●月と鈍痛
ユラユラ水面、暗い水面、赤い水面、プカプカ死体が浮かんでいるのが遠目からでも分かる。双眼鏡で池の様子を窺っていた大谷 知夏(
ja0041)は眉根を寄せた。人の死体。見ていて快いものではない。うつ伏せだからまだマシだが、仰向ければその腹はきっと――いや、止そう。いかに元気っ子の彼女でも、人の死を目前にしてまで明るく笑える程ドライではない。
「騒ぎにならない内に、迅速に解決したい所っすね」
その言葉に「そうだねぇ」と気儘な声で答えたのは春塵 観音(
ja2042)。池の傍にて釣りをしている。
「針金魔虫が釣れたらどうしよう……!? キャッチアンドリリースかな!? いや! リリースしちゃまずいか! まあ、釣れたら陸に上げて殺す!」
「先輩、シーッすよ!」
「あっと、ごめんごめん」
テヘペロと薄い唇から舌を出し、不健康そうな男は釣りを続ける。二人の役目は池の底に潜っているディアボロの監視だ。胡乱な気配は今の所無い。ボーッと浮きを見詰めて観音は思う。
(寄生されて同じ人に殺されるとか最悪だけど、ま、永眠もわるかねえか)
不眠症。眠くもないのに欠伸を一つ。
(皆もやだろうな、殺すの)
現実は無情だ、何処までも。嗚呼もう一回欠伸でもしたら眠たくなれるだろうか、そんな思考の無駄遣いの直後。観音の鼓膜を打ったのは知夏が自分を呼ぶ声だった。振り返る。少女は池を指差している。
「気付かれたみたいっす……!」
池の中、ユラユラ。黒い影が、寄って来る――
住宅街はガランドウだった。
『害虫駆除の為に外を出ず窓も閉め切るように』と振れ回った撃退士であるが、『役所の者なら分かるが、どうしてこんな子供が、しかも夜に?事前連絡も無しに?』と訝しむ者が圧倒的多数だった。なので身分を明かせば、一般人達は即座に理解する――久遠ヶ原学園、撃退士の学校の生徒。彼等は撃退士。撃退士が居る、という事は、天魔が出没したという事。天魔に関しては自分達より豊富な知識を持つ撃退士の言う事を聞かない道理は無い、誰もが家に籠り、窓を閉め、灯りを消して静まり返っている。
シンと静まり返った住宅街を歩く地領院 恋(
ja8071)は一人、怖い表情で辺りを見渡した。生命探知――家の中でじっとしている人の気配。きっと彼らの心にあるのは恐怖と不安だろう。暗い家の中で、早鐘の心臓を抱えて、家族と寄り添って、震えているに違いない。
と、最中。何かが近付いてくるのを探知する。出歩いた一般人か?否、違った。それとも半分正解か。街灯の明かりの向こう側、ふらついた足取り、膨れた腹、虚ろな表情。針金魔虫に寄生された一般人。
「虫だろうが何だろうが、生きてるんなら全部獲物だ」
仲間に発見の連絡を送りつ、恋はそっと物陰からそれを窺う。寄生体の腹の下で蠢く虫。嗚呼、愛してやるよ。だって、殺せるから。
「夜は眠いのですが……頑張るとします」
グロテスクな物が徘徊しているとなれば、安眠も出来やしない。シルクハットの影に隠れた目を眠たげに擦りながらハートファシア(
ja7617)が言ったその場は公園だった。ロープで封鎖されたそこには人影は無い。
「救えない、か……」
呟いたのは麻生 遊夜(
ja1838)。ならばせめて苦の無い最期を願わずにはいられない。被害者の尊厳は守らねばならない――その手が届くのならば、彼が彼である為に。
「ハリガネムシ型の冥魔とか……。想像するだけで悪寒が走るわ……」
どこぞのSFホラー映画みたいだと巫 聖羅(
ja3916)は身を震わせる。その、直後。懐中電灯の灯りの向こうに胡乱な人影が。歩いてくる。
「……奇生体発見」
聖羅の声に高まる緊張。ふらつきながらも朧な意識で歩くそれに、黒井明斗(
jb0525)は悲痛な表情を浮かべた。
「助ける事が出来ず、ごめんなさい」
その声が届いたかどうかは分からない。だが、言わねばならなかった。その様子に向坂 玲治(
ja6214)は神秘を纏いつつ誰とはなしにボヤく。全く後味の悪い仕事になりそうだと。
斯くして前へ一歩出たのは遊夜だった。じわり、赤黒い霧をその身に纏う。討たねばならない、殺さねばならない、この手で、ヒトを。助けられないのであれば苦しませない様に一瞬で意識を刈り取るがせめてもの慈悲かと、一歩、一歩、その人に近付けば、死神の襤褸がその視界を黒く、黒く。
