●お手々のシワとシワを合わせてシワヨセ
月の光が物言わぬ教会を密やかに照らし出していた。
そこには誰も、誰も居ない――『普通の人間』を除けば。
(昔、教わったとおり、突入は『早く』『正確に』だな)
教会の外に蠢く人影が、九つ。その内の一つであるテイ(
ja3138)は師である老婆の教えを思い出しつ冷たい銃を握り直した。
「神様なんていやしないのにね……」
溜息。の一方で、月乃宮 恋音(
jb1221)はふるりとその身を震わせた。早春の夜が寒いからではない。恐怖。
(……こ、怖いのですよぉ……)
戦いなんてやりたくない、怖ろしい。逃げ出したい。しかし手に持つ武器の感触でこれは任務なのだと思い出せば、責任感で恐怖心を抑制する。深呼吸。緊張しすぎて唇を噛みかけた。
「ディアボロが教会で祈りってのも妙な感じだねえ」
「紛い物が真摯な祈りとは、誰に、何にささげたものか……」
闇中に潜む悪魔のユリア(
jb2624)が言い、ユーノ(
jb3004)が「まあ何であったとしても関係はありませんけれど」と応える。前者の背にある翼骨めいた無機質的な翼はその持ち主と同様黒の中に解け込んでおり、後者のそれは蛍の様な明滅光を発する四枚の影の翅。二人はそれで宙に浮かび上がり、暗い窓硝子から教会の中を窺っていた。
その視線の先にて蠢くは、祈る姿をとった異形。ひらひらと舞う黒い蝶。
「さてはて、人であった頃を思い祈っておるのか 、それとも主たる悪魔に祈っておるのか……」
白蛇(
jb0889)は考える。信仰。それは神を神たらしめる何よりのモノ。自らを人の身に墜ちた神と自称するが故に、思う所があった。
「何にしろ……引導を渡そうぞ」
翳す掌。権能:千里翔翼――顕現するは、曰く飛翔と縮地の分神。傅く白鱗金瞳のスレイプニルが彼女をその背に乗せて浮き上がった。
「……もしかしたら、この教会の中でろくでもない事があったのかもね」
今となっては分からないけれど。仲間悪魔と同様に闇の翼で宙を足場とするナナシ(
jb3008)は十字架を掲げている廃墟を静かに見上げた。ただ闇の中に佇む無機物は物言わず、悪魔が触れてみても温度も無く。
そんな仲間達の一方で、アイリス・L・橋場(
ja1078)は無感動に無表情だった。
信仰。信仰か。そんな粗雑なものがこの世にあるものか。あってたまるか。
(この世界はいつだって無慈悲で冷酷で単純なんですから)
その手に持った、銃の様に。
さて――
撃退士達は互いに目を合わせた。窓から中の様子を窺ったユリア達の苦い顔。
彼等は窓の外からディアボロ達へ猛攻を仕掛ける予定だったのだが、教会は広い。遠かった。外からでは、届かない。そしてディアボロ達はと言えば外に出る気配など微塵も無いらしい。
「土足で踏み入って皆殺しにするしかない、か」
上等だ。臨戦態勢。頷く天ヶ瀬 焔(
ja0449)の言う通り、どうなろうと戦って勝つ他に道はない。
「そうと決まれば、さっさと片付けようか……面倒くさいし」
欠伸を噛み殺して片瀬 集(
jb3954)が言う。頷き合った撃退士達は窓へ、あるいは扉の前へ。
では。扉の前にいるアイリスとテイは互いに視線を合わせ、身構えた。
3――2――1――
ぐしゃり。
それは二つの靴裏に朽ちかけた扉が蹴り砕かれる音。
同時に響いたのは窓硝子が砕け散る音だった。
教会の中、煤けたステンドグラスの色彩、落ち舞う硝子の破片の煌めき、教会中に垂れ流した真っ黒い毒、ディアボロ達の蠢き。
「……Tirer par rafales!」
