●見た目だけならごくありきたりな
転移装置の蒼の後。撃退士達は何をすべきか己の相手がどういうものか全て知っていた。
「厄介だな」
「えぇ、厄介ですね」
礼野 智美(
ja3600)の言葉に、長幡 陽悠(
jb1350)は頬を掻く。召喚師である彼にとって、『痛みを共有する事』には慣れているが――嗚呼。でも、だからこそ。
(……気に食わない敵だな)
瞳に灯らせるのは静かなる敵意と、金色の光。
「やせがまんなら、得意分野だ」
「んー、でもなんか、自分のマゾ度を試されるような感じしねえ……?」
凛然と頷いた若杉 英斗(
ja4230)、傍らにて月居 愁也(
ja6837)が後頭部で手を組みつ一つボヤく。取り敢えず正座説教よりマシかな、うん。
「でぃあぼろを倒すのに痛いとか言ってられねーっす!」
「痛みに負けていては誰も守ることなど出来ないんだっ!」
「そーっす! 痛いのは嫌だけど我慢っす!」
「どんな痛みだろうと僕は負けないっ!」
活力一杯快活に、ニオ・ハスラー(
ja9093)とサミュエル・クレマン(
jb4042)。そんな彼等を何処か微笑ましげな色を目に宿して一瞥し――銀髪を靡かせ振り返ったユーノ(
jb3004)は敵へと視線を向け直した。
「攻撃には必ず報復する、とでも言う気でしょうか。この世界にとっては、先に手を出したのは天魔ですのに」
言葉に答えが返ってくる事はない。構わない。視線の彼方に蠢くディアボロ『イタミワケ』を、指差した。
「能力は兎角、結果までを痛み分けとする気はありません」
結末は、そちらの滅びただ一つですの。
●人の痛みを知りなされ
「アハハハァ、なんて素敵なディアボロなのかしらァ……人生で一度しか味わえない苦痛を味わえるなんてェ……アァ、本当に素敵だわァ……♪」
黒百合(
ja0422)は歪な笑みに頬を染めて。さぁ、さぁ、私を見て。私だけを見て。諸手を広げた。己と言う存在を『魅せ付け』る。
もぞり。イタミワケが黒百合に意識を向けた。その間に、智美と愁也の阿修羅二人は己の闘気を解放し、クロエ・キャラハン(
jb1839)も冥府の風を纏う。サミュエルは後方にて様子見の算段だ。
動き始めた仲間達。それらを見、陽悠はストレイシオンを召喚する。玲瓏な咆哮。絆で結ばれた存在。
「よろしくな、全力で護ってくれ」
そして、耐えろ。耐えてくれ。言葉を、龍の背を撫でる手に込めて。同じ痛みを、俺も受け取るから。
ずどーん。そんな音が響く。脚の一つをぐんと伸ばし、黒百合に襲い掛かるイタミワケ。それにグッと間合いを詰める足音一つ。
「ダメージを与えた相手に、同じだけの痛みを与える能力か……。どれどれ」
構えた白銀の刃手甲、竜牙。英斗は視線の先にイタミワケを据え、その黒い身体へ刃を思い切り振り抜いた。悪魔の身体から血が出る事はなかった。ただ、その砂の様な身体の欠片がサラリ、と散って――
ズキリ。
肌に、それは『刃物で切り裂かれた様な』痛み。
