●割れ硝子
静まり返っていっそ不気味。薄暗い、ガランドウ、昼下がりの怠惰な陽光にボンヤリと。
「……スラッシャー。わたしと同じ『殺す者』。わたしの未来の1つ」
白、或いは銀。ユウ(
ja0591)が伸ばした手の先で注ぐ陽光が薄く踊った。
見たい。知りたい。感じたい。自分の未来を選ぶ為に。完全に壊れた人形の――ワタシの姿を。その身に纏う神秘は彼女の本質を映すかの様に重く、冷気。
階段を上る音が響く。撃退士達は奇襲に備えて隊列を組み、追跡を行っていた。桐生 直哉(
ja3043)がその感知能力によって360度の警戒に当たっている傍ら、影野 恭弥(
ja0018)はピストルを構えて周囲を見渡している。
「道を踏み外した人を救い導くのも巫女としての役目なのかもしれませんね……」
初戦が私達と同じ人相手になるとは思いませんでした、と神城 朔耶(
ja5843)は付け加えつつ弓を引き絞り、放った。矢の往き先は感知によって発見したスラッシャーの罠、ワイヤーを断ち切れば物陰から小矢が飛び出て彼方の壁へと突き刺さる。
今回の依頼は危険だ、とその様を視界に捉えた権現堂 幸桜(
ja3264)は気を研ぎ澄ませる。自分は回復役、生命線。護る為に。
「みんな、無理はしないで下さいね」
呼びかける声――緊張の所為か、口が乾いて居た事に気が付いた。唾液を飲み込む。
一方で空亡 晦冥(
ja1947)はノンビリと周囲を見回していた。目的は殺し合い。楽しい楽しみ。それ以外は二の次三の次。
「今日も勝って帰るぞー」
皆、五体満足でね、とミルヤ・ラヤヤルヴィ(
ja0901)は平静の声で言う。それから徐に向けるリボルバー、怪しいと思った所へ一発。
誰もが奇襲や罠に備えて厳戒している為か、罠に掛かった者は居ない。
現場は全くの静寂、足音が反響している。
味方を守りきる。俺がみんなの盾になる。隊列の先頭にて盾を構える若杉 英斗(
ja4230)の目には鉄壁の如き決意、見澄ます先には屋上への階段があった。
一階から屋上へと順に調べていたが今の所スラッシャーとは遭遇していない。この先に居るのだろうか?目配せし合って歩き出す階段。また一段。扉の前。合図と共に勢い良く蹴り開け突入すれば吹き抜けた一陣の風の向こう、背を向けた一人。猫の被り物にスーツ。一斉に武器を構える。刹那の一番に響いた銃声は恭弥とミルヤが放った弾丸、スーツの背中に穴が空いた――呆気なく倒れた。
だが撃退士達は知る。それはただのマネキン人形。被り物が外れた顔はのっぺらぼう。次に気が付いたのは、マネキンが伏した地面に書かれた文字だった。荒々しいスプレー曰く、
『後ろを見ろ!』
赤い文字に反射的に振り返る。扉、先程侵入に浸かった扉が――何者かに閉められた!
「にゃっはっは〜」
陽気な声、階段を駆け降りる音。
「やっとお出ましか」
真っ先に反応し駆け出したのは晦冥、ドアノブに手を掛けるが扉は開かない。施錠された様だ。ならばと冷静な表情の恭弥が彼女に代わって冷たいそれに指先を触れる。アンロック。開ければスラッシャーを追うべく仲間達が次々と飛び出して行った。
「みんな、冷静になろう」
仲間と階段を下りる幸桜は周囲へ警戒を巡らせた。殺人鬼は何処に居る?感知能力を研ぎ澄ませ――聴く。天井。ダクト。後ろ。奇襲される!
