●人を殺す鬼
そこは正に狂乱が顕現したかの様な所であった。
悲鳴が聞こえる。助けて、と足音が幾つもの幾つもの。そして時々――爆音。また悲鳴。
濃密なまでに漂う剣呑な空気に翡翠 龍斗(
ja7594)は薄く眉根を寄せた。騒ぎが聞こえる。わんわんといっぱいに響き渡って混乱が混乱を招いている。
(一体、どんな理由でこんな事をするんだろうな?)
ぐるりと周囲を見渡した――彼が居る付近には特に人の姿は無く。ここには彼一人。服を爆発で焼け焦げたように見せ、血糊で真っ赤に染まる事で重症者を装った龍斗一人。囮。虚ろな目をしてふらりふらり、茫然自失と彷徨う哀れな一般人を演ずる。が、その五感は張り詰めた弓の如くいっぱいに研ぎ澄まされていた。血糊がポタリと落ちる音が聞こえ、そして――
「あのっ、だ、大丈夫ですか!?」
背後からの気配と、声。慌てた男の声だった。振り返ってみると、警備員らしい。緊急事態に蒼白な顔、見開いた目、されど重傷を負っているらしいと判断した龍斗へ駆け寄ろうと足音が、きっと方でも貸すつもりなのか手を伸ばして来て、接近、その刹那に龍斗は怒り狂う龍が如くの咆哮を発した。轟と響く。鼓膜を打ち据える。男を震え上がらせる。
「ッ!?」
圧倒的な恐怖の前に震え上がった彼は蒼い顔を更に蒼くして飛び上がるや、声にならぬ悲鳴をあげて背中を向けて走り出して、その、その瞬間だった。大きな音が今度は龍斗の鼓膜を叩きつけるや、視界が真っ赤に。キーンと耳鳴り。全身が生温かい。べとべとして、焦げ臭くて、生臭い。これは。一体。いや、見た。
あの男が背を向けた瞬間、爆発したその瞬間を。
全身と言う全身の血と肉と臓物をぶちまけたその様を。
「……っく、」
顔面中に飛び散った男の欠片を拭い去る。不愉快な、吐き気を催す生温かさ。
斯くして、それは拭った視線の直ぐそこに。
「似合ってますわよミートソースのデコレーション。ッハハハハハハハ」
ガスマスクの男。首をユラユラ笑っている。イカレ切ったそれとは最早友好的解決なんて望めないだろう事が容易に容易に想像出来た。先の咆哮に逃げもしなかったこれは、正しく、
「ボマーか」
「どうかな」
「下らんな。俺と出会った不幸を、そして、貴様がしてきたことを地獄で悔め」
「ぜったいやだぴょーん」
不快感に舌打ち一つ。龍斗はその身に百の金色龍を纏わせるや、吶喊。目には激しい激情を宿して、されど振るう拳は冷徹に凍りそのもの。押し倒す事でマウントポジションを試みる。が、躱された。やはり一方的な展開に持ち込む行為は困難を極めるか。ましてや格上、口惜しいが1人に対し10人分の戦力を宛がわれた相手。単純計算で自分の10倍強い相手。当然だがボマーの動きは一般人のそれとは全く異なる。そして若くして免許皆伝の師範たる龍斗には、ボマーが幾度も死線を潜り抜けてきた相当な手練れである事が容易に理解できた。辛うじてペイントボールは成功した、が、流石に一人は、厳しいか。仲間の位置も遠い。連絡するという一瞬の隙でも作ろうものなら確実に殺される。
絶体絶命。されど退けない理由がある。殺人鬼に触れられた箇所が次々と爆発して本物の血潮を迸らせつつ、されど拳を突き付けて。
「言い忘れたが俺もお前と同類だよ。だがな、一人の命を絶って、百の命を救えるなら、どんな汚名も非難、揶揄も喜んで受け入れる」
己の躰が傷つく事など怖くは無い。真っ赤に染まり、長い髪を流星の様に翻し、阿修羅が如く、拳を振り被って――
ズドン。
「……クズが」
ボタリボタリボタリ――島津・陸刀(
ja0031)の焼け焦げた拳から血潮が迸り落ちる。されどその獣の様にギラついた目から激情は消えず、舌打ちを一つするなりボロボロの拳で再度壁を殴り付けた。痛みなど今は気にかけている暇は無い。
「オイどォしたァ!! ビビッってんのかァ……? 俺を吹ッ飛ばしてみろ腰抜けェ!!」
