●腐れた恋慕は死すべきだ
撃退士は、二番目の女がどういう経緯でこうなったのかは知らない。
けれど、彼女が如何に怒り狂っているかは、一瞬で理解できた。
「ディアボロを使ってこれだけの殺戮をするなんて、一体何が彼女を狂気に走らせたんだ……」
思わず、周囲の惨劇に若杉 英斗(
ja4230)は言葉を漏らした。
周囲だけでない。樒 和紗(
jb6970)の目は、二番目の女の涙を流す目に留まる。
(泣いている……)
『恒久の聖女』の者は、迫害を受けたりと哀しい過去を持つ者が多い。けれど、
(彼女が泣いているのは『今』?)
一体、何が。抱いた疑問はルティス・バルト(
jb7567)も同様。
「『恒久の聖女』の構成員でも……女性が人目憚らず泣いているのを放って置くワケにはいかないね」
でも、と彼は言葉を続けた。
「一般人を此の侭にして置くワケにもいかない」
「ですね。これ以上被害を出す訳にはいきません」
頷いた和紗。疑問の解決は後だ。
撃退士は一斉に動き出す。
六人は二名ずつの三班に分かれた。
英斗と江戸川 騎士(
jb5439)は二番目の女へ。
狩野 峰雪(
ja0345)とルティス、和紗とベアトリーチェ・ヴォルピ(
jb9382)はそれぞれ二体のディアボロ『埋火の輪』へ。
「成る丈早く倒さないとね」
言うなり、峰雪は紫電の銀銃を標的に向けた。撃ち出すのは聖なる光を帯びた弾丸。流星の軌跡を描くそれは一直線、高い精度を以て埋火の輪の中央、泣き叫ぶ顔へと直撃した。
天の光に焼かれる車輪が身悶えるように動き出さんとする。だが、その回転が止まった――ルティスの審判の鎖が、雁字搦めに冥魔を絡め捕ったからである。
「行かせないよ?」
くすくす、悪戯な笑み。これで一般人に被害が出ることはない。
「ありがとう、狙い易くなったよ」
そして冥魔が動けぬその間に峰雪が立て続けにスターショットを撃ち込んでいく。
ルティスも溶岩剣フラズルブレイドを振り上げていた。
「このままさくっと倒しちゃおう」
早く泣いてる彼女のもとへ行きたいし、彼女が引き摺っている男性らしき人物の容体も気になるし――思いつ振り抜く、聖なる一閃。新星の如き煌き。
星の様な光を帯びた二人の怒涛の攻撃はさながら流星群だ。強い天の力を持った総攻撃に、ディアボロには一溜まりもない。おそらく埋火の輪は長くはもつまい。
一方――放たれた蒼い矢が、別の埋火の輪を進路を妨害するように掠めた。
「させません。……今のうちに逃げて下さい」
逃げ惑う人々とディアボロの間に立つ、和紗。これ以上被害を出す訳にはいかない。慌しく遠のいて行く足音を背中で聞きながら、凛然と冥魔を見澄ます彼女は次の矢を引き絞っていた。
「俺は彼女と話がしたい。……貴方も早く、鎮まってください」
魔滅の聖弓から放たれるのは、悪魔を殺す天使の矢。
ディアボロの焔すら焼く聖なる焔に埋火の輪が悲鳴をあげた。だが、和紗目掛けてのその突進は止まらない――かと思われた。
一条の稲妻。横合いから放たれたそれが、冥魔の体を痺れさせ、動きを封じる。
「二人一組で……ガンバルゾー……」
ベアトリーチェが召喚したスレイプニルによる一撃だった。彼女は希薄ながらも和紗に気遣いの様子を見せ、続けて召喚獣に攻撃指令を送った。
フラットな物言いの主人とは対照的、高く嘶いた馬竜が、埋火の輪をを薙ぎ払い、退けさせる。
「可愛くないので……ギルティ……早めに斃すのが……ジャスティス……」
後退させたディアボロへは、更にスレイプニルが追加移動によって肉迫する。進路を妨害しつつ、和紗の射程内へ追い込むように。
キリ、キリ。その間にもう、和紗は星の矢を番え狙いを定めていて。
(元々は人だったろう哀れな存在……俺に出来る事は、永遠の眠りに導く事だけです)
撃ち放つ。一射絶命。
(泣いている……のか!?)
