冷たい空気が漂う今日の天気は良く晴れた快晴だった。
銭湯の開店まで一時間と言う所で、準備中の看板を提げた清秀屋に集まった猫野・宮子(
ja0024)を始めとする撃退士達をエフ=GZ(jz0198)が指折り確認する。
「朝から声をかけて回った甲斐があったと思う」
「ふふ、今日は忙しくなりそうだわ」
人の良さそうな笑みを浮かべる宮乃が声のトーンを高く返した。
集まった撃退士達は、何の偶然か全員女性。今日は非常に華々しい銭湯となりそうだ。
「フェイちゃん、お客様の心も体も温まるように頑張ろうね」
「うん、フェイがんばるよ」
春名 璃世(
ja8279)とフェイリュア(
jb6126)が意気込み十分に話していた。
そんな和やかな横で、物珍しげに清秀屋の中を見回すアーシュ・オブライエン(
jb2904)。
紅葉を背景に露天風呂に入る人間が描かれたポスターに目が留まる。
人間社会へ溶け込む一環として、社会貢献と職場体験も合わせて依頼に参加した彼女は、銭湯という物がどのような物か把握していない。
「入浴の文化と露天風呂、ですか。この国ならではの、自然の恵みを賜る文化ですね」
少しだけ硬い感想を抱いていた。
服装を自由とした彼女らの中に、良い意味で浮いている者が一人。
旅館と勘違いしたのか、ともあれ雰囲気はとっても出ている着物姿に三つ編みの彼女。
「よぉし、お客さんをたくさん集めちゃいますよぉ! ついでに、お客さんにはファンになってもらいますぅ!」
ちゃっかり自分の宣伝も加えて参加した八手橋はのん(
jb7543)は、ぐっと握りこぶしを作って呼び込み(と新たなるファン獲得のため)に燃えていた。
「お風呂屋のお手伝いですか。ふ、ふふふ……私のバイト戦歴にまたひとつ……」
服装と言えば、ドレスよりもメイド服が似合うと評判らしいジェラルディン・オブライエン(
jb1653)も意気込みは十分あった。
「あれっ、目から汗が……」
ともあれ、順調にバイト戦歴を重ねるジェラルディンの涙もお構いなしにお風呂屋バイトは始まるのであった。
●呼込
いつもの常連客が開店と同時に、一番風呂を浴びに暖簾をくぐる。
それも少し経てば途絶えた頃、さて呼び込みをしようとフェイリュアとはのんが店の前に立った。
「フェイリュアせんぱい! 宣伝なら任せてくださいねぇ♪ はのん、頑張りますっ!」
「うん、フェイも、がんばる」
「ここはやっぱり、宣伝といったら耳に残るメロディーを付けるのが一番ですよねぇ! というわけで」
こほん、と静かな咳払いをひとつするはのんに、フェイリュアが小首をかしげる。
喉の乾燥に気をつけるように静かに息を吸って、はのんは口を開いた。
「銭湯で山を見ながら、ゆったり体を癒しませんかぁ? アイスを食べながらまったりできる、ひろーい休憩所もありますよぉ♪」
ゆっくりとしたメロディーと共に銭湯の宣伝を大きく声に出した。天使の微笑との合わせ技は、実に効果的だろう。
覚えやすいメロディーに合わせて数回繰り返していると、一人の女性が足を止めた。
「可愛らしい呼び込みさんね」
壮年の女性が、フェイリュアとはのんを見てにこりと告げる。後ろには、女性の子どもらしい小さな女の子が女性の腰にしがみついていた。親子連れらしい。
コレはチャンスだ。どう考えても暖簾をくぐらせる以外選択は無い。
「ありがとうございますぅ、どうぞ体を温めていきませんかぁ?」
「いきません、か。アイスも、あります」
「あい、す?」
フェイリュアの言葉に、女の子がぴくりと反応した。
「ふふ、そうね。銭湯につかるのも、たまには良いかしらね! それじゃあ、入ろうかな」
