●Over
「クソ、クソ、ド畜生の■■がぁア……!」
天を仰ぐ十八 九十七(
ja4233)の声が、暗い夜空に響いた。
●それは上記からしばし時間を遡る
敵は『空腹』を齎す悪魔だと云う。
「かなり危険な敵だね……個人的に!」
咲・ギネヴィア・マックスウェル(
jb2817)はごくりと唾を飲んだ。そのまま流れる動作で携帯電話を取り出すと、
「あたしだ! いつもの大至急、今日は転移装置まで!」
注文したのはフライドチキン3000円分。腹が減るなら満たしてしまえばいいじゃない。ドヤァしていると「ところで誰がSMマンガだ逆読み禁止だフルーツポンチ」と何故か棄棄に尻を蹴られました。ナンデダロウナァ。
という事がありながらも、撃退士達は転移装置によって現場に到着する。
「空腹に耐えての、討伐かぁ。終わったら、お煎餅おいしく食べれるかな?」
「空腹でも大量消費をしていいのは甘いものだけだと思うんです。敵さんには精一杯の攻撃で満足してもらうしかないですかね?」
無邪気な顔で首を傾げる藤沢薊(
ja8947)と、ダウナーな息を吐いたのは如月 千織(
jb1803)。彼等を始め撃退士達は食べ物を所持していた。それは機嶋 結(
ja0725)も同様、抱えた紙袋から漂うのはフライドチキンの良い香り。華奢な見た目に反して食好きの大食いなのだ。
「……此処で食べるのは、意味がなさすぎます……」
奥歯を噛んで我慢。
撃退士達の眼前には聳え立つ廃墟ビル。今日は暗い夜。闇が蔓延り、建物の中までは上手く見えない。
されど――耳で、肌で。撃退士達は確かに感じた。
胡乱な気配。幾つもの呻き声。
踏み入る闇の中――結は手を翳すと共に掌から小さな炎を作り出した。松明の如く揺らぐ灯り。その彼方。照らされて、蠢いて、居たのは。
「気持ち悪い造形ですね……」
眉根を寄せた結の言葉通り。気味の悪い姿をした胃袋の悪魔『絶食飽食主義者』、舌打ったのはそれの存在の所為だけではない。悪魔の周囲には、互いに飛びかかり噛み付きあい肉を喰らいあっている一般人の姿が。
と、唐突に撃退士達を空腹が襲う。耐え難い胃袋の苦痛。成程、この空腹感。それであの一般人達は。
「みんなはらぺこで共食いしてる!」
「人間、空腹になるとこんなことができるのか。興味深いね……」
「呆れかえって物も言えん」
さっきまで齧っていたフライドチキンの衣を口元に付けた咲は目を剥き、薊も同じく驚きを見せ、美具 フランカー 29世(
jb3882)は悪魔の趣味とセンスの無さに思わず天を仰ぎたい気持ちに駆られた。
「ただでさえシャレではすまん能力じゃと言うのに……一般人の取り巻きがいるなんて聞いてないのじゃ〜」
悪魔が齎す辛い空腹に美具は顔を顰める。素早く片付けるが吉であろう。が……ケダモノの如く互いを喰らい合う人間達の姿は不憫極まりない。
「先ずは彼等をなんとかせぬか?」
「奇遇だね、僕もそう思ってた――彼らを、一旦外に出します! 皆さん、援護をお願い致します!」
美具の言葉に薊が頷き声を張る。撃退士達は自らの空腹対策として持って来ていた食料を手に手に取り出した。
結はトーチの火でフライドチキンを炙って香りを出して一般人の気を引き、咲も同じくフライドチキンを見せつけながら視認できる範囲で一番遠い位置にいる者の心へ直接言葉を投げかける。
『こっちのフライドチキンのほうが美味しいよ。ホ〜ラこんがりほかほかいい香り』
