●アブソリュート・ゼロ
月の下は血の色肉色。
「おぉ全能にして偉大なる我等の魔王様! 今宵も素敵な夜を過ごせます事を心より感謝致します」
響く狂信。切る逆十字。栄光あれ、栄光あれ。
「して、汝は如何なる者なりや?」
サタニストのヴァニタス――イェゴール・ベレズスキーはそう問うた。視線の先には十の人間。
「僕は天宮佳槻。久遠ヶ原学園の撃退士です。質問を一つ、良いですか?」
一歩、応えたのは天宮 佳槻(
jb1989)。「魔王にかけて構わないよ」と悪魔が微笑んだので有言実行。
「タイミング良くここに現れたり、ディアボロを作らずヴァニタス自らが死体を操るという、インパクトこそ強いでしょうが非効率的な方法を取るのは何故ですか?」
「気になりますか?」
「えぇ。実際の効果よりもその撃退士が天魔に寝返るという事実を作って久遠ヶ原と世間にインパクトを与えて生きた撃退士の手駒を増やす、とか?」
「そう思います?」
「どうなのですか?」
「はい、答えはNOでございます」
ニッコリ。笑ったままだった。
「私は魔王様の御意志に従い行動しているまででございます! 成したきを成せ、欲に従え、飢えよ満たせと。タイミングを言えば――貴方方だって。『こんなにも偶然に』やってきた! 嗚呼、寧ろ問わせて下さいまし! この世に偶然でない事など何処にあるのです? 嗚呼、運命! 全てはくるくるチクタクと――素晴らしき規律――掻き乱したくなる!!」
声高々、イェゴールは言った。全ては欲。欲に理由など要らない。偶然やら運命やらはそれの後についてくるのだと。全てを理屈で処理することなど出来ないのだから。リビドーなのだ。エスなのだ。
「それに、貴方は……勘違いをしておられる! 『インパクトこそ強いが非効率的』!? 何故、何故、何故! おぉ! 何故、鋼の如き冷たく硬い理屈を仰るのに『見た事もない術』を『非効率』と結論付けられるのです? 教えて下さいませ! そして――」
死んで下さいませ!
それが皮切りだった。
撃退士達の目の前で、ムクリ。死体が起き上がる。虚ろな目をして、血を流して。
久遠ヶ原の撃退士。邪魔者。は、殺そう。それはとても自然な事だった。
「素晴らしい。やはりゾンビとはこうでなくては」
薄笑みに恍惚を混ぜたのは鷺谷 明(
ja0776)。所謂狂人、享楽主義者。気に入った。あのヴァニタスの能力、武器センス。ガスマスク越しに見るなんて勿体無い! あとマリスとかいう人間の方はどーでもいい! 信条なんて人それぞれだし!
しかしリンド=エル・ベルンフォーヘン(
jb4728)をはじめとした他の撃退士の顔には緊張があった。ヴァニタス。ディアボロとは違う、『凶敵』。
「作戦通りに行くぞ! 武運を祈るッ」
声を張り上げ、光纏する若杉 英斗(
ja4230)。地を蹴る最中、ラグナ・グラウシード(
ja3538)へとアイコンタクトを送る。
「あなたとコンビにディバインナイト! ってやつですね、ラグナさん」
「あぁ――見せ付けてやろう! 私達<ディバインナイト>の力を!」
飛び出してゆく。
始まった。
回り始める運命の車輪。
誰一人、欠ける事なく生還する為に……キャロライン・ベルナール(
jb3415)はラグナと共に死体として起き上がらなかった者――生存者へと急行する。護る。護るんだ。死力を尽くして護り尽くす!
