●
幸せになるのは難しく、不幸になるのは簡単で。
幸せを望めば遠退いて、不幸を望めばすぐ其処に。
世界は大体そういう風に出来ている。
●状況開始
騒乱、という言葉が正に相応しい。
「『恒久の聖女』の構成員に加えてディアボロもですか……あの悪魔が動いている可能性がありますね」
阻霊符を展開しつつ状況を目の当たりにしたユウ(
jb5639)が僅かに眉根を寄せた。素早く周囲を見渡してみたが、『あの悪魔』は見当たらない。
「最優先はテロリストの速やかな制圧。いいわね?」
咥え煙草の鷹代 由稀(
jb1456)がCz75とベレッタM92を二丁拳銃として持ちながら仲間へ言い放つ。
「了解」
「ガッテンダー……」
端的に頷いたのは黒焔を纏う右腕をゴキンと鳴らしたマキナ・ベルヴェルク(
ja0067)、呟くように答えたのは髑髏を両手に抱いたベアトリーチェ・ヴォルピ(
jb9382)。
「じゃ、タツコちゃんたちは任せるわぁ。私はディアボロの相手でもしてるからぁ」
片手をヒラリ、赤いドレスを翻し。Erie Schwagerin(
ja9642)はその視線をディアボロ『リフューエル』へと定め、軽快に地を蹴った。
「はいはーい、皆で協力して早めに終わらせちゃいましょー」
エリーと共にディアボロへ走り出したのは江戸川 騎士(
jb5439)。視界一杯で流れる景色を見る。別働隊が避難の為に声を飛ばしている。ならばと、彼は避難し行く人々の盾になるように。
「鬼さんこちら、っと」
手にしたのは神秘の総譜。人の心に直接作用するという不思議なそれが開かれれば、浮かぶのは小さな音符。ピアノ、けれどフォルテ。冥魔の気を惹くように。
音符はリフューエルに命中する。それと同時に茨で擦ったような痛みが騎士の神経に駆けた。
「……っつぅ」
コバミエル。拒絶の茨。やれやれ早く済ませてしまいたいものだ。
一方。
他の者も動き始めていた。翡翠 雪(
ja6883)は敵陣、狂ったように笑い続ける入谷タツコ――久遠ヶ原の撃退士であった筈の少女を見澄ました。
「……昔の私なら、容赦なく斬ってたんだろうなぁ。……この変化は、強くなったと言える? それとも……」
独り言つ。結論は出なかった。「まぁいい。被害を止める事に変わりない」――そう続け、雪は『恒久の聖女』達へ声を張った。
「そこまでだ! 止まりなさい入谷タツコ! これ以上の狼藉は許されない。全員投降しなさい」
「投降ぉ?」
馬鹿にするような口調だった。タツコが鼻で笑う。
「私、気付いちゃったんだ。久遠ヶ原なんかより『恒久の聖女』の方が正しいんだって。ゐのり様は偉大なのよ! そんなことも分かんないの? バァーカ!」
「入谷タツコ。貴女は久遠ヶ原の学生で、撃退士だ。事の重大さが、分からないとでも?」
「私はあんなところには戻らない。私は劣等種共の道具なんかじゃない! 選ばれた存在なのよ!」
嗚呼。
彼女は身も心も、ドップリと、『声』に冒されている。京臣ゐのりの。聖女ツェツィーリアの。大悪魔サマエルの。
けれど雪は、努めて平静を保ちつつ、言い返す。キッパリと。
「それがどうした……! 下らない。心を安全な場所に置いて、偉そうな口を利くな!」
「聖女様の、ゐのり様の御考えを『下らない』ですって? あんたこそ、偉そうな!」
タツコが眉を吊り上げる。対照的に、雪は揺ぎ無き盾の如く冷静に、凛然と。
「いいだろう、茶番だ。秩序を乱したお前等の、茶番に付き合ってやる。『おいた』をした後輩には、お灸を据えてやらないとなっ!」
そんな、やりとりを。
雁鉄 静寂(