迸らせる咆哮。一般人を出口へ追いやると同時に、挑発的な言葉によってボマーを誘き寄せる為。そして再度大きな音を立てて床を拳で叩き割る。破壊。その音、事実もまた殺人鬼を釣る餌。
『そういうことが出来るのはお前だけではない』
崩落に関係しないだろう箇所を破壊し、破壊し、ぶっ壊す。時たま爆ぜる爆弾に拳が身体が傷付けられるが、全く表情一つ変えない。しかしその内面は怒り一色であり、その怒りを、全てぶつけるべく如何なる汚れ仕事も行う心積りであった。
また別の場所では、捜索班の東雲 桃華(
ja0319)がせり上がる嘔吐感に思わず口元を手で覆っていた。あちらこちらに、爆ぜた人、人、人、赤くて赤くて赤くって。一面に飛びちらかっているものだから、踏みたくなくても否応なしに靴の下。にゅるり、と肉が滑る感触。血腥い。主を失った目の玉がこっちを見ている。異常で狂気の空間、だが現実なのだ。
「こんな事……まるで悪魔の所業ね……」
蒼い顔。不快感を滲ませた声音で言う。
「でも相手が悪魔なら……私の刃に曇りは無い、悪魔を斬り潰す事に迷いなど無いのだから」
逸早くボマーを見つけ、これ以上の被害が出るのを防がねばならない。 ボマーの性格上、その自己顕示欲の高さから推し量るに、見つけるのはそう難しくないと――思う、が。
「さて、どこから探したものかしらね?」
霧間 蒼(
ja0639)は脳内で様々な事態を想定しつつ周囲を用心深く見渡す。人が逃げる方向とは反対方向。移動途中に何か使えそうなものを拝借しようと思ったが、触れた途端に爆発されて火傷を負ってしまった。生半可には行かないか、それに結局は己が手に持つV兵器に勝る物が転がっている筈も無く。
「釘バットだと面白いんだけど……作っちゃおうかしら?」
なんて冗句めいた言葉。不用意にその辺の物を触る事は危険であると身を持って知った。焼けた肌が、痛い。
「私利私欲の為にアウルの力を活用する……見逃す事は出来ない。 まして、人を傷付けるだけの力など許せるはずもない」
久瀬 千景(
ja4715)の端正なその顔は無表情ではあるが、内心は殺人鬼への不快感に満ちていた。逃惑う一般人が、その騒音が未だ聞こえる。被害は最小に抑えたい。けれど今も何処かで響く爆音が彼の心を苛む。月輪 みゆき(
ja1279)の提案で人が殺到している所は避けている為にそう人には出くわさないが、それでも。
「あぁあああぁあアアア痛い痛い痛い痛い痛い誰か助けて痛いぃいい゛い゛」
蹲り、腹を抱えた女が金切り声で絶叫している。くの字にした体の真ん中は真っ赤で、恐らく爆破されたのだろう、血の色にぬめる腹の中身が彼女の手の隙間から――
「 ッ、」
みゆきは思わず目を逸らした。ドッドッドッドッと心臓が跳ね上がっている音が聞こえる。本心を言えば彼女に今すぐ駆け寄って抱えあげて地上へ連れて行ってあげたい。ひょっとしたら助かるかもしれない。だが、駄目なのだ。卑怯な殺人鬼の手によって忌まわしい爆弾が植え付けられているのかもしれないのだから。近付かないと決めたのだから。助けを求める悲鳴が、悲鳴が、手を差し伸べず通り過ぎようとしてゆく撃退士へ。怒りも籠って。絶望に染まって。
「必ず――後で、助けますから……!」
精一杯絞り出した声。地図に彼女の場所を記し上げる。視線を上げれば、何処も彼処も血が、血が、あまりもの非日常な光景にフラリと蹌踉めきかけるが、まだ倒れるわけにはいかないのだ。この惨劇がこれ以上起こらないようにと自分達が居るのだから。
深呼吸を一つ。罠に注意せねばならない。中肉中背の男に注意せねばならない。不審人物に注意せねばならない。無謀な行動はしない。不用意な移動は慎む。階段の前、紐を付けた野球ボールを転がした――階段にコツンと当たる、だけ。安全の証明。彼女のアイデアで、自ら物品を触りに行った者を除く捜索班内に爆発に巻き込まれた者はいない。
されどみゆきの心は不安でいっぱいだった。願うは、仲間全員の生還――されど連絡のつかない者が、一名。
(お願い。応えて下さい……!)