だが、そこへ。
「天使だな。抹殺する」
冷たい声と共に、急接近した刃がキャロラインへと襲い掛かる。マリス・ノートンだった。冥府の風を纏い、天使である彼女の首を刎ね飛ばさんと――躱さねば、間に合うか、キャロラインが目を見開く――
「させるかッ!」
ガツン、と堅い物同士がぶつかり合う音だった。
キャロラインとマリスの間に割って入り、大剣を以て一撃を受け止めたラグナ。ギリギリギリと拮抗しながら、緋色の眼差しが鋭く鋭く『仲間』を睨み付ける。
「天魔を憎む気持ちは、わからないでもない。……だが! 仲間となった者を背後から斬るのは、ただの卑怯者だ! 裁きを受けねばならないのは貴様だろう、狂人よ!!」
「卑怯でも、狂人でも、別に何だって良い」
「「良いわけあるかッ!!」」
ラグナの怒声とキャロラインの裂声が重なった。ラグナが鍔迫り合いの剣を跳ね上げた刹那、キャロラインの拳がマリスの頬を力一杯殴りつける。
「……何だって良いという言葉で誤魔化すな……! 君があの天使にした事も、これから私にしようとしている事も『仲間殺し』だ。君は背を預けた『仲間』を殺したのだぞ……」
ふーっ、ふーっ。湧き上る激情を抑え、握り締めた拳にはジーンと痛みが伝わってくる。殴る手も、殴られた頬も、痛いのだ。同じように。人間だろうが天使だろうが。飛び退いたマリスから、キャロラインは目を逸らさない。
「だが……それでも私達は人と解り合う事を放棄してはならぬのだ」
恨めば恨まれ。憎めば憎まれ。殺せば殺され。負の連鎖だ。終わらない応酬だ。だからこそ、だからこそ今、断ち切らねばならぬのだ。赦し、許容し、歩み寄らねばならぬのだ――例えどれほど罵られようとも。
マリスは黙していた。その間に佳槻と不破 怠惰(
jb2507)が、彼らの間に割って入る。
「ここは任せておくれ。……生きてる子を、よろしく」
「うむ。そっちも任せたぞ!」
怠惰の言葉に頷き、キャロラインはラグナと共に再度駆け出しつつ癒しの呪文を放った。倒れている仲間達。まだ生きている仲間達。
死なせるものか。
「せめて人の子は助けねば」
誰かの友がまた死んだか――怠惰は静かに、その眠たげな眼差しを引き締める。もう死者など出させはしない。その為に。護符で武装したクロスボウをマリスへと向けた。
「邪魔をするのか、悪魔」
「野暮な言い方をするねぇ。……さて、選んで貰おう。私と学園デートか、ここでダンスか。それとも、相手は天使じゃなきゃ駄目かい?」
「邪魔をするなら、何だって敵だ」
「それはなんとも、単純明快<すてき>な答えだこと」
同時。氷の矢が放たれたのと、影の刃が荒れ狂うのと。
すぱりすぱり。氷雪を思わせる神秘を纏った佳槻の肌が裂けてゆく。血が滴ってゆく。痛みに耐えつ、佳槻はマリスをイェゴールから少しでも離そうと試みる。すぱりすぱり。切り傷裂傷。
しかし彼の表情は氷の様に零度だった。マリスの裏切りは彼にとって驚きには値しない。何を重視するかなんて個人の自由だし、自分を人形だと思うならそれも本人の勝手。
「人形だろうが何だろうが、契約に反すれば報いがあって然るべきだろう」
「だろうな」
簡潔な返事。佳槻の予想に反してマリスはイェゴールから距離をとろうとしない。当然だろう、今この状況においてイェゴールはマリスの『味方』なのだから。味方から離れれば危険だ。孤立無援は危険だ。マリスは知能のないディアボロではなく、自分達と同スペックの知能ある『人間』。
怠惰は氷の矢をマリスの脚に目掛けて撃つ――バックステップで躱された。部位狙いは流石に、難しいか。益してや実力も高いと言われている相手だ。
「……参ったねぇ」
こりゃ、ちょっと、苦戦しそうだ――怠惰が苦笑を浮かべたその先で、マリスが闇色の逆十字架を轟然と堕としかかる――