jb3365)は見ていた。聞いていた。
タツコは敵として撃退士を殺傷せんとしている。
けれど、だ。静寂の思いは揺るがない――「わたしはタツコさんを助けたい」。
「誤って人を殺めて『私は悪くない』? ……いえ。事故は誰にでもあること。悔い改めて二度と繰り返さねばよいことです」
左手に浮かぶ黒い文様。それと同じ文様が刻み込まれた、静寂専用カスタマイズのPDW SQ17を構える。
す、は。深呼吸を、一つ置いて。
「――現刻をもって作戦開始、静寂いきますッ」
●拒み拒まれ
撃退士は二つの班に分かれた。
リフューエル対応班には、エリー、騎士、ユウ、ベアトリーチェ。
――それは夜を翔ける黒い彗星の如く。
変化〜魔ニ還ル刻〜。頭部に双角を頂いたユウは、騎士が初撃で繰り出した音符すらも通り過ぎる速度でリフューエルへと肉薄していた。アウルで作り出された漆黒の闘衣はドレスのよう。禍々しくも美しい、血塗れた夜会を開こうか。
伸ばされた腕が弧を描く。ユウの指先が紡ぎ出すのは、淡い闇。常夜。死体のように冷たいそれは触れた者の温度を奪う。茨の異形に死の口付けを。
構成員はリフューエルから離れていたために巻き込むことは出来なかったが、分断を目的としていたユウにとっては寧ろ都合がいい。
「さぁ、貴方の相手は私です」
拒絶の茨に傷付けられながらも言い放つ。リフューエルがユウへ意識を向ける。けれど冥魔の意識の横合い、茨のディアボロに襲い掛かったのは閃電を纏う死の車輪。
「ほらほらぁ、ご自慢の茨で拒んでみなさいな」
嬲るような物言いで。リフューエルへ指先を向けていたのはエリー。開ききった花の如く色香を溢れさせるそれは、Demise Theurgia - Harlot Babylon -。魔術によって深淵は【大淫婦】の姿を与えられ、影を介して術者を包み、魂の器を拡張する。一時的な成熟すら起こさせる。
その姿、魔性。
ざわり。
撃退士の攻撃を受けたリフューエルの茨が蠢いた。
刹那、周囲撃退士へ伸びるのは、幾重もの茨の鞭。それは一同を切り裂き、絡み付き、その棘で更に肉を裂く。
だがその合間を縫って、咆哮と共にリフューエルへ躍りかかるものが一つ。
「最初からクライマックスで……ガンバルゾー……」
ベアトリーチェが召喚したティアマットである。獰猛な雄叫びを上げて、天の力を得た蒼銀の龍が冥魔に喰らいつく。痛みに怯まず、主から受け継いだ悪魔殲滅の牙を以て急所と判断した部位の茨を食い千切る。
「邪魔にならないところに……ポイして……」
後方、指示を出すベアトリーチェの命令に従い、ティアマットは冥魔を人のいない方へと押しやった。
「いやぁねぇ、そういう趣味はないのよぉ」
エリーは埃を払うように茨を振り解くと、そのまま近くの騎士へ聖なる刻印を。
「欲しい人は言ってねぇ。でも先着二名様までよぉ」
そう言って、エリーは視線を再びリフューエルへ。攻撃するほどにこちらも消耗する相手の特殊能力。だが幸いにしてこちらには回復手段が複数ある。攻勢専念あるのみ、エリーは再び魔力を練り上げ始めた。
「ふぅ」
茨から解放された騎士はエリーに軽く礼を言い、己の頬の切り傷を親指で拭う。
「まあ、荊の鞭で打たれるだけの事を魔界時代にはしたけどね。俺様は依頼人第一主義なだけで、ディアボロにされる覚えはねえよ」
神秘の総譜から、武装を桃花布槍に持ち代える。漂う芳醇な香り、持ち主の不敵な笑みは人形のように端整だけれど、その艶やかさの裏には毒。
「サドとマゾは表裏一体っつーが……てめぇはどうなんだ?」
