●お前が悪い
(是非もなし、されど咎人……まず、立ち止まってもらわないと)
希理恵が進む先に、彼女が望む幸福と自由はないのだから。故に九鬼 龍磨(
jb8028)は敵意を見せず、
「やぁ、こんにちは」
ニコヤカに、希理恵へ、一歩。踏み入れば拒絶の霧が、彼を蝕む。
「あ」
途端に希理恵が向けたのは怯えの目。ので、龍磨はピタリと立ち止まった。
他の仲間達が一斉に身構える。
だが山里赤薔薇(
jb4090)はそれを手で制し、努めて心を鎮めながら希理恵へと視線を向けた。
(人が人を辞めていく姿を見るのはもう嫌)
だから、止める。全力で。悲しみがこれ以上広がる前に。
「こんにちは、私たちは学園撃退士。あなたを止めに来ました」
レジスト・ポイズンによって毒霧への抵抗を高めつつ、赤薔薇は周囲を見やった――机に詰められた「死ね」という紙。床の血の海。どろどろ血達磨の死体達。濃密な血腥さ。
「色々酷いね……。憎い相手を殺したくなるのはわかる。でも本当にやっちゃダメでしょ……」
「やっぱり殺人って悪い事ですよね」
「そうだね。悪い事って分かっているなら、とりあえずこの毒霧を止めて一緒に来て。そうすれば私達は何もしない」
「ごめんなさい。もう後戻りはできないんです」
来ないで下さい。希理恵が後ずさる。
怯えている。けれどその目には覚悟。
戻れないなら、進むしかない。例えそれが血に塗れていようと。
「それで遠藤は他人に言われるままにバイキンになっちまったってーのか」
溜息のように、ラファル A ユーティライネン(
jb4620)が言った。
「自分の人生、投げ捨てやがって、そんな言い分が通る訳ねーだろ」
希理恵は言い返さず、ただただ困った目をラファルに向けた。やれやれ、とラファルは続ける。
「ひどいいじめを受けてきたことについては同情する。だが、戦わねー奴に居場所なんかある訳がない。それは俺達に対する要求でもわかる。
『放っておけ』、『自分から何もしないからそっちも何もするな』……いかにも無抵抗を貫いてきた結果いじめられてきたっつー事をこれっぽっちも自覚しちゃいねぇ」
「うん、私が悪いのは良く分かります」
思考停止と諦念と。嗚呼、とラファルは言葉もない。ただただ希理恵の無学に哀れを感じ、考え違いに怒りを覚える。
更にラファルが許せないのは、希理恵の命を奪わなかったいじめっこに対し、希理恵は力を得た途端に命を奪った事である。それは、いじめっこのやり口と何の違いがあるというのか?
「殺してしまった事で口を封じて自分の正しさを証明する行為は見過ごせるはずもなし。つまり諸事情を鑑みても情状酌量の余地はなし。よってギルティ」
リミッター解除――「ラファルズラース」。
負の感情制御放棄、限定的狂乱。7つの大罪の一つ「憤怒」の名を冠した禁じ手の一つ。ラファルの全身から火炎の如く深紅のアウルが溢れ出す。
やはり戦闘回避は不可能だろう。分かり合えないのだろう――同刻、教室入り口の外に潜んでいたギィネシアヌ(
ja5565)は心の奥から漏れそうになった感情を、歯を食い縛って噛み殺す。
ギィネシアヌは日本語しか話せないドイツ人と日本人のハーフだ。その外見から「ガイジン、ガイジン」と苛められた経験がある。
当時、もし聖女の声がしたなら、果たして己は自制を保てただろうか――
(いや、こんな自問自答は無意味だ。どれだけ自分に重ねても、救えると思うなんて傲慢だ)
世界蛇の名を冠した黒い改造マスケットを握り直す。
(俺がこの引き金を引く事を悩めば、沢山の人間が死ぬだろう。逃がすという選択肢がない以上、俺は恨まれる事をする)
クリアマインド。気配を殺し、己を殺し。
「……憎むなら憎んでくれていい。俺は悪党でいい。俺がその憎悪も苦しみも引き取ってやる」
狙うのは意識の間隙。引き金を引いた。
散開する撃退士に意識を向けていた希理恵が、ましてや戦闘のド素人が、どうして『狙撃される』など予想出来よう?
