この日は雲の切れ間に太陽が覗く良い天気だった。
「予報通り。晴れ」
参加者の確認をしているエフ=GZが空を仰いだ。
「いちごが俺を呼んでいる……!」
△△地区、ササキ農園と書かれた旗が風にはためく大きなビニールハウス前。
虎落 九朗(
jb0008)が両の手で拳を作った。
食べて食べて食べまくる。いちごだけで胃袋を満たすことが彼の目的らしい。
九朗と似たような目的を持つのが蒼桐 遼布(
jb2501)。わざわざ大きな容器を用意して、お持ち帰り分の制限ぎりぎりまで詰める心算。最終的には胃袋の許容範囲内まで食べる様子。
「いちご!」
同じく食べることに情熱を注ぐ大谷 知夏(
ja0041)はビニールハウス前からでも見えるいちごに目をきらきらと輝かせていた。
その目をいちごから爽やかな風に吹かれる旗へ向けた。
時間無制限!
とにかく時間無制限!
しかも食べ放題!
大きく書かれた文字は遠目からでも非常に目立った。時間無制限を矢鱈と売りに出しているのは、実は時間無制限の農園が多く存在しないからである。
だからこそ。
「今日だけはカロリーも時間も気にせず満腹までいちごを食すっすよ!」
気合十分、知夏は高らかに宣言した。
「でしたら胃薬を用意しませんといけませんね!」
水無月 葵(
ja0968)が懐から取り出したのは薄青色の地に胃腸薬の文字が入った箱。
「いちご狩りって、薬常備で臨む物なのかねぇライム」
初めてのいちご狩りに不安を覚える九十九(
ja1149)。相棒に訪ねてみるも帰ってくるのはたった一言。
「にゃぁ」
「基本、お世話にならない方が良いけど……」
九十九にグラルス・ガリアクルーズ(
ja0505)がぽつりと相槌を打つ。と、同時にこちらを見てにこりと微笑んだ葵。
「……お世話になりたい気もする」
真顔で発した新柴 櫂也(
jb3860)の言葉に誰かがこっそりと頷いた。
「私は希沙良殿に世話になるとしよう」
「……は、はい……!」
サガ=リーヴァレスト(
jb0805)が腕にしがみつく華成 希沙良(
ja7204)を小突いた。
一挙に集まる視線から逃れるようにサガの背中に隠れた希沙良。
「ウチも多門サンお腹痛くなったら、ウチがお薬飲ませてあげマスよー!」
世話が云々薬がどうたらの流れに巫 桜華(
jb1163)がびしっと片手を上げて穂原多門(
ja0895)に向き直った。
頑張りマスですよ! と方向性が若干ズれている発言に多門は暫し考え込むように俯く。
「……任せた」
「任されマシた!」
桜華はふんと人一倍に意気込んだ。
次の売りはお持ち帰り可能な点。
プレゼント用らしい小袋を三つと、同数のリボンを抱える白野 小梅(
jb4012)。
「大好きなみんなのお土産、たくさん取るよぉー!」
食べるよりお土産作りに情熱を注ぐのが小さな彼女。
その微笑ましい光景にもれなく癒されている駿河紗雪(
ja7147)がそっと小梅へ歩み寄る。
「お土産摘み、頑張っちゃいましょうねー」
「うん! ボク頑張るよー!」
二人ひっくるめて癒しを極めそうだ。
「お持ち帰り」
一時和らいだ空気に、青い肌を少しだけ強い太陽の日差しにじりじりと焼かせるチョコーレ・イトゥ(
jb2736)の言葉が響いた。
癒し系の二人の会話を聞いていたようだ。
「上限は先の通り一kgまでだよ」
洋菓子を目当てにしているクロフィ・フェーン(
jb5188)がペンをくるりと器用に回しつつ口を挟む。
一瞬、クロフィに視線だけを向けたチョコーレが口を噤んだ。
「よし、我が『しゅくめいのらいばる』にもおみやげを持って帰るか」
折角の機会、と少しだけ楽しみが増えたチョコーレ。