「なるほど。久遠ヶ原トップレベルのやせがまん大将である俺向きの相手だな――攻撃力は高くないけど、けっこうタフだし」
因みに『自称』と『自己分析』だ。そして苦しい時程ニヤリと笑って見せるのが、若杉英斗という男である。しかし――人型に改造した学業成就のお守りを持ってきたが、これが身代わりになってくれる様な事はないようだ。何か痛み移しの能力に条件でもないものか。例えば、ウキウキしていればならないとか……
「もしかしたら、より強い痛みで上書きしたら、能力を打ち消せるかな……試してみよう」
「成程! 痛みにはそれ以上の痛みで上書き……ってやっぱり痛ぇえええ!」
ギュム。英斗は盾でイタミワケの攻撃を受け止めた愁也の頬へ徐に手を伸ばし、抓る。返ってきたのは悲鳴。
「あっ、そうか……これだとけっきょく痛いのか」
「血が出た! 味方ダメージの方が怖いです!」
なんてワチョワチョやっていたが――振り下ろされたイタミワケの攻撃に二人は飛び下がる。あんまりハシャギすぎて負けてしまったら元の子も無い。
故に、全身全霊で。痛みにビビって手加減なんてするものか。
「ところでこれって俺もスタンしちゃったりするー!?」
言いながらも、愁也の吶喊に迷いはなく。槍盾に力を込め、薙ぎ払う。切り開く。同時にズキッと、痛覚が脳を焼いた。「うぐっ」と呻く。同時に、意識が千切れる。立っているのか倒れているのか。暗転視界、それでも、意識をこじ開けて。大丈夫だ血は出ていない。けれど、痛い。ディアボロの名前の通り、傷み分け。良い捉え方をすれば、『己の攻撃威力がどれ程か』を身を以て知る事が出来る経験だが――しかし。
「痛いモンは痛いんじゃゴラァアアア!!!」
痛みを吹き飛ばす様に咆哮を。英斗が痩せ我慢をするのなら、自分は叫ぼう。修羅の如く。腹の底から。
鬨声。
そうだ痛いのは気合でカバーだ。根性だ。精神攻撃――治せるようなものでないなら尚更。
「こんなところで倒れられないっす! あたし達が倒れたら誰がこの敵を倒すんすか!」
銃で撃たれた焼けるような痛みに顔を顰めつ、ニオは声を張り上げる。攻撃を休める訳にはいかない。どれだけ痛くても、痛くて涙が出そうになっても、苦しくっても。
これで手こずって倒すまでに時間がかかったら? 倒せなかったら? 答えは『最悪』という姿をしてせせら笑っている。
焼けつく、痛覚。
「……っ」
炸裂符。爆発の痛みが、ユーノを襲う。悲鳴こそ漏らさぬものの、噛み締めた唇。
「うぅ、痛い。ほんとに痛い」
クロエもまた、膝を震わせていた。大鎌を持つ手も震えている。全身がザクザクに切られている様な。痛い。痛かった。でも、少女が唇に浮かべるのは微笑みで。
「……よかった。私の攻撃はちゃんと痛いんですね」
この痛みは、恐怖と憎悪である天魔に苦痛を与えている何よりの証拠、確かな実感。本来なら絶対に知る事の出来ない手応え。あぁ、あぁ、あはははは。ズキン。ずきん。ヅキン。鋭痛、鈍痛、疼痛、激痛、それと同時に沸き立つこの感情を――歓喜と言わず何と呼ぼう!