祈る様に携帯電話を握り締めた。
携帯電話が着信を告げたのは、その瞬間である。
撃退士の将来にボマーのようになる可能性が少しでもあるとは考えたくないな、と久遠 栄(
ja2400)は苦い表情を浮かべ、仲間に先行し一般人に紛れてボマーの捜索に当たっていた。卓越した聴覚を誇る耳を澄ませる。沢山の声が聞こえる――何なのよアレ、逃げるぞ、誰か助けて、テロなんだろうか、ママどこにいるの、怖いよ怖いよ――恐怖に満ちたパニック音。されど、その中に。
――……、……――
「む、怪しいな……何を呟いている……」
ボソボソ。何を言っているかは聞き取れないが、掠れた声。
そちらへ顔を向けた。ブティック店の奥、こちらに背を向けた中肉中背の――後ろからでも分かる。その頭にはガスマスク。そしてその服にはペイントボールでも投げ付けられたのか、蛍光塗料が滴っていた。確かペイントボールを持っていた仲間が居た筈。それに意味不明な独り言。これは……
(見付けた……!)
震えそうになる指で仲間に連絡を。直ぐに駆けつけてくれるだろうが、今は自分一人。やれるか。待つべきか。この状況ならキョロついても怪しまれまい、アウルを抑え、一般人の振りをしたままソロリソロリと距離を詰める。
次の瞬間、ボマーが振り返った!
「「!!」」
もう迷っている暇は無い、今やらねば間違い無くやられる!
反射の本能、既に手は矢を番え、弦を引き絞っていて。大丈夫、絶対に生きて帰る!
「腕一本もらったぁっ!!」
研ぎ澄ませた精神は攻撃が為。放たれた矢は正確無比な命中精度を以てボマーの右腕を貫いた。ガスマスクの奥からくぐもった悲鳴、蹌踉めいて、背を向けて、走り出した。直後にボマーが居た付近が爆発を起こし――その異常事態に一般人が気付かぬ筈も無く。一層の混乱。それに乗じて栄から逃げようとする殺人鬼。相変わらず、聞き取れぬ声で呻いている。だが、その背を。栄の屋は真っ直ぐに狙っていた。
「別に倒してしまっても構わないんだろう?」
放った。刺さった。倒れた。人が散ってゆく。痙攣している殺人鬼。目に焼き付けておこう。力に溺れた者の末路を。
されど――何だろう、この違和感は。血の海に倒れた殺人鬼。
これは本当に『ボマー』か?
「……、」
あまりにも手応えが無さ過ぎた。耳を澄ませて危険にならない程度に近付いてみる。相変わらず声は声をなしていない。と、ガスマスクがコロリと取れた。
そして知る。
これは、咽を潰され『ボマー』に仕立て上げられた一般人――ダミーだと。
「……!」
馬鹿なと目を見開いた栄の目の前で、ダミーが爆発した。その真っ赤な中身が栄へとぶちまけられた。思わず噎せ返る。顔を拭う。酷い臭い。顔を顰める。辺りを見渡す。
その視線の先だった。
「ジャンジャジャーーーーン!!」
ブティック店の試着室のカーテンを颯爽と開けて、腕を広げてガスマスクの男。お洒落なスーツ。例えペイントされたとしても、立ち並ぶブティック店の数だけ服があるのだから着替えなんてやりたい放題なのである。
「オッス! オラボマー! 死ね!」
猛然と駆け寄って来る。仲間は間に遭うか、それまでに、自分は『保つ』か……決死の覚悟で栄は弓を引き絞る。
斯くして真っ先に現場へ辿り着いたのは陸刀だった。
「……!」
ケタケタ笑う殺人鬼がユラユラ歩いてこっちに来る。その手で、血だらけに染まった栄を引き摺って。人質のつもりか!