英斗の眼前には、二番目の女。振り下ろされ続ける容赦の無い攻撃を浮遊銀盾『飛龍』で受け止めつつ、彼は思う。『恒久の聖女』につき、涙まで流しているなんて、余程のことがあったのだろう。せめて、彼女の心だけでも救えないものか。
「俺は久遠ヶ原学園の若杉です。貴女の名前を教えてくれませんか」
「うるさい! うるさい! 謝れ!」
「謝れって、一体何に対してですか? よかったら事情を話してもらえませんか?」
「黙れ! お前ら全員死ねばいい!」
「その人を放して、自首する気はないですか?」
「自首? なんで? 悪いのは、お前等じゃないか!」
生々しいほど感情的。怒り。絶望。悲哀。それらが混ざった、狂気。
(ゐのりの『声』で恨みが増幅され、狂気に走ったのか!?)
また一撃、だがそれもまた、英斗の鉄壁の前に防がれる。
(本当に自首してくれれば、もっといいけど)
あくまで英斗及び二番目の女対応班の役割は、仲間がディアボロを倒すまでの時間稼ぎだ。
(ゐのりの声に心を深く汚染されたヤツが戻ってきた事例はないようだが……)
防御は英斗に任せつつ、騎士は女を見遣る。事前調査の結果、彼女と彼女が手に持つ男の素性は把握した。世間的にはよくある話。よくあるからこそ、ありふれた悲劇。
(二人の関係を見る限り、“人”に戻れる可能性はあるだろう、が……他の多くと同じで声から解放されず一線を越えるかも知れんがね)
さて、頑張って懐柔しますか。「か弱い俺様としては、死なない程度に」と不敵に笑みつつ。
「あんたは、誰かを一番にしてやるんじゃなくって自分を一番にしたかったんだな。ゐのりに乗っかって、男を蔑み自分を可哀想というフリをしているんじゃねぇの?」
友好的なオーラを醸し出しつつ、囁く魔言。今夜も天魔の舌が一段と良く滑る。
「愛や恋ってのは、相手に見返りを求めた時点で負けだぜ」
「あなたも『愛されたいと願うことは悪いこと』って言うのね。死ね」
冷たい、そして煮え滾るほど怒りの眼差しだった。二番目の女が騎士に掌を向ける。刹那に迸る、焔と衝撃波――だがそれは英斗が、庇護の翼によって肩代わりする。
「つぅ、なんて威力だ」
全身に響く衝撃。軋む臓腑。牽制のように振るった飛龍の刃が二番目の女の肩口を浅く切り裂く。だがここで英斗は、気付いた。彼女の、再生能力に。
(……合流までは攻撃スキルは温存すべきか)
構える英斗。益々怒りを滲ませた二番目の女が、真正面から彼を睨む。人とはここまで害意を露にできるものなのか。
どうつもこいつも許さない。恨みを吐く二番目の女が再び手を振り上げる。
その手は、……振り下ろされない。
「っ!?」
ざわざわ。黒い、長い――髪? それが二番目の女の腕に絡み付いて離れない。
「何故、泣いていたのですか?」
響いた声、現れたのは、和紗だった。その肩越しにはディアボロの残骸が転がっている。
「同感。何故キミのような美しい女性が泣いているんだい?」
更に、別の冥魔を倒したルティスが優しいオーラを纏いつ語りかける。
「こいつの……、こいつの所為だ!」
ぎり。二番目の女が、男の頭部を掴む指に力を込めた。めり込む指先に、無残な男が小さく呻く。
「謝れと言っていました。彼に傷つけられましたか。……傷つく程の存在でしたか」
「その人は、どうしたの?」
和紗が言い、穏やかな笑みを湛えた峰雪が問いかける。
二番目の女は語る。こいつの所為だ。こいつが私を捨てたんだ。一番愛してくれてるって信じてたのに。私は二番目だった。都合のいい道具だった。劣等の癖に、馬鹿にしたんだ。
「……そうですか」
