●イシツイシツ01
見えない棘が満ちている。
そんな空気が、その場には横たわっていた。
「おう、来たか」
現れた一同に、普段学校で見かける格好とは違う教師棄棄が振り返った。
「先生、お呼びにより参上いたしました!」
すぐさま彼の傍に駆け寄ったのは若杉 英斗(
ja4230)。とりあえずは教師の無事を確認し、そして周囲の赤い惨劇を見――
「これは先生がやったんですか」
「そうだ」
淀むことなく棄棄は答えた。「悪びれず」でも「罪悪感を感じていない」でもない、「事実だから正直に答えた」といった感じだ。
(ここまで力の抑えが利かないぐらい、先生の身体はよくないってことか!?)
棄棄との付き合いが長い英斗は、彼の身体が実はあまり健康ではないことをそれとなく勘付いている。そう思いながらもそっと見やる先には、反覚醒者団体。その視線は敵意に満ちている。英斗は依頼内容を脳内で繰り返した。
「先生、これはやりすぎですよぉ」
ここはあえて反覚醒者団体に同調してみせ、取り入る心の隙を作らんと。棄棄へ視線を戻す英斗の言葉。棄棄が力なく苦笑する。
「あー、そうだな」
そんなやりとりを見つつ、小田切ルビィ(
ja0841)は心の内では英斗の言葉に反対の意を抱かなかった。
(……あちゃ〜……棄棄センセーも随分と厄介な依頼を出してくれたモンだぜ)
ルビィは反覚醒者団体を刺激せぬよう、ジーパンTシャツという私服姿で装備も全てヒヒイロカネに収納している。同様にこの場で武器を持った者は一人もいない。
さて作戦では場所を移す予定である。マトモな神経なら誰だって死骸からは眼を背けたい筈――ルビィがそう思った通り。星杜 藤花(
ja0292)は血生臭い光景から目を逸らすように、夫である星杜 焔(
ja5378)の背中に隠れた。
(自分だって『殺す』ことには慣れていない、慣れたくない……それはヒトの大切な何かを失いかねないから)
優しく庇ってくれる夫の背の温もりを感じながら、藤花は深呼吸を一つ。彼女は優しい。優しいからこそ、誰かの『死』というものに動揺してしまう。早打つ心臓を落ち着かせ、せり上がりそうな胃液を堪え。
「とりあえず場所を変えよう?」
そんな仲間を見、そして反覚醒者団体を見、青空・アルベール(
ja0732)がそう提案した。
「この人はきちんと弔って貰わなきゃであるし、ここで言い合うのはちょっと、心が痛い」
「ええ……ここではきっと、一層心も荒みます」
声が震えそうになるのを辛うじて我慢して、藤花も言葉を続ける。
「お話をするならば、場所を変えてからの方がよろしいかと」
雁鉄 静寂(
jb3365)も冷静な声で告げた。
それらに、怪訝な様子をして互いの顔を見合わせる反覚醒者団体。「断る」と言葉が出てこない辺り、彼らも同様のことを思っているのか。けれど「分かった」と言わないのは、覚醒者の言うことに従うことが癪だからか。
ならばと言葉をかけたのは天野 天魔(
jb5560)。
「久遠ヶ原学園撃退士です。申し訳ありませんが現場検証や清掃があるので場所を移させてください」
理詰めの発言。列記とした理由を以ての提案。
するとようやっと、団体のリーダーらしき男が「分かった」と頷いた。
●イシツイシツ02
移動先は先程の場所から少しだけ離れた、木陰の草原。
さて――天魔は『一般人達』へ振り返った。白黒反転した目、そこから流れる赤い涙、異形の相貌に改めて彼等は眉根を寄せる。しかし天魔はそれらを一切気にかけることなく、言葉をかけた。
「襲われた時の話をしてくれませんか?」
「事情徴収でもするつもりか?」
「まぁ……そんなところかもしれません」
そう答えた天魔に、フンと鼻を鳴らした一般人。「なら話してやる」と、口を開いた。
要約するとこうだ。
彼ら反覚醒者団体は先程の場所で、覚醒者に対するヘイトスピーチを行っていたという。
すると間もなくして、ディアボロを二体つれた『恒久の聖女』構成員が襲いかかってきた。
そこへ突如として現れたのが棄棄。彼は『恒久の聖女』達と戦い、そして、惨殺した。