「今楽にしてやる……すまないな、助けれなくて」
直後の銃声。飛び散る赤。頭を撃ち抜かれたその人が緩やかに倒れた。
そして、その腹部が一際蠢き。ボコリ。ボコリ。嗚呼、とても直視できる光景ではない。蠢いている。その瞬間、ばちゅんと何かが爆ぜ破ける様な音がして、血が飛び散って、その人の腹を突き破って出てきたのはハラワタ――ではない、黒い黒い、長い、ずるずる、臓物をその身に絡め込んで、ズルリ。這い出てきたのはディアボロ。針金魔虫。
「――行くわよ……喰らいなさい!」
他班への連絡を終えた聖羅は烈風の忍術書を開き、その身に纏う真紅と同じ色の刃を悪魔へ繰り出した。命中する。堅い。ずるり。宿主から出きった魔虫はその場で滅茶苦茶にのたうった。硬い体は振り回すだけで武器となり、撃退士達へ襲い掛かる。玲治は舌打った。やれやれだ。振り下ろされた血と臓物つきの一撃を戦鎚で力任せに薙ぎ払って防ぎ、嘆息。
「寄生虫なんて遠慮願いたいが、俺が引き受けるしかないだろうなぁ」
その前に立ち塞がり、相手の気分を害するオーラを放った。魔虫の意識が彼へ向く。その腹を突き破らんと口を高く掲げるが――
「勝手ばかりはさせません」
明斗が翳す掌より現れた魔法陣、そこから放たれた聖なる鎖が忌まわしき悪魔を絡め取る。その隙をハートファシアは見逃さなかった。間合いを詰め、その掌より出だす雷撃。光が夜に瞬く。その光に目を細め、被害者の遺体を回収し安全な位置に横たわらせた遊夜は奥歯を噛み締める。握り締める銃。本来ならば、人を護る為に天魔を撃つ銃。なのに人を撃った銃。だが、嗚呼、今嘆いて何になる?睨め付けるは悪魔。
「俺の目から逃げれると思うなよ?」
弱点部位検索、攻撃予測線――紅いバツを一直線に狙う紅い線。それに沿って二丁の拳銃を、向ける。
「お前さんみたいな奴の為に鍛えたんだぜ? じっくり全弾喰らってくれや!」
其は闇穿つ者。擬似的に天の者となり、死神の射手は紅く輝く弾丸を放った。強烈な一撃に、穿たれた苦痛に悪魔が蠢く。暴れる。だが、戦況は撃退士の優位だった。
「この調子よ! 皆、油断しないで!」
吐きかけられた酸にふらつくも、頬を両手で張って耐え凌いだ聖羅の声が凛と響く。お返しだと言わんばかりに、放つ烈風。
「合点了解、っと」
シールドによって堅固な一撃を防いだ玲治の声。力任せな攻撃だ、尤も彼自身も力任せ気味な喧嘩殺法なのだけれども。叩き下ろすその技の名は、パールクラッシュ。直後にハートファシアが放った異界の呼び手が魔虫の動きを封じた。今だ、と少女が出す合図に頷いたのは聖羅。
「此処はお前達の世界に在らず。――滅せよ、不浄なる冥魔……!」
彼女が紡いだ呪文は絶対零度の杭となり、悪魔を貫き撃ち滅ぼした。重い音を立てて魔虫が頽れる。斃した。息を吐く。刹那。
『ハロハロ? ごめん、気付かれちゃった! ちょっとお手伝いして欲しいな!』
観音からの連絡が誰しもの鼓膜を打った。アイコンタクト。頷いたのは遊夜。「任せたのぜ」と口を開いた頃には走り出していた。
更に連絡が入る。それは恋から――住宅街の寄生体が、公園に到達したとの事。連戦に身構える。明斗のライトヒールが皆を癒す中、もう一つの影が現れ――
「……今楽にする。恨んでくれて構わねぇ」
蹌踉めくその一般人の目に映ったのは、玲治が大きく振り被った戦鎚。
水底から強襲を仕掛けてきた魔虫の吐いた酸は知夏がシールドで受け止めた。が、防ぎ切れなかった分が、少女の柔い肌を焼く。
「これしきで、負けないっすよ!」
張り上げる声で挑発し、用心深く盾を構える。じり、と徐々に移動するは仲間が来るであろう方向へ。少しでも合流を早める為に。
「音も妹的女の子に寄生したい……。おおちとかおおちとかおおちとか!」
えええ、とビックリする知夏を護る様に立ちはだかり、滅影で悪魔側へ近付いた観音は火炎放射器からアウルの炎を放った。悪魔がのたうつ。なぎ払う一撃が二人を襲った。
「っ!」
弾かれ、転倒する。脳が揺れた。だが幸いに魔虫は水に潜ってその身を隠した。今の内だ。「大丈夫っすか!」と知夏はヒールを施すと共に観音の手を引いて起こし、遊具方面へとひた走る。合流を早める為。直後に大きな水飛沫が上がる音。魔虫が再度池から現れ、その体を振るった。
「やらせなっす!」
知夏のシールドと悪魔がぶつかり合う音。ならばもう一度だと悪魔が身を振り被るが、その黒い体を穿って怯ませたのは遊夜の一撃――破魔の射手。蒼の一撃。