「これくらいじゃまだ足りません。もっと、もっともっと、大声で悲鳴を上げながらのたうち回りたくなるくらい、痛くしないといけませんよねぇ!!」
自覚無き狂気、際限なき衝動。目を見開き、得物を引き摺り。
少女はケタケタ笑い続ける。
「アハハハァ! イタイ、イタイ、イタイ……あァ、四肢を潰される苦痛ってこんな感じなんだァ……いいわァ、もっともっと苦痛に悶えなさいィ♪」
殺す為の鎌を携え、黒百合は狂い笑う。轟、と刃を振り回せば黒い霧が尾を引いた。その身体を壊さんと。潰さんと。されど簡単に壊れるものじゃあなさそうだ。部位破壊とは遍く困難なものである。だがそれでもいい、簡単に壊れる玩具に何の価値がある? 一方的に与えられそうな痛みは持物を身代わりにして、もっと逃走を。もっと痛みを。神経よ悲鳴を上げろ。悦楽的快楽。
痛いのは生きてる証拠、か。
智美は奥歯を噛み締める。全身が酷く、酷く痛んだ。ズキリズキリと。されど痛みで武器を手放す事はない。手にした槍は、包帯とバンダナでその右手に固定して。何があろうと戦いぬく、覚悟の証。そうだ。戦わねばならぬ。その為の刃だ。
「俺の刃は――曇らないッ!」
燃え上がる金の炎。その闘志を映すが如く。鬨の声を張り上げ、刃を力強く振るいながら――痛みなど。そんなものを感じる事が少ない方が、平和な世界だろうに。
悪魔の反撃に肩口を切り裂かれ、新たな痛みを刻まれながら。思う。天魔がいなくなれば。体の痛みも、心の痛みも、少なくなる筈だ。きっと。きっと。
波状攻撃を仕掛ける撃退士。誰しもの身体に痛み。
けれど、その中で特に痛みに苛まれていたのは陽悠だった。召喚獣の痛みと、返される痛みと。二重苦。ズキズキ。噛み締めた唇が裂け、血が垂れる程に。視界がぐらつく程に。
それでもいい。盾であれ。仲間を護れ。護るんだ。己を護った賢龍が一瞬、心配の眼差しを向けた。大丈夫だ。その気持ちを込めて、痛みを堪える少年は指示を下す。
「俺なら大丈夫だから――やれ、ストレイシオンッ!」
振り下ろす手。応える咆哮。アギトを開いたストレイシオンが、稲妻の如きエネルギー弾を撃ち放つ。閃光と、激痛。
「く……」
自らの腕を抱いた。痛み。痛みの共有。少年にとって、召喚獣とのそれは信頼感の証だった。だからこそ。このディアボロが、気に食わない。何よりも。
陽悠の目に燃えるは険呑な色。普段の穏やかな振る舞いからはかけ離れたそれ。冷徹なる、怒り。
護る戦い。それは奇しくもサミュエルと同一。
「大丈夫ですかっ! 気を確かにっ! ――僕が、守りますっ!」
鎧を思わせる神秘を纏い、少年は身代わりの翼で仲間を護る。傷みが走る。それだけでない。攻撃すれば――ボウガンを放てば、矢に穿たれる痛みが。爪を振るえば、肌を裂かれる痛みが。傷みが。傷みが。脳を蝕む。くっ。漏れる呻き。痛い。これが。己の攻撃の痛みか。
(でも、でも僕はこの痛みが嬉しい! これほどの痛みを感じさせるぐらい、僕は、強くなったということだからっ)
負けてはいられない。己の攻撃にも、敵の攻撃にも。己には使命が――『人を護る』という使命が、あるのだから!
「僕は負けないっ……自分自身にもっ! だから、だから、何度でも立ち上がって戦うんだ!」
凛然と。決然と。
そんな仲間を支える為に、ニオは回復の光を戦場に降らせる。護るのだ。戦うのだ。この、痛みとは真逆の力を以て。
「その動き、止めさせて頂きます」
翅を広げたユーノが静かに悪魔を指差した。刹那、迸るのは電撃が如く奔る魔力の嵐。牢電。光の華がイタミワケを閉じ込めれば、ユーノの動きもまた止まる。その神経に焼けるような激痛が走る。
けれど。肉体的な痛みなら『まだマシだ』と、傷みの最中で智美は思うのだ。体の痛みはいつかは消える。しかし。心の痛みは――「助けて」と泣き叫ぶ者を目の前にいながら救えないのは――とても、辛い。とても、痛い。
「はァッ!」
