●もしも、
そのバケモノが、文字通り『バケモノ』の様な醜悪な姿をしていたら?
●可愛くて罪深いけどそんな自分が愛しいの
違和感を感じた。
敵性天魔が出現したので討伐してこいと言われ、転移装置で現場に着いたのなら、いつも決まって待ち受けているのは一般人の悲鳴である。パニック状態である。
ところがどうだ、そこにあったのは普通、日常、何の異変も無く、雑踏。
「久遠ヶ原撃退士です、危険なヴァニタスが出現したので速やかに避難して下さい!」
一般人避難専門班の声が響く。一帯に動揺が走る。ヴァニタス、バケモノ中のバケモノが出ただなんて――でも何処に?『バケモノ』の姿は見当たらない。一般人はそんな様子だった。困惑すらしている。疑っている様な顔つきの者さえいる。
成程、「彼らも努力してくれるが、そんなすぐ避難は完了しないだろう事が予測される」と棄棄の言葉も尤もか。
人間は中身などと言葉もあるが、『外見の強み』とは斯くも恐ろしい。
で、あるからこそ。
「醜悪だな……そのやり方は、腹が立つ」
外見、見た目、結局人間は『中身<外見』なんだと生々しいほど突きつけられている気がして、久遠 仁刀(
ja2464)は双眸に苛立ちの色を映した。
それは彼の『小柄な体躯故に散々馬鹿にされた』という経験を引っ掻き毟る。中身など結局無駄という事は、これまで仁刀が積んだ血の滲む様な努力を否定する事に他ならない――当の本人には自覚など無いけれど、激しい嫌悪感。不愉快で。
不愉快だと思う点では仁刀とウェル・ウィアードテイル(
jb7094)の思いは一致していた。忌々しげに、言葉を一つ。
「……久しぶりだね。気に喰わないから殺したいと思うのは」
一般人は他の班に任せて、9人の撃退士はヴァニタス『プリル』の元へと急ぎ駆けた。
それはすぐに見つかる。なにせ、わらわらと人間が彼女を護っていたのだから。
さながら人間要塞。肉の盾。ヒロイック。姫を護る王子気分。
銘々に吐く言葉は撃退士の予想通りだった。彼女は悪くない、悪魔だけど久遠ヶ原学園にもいるじゃないか、彼女は良い子だ、以下省略。
「アレが可愛い? どこが?」
全てを穿つ銃弾の如く。言い放ったのは矢野 胡桃(
ja2617)だった。その無表情は冷たい刃のそれである。
「悪いけれど、私にとって『可愛い』と思えるものは家族だけなの」
人の皮を被ろうと、アレはただの『薙ぎ払うべき敵』。胡桃にとってはそれ以上でもそれ以下でもない。
「罪の意識がなければ何をしても許されるなんて思うなよ。貴様のような外道は叩き潰す! 文句があるなら貴様を作った悪魔に言え、あの世でな!」
語気を荒げ、光纏した若杉 英斗(
ja4230)は白銀旋棍『双龍牙<ダブルドラゴンファング>』を構える。
「おまえは殺しすぎた。生かしておけば途方もない数の死者が出る。必ず殺す。この場でどれだけ被害がでようとも……!」
同様、山里赤薔薇(
jb4090)が見せたのも激しい殺気。
「私はあの時、子供を守るって決めたんだ。小さい子に危害を加えるなら許さない。たとえそれが子供であっても……」
子供を護る為に子供を殺す矛盾。桜花(
jb0392)は何かに耐える様な表情であった。あれはバケモノだ。子供の身なりをしたバケモノなのだ。自分に言い聞かせる。
「という訳でして」
ふ、と煙管を吹かした百目鬼 揺籠(
jb8361)が底の見えぬ笑みを浮かべる。
「人を誑かして喰うのは、鬼か妖と相場が決まってまさ。貴女は大人しく夜に還りなせぇ」
プリルに悉く向けられた敵意、害意、殺意。少女の姿をしたヴァニタスが目を潤ませた。
「やだ。こわいの、やなのー!」
プリルを怯えさせた存在。そして、邪魔するなら容赦はしないという撃退士の確固たる態度。それは、トリコ達を怒り狂わせるには十二分な要素であった。