踏み込んで、鋭く振るう。布槍の先端に仕込まれた錘は棘の如く、痛烈にディアボロを打ちのめす。騎士はそのまま冥魔に布槍を絡めて地面に引き摺り下ろさんとしたが、如何せん相手は強力。ならば引き摺り下ろせるまで散々弱らせてやるのみだ。
状況は激闘。
襲い来る茨――それらがユウの白い肌に次々と赤を咲かせる。ひとつの棘が、彼女の髪を一つにまとめる髪紐を切り裂いた。はらり、解ける漆黒の髪。それでも悪魔の表情<笑顔>は揺るがない。
向けるのは紫電のアウルを纏う銀色の拳銃。引き金を引けば、轟雷の如く。撃ち出された弾丸は凄まじい威力を持ってリフューエルに突き刺さる。
「核などは無いようです。おそらく、この茨自身がディアボロかと」
「合点了解……全部バラバラ……オールオッケー……」
リフューエルを見極めるユウの言葉に、ベアトリーチェが答える。ぴし、と指で示せば、ティアマットの勇ましい咆哮。
「大火力でガリガリ……一撃の重さ……ジャスティス……」
蒼銀の龍が再度、リフューエルの身体へと、その深部へと喰らいつく。それと同時にベアトリーチェに伝わるのは鋭い痛み――拒絶の棘。
「でも、まぁ、それ以上のダメージを与えれば問題ないわねぇ」
薄笑うエリーが言う。ベアトリーチェがコクリと頷き同意を示した。
さて……エリーは切った額から流れる血を舐め上げて。再度繰り出すのは深淵に形を与え現界させる魔術、Demise Theurgia-Pallidamors Steuer-。
与えられた姿は【蒼褪めた死の車輪】。死を告げる蒼雷の使者。車輪は死すべき者を轢殺せんと襲いかかる。轟々と音を立てて、冥魔の茨を轢き潰し、引き千切り、焼き潰す。
容赦も躊躇も無い一撃。残酷にして無慈悲という言葉が相応しい。
それもその筈――エリーは逃げ惑う人々が「どうなってもいい」という心算で、自分にとって最もベストなタイミングで攻撃を繰り出していたからだ。巻き込んでも、周りはどうせ死体だらけ。それが一つ二つ増えようが、世界が破滅する訳でもなし。
「まぁ、敵の攻撃に巻き込まれる分には自己責任よねぇ、勝手に逃げてちょうだいな」
飛び出してきても、気にしないし助けない。むしろ邪魔。魔女は、人間に媚びる存在等ではない。
けれども、だ。
一応魔法は斜め上に放ちつつ。逃げ遅れただけの者がいれば――それが子供ならば。何も言わず、エリーは冥魔の射線を防ぐよう、壁になるように立つ。
「あ、ありが、」
「喋ってる暇があるなら走ればぁ?」
感謝が欲しいのではない。
ただ、過去の自分のような者を放っておきたくない……ただ、それだけ。
「ド派手だねぇ」
仲間達の猛攻に騎士はそんな感想を漏らす。痛みを代価に茨を解除<アンロック>し、再び振るう布槍。
幸い、騎士やベアトリーチェが避難者から冥魔を遠ざけるように立ち回っていること、更に注意を惹かんと攻撃し続けるユウの行動もあり、リフューエルの攻撃が避難者に及んでいることはない。そうしている間にも、別働隊が次々と避難を行ってゆく。
この場から一般人の避難が済むのは時間の問題だろう。
状況――未だディアボロは健在。
けれど、確実に、この恐るべき生命力を誇る冥魔を削っている。
先に削られ切るのは、どちらか。
●或る悲鳴
状況は巻き戻る。
ディアボロへ向かった四人を見送り、『恒久の聖女』の構成員へと立ち塞がるは、マキナ、雪、由稀、静寂。
「往くわよ、マキナ」
言下に走り出した由稀と共に、頷きを返したマキナも地を蹴った。阿吽の呼吸、その筈だ、二人は同じ傭兵組織出身、だけでなく由稀はマキナの育ての親なのだから。