赤い光の軌跡を残す超精密の弾丸は真っ直ぐ、狂いなく、容赦なく、希理恵の右足を穿つ。
「痛ッ――」
一瞬、希理恵は右足の痛みの正体を理解できなかった。
攻撃されたのだと気付いた瞬間、横合いより襲い掛かる蔦の鞭が彼女を打ち据え、ガバリと開いたハエトリグサの様な器官が喰らい付いてその動きを封じ込める。
「……っ、」
咲魔 聡一(
jb9491)による食虫植物の祭典<カーニバラスカーニバル>。けれど聡一の春緑の瞳は、まるで彼自身が攻撃を浴びたかの様な色を湛えていた。
(これは、ただ殺人鬼を半殺しにして捕らえるだけの任務だ。彼女に同情する余地なんてありはしない、いじめられていた事実なんて存在しない)
何度も脳内で繰り返し、何度も自分に言い聞かせる。
(今僕が必死に涙をこらえているのも、何かの間違いだ)
噛み締めた唇が痛くって、鉄の味が滲むのも、きっと気の所為に違いない。
「……」
希理恵は無言だった。少し困った様子と、明確な殺意と。
直後に自らを拘束する食虫植物を引き千切ると、少女は撃退士へ両手を向けた。呪いを秘めた刃の風が吹く。
狗月 暁良(
ja8545)はそれを氷狼爪で武装した腕で防御した。過ぎる風が暁良の白い肌の各所に血華を赤く咲かせる――最中にも暁良は窓際へ、脚部で燃焼させるアウルの機動力を以て希理恵を包囲するように周り込んだ。
「Аминь」
最中に呟いた祈りの言葉は、机に座ったまま死亡したいじめっ子達に向けて。その表情に感情の揺らぎはない。
(『恒久の聖女』に関連シているであろう以上、こんな事件を起こシちまった以上、本人の希望通り放置しておいてやる訳にはいかネーからナ)
そして戦う相手と歓談するようなタイプでもない。故に遠慮なく戦う。尤も『無力化』が目的である為に殺意こそ抱いていないけれど。
毒霧を突っ切り、机の合間を縫い、詰める間合い。暁良がしなやかに振り抜いたのは長い脚。力を込めた蹴撃が、後ずさっていた希理恵を大きく弾き飛ばす。
「うっ!」
ガシャガシャと机が乱れ倒れる音、地面に転がる死体、転倒した希理恵。少女が顔を上げれば、360度――武器を構え包囲する撃退士。
少女に手を差し伸べてはいけないのだと、双角盾を構え希理恵に肉薄する龍磨は自らに言い聞かせる。容赦なく死体や机を蹴り飛ばして希理恵の行く手を阻むような壁にしながら、振り被った盾。五感と筋肉の反応速度を極限まで高める。
駄津撃ち、それは狙い澄ませた必中の一撃。
刹那に怯えた少女と目が合って――震えた唇は「やめて」と告げていて、
(……ごめん)
ずぶ、と。
嫌な感触だ――率直にそう思った。人間の肉に得物を突き立てる感触。赤い血も、生きている証拠で。目の前の『敵』が人間<自分と同じ>である証明で。
「痛い、痛い痛いっ!」
悲痛な叫び。
「ごめんね、ちょっと痛い思いさせてしまう」
赤薔薇の声。トン、と床に黄金鎌の石突で叩けば、浮かび上がった魔法陣より異界の呼び手がずるりと伸びた。優しく差し伸ばす手ではない。希理恵を雁字搦めに縛る手だ。
「要求あらば自分で勝ち取るがいい。さもなくば俺達に従うしかない」
鬼の如き憤怒の形相をしたラファルの声は、外見に反して無機質なまでに冷然としていた。
