●「あこがれ」
空の太陽、地面の太陽。陽光とひまわりが撃退士の方を見詰めていた。一面に……五十鈴 響(
ja6602)は目映い光景に目を細める。
「ひまわりってどんな暑い日も元気に咲いてる気がします。こんな明るい花なのに、怪談話みたいなのは良くないです。早く元凶を断って、元気なパワーをくれるひまわり畑に戻したいですね」
「まるで神隠しのようだね。妖の悪戯程度なら兎も角、これはよろしくないね」
応えた尼ケ辻 夏藍(
jb4509)も、夏の美しい景色を見渡していた。美しいからこそ、恐ろしい噂は絶たねばならぬ。
「えげつない案件ですね」
微笑みを浮かべたままレティシア・シャンテヒルト(
jb6767)は言う――言葉の裏で思うのは「この怪奇現象の仕掛け人は人間の事をよく勉強しているな」という警戒で。このまま放置しておけば今後この様なトラップが増えてしまうかもしれない。故に、傾向と対策を調べた上で徹底的にとっちめたい。
会いたい人、か……杷野 ゆかり(
ja3378)と黒夜(
jb0668)の呟きが偶然にも重なった。
(もう会えないヤツは2人、会いたいが当てはまるのは……あいつくらいか)
黒夜はポーカーフェイスのままふわりと脳に過去を浮かべた。
一方、ゆかりの脳裏の過るのは唯一人。会いたくても会えない、とても大切な人。
(でも、そんな思いを遊ばれるなんて……)
自らの手で解決したい。断固と、そう思った。
さて、撃退士は銘々携帯機を手に連絡先を交換する。「あ、依頼が終わったら削除してくれちゃって良いからね!」なんてゆかりは笑った。
「情報があるという事は、溺れるのみならずという事ですね」
「なんとか正気に戻って帰ってきた人がいるってことなのかな。あたし達なら、抵抗できる確率は、高いのかも……?」
響の言葉にRobin redbreast(
jb2203)が応える。
「さて、それじゃあ捜索しようかね」
ニコリと笑った夏藍が一歩。
そうして撃退士は、ひまわり畑へと踏み入った。
●「熱愛」
ひまわり。
以外は何も、ゆかりの目には映っていない。正しくはそう『だった』。
怪しいものはないかと慎重に歩く中で、彼女は遭遇したのだ。自分の兄に。
彼はあの日の姿のままだった。記憶通りの目映い微笑みは太陽にキラキラ輝くひまわりのようで、ゆかりの名を呼ぶその声も心に染み入る優しさで。
「お兄ちゃ――」
呼びかけて、踏み出しかけて、その足を止める。
これは幻影だ。先生もそう言ってたじゃないか。
落ち着け。動揺するな。あれは偽物だ。お兄ちゃんじゃない。だってお兄ちゃんは――
行方不明だ。
居なくなって、しまったのだ。
「……っ」
兄を呼びかけた唇を噛み締めた。ざわつく心を力尽くで押し込める。
怪奇現象が起きているという事は、そこに何かあるのでは?魔法書プルガシオンをその手に呪文を唱える。展開される魔法陣――魔法弾で幻影を、事件原因の可能性もある『何か』を打ち抜く心算である。
が。
「―― は、」
喉が締まる。声が出ない。汗が伝う。嫌な汗が。
目の先には兄。
大好きな、大好きな、大好きな、大好きな、お兄ちゃん。
憧れていた。目標だった。いなくなってからは涙の日々を過ごしたほどに。
そんな兄に、今、自分は攻撃しようと。
(もういなくならないで、帰ってきて、ずっと傍にいて)
言いたい。抱きつきたい。もう二度と離れてしまわぬように。
首を擡げる寂しさが、少女の目から涙を出させる。ぽろり。ぽろり。
でも。
……でも。
「違うの」
グス、と鼻を啜り、ゆかりは手の甲で涙を拭う。
「貴方はお兄ちゃんとは違うの。私も、あの時とは違うの」
ゆかりはもう、兄を追いかけ泣き暮らした弱い少女ではない。皮肉にも兄がいなくなった事で自立して、自分で出来る事も増えて、友や恋人までいるのだから。
深呼吸一つ。呪文の続きを言い切って。
放たれる光が、兄を――その後ろにあった魔法のひまわりを、打ち抜いた。
●「にせ金貨」
人を認識してから幻影を見せる?そうでなくとも範囲内に入れば自動的に幻影を見せられる?ひまわり畑の奥に誘き出されるという事は、奥に罠をしかけた犯人――天魔か魔法陣か装置かが?