彼等はそれを、覚醒者への偏見や批判をたっぷり込めて恐ろしげに語った。
そして改めて、覚醒者は恐ろしい力を持ったバケモノであると。一般人の手によって徹底管理されるべきだと。彼らの理念を、語る。
成程。頷いた天魔。直後、その端正な顔が皮肉の笑みに歪んだ。
「非覚醒者による徹底管理ね。現時点で天魔関連以外で覚醒者が力を振るうと法によって罰せられ、その法を決めるの君達非覚醒者。つまり現時点で我々は君達に生殺与奪を握られてるも同然なのだがこれ以上どう管理する?」
「管理できていない者がいるだろうが、『恒久の聖女』がその最たる例だ! 法ではなくもっと明確な管理方法が必要なのだ」
「ならば全覚醒者を監獄に放り込むかね? 構わないが我々にも感情がある。君達の安心の為に不当に我々の権利が侵害されれば反感を抱くぞ? そして反感の行き着く先は『恒久の聖女』だ。君達は知らずに君達の敵を作ろうとしている」
「だったら反感を抱かないような教育などを徹底すべきだな」
常識的に、そして冷静に広い目で見れば、反覚醒者団体の言葉は滅茶苦茶な理論だ。天魔は小考する。そして、その色素の淡い指を反覚醒者団体のリーダーと思しき男へ突き付けた。
「いや知っていたかも知れんな。お前、悪魔から幾ら貰って、哀れな被害者を騙してここで集会を開き、聖女達に襲わせた?」
「なにをッ――」
途端に顔に怒りを増幅させたリーダー格が歯列を剥いた。言い返そうとするが、それを笑い声で遮ったのは天魔本人だ。
「ふふ、冗談だ。部外者である堕天使の俺から見れば、非覚醒者を劣等種と迫害する『恒久の聖女』も、覚醒者をバケモノと迫害する君らも、同じに見えたのでからかわせてもらった」
その言葉にリーダーだけでなく、反覚醒者団体の誰もが怒りを覚えたらしい。口々に飛ぶ罵倒、やはりバケモノは我々人間を劣等種だとコケにしていると憎しみに怒り。
やれやれ、天魔は肩を竦めてみせる。まるで戯曲演者のように。
「怒るのなら、非覚醒者に傷つけられたので仕返しをしようとしている『恒久の聖女』達と、覚醒者に傷つけられたので仕返しをしようとしている君達の違いを、教えて欲しい」
「我々は力を持たない。奴らは不気味な力で我々力を持たぬものを劣等種だのと罵り、お前のように馬鹿にする!」
「馬鹿になどしていないさ。尤も、信じて貰えないかもしれんがね。そもそも君達で止められない力なら銃を持つ警官も同じだ。君達は警官が罪を犯したら警察を廃止しろと要求するのか? 覚醒者も非覚醒者も一部の犯罪者と多数の善人で構成されているのは同じなのだよ」
正論である。理による言葉。けれど、反覚醒者団体には理を理で返せるほどの冷静さがなかった。彼らは天魔を『敵』と見なした。自分達を劣等種だとコケにし見下すバケモノであると。
口々の騒々しさ。満ち満ちる敵意。
――まいった、楽しそうだからと来て見れば、愉し過ぎて笑う事しかできん。
「おいおい」
噴き出しそうになるのを辛うじて堪え、両者の間に割って入ったのは鷺谷 明(
ja0776)。
「私は差別区別を礼賛するよ? その是非はどうあれ、それは世界を鮮やかにする」
彼の言葉に、天魔一人に向けられていたヘイトが一斉に明へ向いた。
「お前も我々を劣等種だと言うのか!?」
「劣等とまでは言っていないが……我があり彼がある。なれば差異が生まれ区別が生じるのは当然だ。そこから目を逸らすより、愛でる方が良いだろう?」
「醜悪で狡猾なバケモノなど愛でられるわけないだろうが、バケモノ風情が!」
「バケモノ? なんだそれ。イエローモンキーとでも返しておけばいいのか? 私もだけど」
「貴様、どこまで我々を馬鹿にしやがって!!」
「ふーむ」
どうやら分かり合えないらしい。
私がいて、私でない何かがいる。その事のなんと愛おしいことか――明はそう思っている。主義主張の是非ではなく多様性を以て世界を測る。享楽主義者として全てを楽しいものだと認識している。
