●Liddell!
下る下る、下へ、アンダーグラウンド。コンクリートな匣の中。薄暗い。10人分の足音。
伝わる空気から鼓膜を肌を微かに振るわせるのは、脳を揺さぶる様なサウンドの残滓。
確かな気配。
「やれやれ、なんでこんな、ことができるかねー」
眠たげな眼、微睡む様な声。黒い服を翻し平山 尚幸(
ja8488)は緩やかな苦笑を浮かべる。対照的に精悍な顔を嫌悪感に顰めて吐き捨てたのはレグルス・グラウシード(
ja8064)だった。
「……気持ちが悪い……これが、悪魔か!」
握り締める拳に我知らず力が籠る。全くだ、カーディス=キャットフィールド(
ja7927)も今日限りは眉根を寄せて同意する。
「ヴァニタスだけあって欲望全開ですね」
きっと人間には理解し得ない境地なのだろう。マキナ(
ja7016)は息を吐き捨てる。撃退士達が向かう先。地下の世界。そこで繰り広げられる『狂宴』――頭が無い癖に頭が可笑しいヴァニタスの悪趣味な遊戯を、踊らされる一般人の事を、撃退士達は知っていた。
それらを救うのは至難の業かもしれないが。
「出来る限り、助けたいですね」
「うん……狂宴の阻止、とはいうものの、救いたいよね」
カーディスの言葉に頷く青空・アルベール(
ja0732)の表情は、内心は、『落ち着いている』と言えば嘘になった。
(死んでいい命なんて、あるわけない……あるわけないんだ)
それでも『ヒーロー』は狼狽えないと、押し殺す。
「吐くのも泣くのも全部後でする。……今はこの狂想曲を、全力で歌いきんねん」
亀山 淳紅(
ja2261)は深呼吸を一つ。やらねばならない事がある。その為に、自分はここに来たのだから。
やるべき事をやる。マキナ・ベルヴェルク(
ja0067)も同様、彼女は偏に拳を揮い、戦場に幕を引く為。終幕の為。それが例え、狂宴と紙一重であろうとも。拳を堅く握り締め、銀灰の髪を靡かせる。
徐々に、徐々に大きくなってゆくサウンド。狂宴の気配。
「首なしのミスタ、ね」
指先にカーマインを遊ばせて、ジェーン・ドゥ(
ja1442)は嘯き嗤う。
嗚呼、首がないのは残念だけど。
嗚呼、嗜好は少々違うようだけど。
嗚呼、唆す手管も面白い事が好きな所も。
「――ええ、ええ、気が合いそうだ」
帽子の影、飴を転がし魔女は微笑む。眼前には最後の階段。地獄逝きの13階段。一つ一つ下って逝く。詠いながら。
さて、さて、地下の国へ行くとしよう。
白兎なんて居ないけれど、ね!
●BEDLAM!
斯くして辿り着いたのは大きな扉の前。生々しく伝わって来るサウンド。震える空気。
様子を見んと青空はドアを微かな隙間だけ開いた――壁とドアに隔てられていた音が空気が生に雪崩れ込む。
先ず見えたのは始まったばかりの殺戮大会だった。それから躍るミラーボール。感覚を開けて設置されたスピーカー。その奥には一段高い小さなステージがあり、上質な椅子があり、それを護る様に囲む5人が居り、伏せ寛ぐディアボロが居り、そして、そして、そして。
「ハロー坊や。コソコソしてないで出ておいで?」
首なし悪魔、マイク。
気付かれた。気付かれていた?
