●想起心的外傷
胡乱気配暗中模索。
黄昏の淡い光が仄照らす。無表情のセレス・ダリエ(
ja0189)が翳した掌。
「……嫌いなもの、か」
ポツリと呟いた声は紀浦 梓遠(
ja8860)。長い前髪の奥の目。その奥の奥に隠した一抹の不安。
「見たくないもの……。いえ、まさか……、ね……」
呟いた深森 木葉(
jb1711)が俯けば、リボンと髪が小さく揺らぐ。
一番見たくないものの姿に見える――それが今回の討伐対象たるディアボロの特殊能力らしいが。麻生 遊夜(
ja1838)は溜息を小さく一つ。仲間同士の距離は広い。同士討ちを避ける為。遠巻きに見える色分けをした小さな明かり。
藤沢薊(
ja8947)は予め仲間に断り施していたマーキングによって、彼らの動きが良く分かる。誰もが息を殺して。そして己も。
(……大丈夫、お守りあるから、俺は平気だもの)
握り締めた手の中には、錆びたメスが一本。お守りを見て、少年は覚悟を決める。
そんな中、されど常と変らぬ様子で「ケラケラ!」と笑ったのは革帯 暴食(
ja7850)だった。
「嫌悪でも恐怖でも、罪名暴食は概念だろうが喰い潰すッ!」
それは全てを愛している<喰いたい>が故に。喰いたい<愛している>が故に。
初夏だと言うのに薄ら寒い風が吹く。
斯くして、そこには――
●Re:BADEND
良く分からない。何だろうアレは。セレスは小首を傾げる。ぐにゃぐにゃ、ぐるぐる、良く分からないもの。だが、でも、どうしてだろう、何だか見ていると、気持ちが悪い……気がする。肺を握り締められている様な。息が上手く出来ない。胃袋を捩じられている様な。お腹が痛い。視界もじわじわ暗くなる。くらくら頭が回っている。
嫌いなもの……見たくないもの……他の人にはどう見えているのだろう?
蒼褪めた無感動の顔で、どんどん血の気の失せていく無表情の顔で。
開いた魔法書を握り締める手は何故震えているのだろう? これが『不快』というものなのだろうか。これはなに。これはなに。目の前一杯に、一杯に、襲い掛かる、ぐにゃぐにゃしてよくわからないいみのわからないなにかがなにかがなにか が
彼の名は桔梗といった。二つ上の兄だ。青い髪に紫の目。
そして彼は既に……この世に居ない事を、薊は知っている。
偽物だと、そう言い聞かせていたのに。逢えた嬉しさ。過去の恐怖。無意識の震え。
にぃちゃん。彼を呼んだ。
振り返った。彼は。
「は はハ アはハ ひゃははハはあーーっははははははきゃははひひひひひゃはははハァハハはあ!!」
げらげら。げたげた。
狂ったように笑っていた。ケダモノの様に口を開いて。開いた瞳孔。涎を垂らして。
それは豹変した兄だった。最後に見た兄の姿だった。
ゾッと。嫌な汗が、糾未の全身から吹き出し伝う。
「に、にぃちゃん……折角、逢えたのに……」
震えながら後ずさる。薊の声は、狂笑に掻き消され届かない。
そんな弟に、笑う兄が手を伸ばした。掴みかかった。地面に押し倒した。体重をかけて。逃さないように。覗き込む。笑いながら。その両手は、薊の細い首筋へ。
「かはッ……!」
ぎゅうぎゅう絞め上げる。ぎりぎり絞め殺そうと。薊の心底に蘇る、トラウマ。あの時の様に。恐怖。怖い。嫌だ。ごめんなさい。ごめんなさい。ゆるして。わるいのはぼく。わるいのはぜんぶぜんぶぼくだから。
ぐしゃぐしゃに泣いて泣いて泣いて乞う。酸欠の脳。でも全部、狂った笑いが飲み込んでしまうのだ。
敵が見せるのは幻、ただの幻。仲間もいる。恐れる必要はない。
梓遠は自己暗示を繰り返していた。
けれど。けれど。
