の輝きの中で散りなさい。スターダスト・イリュージョン!!」
振り被り、一文字、星屑幻想、燦然と輝く流星群が光の束となってタダシキに襲い掛かった。
光、光、光、幻想的な。
星の光はもう一滴。応急手当や酸の弾丸で仲間の支援をしていた良助が、攻撃の為に放った弾丸。聖別を受けしその弾丸は悪魔にとっては脅威の一言である。
「……折角の好機、無駄には出来ないわね」
それと並走する様にイシュタルが地を蹴って飛び出した。携える蒼銀の聖槍に込めるは対冥魔の力、その切っ先は何よりも鋭く。
Active.同刻に逆方向から躍りかかるのは遼布だった。包囲。逃がさない。全身に巡らせるアウルで全ての痛みを断ち切って。荒々しくも研ぎ澄ます、全身の力。
それらに、撃退士に、真っ向から。タダシキは拳に有りっ丈の力を込めて――迎え、撃つ。
●正義は勝つ
戦場音楽は奏でられ続ける。
戦いは激化の一途だった。血みどろ。タダシキが振るう凶悪な拳に、正義を騙る鉄拳に、何人の撃退士が倒れた事だろう。
「私の防御を破るとは、なかなかやりますわね」
不敵に笑うけれどしかし、クリスティーナの唇は吐いた血で赤い。鎧にすら皹が入っている。ぜぇ。はぁ。荒く息を弾ませて。幾ら血や土埃で汚れようとも、その誇りは穢れない。握り締め、握り直す剣。
「流星よ、今再びその輝きをここに! 再臨、スターダスト・イリュージョン!」
迸る。星の飛沫。全力のアウル砲撃。吶喊の声が響く。
それを支援する様に、スコープを覗き込む胡桃は狙いを定めた。
「私は剣。……逃がさない、よ……?」
紅き連弾。放つ銃弾。
斬撃と銃撃に蹌踉めくタダシキの傷は浅いものではなかった。けれどまだ死んではいない。踏み込んだ先には、倒れた仲間達をその背に護る、朔哉――
「―― あ ……?」
何が起きたのか。朔哉には一瞬、理解が及ばなかった。
壁に叩きつけられた様な。気が付いたら倒れていた。そうだ。殴られた。正義の鉄拳。ドクン。全身、激痛、一歩遅れで痛みにのたうつ。息が出来ない。苦しい。
それでも。
「天の刃を抱く俺は……絶対、折れねぇぞ……!」
諦めなかった。
死んでも良い、と思った。
死は自分だけで十分だ。
そうなってでも、ここでこいつは必ず倒す。
命を代価にしたとしても。
けれど死神は気紛れだった。
気紛れに無作為に冗句の様に人の命を刈り取る癖に、朔哉に見向きもしなかったのだ。命は、簡単に投げ捨てるようなものではない。投げ捨てられるものじゃない。
けほ。咳き込み、血を吐き。まだだ。掠れた声。伸ばした手。タダシキの足首を掴み取る。
「離せ、悪人がっ」
踏まれ蹴られ、朔哉の体が赤く赤く。折れて。裂けて。
けれど、文字通り『死ぬ気』で作り出した好機だった。
「往生際が悪いぞ……!」
いの一番、印を切ったのは佳槻だった。牙を剥くのは幻影の蛇。喰らい付き、蝕み冒すは恐るべき毒。血反吐を吐く悪魔、の、顔面を掴んだのは全身の魔力を全て開放したアスハだった。
「終わりだ、な」
赤く赤く全てを滅ぼす火の如く。掌を中心に一点集中、『ずどん』。
「がッ……」
大きく仰け反るタダシキの体。吹き出す鮮血。けれど、侑吾は見ていた。あの握り締められた拳――まだ生きてる。まだ生きてるのか。悍ましい程の体力だ。己は根性を燃やして倒れる事を何とか拒絶している域だと言うのに。
「……調子のんなよ」
冷たく言い放った。交差するは悪魔の拳と一振りの剣と。人間は強かに顔面を殴られながらも最後まで振り抜いた。その一撃は『最後』を極めし必殺剣。膝を突いたのは、ヴァニタスだった。
血溜まり。立ち上がろうとしている。力の入らない身体。タダシキも撃退士もズタボロで。
這い蹲ったまま、タダシキは空に叫んだ。血に湿った声。壮絶に。
「こんな所で悪人共に殺されてたまるかァアアッ! 俺は俺は俺は俺は俺は――」
「正義死亡、ってかぁッ? ケラケラ!」
嗚呼ケダモノのようだ。目の前に立ちはだかって見下ろしている暴食が嗤う。ぐん、と寄せる顔。まるで恋人の距離。
「……正義ってのは、優しい奴を言うんだよッ。誰にだろうと手を差し伸べるような、甘っちょろい馬鹿をッ。
生まれ変わったら、久遠ヶ原に来いッ。幾らでも正義を見せてやんよ……正義志望ッ」
セイギシボウ。呵々と笑った。そして。常軌を逸して開かれた暴食のアギトが、立ち並ぶ唾液に塗れた牙が、タダシキの首筋に、零の距離、触れて、食んで、突き破って、そして、
ごきん。
●ジェンド
被害は大きいものの、なんとか勝利を収める事が出来た。
訪れた静寂、クリスティーナは辛勝に息を吐く。
「おおかた、ねじ曲がった正義感の持ち主が、悪魔に付け込まれてヴァニタス化したのでしょうね」
「正義の味方、なんぞ……愚者の作りだしたまやかし、だ」
応えたのは表情に疲労と呆れを滲ませたアスハだった。
されどもう、それに応える者はいない。冬色の気配に染まった空は只管に無口だった。
オオイケに関しては人間が人間として裁くだろう。
そこに関して、撃退士がとやかく言う場面は無い。今はもう――帰ろう、久遠ヶ原学園に。
血みどろの朔哉は、笑みと共に一安心の息を吐き。意識を闇に、手放した。
『了』