●哀哭
どうしてあなたは来てくれない!
●華視
深夜の山奥は秋とは思えぬ低気温だった。
暗い。暗中模索とは正に。山の中は木々が茂り、外界の微かな明かりすら拒絶する。
だがそれもほんの一時。煌々、と眩さが暗闇に慣れた目の玉に飛び込んできた。思わず細めた目を見張ってみれば、開けた場所に銀色の桜。眩く、明るく、はらりはらりと一面に舞う花びらは地面に積もらず掻き消える。その常識世界では有り得ない光景は神秘的な美しさすら佇ませていた。
これが常人であればその光景にただただ脚を止め目を丸くしていた事だろう。
だが、この場の六人はかの銀桜の『カラクリ』を知っている――彼等こそ、他ならぬ撃退士なのだから。
ざわり。
胡乱な気配は間も無く。銀の花弁の合間より音も無く地に降り立った異形はディアボロ、銀櫻夜叉。その口は言葉を語る事はなく。けれどその目には確かに、『侵入者』への敵意・殺意が宿っていた。
「この、桜に何か思いいれでもあるのでしょうか」
風に銀の桜が散る。それと同じ色の髪を靡かせ、橋場・R・アトリアーナ(
ja1403)が呟いた。
「何の為に……何方の為に……此処に在るんですの?」
続けて言葉を発したのは紅 鬼姫(
ja0444)。銀櫻夜叉より言葉は無い――音の代わりに返されたのは一層増した殺気と、メキリと音を立てて指先より現れた禍々しい爪。
桜から離れず、擬似的に花を咲かせるなんて。
(夜叉の素体となった人間に、何かあの場所に思い入れでもあったのかしら?)
蓮城 真緋呂(
jb6120)は剣を握り締め、思う。理性が残らずとも『想い』は消えないのかもしれない。
「少し哀しいけれど、ディアボロは倒すべき敵。きっちりと退治させてもらうわ」
「あぁ。事情なんてまるっきり知らないけど、ここに居座られるのも困るからね」
冷静、というよりは常通りの磊落さで、次いでアサニエル(
jb5431)が言い放った。
その言葉を皮切りに銀櫻夜叉が攻撃態勢に入る。それらを、そして銀の桜を遠めに眺めつ、アサニエルは瞳を細めた。
「時期を逃した華ほど、虚しいことは無いね」
言葉の終わりは銃声に紛れる。後方の影野 恭弥(
ja0018)が構える白き双銃より腐毒弾が迸った音である。
寸分違わず、とは正に。ただただ『敵を狙って攻撃する』という行為は、この影野恭弥という男が行えば斯くも恐ろしい結果――まるで標的が自ら弾丸へその身を差し出したかの様な――が必然となる。
じゅう、と弾丸が齎す腐敗効果が銀櫻夜叉の胸部を溶かす。ディアボロが悲鳴の類を上げる事はない。傷の痛みに怯む事も無い。振り上げられた爪が振るわれ、斬撃が空を裂いて襲い掛かる。お返しだと言わんばかり、狙う先は攻撃してきた恭弥へと。
「そうはさせませんよ!」
が、それは射線上に立ちはだかったRehni Nam(
ja5283)が構えるパルテノンの盾――そして展開された『祝福の盾』に阻まれる。堅固な盾の前に冥魔の攻撃は呆気なく霧散する。
「俺が撃ったところをねらえ」
狙われた事にみっともなく狼狽える事等なく。腐敗効果を確認した恭弥の抑揚の無い声が静かに、しかし確かに仲間の鼓膜に響く。
「了解しました!」
応えつつ、レフニーは前衛として銀櫻夜叉の眼前へと迫る――直前、ポンと彼女の肩にアサニエルの手が触れる。
「まぁ、気休めだけど持ってきな」
紡がれたアサニエルの魔力は赤い光となり、レフニーを護る鎧となった。