限定偽装解除「ナイトウォーカー」始動。
身体の機械化偽装を限定的に解除し戦闘特化フォルムになったラファルは、毒霧の中で赤い色を吹き上げながらゼロ距離に踏み込んだ。
ラファルの左手が鋼鉄の拳打機に変形する。迸る内臓の超電磁加速器。繰り出すのは強力な、そして凶悪な貫手。ナックルバンカー「DDD」<ダイダロスディスラプターダイオウジョウ>。
鮮血。
グッドステータスではないからか散布したナノマシンは希理恵の毒霧を解除する事はできなかったが、ダメ元上等。解除できずともその痛烈な一撃は確かな一撃となった。
蹲って咳き込む希理恵。吐き出すのは血反吐と吐瀉物と――いっそう黒い、不気味な霧。
それは教室中に充満し、撃退士の体を強烈に蝕むと共に毒で脅かした。
だが撃退士は何の対策をしていた訳でもない。暁良と聡一は龍磨より聖なる刻印を施されており、赤薔薇は対毒魔術を発動しており、ラファルは血流に通すアウル「スマートブラッド」を恒常的にろ過する装置「コスモクリーナー」を起動させ毒に抵抗する。
ギィネシアヌはそもそも射程外、少女の鮮紅の双眸は獲物を狙う蛇の如く、教室の外――廊下から再び狙いを定めていた。
こうして敵意を向けた以上、もうどうにもならないのは分かる。
だからギィネシアヌは決めていた。
(希理恵が逃走を試みたら――、殺す)
引き金を引く。弾丸が奔る。先ほど撃った脚とは逆の脚を貫く。希理恵の命を削ってゆく。
もし『そうなったら』、泣かないようにしよう。敵に流す涙はない。次弾を装填しつつ少女は思う。俺は泣き虫だから、ぐっと、一生懸命、堪えないといけない。
一方で龍磨は防壁陣に庇護の翼と、徹底的なダメージコントロールで味方の総合的な損害を最小限に抑えている。最中にも駄津撃ちを放ち攻撃の手も緩めない。
引き結んだ龍磨の口唇は何も語らず。希理恵の言葉も聞かず、ただただ、彼女を無力化する為の職務を徹底する。
(……なんて、悲しい時間)
赤薔薇は無力さと遣る瀬無さを感じていた。異界の呼び手で拘束した希理恵へゼロ距離で放つのはポイズンミスト。二人の少女の二つの毒。互いが互いを蝕みあう。
状況は撃退士優勢で進んでいた。
時間が経つほどに希理恵の毒が撃退士を苛むけれど、撃退士は削られた以上に希理恵の体力を削っている。
暁良の薙ぎ払いを辛うじて耐えた希理恵がよろめいた。ギィネシアヌの狙撃、度重なる脚への攻撃に、彼女の機動力や回避力は殺がれている。
けれどまだ彼女の戦意は消えていない。毒の風が再び教室を掻き乱す。
そこを突っ切るように、ラファルは一直線。拳を振り被りながら。
「それが戦うってことだ、忘れるな」
右ストレートのグーパンチ。文字通りの『鉄拳』だ。
殴り飛ばされた希理恵はフラフラと――痛みと暴力の恐怖に涙を流し、怯えるままに割れた窓へ目をやった。
「行かせない!」
逃げるつもりだ。もしくは飛び降り自殺。咄嗟に意図を汲み取った聡一は、ボタニカルリカバリーによって結晶化植物状アウルが生えた掌を少女に向けた。エアロバースト。炸裂させる暴風――後退させられながらも、それでも、希理恵は足を止めていなかった。
(しまった、――!)