「あ、あ、あぁああ」
震えた。力が抜けた。自分をぐるり、取り囲む人影。蔑みの目。陰口ヒソヒソ。
想起するは過去の光景。鬼子と蔑み自分を何度も何度も痛めつけた者達。
『消えろ』
『化物め』
『忌まわしい』
『穢らわしい』
『死んでしまえ』
『殺してしまおう』
じりじり。じりじり。
狭まる包囲。憔悴しきった梓遠は声にならぬ声を漏らして手当たり次第に銃を向ける。
「ひ、うあ、あぁあ、く、来るな、来るな、来るな」
怖い、怖い、憎い、怖い、怖い、憎い、憎い。頭の中を埋め尽くす。
『殺してしまおう』
『殺してしまおう』
『殺してしまおう』
『『『死ね鬼子』』』
がつん。投げられた石が梓遠の頭部を直撃した。
どろり。真っ赤な血が、金の目に伝い流れて、視界が真っ赤。
ぶつん。何かが少年の脳の中で、切れる音がした。
ゆらり。顔を上げた彼の目に灯るは、狂気
「消えろよ……死ねよ……死ねよ死ねよ死ねよ死ねよ死ね死ね死ね死ねぇええェえ゛え゛え゛!!」
叫んだ。ケダモノの如く。絶叫。何もかもを否定し拒絶するかの如く。振り回す剣。滅茶苦茶に。最早言葉にならぬ憎悪を吐き散らし。
「死ねよ、死ねよ死ねよ死ねよクソッタレがぁあああアアアアアアアア!!!」
慟哭。
Fiat eu stita et piriat mundus.
正義を為せ、たとえ世界が滅ぶとしても。呟いた声は二人分だった。ユズリハ・C・ライプニッツ(
jb5068)の正面にもまた、ユズリハ・C・ライプニッツ。
「私が犯した罪は――赦されざる大罪。故に、過去の己を忘れず。戒めとし、糧とし。私は、理想の『騎士』へと近づく」
ユズリハは精神を集中させる。もう一人のユズリハはそれを鼻で嗤う。過去の彼女。ユズリハが忌避し嫌悪し憎悪するもの。騎士として何も為せず。己の力を過信し、慢し心、増長し驕り高ぶっていた自分自身。
振り下ろされる剣を盾で受け止めた。嫌な記憶が――護ると約束した人でさえ護れなかった記憶が――じわりじわり、嫌な心地。不快な心地。
「きっと、怨んでいる事だろう!」
もう一人のユズリハが言い放つ。何度も剣を振り下ろしながら。何度もユズリハを切り裂きながら。どんどん剣を血で染めながら。
「……だからこそ、私はお前を斃さねばならない。己の戒めとせねばならない。理想の『騎士』に、少しでも近づく為に」
ユズリハは応える。背中の傷から、赤い光芒を放つ紋様を揺らめかせながら。
ずぶ、り。互いの胸を貫く、切っ先。
長い黒髪を紫のリボンで一つに括った、白いワンピースの少女。
正しく言うならば、『白いワンピースを血で真っ赤に汚した』少女。
木葉はその血が誰の血なのか、知っていた。自分の両親の血だ。
そして、その少女が誰なのかもまた、木葉は知っていた……
「えっ? なぜ? あたし……?」
過去の自分。天魔と撃退士の戦いに巻き込まれ、両親を守る事が出来なかった弱い自分。
ぺたり。ぺたり。
一歩。一歩。
少女が、近付いてくる。
ぽとり。ぽとり。
返り血を滴らせながら。
「いや……。来ないで……」
震えて、目を見開いて、いやだいやだと首を振りながら、木葉は後ずさる。
だが、気が付けば目の前。目の前に。
もう一人の木葉が何かを求めるように両腕を差出した。ニヤリ、と微笑んだ。木葉を目玉をじっと見て。
「――〜〜ッ……!」
ゾッ、と。背骨を駆け抜けた恐怖。少女は思わずその場に座り込んだ。ずきん。ずきん。胸が痛い。胃が痛い。気持ち悪い。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