いちご狩りだけでなくお土産を目当てにしているのは、ギィネシアヌ(
ja5565)も同じ。
「らいばる?」
なんだそのめちゃめちゃ気になる存在。
ビニールハウス横から一歩、足を踏み出して見えるのは青々とした藤が絡まる藤棚。
そのお隣のショーケースに甘いデザートを忙しなく並べる従業員ら。
多量のデザートと従業員が行き来する様を桜木 真里(
ja5827)は目で追いかけていた。
「新鮮ないちごを使った洋菓子、贅沢だよね」
「しかも食べ放題!」
真里と同じく、目で追いかけていた嵯峨野 楓(
ja8257)が声を弾ませる。
「いちご狩り……いちごを狩るのですかシルヴィちゃん?」
「そして狩ったいちごをあれやこれやと調理して洋菓子……で食べるんだ」
いちご狩りの概念を知らない群雀 志乃(
jb4646)が小首を傾ける。
「洋菓子?」
「あれだ」
シルヴィ・K・アンハイト(
jb4894)が指を向けた先には、やはり甘いデザートが並ぶショーケース。
保冷機能が付いたショーケースのガラス越しに見えるのは輝くデザート達。
いちごのショートケーキ、いちごのタルトにいちごのムース、いちごのプリンにいちごのゼリー、いちごのパフェ。
パフェ以外のサイズは小さいが、どれも細やかに作られている。
「いちごだらけだ」
「甘いもの!」
「甘い物だ」
喜ぶ志乃を横目に、シルヴィの顔はどこか浮かない。
「気になるのはカロリー、なのよね」
唯一の敵はそれであると菊開 すみれ(
ja6392)が頬に手を添えて短く息を吐く。
シルヴィの考えも同じらしく、彼女もまた短く息を吐いた。
「でもお財布とカロリーなんのその! 幸せな気持ちはいつまでも……体重計に乗る時まで!」
開き直るが勝ちとばかり、軽い現実逃避を始めたすみれの言葉にシルヴィがぼそっと言葉をもらす。
「腹じゃなくて胸にいけば良いのだが……胸、に」
「え、っと……」
シルヴィの突き刺すような視線に、返す言葉が見つからないすみれであった。
早くビニールハウスの中に入ってこれでもかって程にいちごを食べたい。
もういちごのお風呂に入っていちごを延々と食べて暮らしたって良い。
寧ろビニールハウスの中に住んでみるくがあふれる噴水を隣に増設したいくらい。
「いちご……いちごー!」
我慢できないとばかり、アダム(
jb2614)がビニールハウスへ大きな一歩を踏み出した。
「まった!」
間一髪、アダムの首根っこをひっとらえたのがクリフ・ロジャーズ(
jb2560)だった。
安堵から長いため息を吐くクリフへ、ぐっと引っ張られたアダムが不満げにしかめた顔を向ける。
「こんなにいちごがある天国みたいなところなんだぞ! 早く食べたい!」
「アダム!」
シエロ=ヴェルガ(
jb2679)がアダムの手首を掴んだ。シエロもクリフと同様に長いため息を吐く。まるで保護者。
「もう! ……だけど、まだなのかしら」
アダムの手首を握ったまま、シエロは参加者を眺めるエフに視線を注いだ。
エフが注がれる視線に気づき、参加者の羅列された紙をひらりと反転させシエロに向ける。
「一人」
羅列された名前の横には、この場に来ていることを示すチェックマークがずらっとつけられていた。
一名を除いて。
「もうすぐ来るかと……」
「いちご狩りっ!」
本日、聞きなれない声が皆が集まるこの場に響いた。
談笑していた者も、情熱に燃えている者も、カロリーを気にしている者も、皆が一斉に視線を自らの背後へ向けた。
……まるで猛獣狩りにでも行くかの様なフル装備をした蒸姫 ギア(
jb4049)が佇立していた。
動きやすい軽装で来る者が多い中、ごついゴシック服やガントレットにグリーブなど諸々。
