●忌死
「なんや、死に対してアクティヴやねぇ」
蛇蝎神 黒龍(
jb3200)が漏らしたのは率直な感想だった。
「どうせ短い寿命しか持たないお前達が、なぜそんなに死に急ぐのか、理解できんな」
同感と言わんばかりにチョコーレ・イトゥ(
jb2736)。まぁ、いい。
「いま死なれると俺が困る。邪魔させてもらうぞ」
依頼は依頼だ。
「死んだら……楽……?」
ベアトリーチェ・ヴォルピ(
jb9382)は小首を傾げる。
「神曲に……自殺者は……地獄の第七圏に振り分けられる……ってあるし……日本の場合でも……閻魔大王様……コワイゾー……」
なのであんまり「楽」はなさそうだ。
一方で、雁鉄 静寂(
jb3365)はかんばせを僅かに翳らせる。
(わたしは、誰ひとり死なせたくありません)
それは『恒久の聖女』の者へも同じ。お帰り願おうか。表情を引き締め直す。
フローライト・アルハザード(
jc1519)は表情を変えない。聖徒の思想にも興味は無い。生物の中での淘汰など良くあることだ。
(しかし……)
と思うのは、覚醒の時期には個人差があるからだ。今ここで淘汰するべきなのか、我が子が覚醒しなかった場合にも、同じように刃を向けるのか……
(まぁ何であれ、現状では聖徒は悪だ)
故に排除しよう。
(死にたいって、どうしてだろう?)
ふと。Robin redbreast(
jb2203)は疑問に思った。
唇で言葉にしなかった心の声、当然ながら、回答は無く。
●希死
とん。
ロビンは軽いステップで少女は人々の真っ只中。
翻るスカート。その影から、あるいは袖口から、足元から、ずるり。現れるのは、数多の、黒い、腕。這い出したそれらは一般人へと文字通り『掴みかかる』。
「ちょっとの間だけ、ごめんね」
アウル能力もない者がその腕から逃れることなど不可能。大多数が、ダークハンドに絡め捕られる。
範囲外になった者もまた、同じく。静寂によるダークハンドが一人残らず絡め捕る。
相手は所詮一般人。無力化は一瞬。散開する前に撃退士が動いたこともあり、ほぼ一纏めに拘束することが出来た。
更に、念押し。
「戦闘の邪魔……ギルティ……」
呟いたベアトリーチェの傍ら、召喚されたフェンリルが尾を靡かせて一般人達のど真ん中に飛び込んだ。
「イチモーダジン……大人しく……するべし……」
ぴ。指をさした主人の命令に、氷狼が咆哮を張り上げる。低く轟く音の暴力は、一般人達の体を本能的な恐怖感で凍りつかせた。
これでしばらくは、少なくとも戦闘が行われている間は、一般人は身動きなど出来まい。
存外にアッサリ、否、一般人相手、妥当と言うべきか。
その間にフローライトは二人の聖徒、彩と夢々の元へと陰陽の翼を広げ間合いを詰めていた。
戦闘の邪魔ゆえと削ぎ落とした感情は、引き結ばれた唇より言葉を紡ぎだすことはない。ただ、凛――と。『敵』と認識した相手を見澄ます赤い眼差しは煌々。まるで夜に浮かぶ月蝕。言葉もない、派手な動きもしていない、けれどタウントのアウルを込められた眼差しは、強く周囲へとフローライトの存在感を放っていた。
そんなフローライトへ身構えたのは、大鎌を携えた夢々。ニコニコとした狂信者の笑み。振るわれた刃より放たれたのは混沌の矢。
ずぶり。腹部に突き刺さるアウルの一撃。フローライトのゴスロリドレスの下で赤い血色の花が咲く。
されどフローライトの吶喊は止まらず、人形のようなかんばせも歪まず。振り上げたのは先端に刃が取り付けられた魔戒の黒鎖。「悪に報いを」。そんな願いが込められた黒鎖が白い手によって振るわれる。
鎖の刃が夢々を切り裂いたと同時、チョコーレも翼を広げて上空より彩へと狙いを定めた。
