●その目は何を映す01
「かくせいしゃ?」
犯人は声変わりもまだな声でそう問うた。
一目見て……機嶋 結(
ja0725)は一瞬、息が詰まるのを自覚した。
(似ている)
私とこの子は。
(彼が悪い世界に殺される姿を、自分自身に重ねているからでしょうか……?)
心が磨り減る苦痛の時間を、結は知っている。だから「救いたい」と、彼女は思った。
その思いは星杜 焔(
ja5378)も同じく。
(息子も何か違えば……こうなっていたかもしれない)
任務は撃退だ。だが――雁鉄 静寂(
jb3365)は思う。出来ればその洗脳を解いてあげたいと。
あの少年も『恒久の聖女』の事件に巻き込まれた被害者だ。ましてや見るからに痩せさらばえた被虐待児。
楽しい事も美味しい事も何も知らずに育ったのかもしれない。
そんな人生、あまりにも悲しい。
だから静寂は願う。新しい生を歩んで欲しいと。虐待に洗脳とは可哀想だ。故に学園で保護せねばと。
(聖女の声がなければ、このような惨事は起こらなかった。でも同時にあの子を『知る』ことも出来なかったのでしょう……)
ユウ(
jb5639)は複雑な感情に瞳を僅かに翳らせる。しかしと首を振った。
(今はあの子と傷ついた人達を何としても救わなくてはいけませんね)
気を引き締めた。緊迫の空気。
(絶対にこれ以上命を奪わせない。命を失わせもしない。その為の犠牲は厭わない)
鳳 静矢(
ja3856)は凛然と前を見据える。
一方の鷺谷 明(
ja0776)は溜息を飲み込んだ。
(人が人以上になれるかよ)
彼は変化魔術の道を突き進み続けた末に、種の優劣ではなく心の有り様を以て「何処にでも行ける」と自尊した。
結論、見てくれを幾ら変えようと、中身が伴わねば意味がない。
(ま、人がどんなに嘯こうと、人として生まれたのだから人以外にはなれないよ)
自然の摂理。或いは宇宙の真理。
ただの独り言、『どうでもいい独白』だけれども。
ここからは一つ一つの行動が大きく今後を分ける事になるだろう。
そう思い――撃退士は作戦を開始する。
先ず、少年の問いかけに「NO」と答えた者はいなかった。
証拠に光纏――結は死霊の造形めいたオーラを、焔は虹色に煌く焔を。ユウは闇の翼を広げ、一般人ではない事を示した。
ふぅん、と少年が頷く。ならば用はないと言わんばかりに立ち去ろうとするので、結が声をかける。
「坊や、ここで何をしているの?」
彼女の声に少年は踵を返すのを止め、振り返った。
「れっとうしゅをやっつけてた」
「そう。坊やのお名前は?」
結は紳士的対応で言葉を続ける。
「わかんない」
「親御さんはどうしたの?」
「しらない、かえってこないもん」
「お家はどこなの?」
「あっち」
質問内容に詳しい意味はない。ただ質問攻めにして少年に考える隙を与えない。
すると少年は撃退士に興味を持ったのか、彼らを見て首を傾げる。
「私達は『かくせいしゃ』よりもっと上、がくえんせいですよ」
そんな彼に静寂が言った。しゃがんで少年と目の高さを合わせ、優しい物言い。
「もっとうえ?」
「もっと上、なのは、訓練して色々出来るからです」
「すごいの?」
「すごいですよ。あなたもがくえんせいになりたいですか?」
「うーん……」
分かんない、といった様子だった。だが拒否反応はないようだ。
結は話の流れに便乗し、学生証を取り出して見せる。
「これが、がくえんせいが貰えるカード。ここにあるのが私の名前の、私の写真」
「わぁ、かっこいい」
「ありがとう。これで知り合いね」
詭弁もいいとこですけど――そんな自嘲を心の中に、結は笑む。