一言で表すならば、浮いていた。
「いちご、って何処だっ」
真顔で言ってのける辺り、ふざけているのではないらしい。
「……果物のいちごを摘むことが、いちご狩りっていうんだぜ?」
一応、とばかり。人の悪い笑みを浮かべるギィネシアヌが、ギアに歩み寄り簡単に説明した。
誰もが口をぽかんと開き、ギィネシアヌの説明を受けるギアに釘付けとなった。当のギアはみるみる内に赤く染まる顔をぷいと逸らして。
「う……ギア知ってた、狩りと間違えてなんか……無いんだからなっ」
ぼそぼそとうわずった声が小さくもらすのみ。
「皆、揃ったな」
ギアの名前の横にチェックマークを付け加え、エフは紙を二つ折に畳み懐へしまい込んだ。
「それでは各々楽しんでくれ」
●ビニールハウスにて
片手には収穫専用のお皿に積まれた大量のいちご。もう片手には練乳が入った底の深いお皿。
ムラなく染まる甘味がたっぷりと詰まったいちごの一粒を、大きくない一口で食べる。
甘味の中に感じるほのかな酸味がアクセントとなって飽きずに食べることができるのだ。
「そのままでも、十分甘いっすけど」
冷やされた練乳をいちごで適量をすくい上げて口に入れた時に押し寄せる甘さ。
「練乳をつけると更に甘美になるっす!!」
以上、どっかのスポーツ解説を凌ぐ詳しい評価をいちごにつけた知夏であった。
いちごのみ、練乳をつけたいちご、を交互に口に含む速さは未だに落ちそうにない。
「ふぅん……」
すぐ傍で、知夏の情熱的な解説を聞いていた九朗が短く唸る。
甘さだけではなく酸味があってこそのいちごだと揺るぎない考えを持つ彼は、いちごを睨んでいた。
果物とはやはり、甘さと酸味が同時に顕在して成り立つ物だ。
「要は甘いだけのいちごなぞに用事は無い。……が」
サッと掠め取るように近場のいちごを十粒ほど収穫してみたが、味の方は如何な物か。
一粒のいちごを横に縦に斜めに、ひっくり返して半回転。確認する横顔は真剣その物。
青々しいヘタを取り除き、ヘタの方から硬い表情で口に放り込んだ。
「……まぁ、確かに美味い」
一粒目の味は酸味が強くて美味しかった。しかし他に収穫したいちごの味はわからない。
「難しいコト、してんだな」
あれかこれか、いやもしかしたらうにゃうにゃ。疑心暗鬼に陥りながらむしゃむしゃと順調に食べ続ける九朗の様子に遼布が肩をすくめた。
……先の容器いっぱいに、目測一kgは優に超えているだろういちごを詰め込みながら。
「はは……」
いちごの色合い形に厭わずポリバケツの如く胃袋(と容器)に突っ込む三人に苦く笑うのはグラルス。
艶やかな赤を帯びた上に、綺麗な形をしたいちごを丁寧に選別する彼とは少し世界が違うのかもしれない。
「さて」
持ち帰り分を含めてある程度収穫を終えると、グラルスは一番てっぺんに乗せたいちごを一つ手に取った。
暫くじっと眺め、一口かじった。
「これは美味しいや。やっぱり鮮度もいいし……デザートや、色々な料理に使えそうだな」
感嘆の声を上げ、グラルスは再び選別に励むことにした。
「本当に美味しそうな物ばかり。食べられる分だけ摘ませてくださいね」
丁寧にいちごを摘んでいるのは、紗雪も一緒。恋人の分、お見舞いも兼ねた友人の分と、部室で仲良くさせてもらっている人の分と。
たくさん摘まなければ、と張り切って勤しんでいた。
「どれが綺麗かなぁー……あ、これ!」
一生懸命悩んで選ぶ小梅も一緒。小梅が慕う姉の分、兄の分、寮の皆の分、と。
何しろ大きなビニールハウス、悩んで悩んでしょうがない。
右に左にずらりと並ぶいちごを穴が空くほど見つめて、自らの目利きを信じて一粒一粒摘む小梅。
「どうぞ」
「え?」