けれど、世界の全てが明のような考えをしている訳ではない。明が自らを真なる中立と称しようとも、反覚醒者団体の目からは悪に映っているらしい。
ああこれはミスったかな。溜息を一つ、明は続けた。
「不本意ながら、こう言わねばならない。すまないが、抑えてくれと。なにせ時期が悪い。今現在この国は撃退士がいなければ立ち行かない。強盗が目の前にいるときに、指を切ったからと包丁を放り出す訳にはいかんのだ」
意気消沈。業腹である。
(状況が悪いから、なんて理由で一時とはいえ翻意を促さねばならぬとは)
とはいえここで露骨にガッカリするとよろしくないのだろう。それとない様子を保ちつつ、明は言った。
「ヘイトスピーチすると『恒久の聖女』がヘイトクライムしてくるからなあ。今現在はネットを中心に情報収集と拡散に止めといた方が良いかと。それから、戦略的にも天魔の脅威が無くなった後が一番目的を達しやすいと思うがね」
そして彼らが憎しみと共に言い返す前に、言葉を。
「蜚鳥尽きて良弓蔵せられ、狡兎死して走狗煮らる――現状、何を言おうと人類は撃退士が必要である。それが無くなった時こそ人類と撃退士の関係を決する時ではないだろうか」
「天魔がいなくなれば、それこそアウル覚醒者が人間に危害を加え始めるかもしれない!」
ああ言えばこう言う、とは、正に。
今にも彼らの感情ははち切れそうになっていた。こうなってしまえば、もうどんな言葉も――たとえどれだけ正論で理性的だろうと――届かないか。
ならば――いいだろう。溢れる負の感情の膿を出しきってしまわねば、通じる話も通じない。心に余裕を空けて貰わねば、どんな説得も届かない。
一歩。片手で仲間を制し、前に出たのは静寂だった。それにビクッと身体を震えさせる一般人。攻撃されると思ったのだろうか――凝視の先で静寂が広げた両手。それは敵意がない証明。「何があっても手を出さないで下さい」、小声で仲間に一言告げ、凛と視線を反覚醒者団体へ。
「私は久遠ヶ原学園の生徒、雁鉄 静寂です」
もう一歩、歩み寄る。突き刺さるのは警戒の眼差し。
「どうか皆さんの気持ちを聞かせてください。わたしのようなものが気に入らないなら、殴っていただいても構いません。わたしは一切抵抗しません。お約束します。
わたしは皆さんの気持ちを知りたいですし、一緒に考えたいです。皆さんの感じたことを事実として受け止め、受け入れたいと思います」
シン、と。
辺りが静まり返る。
けれど、一人。つかつかと歩み寄ったのは一人の女。
ぱしん。
響いたのは平手打ちの音だった。
「覚醒者<バケモノ>――お前らが野放しになっている所為で、私は夫と子供を遊び半分で殺されたんだ!!」
「そうだ……俺は両足をもがれたんだぞ!」
車椅子の男が叫ぶ。
「劣等種などと見下しやがって、俺達からしたら『恒久の聖女』も久遠ヶ原も同じバケモノの巣だ!」
誰かが叫ぶ。口々に叫ぶ。憎い。恐ろしい。赦せない。バケモノ。理解できない。
一人また一人、静寂に掴みかかり、打ち、殴り、蹴り、石を投げ、酷く罵る。
それでも静寂は一切抵抗しなかった。アウルも纏わず、口を挟まず、決して否定することなく、受け止めて、受け入れ続ける。
覚醒者として常人とは異なる強度を持った体に傷は付かない。それでも殴られれば衝撃に半歩よろめき、突き飛ばされれば転倒する。そして静寂は何度そうなろうと立ち上がり、彼らの感情を受け止める。
その目は凛と、淀みなく、真剣だった。真正面から徹底的に彼らの全てに付き合う心算だった。
人は、理性の服を着た感情だと言われている。今必要なのは言い合いではない。彼らの昂ぶった気持ちを存分に吐き出して貰うことだ。
そして――どれだけの時が経っただろうか。
反覚醒者団体の顔に浮かぶ疲弊の色。弾んだ吐息の音。一通り、ひとしきり暴れ、罵り続け。もう、静寂に殴りかかる者はいない。もう、撃退士にヘイトを吐く者はいない。
彼らが静寂に向ける視線の色が変わっていた。先程はあんなにも敵意に満ちて恐れていたのに、今は――複雑な、形容しがたいものだ。「彼女はなぜこんなことを?」そんな疑問を抱いている、ともとれる。ただ、そこに先程のような怒りがないことだけは確かである。