否。今はそれを気にしている場合では。時では。
「狂気の沙汰ほど面白いィ……私もそのお祭りに混ぜなさいよォ♪」
開いた瞳孔、くつくつと笑う咽、黒い髪をぞろりと靡かせ黒百合(
ja0422)がドアを開け放った。10人の撃退士達。退治するは、悪魔達。
「おーなんだかいっぱいいるねー大変そうだなー」
特にあのスピーカーが煩いと口を尖らせつ鬼燈 しきみ(
ja3040)は好転すると共に阻霊符を発動する。体を撃つ殺意。体を蝕むサウンド。すぐ傍で起きている惨劇。少女の頬に血が一滴、飛んだ。そこには常識や理性なんてものは、無かった。
「ん」
それでも。これが『お仕事だから』としきみは頬を拭い、蛇腹剣を構える。がんばろうねーいえーい、いつもの様子で声を発し。
「いらっしゃい。遊びに来たのかな?」
悪魔には彼らが『撃退士』なんてとうに分かっていた。控える下僕達が殺気立つのをそのままに、無い口でクスクス笑う。さてどうしようか。殺そうか。10人に向けられる、混ざりっ気のない殺気。肌で感じる。
これがヴァニタス――紛れもない、『強敵』。
「それじゃあ死んで貰いませう♪」
顔は無いが『ニッコリ笑った』、そんな確信。向けられる掌。構築された魔法陣。
されど、そこから死が、暴力が撒き散らされる事は無かった。流れを切り裂いたのは尚幸の弾丸、天井に撃たれた銃声。狂った一般人は止められずとも、それはマイクの気を惹くには十分で。
「どうも、こんにちは、ヴァニタス『首なし悪魔マイク』。突然だけど提案があるんだ」
「どうも、こんばんは、撃退士の……なんて言うの? まぁいいけど、何かな? 言って御覧」
マイクがただの暴力馬鹿タイプのヴァニタスでなくって良かった。『提案』。撃退士から出されたカードにヴァニタスは脚を組み、興味を示す。てっきり「死にくされこのクソ悪魔がァー」って殴りに来るかと思ってた!
「自分は平山尚幸という。……この宴をもっと面白くしたくはないかい?」
「ほうほう。その内容とは? まさか『ファ■キンヴァニタスのサノバビ■チ野郎が死ぬ事だぜベイベー!』とか言わないよね? そうだったら遠慮なくぶっぱするお」
爪先をユラユラ。そんなマイクに「まさかまさか」と尚幸は笑みと共に掌を見せた。
「きみの信者と自分たちで戦うんだ。一般人の命を賭けてね。こう見えて、ロマンティストなんで、全員助けたいと思っている。だから、受けて貰えると嬉しい」
「自分らが歌う狂想曲も、それなりに聴きごたえがあると思いますよ? どうでしょう、一曲。お聴きいただけませんか?」
薄笑いを浮かべる淳紅も加わり、マイクの首なし面を見遣る。斯くして悪魔が返した言葉は。
「うんいいよ」
予想外の、二つ返事。と言うより即答。楽しそうだ。楽しそうだった。愉快そうに。魔法陣を消して、マイクは笑う。
「ッハハハハハハハハハハハ、なんだ、アレだ、ははははははははは。なァんだ、人間にも、モノが分かってるのが居るじゃあないか。嬉しいよ。それにとってもとっても面白そうじゃあないか! いいよ! おもしれーから『YES』で!!」
ヴァニタスが指を鳴らす。5人の覚醒者がステージから降りたった。
「ただ〜〜しルールは吾輩が決めるぞよ!」
ビッと指を突き付けて、曰く。
1、5対5の乱戦、それ以外の戦力が介入(当然、回復支援や道具譲渡とかも駄目〜!)した時点でルールは破られたものとして吾輩が好き勝手にするぞ!
2、不平等だから『音魔法』の『回復の恩恵』『身躱しの恩恵』はどちらの5人も得られないが、『蝕む呪い』は両陣営の5人にも付与される!吾輩は優しいのであ〜る。
3、悪魔側1人戦闘不能の度に一般人2人の『洗脳』を解こう、そのかわり撃退士1人戦闘不能時の度に撃退士が一般人2人を殺せ!約束破ったらこっちも約束を破るぞ!