ゆったりとした動きで摘んだ内の一粒を、紗雪が小梅へと差し出した。
「やっぱりお土産に持ち帰るのでしたら、味見をしないといけませんよ」
目前のいちごを一粒も食べないまま、収穫ばかりの小梅を気遣った紗雪の言葉。
ぱちぱちと瞬きを数回すると、小梅は小さく頷き渡されたいちごを口に含む。
「ちょっとすっぱい?」
「ふふ」
もごもご、小さな口から短い感想を告げた小梅に紗雪は柔らかく微笑んだ。
「いぃ、いちごー!!」
和やかな雰囲気を払拭するかのような大声を上げて、二人の後ろを突っ走って行ったのがアダムだった。
駆け抜ける素早さは豹のように早く、響く足音は麻袋に入って飛び跳ねるかのようにうるさく、猪のように特に当てもなく突進して行った。
時折、いちごの高設栽培に使用されている棚に引っかかって転びかけたりしている。
「うわわ、気持ちはわかるけど走っちゃダメだよ、アダムー!」
文字通り目を点にさせる紗雪と小梅の横をクリフが慌てて追いかける。
「アダム! 走らないの!!」
続いて、シエロが収穫したいちごを食べながら追いかけていた。いちごにはしっかりと、練乳をつけて。
「いちごー!」
広いとも狭いとも言えるビニールハウスでの鬼ごっこを繰り広げ、実質逃げ役となっているアダム。
通路を駆け抜けながらの収穫と言う妙技を披露しながら尚も逃げる逃げる、逃げる。
「……そうだわ」
シエロが独り言をぼそりと呟いた。
「クリフ! いっそ走りながらでもいいわ、上限まで採って! いろんな場所を走ってるから、きっと美味しいいちごがたくさん採れるわ!」
「え、っと、わかった!」
「ジャムやお菓子にも使いたいし!」
無茶苦茶な難題をクリフへと投げかけるシエロに、クリフが驚きながら振り向き承諾した。
クリフもシエロも、アダム同様に駆け抜けながらの収穫を開始した。
「一kgまでならお持ち帰りができる……暫くのいちご代が浮くわ!」
マジな顔して鋭い目利きで鮮やかに収穫するシエロ。
「そっかぁ、どんないちごのお菓子だろう。楽しみ楽しみ!」
本来の目的を忘れかけつつシエロのお菓子を楽しみにして収穫するクリフ。
「やっぱりいちごおいしい……あ、これ真っ赤だぞ!」
自由気ままに収穫しては食べるを続けるアダム。
いちご狩りと言っていいのかよく判らないが、この状況に従業員は肩を震わせて笑うばかりだった。
「賑やかですネ」
「そうだな」
通り過ぎる鬼ごっこを横目に、いちごをせっせと摘む桜華がにこにこと笑いながら告げる。
購入した練乳にいちごを浸す多門は短く肯定する。ふと、多門が視線の先を口元まで持ってきたいちごに向けた。
「桜華は果物、何が好きなんだ?」
「ウチの好きな果物ですカ?」
どれが良いかと悩む指先をぴたりと止め、桜華はうーんと唸る。
「ライチとか、杏とかすっきり甘い果実が……これ! きっと美味しいノです!」
摘んだ一粒のいちごを、桜華はずいっと多門の鼻先近くにまで寄せた。
「ドーゾ!」
所謂あーん、とやら。笑顔で差し出す桜華のいちご、断るわけにはいかないだろうて。
「あー……」
ぎこちない動きで口を開けて、桜華の差し出したいちごを食した。ちょっとだけすっぱくて、ちょっとだけ甘い。
「多門サン! 練乳がけも美味しソウですネ!」
「……ほら」
笑顔の催促、雛鳥のように口を開けて待機する桜華に負けた多門は、大人しく練乳がけのいちごを口に入れてやった。
気恥かしそうな顔で、恥ずかしい台詞を付けて。
「うん、……甘いな」
いや本当に。
まるで口から大量の砂糖を吐き散らかしそうな程に甘ったるい光景の――そっちではなく。
チョコーレが呟いた言葉はいちごに対しての率直な感想。