「う、うぅッ……ご、ほッ」
耐え切れずに、せり上がった胃酸をそのまま吐き出した。ぜぇ、はぁ。胃酸にひりつく咽。苦い味が残った舌。口から滴る胃酸交じりの唾液。俯いたまま、生理的涙に滲んだ視界。その端に、足が見える。血濡れた『自分』の足が。見下ろしている。目の前で。じっと。
「お父さんも、お母さんも、いなくなったのに、どうして『あたし』だけ生きてるの?」
木葉の髪を引っ掴み、無理矢理持ち上げさせて。ごりっと額同士が合わさった。零の距離。震える木葉に、微笑む少女。
「さあ、一緒に逝きましょう……」
見開いた木葉の視界一杯に。
けらけらけら。
けたけたけた。
あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは。
『許して欲しいのでしょう?』
女の半身が埋まった大蜘蛛のディアボロが、青空・アルベール(
ja0732)の顔を覗き込んでそう言った。
『あなたが死ねばよかったのに』
それは彼の母親の最期の姿。記憶に残る、唯一の姿。
幼少期の悲劇。死んだ両親。ディアボロになった二人。生き延びたのは自分だけ。
目を見開いた青空は、何も言えなかった。
その細い首にかけられる手。静かに。這う様に。絞められる。緩やかに。
ぎり。ぎり。
『あなたが死ねばよかったのに。あなたが死ねばよかったのに。あなたがあなたがあなたがあなたが』
きりきりきり。絞まってゆく。掠れる意識。だらんと垂れた青空の手。
――ヒーローになって。
この力で役に立てば、許して貰える。
そんな思いが、ずっとあった。ずっとずっと、何処かにあった。
げほ。咳き込んだ。震えた。
「もし『二度目』があるなら、その時は……死のうと決めてたのだ」
嗚呼。
嗚呼。
駄目だ。
これはとても、笑えない。笑えない。苦しい。誰か。誰かたすけて。
タァン。
銃声。
また爆ぜた赤。
「っ……!」
遊夜は目を閉ざした。もう止めてくれ、と言わんばかりに。
彼の目の前では、自ら頭を吹っ飛ばした恋人が立っている。飛び散った赤。どろどろと赤。
されど彼女はすぐ元通りになって、また――今度は、己で己の首を絞めるのだ。苦しそうな顔。助けて、と。呼んでいる。遊夜を。恋人を。助けて。苦しい。苦しい。
「やめろ!!」
叫んで、耳を塞いだ。なのに、『ゴキン』と彼女の首が折れた音。ぼとん。ごろごろごろ。千切れた頭の、見開いた目が。下から遊夜を見上げている。
あれは偽物だと。分かっている。なのに、遊夜はロクに動けなかった。何度も何度も、苦しみながら彼女が死んで逝く。心が、正気が、死にそうだ。
だが――撃たねばならない。撃てる筈だ。大丈夫。撃たなければ。
撃退士としての使命と、本能のプレッシャー。葛藤。吐きそうだ。息苦しい。
唇を噛み締める。ぶちり。切れた感触。鉄の味。血が。だらだら。それでも、それでも、遊夜は彼女の声を掻き消す様に叫びながら、銃口を向けた。
引き金を引く。
タァン。
愛する全てからの嫌悪。
世界の全てが彼女を拒絶。
彼女は全てを愛している。故に、『嫌悪』というものが何よりも恐ろしかった。
されども、だ。
「その嫌悪すらも愛おしいッ! さぁ、喰わせろッ!」
顔を歓喜に歪めて笑う暴食にとって。心を蝕まんとする『嫌悪』や『恐怖』すら――『愛』の対象だったのだ。
愛おしい。愛おしい。涎が溢れて止まらぬ程に。心の底から愛している。だから零の距離からガン見して、目で肌で舌で胃袋で全てで、愛す<喰らう>のだ。
「見られんの慣れてねぇからって照れんじゃねぇぞッ? ケラケラ! 」