「ふざけた真似を……」
吐き捨てた刹那には地を強く蹴る。真っ直ぐ、弾丸の如く、殴り付ける――と見せかけてタックルをかました。蹌踉めいたその隙、ボマーの手から栄を引き剥がし急いで飛び退く。あらまぁとヘラヘラ笑いでボマーが見ている。睨み返す。そのまま、栄へ問うた。
「おい、生きてるか」
「……何とか、そうみたいだ。……くそっ、まだ力が、力が足りないっ……」
「無理に喋るな。……奴に何処を触られた?」
「分からない……ちょっと気を失ってたし、爆弾を、植えられたかも……しれない。俺に構わず……奴を……奴を倒してくれっ……!」
そこまで言って、血を吐き、栄の意識は黒に沈む。陸刀は仕方なく彼を地に下ろし、既に意識は無い事を知っていながらも『そこでじっとしていろ』と告げるや、自慢の機動力を活用し壁を天井を蹴り撹乱する。投擲で狙う、その瞬間、別角度からの射撃攻撃が同時にボマーを襲った。
「……キミが爆弾魔でしょう? これ以上被害が出る前に、キミを止めるよ」
和弓を構えた木ノ宮 幸穂(
ja4004)、苦無を持つ桃華と召炎霊符を携えるみゆきを始め捜索班が合流したのだ。
「くっくっく、ひひひひひ、いいねいいね面白くなってきた」
言うなり、ボマーは消火器を手に取って撃退士達へと投げ付けた。大爆発。凄まじい爆炎と爆風が全員に襲い掛かると同時に、消火剤による真っ白い煙幕。
「――く、」
自ら吹き飛び受け身を取る事で衝撃を和らげた桃華は素早く体勢を立て直す。自分の勘を信じ、爆弾の設置や起爆などに予備動作が無いか観察を試みたが――頭の切れる殺人鬼が欺いている可能性も捨て難いけれど――されど、どうやら予兆やそういったものは無いらしい。それのある無しで戦闘がグッと楽になったろうが、致し方ない。その分気を引き締めなければ。それにもう一つ、ボマーが良縛する可能性。これは絶対に気を付けておきたい。無防備で受けたら一たまりも無い。
(常に警戒はしておかないと……)
白の彼方を見澄ました。
されど、そこに殺人鬼の姿は無く。
●MAJIでKILL
燦然と輝く蒼紫を纏った麗しい魔女が、まるで凱旋の様な足取りで通路の真ん中を闊歩していた。
「芸術っていうのはね……私の様な麗しき魔女の事を指すのよ!」
声高々に言い放つ彼女こそ『黄昏の魔女』を名乗るフレイヤ(
ja0715)、一度仲間の前に現れるも姿を眩ませた殺人鬼を再度発見すべく囮として行動する。
(彼って飽きたら舞台から降りちゃうんでしょ? ふふん、上等じゃない)
蒼のルージュを乗せた口唇でうっそりと微笑んだ。
「黄昏の魔女様が共演してあげるんだから、最高に楽しませてあげるわよ!」
まるで戯曲を演ずるように腕を広げ、いつもより気合の入れた派手派手しい魔女服を翻し、道の真ん中、おまけに光纏も発動させて、青薔薇の花弁がはらはらと舞い散る様をその身に纏って魅せつけてる。全ては派手に動いてボマーの気を惹く為。
空気を大きく吸い込んだ。
「ボマーさーん、あーそびーましょー!」
吸い込んだ空気の量に比例する声量。逃げつつも驚き振り返る人々の視線の中。だった。その中の一人が爆発して。飛び散って。
(……!)