「撃退士なのに俺達人間も殺すつもりなのか。本性を見せたな、お前らの方がバケモノじゃないか!」
「間違っているのは貴様等だ!」
熱狂的とは正に。ロミオとジュリエット効果、というものを思い出させる。障害があるほど、燃え上がる愛。
直後に響いたのはシンバルが力一杯鳴らされた音。
「え、あんなん可愛くないやろブスやろ、何がええねん頭おかしいんとちゃうん? キモッ」
プリル達全て否定するのは、亀山 淳紅(
ja2261)のマイクで増幅した大声。
「てゆーかプリルやっけ? アンタもさー、そんな頭の足りへんガキ臭い事してアホちゃうん? アホ丸出しやで? ぶっちゃけメッチャ痛々しいで? 鏡見よ? 現実見よ? それに、しかも人食いヴァニタスにゾロゾロ可愛い可愛い言うて付いてくアンタらもほんま反吐でるぐらいキッショイで? 正味、金魚の糞のがまだマシやわ」
勿論、そんな淳紅にトリコ達は黙っちゃ居ない。ああだこうだ悪口が返って来る。
「は、カッチョ悪。そんなヤイヤイ言うんやったらかかって来ぃや。口先だけの『マモッテアゲナクチャダメナンダ〜』ほどアホ臭い事はないっちゅうもんやで!!」
ありったけのボキャブラリを総動員させての、トビッキリの挑発。
それにはトリコ達も怒りが頂点に達した。数人が怒りに身を任せて襲い掛かってくる、或いはアウル覚醒者が飛び道具やら魔法やらを使い始める――全員ではないが、淳紅の作戦通り。一先ずトリコ要塞はある程度崩す事が出来た。
だが想定外もある。勿論淳紅を狙う者もいるけれど、激情に任せ手近な学生撃退士へ攻撃の矛先を向けた者もいる事。そして鬼道忍軍の様な素早い者は彼が逃げるより先に行動するという事。
しかし想定外らしい想定外はそれだけなのが幸いであり、淳紅より前に立っている者が後衛への切込みや射線をその身を以て阻んでくれた。
何か一つでも間違えていたら。何か一つでもミスがあれば。
淳紅の心臓が早打っていた。嫌な汗が背中を伝う。癒え切っていない傷がズキズキ痛む。今の状態できつい一撃を貰えば――……だが自業自得でもある。苦笑を噛み潰した。
彼の願いは、一人でも多く、本当に本物の『自分の愛する可愛い人』がいる日常へ。
「こっちやで、追いついてみぃや!」
ダル・セーニョ。あっちへ戻る。円形の図形楽譜の形をした魔法陣が浮かび上がり、淳紅の姿が掻き消える。そして遥か彼方にワープする。
傷で思うように体が動けぬ以上、彼が為すべきは正面きっての戦いではない。少しでもトリコを引き剥がし、邪魔し、拘束し、仲間の戦闘をサポートする事。
けれど一方、プリルの傍を離れなかったトリコもいる。彼等は肉壁としてプリルの事を護っている。
恐らくトリコを救う確実・即効な手立ては無いのだろう。となれば……ユウ(
jb5639)は笑みを浮かべたまま、思った。
(被害を最小限に抑える為に躊躇うことは許されませんね……)
さぁ、もう後戻りはできない。
いの一番に動き始めたのはユウ。その白い指先を、妖しくトリコの肉要塞へ向ける。
トリコは笑っていた。トリコの中には非アウル覚醒者も居た。彼等は皆、心の何処かで思っていた――「撃退士が自分達一般人に手を出す筈が無い」「寧ろ手出しし難い筈だ」「なんせ、自分達は撃退士からすれば『無力な市民』なのだから」と。
驕っていた。
攻撃できる筈が無い、と。
瞬間。
ずるり、と現れた無数の影が。
彼等を、人間を、真っ黒に多い尽くして。
「…… え?」
半身を綺麗に削り取られた者がキョトンとした顔を浮かべていた。周囲にはバラバラになった肉が転がっていた。血溜まり。直後に、激しく撒き散らされる血飛沫と絶叫と。
