静かな波音が響く港。その一角に聳えるように建つ巨大倉庫の前に6人はいた。
その大きさたるや、のけぞって見上げなければならない程に高い。シャッターが派手に壊された倉庫の入口からは、塵の舞う薄暗い内部がよく見えた。
しかし光は最深部にまでは届いておらず、倉庫の奥の方は闇に包まれて見えない。
姿のわからないディアボロに備え、彼らは十分に間合いをとって、それぞれ武器を構えながら敵の本拠地と対峙していた。
――潮風が吹く。突入の時間が迫っていた。
ザッ……と皆が地面を強く踏みしめ、姿勢を低くする。
「突入したら、うちは一気にディアボロを討ちに行く。みんな、改めてよろしく頼むで!」
阻霊符を発動させ、桐生 水面(
jb1590)が振り向いて皆の顔を見回す。
水葉さくら(
ja9860)は小さくガッツポーズをして頷いた。
「はい! 宜しくお願いします、です。被害者の方も心配ですし、とにかく、急がなくてはなりませんね」
「私も……はやくうーにゃーと遊びたい……走っていかなきゃ」
どこか浮世離れした様子で柘榴姫(
jb7286)が呟く。
「……これは、べっ、別に皆のためってわけじゃないけど、少しは動きやすくなるから」
その言葉に続いて蒸姫 ギア(
jb4049)の韋駄天が発動し、吹き抜けた風と共に風神が5人の脚に宿った。
九十九(
ja1149)を残した全員の身体が軽くなる。何本もの触手を自在に操るディアボロとの戦いで機動力は必須だ。
この効果は前衛で戦う者に対し、プラスになるに違いなかった。
「――よし! どうやら皆さん、準備は整ったみたいですワっ! さっさと駆除しに参りましょうっ」
いつのまにか宇宙の星のように輝く極光翼を広げたミリオール=アステローザ(
jb2746)が、今にも飛び出しそうに笑う。
それにマイペースな口調で応えたのは九十九だった。
「そうですねぇ……じゃ、うちはそろそろ敵さんの場所を探っておきますよぉ」
意識を集中させた彼の四方に風が巻き起こる。回楼風だ。黒い眼差しが倉庫の内部を見つめ、闇に紛れたディアボロを探し出す。
「ボンベの陰に3体……後は射程の外……梁の上ですかねぇ?」
「それなら、上はギアにまかせてくれ。見つけたら皆に声をかけるから」
――6人は頷きあって、ついに動き出した。
●
「皆、倉庫の右端の梁に1匹いる! ディアボロは全部で4匹みたいだ」
ゴーグルをかけ、闇の翼を広げた蒸姫が潮風で錆びついた柱を避けながら飛ぶ。
明鏡止水のおかげで直接攻撃されることはなかった。しかしそれでも油断はできない。
周囲を警戒しつつ、上空から囚われているはずの被害者を探す。
倉庫の内部は案外広い。突入した前衛組はそれぞれ、目標のディアボロを目指して散らばるような形になっていた。
「は、はい! わかりました、です!」
水葉が走りながら応える。
ハイドアンドシークで潜行した桐生が、中央前列付近のボンベの陰にいる触手本体めがけて駆けていく。
彼女と並ぶように走っている水葉と柘榴姫は、ボンベの後列――さらに奥の方に潜む触手の本体を目指していた。
微かな異変を察知し、桐生が手にした魔法書を開きながら小さく息をのむ。
「来たみたいやで……!」
闇と同化しそうなほどに黒々とした太い触手が、ボンベの隙間を縫って隠れた気配を探るように這い出てきていた。
ギュオオッと鞭のようにしなって枝分かれした複数が3人に向かって襲い掛かる。
「あっ、危ないっ」
飛び出した水葉が、咄嗟に盾で触手を弾き叫んだ。間髪入れずに翼のついた魔法の光弾が放たれる。
桐生の攻撃で千切れとんだ触手が地面にぼとぼとと落ち、青黒い異形の血を流した。
――触手そのものにそれほど力はないようだ。
水葉が宝石が煌めく盾で触手を受け流し、時に蹴りつけて進んでいく。桐生も遠距離に優れる魔法でフォローしながら駆けた。
「うーにゃー、みぃつけた」
美しいワイヤー型の武器を手に、柘榴姫は一人タアンと地面を蹴って跳躍する。白い身体が宙を舞って降り立ち一気にボンベに接近する。
その一点を目がけて束をなした触手がうねりながら襲い掛かった。
少女は身体を捻ってそれをワイヤーで絡め取り束縛する。ぎちぎちと嫌な音をたてながら暴れる触手が締め上げられる。
「だーるまさんが……こーろんだ」
蠱毒――大蛇の幻影が、舞うような動きでワイヤーを張り巡らせる柘榴姫の近くに出現する。
次々と倉庫の奥から襲い掛かる触手がワイヤーに阻まれていく。
そして一際巨大な束をなした触手は、大蛇の餌食となって噛み千切られた。