「ルールはたったこの3つだ、3つなら簡単だろう?」
疑問形の癖に、きっと撃退士達に拒否権は無いのだろう。否、交渉に悪魔が取り合っただけ僥倖と言えるだろう。
5人の覚醒者達が前に出る。黒百合、ジェーン、カーディス、淳紅、マキナ・ネクセデゥスが前に出る。ステージの前、マイクの眼下、それを囲む様に出現する魔法の壁。邪魔ものが入らぬ様に。逃げ場無きステージ。戦場。
そしてマイクは大きく両手を広げて、高らかに、楽しげに、声を張り上げる。
「さぁさ見せておくれよ、痺れる程の『ヒーロー』って奴をさァ!!」
――そうして始まった、撃退士と悪魔の、死闘。
交渉が成功したのは撃退士達の作戦勝ちだろう。だが、交渉の間にも命が失われた。交渉の代償。ならば、それ以上に救えば良い。急がなくては。
或いは。
負けられない。己が倒れる事は、3つの死を意味する。下手をしたら己が殺されるかもしれない、それ以前にこの気紛れな悪魔がルールを破らないとは言い切れない。
ワクワクしている悪魔の眼下。
撃退士達は迅速に行動を開始する。
「んーあれだねーそれじゃぶっ壊そー」
淳紅の音響芸術能力を始め、他の者の感知能力によってスピーカーの判別に苦労する事はなかった。撃退士達の体力を蝕む音を発するスピーカーへ、しきみは音も気配も無く一閃に駆ける。ズン、ズン、とサウンドが脳に響く。早く叩き潰さねば。振るった一閃――堅い。簡単に壊す事は出来ないだろう。
青空もアサルトライフルを構え、スピーカーを狙う。その横合いから闘争心を剥き出しにした一般人が襲い掛かって来た!
「っ!?」
彼等にとっては撃退士も他の一般人も区別無しなのだろう、振り下ろされた鉄パイプを銃身で受け止める。『目を覚ませ』――そう言っても、おそらく届く事はないのだろう。何度も得物を振り下ろすその目はおよそ人のものとは思えぬものだった。歯噛みし、青空は一般人の鉄パイプを銃先で払い飛ばすや催涙スプレーをその顔に吹きかける。行動力は大きく削いだ、が、それでも彼等は、暴れる。その上、行動不能に陥った者を好機とばかりに狙う者まで現れる。
「くっ……!」
行動不能になった者を護り拘束しつつ、襲い来る一般人を捌きつつ、尚且つスピーカーの破壊――無我夢中だった。我武者羅だった。1人でも多くの救出に喰らいつく。暴れる者の足の甲を弾丸で撃ち抜いてでも。生きてる事が大事。生きていれば。死ねばそこで終わりなのだ。
「自分の人生は最後まで背負うべき。生まれ変わるなんて、戯言じゃねーかっ!」
張り上げる声。とてもじゃないが、優しい彼は心の中を冷静一色に保つ事など出来やしなかった。それは一般人救出に当たっているレグルスも同じ事。
「……ごめんなさい!」
暴動の真っ只中。レグルスは小さな詫び声と共に催涙スプレーを一般人に吹きかけ、混乱した物の後ろ手をビニール紐で拘束せんとする。心優しい少年にとっては辛い行動だった。離せと咳き込みもがく者は手首の皮膚が裂けようが拘束を引き千切ろうとする。そして、行動不能に陥った一般人の何よりの敵は――同じ一般人だ。動けない今の隙に、と一般人の誰かが投げたダガーが。刺さった。拘束した一般人の目に。レグルスの目の前で。男の絶叫、表情から血の気が消える少年。
ヒトを、ヒトが、殺す。
殺し合っている。
助けたいのに、助けに来たのに、彼等は自分達の目の前で殺し合っているのだ。
それでも。少年は奥歯を噛み締める。悲鳴を上げる一般人を抱え上げて、部屋の隅へと走った。目が、目が、泣き叫んでいるその男に、レグルスは。
「でも……死ぬよりは、マシでしょう!?」