愛故に。全ては全ては愛故に。だからいつもと同じ通り。つまりいつもっから『狂っている』のだ。
飢餓の牙。或いは、暴なる食を愛せし顎門。全身に浮かび上がった口の造形が笑い笑った。飢餓なる人狼。愛すは己が牙を突き立てることと信じて。
斯くして。暴慢なる人狼は、忘却すら喰い尽くし、世界の腸を喰い破る。
目にも止まらぬ速度。咀嚼の一閃。あればあるだけ喰う。
「ウジウジしてんじゃねぇよッ! 心配しなくってもちゃぁんと腹の中で愛してやるからサッ! ケラケラ!」
一口一口の全てに全てに愛を、愛を。
「さぁ殺り合おうッ! 愛してるぜッ! 愛してるともサッ!!」
狂気と歓喜と食欲と愛情と。
満ちるは胃袋。幸せの色。
とても悲しくて、辛くって。
でも――青空は心に決める。もう目は逸らさない。
「誰かの悲鳴が聞こえるなら……そこへ駆けつけるのがヒーローだから……! 死んでる余裕なんか、あってたまるか!!」
叫んで、恐怖を振り払った。手にした銃で、突き付けて、真っ直ぐに。真っ直ぐに狙う。笑顔は作らず、作れず、その身体には神秘で出来た大量の黒い蜘蛛が這う。
救われたい。それが最初の理由だった。
けれど。撃退士になって気が付いた。
力が足りないのは辛くって。
手が届かないのは悔しくて。
「私はもう、救われたいから戦うわけではねーのだ。ただ助けたいから! 守りたいから! 戦うだけなのだ!」
引き金を引く――銃口から迸る黒い爆炎の天穿つ狗吠<ケルベロス>。唸りを上げて襲い掛かる。
咆哮。全てを全てを、噛み砕く。
木葉も恐慌の中、風の刃を血濡れた少女へ繰り出した。夢なら覚めて。泣き叫びながら。
梓遠も同じく出会った。聞こえてきた声。それは自分を排除せんとするものではない。仲間の声。
そうだ。自分には、仲間がいる。大事な弟分がいる。
呑まれる訳にはいかない。
負けるわけにはいかない!
「消えろぉおおおおおッ!!」
剣に有りっ丈の力を込めて、叩きつけるは山をも砕く重い豪撃。
その声は、薊の耳にも確かに届いた。
梓遠にぃ。今の大好きな兄。少年は銃を握り直し、幻の兄を睨ね付けた。
「お前の存在を、死者の冒涜と見なし撃ち殺す。お前は、桔梗にぃじゃない! さっさと、消えてくれ」
自分が楽にしてあげたかった――引き金の指に力を込めて。
「安らかに眠れ!」
幾度目かの銃声。
「俺の、獲物だ……誰にもやらせん、俺がやる!」
赤黒い襤褸を纏う死神の姿。赤い目で。遊夜は叫ぶ。張り上げる。
本物には出発前に会った。許可も取った。
ならば、後は偽物をブッ飛ばして本物に会いに行くだけ!
助けて。と。何度目か、彼女が言った。けれど遊夜は、もう揺るがない。何を喋ろうと。叫ぼうと。その恐怖は、姿を驕る悪魔への怒りで凌駕して。
「大丈夫、もしお前が本物だったら――その時は後を追って逢いに逝くから」
小さな言葉。愛の言葉。
紅い線。紅いバツ。
彼女の眉間。そこに、赤黒いアウルを溜めた銃口を突き付けて。
「……さようなら、良い旅を」
ばぁん。
●虚数の夢
全てが終わって。気が抜けて。
木葉はその場に座り込んだまま、両手で顔を覆って俯いていた。指の隙間から零れる涙。涙。止め処ない、止まらない。
薊もまた、その相貌に悲しみを浮かべていた。
「……『またね』。桔梗にぃ」
呟いた言葉は、虚空に消える。
一方で、遊夜はやれやれと伸びをしていた。
「しかし、こういう敵を量産されたらスゲェことになりそうだよなぁ」
嗚呼、嫌な夢だった。夢オチだろうがそうでなかろうが、一刻も早く会いに行こう――愛しい、本物の彼女に。
『了』