「――ほらほらぁ、もう居場所はわかっていますワよ! 逃げ回ってないで早く出ていらっしゃいっ」
天井付近の空中では、極光翼で浮かんだミリオールが襲い来る触手をブレードで斬り捨てていた。
その目は触手の先にいるディアボロ本体を見据えている。
天井の隅、巡らされた梁が交差する部分に隠れた本体は、バリアのように何本もの腕を伸ばして彼女を頑なに近づけまいとしている。
「むー……そちらがそのつもりなら、私も強行突破するまでですワ!」
ミリオールはブレードを構えながら全速力で触手の群れに突っ込んでいく。
身体を回転させながら、巻きつく触手を自分が傷つくこともお構いなしに斬りつける。
一メートル程のずんぐりとした楕円形のグミに似た本体が見えた。鉄の梁に張りつき、赤い小さな二つの目を光らせている。
接近した彼女は、勢いを衰えさせないまま武器をグラビティゼロに持ち替えた。手に嵌められた武器が滅光で輝く。
「はああああああっ!! いきますワっ!!!」
紫の長い髪を翻しながら腕についた触手を振り払う。そして思いきりグラビティゼロを本体の脳天に振り下ろした。
鋼鉄の杭を撃ち込まれたディアボロのぶよぶよした残骸が四散する。確かな手ごたえがあった。
――青みがかった黒い体液が飛び散り、一体の敵が消滅した。
「やっと見つけたでディアボロ……大人しくしときや!」
ボンベの列と列の間。その通路の真ん中で刀を構えた桐生が、前方で動きを止めたディアボロと向かい合う。
ダークハンド――影の腕に束縛された敵の後方には、血まみれで横たわる作業員の姿があった。
触手は今にも桐生に襲い掛かろうとしたまま空中で静止している。上空から降り立った黒い影がそれを断ち切った。
「良かった……触手のついでだし、この人はギアが助けてやる。水面、後はお願い」
薙刀を戻し、瀕死の被害者に治癒膏を使った蒸姫が桐生に声をかける。
いまだ固まったままの敵は出血が多い。倒れるまで時間の問題だろうと思われた。桐生は勝気に微笑むと頷いた。
「わかった、うちに任しといて。きみも気をつけてな」
蒸姫が瀕死の男を抱え、再び黒い両翼を駆使し浮かび上がる。
活動可能なディアボロはあと2体だ。彼は大きく開いた入口を目指して速度をあげて飛んだ。
「――後ろ! ちょっと危ないさねぇ」
声と共に勢いよく放たれた矢が蒸姫の背後に迫った触手を射る。後方支援を担当していた九十九は、大弓を構えて全体を見回していた。
数は減ったが、ディアボロ一体が伸ばせる触手の数に制限はどうやらないらしい。
捕えた獲物を逃がすまいと、複数の触手が絡み合いうねりながらボンベ地帯から迫ってくる。
「蒸姫さぁん、高度を下げてくれますかぁ?」
九十九は態勢を低くしながら弓をつがえ、蒼い光を纏わせた矢で大量に固まって襲い来る触手を斜め上に射抜く。
蒼天風の強力な一撃は黒くぬめった触手の束を貫き、天井に叩き付けた。追撃の手は飛んでいく矢に惑わされ目標を見失う。
その隙に低空飛行をした蒸姫が、降り注ぐ黒い肉塊を避けながら一先ずの安全圏に辿りつく。
「……予想よりも重体みたいですねぇ。こっちで花信風をかけときますが、こりゃあ急いだ方がいいかもしれませんねぇ」
「そうだね。頼んだ!」
寝かされた被害者の状態に、回復を任された九十九の顔が陰る。この一人の無事は保障されたが、残る一人はわからない。
飛び立った蒸姫にも焦りが滲んだ。
●
「――くっ! これ以上、皆を傷つけるのはっ、許さない……!」
それと時を同じくして、倉庫の奥地、ボンベの最後列の左端でディアボロ本体と向かい合っていたのは水葉だった。
ディアボロの背後には倒れ伏した被害者の姿が見える。優しさ故の怒りが、さらにボロボロの彼女を奮い立たせた。
脚には半ばから千切れた触手が巻き付き、傷ついた身体から血が滲んでいる。
辛い戦い――しかし、やっと辿りついた目の前のディアボロを前にする水葉の心は折れていない。
渾身の力をこめて、少女は神々しく暗闇の倉庫を照らし出す紫電の鞭を創りだした。
「ニール・イン・クィーン……です!」
目にもとまらぬ速さで、魔法の雷の鞭が触手を出しかけたディアボロに振り下ろされる。
ガァアアンと雷鳴が轟き閃光が走った。表情こそ変わらないが、ディアボロが帯電して苦しげに蠢く。
しかしその刹那、彼女の後ろからもう一人の少女の悲鳴があがった。
「きゃああっ!」
「……っ!?」
驚愕した水葉が振り向く。ちょうど反対方向、ほぼ背中合わせに戦っていたのは――!