互いに示し合わせはしておらず。けれどまるで示し合わせたかのように、マキナは陰陽師へ、由稀はインフィルトレイターへ。
天使混血である陰陽師は、マキナの接近を察知するなり翼を広げて飛び上がった。小馬鹿にしたような笑みすら浮かべている。マキナの得物が拳と判断した陰陽師は、飛んで距離さえとれば一方的に嬲れると思ったか。
が、それは余りにも浅はかであったと後悔に変わるだろう。
マキナの右腕から立ち上る黒焔、それとよく似たモノが、彼女の背中に顕現する。黒焔の翼――翼と呼ぶには異形そのもので、半天使の翼と言うにはあまりにも歪だけれど。
黒を散らし、マキナが飛び上がる。そのケダモノめいた金の瞳は敵と認識したそれを偏に見据える。
黒夜天・偽神変生<ラグナレック・フェンリスヴォルフ>。その力の名は創造≪Briah≫、『終焉』と言う渇望を基にした擬似変生にして、万象幕引く偽神の具現。
世界の終焉の具象、マキナが放つただならぬオーラに陰陽師は本能的に攻勢に出ていた。蟲毒。放たれる幻影の蛇がマキナの肩口に喰らい付く。毒を流し込む。
けれどマキナはまるで意に介さぬ様子で――襤褸包帯に包まれた偽右腕【アガートラーム】の拳を、既に振り上げていた。
終焉齎す偽神<デウス・エクス・マキナ>。如何な理不尽も不条理も摧滅する者で在りたい、魂に刻まれた渇望は、絶望の終焉を希求する祈りは、マキナの拳に力を齎す。
陰陽師の顔面に叩き込まれたそれは、『ただの殴打』。そう、その一撃は技能で強化こそされているけれど、特殊な技でもなんでもない、『ただの殴打』。
「ぐぇあ゛」
濁った悲鳴。骨が砕ける音。鼻が潰れ唇が裂け歯が圧し折れ顎が外れた陰陽師が血を撒き散らす。
その者は一瞬で彼我の力量差を理解した。理解させられた、が正しいか。
「うぐ、……!」
身震いと共に陰陽師が全力で後退する。それをマキナは、翼を広げて追走する。
「死ね、死ね死ね死ね!」
硬いもの同士がぶつかり続ける重い音。
タツコは怒り狂った様子だった。駄々っ子のように大剣を振り下ろす先には、雪。けれどその剣筋は全て、緊急活性化された大盾に受け止められる。
そして、タツコの攻撃の間隙に、だ。
雪が降りぬく、一閃。
ぱーん。
それは――ハリセンがタツコの横っ面を叩いた音。
「ぶっ……あ、この、野郎ッ……ふざけやがって!」
タツコの尋常じゃない苛立ちは、雪のこの行動の所為にあった。目を血走らせるタツコとは対照的に、雪はどこまでも冷静な瞳で言葉を放つ。
「ふざけてない。冗談でもない。この茶番の『程度』にあわせてやってるんだ」
再び振り下ろされた剣を絶対的に防御し、雪はまたハリセンを振るう。あまりにも無様な――そしてタツコにとっては屈辱的な音が、場違いなほど戦場に響く。
「感謝しろ。命は取らない。お前にはたっぷりと説教をしなければならないからな!」
「ふざ、け、るなァアアアアッ!!!」
タツコには欠片の余裕も残っていなかった。怒りに狭まった視界に映るのは、雪だけ。
雪は淡々と、声を張る。
「……目を背けてはいけなかった。どんなに苦しくても、悲しくても。逃げてはいけなかった。力の上辺だけを見て、その力を持つ責任を見なかった! それがお前の弱さだ!」
「私は、弱くなんかない! 選ばれたんだ! 悪くない!」
「いいさ幾らでも否定してやろう。歯を食い縛れ! 目を覚ますまで修正してやる!」
その様子を遠巻きに――静寂は眼前に立ちふさがる鬼道忍軍を見澄ました。
「そこを退いて下さい。わたしはタツコさんに用があります」
「彼女は『恒久の聖女』と共にある者だ。『仲間』のもとへは行かせない」