そんな撃退士達の動作に。反応した。動き始めた。ケダモノの咆哮を上げて一般人が、そして――ディアボロが。腹が減っているのは人間だけではない。
だがその胃袋に弾丸が撃ち込まれる。笑顔の服部 雅隆(
jb3585)が持つリボルバーから立ち上る硝煙。
「空腹は最高の調味料ってのは、あながち間違いじゃあありませんよねぇ……」
男が悪魔を見る目は『食べ物を見るそれ』であった。味が気になる。食べたい食べたい。涎が垂れて舌舐めずり。戦いは嫌いだが喰らう為なら何だって。嗚呼もう少し肥え太らせた方が良いだろうか? という訳で絶食飽食主義者の閉じられた口を狙って撃つ。開かせ食べ物をねじこみたい。されどそれが開く気配は微塵もなかった。そんな事より食べたい。
ディアボロは人の死体から出来ている為に『人として』倫理的に禁じられている『悪魔食い』だが、そんなものこの狂人にはどうでも良かった。例えその結果どういう目で見られようとも。
痛みを振り払う様に悪魔が大きく手を振るった。
それは雅隆を巻き込み、誘導されている中途だった一人の一般人の首を刎ね飛ばさんと迫る。だがそれの頭部が切り離される事はない。結が庇護の翼で護った体。
嗚呼、天魔。悪い奴。九十七は犬歯を剥く。その視線の先では、衝撃に転倒した一般人にここぞと喰らい付く他の者。凡そ正気の沙汰ではない。
「具体的かつ強力な攻撃手段を持たずとも、兵糧攻めたぁ、やってくれるじゃねェかですの……腹が減って戦は出来ずとも、目の前の阿呆に喰らい付く位、雑作は御座いませんですよ?」
こういった、間接的な手法を持つ手合いは苦手だ。だからこそ一層の嫌悪感。涎を垂らして躍り掛かってきた一般人の腕を躱して、建物の外へと焼きそばパンを放り投げた九十七はライフルをその手に構えた。
腹が減った――視界がぐるぐるするのは先程空きっ腹に流しこんだウォッカの所為か、悪魔の所為か。悪魔の所為だ。だってこいつは悪魔だから。よしころそう。
「極殺ジャスティイイイッスギャハはハハHa!! きったねぇ中身ブチ撒けて死に晒せや■■がァアあアッ!」
自分は正義だから悪いモノは抹殺せねば。激しい空腹と揺らぐ視界とトんだ意識と、迸る銃火と弾丸と。
(あまり、こういう行為は好きじゃないですけど……)
義手に喰らい付く一般人をそのまま建物の外へ引っ張りながら結は思う。食べ物に敬意を持っているが故に、それで人々を吊るという行為に好感が持てないのだ。だがこれも作戦。作戦中。全ては作戦だから――
「……ッ」
この、自分の腕にむしゃぶりつく男に、向けられる数多の視線に、恐怖を覚えるなんてあってはならないのに。
疼く痛みは過去の記憶。汚い。汚い。辱められた過去。汚い。汚い。皮膚を全て掻き毟って捨ててしまいたい衝動。嗚呼どれだけ壊れて『ひとでなし』になろうと、所詮人間である事からは逃れられない。所詮。所詮。
「こいつを作り出した奴のセンスを疑うのじゃよ」
ディアボロのあまりにあまりな外見。溜息。美具は鞭を握り直す。
「ウルルウマウマ! 往くのじゃ!」
バハムートテイマーの本領発揮。自分は悪魔の能力の及ばぬ安全圏。しなる鞭の音にずんぐりとしたぬいぐるみのようなスレイプニルことウルルウマウマが蹄を鳴らして悪魔へ吶喊を仕掛け、槍の様な器官で鋭い一撃を喰らわせた。
(ふむ……)
回避能力はそこまで高くはない様だ。だが、その分タフネス。それが美具の推察結果だった。