一般人の力では撃退士に致命傷を与える事は出来ない。それでも、掠り傷は。それでも、心の傷が。更にスピーカーからの音が。
小麦色の肌を痣だらけにして少年は奮闘する。
神天崩落・諧謔――『終焉』の黒い焔がベルヴェルクの拳に灯る。偽神となった少女は、先ず音によって仲間を苛む機械を破壊せんと地を蹴る。が。
「……!」
それに並走する二つの巨影。紅豹、蒼虎。ディアボロ達が左右から焔と氷の爪を振り被り――体を穿ったのは衝撃。吹き飛ばされたと知るが、空中で身を翻し転倒は防いだ。辛うじて防御した腕は肩ごと切り裂かれ、生身の方の腕からは鮮血が滴り落ちている。
猫か。
裂けた頬から真っ赤に流れる血を拭い、身構える。その前にて牙を剥くは紅豹――黒と紅の焔が、交差。激突。貪り合う。
蒼虎の方は一般人救助に当たっていた尚幸へと襲い掛かった。放たれる氷の弾丸を迎え撃つは、
「ヒャハッ ヒャハハハハハハハハハハハハハぁアあぁ嗚呼あハハははハはハ!!!」
トリガーハッピーの乱れ撃ち。
一方――響く戦闘音楽は、人間側のアウル覚醒者と悪魔側のアウル革醒者が奏でるモノ。
「おらぁあああああああッ!!」
戦気を漲らせ、マキナがありったけの膂力を爆発させて斧槍を薙ぎ払う。それはディバインナイトの刃盾にぶつかり、堅い物同士がぶつかり合う高い音と赤い火花をパッと散らせた。飛び下がる。刹那、アストラルヴァンガードが放った戦乙女の槍が彼の腹部に突き刺さった。
「ぐ、がは……ッ」
迸る鮮血。蹌踉めく足。されど得物を地面に突き、足元を己が血で真っ赤に染めながら。彼は笑うのだ。にまぁと口角を吊り上げ、歯を剥いて、開いた瞳孔と荒い息と確かに脈打つ心臓で。はぁー。はぁーっ。生きている事を実感する。実感できる。「不謹慎だ」と理性は言うが、「楽しもう」と本能は嗤う。折角の狂宴。踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら……嗚呼。戦おう。楽しもう。零になるまで貪り付くそう。
「上等じゃねぇか……このままやられっかよォぉおあ! 来やがれ糞共が!!」
蒼焔のオーラがその闘志に応ずるかの如く一層激しく燃え上がる。手加減なんてナンセンスだ、殺す。ころしてやる。
そうじゃまなにくいりずたぶくろはきりさいてふんでこわしてつぶしてひきさいて殺してしまえば良いんだそれだけの話だ。ドズン。黒百合の頭部に直撃した阿修羅の破山、吹き上がり迸る血。しかし黒百合は金襴の目を三日月の口をニィと笑ませて漆黒の大鎌を振るった。ケタケタ。真っ赤で真っ赤で真っ赤過ぎて、もう誰の赤だったか。分からないからもう全部赤くしよう、そうしよう。
「チョーイイネ、サイコー☆ みんなみんなキッチーで最高にCOOOLだぜ。なに君等、撃退士じゃなくってこっち来れば?」
血みどろの闘争にマイクは手を叩いてハシャいで居る。
(……口も声帯もないのにどうやって歌うんやろ?)
淳紅はそれを視界の端に留め、浮かべるは不敵な微笑。怒りも嫌悪も偽善も飲み込み、舞台の上で謡い続ける狂宴の役者。紡ぐ呪文は旋風を現す楽譜となり、阿修羅の体を包み込む。切り裂く。赤が散る。直後、撃退士側を強襲したのは鬼道忍軍の火遁とダアトのファイヤーブレイク、炸裂する二つの業炎だった。
「うぁっ……!」
高熱が少年の赤い頬を焼く。熱い。痛い。悪魔崇拝者達は悪魔の為に喜んで戦っている。一般人達は欺瞞に肉付けされた希望を盲信して己を忘れ殺し合っている。暴力。ひたすら暴力という毒が濃密に蔓延した空間。耳に痛い下卑たサウンドは未だ止まず、血だけがダラダラ流され続けていく。
(『狂気』? こんなものが?)