うわあああああああああ。
ぎゃあああああああああ。
絶叫。絶叫。断末魔。ユウの顔にべしゃっと血が飛んだ。垂れ落ちる血。地獄の様相。けれど彼女は――笑っていた。穏やかに。安らかに。
「私を恨み、憎み、呪ってください……願わくは安らかな眠りであることを」
バケモノ。バケモノ。バケモノ。バケモノ。罵詈雑言。悲鳴。トリコだけではない。まだ避難していない目撃者からも恐怖と侮蔑の眼差し。バケモノ。バケモノ。笑っているぞ、気味が悪い。
それでもユウは笑っていた。楽しいからではない。楽しくなんかない。悲しみや憤りを強く感じる。けれど、彼女は、笑っていた。『罪無き人々』の返り血に塗れようとも。
「さぁ、プリルへの道が閉じない内に」
「勿論!」
続いて駆け出す英斗であったが、未だそれを阻む生き残りのトリコが居る。
辛くないといえば嘘になる選択を、しなければならない。
英斗に迷いは無かった。
「殲滅しろ、聖剣<ディバインソード>!」
掲げる手。白銀に光り輝く無数の剣が、英斗を中心に降り注ぐ。貫く。切り裂く。殲滅する。周囲の血飛沫は一般人のもの。耐えられる者はいない。アウル覚醒者にもダメージを与える。跡形も残らぬ死体に英斗が目を向ける事は無かった。ああだこうだ思うのは、後で良い。
決意は既に固めている。
躊躇いは死に繋がる。もし皆がトリコに情けをかけていれば、ずるずると戦いは続きプリルに良いようにトリコを使い潰され確実に負けていたであろう。残酷だがこれが正解への最短ルート。その為ならば、結果的に被害が減るのであれば、トリコ達の命を奪う事も止むを得ない。
もう人間には戻れない人達だ、一思いに殺してやるのが情けだ。そうだ。その通りだ。そうなのだ――
(俺は非情に徹する)
この悪夢を、血に染まる戦場を、一刻でも早く終わらせる為に。
「邪魔よ! 永久の眠りにつくよりマシでしょう!?」
次いで起こった白い霧は、赤薔薇が呪文によって巻き起こしたスリープミスト。ばたばたとトリコ達が眠りの中に落ちて行く。
少女の顔は、とても『少女』とは思えぬほどの形相をしていた。怒り。憎悪。殺意。修羅のそれ。狂気と呼んでも差し支えない。立ち上る光纏のアウルもまた禍々しく、その目は一点にヴァニタスへ据えられていた。
天魔。
それは、自分から何もかもを奪った存在。
欠片でも思い出すのが心苦しい――幼少期。殺された。ママも。おにいちゃんも。おばあちゃんも。みんなみんな。嬲られて血達磨にズタズタにボロボロに斬られ裂かれ抉られ砕かれ千切られ毟られ無残に無惨に。痛みに裏返った家族の悲鳴を覚えている。死の恐怖に凍りついた皆の表情を覚えている。
恐ろしい記憶。忌まわしい記憶。発狂しそうなほど。だからこそ何度でも反芻する。ヴァニタスを可愛いと思うなら憎悪で狂って死んだ方がマシだ。
「バケモノめ……殺してやる!!」
撃退士達の苛烈な攻撃に、一般人トリコはほぼ全滅したと言って良い。悉くが文字通り木っ端微塵に破壊され、眠りに落ち、淳紅を追った一般人も、彼が唱えた眠りの魔法で無力化する。
更に情け容赦なしのトリコ一般人殺害行為に周囲に居た人々も、巻き込まれれば死ぬと思ったのだろうか、恐れをなして逃げて行く。結果として避難が捗る事となった。
けれど無情にも、「みんながんばって!」とプリルの甘い声が響く。眠っていたトリコが眼を醒ます。それに加えて避難途中だった者が数人プリルを見、トリコとなってしまい、護らなくてはと使命感に駆けてくる。
それに、桜花は135オーカ・カスタムと名付けた対戦車ライフルの照準を合わせた。
引き金を引く事に躊躇いは無く。桜花の目の先で、人間だったモノが爆炎に飲まれて塵となる。
なんで自分達はただの人間を殺しているんだろう?