――それにしても酷い飢えだ。
咲は虚ろな目で銃を撃っていた。撃っていた。撃っている。お腹が減った。なんであのフライドチキンあげちゃったんだろ。勿体無い事したかなぁ。お腹が空いた。
その目の先には大きな胃袋。美味しそうだと思った。
「うへへへへ……」
正気の無い目で、だらり手を垂らして、ふらり一歩踏み出して。
「……はれぇ?」
進めない。何故? 空腹に同じく狂った雅隆が背後から彼女に組み付き、その首筋に喰らい付いたから。ずるずる血を啜る音が聞こえた。血の臭い。誰かの臭い。
「おいしそうなにおい……」
がぶり。
それは、或いは何もかもが、常軌を逸していた。
やれ、酷い光景だ。一般人の誘導を終えた薊が戻って来る。外に追いやった一般人には撃退士達が持ち寄った食べ物を全てやった。長くは持たないだろうが、少しは持つだろう。
その間にケリを付けねば。
「小等部をなめんな! お腹一杯、銃弾喰らええ!!」
薊が構える銃から放つはスターショット。流星の軌跡を描く弾丸が唸りを上げて空を裂き、絶食飽食主義者に突き刺さる。冥魔を討つ光の弾丸はいっそうの苦痛を与える。
さぁもう一発。薊は弾丸を装填しながら悪魔を見澄ます。空腹に耐えながら。奥歯を噛み締める。
と、その視界の真正面で。揺らいだ人影一つ。千織だ。涎を垂らし。飢えた目。『食べ物として見られる』という本能的危機感が薊の背骨を駆け抜けた。
伸ばされた少女の手が少年を掴む。制止の声など届かない。振り解こうとする最中に、薊は見た。絶食飽食主義者が振り上げた、両の腕――
ずしん。
重い鈍い音が響く。土煙。地面に叩きつけられた悪魔の長い両腕。その下ではひび割れた廃墟の床と、それをじわじわ彩ってゆく赤い赤い赤い血液。力無く投げ出された人間の手。ぶすぶすと肉の焼ける音が響くのはディアボロの手から分泌されている強い酸の所為だ。
おのれ悪魔。結は澱んだ目に憎しみを宿し刃を抜き放つ。銀の煌めきが廃墟に奔った。
「くたばり、なさい……悪魔が……!」
一気に間合いを詰めて、振り下ろすは暴虐の一閃。悪魔の血に飢えた光の一撃。口をこじ開けようと突き立てられる刃。されど悪魔の口は開かない。血が流れるだけ。
ぶるんと振るわれるは悪魔のハラワタ。九十七のビーンバッグ弾によって威力を殺されながらも周囲の撃退士達を殴り付ける。
「うわーん、いったいよー」
悪魔だけでなく気を抜いたら仲間が敵として襲い掛かってくる状況。逆に自分が仲間の敵ともなってしまう状況。シールドでダメージを軽減したとはいえ咲は傷だらけだった。泣言で口を歪めながら気を制御し傷を癒す。
一方では同じく正気に戻った雅隆が赤刃の爪を振り翳しディアボロに迫る。
「はははははははははは」
正気が『正気』かどうかはさておき。迅雷。切り裂く一閃。しかし絶食飽食主義者の口は開かない。
「やりやがったなやりやがったなぶっ■して■■ひん剥いてやるァあアああ!!」
九十七の咆哮。ショットガンを手に吶喊。引き金を引けば、対装甲用特殊液体金属弾が放たれ胃袋を腐敗させる。
あぁクソ、空腹だ。胃が痛い。空腹を耐える為に噛み締め過ぎた唇は裂け、剥き出しになった歯は赤い。
そこへ振るわれた悪魔の手が横薙ぎに九十七の顔面を殴り付ける。大きく蹌踉めいた上体。されど脚をバンと踏み締め、鼻血で更に顔面を赤く染めながら修羅の様な眼光で睨ね付ける。
