●復讐劇の始まり始まり
ガランドウ。吹き抜ける風は胡乱。
ポッカリだらしなく口を開けている様に見えた。何がって、扉の壊れた廃ビルの入口が。
気味が悪い。君が悪い? 藤沢薊(
ja8947)は己の腕を我知らずと抱きしめる。
(こいつは、絶対倒す……前回の俺達と、彼らの復讐の為に)
己の所為だ。己の失敗だ。呵責。件のディアボロと薊が見えるのは二度目。一度、自分達を退けた相手。撃退士を打ち負かした強敵。
「……それでも。やってみせる」
遠石 一千風(
jb3845)の蒼瞳には凛然と決意。撃退士としての初依頼ではあるけれど、撃退士として冥魔を倒し、人を救う。やってみせる。必ずや。何不自由なく育った自分が手に入れた、唯一親から与えられなかったこの力で。
「ディアボロは敵です。掃討するまでです」
そうだ。やるしかないのだ。雁鉄 静寂(
jb3365)が頷く。その黒い瞳に一層の鋭い光が宿っているのは、
「ましてや空腹感を撒き散らす輩は 、カロリーコントロールの敵です」
筋金入りの健康オタク故。銀の銃器を握り直す。
「全く、奇妙な領域な事だ。餓死した人間でもディアボロの素材に使ったのだろうか、な」
「さぁな……だが、ただ力押ししてくる相手より余程厄介だな。飢餓の狂気という物は恐ろしいものがあるしね」
ヴィンセント・ライザス(
jb1496)の言葉に、天風 静流(
ja0373)が冷静な相貌を崩さずに言う。
「うぎゅぎゅ……気持ち悪い敵だねっ。ふゆみがどどーんっ★しちゃうぞっ!」
「情報もあるし、大丈夫なのですワっ!」
対照的にエイエイオーと意気込むのは新崎 ふゆみ(
ja8965)、同じくおーっと手を上げたのはミリオール=アステローザ(
jb2746)。
しかし――後者の天使は表面こそ常の明るいそれではあるが。その内心では、多くの人間を無惨な手法で殺害した相手に対する確かな怒りがとぐろを巻いていた。
さて。
状況確認。粘つく気配。準備を整えた事を確認し、ナヴィア(
jb4495)は仲間へと振り返る。
「行きましょうか」
「了解」
答えた静寂は深呼吸一つ――すぅ、はぁ。そして。
「――状況開始、静寂行きますッ!」
張り上げる声と共に、仲間と共に強く地を蹴り戦場へと。
●腹の底までイート・イン
仄暗く、灰色。ぐぢゃりぐぢゃりと行儀の悪い咀嚼音。それから血の臭い。
撃退士達の視界に飛び込んだのは、フロアの真ん中に佇む不気味な胃袋だった。絶食飽食主義者。だらんと垂れた手。
そしてその周囲には――嗚呼、予想はしていた。していたけれども、的中して欲しくはなかった。
人間が人間同士で喰らい合っている。
一千風には衝撃的過ぎる光景だった。人間が、白目を剥いて、涎を垂らして、呻き声を上げて、血を流して、喰い合っている。肉を食い千切っている。或いは、全身血だらけで倒れ伏した人間に群がり、ぐぢゃぐぢゃ皮膚を食い破り、その中身をズルリと――奪い合って――
「くっ、こ、こんなことって」
思わず口を押さえ、後ずさった。話は聞いていた。されど、こんな、こんな、こんな。血の気が引いて行くのを感じる。吐き気が込み上げるのを感じる。心臓が凍り付くのを感じる。震えを感じる。これが、悪魔が齎した『現実』なのか。
あまりにも――酷い。
だから、こそだ。
「速攻で落として被害を最小限に!」