「――仲間である天使を殺した……ですって!? なんて、事を……」
巫 聖羅(
ja3916)は驚愕を禁じ得なかった。それから、湧き上るのは激しい憤怒だ。
天使や悪魔を憎悪する生徒は少なくない事は知っている。実際、自分だって。学園の天魔に対して、複雑な心境を抱いてる。
でも。天使、悪魔、人が入り乱れて争う時代にあって、学園だけは『共存』と云う理想を実現している。それは本当に、現世に現れた楽園<エリュシオン>。
しかしその楽園は、危うい均衡の上に成り立っている儚くて脆いもので……
「……最低限の信頼関係さえ築けなくなれば、全て崩壊してしまうのに。仲間を背後から討つなんて、絶対にあってはならない事なのに……!」
どうして。学園の根幹を揺るがしかねない『仲間』の凶行。理不尽だ。曲がった事は嫌いだ。赦せなかった。握り締めた拳が白むほどに。
だが――嗚呼――口惜しいが今は。少女は首を振って意識を落ち着けると、目の前に集中する。
目の前。そこには、ヴァニタスに操られた死体達。血だらけの人間。首のない天使。彼らの顔を知っていた。事前に調べたから、知っていた――どんな人物だったのかも。
聖羅を纏う真紅のオーラが一層の輝きを放った。構築するのは焔の術式。灼熱の魔法陣が翳す掌の前に浮かび上がる。
「穿て、紅蓮の焔よ……!」
奔らせるのは劫火の剛球。
一直線に、それは大型ディアボロに命中する。
「星を壊すより易く、影も残らぬよう丁寧に……さ、駆除して差し上げますワ……」
同刻。宇宙を内包したかの様な翼『極光翼』を広げ、空中より言い放ったのはミリオール=アステローザ(
jb2746)。その唇に浮かべる笑みは、嘗ての『侵略者』であった頃の酷薄さ。ブラックホールの様に底のない、暗く冷たい卑下は――普段の彼女の振る舞いからは想像できぬ様なそれは――挑発、怒り、或いは解り合えない哀しみ。
さぁ我を見よ。そう言わんばかりに、広げられた宇宙の翼が光り輝く。するとそれに引き寄せられたか、二羽のカラス型ディアボロがミリオールに襲い掛かった。啄ばんだ。毒の嘴が肉を抉る。死体のダアトが繰出す焔に肌が焼かれる。痛かった。けれど、表情は欠片も崩さず。
「『星』と成るが良いのですワ……!」
構えた掌。その空間が揺らめいた刹那、ぞろりと放たれるのは煌めく黒触手。変星の第一腕<ファーストアーム・スターメイカー>。うねりながら唸りを上げて、ダアトの死体に突き刺さる。身体組成を崩し、無機質へと変貌させる。
「死体相手って、あまり気持ちのいいもんじゃないな」
奇しくも、英斗と攻防を繰り広げるのはディバインナイトの死体であった。どろり。中身を垂らして。ぐしゃり。変な方向に曲がった腕に光を集め、英斗目掛けて振り下ろす。
それを交差させた腕で凌ぎつ――彼は思った。俺達が、なるべくすぐに楽にしてやります。
「はぁアッ!」
裂帛の気合と共に竜牙<ドラゴンファング>を轟と振るった。牙を思わせる二つの刃がディバインナイトの腕の肉を抉り取った。白い骨が覗き見えた。しかし、哀れなマリオネット。死んでも壊れても演目は終わらず。
「痛みを感じないのを相手にするのは大変だぜ……」
彼らを『どうにかする』為には再起不能なほどにバラバラにせねばならない。磨り潰して八つ裂きにして再殺せねばならない。だって頭が潰れようがハラワタを零そうが脚が拉げようが、メチャクチャで気味の悪い体勢でも襲い掛かってくるのだもの。
どっこい明はそれに絶頂的な快感を覚える。ビンビンの琴線。殴って壊れるゾンビなんてゾンビじゃないと思うわけでして。脚の筋繊維を露出させた首のない天使はまるで彫刻の様に美しかった。あれだ、あれ、サモトラケのニケ。
よし壊そう、よし殺そう。完膚なきまで。