「後ろです!」
幸桜が叫んだ瞬間、ダクトをけたたましい爆音と共にぶち破ってスラッシャーが降り立った同刻。ぎょぉおおおん。チェーンソー。猫の笑顔。殺人鬼。凶器の刃が踊った。舞い散る赤は朔耶の血潮――それでも掠った程度で済んだのは幸桜の注意のお陰だろう。ジワリと赤が広まった巫女服を抑え、仲間へ施すのは霊気の衣。
迅速に隊列を立て直す撃退士達。殺人鬼の哄笑、凶器が暴れる音が響く。
「いらっしゃいませー♪」
唸るチェーンソーが撃退士に迫る。それを受け止めたのは英斗の盾だった。盾の上を禍々しい刃が暴れ回る凄まじいノイズ、飛び散る火花、重い重い衝撃に歯噛み。だが、負ける訳にはいかないのだ。やらないよりはマシだろうと出発日にまで繰り返した特訓を思い出す。
「うぉおおお!」
胆の底から声を振り絞った。ド根性、チェーンソーの一撃を受け流す。ヒュゥとスラッシャーの口笛、崩れかけた体勢のまま無理矢理にチェーンソーを振るった。狙いは滅茶苦茶、されど強烈。
マトモに喰らってしまったらどうなる事やら――頬を伝う生温かい感触を感じつつ、直哉の脳裏を過ぎるのは『勇気と無謀は違う』という教師の言葉と腕を失くした撃退士の事。冷静になれ、仲間が言っていた言葉も思い出し、間合いを見澄まし、しかし最中に我知らず首に提げているゴーグルに手を遣っていた。
見澄ます正面からは後衛からの射撃をチェーンソーの一振りで薙ぎ払った殺人鬼が直哉に狙いを定めて得物を構えた――暴れる刃にエネルギーの光が灯る。刹那に繰り出されたのは素早いラッシュ攻撃、前衛の英斗、晦冥をも圧倒し直哉の身体も切り裂いて往く。
「くッ!」
回避をすれば易い話。それが出来たならば、の話であるが。全身に廻る痛み、肉が高速回転する兇刃に食い千切られている。それでも、痛みに歯を食い縛って。躱して掠って切り裂かれながらも間合いと軌道を見澄ました――踏み込み過ぎは隙を作る。相手は常識が通じない殺人鬼だと重ねて言われる程。何も考えずに立ち向かえば、それは勇気ではなくただの無謀と化す。
見定める。刹那、ユウと幸桜が放った魔法にチェーンソーの軌道が僅かにずれたのを直哉は見逃さなかった。
「喰らえ、殺人鬼!」
距離を詰める。鋼の脚に黒を纏う。回転を加えて思い切り薙ぎ払えば確かな衝撃が足から伝わった。
「ごふン強烈ゥ」
そのまま後退、ミルヤ投擲したカラーボールをチェーンソーで弾けば刃の赤に蛍光色が混ざる。喧しい駆動音。笑っている。
それを、鼻で笑って。
「さぁ、遊ぼうぜ、鏖殺主義者」
道化師が侵略者を踊らせる。重心を低く正面から攻め込む晦冥の槍とスラッシャーのチェーンソーがぶつかった。弾いた。切り裂いた。切り裂かれた。フェイントを織り交ぜる晦冥とは対照的に、スラッシャーは正に本能の赴くまま。やりたい事をやる、殺りたいから殺る。
「いいねぇ」
晦冥の身体から大量の赤が滴り落ちる。体の所々に赤く光るローマ数字の時計盤は負傷の証、朔耶のライトヒールに包まれながら得物を構えた。互いに笑顔。狂気の沙汰。友達になりたい本音。
「良い不審者っぷりだぜ鏖殺主義者! 気に入ったぁ! ハッハッ!」
自身も私欲にアウルを使う側だし、不審者だし。コミュニケーション、凶器を手に手にダンスわんつー。
「メアドくれぇ交換してぇんだけど?」
「オッケオッケーでも君をぶっ殺すので忙しいから後で 」
そこまで言った猫の頭が派手に仰け反った。強烈な射撃、恭弥が構える銃口から立ち上る煙。ストライクショット。やっと当たった――誰もが足を狙う所為か『狙いは足か』と思ったらしい、悉く躱され防がれてしまっていたのだが。
仕留めたか。否。頭を傾けたまま真っ直ぐ刃を恭弥へ向けて。
「! 躱して――」
直感、神経を駆けた悪寒のままに幸桜が叫んだその刹那。長く伸びた刃が恭弥の腹部に突き刺さって血飛沫。見開かれる目、引き結んだ口唇から溢れる赤、暴れる刃に引き裂かれる。仲間の叫ぶ声が、駆動音が、引き抜かれて地面が近くなる……それでも最後に銃口を向け、引き金を引いた、と思う。
殺人鬼は笑う。笑いながらユウとミルヤの射撃に飛び退き走り出した。攻撃の為ではない、ならば深追いはしない。遠退いた足音は急に途切れた。
「今治します!」
幸桜の意識は血沼に沈んだ恭弥にあった。手を翳して再生の光を放つ――死なせるものか。
一方で朔耶もミルヤと共に救急箱を携え仲間達の治療に当たっている。後衛陣はほぼ無傷だが、前衛陣の疲弊が酷い。
ユウは深呼吸を一つ。慎重に慎重を重ねつつ、だからこそリラックス。実感する。やはり殺す気で行かねばこちらが殺されかねない相手だと。ラッシャーの戦闘力は高い。牽制だとか妨害だとかそうったものでは止まらない。同じ所を狙い続ければ躱される。兎角攻撃に重点を置くべきだったか。
