●転移の蒼のその前に
「なぁ、棄棄先生、こういう時、死ってのは救済なのかな」
振り返った桝本 侑吾(
ja8758)は教師に問うた。己よりも経験を積んでいる彼ならどう思うのだろうと思いつ、口では「ちょっと気になっただけ」と付け加え。
「俺は彼等とは違って生きてるからか、救済なんて思えないけれど……」
「俺だって『殺しが救い』だなんて思いたくはねぇさ。人間だからな。そう。人間だから。『死が救い』って思わないと、『やってられねえ』のさ。人間は――強いけれど弱い。何でもかんでも罪だ罰だ責任だ俺が悪いって背負いこんだらあっちゅー間に心が死ぬぞ」
されど、これはあくまでも棄棄の考えであり。彼はそれを押し付けるつもりはなく。ただ、生徒の肩に手を置いた。武運を祈る、と。
●夏の暑い日の事でした
じーわじーわ。蝉が鳴いている。何処か遠くで。それ以外は死んだように静まり返った昼下がりだった。
撃退士の目前にはなんて事ない一軒家。けれど彼等は、そこが『非日常』の場である事を知っていた。何が、中に居るのかも。それを、どうせねばならないのかも。
展開させた阻霊符。警察にも協力を仰ぎたかったが、天魔対応は彼らの仕事ではない。警察が対応出来るのはあくまでも『人間』であり、天魔をどうにかせねばならないのは撃退士だ。そも、警察がどうにもできないからこそ撃退士に話が回ってきたのであり、『撃退士』という存在が必要とされているのである。それ以前に、『本当の事』を言わずに公共機関を動かす行為は決してするべきではない。
やるしかない。己達の手で。
「敵はディアボロが4体。まぁ問題ないわね」
正しくはディアボロとそれが生み出したモノが3体だけれど。氷雨 玲亜(
ja7293)は考える。既に人でない以上、普通のディアボロとの違いは変異しているか否かに過ぎないと。
「ま、気が進まないけれど、仕事だしな」
「一般人の犠牲者……か」
侑吾が溜息と共に言い、真柴 真姫(
jb6699)が欠片の感情も無く呟いた。彼女には仲間の感情や感想など理解できない。私には分からない。ただそれだけ。観察の為。
対照的に、握った拳に白むほど力を込めていたのはレグルス・グラウシード(
ja8064)。
「寄生する、だなんて……それじゃ、この家の人たちは、もう……!」
「憐れとは思うが、被害者が被害者であるうちに眠らせてやるのもまた慈悲じゃろう。……肯定はせぬ。が、こういうこともあるのが現実よ」
幼い少女の見かけに反した言葉で、リザベート・ザヴィアー(
jb5765)が言葉を返した。細めた金瞳で、夏の日差しに照らされた民家を見上げる。
「魂を奪う行為ですらなく、まるで踏みにじり腐らせるかのようなその所業……私も冥魔の中では変わり者の自覚はありますが、このディアボロの作り手は歪んでいるというべきでしょうね」
ユーノ(
jb3004)は肩を竦める。全く、天魔とマトモに戦える力を早く取り戻したいものだ。
「もう手が届かないなら、せめて巻き込まれる人がいないように……ここで、終わらせよう」
風の様な青い光を纏いつ、青空・アルベール(
ja0732)は静かに言い放つ。〆垣 侘助(
ja4323)は彼を横目に表情を変えぬままその手に鋏を持った。
羨ましい……のかもしれない。分からない。乏しい感情。それでも自分は『摘み取る』だけだ。
夏の風に紫煙が揺らいだ。
「また胸くそが悪くなるような事件だな……」
咥えた煙草の先を揺らし、アカーシャ・ネメセイア(
jb6043)。怠けた様な目をしているが、その奥には――『元凶』への憎しみ。何の罪も無い家族全てを、しかも死体を貶める様な真似しやがって!