和紗の物言いは非難ではなかった。二番目の女の気持ちは彼女にしか分からない。けれど、歩み寄りたいという意思がそこにはあった。
で、あるが――伸ばした手。動けぬ彼女から奪うのは、血みどろの男。
「!!」
二番目の女が目を見開く。
「返せ! そいつを――」
咆哮めいている。絶叫だった。けれど動きは、髪芝居に縛られて。
それでも、攻撃を行おうと思えば行えた筈だ。なのにしなかった、のは。
(彼女は、まだ殺人を犯していない)
ならばまだ『戻れる』余地がある。ならば、殺したくはない。
和紗は二番目の女の叫びを聞きながら、ルティスと共に治癒のアウルを彼に送り込んだ。
「苦しいかもしれませんが、俺達の一存で見殺しには出来ない。それに彼女の為にも死なせない」
和紗の声は果たして届いているのか。虚ろな目で、男は呻くのみ。そんな彼を覗き込み、ルティスは溜息を吐いた。
「色男……キミの所為で彼女の心はびしょ濡れ。サイアクだ」
返事はない。
(生き残るのも辛いだけ……とも思うけれど、僕らに勝手に安楽死とかを判断する権限はないし)
惨事でしかない状態を見、峰雪は思う。生きて助けることを目指すべきだよね、と。
遠巻きのベアトリーチェは男の姿に瞬き一つ。思い出したのは、とある推理作家の作品に出てきた『男』。
「芋虫……」
彼の最期は、確か井戸に落ちたんだっけ。
刹那、髪芝居を引き千切った二番目の女が、男を確保した和紗とルティスへ躍りかかる。
「させないっ!」
勇猛、間に割って入ったのは英斗。絶対に守りきる――固い決意は力となり、金焔となって彼の盾を燃え上がらせた。
光盾<ライトシールド>。二番目の女の破壊的な一撃は、絶対的な防御の前に掻き消える。
そしてその時にはもう、英斗は攻撃態勢に入っていた。
「燃えろ、俺のアウル――セイクリッド・インパクト!!」
金の次は、銀。爆発的に高められた彼のアウルは、右腕に取り付けた飛龍を、その刃を眩く美しく輝かせた。
振りぬかれた一撃の名は天翔撃<セイクリッドインパクト>。彼の『堅さ』を攻撃力に変換した、圧倒的な必殺技である。
「ぐぅッ……」
押しやられる二番目の女。顰めた眼の、視界、その目の前に、幽霊の如くスレイプニルがしゅるりと現れる。
「愛って……振り返らないことらしいけど……猪突猛進……過ぎ……。大人の階段……上ると……難しい……」
スレイプニルの後方には、髑髏を抱えたベアトリーチェ。
「殺さないよう……注意……半殺し目指して……ガンバルゾー」
半分流れる悪魔の血が騒ぐのか、しれっと毒も吐きながら。スレイプニルが女の急所を狙って鋭い一撃を叩き込む。
女の悲鳴。少女の表情は虚ろなまま。その心のまた、淡々と。
(今日は……外奪のおにーさん達居なくて……ツマンネ)
故に黙々と『依頼を処理』する。
立て続けの攻撃に二番目の女は血を流しながらも踏み止まった。反撃せんとする、が、その目の前には、大きく口を開けたパサランが。
「え、っ……」
のみこむ。
吐き出される。
蹲った女が噎せる。
「悲しくてやりきれない気持ちを『恒久の聖女』に利用されてしまったんだね。怒り見下し憎むことで、なんとか心の平安を保つように洗脳して、本当に、酷いことをするね……」
咳き込む二番目の女にかけられる、峰雪の声。パサランが彼の傍でふわふわしている。
「だけど、そんな簡単に嫌いになれるものではないし、あの男性を殺さないのは、殺せないだけだったのかな? だから、泣いていたのかな? 辛くて辛くて、だから自分自身で、人間は劣等種なんだと言い聞かせていたの?」
「私はッ……私は、」