表情が引き攣りそうになるのを堪え、汚らしい豚を見る様な侮蔑の目付きでマイクを睨む。
「……あんたヴァニタスやろ? こんなん狂気でもなんでもない。『普通』や。つまらなすぎるで、マイク」
「普通ほど狂気的なモノはないと思う吾輩に何か一言! それと、吾輩を刺激しちゃってもいいのかい? 折角こうやって、『何もしていない』吾輩を挑発しちゃっても。スタンダップ青春しちゃうぞ?」
可笑しそうにマイクは笑う。この現状。マイクが『観劇以外の行動をしていない』だけでも奇跡と言えた。この状況はある種、奇跡。撃退士達の作戦勝ちとも言えただろう。
「嗚呼。されど、されど今だ結末は『神のみぞ知る』――一体僕らの踊りの果てに、何が待っているんだろうね?」
暗い昏い地面の下は真っ暗で、何一つ分かりやしない。嘘も。ホントも。表も裏も、ヒトもアクマも。
嗚呼此処が兎を追った少女が堕ちし地下の国なら。
「此処は御伽の箱庭、我が領域。──現実? 常識? お呼びじゃないのさ!」
噛み砕いた飴は咽の奥へ。飴の無くなった棒は指の上。ジェーンは額から垂れる血もそのままに。鬼道忍軍へ突き付ける棒はまるで魔法の杖の様に。お伽噺だ。物語だ。この世の全ては紙一重。その狭間にて魔女は嗤う。
襲い来る悪魔の兵士に魔女が『物語る』は、現実に幻想を呼び込む歪な法。『茨姫』。はじまりはじまり。
「――『絡まるぞ 搦めるわ 微睡み妨ぐ不届き者め!』」
刹那、物語から飛び出した幾束もの荊が鬼道忍軍の四肢を絡め取り縛り上げる。鋭い棘を皮膚に突き刺す。絡まり搦める茨の揺り籠。永久の眠りへ誘うお話。
「はぁッ!」
縛られ動けぬそれへ、地面を蹴って強襲するのは大剣を振り被ったカーディス。空中。目が合う。見開いた鬼道忍軍の眼、は、絶望していた。死ぬからだ。もう愛する悪魔の声が聞けなくなるからだ。痛いのは怖いからだ。
人間だからだ。
ぐしっ。
叩き下ろされた兜をも割る一撃が、その大きな刃が、鬼道忍軍の身体を胸ほどまで両断した。迸る鮮血。迸る血潮。返り血。凄まじい赤。顔を拭った。死体を見ている暇はない、……見たいという気は起こらない。油断していると自分もああなるかもしれないから。
刃を構える。未だ戦いは続いている。
「うぇーこれでどーだー」
しきみが振るった一撃で遂にスピーカーに亀裂が入った。ディアボロの妨害でかなり手間取っているが、後少し。後少しだ。もう一度、と削られる体力に震える腕で得物を握り締め、一打。バキッ。砕ける感触。スパーク。ノイズ交じりの音。もう一度。もう一度。ノイズは段々酷くなり、そして音は遂に途絶える。
はぁっと息を吐く。刹那。背後から向けられた殺意にしきみは反射的に振り返っては横に跳び退いた。蒼虎の氷の爪が彼女の居た場所を深く抉る――返り血に染まった獣の目がしきみを捉える。尚幸を倒し、次は彼女を標的と定めたか。
「んー困った猫さんだー倒すしかないねー」
本当ならディアボロには感けずスピーカー破壊や一般人救出に当たりたいが、その為にこの殺気高い化物に背を向ける事は限りなく危険だろう。そもそも、しきみは『30人全員の救出』は不可能だと考えていた。実際、もう何人かが犠牲になっている。救おうと意気込んで自分が死んでしまっては元の子も無い。なれば、自分の出来る範囲で、マイクに不満足を噛み締めさせてやればいいのだ。
ふっ、と息を吐いて蒼虎が発射する氷の弾丸を回避する。だが一発が少女の足を撃ち抜いた。脳へ駆け上る痛みにしきみは眉根を寄せる。それでも容赦しないのがディアボロ、凶悪な牙の並ぶ口を大きく開けてしきみへ襲い掛かる!
