●夕陽の様な滴る色で
確かに聞こえた声は、「助けて」と言っていた。
「何とも、悪趣味な敵だな?」
アサルトライフルを手に、綾瀬 レン(
ja0243)は呟いた。嫌な敵だ。されどこれも仕事であると、その視線が揺らぐ事はない。
「助けられんのなら、対処の方法は一つだな……安らかに眠ってくれることを祈ろう」
彼を始め、撃退士達は知っていた。あの「助けて」という声に応えられない事を――視線の先で蠢くディアボロの身体に埋められた人間を救えない事を。見殺しにせねばならぬ事を。
「ディアボロは、討たねばならない」
黄昏の斜光に目を細め、嵐山 巌(
ja0154)は己に言い聞かせるが如く言った。分かっている。理解している。だが。拳をぐっと握り締めた。
「人は人として、その最期を迎えて欲しいと、そう願うのだ、私は」
せめて。『死』という運命を免れ得ぬのなら。
思おう。信じよう。
「これ以上犠牲を出したくないけど……死が救いになると信じるしかない」
「既にディアボロと一体化している以上は、人であったモノでしかありませんの」
死こそ救済なのだ。仕方が無いのだ。金の焔を纏いつ礼野 智美(
ja3600)は阻霊符を展開し、紅 鬼姫(
ja0444)は特に感情を動かす事なく烈光丸を抜き放った。悪魔の養分となるのなら、刈り取ってしまうのが一番だ。
「生きたままの姿を見せ付けて、此方の戦意でも削ぐ気があったりするんでしょうかねぃ?」
ソウドオフショットガンで肩を叩きつ、十八 九十七(
ja4233)。何にせよ、何れにせよ、彼女の成す事は変わらない。いつもの様に。天魔ぶっ殺正義大成。それだけだ。
「その為の怨恨呪詛等々は大歓迎、です故」
冷静に、吐息。
しかしそれとは対照的な者も、また。
「あんな酷い姿に……ぜめで早ぐ楽に……じであげだいっず!」
ニオ・ハスラー(
ja9093)の顰められた顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。助けたい。助けてと泣き叫んでいる彼等がどれだけ絶望と恐怖の中にいるのか、想像は容易い。なのに、無理なのだ。不可能なのだ。救う為には――『殺人』をせねばならない事を。少女はもう知っている。
「だってそれ以外ないって!」
過酷な現実に、ニオは嗚咽を上げて涙を零す。肩を戦慄かせる。ハンカチで顔を拭く。その頭を、矢野 古代(
jb1679)はそっと撫でた。そのまま静かに目を閉ざす。
(……許すな恨め。それを糧に次はもっと強くなるから。お前たちの父が母が兄が弟が姉が妹が子供らが、大切な人が捕えられたら助けられるほどに強くなるから)
嗚呼、鼓膜を掻き毟る「助けてくれ」。無力を思い知りながら。男は目を開け、呟いた。
「……ごめんな」
斯くして、手にした銃を『討伐対象』へと向けて――……
●真っ赤な言葉を
泣こうが喚こうが戦いは始まる。
「お前が花だというのなら、俺はそれを摘み取るだけだ」
飛燕。〆垣 侘助(
ja4323)が振り抜いた鋏より斬撃が飛び、花園さんの身体に傷を付けた。彼の表情は、心は、微動だにしない。普通ならば憐れむ感情を懐く『べき』なのだろうが。じゃくん。鋏の音。纏うのは椿の香り。首にぐるりと切り取り線。
同刻、九十七も散弾銃を構えていた。高速装填から繰り出す猛烈な早撃ち。実に三度も吐き出された弾丸が悪魔を撃つ。
「久遠ヶ原の撃退士ですの。『助けに来ました』『危ないですので出来るだけ動かないで下さい』『耐えて下さい』」
硝煙。弾と舌でデスペラードレンジ(三射撃)。大幅に減少させたのは果たして何か。
しかし、 それに、それらに、花園さんの身体から上半身を垂らした人間達が表情に希望を咲かせた。嗚呼、撃退士達だ! 助けに来てくれたのだ! 死なずに済む! 死にたくない! 良かった! 助かった! 良かった!