一歩。片手に魔剣を、片手に花を。後者を静かに、玄関に供え。
「あんたら全員がしっかり眠れる様にしてやるよ。……この埋葬の花に誓ってな」
戦場へのドアを開く。
●1F
手分けして行動、それが作戦。1階には侘助、玲亜、リザベート、アカーシャ、真姫。
つけっぱなしのテレビから垂れ流されるワイドショー。胡乱な気配。居間への戸。その磨り硝子から玲亜が中を覗き込んだ。
「……居たわ。2体」
気付かれぬよう静かな声。確認。カウントダウン。
3、2、1。
ばん。
声も無く、微かな椿の馨りを漂わせ、鋏の銀を煌めかせ。アカーシャが蹴り開けた戸の間隙よりいの一番。『じゃくん』と鋏が閉じられれば、斬撃が一直線に飛び往った。それはソファーに座っていた男の寄生体をソファーごと切り裂いて。飛んだ血と、蔦の欠片。
ぐるぅり。振り返る。人間だったもの。目から鼻から口から耳から皮膚の下から沢山の花を咲かせて蔦を巡らせ。テレビのワイドショーからどっと爆笑、大喝采。それと同時。台所から女の寄生体が顔を出し。踏み出した脚。一斉に襲い掛かって来る。
「逃がすわけには……いかないのでな……」
迎え撃つは剣を手にした真姫。振るった剣。が、その刃が腕ごと蔦に絡め捕られ。メキメキメキメキ。拉ぐ、圧迫と言う名の敵意。
「ッ……」
彼女だけではない。アカーシャの身体にも蔦が這い、その身体を容赦なく締め付ける。骨が肉が臓腑が軋む。が。裂帛の声。振り解く力尽く。そのまま黒鉄の大剣を構えると槍の様に轟と突き出した。広いとは言えぬ室内、剣を振り回せば仲間に当たるかもしれぬ故。
「こんな狭い場所でフレンドリーファイアなんてごめんだぜ?」
不敵な台詞一つ。刺した剣をぐりっと捻れば、寄生体の金切り声が響き渡った。人間のそれだった。
「動揺させるつもり? 悪いけど――」
そんな事ぐらいで『怖がらない』わよ。その身に纏う、氷雪を思わせる白銀の光纏が如く。冷たく透いた玲亜の言葉。手にした魔導書から水晶球に似た光球が溢れ、集まり、紫電を散らし。
「合わせてゆくぞ、一気に決めるのじゃ!」
ヒラリとクラシカルなドレスを翻し、闇の翼を広げたリザベートが雷霆の魔陣をその掌に構築する。刹那。一気に炸裂させる、稲妻の魔術。鮮烈に瞬く。意識を刈り取る。
だが無事だった方の個体が奇声を発し刃の様な蔦を振りまわした。ソファーを切り裂き。家具を倒し――机の上に在った小さな鉢植は、けれど、蔦の行く手を遮る侘助が代わりに肩を抉られた。
しかし血が流れようと庭師は無表情。滴る血がその手の鋏にまで伝った。視線の先。身も心も植物の存在。羨ましいのかもしれない。けれどそれ以外は無い。
「俺は庭師で、相手が植物だというならやる事は最初から決まっている」
身体に蔦が絡まろうとも。動じる事はなかった。攻撃ができるなら何の問題も無い。逆に掴み取る蔦。引き寄せる。体内でアウルを燃焼させて。加速の一閃。ざくり。蔦の絡む寄生体の御足が大きく裂け、ゴトンと音を立てて倒れ込んだ。
「……さようなら」
その隙を逃さず。容赦せず。躊躇せず。玲亜は魔力を球をテウルギアより撃ち放ち、倒れた『ディアボロ』にトドメを刺した。人の姿をしていようと。人の様な悲鳴をあげようと。甘えるな。躊躇うな。氷であれ。気後れは戦闘において邪魔者以外の何者でもないが故。
残り一体。視線を向けたそこで、アカーシャの剣が寄生体に突き立てられる。寄生体がタタラを踏む。血を撒き散らして。天使の頬を赤く穢して。
倒れろ。もう良いんだ。眠れ。瞳の奥に宿した思い――それとは裏腹に、寄生体は暴れ狂う。振り回す暴力。それが真姫を弾き飛ばし、壁に叩き付けた。
「……これは高くつくぞ?」
細められたリザベートの眼差し。終わらせよう。終わりにしよう。組み上げる魔力。展開する魔法陣。寄生体と目が合った――ような気がした。刹那。魔法陣より撃ち放たれた魔力の矢が一直線に飛んで――
「良い夢を――」
心の臓を、貫く。
●2F
弾む息の音が響く。窓硝子に、ベシャリ。散った赤は悪魔のそれか人間のそれか。
撃退士もディアボロも負傷していた。既に戦闘は佳境である。
ギチギチとディアボロ『アサガヲ』が不気味な音を出す。その傍には小さな女の子『だったモノ』。可愛らしい子供部屋。赤いランドセル。侑吾はちらと眼の隅で捉える。この部屋が、この家にある者が、この家が、遺品なのだろう。こうなったからこそ想い出は大事なのだろう。
「……俺はよくわかんないけど」
あまり壊さないようにしよう。靄の様な灰色を漂わせ。大きく踏み込む。構える直刀。力を込めて。アサガヲに一突。
「ごめんなさい、せめて……その忌まわしい天魔から解放してあげるから……!」
犠牲者の姿。もう救えない存在。噛み締める唇から鉄の味がした。レグルスは魔力を練り上げる。詠唱。押し殺した怒りを一撃に込めて。