「!」
その、刹那。横合いから飛んできた青い衝撃波が、瞬いた。ディアボロの目を眩ませた。青空が放った卯の花腐し。その隙をしきみは見逃さず、回避と同時に大きく踏み込みその身体を斬り付けた。蒼虎の悲鳴。
「援護するよ、思いっ切りやって!」
「おーアルルんありがとーしきみちゃんがんばるよー」
ディアボロの咆哮が響く。
「……」
ベルヴェルクはその身を血の深紅に染めながらも表情は微動だにしない。ディアボロとはいえマイクの下僕、雑魚ではない。強い。消耗が早い。とてもじゃないが『順調』から程遠い。そんな状況。せり上がる血がごぽりと溢れさせる。縛鎖の手は尽きた。己が体力が尽きるのもそう遠くはないだろう、レグルスによる治癒も無限ではなく、傷付いている者は彼女だけではないのだから。
ならば、『終わらせる』。
「レグルスさん、フォロー願います」
仲間へは居た一言。悪魔が吐いた獄炎の中、彼女は渇望を、力を、封印を、解き放つ。始まりは終わりの為に。終わりは始まりの為に。
九界終焉・序曲――旧世摧滅・終曲。そして終わりが始まる。
火刑にされながら彼女は駆けた。詰める間合い。振り上げる拳。宿した黒焔。旧世界の総て、魂さえも摧き滅ぼし焼き払う――終末の炎。黒は悪魔を、その赤い焔を飲み込んで、潰して、破壊して。終わらせた。その代償に少女の意識を刈り取って。
「マキナさん!」
倒れた彼女へ、武器を振り上げるのは一般人。割り込んだレグルスが盾でそれを受け止める。
「……できる限りの、ことぐらいはあッ!」
盾で押し払う武器。催涙スプレーを紐を使い一般人の拘束を試みる。助ける為に。
鮮血が迸って、
倒れる、また一人。
「……っ、」
阿修羅の拳がジェーンの腹部に突き刺さった。鈍い衝撃、骨の砕ける音、霞む視界。そこへダアトの追撃が繰り出されんとしたが、
「――『Io canto ‘velato’』」
その間に入った淳紅の詠唱が、紡ぐ歌が、紅い光の五線譜が迸る稲妻を受け止めた。走る火花が肌を焼く。
ふぅとジェーンは息を吐く。唇を血で染めて、至近距離の阿修羅を杖で押し払い。紡ぐは、物語り。『アリス』のお話。狂ったここにはピッタリなお話。
「『狂ってる? 狂ってる! なら気狂い防止にお一つどうぞ!』」
気狂い防止の傷縫い帽子。巨大な帽子が阿修羅の頭部を覆い隠した。目と耳を奪った。外そうにも外れない、マッドハッター。その馬鹿みたいに大きな帽子を被った頭と、体の、真ん中。白い首、目掛けて。振るったのは斧。刎ねたのは首。飛び散ったのは血。悲鳴は無い。
「首なしのミスタを慕っているなら。ええ、ええ、お揃いが良いだろう?」
そこに殺意は無く。憤りも無く。狂宴もまた良し。踊り狂うのも一興だ。全てを全てを愛してる。転がった首。見渡す周囲――嗚呼されどそろそろお開きか。マイク謹製の戦場にて立っているのは、今やジェーンと淳紅、ダアトにアストラルヴァンガードにディバインナイト。倒れた撃退士は三人。否、『外』を合わせればもっと。
覚醒者達は決して弱くはなかった。勝負すれば必ず勝てる相手ではなかった。些か作戦不足だったのかもしれない。淳紅は歯噛みする。
「口惜しいが、物悲しいが、嗚呼、これは、これは撤退しないといけないね」
撤退。ジェーンの言葉に淳紅は頷く。しかし、背には結界。正面には残った狂信者。手や背には倒れた仲間。
どうするか。そう思った、刹那。ふっと結界が消える。マイクの、溜息。
「……リザインかい?」
それは興醒めていた。なんだ。つまらない。最後までやると思ってたのに。残念だ。物凄く。向こうが持ち掛けてきたから、尚更。
「えぇ、えぇ、とても悲しいが、心が痛むが、そう言う事だ」
拗ねている首なし悪魔。可哀想で、愉快で、だから愛おしい。一般人が殺し合う音をBGMに、ジェーンはマイクへ腕を差し出した。
「──愛しているよ、首なしのミスタ?」
「――愛しているよ、首狩りの魔女!」
だから死ね。
差し出された手に浮かぶ巨大魔法陣。ああ。あれはマズイと誰もが思った。「逃げろ」と叫んだのは誰の口か。降り注ぐ黒い杭。撒き散らされる死と、暴力。その最中を撃退士達は駆けた。彼方此方で一般人が血飛沫を上げるその最中を。
死なない、死なせない――淳紅は魂縛を手当たり次第に放ち、眠らせた一般人を一人でも多く抱える。レグルスは盾で杭の雨から一般人を抱え退くジェーンを護り、しきみはダガーを、青空は悪評高き狼と名付けられた蒼い弾丸をマイクへ放った。それらは悪魔の身体を穿つ。悪魔は笑った。「ちゃんと頭を狙いなよ」と。
目の前が赤い。
騒音が。悲鳴が。哄笑が。
駆けた。抱えた一般人が生きているか死んでいるかも分からずに。
走った。悪魔が撒き散らす死に体を赤く染めながら。
そして――
それから――
それから?