ね、と女の子の肩をぽんと叩くと、女性はその子の手を引いて暖簾をくぐった。
「ごゆっくり、ですよぉ!」
「ご、ごゆっくり」
はのんが女性にぺこりとお辞儀をして、真似るようにフェイリュアも同様の仕草を取る。
店の前に立って初めての客入り、満足気なはのんはフェイリュアに手のひらを向けた。
「この調子でどんどん、お客さんを入れましょうねっ!」
「……うん?」
ハイタッチ、の代わりに、フェイリュアは人差し指ではのんの手のひらをつんと突いた。
●販売
小規模な割りに、種類豊富なフロントでの販売を担当するのはジェラルディンとアーシュ。
天使と苗字が被るとは珍しい、と呟くのはジェラルディン。此れも何かの縁かもしれない。
それはさておき、上がりの早い男性客がちらほらと冷たい物を求めに来ていた。
「ありがとうございました。……こういう仕事は初めてですが、新鮮な感覚ですね」
尖った耳を髪の中へとひそませ、長い銀髪をうなじでひと房に纏め丁寧に品物を渡す。
たまに酒を頼む客も居るが、殆どは牛乳やらコーヒー牛乳やら。一定の法則でもあるのかと思えて、少しだけ、カウンターから体を斜めに奥の休憩所も眺める。
「どのように堪能するのか、……興味があります」
笑顔を忘れず、丁寧な言葉で、少しの時間でもカウンターや周辺をさっと片付けるクールビューティーにすましたアーシュが、ぴょこぴょこと身を乗り出す姿は可愛いものだ。
「体が温まったら、ほどよく冷たい物を摂取すると気持ちが良い、というところかもしれませんよ」
アーシュにつられて、身を乗り出したジェラルディンが声をかけた。
それらしい説明に、なるほどとアーシュが納得のいった顔をする。
「……あ、補充! お客さんが来る前に補充、しましょう!」
「補充……はい、そうですね」
思い出したようにジェラルディンは、レジ横にある常温保存されている飲み物の入ったダンボールを軽々と持ち上げ、アーシュを引っ張り補充を急ぐ。
ほんの僅かな間の時間も、補充に追われていればすぐさま他の客が冷たい物を求めに来る。
――確りしてるなぁ。と、番台でお金の計算をしている宮乃は胸中語った。
バイトをしっかり行ってくれている彼女らを見れば、この調子なら大丈夫そうだ。
「!」
ふと、視線を感じたのか。ジェラルディンが宮乃へと顔を向けた。
バイト戦歴の賜りか否か、恐るべき速さと正確さで商品を捌いていたジェラルディンは年季の入ったレジ打ちを前に宮乃へ一言。
「円だろうが、久遠だろうが、ユーロだろうが!! 小銭の取り扱いは任せてくださいよ!」
さらばポンド、アディオスポンド、また会う日まで云々。
行動に出ていた通りに頼もしいジェラルディンの宣言に、番台でちまちまと小銭を数えていた宮乃がぽつり。
「……従業員に欲しいわぁ、あの子たち……」
叶わぬ夢を呟くのだった。
●見回り
回転の早い男湯は、自然と客も多く入りわりかし掃除も多くなる。
「……その、本当に大丈夫か?」
「だ、……大丈夫です!」
首を傾けて問うエフに、璃世は不安の残る顔色のまま大きく首を縦に振った。
帽子で髪を隠し、ゆったりした服にラフなズボンで合わせた格好。それが今の璃世だ。男性客に配慮しようと考えた末の服装で、声も若干低めに出している。
男湯を回る、と彼女が手を挙げた事で今の状況に至るわけだが。
「……宜しく頼む」
彼女の言葉を信じよう、と男湯へ向かう璃世の背中をエフは見送った。
いざ、男湯。長湯する人も居れば、そうそうに出る人も居る。
「いらっしゃいませ! ごゆっくりどうぞ!」
ガラリと引き戸を開けて湯へつかりに行く男性客を送り、さてと璃世は脱衣所の清掃から始めた。