言下に放たれる影のクナイ。それに対し、静寂はその身に影より暗い闇を纏う。ナイトドレスはクナイの衝撃を和らげ、静寂の白い肌を浅く切り裂くに終わった。
「っ…… もう一度言います。退いて下さい」
言葉と共に静寂が向ける銃口。放つのは牽制の弾丸。
一方では銃火が交差していた。
「さーて……」
乗り捨てられた車を遮蔽に、由稀は愛銃をリロードする。本来V兵器にはリロードなど必要ないのだが、長年『本物』を扱ってきた彼女にとって無いとリズムが狂うのだ。
と、刹那。アウルが込められた弾丸が車を貫き、由稀の頭部数センチ隣を通り過ぎていった。衝撃に彼女の髪が舞い上がる。片方の鼓膜がキンと痛む。
「全く、アウルってのは便利ねぇ」
皮肉めいた感想を漏らし、由稀は遮蔽から飛び出した。目が合うのは、アサルトライフルを構えるインフィルトレイター。再び放たれる弾丸、を、由稀は回避射撃で弾道を変え、寸でのところで回避。そのまま一気に距離を詰める。
「っとにウザ……アンタ達、ファッションや逃げで人殺してるんでしょ」
構えた双銃。高精度の弾丸がインフィルトレイターの肩口を貫く。
「ぐっ……劣等種殺し<ゴミ掃除>の何が悪い!」
「それがファッションや逃げだって言ってんの。何? 頭カラッポなの?」
放たれる弾丸を回避射撃で往なしつつ、由稀は躊躇なく引き金を引く。至近距離で響く銃声。零距離で銃を撃ち合うなんておよそ人間離れしている、と冷静な頭の隅で考えながら
弾道を変え切れなかった精密殺撃が由稀の横腹を貫いた。全く、アウルってのは便利なものだ――常人ならば致命傷、なのに自分はまだ立てる。
ふ、と呼吸ひとつ。由稀は更に敵の懐へ踏み込むと、前進の勢いのまま前蹴りをインフィルトレイターの腹へ叩き込んだ。
「ッが、」
胃液と共にくの字になる体。その髪を掴み、引き下ろすと共に由稀は顔面に膝を叩き込む。そして立て続け、肘鉄を後頭部へ。
辛うじて顔を上げたインフィルトレイター。けれどその口にゴリッと突っ込まれたのは、死神のように冷たい銃。震えて見上げた視界には、
「ふー」
紫煙を吐いた、女の顔。
どれだけ傷を負おうとも、表情ひとつ変えない顔。
「……悪いわね。こちとら殺しのプロなのよ」
ぱん。
各々、状況は加速する。
けれど何事にも終わりがあるように。
ターニングポイント。
空中、マキナが追い回していた陰陽師。
それが、彼女の眼前――本当に顔の数センチ先で。
じゅう。燃え盛る蠍の針が翼を広げた陰陽師を貫き、灰になるまで焼き潰す。
マキナが振り返ったそこには、燃え盛る焔よりも深く赤い色の魔女――エリーが彼女を見上げてクスクス笑っていた。
「魔の蠍に二撃無し、ってねぇ」
Demise Theurgia-Nefesch Scorpio-、それは地に蠢く焔の蠍。傲慢なる者を滅ぼす死毒の魔物。その一撃で以て無に帰す。
直後に聞こえた「ぱん」という乾いた音、マキナが視線をやれば、振り返った由稀――頭部を吹っ飛ばされたインフィルトレイターから噴き出す返り血に塗れている――と丁度目が合った。
「休んでる暇ないわよ、次」
由稀の目がそんなことを言っている気がして。いや、実際そう言っているのだろう。言外に。
その上空を飛び過ぎたのは、闇の翼を広げたユウだった。その手にはスナイパーライフル。狙うのは静寂の眼前、鬼道忍軍だ。
銃声――重なるのはティアマットの咆哮。龍が吐く癒しのブレスに傷を治しつつ、ベアトリーチェは神妙に頷いていた。
「強い味方……ジャスティス……」
いやはや、強烈だった。駆け出した少女は『ぐしゃぐしゃの塊になったディアボロだったもの』を横目に、冥魔の最期を思い出す。