何か反応があったという事は、おそらく。そっと仲間へ連絡を入れる。
その直ぐ後、目前に殺人鬼が居る。
「御機嫌良う、美しい魔女様」
「御機嫌良う、愚かなる殺人鬼」
間違い無く自分は今、危機に晒されている。けれど些細な事だー―自分はよくても他人が傷付くのなんて見たくないもの。
「私はボマーと申します」
「私は『黄昏の魔女』フレイヤ。いずれ訪れるであろう世界の終焉を食い止めるため降臨した女神の生まれ変わり」
不敵に笑って動じない、振り。演技。ちょっとでもボマーの気を惹き飽きさせない為に。
本当は……
本当は。
(恐い、恐い、恐い、恐い、恐い、恐い)
私の目の前で人が死んだ!
あっちこっちで人が死んでた!
恐い!私もああなるの?
殺人鬼と戦うなんて嫌よ!
助けて、怖いよ!殺されたくなんかないよ!
けれども彼女は今にも大声で泣き叫びそうなのをぐっとこらえて、ケーンを構える。ドレスの下の脚が震えている事は、きっと誰にも分かるまい。
(恐い……でも、今の私はフレイヤ様なの)
泣き顔を笑顔に変えて、大胆不敵に笑ってやるわ!
「……私の力を知らしめる時が来たようね、『黄昏の魔女』と出遭った事を光栄に思うと共に――後悔なさい」
杖を突き付けた。ボマーが彼女へ襲い掛かる。掌が迫る――
「危ないです故、伏せて下さいませ!!」
フレイヤのすぐ背後から響いたその声は。反射的にしゃがんだその頭上に構えられたショットガン。ボマーの目に映るは、真っ黒い銃口と狂気的正義を湛えた十八 九十七(
ja4233)の鋭い眼光。歪に笑んだ表情。
「正義ガ為に■ねヤ覚悟シろやァァ! ■■■■野郎がァアッァアァ!」
引き金を引いた瞬間、銃口から放たれたのは超高温超高圧の発砲炎。凄まじい大爆発と大爆音。ドラゴンブレス弾(ドラゴンブレス・ラウンド)という名の通り、竜の息吹の如く兇撃。
「撃退士ィイ九十七ちゃん参上だァアあaアッヒャヒャヒャヒヒヒヒハァーーハハハハハハハ!!」
火達磨に地面を転がったボマーへ声高々に名乗り上げる。やがて立ち上がったボマーと目が合った。彼女の『正義』が『悪』と断じたものは、即ち天魔しかり人間しかり全て死すべきであれ。
「これでもう逃げられないわよ。……言っとくけど私、動けなくなるまでは戦うわよ?」
フレイヤと九十七とは反対方向から蒼の声。現れる仲間達。挟撃の形。そこに龍斗と栄の姿は無く、傷を負っている者もチラホラいるが――やっと追い詰めた。
「……一応、お前に訊くが」
油断なくフランベルジェを構える千景が問う。
「仕掛けた爆弾を解除する意思はあるか?」
「うん? 今日はお味噌汁でも飲もうかなぁって」
言いながらボマーがポケットから取り出したのはBB弾だった。散弾の様に投げ付ければ、撃退士達を巻き込んで次々と爆発を起こす――交渉はやはり無理か、捕縛を狙って行きたいが、一般人の命には代えられない。討伐する(殺す)しかないのだろう。射撃支援を受けつつ千景は蒼と息を合わせて躍り出た。蒼は腕を狙うふりをして脚を、千景は腕を。浅い手応え。手や足は人間にとって狙われたら困る部位であるからこそ、服の下に簡易的とはいえ装甲。腕甲と脚甲。容易にその手脚を潰す事は叶わないだろう。戦闘の可能性もあれば、丸腰で来る方が可笑しい話かもしれない。幸穂もボマーの頭を狙うが、流石に弱点にはそう容易に当たらないか。いっそ普通に狙う方が効率的なのかもしれない。
ボマーは戦闘素人では無い。寧ろ玄人。危険な程の戦闘力。殺す為に。殺す為だけに。一人で行動する事がどれほど危険だったのか理解した。一方的な展開に持って行く事の成功率が限りなく0に近い事を理解した。撃退士達も優れているが、相手は格上。それ程にこの殺人鬼は凶暴で、凶悪で、最悪。