「喰らえ……僕の力を!」
展開する魔法陣。じゃらりと唸りを上げた鎖がアサガヲを絡め取る。絞め上げる。ユーノはそれを静かに指で差し。
「花は咲いたら散るものですが、『散る』ことすらあなたには勿体ない……腐り落ちなさいな」
迅速に、全てを終わらせるのみ。神秘の符術が動けぬアサガヲに飛びゆき、その不浄なる氣が悍ましいまでにディアボロを苛んだ。
蠢く蔦。鋭いそれが、青空の身体を切り裂く。赤が散る。壁にかかる。それでも少年は踏み止まった。緑の瞳で、少女だったモノを見澄まして。
「ごめんね。出来るだけ早く、終わらせるから……っ」
悪い夢なら早く醒めた方が良い。アルニラムを構え、蒼風を纏う蜘蛛を撃ち放った。鞭のようにしなる一撃。顔や頭は狙わず、それは少女だったモノの胸を貫いた。どう、と崩れ落ちる小さな体。残すはディアボロのみ。睨ね付けた先。草の塊から撒き散らされる毒液の霧。それは肌を溶かし、臓腑を蝕み、苦痛を無差別に与える。
「大丈夫です、僕がいます」
倒れるものか。負けるものか。防御に杖を構えたまま、レグルスは癒しの呪文を紡ぎ出す。
「だから……思いっきりやってしまってください、その汚らわしい冥魔を!」
光が、清らかな光が、部屋に満ちる。それは仲間の危機を払拭する癒しの力。
一歩。シールドで先の攻撃を防いだ侑吾がアサガヲに肉薄する。
「今度は、こっちの番だな」
迅速に決着をつけるのが最善手ならば、それを成すのみ。眠たげな眼の奥に確かな闘志を宿して。気を込めた。有りっ丈。突き出した。力の限り。突き刺さる。アサガヲの不気味な身体に。悲鳴と共にのたうつ蔦が荒れ狂う。ユーノの白い肌を、華奢な身体を切り裂いて。けれど。
「……足りませんわ」
突き付ける指先より打ち出す魔力。血絡。生命力を奪い去る。
アサガヲの身体がよろめく様に揺らいだ。
ならば――この一撃で終わりにしよう。蒼空は得物に赤い目の黒犬<ヘルハウンド>のアウルを込める。
「喰らえ……!」
撃ち放つ、死の宣告。牙を剥く敵意。その咆哮は文字通り『死の宣告』と成り――アサガヲを食い千切り、八つ裂きにして『終わり』を告げた。
●グッバイデイ
二階に居た撃退士が、少女の死体をその手に下層へ降りてみれば。そこでは丁度、彼等が敵を倒し終えた直後だったようで。一先ずは互いの無事を労い合い、一息。
「……悪趣味なディアボロだったわ。手間をかけずに駒を増やすという意味では、効率的な方法だけどね」
「抗う術を持たぬ者はある日突然容赦なく刈り取られる。そういう恐怖を周辺に植え付けることも目的の一つかの……こ奴を作りおった悪魔の悪食と暴食にはほとほと嫌気がさすわい」
柳眉を微かに寄せる玲亜の言葉に、リザベートが溜息を吐く様に同意の言葉を示した。任務成功。けれど、心から喜べない現実。レグルスはただ押し黙っている。足元には人間だった少女。仲間に背を向けじっとしているその顔を窺い知れる者はいない。
最中、アカーシャと青空が横たえられた犠牲者の傍にしゃがみ込む。やる事は同じ。遺体の花を、蔦を、葉を、可能な限り取り除く。天使は、こんなに植物にまみれ傷付いた死体を放置して彼等が奇異の目に晒される事が忍びなくて。少年は、彼等が人の死体として扱われる事を望んでいて。
絶望から人を救うのがヒーローなら、こんな時どうしてあげられるんだろう。青空は想い、悩み、思い付いた中で最良の選択を選んだ、つもりだ。
侘助はそれを、青空を、知人を、信頼足る存在を、感情の手本を、眺めていた。
彼の言動は人間としての正解なのだろう。きっと全てが正しいのだろう。ならば。正しい事をするのは正しい筈で。
「……」
無言のまま侘助は青空達の傍にしゃがみ込む。手には鋏。植物を整えるのが庭師だから。しゃきん。しゃきん。死体の花を摘み取ってゆく。
青空にはそれが何処か嬉しかった。旧知の彼。一方的に懐いている相手。目が合った。けれどすぐに作業に戻る侘助の双眸。
そして整えられた遺体を前に。アカーシャは掌に太陽の槍を作り出す。それを物言わぬ3人へ。投げた。一筋の光。燃え盛る。炎は全てを浄化すると、包み込む。
「次に生まれて来る時には家族揃って幸せになりな」
「……おやすみ。次は良い夢に、なりますよう」
煙草に火を点けアカーシャは紫煙を吐き出し、青空は静かに目を閉じ祈りを捧げた。
侑吾は黙し、場違いに点けっぱなしだったテレビの電源を切る。画面の中の笑い声が消えれば、静寂。
懸念していた野次馬等が現れる事も無く。この事件は、よくある『天魔事件』として性急に片付けられてゆくのだろう。
カーテンの隙間から外を見た。
じーわじーわ。蝉が鳴いている。何処か遠くで。それ以外は死んだように静まり返った昼下がりだった。
『了』