一斉射撃。血黒い鏖の自己暗示を纏ったアイリスの手が振り下ろされると同時、扉や窓から侵入突撃した撃退士達の構える武器が苛烈に輝き唸りを上げた。
「仲間を守れてこそ、一人前だって、昔よくばーちゃんに言われたもんだよ……さて、状況を開始するっとな」
「いっくよー!」
セイントバレルを構えるテイ、窓から急降下しながらユリアも銃を構えて引き金を引いた。銃声。暗い廃墟に銃火が奔る。ひらりと舞った同意する者の内、最も撃退士に近い位置にいた個体の翅を掠め打つ。
直撃とはいかなかったものの、寸の間。同意する者の動きがぶれる。
「……うぅ……。……す、少しでも、足を引っ張らないようにしないとぉ……」
そこを見逃さず、恋音はおどおどしながらも詠唱によって雷霆の術式を組み上げ、翳す掌より構築した魔法陣から鮮烈な稲妻を撃ち放ち、悪魔を飲み込んだ。
焼かれた蝶が自らに加護を施しながら逃れるように上へと飛び上がる。それを、フンと息を吐きつ蛇眼にて見上げたのは司に跨った白蛇だった。光纏のオーラ――脚元よりのケの黒が、吐息からハレの白が、其々靄となって漏れ出でる。
「頭が高いわ!」
引き絞る翡翠色の魔弓。放たれた矢は一直線に、集が放った矢と同時に同意する者に襲い掛かった。
「悪いけど弓も結構得意なんだよ、俺」
赤いラインの奔った黒髪の奥から、少年は手を組んで祈るディアボロを見遣った。
「……ねぇ、貴方は何を祈っていたの? どうしてそんな面倒な方法を選んだの? 多分だけどさ、祈ったって、何も変わりはしないよ」
呼びかける声。それに言葉は返ってこない。その悪魔に口は無い。ディアボロは偏に祈り、返事と言わんばかりに構築した魔法陣から幾束もの黒い鎖を発射した。唸りを上げて撃退士達へ襲い掛かる。
「ぐ、」
ユーノの身体に魔法の鎖が絡みつく。締め上げて技巧を封ずる。小癪な。雷帝霊符をその指に構える。
「灰は灰に、塵は塵に。抜け殻は抜け殻らしく、朽ちてゆきなさいな……!」
ディアボロに魂はなく、ならば捧げる祈りも、そこに同調する思いも、全ては抜け殻。
奔る稲妻。
それは雷霆の書を携えるナナシと同時。いくら回避が高いとはいえ、立て続けの猛射に同意する者は塵となった。
残り二体の蝶が其々信じる者にエンチャントを行う。だが一体一体を集中攻撃する撃退士達の猛攻を前にすれば、黒蝶が落ちるのは時間の問題だろう。
焔が放った審判の鎖に絡め捕られた同意する者を、アイリスの双銃が撃墜する。恋音の詠唱、ナナシとユーノが雷を紡ぎ出し、蝶を強烈に苛み粉砕する。
されどその間にも信じる者も魔法攻撃が撃退士達に降り注いでいた。それに加えて、地面にいる者は祈る悪魔が垂れ流す毒に苛まれる。悪魔が唱えた氷の呪雨が落ち、撃退士達の体温と体力ごと持って行く。
咄嗟に回復役である焔を守ったテイがそれに力尽きてしまった。焔は歯噛みする。しながらも、唱えるのは回復の呪文。
「勝ちに行くぞ!」
傷付いた仲間を鼓舞の声と共に癒しながら、螺旋に舞う彼の光纏の赤光が煌々と輝いた。
立ち向かう撃退士達の目に映るのは黒い塊、組まれた手の祈り、それが構築した魔法陣。彼ら目掛けてシャワーの様に魔弾の弾幕が襲い来る。
翼の翻る音。
襲い来る魔弾の嵐を掻い潜りながら、信じる者を見澄ましたナナシは魔力を練り上げる。
それを見て、白蛇もまた霊力を練りつつ彼女へ声を張り上げた。
「合わせよ!」
「了解」
答えたナナシの手に握られるは実態を持たぬ炎の剣。それは記憶から発掘した術の一にして、楽園を守るべく置かれた神の剣を疑似再現した魔法。