何も知らない。彼等は知らない。これからどうなるか。何が起こるか。知らないのだ。泣いて喜んで。喜んでいる。助かると信じて――信じている。撃退士を、正義の味方なのだと。
この喉を掻き毟れば、泣き叫んで赦しを請えば、彼等が助かるといいのに。そうであるならいくらでも。いくらでも。込み上げる全てを巌はぐっと飲み込んだ。凛と顔を引き締めて、夕風に黒髪を靡かせて。
「その苦しみから解き放たれ、その泥に一矢報いる為に。ただ嘆くでなく……ほんの少しでも良い! 人としての矜持を捨てず、戦う事を、諦めるな!」
己の使命は『他者を奮い立たせる事』だと信じて止まないが故に。敵の出方を観察しつつ、巌は胆から声を張り上げた。
その声に、彼等はどれだけ励まされた事だろう!
しかし、希望は大きければ大きい程、『落ちる時は真っ逆様』。
ぱーん。
それは実に呆気なかった。
たった一発の弾丸、銃声。
見開いた巌の目に映ったのは、赤い花。一般人が頭を撃ち抜かれ、その中身を爆ぜさせて。だらーんと垂れた上半身。どくどくだらだら、赤、赤、赤。
振り返った少女の視線の先には、煙を立ち上らせる銃を構えた影野 恭弥(
ja0018)。言葉も感情も必要ない、無機物を見る目をして。いつも通りだ、『興味が無い』。迷いも、その意味も無い。更に続けて、『ぱーん』。また一人の人間の頭が無くなる。
「中途半端にダメージを与えても取り込んだ人から養分を吸収して回復するかもしれない。だったらまずその養分を刈り取る」
「えぇ、元を断ってしまえばよろしいんですの」
淡々。所詮、あれは悪魔の一部でどうでもいい存在なのだ。喚くだけの肉袋だ。それと同時に音も無く人間の赤が散る。遁甲の術で気配を殺した鬼姫が、手にした刀で首を刎ねる。飛び散る赤が少女を飾る。
「無音殺人は得意ですの」
私クッキー作るの得意なんだ。そんなノリで。まぁ、仕方ないのだ。それもこれも。そんなこんなで。
「どう足掻こうと運命は1つですの――全速力での滅殺と致しますの」
死ね。確かに彼等は、撃退士は、そう言った。
死ね。そう言われて喜ぶ人間は、恐らくごく一部の変態ぐらいしかいないだろう。
「人殺し! 人殺し! ああああ……嫌だ、死にたくない!!」
「やめて……やめてよ、どうして悪魔じゃなくて私達を狙うのよぉおっ!」
結果は御覧の通り。嗚呼。人殺し。人殺し。半狂乱。絶叫。理解が出来ない。助けると言った瞬間に殺しに来た。希望と云う天国から一気に地獄の底まで突き落とされた一般人が、本来ならば撃退士が護らねばならない存在が、泣き叫ぶ。
静観していた。侘助は『助けたい、安心させたい、苦しませたくない』という仲間の行動は理解していながらも、その心情は理解の範疇にはなかった。智美は「せめて睡眠状態にさせられれば」と思いながらも、言葉を交わしたら敵殲滅の手が鈍りそうだと口を閉ざしていた。
やめたげてよぉ。まるでそう言うかのように、動き出すはディアボロ。数多の腕を蠢かし、伸ばし、振り回し、撃退士達を殴り付ける。爪で掻ッ切る。叩き落とす。
「「「人殺し」」」
悪魔の強打と共に、恨みの声がニオの脳に突き刺さる。
「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいっす!!」
泣き叫んだ。まるで彼等の声を掻き消すかのように。漆黒の大鎌を轟と振るい、花園さんを切り付ける。涙の雫が黄昏に散った。
嗚呼酷い、全く、酷い光景だ。古代は唇を噛み締める。ぶつり。血が垂れる程に。吐き出す息が、咽が、震えそうだった。されどそれを押し殺し、目を逸らさず、身振りで仲間を指示している様に――『お前達を殺すように仕向けているのは俺だ』と一般人に見せ付ける。
ふー。ふー。口の中に広がる鉄の味。やかましい己の吐息、鼓動。吐きそうだ。いっそ吐いてしまいたい。
恨むなら俺を恨め。
俺は人殺しだ。
さぁ罵れ。俺は人殺しだ。俺は……俺は。
畜生。
構えた銃が、狙いがぶれる。荒れ狂うディアボロが前衛の仲間達を腕と毒で苛む。
畜生……!