「もう死んでいるものを壊したいのなら原形無くなるまでグチャグチャにしなくては」
明は指を鳴らした。地縛霊。地の底から湧き出る数多の怨念。
轟。唸った。それは大型ディアボロの死体の咆哮と同時。
「く――」
ディアボロが口から放った衝撃波に耐えつつ、ミリオールは周囲に警戒を張り巡らせる。目の前だけの事ではなく、マリスやイェゴール。視線を向けた。
その先では。
「ぐっ、げほッ、がは――」
びちゃびちゃぼとぼと。血交じりの吐瀉を、蹲った久遠 仁刀(
ja2464)が地面にぶちまける。
「なんと、頑丈な人間でしょう。人間なのが勿体無い……貴方、悪魔になる気はございませんか?」
その眼前へ、しゃがみこんだイェゴールが彼の赤髪を引っ掴んで顔を覗き込む。笑っていた。
「……誰が、貴様等なんぞに」
仁刀は答え、吐き捨てる。血交じりの唾を悪魔の顔面に。べちゃり。頬。どろり。
「それはそれは……哀しい事です」
零距離どかん。魔改造ルチノーイ・プラチヴァターンカヴィイ・グラナタミョート――つまり対戦車擲弾発射器(の様な見掛けをした武器と思しき何か)。これは『ただのRPG』ではないのだ。
吹っ飛ばされる。されど、仁刀は根性で倒れる事を拒絶する。爆炎の中、転がるように着地した。勢いのまま、ズザーーッと脚ごと後退する。
(くそ……)
全身の激痛。口の中は鉄の味。失血ふらふら。仁刀は顔を顰める。
全力跳躍によって、死体を飛び越え一気にイェゴールとの間合いを詰めたまでは良いが。共にイェゴールを抑える筈だったリンドは既に、奮戦するも力尽きてしまっている。
今、イェゴールに――『ヴァニタス』に、仁刀は『たった一人』で立ち向かっているのだ。
勇気は人一倍。仁刀は決して弱くはない。寧ろその窮地も恐れぬ根性は賞賛に値するものであった。だけれども。だけれども、だ。あれはディアボロではない、ヴァニタスだ。その上、一つの大きなミス――イェゴールが操る死体の数が少なくなるほど『操る精度は増す』とは予め伝えられては居たけれど、それは決して、操る数が多ければ『ヴァニタスが弱体化する』とイコールではないのだ。
状況は正に、『厳しい』という言葉に反吐が出るほどの劣勢。
「さて。では。私はそろそろ、あの穢らわしい天使共を殺戮しに参ってもよろしいでしょうか?」
「させるか――それは俺を倒してからにしろ、悪魔!」
少々、甘かったやもしれぬ――だが進む他に無かった。『味方殺し』も衝撃だが、このヴァニタスの存在。最初に佳槻の問いに『運命のめぐり合わせ』と言っていたが、嘘かもしれない。罠かもしれないな。
それでもだ。行くだけだ。
足があるなら前へ往き。
腕があるなら剣を持ち。
剣があるならそれを、振るう。
この命が朽ち果てるまで。
「おぉおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
戦え。戦え。斃せ。斃せ。
さもないと、また無くなるぞ。また零れるぞ。
さらりと、するりと、無情にも。
けらけらけら。そうやって、そう笑って、悪魔共はいつもいつも奪ってゆくのだ!
それは強迫観念に近かった。もう負けたくない。もう失いたくない。負けたらどうなる?
だから。嗚呼、きっと骨が折れている。内臓が拉げている。少年の小柄な体は、その髪色のように真っ赤だった。真っ赤っ赤だった。
薄刃の片刃大剣を轟然と振り上げた。力の限り。全てを懸けて。
一閃。
ぶしゃ。
血。
「……おぉ、斯くも人とは素晴らしい。天使などとは大違いだ」
避けた肩口、赤くなりゆく傷口。イェゴールは目を剥いた。正直、想像以上だ。賞賛に値する。感激だ。ここまで食い下がるとは――ヴァニタスの私に、たった一人の人間が!
「ハラショー! ハラショー!」
だから拍手を。『万雷』の如き喝采を!