静寂が声を張り上げる。確かに目を背けたくなる様な光景だ。だが。今、自分が考えねばならぬ事は冥魔討伐、任務への使命感と根性。任務には決して手を抜かぬ。両手の甲から黒い光の文様を溢れさせ、シルバーマグWEを構えた。
「これ以上、一般人に手を出させません!」
敵を倒す事。それが第一。引き金を引いた。銃声。弾丸が飛ぶ。
突入した撃退士達を襲ったのは、激しい空腹だった。
「撒き餌に使うのもこの状況では惜しい所だが……予想外の事態故仕方は無いか」
「まずは、イッパンの人を助けなきゃねっ☆」
ヴィンセントとふゆみが言う。動き出す。前者は予め購入していた食べ物をばら撒き、後者はラジコンカーに匂いの強いファ−ストフードを取り付けて。
一般人が反応を示した。或いはばら撒かれた食べ物を拾い上げ、或いはラジコンカーの食べ物を追い始める。
「ほーらほーら、こっちだよー☆ わはー★ やっぱり●ミヤのRCカーはレベル高いんだよっ☆」
ラジコン好きな弟がいるので詳しかったりする。ふゆみの作戦、そしてラジコン操作は見事だった。
「どうしておなかがすくのかなっ……♪」
歌う様に、零したのはソーニャ(
jb2649)。予め薊が仲間へ配っていたキャラメルを舌の上で転がしつつ、あのディアボロのシンパシーは共感能力かな。なんて、思いつつ手には七輪。網に乗せるタレ付き肉。火をつければ、肉の焼ける何とも美味そうな匂いが広がり始めた。悪魔の齎す空腹の所為で自分も涎が垂れてくる。
「一番パワフルな食べ物のにおいってこれしか思いつかなかった」
手でパタパタ、火をおこしつつ。油の焼ける音、匂い、あのディアボロに嗅覚はあるのかなぁ。そう思って顔を上げてみたら。
「……わぁ」
この超空腹空間に於いて、焼肉ほど超効果的な物はなかった。ソーニャの想像以上、悪魔が、人間が、一斉に来る。一網打尽。
だが想定内だった。こういう時の為に持ち手のある七輪にしたのだから。翼を広げて引き寄せる。
「お前はここに居て貰うぞ」
肉の臭いにつられた絶食飽食主義者の前に割って入ったのは静流。構えた薙刀。蒼白い光を纏って、刹那の急襲。神速の一撃。弐式「黄泉風」。疾風の様に黒髪が靡く。曰く、生あるものを黄泉国へと誘う風。吹き飛ばす。
「邪魔にならない所に来てもらいましょうか」
ガムを噛んで空腹に耐えつつ。吹き飛ばされたディアボロの懐へ飛び込んだのはナヴィア。好戦の笑み。力を込めた掌で、一徹。更に悪魔を吹き飛ばす。
「地に還れ……!!」
そこへ立て続けに放たれたのは薊が発砲したストライクショットだった。確かな命中。更に一般人から引き離され、進路は撃退士達が塞ぎ。撃退士達の見事な作戦勝ちだった。
だが黙ってやられるだけの悪魔ではない。振り上げられる手――薊は思わず目を見開いた。フラッシュバック。前回の任務。
恐怖。
「させませんワっ!」
刹那。薊の身体をアウルの網が包んだ。それはミリオールがかつて見た世界の概念を疑似再現したもの。外界全てを拒み遠ざける斥力。
「全てが引かれ合う……素敵な事ですワ。わたしが見た世界の中には……」
細める星の目。そこに宇宙の果てより深淵なる殺意を滲ませて。さぁ反撃だ。宇宙天使は剣を手に、青い光を全身に纏う。地を蹴った。繰り出す突き。百尾彗星。尾を引く残光は彗星の如く。滅する為だけの技。驚異の毒が追撃をかける。
そうだ――薊は奥歯を噛み締める。貪られた一般人の死骸を見て。恐怖を殺意に。殺さねば。殺せ。悪になれ。嘘を吐こう。楽しいと。殺せ。殺せ。殺してしまえ!