それはこの場に居る者が大なり小なりと思わないように心に制限をかけてる項目だろう。
撃退士は人々を護る存在の筈なのに、その人々を殺している矛盾。だが、正解だ。これが正解だ。情だの人道だのと武器を迷わせれば、被害が増える。
「人殺し共め!」
「人殺しはあの悪魔だろうが」
ディバインナイトが罵りと共に激しく叩き下ろした剣盾を、仁刀は大振りな紅色薙刀で受け止め冷静に応える。
「……まぁ、何を言っても聞かないだろうが」
仁刀はそのまま得物にアウルを集中させると、強化改造を施した石突で跳ね上げる様に打撃を叩き込んだ。衝撃の瞬間、周囲の景色を揺らがせるほどに衝撃波が迸る。宛ら蜃気楼、その名は幻氷。
痛烈な一撃にディバインナイトが盾ごと弾き飛ばされた。それを追う様に駆けつ、ウェルは黒柄銀刃の機械的大鎌を振り上げていた。
「寝てなよ。悪夢が終わるまでね」
力を込めて、薙ぎ払う。三日月の軌跡を描く銀。ディバインナイトのシールドにぶつかる。堅い。流石の防御職、防御技は豊富にあるか。
「サクッとやるのは難しいかな? ……でも、きっちり落とさせて貰うよ」
プリルはトリコを使い潰す様な戦法を取る。故に先ずはトリコを落とす、それが撃退士の作戦。ウェルは再び鎌を構えて地を蹴った。
が、直後。久遠ヶ原撃退士を急襲したのは、アストラルヴァンガードのアンタレス、インフィルトレイターのバレットストーム、鬼道忍軍の影手裏剣・烈。仁刀とウェルはそれぞれシールドを展開するが、広範囲の攻撃はほぼ撃退士全員に襲い掛かった。
身を焼く炎が痛みを刻む。揺籠は焼かれながらも、ディバインナイトより引き離されたアストラルヴァンガードの前に立ちはだかった。
「『アレ』、言うほど可愛くねェですし、いい加減目ェ覚ましましょうよ」
とは言ってみるけれど、おそらくトリコが言葉の一つ二つで目を醒ます筈がないだろう事は既に分かっている。揺籠は返事を聞かぬまま更に零距離へと踏み込んだ。逃しはせぬ、伸ばした手、相手の顔を掴み取る。
「目覚めぬ貴方にゃ、こういう夢がお似合いでさぁ」
瞬間――アストラルヴァンガードは体にむず痒さを覚える。次いで視界が急に開けた。顔を掴まれ前は見えない筈なのに。見える。見える。まるで全身に目玉があるかの様に。あれも。これも。ギョロリと見開いて、目玉が、目玉が、体中に。
わああああっ。脳に膨大な視覚情報が流れ込む、或いは自らが変質した恐怖に絶叫が起こった。だがそれは錯覚、百目の鬼が視せる夢、鬼術『百眼夢』。
無力になったそれの頭に、ユウは自動式拳銃エクレールCC9の銃口を押し付けた。雷鳴の如き銃声。攻撃スキルではない通常攻撃であるが、凄まじい威力だった。ましてや相手は全く動けず防御も何もままならない。
撒き散らされる血。だが、倒れない。神の兵士。味方だと心強いが、敵になると斯くも嫌らしい。
倒れたままの方が、楽だったのに。ユウは笑みを浮かべたままそう思った。心苦しいけれど、銃口を向けねばならぬならしっかと向けよう。何度でも。
「さぁ踊ってもらう、わ。人の皮を被った……人食い鬼」
薙弾【Leidenschaft】。剣の少女としての力を限定解除した胡桃の淡緑の目は片時もプリルから離れなかった。スナイパーライフルXG1でヴァニタスを狙う。如何に能力を引き出し、如何に敵を薙ぎ払うか。得物は彼女の体の一部の如く。
発砲――赤褐色を帯びた弾丸は螺旋を描き、プリルの脳天を驚異的精度で撃ち抜かんと襲い掛かる。