「皆さんのお気持ちはよくわかります」
ここでようやっと、静寂が口を開いた。
「お気持ちを聞かせて下さって、ありがとうございます」
向けたのは、笑顔だった。反覚醒者団体はぎょっとしたような様子を浮かべる。あれだけ、物理的なものと言葉による暴力を浴びせられて、笑っただけでなく、感謝まで。
「そうだ」
静寂が動きをみせる。再び反覚醒者団体がビクッとするが、それは先程のような恐怖からではなく、「一体今度は何をするのか」という驚きからくるもので。
彼らが見守る中、静寂が取り出したのはダンボール箱。開けられたその中に入っていたのは栄養ドリンクだった。
「お疲れでしょう。喉を潤してくださいね」
「ジャスミンティーも用意したので……喉を通らないかもしれないですけど、今日は暑いですし」
続いたのは焔だ。たくさんのペットボトルに入れたジャスミンティーと、紙コップ。押し付けるようなことはしない、草原の上、静寂が置いたダンボールの横にそっと置く。
「俺もさっき自販機で買ってきたんだ。好きなもの、持っていってくれな」
ルビィも、ビニール袋に入れていた人数分の缶ジュースを同様に置いた。
「ところでみなさん、お怪我はありませんか? 『恒久の聖女』に襲われたんですよね?」
更に英斗が、反覚醒者団体を見渡した。内心では「先生が一般人に怪我させるミスするわけないけど」と思いながらも、気遣いの心を見せる。
彼の問いに答えはない。怪我人はいないらしい。何よりだ、一安心しつつ。
「それと、これ、俺も頂いてもいいですかね。いやぁ、今日は良く晴れて暑くって」
言いながら、ダンボールから栄養ドリンクを取り出して、蓋を開けるや豪快に飲む。誰かが手をつければ、反覚醒者団体達も取り易くなるだろう。そう思っての行動だった。
かつ、英斗はこう思っていたのだ。「撃退士やアウル覚醒者も、普通の人間なんだってわかってもらいたい」と。その為には、彼らに普通の人間臭さを見せるのがいいのではと。
反覚醒者団体は出された飲み物に手を着けない。けれど、撃退士の言動にすっかり毒気を抜かれた様子だった。
「つらいこと、悲しいこと、いっぱいあったんだよな」
そこへ言葉をかけたのは、青空だった。
は、と。視線が集まったのは、彼の言った通りだったから。辛くて悲しいことが、本当にたくさんあったから。図星を言い当てられたから。
「そしてそれを繰り返したくないから戦ってる」
先程、静寂へ――そして自分達に投げられたヘイト。あまりにも膨大な感情の奔流。それがあるからこそ、彼らはこんなことをしているのだろう。だから聞いた。罵詈雑言も正当な理由も、全部受け止める。
青空は一同を見渡した。誰もが、青空に目を向けている。先より険しさが抜けた目で。
「……私たちも同じだよ。凄惨な事件、少しでも無くなればと思って戦ってる」
静かに、少年は言葉を続けた。
「理不尽な悪はどこにでもいるということ。そのひとつを指して『全て』にはならねーことなのだ。『理不尽に人を傷付ける覚醒者』は、私達にとっても悪なのだ」
反論はなかった。それは彼らの『返事』でもあった。
「長時間の立ち話も何だし、どっかに座って話さねーか?」
俯く彼ら、そのリーダーへフランクに声をかけたのはルビィ。
「っと、丁度いいな、ここ。いい原っぱじゃねーか。いい具合に木陰にもなってるしな」
よいせ。ゆっくりと原っぱの上に腰を下ろす。緊張を緩和するための行動だった。
「あんた――リーダーさんだろ、座りなよ。ほら、皆も座ろうぜ。原っぱ気持ちいいぞ」
相手に、そして仲間に、ルビィが促す。撃退士が次々と腰を下ろす。リーダーは困惑した様子を見せたが、今一度ルビィに視線で促されれば、困惑したままそっと座った。すると反覚醒者団体の面々も次々と、どこか狐に包まれた様子で座ってゆく。
さて。一間空けたところで。
ルビィは口を開く。語るのは、己の正直な気持ちだ。