鏡のついた洗面台に飛んだ飛沫をさっと拭き取り、床の濡れている箇所にタオルを当てて水分を拭う。小さな事だが大事な役目だ。気を抜かず、掃除に専念した。
「お。臨時バイトさんだな? 掃除ご苦労さん! ありがとうな」
不意に男性の声がかかる。振り向けば、新しいお客さんが風呂に入る準備をしていた。
「! いらっしゃいませ、ゆっくりしていってくださいね」
「もちろんさ。逆上せないようにしないとな」
「その時は、介抱しますよ!」
「はは! それじゃ、世話になろうかね」
何気ない会話を終えて、また一人の男性客が引き戸を開けてすりガラスの向こうへ消える。
簡単な清掃も終えて、ざっと回ってみても落し物は無い。向かうは男湯の中のみ。
「……はぁ」
好意的な男性客にありがとうを言われるのは嬉しいし、やり甲斐も出てくる。のだが。
(フェイちゃんにこのお仕事をさせなくてよかった……)
床しか目に入らないようにしていた璃世は、そう思わずには居られず。帽子のズレを直しながら、ついそんな事を吐露していた。
脱衣所から風呂場へ入った時、先ほどの男性客が予想通り露天風呂で真っ赤な顔をしていた姿を見ても、なんとか笑顔で居たが。
偶然、休憩所でフェイリュアと鉢合わせた時なんて殊に思う以上の言葉があったろうか。
璃世の疲れを感じたらしいフェイリュアにぎゅっと抱きつかれた際、璃世は力なく笑って彼女の頭を撫でた。
「フェイちゃんの顔を見たら、疲れが吹き飛んじゃった。ありがとね♪」
「そう? フェイも、がんばる」
フェイリュアと共に頑張ろうと、心に決めたのだった。
●夕刻
客の入りも中々に、盛況している清秀屋。今日限りの早めの閉店時間も近づいていく最中だが、彼女らは気を抜かず各々の仕事を懸命にこなしていた。
いつもより賑やかな休憩所では、掃除の傍ら軽快に歌を唄うはのん。
「歌、とっても上手いねぇお嬢ちゃん」
「ありがとうございますですっ、これでもアイドルの卵なんですよぉ」
天使の微笑にさり気ない握手による友達汁で順調に自分のファンを増やしていたり。
明日のお客さんのためにもと、丁寧を心がけて掃除をするフェイリュアの姿も見られる。
長湯につかって顔を赤く染めたお客さんに気づけば、彼女は勇気を出してこう告げる。
「つめたいお水、いりますか?」
そうすると笑顔で、ありがとう、くださいなと言ってもらえる事が純粋に嬉しかった。
客がアイスや飲み物を頼みにくる間には、多かれ少なかれ一定の空いた時間があることに気づいた。
ジェラルディンはここぞとばかり、お金の種類ごとに細かく整理整頓。アーシュは、手早く、けれども確りとカウンター周りの掃除に励む。
もちろん、撃退士の特性を生かしてとっても重い飲み物の箱をひょいと持ち上げて補充も欠かさない。
「よし! これでいつでも、次のお客さんが来ても大丈夫です!」
「えぇ。……何となくですけれど、『お風呂上がり』をどう過ごすのかもわかりました」
「どう過ごすか、ですか?」
「畳の上でゴロゴロするのが好き、ということがわかりました」
違わないでもないアーシュの導き出した結論に、ジェラルディンはふふと小さく笑った。
「おわ、った」
午後七時。最後の客を皆で見送った後、璃世が帽子を脱いで声をあげた。途端に、茶色の長い髪の毛が璃世の背中にかかる。
肩の力を抜いて、全力で脱力する璃世に宮乃が表情を緩めた。
「お疲れ様でした! 皆さん、今日はありがとうございました」
少しだけ疲れの色が伺える皆の顔を見回した後、ゆっくりと頭を下げて礼を述べた。
「あぁ、本当に。今日は助かった」
次いでエフも頭を下げ、まもなく顔を上げると横目に宮乃を見る。