お待たせ。言うと共に魔虫を見る。銃口を突きつけて。
「この程度じゃ終わらないよなぁ?」
重いの一撃がキモチイイ。
「……っきひヒヒひ。気色悪いんだよぜんぶ全部全部潰して、潰してやるっ! あははははぁっ!」
恋が叩き下ろす鉄槌が堅い悪魔に襲い掛かる。何度も。何度も。ケタケタ笑うその様は正気のそれとは思えない。血走った目。開ききった瞳孔。狂喜に歪めた口元からは声にならぬ笑い声と荒い息が漏れている。
「ッははァ! 虫の癖に、耐え切るなんてイイ根性してんじゃねェか! 殺すッ殺すッ殺して殺して殺して殺して殺してやるッッ!!」
本当は虫と幽霊が苦手で。本当は教師からの説明を聞いて帰りたかったが。それでもこの任務を受けたのは、教室に残ったのは、ただの強がりだ。本当は虫が怖いだけ。だからこそ、戦闘時の豹変も相俟って正に彼女は『発狂』していた。
「ははっ は、ハハハハハハハハハァ!!」
纏う紫電が夜に輝く。己の傷も気にせぬ程に、品も容赦もなく戦鎚を振り回す様は獣の如く。生きとし生ける者は皆平等だ、彼女の前では。全て、獲物。そこには矜持や正義など、無い。
玲治のタウントによって意識を惹きつけられた魔虫が彼へ攻撃を繰り出す。シールドと寄生虫がぶつかる音。そして、ハートファシアの異界の呼び手を力任せに薙ぎ払う。吹っ飛ばされ意識を刈り取られた者は明斗が庇い、その傷を癒した。
そんな光景。恋は歯列を向く。その体には紫の魔法陣が幾つも浮かび上がっていた。
「何ォ処向いてんだよぉッ!!」
突きつける指先より爆ぜさせる、激しい雷。それは神秘の毒、悪魔の体を封じる毒。寄生虫の体に浮かんだ魔法陣が蝕みの証。動けぬ悪魔へ、それへ、その目の前で、恋は大上段に鎚を振り被った。爆ぜる紫電が一層輝き得物を覆う。
そして。
叩き下ろした。落雷の如く。叩き潰した。本能のままに。
クリアランス。知夏が放ったそれが遊夜を蝕む痺れを払拭した。そんな彼女の傷は、彼が放つ紅い癒光<束の間の善意>が治療する。
見遣った。今だ池の針金魔虫が倒れる気配は無い。
しかし、彼等の心に不安は無かった。寧ろその逆だった。
「知夏たちの勝ちっす!」
勇気凛々と言い放った、知夏の背後。5つの影。誰一人欠ける事無く、武器を手に神秘を纏い敵を見据える撃退士達。
「――お待たせ……!」
聖羅は一瞬安堵した表情を見せたが、すぐにそれを引き締めて。
「これで全員集合……一気に終らせましょう!」
「あぁ、これで終わりだ」
遊夜は静かに銃口を向ける。さようなら、と引き金を引いた。
●夜は沈む
8人。撃退士達の総火力に、最後の悪魔が活動を止めるまでには僅かな時間しかかからず。任務終了の達成感と、戦闘の疲労感とに一同は大きく息を吐いた。
「痛いの痛いのとんでけ〜っす!」
知夏はありったけの回復スキルを用いて仲間達の傷を癒す。柔らかい光の中。ようやっと戦いが終わったのだと恋は自覚するや、糸が切れたかの様にその場に蹲った。自らの腕を抱き、震えている。そこに先程の狂戦士の面影は無い。
「……怖かった」
涙目で、小さな小さな声で。怖かった。思い出したくも、ない。
一方で、犠牲者の遺体は遊夜と聖羅が回収していた。遺族への連絡は自分が行うと遊夜は言った。反対する者は居ない。一つ息を吐き、聖羅は犠牲者の傍らにて黙祷を捧げた。
「犠牲者三人……どうしようもない結果だな」
「どうか……安らかにお眠り下さい」
ハンマーを担ぎ直した玲治の呟きに、手を合わせ祈りを捧げるハートファシア。聖羅は静かに瞳を開ける。その紅い双眸には、怒りが燃えていた。
「……これは高く付くわよ。悪魔共……」
そんな中――明斗も同じく犠牲者へ黙祷を捧げていたのだが、
(こいつらも……こうゆう風に作られた……)
動かなくなったディアボロにも哀れさを感じてしまう。空を仰いだ。星が見える。月がある。嗚呼。神よ。助けられなかった。懺悔と共に閉じる瞳。少年は優しかった。だからこそ、心の底から怒りに震えた。だが彼は幼かった。助けられなかった。悔しかった。哀しかった。溢れる感情。無念で、無念で、涙が零れる。ぼろぼろ、と。
風が吹いた。ひやりと冷たい風が。
さて。ハートファシアはシルクハットを被り直す。
「……帰って眠りますか」
そんな呟きが、夜に消えた。
『了』