握り直す銃は何処までも冷たい。それでも言葉を飲み込み、何があろうと無言のまま。古代は引き金を引いた。ブーストショット。悪魔の身体に突き刺さる。
「できれば、あんな気色の悪い物に近寄りたくはないのでね」
後ろから撃たせてもらうよ。レンも同時に発砲し、古代が撃った箇所と同じ場所へと弾丸を放った。狙いはぶれない。どんな相手であれ、依頼として報酬金を得られるならば。戦うさ。人殺しと罵られようと。
本音を言えば、えげつない事をする悪魔に腹が立っているのだが。
「何にせよ、助けられんのだ。早い所解放してやるのが、取り込まれた奴らの為かね」
銃声。銃声。ばーんばーん。悲鳴を切り裂き飛んで行く。
「えぇ、全ては正義が為でございますが故に」
正義の前に状況はあまり関係ない――つもり。花園さんに殴られ、鼻と口から血を垂らしつつも九十七は怖じ気る事なく散弾銃を構える。恨み辛みもまた被ろう、正義が為に。天魔を討とう、正義が為に。
撃ち放つ、アシッドフィルド弾。腐敗させる液体金属が花園さんに突き刺さり、悪魔が悲鳴を走らせた。
「随分と醜いお姿ですの……美しい物とは正反対ですの」
その声に鬼姫は肩を竦める。手に持つ刃と服は一般人の血で汚れ切っていた。それを気にせず、ちらと目を遣るは恭弥。同小隊の友人。
「鬼姫の背は恭弥にお任せしますの……きちんと護って下さいですの」
信頼の眼差し。背を預けられる程度には。無言が返事だった。踏み出す男。その身体は、悪魔の手と毒によって血だらけだった。
だがそれでいい。端から覚悟している。追い込まれるほど強くなる力もある。
翳した手。噴き出す漆黒。血液の大鎌が握られる。
「決めたんだ。俺は天魔を狩る死神になると」
救えない命は救わない。自分は正義のヒーローではないのだから。
言葉の通り、Deathscythe。死を司る鎌が禍々しい軌跡を残して振るわれ、花園さんの身体を大きく切り裂いた。
確かにそれは強打だった。だがまだ、それは倒れず。動けぬ彼へ、無慈悲に振り落とされるのは毒の腕。
づどん。
霧散。散る、血。
もう一発。更に振り落とされそうになった腕は――巌がジャマダハルで受け止め、智美が烈風突によって花園さんごと押し退けた。
「覚悟しろ、悪魔」
煌めかせるパルチザン。智美は追撃せんと更に踏み込む。
それと並走するは侘助。鋏を振り上げた。
一閃、二つ。
二人が繰り出す斬撃が、花園さんの腕を刎ね飛ばす。
だが、じわじわ。瞬時とはいかないものの、断面図から盛り上がる肉。再生の証拠。
「――」
古代は、この時に衰弱した者があればそれを『摘み取る』よう指示するつもりだった。だが、もう、生きている一般人はいない。誰も彼も、殺されてしまった――『自分達』に。
ソレデモマダ「人殺シ」ト叫ブ声ガ耳カラ離レナイ
耳を塞ぐ為の手は銃を持っている。だから、男はそこに限界までアウルを注ぎ込んだ。射術三式・軌曲。自らを未熟と断ずる男が編み出した生き残らせるための射撃術。軌道を逸らす小爆発。
その支援を受けつ、レンは恭弥を抱えて後退する。そしてすぐに戦線復帰。
「依頼を受けてここにいるんだ。しっかりと片付けるさ」