そこで今度は焔が、にこやかな笑み――本心からの優しい笑みだ――と共に少年の目を惹くオーラを纏いつつ。
「おなか空いてないかな?」
「……おなかすいた」
「そっか。じゃあ――今持っているのはこれだけだけど、好きなだけ食べていいよ」
そう言って差し出したのは、おにぎり、麦茶、カレーパン、紅茶、アンパン、牛乳。
少年はビックリした様子で焔と食料を見比べた。
「いいの?」
「いいよ〜」
すると少年はおにぎりへ手を伸ばした。
……が。
少年が触れれば、纏う電撃がそれを消し炭に変えてしまい。
少年は驚いて手を引っ込める。食べたいのに食べられない、目の前の食べ物が消えてしまう悲しみ――少年の心を思うと焔は胸が痛んだ。
抱きしめられたいのに抱きしめられない、愛されたいのに愛されない、この電気は少年の心象なのだろうか。
「このままでは何も食べれない。今以上に弱っては死んでしまうよ」
「ぼくしぬの?」
「大丈夫、落ち着いてごらん」
大丈夫だから。少年がパニックにならぬよう、怯えぬよう、優しく優しく。
少年は自分の掌をじっと見た。『特別な力』が宿る両手。けれどこの手のままでは空腹は満たせない。
少年は目の前の焔と、それからまだ残っている食事を見、しばらくなにやら試行錯誤するかのように掌を開いたり閉じたりして――まもなく。
少年が纏う電撃がフッと消えた。
「やった! きえた!」
途端に表情を華やかせた少年が嬉しそうにアンパンを頬張り始める。
もしあの時――少年が食べ物を食べられなかった時に、「そのままでは食べられない」と焔の言葉がなければ。少年は空腹と悲しみに荒れ狂っていたかもしれない。
良かった、と焔は心の底から思う。美味しいもの食べさせたい、と願っていたから。
「一緒に食べませんか?」
あっという間にアンパンとカレーパンを食べきった少年へ静寂がクレープとジュースを差し出す。「食べる!」と受け取った少年の美味しそうに食事を頬張る笑顔に、静寂は瞳を細めた。
「クレープは好きですか?」
「これクレープっていうの? おいしい!」
「ええ、美味しいですね。甘いものは好きですか?」
「うん!」
頷いた彼に、今度は焔が問いかける。
「かくせいしゃ、ってどこで覚えたの?」
「テレビでね、ゐのりさまがね、いってたよ。かくせいしゃじゃないれっとうしゅをね、ころしたらね、らくえんにいけて、しあわせになれるんだよ」
何ら疑っていない声。だからぼくはれっとうしゅをころしたんだ、と少年は周囲を見渡す。
●その目は何を映す02
少年の気が、食べ物や会話によって逸らされているその間に。
明、静矢、ユウは周囲の一般人の救助避難を行っていた。
明は静矢へ聖なる刻印を施した後、なるべく息を殺して周囲に倒れている一般人へと近付いた。手早く息のある者を確認すると、彼らを公園の外へと運び出す。静矢も同様、手分けして命ある者を救い出す。
ユウは物質透過能力によって地面に潜ると、更に縮地を発動してすばやく少年の視界外へと逃れると、地面から顔だけを出し周囲を確認、一般人のもとへ。
酷い有様だ――
それは救助にあたった誰もが思った事。
死者の方が圧倒的に多い。まだ幼かった子の亡骸も転がっている。
ユウは倒れている一般人へ近付いた。子供を護る様に抱えた母親と、子供。親の方は焼き潰されて既に息がない。けれど子供は、そんな母親に震えながらしがみついている。声は恐怖からか出ないらしい。
「もう大丈夫」
そんな子供に近付いて、ユウは微笑み、囁く。思考を乱す悪魔の言葉を。
「助けに来ました。もう大丈夫……なんの心配も要りません。お母さんも、あなたも、助けます」
安心させる為の嘘。「だから、目を閉じてじっとしていて下さいね?」と。無常だと、内心で己の行為に眉を顰めながら。