人とは斯くも美しい!
――そう、散り逝く刹那の最後の最期の今際まで。
●デッドエンド
「大丈夫だ……お前たちは、私が護ろうッ!」
ラグナは生存撃退士を少し離れた場所まで運び、一心に彼らを護り通していた。己の身を仲間の盾とする。これこそ騎士の魂――その名もドMの極み。技名は兎角、彼のお陰で生存撃退士が『死亡撃退士』になっていないのは事実であった。
キャロラインの治療によって、意識こそ無いものの顔色は悪くない。然るべき場所にて適切な処置を受ければ後遺症無く全快する筈だ。
だから、尚更。ラグナは一歩も、退く事は出来ない。
今、彼の背には2人分の命がかかっているのだから。
護る事。護り抜く事。それが彼の戦い方。
「ここは一歩も……譲らん!」
要塞が如く。誇らしく盾で在れ。
視線の先では仲間達が死神の手の上で踊り踊る。血を流しながら。鬨の声を張り上げて。傷付きながら。
最中――イェゴールが操るしたいと目が合った気がした。気の所為かもしれない。だが。何故だろう。死体は酷く、恨めしそうな顔をしているように思えたのだ。
「……すまないな……弔いすら、今はしてやれそうもない……!」
今は、命を護らねば。
「――お願いだから。……もう眠って……!」
肩で息をしつつ、体中に傷を負った聖羅の声は悲痛だった。翳す掌に魔法陣。赤い色。撃ち放つのは、巨大な火球。炸裂する。
肉の焼ける臭い。嫌な臭いだ。それから脂の爆ぜる音。嫌な音だ。
ぶすぶすめらめら。火に焼かれ、肌を黒くしてゆきながら。死体は尚も。行進。行進。想像以上にしぶとい。漫然と叩くのではなく一体を集中狙いすれば早期に落とせたやも知れぬ。だがそれでも、カラス型のディアボロ死体が遂に墜落し、立て続けに明が繰出した雷死蹴によってダアトの死体が頽れた。
続けて、アストラルヴァンガードの彗星に強かに全身を打たれ血を流すミリオールは掌の中に黒色の球体を創り出す。往け。阿修羅の死体目掛けて投げれば、吸引黒星<ブラックホールドレイン>は吸い込んだエネルギーをミリオールへと還元する。
「その魂、無念……わたしが持って行くのですワ」
満ち満ちる感覚。昔を思い出す――そう、今こそ、思い出さねばならないのだ。冷酷無比に、徹底的に、敵を屠らねばならないのだ。
「頑張ってくれ、すぐに治す!」
キャロラインはそんな仲間達を癒しの魔法によって支え続ける。有りっ丈の回復。全力の支援。
それに支えられ、或いは火の中より生まれ変わる不死鳥の如き赤を纏い。英斗は何度でも、何度でも立ち向かう。
「もう二度と、俺の目の前では誰も死なせない――!」
必ず救うんだ。意志を秘め。
必ず連れて帰る。マリスの事情は知らない。けれど久遠ヶ原には色々な事情を抱えた者が居る。大凡の見当もつく。気持ちが分からないでもない。――マリスも大事な仲間に変わりはない。
必ず。必ず。必ず!