その痛みを振り払うように、智美は『決して離さぬ』槍をイタミワケに突き立てた。腹を空かせた狼の如く、刃の先から奪い取る生命力。走る痛みは噛み合わせた歯列に押し殺し。
イタミワケが声なき声を上げる。それは衝撃波となって、周囲を無差別に薙ぎ払った。ずん、と。響く。痛い。だが。まだ戦える。陽悠の目から闘志は消えない。己とストレイシオンの体を盾に。
黒百合は空蝉によって攻撃を回避していた。
「……これが貴方の限界かしらァ? もっと激しくないと私が楽しめないじゃないのさァ……拍子抜けだわァ……」
溜息を吐けど口唇は笑み。さぁ。味わわせてくれ。たっぷりと。苦痛の果てに辿り着く絶望と快楽を。振り上げる凶刃。
ざくり。
悪魔の爪に切り裂かれ。それは傷を伴う本当の痛み。サミュエルは咽の奥で小さく呻く。が、怯えは躊躇は欠片もなかった。痛いのは、自分だけじゃないのだから。
「僕だって戦う覚悟は出来ているんだっ! ――ふっ飛べっ!」
張り上げる声、撃ち放つ光。
白い色。交じり合うように黒い色。
「あはは。あぁ、痛い。あははははっ、痛いですよぉ!」
夜霧を纏うクロエの笑い声。鬼さん此方、手の鳴る方に。
その後ろにて、ニオは詠唱を完了する。
「聖なる鎖よ! 敵の動きを止めるっす!!」
往け。手を振り下ろせば、現れた魔法陣より唸りを上げて数多の鎖が放たれる。それは厳然たる輝きを放ちながらイタミワケを何十にも絡め捕った。締め上げられる痛みが少女の身体を縛るけれど、『問題はねーっす』。
今だ。
アイコンタクトや掛け声はなくとも。愁也は声を轟かせる。何度も千切られた意識で、全身に刻まれた痛みで、無理矢理身体を引きずって、一閃二閃。容赦なく。激痛。でも、痛い時は痛いと叫べばマシになるやも――ならなければ、こうだ。
「そんなら景気よく笑っちゃえばいいんじゃね!」
痛みに引き攣る顔で、態とらしく口角を吊って、大喝采の馬鹿笑い。全力の笑顔。笑う。笑え。アハハハハハハハハハハハハハハ。気合だ。オーケー。やればできる。
武器を、振り上げた。嗚呼。でも、本当に痛くて辛いのは心の傷で。智美と同じ考えだった。体が痛いのは耐えられるから。だから。
「心が折れなければ。大丈夫――俺は戦える!!」
真っ向。振り上げられたのは悪魔の爪。
だがそれは――撃退士には届かない。
「――ふぅ。ディバインナイトのやせ我慢力をなめるなよっ!」
燃える闘志に、冷静な心、極限まで高められた集中。割って入った英斗が構えた腕が、風中の柳を思わせる白銀の色を纏っていた。柳風、それは心技体が揃ってはじめて可能となる守りの奥義。
「次はこっちが攻撃する番だな」
ゆらり。光が揺らめいた。一切の悪や曇りを許さぬが如く。
ざんッ。一気に踏み込んだ。その手に、最大級の力を込めて。
やせ我慢。耐えてきた。けれど痛いもんは痛いし、我慢にだって限度はある。
故に! とっとと! 終わらせるに限るッ!
「いくぜぇええっ! 燃え散れ、シャイニングフィンガァァアアアアーッ!!」
ズドーーーン、と、猛鮮烈。
返って来る痛みが無かったのは――悪魔が光に焼き滅ぼされ跡形もなくなったからで。
●痛いの痛いの飛んで逝け
戦後の静寂。安堵の溜息。
「な〜んだ、もう終わり?」
未だクロエの身を火照らせるのは戦闘の高揚感。熱い吐息を何度も繰り返し、されど、その場にぺたんと座り込んだのは彼女の心が人間だからか。
「お疲れ様、助かったよ」
笑みを浮かべ、陽悠は労うようにストレイシオンの背を撫でた。貴方こそお疲れ様、そう返すかのように、賢龍も鼻先を少年にすり寄せる。
サミュエルも仲間の無事にホッと胸を撫で下ろした。痛みには強いと思っていたけれど、自分もまだまだ、道半ば。今夜相手取ったディアボロよりももっと強い相手から皆を護る事もあるだろう。
その日の、為に。
「僕はもっと強くならないと……心も! 体も!」
仰ぐ夏空。星が瞬いていた。
『了』