ありがとうございます、と駆けながらレフニーは礼を述べつつ、銀櫻夜叉へ視線を据える。目は逸らさない。彼女が放つ靄状の青白光が偽りの桜吹雪の中で輝く。
「その桜に、何があるというのです……? 貴方の、思い出の場所なのでしょうか……?」
レフニーの問いに応える音は風のざわめき。荒れ狂うディアボロの怒気。
もうこの冥魔は、何も分からなくなっているのだろうか。自分がかつてどんな人間だったのか、この桜にどんな思いを抱いていたのかも。
解けぬ思念の鎖に縛られているのなら。それがこの冥魔を苦しめているのなら。
もう、解放してあげよう。
「……せめて、この場所で貴方に永遠の眠りを」
戦女神を祀る盾が輝けば、光の槍がレフニーの片手に現れる。振るう。切り裂く。銀櫻夜叉が飛び退く。
「悪いけど、そこから離れてもらうよ」
ディアボロが跳んだ先にて待ち構えていたのは真緋呂だった。その名の通り双眸を緋に染めて、氷の様な冷静さの眼差しで。その掌の中では風が渦巻いていた。刹那、収束された風が一気に解放されて激しく吹き荒れた。それは桜の花を文字通り吹雪の如く舞わせながら、銀櫻夜叉を吹き飛ばす。桜から引き離す。
(桜に罪はないもの)
それは桜を傷付ける可能性を少しでも零に近付ける為。エアロバーストを行う際も、真緋呂は「桜を傷付ける心算ではないのだ」と主張する為に冥魔をじっと見詰めていた。
(それに……想いが残っている桜、手を出せる訳ないじゃない?)
風が止む。
銀櫻夜叉がその手を振り上げていた。切り裂く衝撃は一度、二度。
アトリアーナの白磁の肌に赤い血華が咲き散った。銀髪を結い止めるリボンが揺蕩う。飛沫が花弁と共に落ちる。だが彼女の吶喊の速度は欠片も落ちる事はなかった。
「あなたに譲れないモノがあるように……こちらも、負けるわけにはいきませんの」
紅空我瞳、『彼女が見る世界』には敵ただ一人。紅い左目。零の距離。アウルを収束させた右手を、恭弥の腐敗弾が穿った場所へ叩き付ける。白拳 雪花<オーラナックス・ユキバナ>。炸裂点より迸る白い輝きは立花の形を成していた。
強烈無比な一撃に銀櫻夜叉が追い遣られる。先ほどの真緋呂のエアロバーストも相俟って桜からは距離が空いていた。となれば、ディアボロは素早く桜の傍へ戻ろうとする――が、その足首に絡み付き動きを阻む鎖があった。
「おっと、そろそろ桜離れする時期じゃないかい?」
赤い髪をかき上げたアサニエルが不敵に笑う。彼女が呼び出した聖なる鎖は文字通り『審判』の如く、強力な天の力でディアボロが触れた部分を無慈悲に無惨に焼いてゆく。灰に変える。
いっそう、冥魔の殺気が増した気がした。
「夜桜……と、言うには少々不気味ですが……ふふ、想いが狂い咲いて素敵ですの」
それらを、遁甲によって気配を殺した鬼姫は上空から眺めていた。というのは、この奇怪な桜が気になったからだ。桜の下には死体が、とは良くある噂話であるし、この桜が冥魔の核やもしれぬ。
そう思って桜花の中を覗き込んでみたけれど、特に目ぼしいものは見つからなかった。なんだ、ちょっとつまらない。
ならば後は戦うのみ。
「咲き誇る様な桜花にどの様な理由や想いがあるのかは存じませんの。ですがそれ程に想い捧げる方がいらっしゃるなら、こんな姿で待つべきではありませんの」