「自分とは違う者、理解できない者は怖ェよな? 肌の色が違うってだけで争いが生じる世の中だ。俺達撃退士に対する一般人の恐怖心はかなりのモンだろう……。覚醒者による被害者は特に、な」
――だが。
「一般人の中にも犯罪者や狂信者がいるように、覚醒者も十人十色だ。
撃退士の多くは今も命懸けで天魔や『恒久の聖女』みたいな奴等と戦い続けてる。――この地を、それぞれの大事なモンを護る為に。分かってくれとは言わないが、せめて『そういう連中が居る』って事だけでも憶えていて欲しい」
ルビィの真っ直ぐな眼差しに、反覚醒者団体が顔を見合わせる。
「お話、聴かせて頂きました。私もあなた達のお気持ちを否定しません」
そこへ、真摯な雰囲気を纏った焔が言葉を続けた。
「あなた方が覚醒者による事件で大切なものを喪ったように、私も――天魔事件で、大切なものをたくさん喪いました」
同じ被害者であると分かれば話し易いだろうか。そう思っての発言だった。
けれどふと、一般人からの目が動揺しているように見えて……
「あ」
焔はようやっと、己が目から涙を零していたことに気付く。思い出した辛い過去。今でも治らない心の痛み。「ごめんなさい」、苦笑しながら涙を拭った。辛い過去を辛いと思うのは、大切なものを喪ったら哀しいのは、一般人も覚醒者も、同じ。
「……今後の為に私達からも少し話をさせて頂きますね」
言いながら、反覚醒者団体の一同に見える場所に広げたのは様々な写真だった。久遠ヶ原学園を写したものである。
「まず、学園には『一般人は劣等種だ』だなんて思想はありません。そのような教育は行われていません。そもそも、学園長は一般人です。学園長だけでなく、教師や依頼斡旋所にも一般人は多くいます」
この人です、と具体的に写真を見せつつ。次いで見せたのは学内行事の写真だ。
「久遠ヶ原も、他の学校と何ら変わりなく行事やイベントがあります。
……私達は覚醒したからといって心が変わることはありません。世界を守る力を振るう私達の心を守れるのは、周囲の皆なんです」
「久遠ヶ原学園生が依頼でもらえる報酬、どれぐらいだと思います?」
言葉を続けたのは、英斗だ。見せるのは、指二本。
「せいぜい2万久遠前後ですよ。命を賭けて臨んだ依頼でコレですよ? それでも『世界を守りたい』という気持ちがあるから天魔と戦えるんです。そこまでして守る人類を、迫害なんてするわけありませんよ」
更に、藤花が一同を見渡し、口を開いた。
「わたしは余り、……戦いや、誰かの死には慣れていないのですが……あの方は本当にバケモノだったのです……?」
視線で示したのは、遠巻きに木にもたれている棄棄だ。
「覚醒者と言っても撃退士は、京都や四国の例を見るまでもなく、人々を助けてくれますよね。そう言う方もバケモノ扱いするのは、相手を貶めることになると思うんです」
それに、と続けて曰く。
「アウルの覚醒は人それぞれと聞いたことがあります。皆さんの大切な人が突如アウルに目覚めたら、彼らはバケモノなのでしょうか……? 本人も家族もそんな扱いを受けて、辛い思いをしたかも知れません」
反論はない。藤花は目を伏せ、呟いた。
「わたしの子も、覚醒者ですから……そんなの耐えられない」
「うん。私も、息子がバケモノと呼ばれる姿は、見たくない」
焔も頷く。星杜夫妻が脳裏に描くのは、2歳になったばかりの愛しい息子の可愛い笑顔。彼がバケモノと罵られ、傷付けられ、悲しみに泣く姿なんて――考えただけで、胸が張り裂けそうだ。
覚醒者がバケモノならば、幼く無垢な子供までもバケモノなのか? まっさらで無力な赤子もバケモノなのか? バケモノならば、どんな小さな子供でも迫害すべきなのか? 果たしてそれは正しいのか? 星杜夫妻の言葉は、一般人にそう考えさせる。
「アウル能力は確かに一つ間違えれば危険ですが、その制御を正しく教えてくれる場所もあります」
それが久遠ヶ原学園です、と藤花。
「他人を勝手に見下げるのは相手に失礼なこと。一般人と覚醒者、対等な立場がいいのでは……?