視線が合うのは、慈愛に満ちた気持ちの悪い笑顔。直後に放たれたゴーストバレットがチョコーレの体を貫く。
「くっ――」
容赦のない一撃。チョコーレは思う。奴らはこんな風に、何の躊躇もなく、罪悪感もなく平然と、人を殺していたんだろう。顔面に笑みを浮かべて、だ。
「笑いながら人を殺すのか。お前達のその薄ら笑い、すぐに消してやろう」
正義の味方を気取るつもりなどない。己は悪魔だ。しかし不愉快な相手である。気に食わない――そう思った。
「目障りだ。止まっていろ」
振るう指先。そこから放たれるのはアウルを束ねた闇の針。それは先ほどのお返しといわんばかりに彩を貫き、そして、その影ごと彼女を縫い止める。
「加勢するね」
そこへロビンが駆け付ける。少女が狙い定めるのは、夢々。翳した掌。ひゅるりと風邪が巻き起り、ロビンの髪が緩やかに舞う――八卦石縛風。不浄なる風が夢々の体を蝕み包む。
次いで戦場に飛び込んできたのはフェンリルだ。毛を逆立て牙を剥き、その咆哮で威嚇を行う。フローライトと共に注目の効果で聖徒二人の意識を集め、一般人に被害を出さないようにする心算だ。
「ヘイ……かもん……」
氷狼の主人も挑発を忘れない。くいくいと手招きしつつ、向けたのはアサルトライフルだ。
「戦闘……ガンバルゾー……」
ドーン。
(……さーて)
黒龍は周囲を見渡した。カメラなどがないか警戒していたが、そういったものはなさそうだ。
(げだっつぁんはイイ(根性してる)子やから気が抜けんわ)
現時点で黒龍の懸念はほとんどが杞憂に終わっていた。一般人に関してはこれ以上何かしなくても無力化は揺るがない。
ではと黒龍は聖徒へと眼差しを向けた。既に仲間達の多数の意識が向いている、今更彼らが潜行の効果を得ることは無理だろう。
『そこのお嬢さん達』
聖徒達へ語りかけるのは意思疎通によるテレパシー。
『きみらに慈悲とかないん? 利己的ただ殺したいだけ?』
「聖女様は劣等種を駆逐せよと仰っておられます。我々はそれに従うのみです」
まるでスラスラと噛まずにまぁ。それだけ常日頃から平然と思っている『本心』なのだろう。
激昂に任せてうっかりボスでもゲロしてくれれば――黒龍はそう思っていたけれど、いかんせん彼女達の沸点は高そうだ。しっかり話術を考えておけばひょっとしたら可能性はあったかもしれないが、生憎ながらそこまで『台本』は用意してきてはいなかった。
「まぁええか。まずは退場貰わんとな」
長い長い説得がまっとる。
「こいつは痛いぞ」
不敵に笑うチョコーレはその五指に毒を纏わせた。その悪魔らしく鋭い爪を以て、彩の体を引き裂く。うめき声が聞こえた。毒に冒された聖徒のものだ。
眉根を寄せた彩は影縛りを引きちぎると踏み込んできた。撃退士――そして、一般人へも狙い定めて。
何をするのか、フローライトはすぐに理解した。
だからこそ、させるか、と。振りぬいた鎖より放つ光の波。それは彩の体を弾く、が……聖徒が発動する氷の夜想曲。
「――!!」
広範囲を凍てつかせたそれは撃退士だけでなく、一般人をもわずかに巻き込んだ。
フローライトがフォースで弾いた為にその被害は少しでも抑えられたけれど、三人。凍てついた体に心に、命まで凍りつかされ、永遠の眠りに倒れ伏した。余りにも呆気なく。
撃退士達は聖徒の攻撃を後ろへは通すまいと励んでいた。しかし、広範囲攻撃の全てを防ぎカバーしきることは……流石に難しい。
死にたい。
死体を見た死にたい誰かが、そう言った。
しかしベアトリーチェの心は、それに揺らいだりはしなかった。