が、それは魔的な力で引き寄せられるかの様に飛び出した陰陽師が、プリルの『やさしいおともだち』が盾となって妨害した。四神結界と乾坤網で勢いを弱められた弾丸が陰陽師を穿つ。
陰陽師が不敵な(そしてプリルを守護する恍惚に満ちた)笑みを向けてくるが、胡桃にとっては想定内だ。次弾装填。愚かな盾など、薙ぎ払ってくれる。
「いいわ……何発でも撃ち込んで、あげる。さぁ、次、よ」
護れるものなら護ってみなさい。冷たい銃口は、少女の睥睨。
「こわいよぉ……なんでこわいことするの?」
えぐえぐと無垢に涙ぐむプリル。だが久遠ヶ原撃退士がそれに哀れむ事はない。正しくは『してはいけない』。その事を分かっている彼等が、プリルを気にかける事など欠片も無い。
けれど、けれど――だ。
プリルへ、そして射線を防ぐトリコへ桜花は何度も対戦車ライフルを撃っていた。そして再度、プリルへと得物を向けた瞬間。
「やめて……」
幼い少女の声、怯えた目。
小さな子供。
子供が犠牲になるなんて絶対に嫌だ。
自分が、守らなきゃ。
「っ!」
桜花の弾丸は大きく逸れて、遥か彼方で爆煙を上げた。震える手、伝う脂汗、見開いた目はプリルから離せない。
「おねえちゃん、まもってくれる……?」
その問いかけは弱弱しい声だった。けれど逆らえぬ何かがあった。噛み締めた桜花の唇から血が伝う。思考の渦。あの子は悪くないの、あの子は敵、あの子を護らないと、あの子を殺さないと、あの子は、あの子は、私は――
「いやだ、あなたを撃ちたくない……仲間も撃ちたくない……自分が子供を傷つけるなら、いっそ自分の手で私を!」
その手にハンドガンを。プリルから離せぬ目を塞ぐ様に、桜花は右目へ銃口を押し付けた。
仲間が止める間すら無く。
銃声、血、倒れこむ桜花。
英斗は奥歯を噛み締める。だが気にかけている暇は無い。ジュウと聞こえる音はインフィルトレイターから受けたアシッドショットが彼の装甲を溶かす音だ。
「俺は貴様なんぞに屈しない!」
前へ、あくまでも前へ。ヴァニタスを討つ為に。再度降りしきる聖剣が、周囲に銀の光で飲み込んだ。
「ごめんなさい、防がせるわけにはいかないから」
それとほぼ同時、赤薔薇も呪文を唱えていた。浮かび上がる真っ赤な魔法陣。そこから撃ち出されるのはプリルを狙う紅蓮の火球。赤薔薇、術者の名前の如く、炎が激しく炸裂する様は赤い薔薇が花開くが如く。少女の超高錬度の魔力が込められたその魔法の威力は凄まじい。
英斗と赤薔薇の範囲攻撃、それに対しプリルに防御の手段は無い。やさしいおともだちは範囲攻撃に対し意味を成さないようだ。
激しい煙。ずっとプリルを護り続けていた陰陽師が頽れる。インフィルトレイターは苦痛の顔で応急手当てを自らに施す。
「もうっ、わるいこはプリルがせーばいするのっ!」
ヴァニタスは健在。接近した英斗へぐっと踏み込んできた。
ぞっ、と。英斗の本能が危険を告げる。
この悪魔、なぜ今まで攻撃してこなかった?それはおそらく、プリルが遠距離攻撃技を持っていないからであろう。
そして事前情報曰く、戦闘能力は高く危険。一撃一撃が致命的な物理アタッカー。
嫌に尖った性能。他を犠牲に一部が異様に強い性能。
つまり……『近接攻撃しかない代わり、それが馬鹿みたいに強い』事が、予想される。
「おなかすいたぁ」
かぱ、と開けられた口。