「うああぁあああああ゛あ゛あ゛!!」
ケダモノの様な狂った咆哮、或いは哄笑、放つのは光の弾丸。
一方で。
「もうっ、ちょっとは落ち着いてほしいんだよっ★」
「苦しいでしょうけど、すぐ助ける。だからしばらく大人しく」
ふゆみ、一千風、ソーニャはビルの外に一般人を全て誘導する事に成功し、彼等を押さえこんで縄や網で拘束していた。
「痛いだろうけど……ごめんねっ☆」
これで良し。ふゆみは彼等が舌を噛み切らぬようにと縄で猿轡をし、立ち上がる。空腹対策の飴玉を仲間に渡しつ口に放り、さぁ。行こう。仲間が待っている。
耐え難い空腹だった。だが撃退士達は予め用意した食べ物を口に運び、或いは気合いで抗って。
ぜぇ、はぁ。静寂はただ『敵を攻撃する事』で頭を満たす。絶食飽食主義者の腕が掠めた肩口が酸で痛む。渇き、飢え。くそ、くそ。
(それがどうした!)
躊躇せず。取り出した刃物で己の手を切り付けた。鋭い痛みが脳を満たす。冷静さを取り戻す。仲間を攻撃なんて出来るわけがない。奥歯を噛み締め、睨み付け。
「さっさと落ちなさい!」
撃つべし撃つべし。アウルの燃え尽きぬ限り!
「飢えを撒き散らすのは止めてもらいましょうか。私、我慢するのはあまり好きじゃないのよ」
だから、少しでも早く片付けるわよ。言葉の終了と、ナヴィアが戦斧に闇を纏わせたのは同時。轟と振るう。闇が胃袋に絡み付く。
その間に静流は外式「黄泉」によって気を練り上げる。集中しろ。空腹などに屈するものか。倒す。倒す倒す倒す討ち倒す。
「――はァッ!」
薙刀の石突を使い、大きく跳んだ。刃が瞳が、月光に鋭く輝いた。突き下ろす黄泉風。全身から爆発的に噴出する蒼褪めた禍光。力を一点に集中し対象を破壊する技法にして、必殺の意の具現。地面に強く、叩き付ける。
その隙を見逃さず。ヴィンセントは展開した魔方陣で自らを包むや超加速、音も無く気配も無く刹那すら飛び超えて絶食飽食主義者へと接敵する。空想纏い「時砕キ」。猛烈な蹴撃を叩き込まれた瞬間には既に、彼は元の場所。
「皆さん、気をしっかりもってください!」
銃声の最中、薊は声を張り上げる。もう誰も倒れさせぬものか。薬師の意地。
「空腹なんかで、前衛が崩れるわけには……行かないのですワっ」
その声に、気を強く持って、前線の緊張と責任感で自らを奮い立たせ、ディアボロの手に殴られ血を流すミリオールは凛然と前を剥く。構えた掌。そこから創造されるのは黒色の球体。投擲された吸引黒星は絶食飽食主義者の命を貪り、彼女のモノへと還元する。天使の精神吸収と撃退士の技術を合わせ、対天魔用にアレンジした技。力こそ衰えれど、戦闘センスは尚も健在。
「はぁうぅ……ちょっと、昔を思い出すですワ……」
さぁ、戦おう。戦おう。粉砕してやる。
「そーれ☆ とんでけーっ★」
刹那にディアボロに突き刺さったのは、闘気を解放したふゆみが放った矢。
「はらぺこ胃袋かぁ……飴玉が弾丸ならよかったのにね」
続いて銃声、アサルトライフルを構えたソーニャ。直接、胃の中に食べ物入れたらどうなるのかなぁ。
「でも残念ながら、たらふく鉛弾を食らわせてあげるって言うしかないのよね。メタルジャケットだけど」
突撃ー。なんて。飴玉もごもご。
「さぁ、そろそろ仕舞いにしましょう」