そして、頷き母親だったものにしがみつき目を閉じたその子を、ユウは母親ごと公園の外へと救助する。優しく寝かせたその子の頭を「いい子です」と撫で、ユウは再び救助へ向かった。
救助は早く終わった。
三人で手分けし的確に救助した事と、それから……、そもそも救助対象(命ある者)が少なかった事と。
その間もなく、少年が周囲を見渡した。
そして彼は、方々にいる撃退士に対して首を傾げる。
「なにしてるの?」
僅かに人数が減っている事――一般人が救助された事には気が付いていないらしい。
彼の問いには答えず、静矢は少年の正面、向かい合った。
「私は久遠ヶ原の撃退士だよ」
「がくえんせい?」
「その通り。……君は殴られたら痛い事を知っているはずだ。殴られたら悲しい事も」
「うん」
「こんな事をしても最後はより大きな力に抑えられるか潰されるんだ……こんな事では幸せになれないんだよ」
「こんなことって?」
「……、君が……、さっきまでここにいた人にした事だよ」
「れっとうしゅをころすこと?」
どうやら倫理観や罪悪感が欠如しているのか、静矢の言葉にはいまいちピンときていないようである。
「れっとうしゅをころせばしあわせになれるんだよ? おにいさん、うそつきだ」
垣間見えた懐疑。直後、静矢はもう一歩少年に近付いて彼を抱きしめようと――
「なぐるの?」
パッと飛び退いた彼が見せるのは、いよいよ以て恐怖と敵意の色が濃くなったモノ。静矢は少年を撫でようとした手を、緩やかに下げる。
「……こんな事をしなくても君は生きていいんだ。生きる場所があるんだ」
絞り出すような声だった。
「誰も何も無いと言うなら私が君を受け入れる。護る。……だからもう悲しい事はやめるんだ」
「かなしくないもん! こっちこないで! ゐのりさまがいってることがただしいんだ!」
少年はずっと絶望の中にいた。ずっと価値なく生きてきた。
そんな中でようやっと見つけた生の目的。『楽園へ至る事』。
だから自分のやっている事が間違っていると認める事は、楽園への道を手放す事。
自分の生きる目的を間違っていると認める事。
否定され続けて生きてきた幼い心に、もうこれ以上の『否定』は――、耐えられない。
「私は、聖女も楽園も否定はしません」
最中に凛と響く、静寂の声。冷静に、細心の注意を以て発した言葉。
今にも暴れださんとしていた少年が泣きそうな顔で振り返れば、焔が言葉を続けた。
「俺も長く孤独だった。慣れない温もりは怖かったけど、同時に救われた。だから君にも知って欲しい」
怖がらせないように。刺激しないように。ゆっくり、言葉を聞かせてゆく。
「テレビは何もしてくれない。テレビが助けてくれるなら君がこうなるまで放っておかないよ」
「私達はテレビの声を聞き、戦っている。テレビのゐのりさまが本当に貴方の事を思っているのなら、貴方の手を血に濡らす前に、貴方を助けている筈なのだけれど」
結も柔い物言いでそう続けた。
「ゐのりさまは……、ただしいもん」
俯いた少年のか細い声。「そうですね」と、静寂が彼の心を落ち着かせる為に頷いてみせる。
彼らの努力あってか、少年は先程より心を鎮めたようだ。けれどもう一押しだと、焔は口を開いた。
「悪魔は死んだ人の魂を食べる。覚醒者を使って人殺しさせようとテレビで甘い言葉を流してる。悪魔の道具にされたあのお姉さんも君も、俺は助けたい。
テレビで大量に殺した魔王が勇者に討たれるの見たことあるかい? 君は魔王になってはいけない。人殺しはいつだって……討たれてしまう」
「ゐのりさまも?」
「うん」
「ぼくも?」