彼岸を巡る神聖喜劇。煉獄山の頂より天国へと主人公を導く永遠の淑女。彼女がその名(ベアトリーチェ)と同じなのはなんとも奇妙な偶然か。
「力こそパワー……ジャスティス……」
向けられた指先。味方の攻撃の間隙、隙を狙うように。吼え猛る氷狼が彩へと躍りかかった。振り上げられる鋭い爪、それが聖徒の頭部へ叩きつけられる。
「ぐがっ」
急所を狙った一撃、割れた額から噴出す血潮。
「今までの教団とは考え方が違うみたいだけど」
一方の夢々へ、再度の八卦石縛風を繰り出しながらロビンは問う。単にこの二人が異端なのか。新しい戦略なのか。
「いいえ、我々は聖女様の考えに従っているまで。我々は劣等種を駆逐したい、そこの劣等種は死にたい。きわめて合理的だと思いませんか?」
ドレスミストで不浄の風邪をやりすごした聖徒が答える。あくまでもその思考は『恒久の聖女』のそれのようだ。優しく振舞っているけれど、結局やっていることは「劣等主だから殺す」という、いかにもな『恒久の聖女』。
可能なら捕まえられないだろうか――再度魔力を練り上げるロビン、であったが。
「申し訳ないですが、命を賭して戦う場面ではありませんので」
傷だらけの聖徒が飛びのく。流石に多勢に無勢、なにより撃退士は誰しも熟練。すぐさま二人は己たちの不利を察したらしい。
「……」
フローライトは深追いしなかった。ただし警戒は緩めない視線の先――ビルから飛び降りた二人、夢々は半天使の翼を広げ、彩を抱えて飛んで逃げていく。
「なんだ、逃げたか……」
チョコーレの呟き。聖徒達は戦場に戻ってくることはなかった。
●生きるって何だろう?
残った一般人。
それに、静寂は真っ直ぐ銃を向けた。
真っ黒い銃口。まるで奈落の穴のような。
引き金を引く。
銃声。
倒れた者はいない。
一般人たちは呆気にとられた。誰にも弾丸が当たっていない。
否、そもそも弾丸が発射されていなかったのだ。静寂は自らのV兵器にアウルは込めず、空撃ちをしたのである。
「過去のあなたは今、死にました」
ヒヒイロカネに収納した兵器。空いた両手。それで、静寂は手近な者をいっぱいに抱きしめる。
「あなたの死にたいという気持ちを受け止めます。だから死にたい気持ちを理由を話してください」
死ぬな。そんな言葉はとうに聴いたことがあるだろう。だから静寂は否定しない。死にたいという感情も、紛れもなく心から湧き上がった『感情』なのだから。
呆然と静寂を見つめている者、ひとり、ひとり、またひとりへ。彼女は抱きしめ、手を握り、さすり、目を見つめ、語りかける。
「……こうして手をさすられると落ち着きませんか? あなたは温かいです。わたしはどうですか?」
微笑み。それを前に、自殺希望者は黙し俯く。それから、ぽつり。温かいです、と。
「それは生きている証拠ですよ。またやり直せる証拠ですよ」
「やり直す? でも、どうせまた」
半死半生、生き地獄が続くだけ。震える背中。静寂はそれを、撫でながら。
「あなたは孤独ではないです……どんなつらいことがあったんですか? 一緒に考えましょう」
一人ひとり。一人ひとり。静寂は対話を諦めない。
その甲斐あってか、もう撃退士へ襲いかかって来る気配はない。
しかし、だ。
ふらり。一人、静寂の声に耳を背け、ビルの縁へと歩き始めようとした者がいる。静寂の声は確かに、優しいけれど――その優しさで立ち上がって、結局救済は訪れないことを、その者は絶望と共に理解させられていた。何度立ち上がろうが結果は同じだから、もう終わりにしよう。縁にかけた手。
「清水寺よりは劣るけども……飛ぶん?」
だがその肩を掴んだ、黒龍の手。