曰く『しょぉとけぇき』の上に乗っているアレがこのいちごなのかと黙々と食べていたのだが。
摘みたては美味い、と言葉を付け加え今度は練乳にいちごを浸した。口に含む。
「うん、……甘いな」
同じ反応に同じ言葉。酷く感動するでもなく無感動なわけでもなく、淡白なご感想。
チョコーレは練乳を見つめ、そして何もかかっていないいちごを見つめ。
「……甘いな」
次は練乳がけ。
「……やはり甘いな」
その繰り返しを続け、二十週に突入しかけている現在。
「………」
ちまちまと食べ続けるチョコーレを横目に見ているのが、練乳の減りが遅い櫂也。
真っ赤に染まっていて、へたが跳ね上がっていて、光沢があって、実が種を凌ぎ盛り上がっている美味しそうないちごを持つ櫂也。
「ふむ……しょぉとけぇきのいちごもいいが、こうしていちごをそのまま食べるのもいい物だな。素材の味をそのまま……か」
独り言を呟きながら満足げに食べるチョコーレの言葉に食べる手が止まる。
しょぉとけぇき、つまりはショートケーキ。
「素材の味……いちごと、いちごのショートケーキ……」
今日来ることの叶わなかった人物の笑顔を脳裏に思い浮かべ、櫂也は再び手を動かした。美味しい物をたんまりと収穫しようと、改めて心に決めたようだ。
「沢山獲ろう」
「たくさんとろう」
少しでも多くのお土産を。
●花と猫
ビニールハウスの一番奥には、可憐で色とりどりの花達が咲き誇っていた。
「いちごの出来栄えも然ることながら……」
その美しさに心惹かれて、笑みを絶やさずに葵は鑑賞していた。中でも咲き乱れるマーガレットの花。ずっと眺めていても飽きが来ない。
「ここまで綺麗な花を咲かせる思いと技術、感動しました!」
「きっとその気持こそが、農園を続ける人の糧なのだろうな」
感動を一身に表現する葵の横から、いちごを延々食していたエフがぽそりと呟いた。
いちごの匂いを携えるエフに顔を向け、葵はやわらかな笑みを浮かべ小さく頷く。
「……いちごも食べてみてはどうだろう」
花に釘付けも良いのだが、と一言付け加え葵の鼻先に一粒。色合いと形の良い物を差し出した。
「それでは……」
遠慮がちに受け取り、葵はその小さな口にいちごを含んだ。
「とても美味しいです……!」
「そう、」
「私、農園のササキさんに直接お礼とこの気持ちを伝えてきますね!」
口を挟む暇もなく、葵は通路を走り抜けて出入り口付近にいる従業員の元へと向かって行った。
遠目に、一生懸命に感動を話す葵と困ったような、照れ笑いを浮かべる従業員とが見える。
「ん?」
何やら三味線を手に、優しい音色と心地よい歌声がビニールハウス内に響いて耳に届いた。
賑やかなビニールハウスが、より一層賑やかな物になる。
そんな賑やかさにゆるりと笑いつつ、エフは次なるいちごを収穫に取り掛かろうと場所を移動した。
反対側のスペースへと赴き、そこで見た物。
「いちごってやっぱりこう、もぎ取るのかねぇ……」
「にゃあ」
「知らない? ライムがいちご狩り行きたいって言ったんさねぇ……」
パオを身にまとう少年、九十九が三毛猫を相手に会話を続けている姿だった。
暇そうに鳴き声を上げる三毛猫と、苗ごともぎ取ろうと四苦八苦している九十九。
何でも九十九は、今回のいちご狩りは疎か果物を狩ること自体が初めての体験だと言う。
「でもこのままやると土が……」
自由すぎる……。
「いちごは、果実のみをこうして摘む」
苗をブチ切ろうとしている九十九の横へ慌てて駆け寄ったエフが、近場の適当ないちごを摘んだ。赤い実だけを優しく摘む。
その光景を細めた目で見据えていた九十九は、なるほどと短く呟いた。
「こうですねぃ」
シュッ、と何かを裂くような音が耳元をかすめた。九十九の手は手刀の形で宙に浮いていた。