覚醒者はバケモノ……言いたいことはわかります。が、わたしたちだって人間、なんです」
柔らかく、けれど強く、少女は訴えかける。それは藤花<人間>の、心からの声。
焔は妻の横に並び、言葉を続けた。
「『恒久の聖女』があんな思想を掲げるに至ったのは、覚醒者がバケモノであると迫害を受け、凄惨な人生を送ったためだったと久遠ヶ原の方で調査も済んでいます。それは、今の『恒久の聖女』のトップである少女も同じ」
哀しいけれど、それは現実であり事実。
「覚醒者による凶行は、サマエルという洗脳や精神汚染を得意とする悪魔によるものです。洗脳を逃れ、『恒久の聖女』に不審を抱き脱退した者もいます。
悪魔の思惑通りに負の連鎖が続けば、新たな被害者が生まれてしまう。加害者を許す必要はありません、けれど……新たな芽を生むことだけは」
「今の状況は、天魔の思う壺です。人間を仲間割れさせて、力を削ごうとしてるんです。こんな小細工を弄する程、天魔も人間に手を焼いています。いまこそ人類みんなで力を合わせて天魔に対抗すべき時なんです」
英斗も真っ直ぐ一同を見やり、続けた。
今ここは負の連鎖の真っ只中なのだと。
渦の中にいることに気付かねばならないのだと。
その渦から脱しねば、覚醒者にも非覚醒者にも破滅が待っているのだと。
そして何よりも――人々を負の渦に突き落としたのは、悪しき悪魔なのである。憎むべきは覚醒者でも、非覚醒者でもない。こんな状況を作り上げた悪魔なのだ。忌むべきは、悪魔達が『互いに噛み合うウロボロス』のように憎みあう人間達を見て面白可笑しく嗤っているという事実。
それらに、『人間』は気付かねばならない。
「徹底管理ってのは、信頼してないってことだな。今すぐには無理でも、ゆっくりでもいいから……その上で、人間と人間として付き合っていく為に、必要なことなら、相談して制度を変えることも出来ると、思う」
ぽつり、青空は口を噤む者達に語りかける。
「いろんな人がいると思うけど。戦うの、私は、今でもすごく怖いよ。天魔と戦うのが楽しいわけない。ましてや『恒久の聖女』達は人間で、怖いけど、戦えるのは、私は力を持ってるから。持ってない人を守りたいから、幸せでいてほしいから!」
心の奥から振り絞る、言葉。思い返すのは子供の時に見たブラウン管の中のヒーロー。青空の夢。誰かのために使いたいと願った力。
「……それでも戦う為の道具には、到底成れねーのだ」
握り締めた拳。己は人間だ。道具ではない。人間なのだ。生まれた時から。
「すぐ受け入れてくれとは言わない。ただ、少しだけ、信頼してほしい」
「理解しろ」でも、
「お前達は間違っている」でも、
「私達が正しい」でもなく。
――「信じて」と。
「……」
沈黙。――それが、どれぐらい経っただろうか。
反覚醒者団体は複雑な顔をしていた。
団体の視線はやがて、リーダーに集まる。
彼は溜息を一つ吐いた。そして、ようやっと、こう答えたのだ。
「……分かった」
と。
それは、撃退士の言葉と想いが、彼らに届いた何よりの証。
「理解しろ」を押し付けたのならば、きっとこうはならなかっただろう。彼らも彼らなりに信念を持って思想を掲げている。それは易々と捨てることなどできない。撃退士の言葉に思想を捨てることは、覚醒者に屈したことと同義だからだ。
「信じて」。信じることと、思想を捨てることは異なる。だからこそ、彼等は「信じる」と頷いたのだ。
――彼らの心にある覚醒者への偏見や恐怖は、完全に無にはならないだろう。大切なものを奪われた哀しい過去が決して消えないように。彼らの覚醒者への負の感情を完全に消すには、それこそ洗脳や記憶喪失が必要となるほどである。
けれど、もうかつてのような無差別で盲目的な怒りは振り撒かれない筈だ。その証拠に、撃退士を見る彼らの瞳に怒りは潜んでいなかった。彼等は撃退士を、信じることにしたのだから。
●カイジン
棄棄が小声で生徒に断りを入れてその場を離脱したのは、撃退士の説得が途中の時だった。
(こんな時に腹痛だなんて……)
焔は思った。公衆便所は紙の無い場所もある。ので、教師の後を追った。
男子用便所。暗い個室。流水音が聞こえている。それもいつまでもだ。ずっと水を流すレバーを引いているのだろうか。なぜ?