「ガぁあアあああ阿あAhアアアぁああァああ!!!」
濁った絶叫を迸らせて。構えた銃口から噴出させるは超高温超高圧アウル発砲焔――まるで荒れ狂う龍が火炎を吐くが如く。喰いついてでも、攻撃を。攻撃を。
「悪魔――殺す――抹殺――殺す――殺す――」
そこへ立て続けに仄暗い光を目に湛えた結が暴力的に刃を突き下ろし、雅隆は涎をだらだら垂らしながらへらへら嬉しそうに戦っている。
なんだろう、ここには気狂いしかいないのだろうか。美具はこの仲間達が『仲間』で良かったと改めて思う。
「美具も良い所を見せるのじゃ! ウルルウマウマー!!」
まるで軍師の如く、高らかに放つ声としならせる鞭。応えたスレイプニルが宙高く跳び上がった。
「いくぞ本命必殺――アバ、ドーン!!」
喰らうが良い。この時の為に綿密に重ねた観察実験分析集中。
美具の命令に忠実に従い、重力に乗ったウルルウマウマが急降下を敢行する。真っ直ぐ。一直線。質量重力破壊力、落ちる衝撃の一徹。
「まだまだ、もういっちょ!」
鞭が地面を叩けばもう一度召喚獣が飛び上がる。
その間に結と雅隆は肉薄して刃を振るい、九十七と咲は弾丸を放つ。
撃退士達は戦った。
耐え難い空腹に抗いながら。
血を流しながら。
奮闘、奮戦、確かに彼等は勝利する為に戦っていた。
だが――だがしかし――ディアボロは尚も健在。
疲弊し切った撃退士は状況に歯噛みする。
泥沼。じりじりじわじわ削り合う消耗戦。何故。何故。攻撃はしている。だが。
「畜生、がァア……!」
「っうぐぐ、もうヤバイよ冗談抜きでっ……!」
噛み締めた歯列から荒い息を漏らす九十七はそれでも諦めずに前へ、悪魔の一撃に打ち据えられながらも銃口を前へ。咲も粘る。隙あらば攻撃を試みる。だがその意気は荒く、失血の所為で顔色は良くない。
絶食飽食主義者にウルルウマウマの落下攻撃が命中する。反撃の猛攻に雅隆が吹き飛ばされ、壁に強かに叩きつけられてしまった。
結は舌打ちを噛み殺して剣を構える。彼女の白い肌もまた、悪魔の酸に焼かれ爛れて赤い色。
攻撃を。攻撃を。している。しているつもりだ。
攻めきれない。
行動予定や戦闘予定をあまり立てていなかった者は苦戦を強いられ、綻びを修繕しようと奮闘するも倒れてしまう者も居り。如何にヴァニタスほど強さは無いディアボロとはいえ、決して弱くはない相手なのだ。
振るわれる悪魔の腕にまた撃退士の血が散った。更にそこへ。物音。一般人が喰い合う音、或いはフラフラやってくる者の足音。されどもう撃退士達には彼等を誘導する為の食べ物がない。
――これ以上は危険だ。
全員が失敗を犯したと言う事はないだろう。しかし、複数人で動く以上は『連帯責任』が発生してしまう。
個々の力で何とかならないからこそ撃退士はチームを組んで任務に挑むのだ。
これ以上は危険だ。嗚呼、全くその通りだった。これ以上は被害が増えるだけ。九十七のアイコンタクトに美具は頷き、ウルルウマウマに倒れたものを担がせる。結もまた意識無き者へ肩を貸した。
悔しさを、噛み締めた奥歯の底にぐっと圧し込んで。
最後に絶食飽食主義者を振り返って睨みつけて。撃退士は走り出す。悪魔と、救えなかった一般人をそこに残して。
呻き声が背後。夜を駆ける。懸命に。ディアボロが追いかけて来ない事を祈りながら。
走った。走った。走った。
……そして全ての状況は冒頭に遡る。
暗い夜空に響いた、悪態。沈黙と暗転。
『了』