「……客の入りも、いつもと違ったようだしな」
「えぇ、それはもう! 皆さんのおかげで助かった上に繁盛したわ! そんなわけだから、ぜひぜひ。お風呂、入っていってくださいね」
●風呂にアイスに
璃世とフェイリュアが仲良く手をつないで露天風呂への道を行く。
晴れた日の月はとても綺麗に夜の空に輝いて、薄らと紅葉した山々を照らしていた。
「綺麗なお月様……フェイちゃんと一緒に、この景色を見られてすごく嬉しいよ。また、ひとつ素敵な思い出が増えたね」
冷たい夜風と肩までつかるお湯の暖かさに息をついて、璃世は隣で月を見上げるフェイリュアに話しかけた。
「うん。だいすきな璃世と、すてきで、だいじな、思い出だよ」
笑みをこぼして、フェイリュアはこくりと頷きながら答えた。
閑話。
「アイスもOKですか! しかも高いのを選んでもよかとですか!!」
ドコの地方の人ですかとツッコまれそうなジェラルディンが、冷たいコーヒー牛乳を片手に何度も確認するように声を張り上げたのが先ほどの話。
一日の疲れを先に流したはのんとジェラルディンは、様々な種類のアイスが入れられた冷凍庫を覗き込んでいた。
その横で、しきりに二人の様子を見やるエフ。
「あ! ありましたぁ、バニラのアイス!」
と、先に顔を上げたのは、はのん。その手にはひとつうん百久遠する高いことで有名なアイス。
「マンゴーオレンジ……!」
次いで取り出したのはジェラルディン。やはり同じメーカーのうん百久遠するアイスである。果物系のアイスが好きだと言うジェラルディンの顔は、月よりよっぽど輝いているようにも見えた。
ついでに、この時点で五百久遠は軽く突破していた。
「ほら、アーシュさん。あなたもアイス、選んでくださいな」
「けれど、まだ片付けが……」
「今だったら買ってもらえるんだから! この際、好きなものを選んじゃって! 高いのとかね!」
手伝いを率先して手伝っていたアーシュは、宮乃に言われるがままアイスを選んだ。はのんと同じバニラ味を手に取る顔は、嬉しそうに綻ばせていた。
「気持ちよかったねフェイちゃん」
「うん」
露天風呂から上がった璃世とフェイリュアが、賑やかなフロントへと近づいて皆に顔を出した。
「! フェイリュアせんぱい達! いま、アイス選んでるんですよぉ」
「そうなんだ! いちごあるかなぁ……フェイちゃんは?」
「チョコ、レート」
「ありますあります! すっごくあります!」
冷たいアイスをひしと腕に抱くはのんと、ジェラルディンが息の合ったコンビで、やはり高いアイスの存在を二人に教えた。
コーヒー牛乳と合わせて、会計は二千久遠とちょっと。
「毎度ありがとうね♪」
「……いいえ」
味見しよっかー、一緒に食べると美味しいからね、などと楽しげに仲良く話す彼女らが、休憩所へ向かって行くのを見送りがてら。
宮乃は、口元を緩ませるエフから久遠を受け取っていた。
「すてきな思い出を、ありがとう」
「私からも、エフ先輩、ご馳走様です。それにお客様の笑顔が見られる素敵な一日を、ありがとうございました!」
「はのんも、ファンも増やせましたし、ありがとうございましたぁ」
「バイト戦歴をまた一つ積み重ねられたこと、ありがとうございます!」
皆それぞれが、宮乃とエフに礼を述べて帰路へつく。
「こちらこそ」
「風邪をひかないようにな」
その背中が見えなくなった頃に、宮乃はアーシュに顔を向け口を開いた。
「さ、どうぞ!」
月の淡い光が射す露天風呂。
タオルを沈めて作ったクラゲの頭を撫でながら、アーシュは星空の中に浮かぶ月に顔を上げる。
「露天風呂。良いものですね」
長いようで短いお風呂屋バイトは、輝く月と星空の下で幕を下ろした。