「焼き滅ぼせ――煌めく剣の炎<ラハット・ハヘレヴ・ハミトゥハペヘット>!」
「来たれ、霹靂神!」
振り抜かれた煌めく剣の炎。白蛇が跨る司が吐き出す黄金の稲妻。
一直線に駆ける炎雷は轟と唸りを上げて、撒き散らされた毒をも焼き払い信じる者に突き刺さった。
清き光に毒は祓われ、道ができる。
往け。今こそ好機。
毒で道が閉じるその前に。真っ先に強く地を蹴ったのはアイリスだった。疾風の如く信じる者の懐に潜り込むや、大剣の一閃。黒の軌跡。朧月を彩るは悪魔の体液。赤黒い血。悲鳴は無い。
その反対側から集は攻撃を試みる。眠そうな目だがやる事はやる。
「その祈りは何も産まない。だって……もう何を考えているのかすら分からないのに祈っているんでしょう?」
だから、終わらせてあげるよ。解放してあげる。
指先に持つ黒い符が燃え上がった。その塵は嵐と力を示すルーンとなり、アウルによって刻まれた太極図と合わさり陣となる。それを槍にて突き破れば、赤い風が敵へと牙を剥いた。
陰陽魔術。太極烙印第一種術式<首狩ノ風>。
「固定標的なら、当てるのは造作もねぇだろ」
放たれた赤と並走するは赤、焔の炎髪が靡く。螺旋に舞う光が左背に翼の様に流れて伸びる。
「教会だろうと、ディアボロに救いなんてねぇぜ――貴様等には『滅』一択だ、祈る暇も無く朽ち果てろ」
吶喊の勢いのまま、突き出したのは戦斧。確かな手応え。悪魔の体液が散る。
されど信じる者は、組んだ手を解かない。刹那。周囲に発生させた強烈な重力で傍にいた撃退士達を纏めて強かに押し潰す。
仲間の悲鳴――やらせるものかと上空のユリアは悪魔を睨ね付ける。
「祈ったりするのは勝手だけど、汚染撒き散らすのは止めてもらうよ!」
Moon Blade。月光の刃が踊り狂い、信じる者を切り裂いた。その直後に接敵するはユーノ、銀髪を靡かせ魔力電界を展開させる。認識を掻き乱す。
「……い、いきますよぉ……」
そこへ立て続けに、恋音は今度は風の呪文を唱え始めた。巻き起こるは激しい風の渦。
流れる気流。仲間を支えるのは焔の回復魔法、更に白蛇が乗るスレイプニルが急所を狙った一撃を放ち、同意する者が施していたエンチャントを粉砕する。
今、信じる者は無防備そのもの。アイリスは剣を地に突き立て立ち上がる。握り直す刃。垂れる血よりも、その目は赤い。アウルが燃焼すると共にその刃が黒く黒く塗り潰された。一瞬、刹那の後にあるのは死神の鎌を思わせる残像だけ。
Regina a moatea、それは純粋な破壊と速度によって死を齎す、死の女王の一閃。 破滅的な一撃に、されどまだ倒れぬ悪魔は魔法陣から魔弾を大量に発射した。
まだだ。そんなチンケな豆鉄砲で倒れるか。まだだ。まだ足りない。魔弾に穿たれながらも、黒を纏うアイリスは刃を高く掲げた。それは古ぼけたステンドグラスの彩光を浴びて、沈黙に輝く。
「――Regina a banquet!」
何度でも。何度でも。どちらかに死が訪れるまで、少女は攻撃を決して止めない。決して、決して。
一方のナナシも仲間への被害を押さえる為に身を以て魔弾を防ぎ、砕き、踏み締め、裂けた唇からふぅっと息を吐く。傷も、痛みも、気にしない。我慢だ。息を整え振るうのは炎の剣。守護の業炎。
戦いは熾烈さを極めていた。
されど、決着は近い。
集が今度は作りだした陣は、ソウェルとジュラのルーンが組まれた太極図。そこから轟然と飛び出した鬼の腕――太極烙印第三種術式<魂喰ノ鬼>――が信じる者の生命力を毟り取る。