ロビンは召喚したケセランに掴まり、夏の風に乗って地上2mをたゆたっていた。しかし背の高いひまわりである、たゆたっても体が半ば埋もれ気味で。ああ翼があればなぁ。
ぐるりと周りを見渡した――360度。
視界の端に何か、居た。
何だろう?すいと視線が吸い寄せられて――瞬間、風がピタリと止んでしまい。
あ――落ちる。
ひまわりの海の中に。
どぼん。
無様に尻餅をつく事はなかった。着地と共にひまわりの影の中に紛れ込む。
なのに、そのすぐ目の前に。
――とおい、とおい記憶。
霞がかかって、顔がよく見えない。まるで影絵のよう。
何か話しているようだけれど、聞こえない。
靄々……徐々に晴れていけば。見えたものは。
「……おとうさん、おかあさん?」
二人、並んで、笑って、おいでって。名前を呼んでいる。『ロビン』ではない名前、聞き取れない名前。
消去された筈の過去、仕事には必要のないモノ。
こっちにおいで。
ひまわり畑に紛れる様に、歩き出した二人を。追いかけていた。ふらつきながら、ひまわりの海に阻まれながら。あどけない笑顔は『無表情』のままだけれど。
(あたし、壊れちゃったのかな。仕事に関係ないことで、惑わされちゃったら、あたしは要らない子になる)
また消さないと。二度と思い出さないように。
(消さないと)
ロビンが伸ばした手に、二人の手が伸ばされる。届きそうになったその瞬間、少女の手から深い闇が吹き出した。黒く黒く塗り潰す。少女の遠い、過去と共に。
なのに『名前』を呼ぶ声が……未だ。
「要らないの」
解けた闇の中からひまわりが。
嗚呼、何度塗り潰せば良いのだろうか?
●「愛慕」
方位術を使用しつつ、夏藍はひまわり畑を歩いていた。眩い色、目を細める。
瞬間だった。
「――嗚呼、嗚呼、これは悪趣味だ」
ひまわりの中。
人界に堕ちる事も厭わなかった程、夏藍が恋した少女が居る。
あの時、500年前と変わらぬ姿。黒い髪をした、なんの変哲もない普通の少女。それが笑いかけ、手招きをしている。
(そんな訳ないじゃあないか)
そうだ。これは幻影だと、教師も言っていたじゃないか。
(私はあの頃、唯唯見守っていただけだというのに。あの子に直接会ったのは、本当に数度程度しかなかったんだよ。それにもう死んでどれだけ経つと思うんだい? とっくに届かない程高い場所に行っているよ)
冷静に考えろ、これは嘘だ。
分かっている。
なのに、足が勝手に動く。
ころころ、少女が笑っている。待ってくれ、なんて夏藍が呼びかけるはなかった。あの時と同じように。手の届かない距離。ひまわりの向こう側。思いを伝えず。伝えられず。人間の彼女が好きだったからヴァニタスにして一緒に生きる事もせず、唯々その一生を、それに連なる血筋を見守っていた。
(幻影にも、私は何も言えないのか)
ク、と呻く様な自嘲が溢れる。そんな夏藍を他所に、少女は笑いながら駆けるのだ。悪魔は蹌踉めく様にひまわりの海を進むのだ。追いかけてどうする?辿り着いてどうなる?考えは巡る。息が切れる。立ち止まる。少女も止まった。
夏藍と少女の真ん中。
何か気に障るひまわりが咲いていた。
「なんだか不愉快なひまわりだね。これが彼女だというのかい?」
だとしたらとても奇怪だ、失礼だ、不愉快だ。
(私のこの歪んだ思いより更にね)
夏藍の意識が冷静に戻る。嗚呼、さっさと壊してしまおう。こんなもの。こんなモノ。
伸ばした手。
放った風が、ひまわりの首を切り落とす。
伸ばした手はそのままだった。
けれどもう、夏藍の視界に少女はいない。
●「崇拝」
「××ちゃん」
それは突然だった。黒夜の背後から、『彼女』を呼ぶ声。
それまで気怠そうにしていた黒夜の雰囲気が一変する。見開いた一つ目。止まる足。時間さえも止まったように。
おそる、おそる。
振り返る。
――愛されていた双子の姉。彼女が死してからは懺悔の為と愛を手に入れる為に黒夜はその生を演じ、両親から歪な暴力を以て愛されていた。
身も心もボロボロに朽ちてゆく地獄の中。
その人は現れた。
姉の生から己を解放してくれた。
本当の名前で呼んでくれた。
両親と違って殴ったり蹴ったりしなかった。
頭を撫でてくれた。
不気味と詰られた左目を受け入れてくれた。
「ここから××ちゃんを連れ出してあげる」と約束してくれた――そして本当に助けてくれた。
でも、撃退士だった彼は2年前戦いの中で亡くなった。
そんな従兄が今、黒夜の目の前にいる。
唯一の人、初恋の人。
「××ちゃん、おいで」
気が付けば手を差し出しながら歩き出した彼を追って、黒夜はひまわりを掻き分けていた。
死に目にあえなかった事ずっと心残りだった。墓参りの度、太陽の様な笑顔が見られない事も、うんと優しい呼び声が聞こえない事も凄く凄く悲しくて。
会いたかった。
でも。