『これで、最期』
そう言い放ったユウの手には漆黒の剣。
それは魔ニ還ル刻によって悪魔の力を解放していたユウが、更にその身を魔の存在に染めた瞬間。
刹那だった。ユウはまるでリフューエルを真っ黒く塗り潰すかのように、嵐の如く刃を振るう。五閃。黒く染まる。元々の攻撃力が非常に高い彼女が繰り出すそれは正に必殺と称するに値するものだった。
「うし、あとちょっとだな」
騎士も『次の標的』へ走り出していた。視線の先には、相変わらず雪のことしか見えていないタツコ。
(学園のケアミス……人は楽な方に傾倒しやすいってもんだ)
騎士は思う。久遠ヶ原が『一般人の敵予備軍の巣』と思われないようにするならば、『恒久の聖女』となったタツコも分け隔てなく倒すのが良いと思うけれど――“捕まえろ”っていうなら頑張って捕まえる為に努力しますか。
「尻拭いな分、報酬は弾んで貰いましょ♪」
リフューエルを見事に倒した撃退士達は、狙いをタツコへ定めていた。
その事態を見た鬼道忍軍は、自軍が劣勢と判断。撤退に出る――が。
「逃げるのぉ? 仲間を見捨てるなんて、酷い人ねぇ?」
エリーが放つ焔の蠍が、それを追う。鬼道忍軍は咄嗟に跳んで直撃こそ免れたものの、その足を灼熱という毒を秘めた針に貫かれ。
「ぐぎゃっ! あ、足がぁあああッ」
炭化した片足。虫のように転がる。その視界に映る、見下ろした由稀。
「死にたくなかったら大人しくしてなさい。これは警告よ」
「と、投降するっ……」
「そう」
ぱん。銃声。額を撃ち抜かれた鬼道忍軍が血沼に沈む。その片手からは、カラリとクナイが零れ落ちた。とんだ大根役者。見え見えでバレバレだった。あんな猿芝居で、油断させて攻撃する気だったなど。
「……脅し文句だと思ってたんなら、舐められたもんね」
立ち上る硝煙。紫煙と共に溜息一つ。
「捕縛は困難と判断。よって現場の判断にて処理」
言いながら、リロードを行った由稀は既に次の標的へ照準を定めていた。
「マキナ! 決めなさい!!」
放つ、アシッドショット。
その先には雪しか見えていないタツコ。
死角からの銃弾、逃れられる筈がない。
「あ、――!」
タツコが気付いた時にはもう遅い。
振り返るそこに、銀髪を翻し迫るマキナ。
ゴギン。咄嗟に構えた防御の剣、それにヒビが入るほど、めり込むのはマキナの拳。その間にも、じゅうじゅうと、装甲が溶けてゆく。
「私は悪くない――と、そう思うのは勝手ですが。殺しているのですから、殺される覚悟もあるのでしょう?」
びき。びき。脆くなりつつある防御刃を砕かんと、マキナは更に力を込めながら言葉を放った。
「己が正しいと信ずるなら、それを貫けば良い。そも、人とは己が正しいと信じた事しか出来ないのですから。如何であれ自ら選んだ以上、論を俟ちません。
――故に死ぬ気で抗い、貫けば良い。逃避などさせません」
「ふぅん……同じ学園生でも、殺す気なんだ?」
震えながら、それでもタツコは嫌味ったらしくそう言った。
ふぅ。ここでようやっと、マキナが感情らしい感情を見せた。尤も、無表情のままの浅い溜息だけだけれど。
「敵に寝返って仲間と、これだけ殺して仲間と、今この場で敵対していながら『仲間』と説きますか。仲間とは、それは何とも都合の良い話ですね。心の弱さに甘える様は、率直に言って無様極まりないですよ」
「何をッ――」
タツコがそう言いかけた、瞬間だった。
神天崩落・諧謔<ラグナレック・ミスティルテイン>。マキナの『終焉』という渇望を内包した幕引きの攻勢。防御など無意味と断じる強制の一撃。