引力に従いボトボトと地面へ落ちてゆく多数のいちご、そしてゆったりとした動きながらも確実に収穫用の皿へ収めていく九十九。
「ふー」
一挙に十数粒のいちごを皿の中へ収穫、もとい収められたことを九十九は満足げに息を吐いていた。功夫の応用と見て間違いないだろう。
「採り方のご教授、ありがとうございます。……もっとたくさん収穫しないとねぃ、ライム」
「にゃあ」
「………」
新し過ぎる収穫方法を垣間見たエフであった。
●藤棚にて
強くなってきた日差しを避けてくれる休憩所を兼ねた藤棚の、とあるテーブル。
サガと希沙良、二人で摘んだたくさんのいちご。美味しそうないちごがたくさん採れた、と満足げ。
「……あ……その……いちごは……」
「美味しそう、だね」
希沙良が指摘した一粒のいちごを、サガが手のひらで転がしながらかくりと首を傾げる。
こくこくと頷く希沙良に微笑みながら、サガは購入した練乳に軽く浸して希沙良の口へ運んだ。
口元にやってきたいちごと、サガの顔を見比べながら希沙良は大人しく運ばせた。
「希沙良殿、どうかな?」
噛み締めるいちごは、優しい甘味の練乳とマッチして。
「……甘くて……美味しいです……」
「それは良かった」
「……サガ様も……!」
不意に希沙良が、サガと同じく購入していた練乳へ手近ないちごをたっぷりと浸す。
いちごの赤みが見えなくなっているそれを、サガへずいっと差し出した。
「食べないと……ダメですよ……?」
「あぁ、そうだね」
大人しく従って食べることにしたサガは、酷く甘いいちごを飲み込む。
ちらりと反応を待っている希沙良を一瞥しては、なんだかその様子が可愛くて僅かに肩を揺らした。
「美味しいよ。希沙良殿、今度はいちごジュースなんてのもどうだい?」
「……ジュース……?」
「そう」
言って取り出したのはジューサーミキサー。適当な量のいちご、練乳、冷水を少し入れてさっそく作り始めているサガ。非常に手際が良い。
「……器用……ですね……」
「ありがとう。ジュースを楽しんだら、またいちごを取りに行こう。今度はいちごのデザートでも作ろうか」
「……今度は……私、が……作ります……」
「それじゃあ、宜しく頼むよ。……うん、新鮮で美味しそうだ」
いちごからいちごジュースへと変貌させたサガに、希沙良は一人激しく胸の内を燃やしていた。
料理といえば。
積み上がったいちごを目前に選んだ一粒。じぃっと見下ろす桃色の瞳。
「ほうほぅ、これは中々良いいちごだな」
持ち込み不可の言葉は聞かなかった、だから持ってきましたのふんわりとした生クリーム。タッパーとは便利な代物である。
「む……美味しいが、冷やした方が良かったか……」
きっと保冷機能がついていれば完璧だった、と唸るギィネシアヌ。
山積みのいちごの横には、生クリームが入ったタッパーより一回り大きなサイズのタッパー。
真っ白の砂糖に漬けられているいちごが、透明なタッパー越しによく見える。
「さて、ただ漬けているだけではジャムにはならない……」
何か無いか、と辺りをきょろきょろと見回してふと目に付いた人物が一人。
いちごを口いっぱいに頬張って食べるギアの姿。そう、まるでスチームパンクを舞台にした世界に紛れ込んでいても可笑しくない彼である。
「もしそこの人!」
「……ギア?」
「きみ、俺と一緒にジャムを作る気はないか! ないか!」
新手の勧誘か。そう突っ込んでくれる人間はいない。
「ジャム?」
「そう! スチームといえば蒸気! つまりはジャムを一緒に作る気はないか!」
ギィネシアヌの突飛な勧誘に暫し目を瞬きさせ、食べているいちごをギアは見つめる。