報酬の上乗せは難しいかね。なんて彼は独り言つ。覗き込む施条銃の視界。
「あんなのの攻撃が当たったら大変っす!」
花園さんの攻撃を匠に回避したニオは仲間達へ回復の光を。
傷が癒える感覚。花園さんの睡眠ガスで眠りに落ちかけていた侘助と鬼姫がとった行動は同一だった。即ち、自称。前者は鋏、後者は苦無、腕をグサリ。躊躇なく。目を覚ます。
その間にも、九十七は持てる弾を有りっ丈使って大火力を以て悪魔を執拗に追い詰めていた。魔除けである岩塩の散弾が炸裂する。
「あと少しだ、踏ん張れ!」
眠気は己の頬を張って吹き飛ばし、巌は声を張り上げる。下がるものか。怖じ気づくものか。負けるものか。瞳に決然と、戦意。戦うのだ。『花園さん』に取り込まれた人々の、人としての尊厳の為にも。もう声の届かない彼等の『誇り』の為にも。刃を伴う正拳突きが、彼女の生き様を表すかの如く真っ直ぐ突き出された。
「腹の部分が柔らかいのではないかと思うっす!」
「了解。狙ってみる」
敵の行動を窺っていたニオの声、踏み出す智美。彼女を支援するようにニオは審判の鎖を放ち、花園さんを堅固に封じ込めた。
決めるならば、今。
「はァッ!」
闘気を解放させた智美の得物に紫焔が燃え上がる。加速。裂帛の気と共に叩き込むは、純粋な破壊力と速度で押す剛撃。悪魔の腹から血の様な物が吹き上がる。
やはり、花とは言われつつも本物の花ではないそれに侘助の感情が動く事はない。じゃくん。閉じた鋏。体内で燃やすアウル。身体の一部の様に扱う鋏が疾風の如く振り下ろされ、突き立てられた。
飛び散る、飛び散る、最中。
「ッッッしゃァアアアおらァアぶっ■して■■してやらァビチグソ汚花がァアア!!!」
響いた九十七の咆哮。正義発露通常営業。血達磨になりながら、地を蹴る靴音。
猛然。振りかざす掌に、超高温超高圧暴走アウル爆龍焔塊。Δικαιοσυνη、それは『正義』の名を冠す原初にして極致の業。
触れた。
爆。
木ッ端微塵。
後には何も残らない。醜く歪で純粋で綺麗な、一つの正義の示し方。
散った『花』が、ぼとぼとぼと。後はただ、静寂あるのみ。
●イノセントおれたち
智美は悪魔の身体から人間を切り離し、一人一人並べていた。その顔をデジタルカメラに収め、身に着けていた物や髪の一部を切り取り、番号を書いたメモ帳と共にビニール袋の中へ。同じくニオと古代も、分かる範囲の遺品を探して智美に渡していた。
遺された人の為。彼等が望んだ通り、それらは遺族へと渡る事だろう。人として、弔われる事だろう。
これが罪の意識を和らげる為にしている事だとは解っていても――古代は息を吐く。仲間達へ鉄拳治療を有りっ丈行い終えた今、彼の身体にあるは酷い疲労だった。
血の味が残る舌先で、吐き捨てる。
「次は無いと思え天魔共。今は脆弱だが俺達は何れお前たちを食い破る」
並べられた遺体。巌は、彼等に菊の花を手向ける。
「『花園』とはいかないが……あのような醜悪な生け花が最期の形では居たたまれんから、な」
薄暗くなった空を見上げる。
黙祷を捧げる少女の頬を、散った菊の花弁が静かに撫でた。
『了』