直後に胡桃が放つ避弾【La Campanella】がプリルの軌道を逸らさんと試みる。が、悪魔の勢いが止まらない。それに英斗は逃げる事無く待ち構える。絶対に守りきる、決意のオーラが燃え上がる。
「AEGIS!」
彼は盾の名を呼んだ。現れた銀色の盾が英斗のアウルに反応して防護力場を展開する――太陽の様な金色の光。光盾<ライトシールド>、それは負けず嫌いな彼の気質を表すが如く、崩れない。敵の攻撃を完全に防御する。
もう二度と、己の目の前で仲間は死なせない。
「俺がプリルの正面で攻撃を受け止める。みんなはその隙に叩いてくれ!」
「了解……引き続き、薙ぎ払う、わ」
言葉の終わりと共に胡桃はプリルへと引き金を引いていた。弾丸。悪魔を護ろうとインフィルトレイターが飛び出し――その脳天を、正確に貫く。スコープ越しに血と脳漿。名も知らぬ者の死。胡桃の表情は欠片も動かない。別に初めてでもない。
「戻れないのなら、ここで終わらせてあげる、わ。『人殺し』なりの慈悲、よ」
左腕が軋んだ気がした。きっと気の所為だろう。超遠距離の胡桃は傷も負わず返り血も浴びる事も無く、決して汚れない。
「いい加減寝てなさい……!」
そう言い放ったウェルの唇は血で濡れていた。無傷ではない、体のあちこちが痛む。だが言葉通り、眠るのは自分ではない。
地面を蹴り、ディバインナイトへ弾丸の如く飛び出す――敵に背を晒す程の勢い。文字通り弾丸。一閃・奔<ショウタイム・ハシリ>。
同時に激しい殺気を仁刀は放った。後光。練り上げたアウルを刃に込め、フェイントを織り交ぜた不規則な動きで踏み込んだ。
横に薙がれた鎌。突き立てられた薙刀。
ウェルに腹を裂かれ、仁刀に咽を貫かれたディバインナイトに断末魔の声は無かった。そして、彼の命を奪った二人に迷いや苦痛も無かった。
ウェルは何も想わない。後悔やら何やらの人がましい感情に身を委ねるのは終わってからだ。
仁刀は口を引き結ぶのみ。トリコに墜ちた人間の言動に耳を貸さず、加減もしない。幾らプリルに誘導されたとはいえ、心酔・狂信を是とする人間性を認める気など欠片も無かった。
それとほぼ同刻。
揺籠の堅い下駄による蹴りがアストラルヴァンガードを強かに打ち、蹌踉めいたところへユウが吸魂符を投げ付け、天界レートで受けた大きな傷を癒すと共にその力を奪い去った。
「さて」
そのままユウは、倒れたアストラルヴァンガードの膝を銃で撃ち追撃する。立ち上がられた時に無力化させる為だ。
斯くして敵の残りは鬼道忍軍とプリルのみ。
一般人のトリコの姿は無い――淳紅が言葉で体で魔法で戦闘圏から一心に遠ざけている為だ。
(未来の世界一の歌謡いやもん、どんだけ離れた心にやって、自分の声を、歌を響かせるんよ )
重傷だからと怖気づいてはいられない。遠くて回復等の味方支援は出来ないが、一般人でもトリコを戦場に増やさせない働きは大きい。何より、命を奪わなくて済む。
更に自分がトリコにならぬよう対策も怠っていなかった。片耳につけた音楽再生機が自分の成すべき事を大音量で示している。もし敵より大切な人が大事だと思えなくなっているならお前は狂い始めてる、と。
好調であった。だが。
フリー故に散々久遠ヶ原撃退士を引っ掻き回していた鬼道忍軍と目が合ってしまう。それは戦闘に参加しない淳紅の癒えきっていない傷を見、重体の身である事を――『すぐに倒せる相手である』と、看破したのだ。
まずい、と。思ったけれど、動いたのは鬼道忍軍が先。