……ジャムにしたらきっと美味しいだろうなぁ、と。
「けど出来ないなら良いんだぜ?」
「ば、万能蒸気に不可能はないんだからなっ……!」
うまいこと焚きつけたギィネシアヌの誘いに、ギアは大きく頷いた。
「よし! 今こそその蒸気機関的なアレを活かす時だ!」
拳に力を込めて、ギィネシアヌは喜び勇んで先ほど座っていた席へとギアを呼び寄せた。
タッパー入りのいちごを、何やらよくわからん道具に押し込め煮詰め始めるギア。
レモン汁を投入後、アク取り、煮詰めて味見、手っ取り早く進めるギィネシアヌ。
「……お料理教室?」
食べ放題メニューでのコンプリートへの道、最後のデザートをお皿に持ってきたすみれが不思議そうな顔で言った。
比較的近い場所のテーブルに座っているために鼻をくすぐる甘い匂い。
「それは、置いておきまして」
ぱく。甘い生クリームで彩られたショートケーキをいちごと一緒に吟味。
「甘くて美味しいー!」
頬に手を添えて、誰に言うでもなく呟いたすみれ。無言で食べ進めるよりは何か言った方が良いだろうという防衛策、かもしれない。
そーっと、生クリームがついた指を口に近づけて。ぺろり、と舐めてはちょっぴりドキドキする。なんて純情、いじらしい。
決してぼっちによる暇つぶしではない、と意気込むすみれは次なるいちごタルトへとフォークを突き刺そうと近づける。
「あ!」
一人あーん、の直前にすみれの耳に小さな少女の高い声が木霊した。驚きつつ、すみれはタルトが乗った皿へとフォークを置いた。
声の主を見やれば、やはり声色通りの小さな少女。クロフィの姿。
ペンとメモ帳を手にしていた。ちょっとだけ見えたメモ帳の中には、すみれが完食を終えたデザートの名前がずらりと連なっている。
「それ、タルト?」
それ。クロフィがペン先を向けたのは紛れもなく、すみれが口にしようとしていたいちごのタルト。
「これ、最後だったの」
「最後かぁ」
残念そうに肩を落とすクロフィの姿に、すみれはどうしようと悶々とした。
あげるか、でも初対面だし嫌がるかも、云々。悩むすみれを前に、クロフィはメモ帳へ何かを書き記す。
いちごのタルト、の文字の横にバツ印。食べられなかったことを意味するようだ。
すみれが何か言葉をかけようか悩んだ瞬間。
「いちごのタルト、新しく持ってきましたよー!」
従業員の声。
「タルト!」
さっきまでのしょんぼり顔は何処へやら、クロフィがいち早く駆けて行った。
「おいしい! 自分でも作れるかな?」
早速立ちっぱなしで食べているクロフィの背中に、すみれは小さく笑った。
「いちごのタルト……」
「タルト?」
よく響く声にシルヴィがぴくりと動いて、すぐさま志乃が反応した。
手を引っ張る志乃がそちらへ赴けば、焼きたての美味しそうなタルトが並んでいた。
「……これ、美味しいんじゃないか」
「うん、じゃあ一緒に食べようね! シルヴィちゃん!」
「カロリーはこの際、忘れるか……」
二つ、ちょっと大きなパフェの隣にタルトを置いていっぱいになったお皿にシルヴィの顔に影がさした。
無理もない。カロリー的な意味で、いや真面目な話、本当に。
しかしこれでは折角の食べ放題が、と足早に歩いて志乃はシルヴィを席につかせた。
「はい! シルヴィちゃん、あーん!」
「う……」
不思議がるシルヴィへ、志乃がいちごのタルトを差し出した。
一瞬、カロリーを気にして迷いが生じたが志乃の屈託のない笑みの下では、断る理由は見つからない。
恥ずかしそうにしつつ、ぱくりと口へ運んだ。
「……志乃も」
お返し、とシルヴィも同じいちごのタルトへフォークを切り込んで、志乃の口元へ。
躊躇なくぱくついて、その程よい甘さといちごの丁度よい食感に志乃が瞳を輝かせた。