大きな爆発が起きた。爆ぜた爆弾に血が飛んで、フレイヤの頬に付く。仲間の血だ。倒れている。
「私の仲間から離れなさい!」
振るうケーンで魔力の乗った一撃を放ち、黒桜の花弁を纏う桃華が飛燕を放ちボマーを牽制した。爆煙の臭い。その隙にみゆきと九十七が倒れた仲間を自分達の後ろへと運ぶ。
「やっッてくれんじゃぁねぇかこのサノ■ビッ■がァアアぁああァそのド汚ェ頭ブッ飛ばしてクソでも生けてやるぁアアア!!」
運ぶ最中に放った放つビーンバッグ弾でボマーの手の軌道を逸らさせる。それは陸刀の頬を掠め、触れた地面を盛大に爆破させた。飛び散る破片が彼の身体を浅く裂く。爆炎が肌を焼く。されど怯まず、決して怯まず、大きく踏み込む拳にアウルを超圧縮して振り被った。
「ブッ潰す……!」
紅咬牙。全力で殴り付ける。インパクトの瞬間に現れた巨大な炎の獅子がボマーを噛み潰す。吹き飛ばす。
「ン〜強烈♪」
ダメージは確かに。されどまだ、終わらない。ボマーが再度BB弾を全員へと投げ付ける。数は限られているだろうが、広範囲の凶悪な攻撃。大爆発。爆発爆発爆発。誰もの体に傷が出来る。
「……やるわね……!」
ケーンを水平に構えマジックシールドを展開したフレイヤは全身から血を流しながらも、爆炎の向こうにてケタケタ笑い続けているボマーを鋭く見澄ました。背後に護る倒れた仲間には、傷一つ付けさせない。
(私としては捕縛で済ませたいんだけど……)
そういう訳にもいかないようだ。本気でやらねば、殺される。濃厚で、純粋で、混じりッ気のない100%の殺意が向けられているのだ。今も尚。ああ恐ろしくて眩暈がしそうだ。
ぬ、とボマーが前に出る。手を伸ばす。触った。幸穂の腕に。或いは、急所外しで頭を掴まれる事は防いだ九十七の肩に。
「「!!」」
「――下がって!」
東雲流古斧術。桃華が鋭く振るった一撃による衝撃波で牽制すれば、飛び退いた殺人鬼との間合いが開かれた。
その間に幸穂は掴まれた腕に付けていたアームカバーを遠くへ投げ捨てた。爆ぜる音。やはり『触れた所』という条件、それを逆手に取った行動。そのまま仲間を癒すべく治癒羽を広げる。
一方の九十七は至極冷静に迷う事無く己が肩に銃口を向け、散弾をブチ込んだ。
「――〜ッ、」
脳に届く激痛。肉が殺げて霧散する。植えつけられた爆弾ごと。夥しい量の血が滴るが爆発して腕が吹っ飛ぶよりうんとマシだ。恰好良いねぇとボマーが囃す。口笛を吹く。硝煙や拉致やらで汚れた顔でニィっと笑いながら、九十七は自らの傷へ光纏式医療用瞬間接着術――アウルのポリマーで傷を防ぎ血を止めた。傷が奇麗さっぱり消える事は無いが、前線における応急処置としては十分。 さぁ、次だ、自分の番だ。ショットガンをぶっ放す。
爆音が鼓膜を叩く。
何とか戦線は健在だった。
けれどそれは、絶望的に血みどろの戦い。
「く、そ」
仲間の援護を受けて撃ち込んだ紅咬牙。確かに届いた。殺人鬼の手甲を砕いた。その掌に強烈なダメージを与えた。なのに倒れない。まだ、後少し、もう少し、足りない。火力差。戦力差。じわじわ開いて行く。時間と共に。
ボタリボタリと垂れる血が紅い彼を更に赤く染めた。爆炎に、意識は暗転する。
「……――」
フレイヤは血が滲むほどに唇を噛み締めた。血だらけになった己の腕を抱え、戦場を見渡した。立っているのは、自分と、九十七と、みゆきと幸穂。半数以上が倒れた。撤退、せねばならない。戦闘不能者は逐一九十七が荒っぽくも遠くへ運んでくれていたのが幸いだった。直ぐにでも抱えて逃げ出せる。逃げ――本当に、逃げられるだろうか。