「いつまでも引きずる訳にはいかねーから。今のウチは××じゃなくて撃退士の黒夜だから。ウチには兄さん以外の帰る場所があるから」
歩くのを止める。
夏の風にひまわりが揺れた。黒夜は真っ直ぐ、従兄を見る。
「捨てる訳じゃないんだ。兄さんのことが大好きで捨てられないから抱えて生きてく。しがみつかずに生きてく」
揺らぐ花の真ん中で。
黒夜は微笑んだ。
「さよなら。ありがとう」
言えなかった言葉、嗚呼、やっと……言えた。
「今度はウチが解放する番だ」
指を鳴らす。
着火。とりどりの華焔が咲き乱れ、魔法のひまわりを焼き尽くす。
花よどうか祈り給え。愛する彼に冥福を。夢幻には終焉を。
●「いつわりの富」
ひまわり畑を外から観察していた響は、意を決して花畑の裏より立ち入った。虎穴に入らずんば……というやつだ。一つ一つひまわりを調べ、周囲を調べ、会いたい人か、と最中に思う。
「――♪」
そんな時に聞こえたのが、懐かしい歌声だった。
低くて優しいその声を、響は覚えている。
「……おじいちゃん?」
小さい時にしか会っていない、けれど分かる。遠くの方、手招いている老人。
(死んでるのに居るのは変)
歌で気を紛らわせよう。祖父から視線を逸らし、響は透き通る歌声で聖歌を口ずさむ。今は調査をしないといけない。
(これはまやかし)
振り返ってはいけない。応えてはいけない。少しでもそうしてしまうと、もう二度と戻れないような予感がする。
(追いかけてしまうのは、想いが強いのか、心が弱いのか……無いと知りつつ縋るのは、真に思い出を受け止め、心に刻んで持ちつつ、前に進むことができていないということよね)
どこかで無理をしてたから、きっと惑わされることを選んでしまったのかもしれない。なんて、あくまでも己の考えだけれども。仲間達の心の傷を闇を、彼女は欠片も知らないけれど。
けれど仲間だ。もう二度と会えない人も大切だけれど、響にとってはまだ会える人の方が大切だ。
(どうか、気持ちを自分の中の確かな想い出にかえて、いつも見失わないでいられるように)
きっと本当の祖父ならば、過去に惑わされて今を見失う事は窘める筈。響は携帯機を握り締める。番号を押した。仲間の声を聞く為に。支えあう為に。
「皆――調子はどう? 事件の『犯人』を見付けたわ」
言いながら、響は片刃の直刀を抜き放つ。その正面には不思議なひまわりと――その向こうに、微笑みを浮かべた祖父がいた。
迷いはない。
響には今が、大切だから。
一直線に刃を振るう。
●「光輝」
レティシアは翼を広げて上空からひまわり畑を見渡していた。見たところ天魔はいない様に思われる。
(空からでも幻影は見えるのか……)
と思った瞬間だった。
ひまわりの中で、懐かしい声がして。
「……!」
思わず目を見張った。探す。いない。何処?高度を下げるとまた聞こえた。ひまわりがガサリと揺れる。
「そこにいるの……?」
レティシアがふわりと着地したそのすぐ傍に。
にゃあ。
ひまわりの根元、ちょこんと座っていたのは猫だった。人間界に降りた時に初めて出会い、友となった猫。
懐かしい――会った時はほんの小さな仔猫だった。母性をくすぐられて面倒を見て、守っていたつもりが精神的には自分の方が救われていた。今でも大切な、大事な、存在。
(でもこれは幻影)
分かっている。のに、猫がひまわりの中に駆け出してしまうと、レティシアは無意識的に追ってしまった。分かっているのに、抗うのが辛い。ひまわりを掻き分ける。猫がにゃおと呼んでいる。揺れる尻尾。ふわふわの毛並み。
「待って……!」
思わず言葉が漏れた、その瞬間。
携帯機が鳴る。それと同時に、そこに付けていた鈴が鳴った。猫の形見の鈴。ちりん、と小さな音。
は、とレティシアは我に返る。足を止める。鈴を見た。
(あの子は、いなくなっても、会えなくなっても、私の思い出の中に生きている……)
だから大丈夫。目を閉じて深呼吸一つ。通話に出た。仲間の声。連絡の声。
もう大丈夫。顔を上げてひまわりを見る。猫が呼んでも、あれは嘘。大切なものを汚された様な心地すらする。怒りを内心に秘めつつ、魔道書を手に持った。
『犯人』を破壊するべく魔力を練り上げてゆく。
最後に――レティシアは静かに歌を口ずさんだ。猫といる時にいつも聞かせていた子守唄。今でも煌く思い出達を脳に浮かべながら。
幻だったとしてもあの子が好きだった歌。
歌声は夏風に乗り、鈴の音と共にひまわりを優しく揺らす――
●日は沈む
そして二度と幻影は現れなかった。
夕暮れ近く、連絡を取り合っていた撃退士は畑の外に集合する。発見した犠牲者の遺体を抱えて。
犠牲者は家族のもとに帰る事だろう。そしてひまわり畑も、不気味な噂がたつ事はないだろう。
一件落着。
遠くの方で、ひぐらしが鳴いた。
『了』