想いは鋼の如く。砕けぬ盾の如く。
どーん。
思い衝撃が奔った。マリスの放つ漆黒の逆十字架が、怠惰の頭部を直撃する。
「ぐっ……」
くらり、世界。飛び散る血、星、チカチカする視界。吐き気。
嗚呼。全く、やれやれだ。
怠惰は佳槻と共にマリスを捕縛しようと奮戦するも、未だそれは成功していない。二人とも血だらけだ。だが、それはマリスも同じ。執拗に手足を狙われ、そこから血を流しているが――逆に『狙われすぎた』事で頻繁に躱される様になってしまっている。やはり部位狙いは難しいか。
それでも、だ。怠惰の顔から、いつものふんにゃりした笑みは消えない。血がドロドロ、その白い頬を伝おうとも。
「天使は殺すべき。――それはどうして? 何を思って何に従って何を変えようとして?」
弾む息。流れる血。その中で、問う。私は君のことが知りたい、理解したい。人と悪魔の目線が交わる。返事は淡々としていた。
「そうあるべきだから。そう教えられたから。それに従う。それが全て。思う事なんて必要ない」
「ふざけないでよ……!」
遮るように、声を張り上げたのは死体へと火の魔法を放つ聖羅だった。横顔で、横目で、鋭く睨め付けて。
「貴女、そう簡単には逃がさないし死なせないわよ? ……貴女には生きたまま、自らが犯した罪を償う義務がある!」
激しい、怒り。本当だったら胸倉を掴んで殴り飛ばしてやりたい。だが聖羅は耐えた。耐えていた。畜生、と小さく言葉を吐き捨てて。
「……私はね、マリス君。きっと全てはここからだと思ってるんだ。天冥と人が理解しあえる世界――」
怠惰の声がなだらかに続く。悪魔は夢を見る。帽子の羊が、静かに揺れた。
人間をじっとじっと、見澄ましているのは赤い瞳。
「我が名は『怠惰』。七大罪が一。生をもすでに怠惰している」
故に故に、連れて帰ろう。
――この身を賭して、一人でも。
一瞬刹那。
血。
血だ。
赤い色。
それは確かに、血の色だった……
●命短し、xxせよ■■
マリスには理解できなかった。
気が付いたら尻餅の状態。
そして、目の前には血溜り。
そこに倒れ伏すのは、怠惰だ。酷く酷く血を流している。何も言わない。うつ伏せたその顔の表情も、見えない。
ただ血が。血が。血が。嗚呼。
……佳槻は見ていた。
イェゴールが限界の近かったマリスへ攻撃を放ち――彼女を突き飛ばし護った怠惰が、代わりにその凶悪極まりない一撃を受けてしまったのだ。
では、何故、イェゴールが。
それは――イェゴールの足元に倒れた二つの人影。仁刀とリンド。彼らは足掻いた。奮戦に奮戦した。だが……力尽きて。そして何より達が悪いのは、あのヴァニタス、ご丁寧に二人を自分の近くに寄せて『人質』にしている……!
「おやまぁ外してしまいました。まぁ次は当てます。魔王様、ご加護を!」
呆然と立ち尽くすマリス。再度RPGの照準。使えそうに無いから殺して手駒にしよう。そして天使をぶっ殺そう。手段は選ばない。
そしてイェゴールが撃ち放つのは、焔の嵐。爆炎。爆炎。視界すらも防ぐほど。
「……止むを得ませんワ。撤退を! 負傷者は何が何でも連れて帰りますワ!!」
最中、ミリオールが声を張り上げた。死体は今、ディバインナイトと阿修羅と大型ディアボロのみ。数ではこちらが上。マリスは――この硝煙の彼方。姿は確認できない。
しかし。撃退士達は決めていた。3名の戦闘不能者が出たら撤退すると。
哀しいが。マリスを連れて帰る余裕は、もう……無い。
「死体は私が抑えますワっ、皆さんはその間に負傷者を!」
宇宙の翼を翻し、ミリオールは死体群れの最中に躍り出た。危険は覚悟。一発勝負。
「来たれ、私の宇宙<セカイ>――!」
広げられた翼。揺らめく景色。歪む空間。創り出される巨大な力場。煌翼結界<アザーワールド>。溢れ出る七彩と流星の嵐はまるで銀河の最中のよう。
光は死体の動きを歪め、流星はその朽ちた身を貫いてゆく。