そこに容赦はなかった。生存をしての確保はあくまでも善処。生死に深く頓着もなく。
音を立てて割れる剣。
無防備になる少女。
もう彼女を守るものはなんにもない。
なんにもない、守ってくれない、周囲にはもう仲間もいない。
それも、終わり。全部、終わり。
そうなる、筈だったが。
マキナの拳を受けたのは、タツコと彼女の間に割って入った静寂だった。
「! ――」
これには流石のマキナも僅かに目を見開いた。
驚いたのは彼女だけでない、タツコも飲み込めぬ状況に声すらない。
「っく、」
静寂は踏み止まる。
そのままタツコへと振り返って、銃を投げ捨てた手を振り上げて、
ぱしん。
高く響いたのは、平手打ちの音。
「え、あ……!?」
目を白黒させて、叩かれた頬を赤くして、ビンタの衝撃に半歩よろめいたタツコ。
そんな彼女を、静寂は両手でいっぱいに抱きしめた。
「最初の事故はあなたのせいではありません」
ダークフィリアで自らの傷を治しながら、静寂はタツコを抱きすくめる腕にギュッと力を込める。
「タツコさん。なぜわたしが叩いたかわかりますよね。あなたを人殺しにしておきたくないからです。
あなたの起こした事故は、撃退士も人間ですから、誰しも起こしうることです。大事なのはその後……遺族に謝罪し、事故の再発を防ぐよう心がけることです」
タツコは何も答えない。なので静寂は言葉を続けた。
「ええ、あなたは『悪くなかった』。ですから今からでもやり直せます。撃退士としての矜持は、あなたの胸の奥にあるでしょう?」
一緒に考えましょう。抱きしめたまま――タツコがこの状況から今度こそ逃げたりしないように。
「ゐのり様にすがりたいならすがればいい。わたしはそれを否定しません。学園に戻りたいなら戻ればいい。わたしが全力で支援します。ですから、」
緩めた抱擁。タツコの両肩に手を置き、静寂は真っ直ぐ少女を見据える。
「そんな風に自分を傷つけ続けないで。もう誰も殺さなくていいのです。わたしはあなたを許しています。誰かに責められても、わたしがあなたを守ります。
……タツコさん。あなたはどうしたいですか?」
優しい言葉だった。
けれど、優しいからこそ、タツコの心に突き刺さる言葉だった。少女は両手で顔を覆う。
「でも、もう、許される訳、ないじゃない。撃退士に戻れる筈ないじゃない。学生に、『普通の人間』に、戻れるなんて、今更、そんな都合がいい話……!」
「それで、また逃げるのか?」
言い放ったのは、雪。
「逃げて逃げて、これからずっと永遠に逃げ続けるのか?」
ぺしん。緩く、ハリセンでタツコの頭を叩く。
「『目を覚ますまで修正してやる』と言った筈だ、入谷タツコ」
その言葉に同意するように、今度はユウがタツコの手をそっと握った。向けるのは、自愛の笑み。優しい言葉。
「辛く厳しい日々が続くと思います。それでも『生き抜いて』下さい。貴女自身がまた笑顔になる日を迎える為にも」
未来に希望を抱いていた年端もいかない少女には、目を覆いたくなる事件だった筈――現実逃避はある種、健全な反応とも言えるだろう。けれど、犯してしまった罪は、一生心に巣くう闇になるだろう。
しかし、だからこそ。
「奪ってしまった命とご自身の為に、そこから目を背けず……どうか。生き抜いて欲しいのです」
そう、強く願わざるを得ない。彼女のこれからに、希望という灯火を信じたい。
「私は……、」
力なく、項垂れたタツコが呟いた。
「悪く、ないの?」
「それを決めるのは、これからのお前自身だ」
雪の言葉に、タツコは沈黙する。
ずっと、沈黙していた――。
●破れ幕引き