彼は更に違和感を感じる。
(胃酸、と、血のにおい……?)
脳裏に過ぎるのは、面識のある再起不能となった教師達。もしや。一歩、踏み出したところで――ドアが開く。困った顔の棄棄が出てきた。
「おう、超ぽんぺだったわ。ほむほむもトイレか?」
「あ、いえ」
「ん? じゃあ先戻ってろよ、俺は手を石鹸でシッカリ洗ってるから」
「先生」
へらへら笑うその奥に、彼は何かを隠している。焔はそう直感した。
「口元に血が」
「!」
棄棄が咄嗟に鏡を見やった。拭いた筈なのに。けれど鏡に映る教師の顔に、血など付いていない。カマかけられたか。棄棄は苦笑を漏らした。してやられた。
「やっぱり……」
生徒は溜息を一つ。
「備えもなしに二十人を守り、ましてや一対三の状況だなんて、無茶しすぎです。死んでもおかしくなかった……被害者ゼロも奇跡ですよ」
「ああ、確かにちょっと、頑張りすぎたかな」
諦めたように手を上げて、棄棄は壁に凭れかかる。そのままズルズルと座り込んでしまった。
「うん、超疲れた。やばい。フラフラする。身体すっげぇ痛ぇ。
……悪い、ちょっとだけ休ませてくれ。あとこのことは内緒にしてくれないか。立てるようになったら、ぶっ倒れないうちに退散しとくからよ」
ほら、行ってくれ。そんな言葉。焔は少し逡巡するが、「頼むよ」と教師に促され。
「……分かりました」
踵を返す。
それからしばし……時間が経ち。
さて今のうちにと立ち上がる棄棄が公衆便所を出ると――青空が駆けて来たところだった。
「せんせっ……焔が、先生が『かなり疲弊していて血も吐いてた』って言ってたから……」
ぜぇはぁ。全力疾走したのだろう。息を整え、背筋を伸ばし、生徒は教師の真正面。
「旧人類も新人類もねーのだ。今はずっと繋がってる。棄棄先生が戦ってくれたから在る今もあるのだ!」
だから。青空は手を伸ばす。
「ちゃんと帰ろうな」
「……しゃーねぇなぁ」
棄棄はその手に手を伸ばし――がしり。青空に全身を預ける。
「あしくびをくじきました。おんぶしてくださーい」
「うむ、了解なのだ!」
あえて深い事情を聞きはしない。本当はふらついたのを誤魔化しただけなんだろうと問うこともしない。
今はそういうことは全部、置いておいて。
一緒に帰ろう。
●原罪の子
「いやぁ、俺からみても先生……あの人はホントにバケモノですよ。授業で模擬戦しても俺の攻撃まったく当たりませんからね」
言葉が無事届き、棄棄がまだ帰っていない時分。英斗は団体一同に、そう苦笑した。
「ただ、悪人では決してないと思いますよ」
「君達がそう言うのなら、信じよう」
彼らの言葉にもう棘はない。
そんな様子を眺めつつ、藤花は疑問に思っていた。
(そもそも、棄棄先生は何故こんな場所に?)
この近くに先生と縁のある場所でもあるのだろうか。そう思い、彼女は後に調べてみるのだが――結局は分からず仕舞いだった。
場面は公園へと戻る。
やれやれ無事に成功して何よりだと息を吐いた天魔、ただただ笑い続ける明。静寂は、団体の者とジャスミンティーを飲んでいる。
「先程はすまなかった」
「いえ、お気になさらないで下さい」
にっこりと、静寂は微笑む。その笑みに、彼女に暴力を振るった者達は罪悪感と共に、救済された気すらもした。
それからしばし、帰ろうとした団体に、ルビィは声をかけた。
「……なあ? 今のアンタ達の眼に、俺はどんな風に映ってる? やっぱりバケモノか? それとも……?」
振り返る一同。
「少なくとも君達は、バケモノではないと思ったよ」
そう言い残し、彼等は歩いてゆく。
一帯の空気に、流れる風に、もう『見えない棘』は落ちていなかった。
『了』