「……」
九十七が一歩前へ出た。支援用の弾は切れたが、攻撃用ならまだある。スラッグ弾。フレシェット弾。時間を稼ぐ為に片っ端から撃つ、撃つ、撃つ。こいつは斃さねばならぬ。正義の為と言うより、無意識下に於ける狂人同士の同属嫌悪や抹殺意識。
「■ね■ね■ね■ね■ねェエエエエブチ撒けて汚らしく■ねァボケがァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!」
殺人鬼。その狂気に比例して言動が狂化。ドス黒い血だらけになって焼け焦げて、肉を殺がれてそれでも撃った。ボマーも血に染まりつ笑う。笑う。爆音に負けない声で楽しげに笑う。
「イヒ、イヒヒヒヒヒャァアアアアアッハッハハハハギャヒェハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」
「アはははははははははははははははははははははははははははははあはははははははァアははは!!!」
狂人が狂人と殺し合う。
鏖=ミナゴロシ。マジキル。DEADorDEATH=ぜってぇ殺す。
そして互いに。
そして互いを。
「「 ブ チ 殺 ス ッ ッ !!!」」
ボマーの血だらけの手が九十七の顔面を爪が食い込むほどに掴んだ。
九十七のショットガンの銃口がボマーのガスマスクに押し付けられた。
大爆発。
痛み分け上等。
九十七が放ったドラゴンブレス弾が、ボマーの爆弾が。
互いに仰け反る。血みどろに。爆炎。轟音。
されどその口は歯列を剥き出し笑っていた――
「っ……帰るわよ、絶対にみんな生きて帰るの!!」
フレイヤが伸ばした手が倒れ行く九十七を捉える。ボマーが巻き起こす爆弾が滅茶苦茶に爆発しまくる中、傷付きながら血みどろになりながら、吹き飛ばされながら、後ろは振り向かずに走った。走った。
何故だか、爆発の合間に――ずっと、後ろから、殺人鬼の哄笑が聞こえている様な気がして。
振り払うように。振りきる様に。我武者羅に。走った。走った。
地上の光が視界に入ったかどうかまでは覚えていない。
●ココハドコ
気付いたら天井を見上げていた。病院だった。跳ね起きた。赤色なんて無い、あの異常空間では無い。
「……」
幸穂は自分の掌を――ガーゼの宛がわれたボロボロの手を天井に透かし見てみる。
「なんのための力なんだろ」
力を持つ、本当の意味とは。
誰とは無しに放たれた疑問は、白い天井に吸い込まれてゆく……。
●後日談
その後のボマーの行方は不明である。
少なくとも地上には姿を現さなかった、と地上出口を封鎖していた警察や撃退庁の関係者は口を揃える。
だが、地下鉄のトンネルには、少なくは無い量の血痕が残っていた。
奇妙な事にそれは急に血の跡を消しているという。
ガタンゴトン。ガタンゴトン。電車が揺れる。開いた携帯電話には掲示板サイト、悍ましい殺人鬼が起こした狂った事件についての話題が虚実織り交ぜられ罵る様に会話されていた。
が、ここで電波切れ。地下に潜る。地下鉄。ガタンゴトン。ガタンゴトン。携帯電話を閉じる。やがて聞こえてくるのは車内アナウンスだった。
次は、__、__……お降りお客様は御忘れ物に注意して下さい……__行きはお乗り換え下さい……
ややあって電車は減速し、駅が見えてきて、停まって、ドアが開く。帰宅ラッシュ。多くの多くの人が人がごった返す、交差する、入れ違う。ドアガシマリマス。沢山の足音。声。
その中に立ち止っている男が居た。
中肉中背の男だった。
歯列を剥きだし笑っていた。
「殺人鬼は、終わらない」
――ガタンゴトン、ガタンゴトン――……
『了』