それに続けと、ユリアは華杖カレンデュラをその手に構え魔力を練る。
「爆ぜろっ!」
Moonlight Burst。ひゅん、と杖を振るえば月光の光球が次々に炸裂し、廃墟の中を踊り狂う光の粒子が悪魔を強烈に焼き薙いだ。
迎撃。ヘドロ塊から突き出すボロボロの腕が祈りを捧げ、現れる魔法陣から氷の雨。
噛み締める奥歯で、耐え。ユーノは和槍を、焔は戦斧を風の如く一閃し。
――それでも悪魔は尚も信仰を続けていた。
白蛇は目を細める。千里翔翼を帰還させ降り立つのは仲間が毒を祓った黒ずんだ床。
神威。その唇が紡げば、白鱗金瞳のティアマットが雄々しい咆哮を上げながら現れた。曰く、荒神の神性を司る分体。牙を剥いて信仰者へと飛び掛かる。
「主が信じる神と、わしと。さて、どちらが上の神性であるかな? ――これがわしの最大火力じゃ!!」
砕け、全てを圧砕する神なる力を以て。
大気をビリビリと震わせながら、力を爆発させた神威が荒々しい神楽を披露する。太い腕で叩きのめし、爪で引き裂き、牙で食い千切り、尾で打ち据える。
もう一度その咆哮が轟と響いたそこに、最早ディアボロの姿は跡形も無く。
●祈りましょう
ぐぢゃり、静寂を取り戻した廃墟に湿った音が響いた。
「……信仰なんてこの程度のものですか……」
乾いた声。静かに呟いたアイリスの紅睨には、自分の脚が映っていた。信じる者の骸を踏み潰した脚が。
俯いた少女の血濡れた顔は、長く垂れた銀髪に遮られ窺い見る事は出来ない。祈る手の残骸が嫌に目についたので、それも踏み潰した。
この悪魔は信じて信じてひたすら信じて信仰して、結果この様な結末を迎えたのだ。笑い話にもならぬ。
その様を見て。ディアボロ達に対し憐憫を抱いていた恋音は何か言い出そうとしたが、気後れして押し黙ってしまう。されど気配は伝わったのか、アイリスは顔を上げて静かに振り返ると、悪魔の返り血で汚れた髪を靡かせ教会の外へと歩き出した。
「……せめて、最期は、安らかに、ですよぉ……」
十字を切り、恋音も後に続くのであった。
一方、仲間への応急処置を終えた焔は教会の外へ出ようとしながら――ふと振り返ってみた。月の差し込む死んだ教会。崩壊の美。有限の美。
「騒いで悪かったな」
一言。静寂を背に、踵を返す。
また一人、また一人。
そして最後に教会の中にいたのは、ナナシとディアボロの死骸だけ。
「貴方達に魂があるのなら、せめて貴方達が信じた神様の御許に行ける事を祈っているわ」
少女の身形をした悪魔はステンドグラスの前で片膝を突き、御祈りの真似事を行ってみる。あのディアボロの様に、手を組んで。明確な理由はない。何となく、そんな気分になったから。
静寂。沈黙。おお神よ、そう呼びかけてみても、きっと誰も返事をしない。
立ち上がったナナシは――教会に火を点ける。許可は既に取っていた。ディアボロの毒で満たされた教会だ。もう、誰も使う事など出来まい。永遠に。
遂にナナシも踵を返した。燃え上がる赤が小さな背中を照らしている。
彼女には記憶もなければ信じている神も悪魔もいない。けれど、そんなナナシにも信じてみたいと思っているものがあった。
人間という種族の可能性。
そして彼女は夢見るのだ。
いつか、いつの日か、人と天魔全てに平和が来る事を――『信じて』いるのだ。
神など居ないと言う者。自らこそが神だと言う者。
信仰は力だと言う者。信仰など無力だと言う者。
人の想いは運命をも覆すと言う者。人の想いなど矮小だと言う者。
蓋し、人間の脳の数だけ、信じるものは存在する。
しんじるものは、頭の中に。
『了』