更に問題、回復には限りがある――長期戦は圧倒的不利。それでも被害の代償にダメージは確かに与えた。まだ戦える。
「飴食う?」
糖分摂取。人間は口に何か含んでると落ち着くらしいからと晦冥は言う。
●スラッシュ
探索を続けて暗中地下、コンクリートの冷たさ。幸桜が使用した星の輝きが照らした暗闇――に、夥しい量の赤が散った。チェーンソーの駆動音が響いて居た。
「お前はこれほどの力を持ちながら、なぜ道を踏み外したんだ!」
盾でこの凶器を受け止めるのは何度目か。満身創痍になりながらも英斗は問う。背後にはスラッシャーが放った真空刃によって酷い傷を負ったミルヤが頽れていた。
「地球がまぁるいからさ!」
笑って飛び退いた殺人鬼、それへとユウは掌を向ける。白く輝く魔法詠唱。
「……おいで、自由を知らない真白の翼」
白雀雷鎖。雷より創り出された白の小鳥は空を舞う。鎖に繋がれている事も知らず、ただ己の自由を信じるままに殺人鬼の胸に突き刺さった。
今だ。直哉の蹴りに続き、幸桜と朔耶の射撃が殺人鬼を穿った。散る紅、それでも駆動音――が、闇の中に消える。再びスラッシャーが何処かへ行ったのだと、感知能力をフル活用して理解した。息を吐く。立っているのは5人、徐々に出し惜しみせず使い始めてきた遠距離攻撃によって後衛陣も無傷では無い。
最後の回復。灯る癒しの光。
誰もが思う。次の戦闘が
「引き摺ってでも連れて帰るからな……必ず全員生き延びてみんなの元へ帰ろう」
何が起こっても置いて行く事はしない。倒れた仲間を背負い、直哉は歩き出す。自分にも皆にも無事に帰っ来るのを待ってる人がいるのだから。
大分の時間が立ったような気がする。もうかれこれどれぐらい、この狂いそうな緊張と死の中に居るのか。
転々と続く血の跡を辿って、階段を上って。
ラストチャンス。一階の広場を見下ろす事が出来る広間。
自身と撃退士の血に濡れた殺人鬼がチェーンソーを駆動させた。
ぎょぉぉおおん。
「私には」
凛、と。癒え切らぬ傷に失血に霞む視界で朔耶は静かに矢を番えた。
「帰りを待ってくれる人達がいるのです……帰ると約束したのです……!」
襲い掛かって来る斬撃、鮮やかな血の花を空に散らして。それでも狙いは一切違わず。
「こんなところで……倒れる訳にはいかないのですよっ……!!」
放った一条の矢が、殺人鬼の腹に突き刺さる。しかし殺人鬼は楽しそうに笑いながら飛び掛かって来た。
「俺は盾だからな」
受け止めた盾は英斗の絶対防御。撃退士として突出した才能があるわけじゃない、だからこそ非常識なまでに粘り強く。全身が酷く痛いけれど、
「喰らった傷はみんな勲章なんだよ!」
撥ね退ける。勝利して生きて帰ってみせる。
「僕の帰りを待っている親友や恋人の為にも」
僕は死にません。幸桜の脳裏に過ぎる初めての依頼、直面した人の死。
ただ護りたいと思うだけでは誰も護れない。
桜色へと変色するオーラ、構えたロッドに力を込めて思い切り振るった。崩したバランスは次手のユウの為、目配せせずとも氷葬人形の掌には白の翼。放つ一撃、白と黒が混ざり合ったのは直哉の蹴撃が重なったから。
けたたましい。笑っている。片方がへし折れた腕でスラッシャーが凶器を我武者羅に振り回した。赤が散る、赤が散る。蹌踉めき蹌踉めく殺人鬼。後少し、けれど、近寄れない。なればこそ。
「『勇気と無謀は違う』……か。だけど先生、無茶しなきゃいけないときってのもありますよね!」
特攻、盾を構えた英斗が駆けた。チェーンソーが振るわれる、燃え上がるように輝く白銀の鉄壁がそれを防ぐ。それによって出来た僅かな、一瞬の隙。
『ラッキーチャンス、スタートしました!』――脳裏を過ぎった言葉。盾ごとぶつかった身体。圧し遣る先は、硝子塀が割れた箇所。
全員が意図を理解した。追撃、最後の力を振り絞って直哉が黒の蹴撃を殺人鬼に叩き込む。後ろに体勢を崩したスラッシャーを受け止める塀は無い、そのまま足を踏み外して――真っ逆様、一階の広間へ。
駆動音は鳴り響いて居た。
仰向けに倒れていた。じわじわ血の海が広がっていた。覗き込む撃退士と目が合った――と、思う、次の瞬間。
「あはは アハハ アーーハハハハハハハ!!」
手足をばたつかせて大笑いして、殺人鬼は片方の腕だけでチェーンソーを振り上げた。
その行き先は、猫の着ぐるみ頭部と胴体を繋ぐ首で――
「……っ、」
目を逸らす。駆動音は鳴り響いて居た。けれど、もう二度とその持ち主の哄笑が響く事は無かった。
終わったのだ。
言い表せぬ安堵感。座りこむ、或いは倒れ込む。急速に遠のく意識。任務完了の連絡が終わった刹那、誰もが意識を手放した――やがて静寂が訪れるだろう。
少なくとも、自分達は生きている。全員が生きている。
それが全てだった。
『了』