「撤退? 撤退ですって? そんな事、魔王様がお許しになられるとでも? えぇ? 穢らわしい天使共! ハラワタ晒して死にさらせぇ!!」
威力や命中よりも兎角、妨害。イェゴールは逃がすまいと。撃退士は生還せんと。
そんなヴァニタスの前に、ミリオールが作り出した隙を突き明が現れる。仲間の傍から引き剥がさんと――本音はヴァニタスが気に入ったから。紅蓮<フリームスルス>。古の霜の巨人の再現。絶対零度。イェゴールの体に突き立てる。
イェゴールの顔が、博愛然としていたものから露骨な不快に変わった。
「人間は黙って悪魔の言うこと聴いとれやダボがァアアア!!! 天使は死ね! 取り敢えず死んどけ!! それで世界は上手く回るんだっつぅうううの!!」
RPGを振り回す。鈍器殴打。明を強かに殴り飛ばす。
だが、その一瞬。英斗と聖羅が仁刀とリンドの奪還に成功した。されどヴァニタスはそれどころではない。その視線の先、盾を展開するキャロライン。
「ほら、貴様の嫌いな天使が来てやったぞ?」
仲間を救うが為、囮。効果は覿面だった。
「クソ天使め……裁きを受けよ!」
「クソ悪魔が。やれるもんならやってみろ」
交差。
視線。
死線。
……己の名を呼ぶ声が聞こえた。
刹那、夢を見ていた心地すら。嗚呼これを走馬灯と言うのだろうか――キャロラインは、防御を突きぬけ腹部に突き刺さった砲撃に血潮を吐いた。
膝を突いた刹那。蹴り飛ばされる。視界が白む。踏みつけられる。踏み躙られる。
「が、 がッ、ぐぁ……!」
ごぼごぼ。息が血が胃液が。生理的涙で潤んだ視界。衝撃の所為で歪んだ視界。向けられたRPG。
「は――ハハ、ははははは」
怖くない。笑ってやった。踏んで躙って嗤えよハハハ。
キャロラインはその手に大鎌を。握り、締めて。
「貴様にくれてやる命など無い――貴様が崇める『サタン』にもだ……!!」
くたばれ。
一撃。
それは、キャロラインを踏みつけていたイェゴールの腹に深々と突き刺さる。
「カハッ……!?」
蹌踉めいた。脚がどけられた。
その一瞬。
「キャロラインさんっ!!」
空中より、滑空。重力と速度。明鏡止水を発動させたミリオールが、キャロラインへと手を伸ばした。
「……っ!」
無我夢中で伸ばす。その手。確かに、触れた。掴んだ。手と手。そして、一気に上昇。速度に乗って。
「に……逃がすか、逃がすか天使! くそ! 天使天使天使天使天使!!! うがああああ!! 忌々しい忌々しい!!!」
イェゴールも翼を広げて追おうとした。対戦車擲弾発射器を携えて。
しかしその動きは、止まる。
「……!?」
マリスだった。
満身創痍で血達磨の彼女が、イェゴールを後ろから羽交い絞めして。
視線。それは、這い寄る死体を剣で切り払っていたラグナへ。唇の動き。曰く。「やれ」。
「――、」
ラグナは――剣を握り直した。
そして、振り上げた。
「……吹き飛べ、悪逆!!」
畜生、畜生、外道どもめ。放った一撃。恨み妬み憎しみ怒り。ぶっかます。そして、吹っ飛ばす。イェゴールを。マリス諸共。
――そこから、イェゴールとマリスがどうなったか撃退士達は知らない。
只管。撃退士は踵を返して。全力で、走った。駆けた。負傷者を抱えて。振り返らずに。走り続けた。ずっとずっと。
ただ、ただ、言葉も無く……。
●グッバイ、オーバー
「……何故、貴方。あんな真似を?」
「借りを……返 た、 だけ、だ」
「借り? あぁ、あのはぐれ悪魔……全く、忌々しい! 崇高なる魔王様の邪魔を! もういい! お前! 死ね! 死ね! 役立たずのクソ人間! ひたすらひたすら死んでしまえ!!!」
魔改造ルチノーイ・プラチヴァターンカヴィイ・グラナタミョート――つまり対戦車擲弾発射器(の様な見掛けをした武器と思しき何か)。
嗚呼。
霞む意識。『上』と『下』に千切られた身体。踏み躙られて。
けれど嗤った。ハハハハハ。
――人と悪魔と天使が理解し合える世界か。来るといいね、いつの日か。
ど かーーーーーー ん。
『了』