聡一は思わず手を伸ばす。届かない。窓際に足をかけた少女はふわりと重力に身を任せて……
――止まる。
落ちようとしていた希理恵が、空中で。
「っ……!?」
希理恵が見開く目で見上げれば、窓から大きく身を乗り出した暁良が少女の手をしっかりと掴んでいた。
「危ねェ、ギリギリ間に合った」
ふぅ、と浅い溜息。縮地による猛加速による救出劇。
「どうして……」
希理恵がぽつりと呟いた。
「私の事、殺すんじゃないの……? 殺すなら離してよ……もっと酷い事するの?」
「殺スつもりなんか、少なくとも俺はこれっぽっちもネェな」
「離して。お願いだから、離して!」
「イヤだね。お断りだ。暴れんナよ」
「……もう嫌だ。全部嫌だ。全部お終いにしたい。生きてても何も良いことないよ。もう辛いよ。耐えられないよ。弱虫だってバカにされても良いから、もう、楽になりたいよ……消えたいよ……もう嫌だよ……」
「知ったこっちゃネェ」
バッサリと、暁良は言い返す。今この瞬間も希理恵の毒に苛まれながらも、平然とした物言いで。
「お前はお前の、俺は俺の都合で動く。俺はお前を生かソうと思った。ソレだけだ」
暁良は希理恵を一気に引き上げ、教室にポイと戻した。
死ねなかった少女は小さく蹲って、わぁわぁと無力に泣いている。
「苦しいよね。苦しかったよね。ごめんね……私も苦しいよ」
その傍に、赤薔薇がそっとしゃがみこむ。
「あなたのしてること……しようとしてることは人が人じゃなくなる事……。『恒久の聖女』なんてまやかし。向こうに行けば二度と人として戻って来れない。私は何度も見てきたよ」
使い潰され、弄ばれ、挙句の果てには、死ぬ他に無く。
そうなって欲しくなかったから、厳しい選択を取らざるを得なかった。
「苦しみを分かつ人がいなかったんでしょ。辛かったよね。これからは私があなたの痛みを半分請け負うから」
ごめんね。もう一度呟いた赤薔薇は希理恵を強く強く抱きしめた。赤薔薇にも疎まれ虐げられた記憶がある。誰からも愛されないのはとても悲しい。
それを、赤薔薇は、知っている。
そして、そこからでも立ち直れるのだと、赤薔薇は知っている。
「お願い……人を辞めないで。まだきっと間に合う」
返事はなかった。ただただ嗚咽する声だけだった。
けれど、だ。希理恵にもう戦意が無い事は明らかで――黒い霧は少しずつ薄らいでいって、やがて消えた。
●わるいこだれだ
「私、死刑になるんでしょうか」
赤薔薇にヒールを施された希理恵は逃げる素振りを見せることも無く、大人しく座り込んでいた。
「死刑にゃならねーだろ。ただ更生の為に色々あるとは思うが、少なくとも痛い目には遭わないんじゃね? なんてったって護送先は我らが久遠ヶ原学園だしな」
答えたのはラファル。偽装解除状態からいつもの姿に戻り、「空気がウメー」と一段落に深呼吸を。
下手に刺激してまた戦闘が起こる事を危惧した龍磨は希理恵を鎖で拘束する事はしなかった。
まもなく希理恵は厳重に、学園へと護送される。
「罪は罪。ですが、苦しんだ果てのことです」
最中に龍磨は職員へ告げた。
「できれば、生きていてほしい。カウンセリングと信頼できる人の居る環境を、どうか」
分かりました、と職員達は頷いた。
ギィネシアヌは黙したまま遠巻きに全てを眺めていた。
悲しい悲しい。
つらいつらい。
どうしてこんなことになったのか。
(悪いやつらはしんでしまった。ではころしたこの子が悪かったのか)
それはきっと巡り合わせが悪かったのだ。けれどとギィネシアヌは思う。
(彼女を唆した京臣ゐのりを、俺はきっと赦しはしないだろう。それが親切からくるものだとしても)
ただ、胸糞悪くて、単に怒っているだけだ。
●もういいよ
後日。
希理恵が入院している病院に、赤薔薇が訪れた。
白いベッドに向かい合う二人の少女。
赤薔薇は希理恵に、古びたクマのぬいぐるみを差し出した。幼き頃の誕生日プレゼント、家族同様の大事なモノ。
「退院するまでお貸しします。私の痛みを分かち合った子」
「いいの?」
「うん」
「……ありがとう」
その時、希理恵は初めて――赤薔薇に微笑を見せた。
「ちゃんと返しに行くからね」
「じゃあ、ゆびきりげんまん」
約束、と。
二人の少女は、小指を絡めた。
『了』