視線の先には、大きく伸びた触手に巻きつかれ天井近くまで掲げられた幼い撃退士、柘榴姫の姿があった。
「離して……苦しいわ……!」
腕ごと胴体を締め上げる太いディアボロの触手は、華奢な少女が身を捩ってもびくともしない。
小さな身体で孤独な戦いを続けていた柘榴姫もやはり、傷だらけだった。
じたばたと脚をバタつかせるが効果はない。本体は柘榴姫を天井ギリギリの高さから地面に叩き付けようと触手をしならせる。
そして振り下ろされた触手と共に、少女の身体がコンクリートに激突しようとした瞬間。
――眩い光がその場に炸裂した。
「フラッシュライトです、やるなら今ですよぉ」
それを弓で飛ばして投げ込んだのは、回楼風で改めて索敵をした後衛の九十九だった。
暗闇を好むこのディアボロは光を嫌う性質を持つ――彼の読みは当たっていた。九十九が叫ぶ。
「蒸姫さんも向かっていますからぁ!」
「了解、ナイスですワぁ♪」
ザシュッ――と動きの鈍くなった触手が中ほどから切り裂かれる。滑空して現れたのは、ブレードを手にしたミリオールだった。
柘榴姫の白い肢体が宙を舞う。そして着地したミリオールの極光翼が消えていく。
「――よかった、間一髪やなっ」
そのまま地面に打ち付けられようとしていた柘榴姫を、すんでの所で走ってきた桐生が受け止める。
衝撃で共に倒れ込んだ二人は、それでもなお立ち上がった。
「うーにゃーは、どうなったの……?」
「うちの相手は刀でなんとか倒せた。残りはだいぶ弱っとるアレと……目の前におる一体やな」
苦しそうに息をする柘榴姫は、なんとか意識を集中させて自身を投げ飛ばしたディアボロと再び対峙する。
あちこち痛む身体を引きずりながらも、桐生もそれに加勢する形で魔法書を開いた。
一番太い触手を断ち切られたディアボロは弱っている。それを見逃さずに柘榴姫が動く。
「今度は、私がつかまえた」
微かに黒みがかかった白い髪が伸びて敵を呑み込もうとする。
髪芝居――それは敵を圧倒する美しくも怖ろしい幻影だった。
幻に縛り上げられた一メートルほどの小さなディアボロは、身動きできずに今度こそ捕えられた。
「さよなら。もう、おにごっこはお終いね……」
「堪忍しいや……これで決めたる!」
柘榴姫が最後の力を振り絞って、大きな扇を振りかぶって投げる。弧を描いて飛んだ扇がディアボロの弾力のある身体を切り裂いた。
そこに桐生の詠唱が重なり、魔法の弾丸が撃ち込まれる。
ディアボロの黒い楕円形の身体は無数の光の球に貫かれて、空中で散り散りとなって滅した。
「私も……とどめ、いきます!」
同時に水葉もディアボロに向かって行っていた。そこに飛んできた蒸姫が駆けつける。
満身創痍の少女は脚に力をこめて敵に渾身の蹴りを食らわせた。
「蒸姫さん! 救出をお願いします!」
「ああ……どうか間に合って――!」
壁に激突したディアボロが地に倒れて、青黒い血を流しながらぐにゃりと弛緩する。
被害者に治癒膏を施した蒸姫の翼が消える。彼はそれでも被害者を抱きかかえて、九十九の待つ入口まで全速力で駆けだした。
水葉は被害者が救出される光景と、ディアボロの姿が形を失くしていくのを見届け、意識を失った……。
●
ディアボロが消え、常の平和を取り戻した倉庫の前に撃退士たちが集う。
ゆるく輪をなした彼らのある者は座り込み、ある者は立ち尽くして――若い彼らの瞳には複雑な感情が宿っていた。
快癒の第三腕の力を持ってしても、間に合わなかった。
皆の全ての力を合わせても助けられなかった一人の生命。その影が、6人の心の中に横たわっているのだった。
「救出は絶望的」と言った斡旋所の女性の声が甦る。「一人の生命を救えただけでも奇跡だ」と、先ほど電話口で彼女は話した。
依頼は成功したのだ――しかし、やはり遣り切れない気持ちが帰還前の皆のなかにくすぶっていた。
「今回は間に合わなかった……だけど、今度は……! ギアはもっと強くなる。絶対に」
「――うちらは全力で戦った。次も全力でやる。皆を護るんや……同じ結果は、二度と出さへん」
「これが撃退士の厳しさ、だよね。私も負けない、もっと力を磨いて、強くなる……!」
皆が全ての力を出し切った。それは嘘ではない。
今6人が見つめているのは、厳しい現実とその向こうにある未来だった。
「うちもまだまだ……ってことかねぇ。まぁ、さらに腕を磨いて戦うだけさぁ」
「そうね、きっと私もおなじ気持ち……今日よりも明日、そうやって識っていくの」
「ええ! ここでずっと立ち止まってはいられませんワぁ! ――前に進まなくてワ!」
これからも天魔との戦いは続いていく。
それぞれの思いを胸に、彼らはまた前を向いて歩き出したのだった。