投げ付けられた攻撃が無慈悲に迫る。けれど――いいさ。1秒でも足止めしてやる。薬指に婚約の誓いが輝く左手を、ぐっと握り締めた。
護らなければ。
揺籠は淳紅へ向かった忍軍を目で追ったが、その意識はプリルの「みんながんばって!」という声にかき消される。血だらけの血みどろ、立ち上がったアストラルヴァンガードがコメットを発動したからだ。無数の彗星が、揺籠の全身に重く降り注ぐ。
「ぐ……」
裂けた額から垂れる鮮血。血に淀む視界。忍軍を倒すべく向かった仁刀とユウを信じ、彼はアストラルヴァンガードへ再び向き直った。
「しつこいねぇ、どっからそのやる気が出て来るんだか」
「……もう聞こえてないみたいだけどね」
同じくアストラルヴァンガードへ鎌を構えたウェルが呟く。それは全身血みどろ、変な方向に曲がった手足を引きずり、血交じりの胃液を吐き、意識もどろどろなのか意味不明な事をブツブツ繰り返している。
揺籠(妖怪)から見ても、ウェル(悪魔)から見ても、バケモノ然としている。
きっと、次かその次の一撃が、かつて撃退士だったその者の命を奪う事になるのだろう……。
一方で、ぐちゃ、と音が響く。
立ち上がった陰陽師の腹を、プリルが食い破った音だった。容易く千切られる人体、ぶちまけられる中身。食い漁っている。
血。臓物。血。敢えて苦しい過去を思い返している赤薔薇の脳が心がズキンと痛んだ。胃の中身を吐き戻しそうになる。息が一瞬、止まりかける。
「おまえを見てるとこっちが悲しい。消えなさい、永遠に」
背後に回りこむようにしながら、少女は両腕を広げた。呪文を唱えれば両掌に火が灯る。輝きを増すそれは胸の前で合わされると超大な火球となり――赤薔薇の必殺技、ドラグ・スレイヴとなってプリルへと襲い掛かった。
元々強力な赤薔薇の魔力、更に天の力を帯びた炎は文字通りの痛打となる。逃がさない。少女は更にもう一発叩き込むべく同一の呪文を唱えていた。
そこへ立て続けに、超精密な弾丸がプリルを穿った。硝煙の彼方に胡桃が居る。
「もう、盾は居ないわ、ね」
邪魔者はいない。忍軍を倒した仁刀とユウが、アストラルヴァンガードにトドメを刺した揺籠とウェルが、プリルを取り囲む様に立つ。
「さぁ、詰みだぜ」
プリルの凶悪な攻撃を只管受け止め続けた英斗は血みどろのまま不敵に笑んだ。プリルによる久遠ヶ原撃退士の被害が少ないのは、偏に彼が受け止め続けた見事な結果である。その強靭な防御、的確な判断行動、そして負けない心が為した、疑いようのない成果だ。
まだ彼は倒れない。絶対に絶望しない。諦めない。体の再生を促す赤翼のオーラが羽ばたいた。その様は、決して滅びぬ不死鳥の如く。その心は、輝きを失わぬ高潔な銀の如く。立ちはだかる、不滅の騎士。
「うーー……うぅううーーーー!!」
癇癪を起こすかの様にプリルが唸った。力任せに暴れ、腕を振り回し、近くに居る者を無差別に薙ぎ払う。
衝撃と共に半身に激しい痛みを覚えた。けれど仁刀は全く怯まずその背後を狙う。憎たらしい外っ面を破壊せんと無自覚の憎悪のまま構えた刃。切っ先に煌く光は旭光の如く。
「ここで無残に朽ちていけ」
一突。目も眩む様な光。強い強い天の力を帯びた仁刀の一撃は冥魔であるプリルの体を貫き激しく苛んだ。
ヴァニタスの絶叫。
それに心を痛める者はいない。
上空にて闇の翼を広げたユウは言葉もかけずに銃を向けた。ただ排除する存在と会話する必要性などない。微笑、銃声。更に中距離のウェルが高速で鎌を振るって放つ衝撃波が突き刺さる。