ぬらりと抜き放つ刃。浮かび上がる鎖の痣。散り落ちる黒羽。力を抜けば重力が鬼姫を下に引っ張る。落ちる先は銀櫻夜叉のすぐ背後、仲間を攻撃せんとしていたそれに、自らの血の記憶から悪魔を滅ぼす力を引き出し刃を振るった。音も無く。
「こんばんは。鬼姫のお友達に触れないで欲しいんですの」
突き立てられた刃は銀櫻夜叉の腕を貫いた。ディアボロの狙いがブレる、ズレた軌跡もレフニーと真緋呂が盾と剣で受け止め、無力化する。
「受けたお返しに……」
力技での斬撃をどうぞ。壁として敵真正面に潜り込んだ真緋呂が、表情を全く変えぬままその細身に見合わぬ大剣を振り被る。力技、と言いながらもその目は脳は猛烈に活性化し銀櫻夜叉の行動予測を演算していた。かくしてそれは瞬き一つに満たぬほどの刹那、一閃に振りぬかれた刃が確実にディアボロの片脚を切り裂く。
「ただ耐えるだけが盾ではないのですよ!」
そしてその時にはもう、レフニーが光の槍を振り上げていた。其は勝利の象徴、其は不破の護りの写し。この盾の様に、レフニーに出来る事は護り耐えるだけではない。攻撃だって出来るのだ。
敵に休む間は与えない。
「……気を取られましたか、それが命取りですの!」
友人(レフニー)の攻撃に合わせ、アトリアーナは零距離決戦仕様機甲杭撃機グラビティゼロを銀櫻夜叉の身体に押し付けていた。ボン、と炸薬が爆発する音と同時に撃ち出された杭がディアボロの体を貫く。激しい衝撃に大きく蹌踉めいた銀櫻夜叉が後退する。
それを、恭弥は逃がさない。
アトリアーナの背後より飛び出した彼は、視線を合わせたり声を掛け合う事も無く丁度のタイミングでアトリアーナのグラビティゼロに躊躇無く脚をかけた。そのままそこを足場に飛び出し、流れる様な軌跡の蹴撃を叩き込む。彼の足にはヘルハウンドと名付けられた脚甲が、刃の緋焔と血塗れた黒さで輝いていた。
サイドステップで恭弥は横に跳ぶ。が、その時。獣の如き素早さで伸ばされたディアボロの腕が彼の腕を、そして近距離にいた鬼姫の顔を力尽くで掴む。
ぐるりと視界が回った――銀櫻夜叉は力の限り掴んだ二人を振り回し、周囲の撃退士へと叩きつける。
もんどりうった。仲間と盛大にぶつかった後、地面を転がった鬼姫は咳き込みながらも立ち上がる。鼻血が出ていた。唇も裂けた。口の中もズタズタだ。悪魔の爪が刺さった顔には切り傷が刻まれているし、お洋服も土と血で汚れてしまった。
「やれやれ……女の子の顔を傷付けるなんて、とってもナンセンスですの」
ペッ、と血交じりの唾を吐き捨てて、拳で血を拭って、鬼姫は冗句と共に口角を吊り上げた。刃を構え、地を蹴り飛び出す。
「勇ましいねぇ。ま、背中ぐらいは任せておきな」
既に仲間へライトヒールの詠唱を行ったアサニエルは再び呪文を唱えてゆく。掌に魔法陣が浮かび上がった。
「さーて……おつりは要らないよ。全部喰らっておきな」
魔法陣から形成された魔力の槍。それを掴み取り、大きく振り被っては力一杯投擲する。夜を切り裂く流星の如く、激しい光を散らしながらジャベリンは真っ直ぐ真っ直ぐ銀櫻夜叉の身体に突き刺さった。込められた聖なる力は『尋常ならざる』の一言、悪魔を滅ぼす一撃は『脅威』と呼んでもまだ足りぬ。
間違いなく、疑いなく、それは致命打に成り得た。
レフニーもアサニエル同様に仲間へライトヒールを――尤も、彼女の場合は「痛いの痛いの飛んでいけ」とおまじないしないと発動しないのだが――行いつつ、確かに選挙区が終わりに近付いている事を感じ取る。