淡々と、それらを見ていたベアトリーチェ。
「この世には……生き地獄、なんて言葉もある……」
誰とはなしに呟いた言葉。
「誰が何が悪いのか……哲学的命題……深甚……。外奪のおにーさん……こういう理論……捏ねるの……好きそう……」
「呼びました?」
不意に、声。
ベアトリーチェが声の方を見やれば、信号機に腰掛けた悪魔――外奪が。
「あ」
「どーも、お久しぶりですよベアトリーチェさん」
ヒラヒラ、手を振る悪魔。それがちょっと嬉しくて、ベアトリーチェも控えめに手を振り返した。ティアマットだけは胡散臭い悪魔に敵意と牙を剥いたが、「おすわり、ふせ」と毒舌な主人に尻尾を踏みつけられたのでそれらを引っ込めた。
「よっす外奪」
他の仲間達が一斉に戦闘態勢を取る中、それを制するようにふらりと一歩前に出たのは騎士だ。
「こんばんは騎士さん、任務お疲れ様です」
「うん、疲れた」
なんともフランクに。肩を竦めた騎士は軽く笑い――「最近思うんだけどさ」と言葉を続けた。
「ここんとこの一連の事件を見て、まるで『己の罪は許されるのか』と問うてるように見えるんだよね。さてここで問題。許されたいのは『誰』だ? お前か? サマエル様か?」
「あっははは」
外奪は楽しげに笑った。
「逆に問いましょう。許されたくない者がこの世にいるのでしょうか。誰だって、心の底ではこう思ってるんじゃないんですか。何をされても許されたい。ドロドロに甘やかされたい。無償の愛がひたすら欲しい。どんなことをしても守って欲しい。愛して、許して、守って、助けて。ねぇ誰か誰か――ってね?」
まるで原罪の如く。成程ね、と騎士は薄く笑い、言葉を放った。
「そうそう、奢って貰ってばかりだしな。烈鉄も誘って、また遊ぼうぜ」
「ああ、いいですね。次は何しましょうか」
「ハロウィンが近いけどな。……それにしてもゐのりは、パワーアップしたんじゃねえの? 声の効果が薄いってされる学園生徒もよく引っ掛かるし」
「それはまぁ、ほら、あなた方はあくまでも『効き難い』だけで『絶対に効かない』じゃないですから。パワーアップかぁ……どうなんでしょうね? 今度ゐのりちゃんに聞いてみます」
「おー、よろしく頼むわ」
「それじゃあ小生はここいらで失礼しますね。いやはや、素晴らしい手際でしたよ。タツコちゃん、良かったですねぇ。仲間がいて。いーっぱい甘えると良いですよ。でも辛くなったらいつでも帰って来ていいんですよ? 甘えていいんですから。小生はいつだって味方ですからね?」
ケラケラ。笑って、外奪は襤褸外套の翼を広げて飛び去って行った。
それを完全に見送って――由稀はようやっと、銃を下ろした。
「そうそう……マキナ……最後の忠告」
視点は悪魔が飛び去った方角、彼女は傍らの義娘に語りかけた。
「情で客観視を忘れたら、堕ちるのはアンタよ」
最近の義娘の様子に対しては『思うところ』がある。
「……、」
マキナはただ、己の右掌に視線を落とすのであった。
●後日
彼女は殺人者ではなく洗脳された被害者である――静寂の強い訴えもあり、タツコは更生施設へと預けられた。
しかし、タツコは酷く精神を病んでしまっていた。罪を自覚したからこそ、全うに生きようと思ったからこそ、現実との乖離に心が軋み、地獄のような苦痛が襲いかかる。
病室から響く狂ったような悲鳴――それでもタツコが自傷や自殺をしないのは、完全に精神が崩壊していないのは、生き抜いて下さいと、やり直すんだと、逃げてはダメだと、心を約束が支えているからで。
九月。季節外れの蝉が鳴いていた。空は真っ白い、曇り。
『了』