「さっきそこの姉ちゃんも言うてはったやろ。きみは今此処で一度死んだ、やから今からの生をやり直し」
返事はない。構わず、黒龍は続けた。
「だがゆわせてもらう。生死は問わんが、自分らの大切なモンの笑顔を失ってまで死にたいんか? 己が死んだらそれで終わりや。大切にしてたモンも一緒に失うんやで?」
きみらもやで。黒龍はひとりひとりに視線をやる。
(「言葉」は生き物や、どう受けとるかは相手次第や。だから、難しい……個々其々に死にたい理由があるんやから)
どれだけ時間がかかってもいい。一人ずつ、全員に。
舌剣毒牙。人を生かす毒もある。悪魔の甘言も嘘の方便。こう言い放とう。
「生きろ!」
自殺希望者達は何かを言い返したりはしない。
言葉はない。
けれど、聴いている。それは、確か。
「誰かに裏切られた、手酷いいじめを受けた……様々な不幸が続き、死を選ぶまでに至ったのだろう。足掻くのは苦しかったか、痛かったか……」
静かな最中、フローライトが問いかける。数人が疎らに頷きを返した。「だろうな」と彼女は答える。
「正しい事は苦しいし痛い。故に楽な方へ逃げる。それで良い、逃げて良い、それで傷が癒えたなら、また歩けば良い。少し休め」
無表情のまま淡々と。本人としては意見を述べているだけで、本心としては生きる気の無い者を救う心算はないけれど。
奇しくもベアトリーチェも似た考えだった。説得などに興味はなく、フェンリルの毛皮にもたれている。
生きたいのに生きられない人が居る中で、死にたいと言う人を説得するのは意味がない――そう思っている。達観に近い。
そっと、少女は周囲を見渡した。外奪はいないらしく、そっちの方がベアトリーチェにはションボリだった。
(死にたいって、どうしてだろう?)
ふと。ロビンは再びそう思った。
「本当に死にたいなら、邪魔されずに楽に死ぬ方法はたくさんあるよ。ここに来たのは、自分で死ぬことができないからかな。集団の勢いで、みんなで死ねば怖くない、とか? 一人で死ぬのが寂しいのかな?」
駒鳥はぐるりと皆を見渡した。
「自殺は、鬱病・借金・病気・生活苦・失業・失恋・イジメ……色々な原因があるって聞いたよ。あたしには、よく分からないけど。
原因をぜんぶ解決するのは無理だけど。15人も集まったし、みんなで友達になったら、誰か死んだら悲しいって思うかも?」
「死にたいという叫びは生きたい助けてという悲鳴です。わたしも死にたい気分になったことがあります。わたしは弱さを友に受け止めて貰えたから、生きられました。
皆の弱さも全て受け止めます。一緒に生きていきませんか」
言葉を続けた静寂が、手を差し伸べる――。
遠巻きからチョコーレはそれらを見守っていた。
『マスター棄棄、ちょっと質問だ』
思い返すのは出発前、教師とのやりとり。
『人間を気絶させるために当身を行う場合、どこにどのぐらいの力加減で打ち込めばいい? うなじの下あたりにこれぐらいでいいか?』
ああだこうだ教えてもらったが、結局使いことはなかったようだ。その方が、いいのだろうけども。
ひと段落のため息。チョコーレはしゃがみこみ、死んでしまった三人の目を閉じさせてやる。死んで、彼らはどうなったのだろう。救われたのだろうか。わかりはしない。死人に口はない。
後日。
静寂の要請により、自殺希望者達は保健センターより手厚いケアを受けることとなった。
そして件のサイトであるが、静寂の依頼でそれは閉鎖され、代わりに自殺願望者の救済サイトが立ち上がったという。
死を望んでいた彼らがどうなったのか、それは分からない。
生き地獄が続くのか幸せを掴めるのか。それも分からない。
少なくとも気紛れに地球は回り続けていた。
『了』