「あと少しですよ!」
仲間同士の協力によって撃退士側の被害は少ない。誰か一人にダメージが集中するという事態も起きていない。このまま押し切れるか、幾度目かの攻撃を突き立てる。
体勢を立て直したアトリアーナと恭弥も左右に分かれて攻撃姿勢に入っていた。
「キョーヤにタイミングは合わせますの」
「分かった」
今一度、恭弥は銀櫻夜叉にサイドステップを仕掛ける。ガードを撥ね退けんと繰り出された蹴撃に合わせ、側面を狙いアトリアーナが右拳に力を込める。
「一度ダメでも……何度でも、ですの」
白拳雪花。積極攻勢。遂に、白い輝きがディアボロの意識を刈り取った。
「試させてもらう」
冥魔を滅ぼす白い光を込めて。側面に回りこんだ恭弥の上段回し蹴りが悪魔の頭部を強かに叩いた。
「恨みと想いに満ちた素敵な御首……鬼姫がいただいて差し上げますの」
蹌踉めいた銀櫻夜叉に。先ほどのお返し、と言わんばかりに肩車の要領で悪魔の頭部に脚で組み付いたのは鬼姫だった。花一匁、『あの子(御首)』が欲しい。死と散る桜を、瞳に焼き付け死んで逝け。
想いを狩り取る為の、首狩りですもの。
「永久に届かぬ絶望に満ち満ちた夜は、終わりにしますの」
ザクリ、と。
突き立てられた刃が斬る、抉る、刈り取る。激しい血飛沫が桜吹雪に散った。鬼姫の顔を染める鮮赤。
首は刎ねられた。
けれど、悪魔は未だ動く。
そこに哀しいほどの思念を感じ――真緋呂は結んだ唇を開く。
「もうそろそろ眠っていいのよ」
祈る様に。願う様に。
振り上げたその剣を、夜叉の墓標に。
突き立てる。
●愛逢
銀櫻夜叉が倒れると同時に、いっぱいに咲いていた銀の桜がザァと散る。全て、全て。
残ったのは一本の枯れ木。随分と寂しい姿になってしまったそれにアトリアーナは目を細めた。
「……ディアボロになっても、大事な場所だったのでしょうか」
思い返しつ、写真を一枚。フラッシュが一瞬。
その傍ら、レフニーは手を合わせる。
「どうか、桜に見守られながらの、安らかな眠りを……」
夜叉は鬼と化した女。想いが強い者ほど夜叉と化す――真緋呂はそっと、枯れた桜にその手を触れた。
(『彼女』が何を待っていたのか、何を護っていたのかは分からないけれど……)
向こうでその『何か』……否、『誰か』に出逢えますように。そう願わずにはいられない。
「おやすみなさい。もう待たなくてもいいからね」
それらとは対照的に、鬼姫は踵を返していた。散った桜に、散った想いに、興味や未練などは無い。
「それでは皆様、悲嘆に昏れる想い満ちた素晴らしき夜を……」
そう言い残し、少女は月夜の散歩に消えていった。
●昔話
それは、恭弥とアサニエルが調査した逸話である。
昔々、とある村に許婚同士の年若い男女がいたそうな。しかしある日、男の方がアウルに覚醒する。元来世の役に立ちたかった彼は撃退士となる道を選んだ。修行の為には村から出なければならぬ。二人は山の中の桜の木で再会を誓った――「必ず戻る」と男の言葉を信じ、女は待った。待ち続けた。二度と、男が戻らなくとも。
ここからは撃退士の考察ではあるが。
おそらく男は天魔との戦いで命を落としたのだろう。
そして女は、待ち続けた果てに「天魔になれば撃退士の彼に逢えるやも」と気を狂わせたのかも知れぬ。
……桜の木は今も、枯れたままあの場所で立っている。
『了』