「美味しい!」
「そう、か」
照れもせず食べる志乃と逆に、シルヴィは未だ照れ笑いを浮かべたまま。
そんな様子に、志乃が一言。
「ふふ、なんだかシルヴィちゃん可愛い」
「……ありがとう」
「えへへ。あ、ねぇシルヴィちゃん! パフェ、二人で食べよう!」
「あ、あーん、か?」
「そう!」
志乃の笑顔に、カロリーのことをすっかり忘れたシルヴィが大きく頷いた。
ひとつのテーブルの下、藤の合間から差す僅かな太陽の光を受ける楓がすっと差し出したスプーン。
「真里真里、はい」
銀色のスプーンの上には、いちごとたっぷりのクリーム。
「え?」
対して戸惑いを見せるのは楓の恋人である真里。じわじわと赤く染まる顔をそっぽに向けることも叶わず、中途半端に口は開いたまま。
わざとらしく小首を傾げて、上目遣いに見上げる楓の視線が突き刺さる。
「あーん」
楓が浮かべる最高の笑みに釣られ、真里は照れくさそうに笑って上体を僅かに屈ませ口に含む。
ほんの一瞬。飲み込んで恐る恐るスプーンを解放した真里はやはり照れくさそうに笑うだけ。
「味はどう? ……あ、ちょっと待って、そのまま」
食べる時についたらしい、真里の口端についた僅かなクリーム。
「? うん」
それをテーブルから身を乗り出して、いちごみたいに赤い舌で舐め取る楓。
「……え? え!」
残る感触に真里の顔が真っ赤に染まる。先の比ではないだろう。
「あっ、ついてたから! ……取れたね」
「……敵わないなぁ」
真里に負けず、頬を赤く染める楓がはにかんで答えた。
……………。
恥ずかしさから両者黙っての長い沈黙。沈黙を打ち破ろうと、真里は自分の手元にあるいちごのプリンをスプーンで掬い上げる。
向かう先はもちろん、楓の口元。
「はい、楓も」
「……美味し」
幸せの味を噛み締めるかのように、楓は真っ赤な顔でもう一度パフェを掬った。
●
「エフさん、そんな隅ではなくこちらで座って食べると良いと思いますよ?」
紗雪の言葉で連れ出されたビニールハウスの外。午後になっても天気は良い。風が気持ちよい。
「確かに、外で食べたほうがずっと良い」
たんまりと摘んだいちごを遅いペースで食べるエフが紗雪に言葉を並べる。
「できた!」
一緒のテーブルでお土産を包んでいた小梅が、三つのプレゼント袋を見て満足げに笑った。ちゃんと三つ。均等に入れられている。
「無事完成ですね」
「うん! ただ、すっぱさは大丈夫かなぁ」
紗雪の言葉に心底嬉しそうに同調した小梅。その笑顔を眺め、いちごを含もうとした手の動きを止めるエフ。
「案外、甘味の強い物もある。これ……とか」
持っていたいちごを小梅に勧め、食べるように差し出すエフ。
躊躇いを感じつつも、小梅はいちごを受け取り一口かじった。一瞬、小梅の顔が驚きに満ちる。
「甘い!」
エフと小梅のやり取りに、紗雪は楽しげに笑みをこぼして。
「ここには、優しい時間が流れていますね」
率直に思った言葉を誰に言うでもなく告げた。
「も、もう無理っす……満腹で……ぐふぉ」
ビニールハウスの出入り口、力尽きて倒れ込んだ知夏が見えた。雰囲気もなにもない。
「なんで寝転がって……」
「あ、そこの人!」
大量のお土産を持つ櫂也に目をつけた知夏が、ひしと彼の足を掴んだ。
「満腹で動けない知夏を運んで下さいっす! 満腹で歩けないっす!」
「これ以上重い物を持てと……」
「失礼っす!」
ついつい本音が漏れた櫂也に対する知夏に向けて、誰かがくすりと小さく笑った。その笑い声を合図にエフが徐に立ち上がる。
「……ある意味での重体者を背負うとしよう、か」
少しだけ冷たい風に乗せる言葉は、晴天の空によく響いた。