憎かった。許せなかった。嫌いだった。何が? 世界が、彼が、自分が。座り込んだまま地面を搔く。項垂れた顔。
「いつか他のいい人が見つかることもあると思う。生きていれば」
傷だらけの心に、言葉を届かせるのは大変だけれども。峰雪は、撃退士は、言葉を続けた。
「これ以上、自分に嘘をついて、自分自身を傷つけないで」
「気持ちが分かるとは言いません。ですが、どうかこれ以上傷つかないで」
和紗が二番目の女の目をじっと見澄ます。
額から血を流しながら、女は肩を揺らして笑った。自暴自棄の笑みだった。
「じゃあ……あんた達が、私を攻撃するのを止めなさいよ」
傷付けている相手に「自身を傷付けるな」とは笑い話だ。収まらない敵意。終わらない憎悪。
「でも……そうしたら……お前が攻撃するでしょ……」
まるで溜め息のようなベアトリーチェの呟き。その通りだと言わんばかりに女は眼をぎらつかせた。
「そいつも殺して、あんた達も殺して、どいつもこいつも殺してやる!」
絶望と自棄と共に、何度目かの衝撃波。それはこれまでと同じ様に、英斗の盾に阻まれる。
「愛するものを殺す喜びという禁断の果実を齧ったものは、二度と“人”には交わることは出来ねえんだよ」
ままならないばかりの女に、騎士が意味深な笑みを浮かべた。
彼は外奪と同じで嘘は吐かない。けれど真実の小出しや余分なエッセンスは厭わない。それは、相手を混乱させる常套手段。
「もういいんです、もう自分を追い詰めなくっていいんです……!」
再び和紗の髪芝居が二番目の女を絡め捕った。二番目の女は、ただ、ただ、泣いている。分かっているのだ。勝ち目が無いなんてことに。けれどどうしようもない自分に、感情に。
「もう、殺して……私は、もう、生きていけない。生きるのが辛い。苦しい。消えてしまいたい」
嗚咽。
けれど、俯いた女の頬に、添えられる手があった。
「哀しい……辛い……遣り切れない……この世には沢山あるね」
上げられた顔、女の視界に映るのは、優しく微笑むルティスの双眸。
「その原因はその男性なんだよね? 痛めつけて気分はどう? キミは……どうしたいの?」
包み込むような、寄り添うような。そんな言葉。女は呟く。「死にたい」と。そうかい。男は笑みを崩さない。
「俺は……キミの笑顔を見てみたいよ」
言い終わると共に、か弱い女を抱き締めた。辛かったね。髪を優しく、撫でてやる。二番目の女は想定外の行動に息を飲んだようだった。
そんな彼女にくつりと笑い。ルティスは女の耳元に唇を寄せると、
「……今度は変なオトコに引っ掛かっちゃダメだよ?」
ずん。
剣の柄で、彼女の水月を一撃。
●がらくたのていたらく
二番目の女が頽れる。気絶しただけだ。
芋虫状の男はどうか。撃退士が手分けして治療を行った成果か、一先ず一命は取り留めたようだ。が……その精神は『壊れてしまった』ようであるが。
「……、」
無言のまま目を閉じる和紗。
こうなることをあの悪魔は分かっていたのだろうか? 騎士はふと思う。一応周りを見たけれど、見覚えのある姿は無い。
ありふれた悲劇、仕組まれた悲劇。
なんにしても悲劇は悲劇。峰雪はそっと肩を竦めた。
「すみません。違う形で出会って、貴女を救えていたら……」
意識を失い横たわる女の前で、英斗はこうべを垂れた。ままならない、のは、彼女だけではなかったのだ。
二番目の女が自決しないよう、傍らにしゃがみこんで見張るベアトリーチェは瞬きを一つ。
「大人は……難しいけど……愛も……難しい……っぽい……。
世の中は……複雑怪奇摩訶不思議……」
『了』