「うん。……でも、まだ間に合うんだ。君もゐのりさまも」
悪いのは少年でもゐのりさまでもなく悪魔なのだ。悪い悪魔が、彼等を操っているのだ。
震えそうな咽を堪え、焔は少年へ真っ直ぐに言い放つ。
「……幸せになる道を閉ざさないで。俺達に幸せにさせてくれ」
少年は――、自分の汚れきった服の裾を握り締め、裸足の爪先を見詰めている。
「れっとうしゅをころさなくてもしあわせになれるの?」
「なれます。なれますよ。私達と一緒に学園へ行きましょう。そうすればきっと幸せになれます」
「一緒にくるなら手料理も作るよ、お腹いっぱいにさせてあげる」
静寂と焔の声。少年は顔を上げ、そして……
頷いた。
●その目は何を映す03
「いやはや、戦わずして決着が付くとは」
「ああ。でも……これで良かった、何よりだ」
公園のベンチ。明と静矢は遠巻きに、ブランコで遊んでいる少年と静寂――静寂が彼を誘ったのだ――を見守っていた。
「拍子抜けといえば拍子抜けだが。ま……『無茶する人』が出なくて僥倖だねぇ」
折角私は重体になる事すら覚悟していたのに、と静矢へ横目を向けながら享楽主義者は冗談めかして笑ってみせた。
懸念していた『電気機器への電波ジャック』も起こらなかったし、生死問わず被害者の避難も済んだし……、
「ひと段落だね」
聞こえてくる、少年の楽しげな笑い声。
それに結は、自分が救われたかのような安堵感を覚えていた。
あの様子なら、捕縛用に用意した道具も不要だろう。彼は悪魔でもない只の子供だ。
彼はこれから学園で保護され、更生カリキュラムを施され、そして真人間になるのだろう。辛い事もあるかもしれないが、少なくとも、これまで味わった『最低』よりはマシな筈だ。
そしていつか――いつか、幸せを得られるのだろう。少女は自分に良く似た少年を見て、そんな光景を、ふと夢見た。
「……本当に良かったです」
ユウはいつもの微笑だけれど、本当の意味で微笑を浮かべて、少年を見守っていた。一般人だけでなく少年も救えればと願っていたから。
「今回の騒動で起こった悲しみと怒りは、この子の身に降り掛かることになるのでしょうか?」
けれどふと、沸いた不安。それに「否」と答えたのは静矢だった。
「彼を救うと決めた。もし彼に悲しみや怒りが降り注ぐのなら、私が盾になって引き受けよう」
」
虐げられたあの子の悲しみは、あの子にしか解らない、と。
すっかり夕暮れ。
やがて遊び疲れた少年は、色々と心の張り詰めが解けたのもあるのだろう、睡魔に舟を漕ぎ始めた。
静寂はそんな彼を背負い、仲間のもとに戻ってくる。彼女の体にはあちこちに生傷があった。生まれて初めて誰かと遊ぶ子供は力の加減が良く分かっていなかったようで……けれど静寂が遊ぶ中で力の使い方を教え、彼の暴走を抑えんとした事が功を奏したのか、そこまで傷は多くなかった。
「まさかここにきて怪我人が出るとはねぇ」
明はわざとらしく肩を竦め、「こんな事もあろうかと」とヒールを静寂へ。それから虐待傷だらけの少年へも同じ技を。
「ま、笑え。どんなに悲しい事があったとしても、生きているのだから笑うがいい」
眠たげな目で明を見やった少年へ、享楽主義者は笑いかける。笑ってしまえ、頬をつついた。
ユウは少年の背を優しく撫で、あやすようにポンポンとたたいては柔く微笑む。
「おやすみなさい。貴方が眠るまで、そばに居ます」
すると少年はにへらと笑み――目蓋を閉じたのであった。
死人が出たのは覆せない事実。
けれど救えた命があり、救えた人生があるのもまた事実。
完全なハッピーエンドではないのだろう。
それでも、その中でも、ハッピーエンドの切れ端を掴み取ったのは、紛れもない真実。
『了』