機械剣S-01を手に、一千風。口元に食べ物が付いているのは、悪魔が齎す空腹に抗い切れず手持ちの食料を本能のままに口にしたからだ。その行為を密かに恥じつ、絶食飽食主義者を刃の眼光で睨ね付ける。
撃退士が全員揃った今。一気呵成に鬨の声。
「腐敗攻撃がきます!」
冷静に状況を観察し続けていた成果。悪魔の動作を察知した静寂が声を張り上げた。それにより、振り落とされた悪魔の腕に巻き込まれた者は一人も居ない。
「どんな理論を基にしているのか、気になるな」
理屈至上主義。ヴィンセントが呟いた言葉と同時にヨルムンガルドの引き金を引いた。
銃声。
「死ね、胃袋」
薊が構えるリボルバーCL3の銃口から硝煙が立ち上る。殺意の視線の先、静流とナヴィアが息を合わせて踏み込むや挟撃の形で刃を振り上げた。薙ぎ払い。闇縛。強かに、打ちのめす。
絶食飽食主義者が弱っているのは目に見えていた。あと一押し。踏み込む一千風が裂帛の気合と共に剣を振るう。
「ボクもおなかがすいたら、人の心が欲しくなるのかなぁ」
施条銃のスコープ越しの戦場。ソーニャは呟く。尤も精神吸収は出来ないが……今でも欲しいのは事実だ。誰か好きでいてくれる人。
でも、この空腹感がディアボロのものなら。
「かわいそうなディアボロだね」
天使は思った。このこをつくった者こそ罪深い。引き金を引いた。効率化された暴力が、超速で悪魔に突き刺さる。片方の腕をぶっ飛ばす。
血が盛大に吹き上がった。
それを、見。
「空腹など感じぬ体にして差し上げるのですワ……」
ミリオールの眼差し。片手にウリエルブレイズ、片手は悪魔へ。そこからずるり、打ち出されたのは黒く煌めく触手だった。唸りを上げて絶食飽食主義者に突き刺さる。変星の第一腕。
「『星』はもう作れないけど……この程度は出来るのですワ」
それは身体組成を崩し、一時的に無機物へ変える技。ビシリ。固まり付く胃袋。そして。ビシリ。ガラリ。砕け散って。粉々になって。
無くなった。
●ごちそうさま
「あぁ、良かった……!」
初めての任務。初めての成功。達成感に、一千風は珍しく体をつかって喜びを表した。
「お疲れ様」
ナヴィアは残っている食べ物を頬張り、飢えの残滓を振り払いつつ労いの言葉を。
「全てはディアボロのせいです。皆さんが自分を責める必要はありません」
静寂は一般人に決然と声をかける。病院への連絡は終えた。じきに迎えが来るだろう。だがその間にもと、ミリオールは快癒の第三腕によって彼等の傷を癒していた。
「生きてさえいれば、なんとかなるのですワ……だから今は、おやすみなさいですワ」
魂縛符。目を閉ざす人々。
一方で。
「救えなくて……ごめんなさい。 ごめんなさいいい!!」
救えたけれど、救えなかった。薊は罪悪感から泣き崩れる。大声で。止め処ない涙。
大丈夫かと、静寂が問うた。泣き腫らした眼で少年は呟く。
「薊は、復讐の花……役目は、果たした?」
見遣った先。転がった死体。今だ尚、血の臭い。静寂は目を伏せる。犠牲者へ、黙祷を。
その傍ら、ソーニャは絶食飽食主義者の欠片を拾い上げた。うーん。裂いて食べ物を入れてあげようと思っていたのに。どうしよう。考えて、あぁ、そうだ。ポケットから飴玉一つ。握り潰した。粉になった苺味。それを、ぱらぱら。振りかけた。砕け散った悪魔の死体に。
ごちそうさまと、おやすみなさい。
『了』