「もう! やだ! こわい! きらい! なんで!?」
叫ぶ。喚く。駄々っ子だ。そんなプリルの前に揺籠が立つ。溜息と共に。
「強くなりてぇでも誰かを守りてぇでもなく、可愛がられてぇだけなんですかぃ? そんなの人の身でも、てんぷ何とかがなくても出来たでしょうに。……まァ、」
中身が伴わねぇ貴女じゃ無理でしたかね。言葉と共に、ひょいと曲げた膝から繰り出された下駄の蹴りがプリルの顔面を吹っ飛ばす。げふっ、と汚い悲鳴。折れた鼻、欠けた前歯、裂けた唇、泣きじゃくってグチャグチャ顔で、もう可愛くなんかない。
それこそが、醜いモノこそが、バケモノだ。
バケモノがチヤホヤされたいなど……。容姿で蔑まれた過去が、妖怪の脳裏を過ぎった。
「鬼妖は夜に生きるもの。陽の下で咲こうなんざ到底許されねぇや――貴女も、俺も」
「いや! いや! いやいやいやいやいや――」
それは狂った様な金切り声だった。
力任せの衝撃波が、周囲を悉く破壊する。喰らった者の意識を奪う悪足掻き。
プリルが逃げ出そうとした。
けれど、スタンせずにそれに追い付く者が一人――ウェルである。胡桃の【避弾】で回避に成功したのだ。
「これは確かに魔法も落とす、けれど。……それでも得意なのは、物理、よ」
剣の少女は少しずつ成長している。少女は少女でなくなってゆく。幼くて天真爛漫、それだけが可愛いなどと誰が決めた?視線も口調も大人びて――眼差しに愁いの色を宿し、羽化し始めた少女の、なんと可憐で美しい事か!
見開かれたプリルの瞳。
そこに、黒髪赤目のウェルが映る、迫る。
ドローアクセル。それは、肉体が自壊する寸前まで溜めたアウルを爆発させる無茶な自己強化。ウェルが鎌を振り上げた。
周囲の命さえ上乗せして互いを殺し合うのなら、それは賭博師の領分ではなく銃弾の仕事。銃弾は相手を思い遣らない理解しない、何も想わずただただ狙い定めた相手に死と殺意を振り撒くだけ、仕事を全うするだけ。
「さよなら悍ましいお姫様」
悪魔の白い咽に、悪魔の黒い鎌がかかり。
赤い色で、ゲームセット。
●それでも心に希望を込めて
辺りは何の音もしないほどに静まり返っていた。勝利の余韻、戦闘後の疲労。
終わった。仁刀は武装を解除し、英斗は自分の眼鏡が割れていた事に今更ながら気付く。ウェルはやれやれと一息つき、胡桃は黙って銃を下ろした。
「亀山サン、無事ですかぃ?」
揺籠は急ぎ淳紅の元へ駆け寄った。薄目を開けた淳紅は、大声を出し続けて少し枯れた声で「なんとか」と応える。
傷は酷いが、五体満足。そして何より生きている。
(生きてる――)
生きている。
淳紅は、そして彼が引き寄せた一般人は、少なくとも生きている。
トリコ撃退士は鬼道忍軍のみが生き残った。彼へ、そして傷を負った全ての者へ、赤薔薇は有りっ丈の回復術で治療し回る。
けれどすぐに終わった。
ほとんどが、死んでいたから。
「……ごめんなさい」
どさ、と膝を突いた赤薔薇が項垂れる。
「ごめんなさい……ごめんなさい……許してください」
死した者を弔いながら。封印しておきたかった過去を抉り出した反動で、少女は激しく嗚咽を漏らして蹲る。ごめんなさい、許してください、と涙に歪んだ声で何度も何度も繰り返し。
傍らではユウが、学園への連絡を行っていた。
「ええ――はい。任務完了、です」
その目に映る周囲の血の海。生者、死者、自身が仕留めた命。
(――)
目を閉じる。
瞼の裏の暗闇の中で、黙祷を。
『了』