「ハロー坊や!」
首なし悪魔、マイク。
見ていた。自分を。彼を。青空を。留めた。拘束の魔法で、彼一人を。
「……!」
ぞっと、死の予感が背筋を舐める。死ぬのか?自分はここで殺されるのか?
死ぬ?死ぬ?死ぬ……!
「怯えないでよ、殺しはしないさ。ルールを破るなんてナンセンスだろう? 吾輩嘘は吐かないのだ」
君らが助けた4人の洗脳は解いておいたんだからさぁ、と。そこまで言われ、理解する。自分達が持ち掛けた交渉。そのルール。
「殺せ。ほら。6人」
まさかそっちがルール破るとか、そんな訳ないよね?青空の目の前に突き出されたのは、何れも傷付いた一般人達。何れも魔法で拘束されている。
(殺せ……?)
こいつは今なんて言った。
(殺せ?)
この自分が、この6人を?
(殺す?)
この手で?悪魔ではなく一般人を?
殺さないでくれ、死にたくない、泣き腫らした眼で救いを乞うこの人達を?
「殺さないならさっき逃げた君の仲間を地の果てまで追いかけて殺す絶対に殺す君の友達も家族もご近所さんも知り合いも全部全部調べつくして皆々々666ツの肉塊になるまで引き千切って殺す当然君も殺す最後にゆっくりじっくり殺す」
さぁ早く。ほら早く。
促す声が青空の鼓膜を舐める。青ざめた顔。見開いた眼。伝う冷や汗。
(殺す?)
ディアボロとなった両親を殺したあの記憶。
(私が、)
故に『死んでいい人命など一つもない』と信じている。
(ころ、す……?)
だが。ここで自分が首を振れば。仲間と自分を生かす為には。結局。結局。嗚呼。
やるしか、ないの、か。
「……ッ……!」
唇から血が滲む程噛み締めて、向ける銃口。本当なら天魔に向けるべき兵器を、守るべき一般人へ。
引き金に乗せる指が、鉛の様に思い。
目が。見ている。12個の目が。怯えた目が。
嗚呼。ああ、ああああああああああああああああああああああ。
6つの銃声が響いて、天魔用の強力な兵器に頭部を吹っ飛ばされた骸が6つ、転がった。皮肉にも悪魔と同じ姿。赤が広がる。じわじわ。ころしたくなかった。じわじわ。ころしてしまった。じわじわ。じわじわ。赤い赤い赤い。
「大変良く出来ました♪」
悪魔の冷たい手が自分の頭を優しく撫でる――そこで、意識がプツンと途絶えた。
真っ暗闇。
真っ暗闇。
私 が 死 ね ば よ か っ た の に 。
●OVER!
気が付いた。ボンヤリ視界。病院の白い天井。
撃退士の中で命を落とした物は居ない事を聞いて、先ずは安堵した。けれど。嗚呼、けれども。
救えた命の数は、あまりにも少なく。
失ったモノは、あまりにも多く。
無情に、秋を孕んだ冷たい風が吹く。
●OVEROVER!
「おめでとう! 君はこの狂宴を見事に踊りきったスーパーヒーローだ。超COOOLだぜ。
嬉しいかい? 嗚呼そんなに泣いて! よしよし、連れて帰って立派な悪魔にしてあげようね」
ワガハイ、ウソハツカナイノダ。
――Mike, Mike, where's your head? Even without it, you're not dead!
『了』