●はじまり
顔に注ぐ太陽の光が眩しい。重たい瞼を開けば、広がる世界は靄がかかったようにぼんやりとしていた。
「うあー……もう朝かよ。久しぶりに寝坊できると思ったのに」
被る布団をぎゅーと抱きしめ、欠伸をひとつするのは千葉 真一(
ja0070)。真一はふらりと上体を起こした。
「あ! おはよ真一!」
「……ん?」
起き抜けの彼のすぐ真横から、幼い少年の声が耳に届いた。
しかし真横を向いた真一の目にはこの学園に来る以前に知人から譲り受けた豆柴の『かける』しかいない。
寝ぼけているのかと頭を傾け、意識をしっかりさせんと自身の頬を抓った。痛かった。
「真一! 今日は依頼の日なんだよね、早く行かなきゃ!」
「……かける、お前が喋ってんのか?」
「僕以外に居ないでしょ!」
小さな口を動かす犬が、かけるが人の言葉を喋る。夢の続きを見ているのかと真一は自分を疑った。
不思議な一日が始まった。
●仔猫の話
「ポチ?」
自宅、ニグレット(
jb3052)が最愛の仔猫の名前を呼んだ。ペットの名に相応しいとつけてしまった彼女自身、犬のペットに相応しいと知らないでいたのは秘密。
「ママ」
まだ男女の違いが出ていない子供の声が聞こえた。ニグレットの動きが止まる。
「……?」
「ママ!」
テーブルの上に置いてある大きめのカップの中、ニグレットの探していた存在はいた。
赤の瞳を大きく見開いて、ニグレットはカップにはまる仔猫、ポチの前に駆け寄った。
「……ポチ?」
「なあにママ!」
「な……」
カップの中からニグレットを見上げるつぶらな瞳に胸を打ち抜かれつつ、ニグレットはそっとポチを腕に抱いてその場に正座した。喋る仔猫に劣らず異様な光景である。
「猫は人の気持ちや言葉がわかるとか、猫は猫独自のネットワークを駆使して人に拾ってもらうとか……ずばりなのか」
「? よくわからないよママ」
今一噛み合わない会話、初めての意思の疎通に顔をほころばせるニグレットは実に幸せそうな顔をしていた。
「ママ! そんなことより、いいたいことあるんだよボク!」
悶えるニグレットの腕の中、ポチはその腕にしがみつき顔を上げた。
文字通りの猫っ可愛がりをやめ、ニグレットはポチを見下ろした。
「ママ、今日からずーっとおうちにいて! そうすればケガもしないでいられるよ?」
「いきなり何を……」
「ね、ね?」
ギュッと腕をしがみついたまま離れようとしないポチの姿、その言葉。
(……毎日、ずっと待ってたのか)
ひとりぼっちで家で待つ、飼われる側の本音を垣間見た瞬間。
「毎日は無理だが、今日はずっと遊ぼう」
「ほんと?」
明るい声で返すポチに、ニグレットは言葉の代わりに抱く力を強めた。
●街での話
賑わうお昼の商店街、とある女性が営む雑貨屋には黒猫の看板猫がいる。
雑貨屋のドアを開けた瞬間カランと鳴った音の次に、結城 馨(
ja0037)の耳へ店主と猫の鳴き声が響く。
「あー! いらっしゃーい!」
「いらっしゃい」
はずだった。
「ん?」
二番目に聞こえた声は店主の物で間違いないが、最初に聞こえた声は聞きなれない女の子の声。自分よりやや年下ぐらいの、元気な声。
目をぱちぱちと瞬きさせて、店内を見渡してみるがいるのは店主と、それから。
黒い猫のクッションにすわる看板黒猫の、リンだけ。じっとこちらを見る、リンだけ。はて、と馨が顎に手を添えて首を傾げた。
「今日は何をお求めですかー!」
リンの口に合わせてまた先ほどの聞きなれぬ声。暫く考え込んだ馨がカランとドアを開いて外へ出る。カラン。もう一度お店の中に入る。
「今日は何をお求めですかー!」
状況は変わらなかった。
「……現実は受け入れないと」
ひとり呟き、馨はリンの顔と向かい合うようにしゃがみ込んだ。リンが不思議そうに馨を覗き込んだ。
疑問符でいっぱいな頭、何を言おうかと悩み抜いて馨が恐る恐る口を開く。
「こ、こんにちは?」
「うん! こんにちはー! いきなりどうしたのー」
「な、なんでもないよ。……私、疲れてるんでしょうか……」
無邪気に聞くリンの調子に、馨は眉尻を下げて答えた。
「え! 疲れてるんだったら病院だよ!」
リンが不安げな声で馨に雑貨屋からの回れ右を告げる。
「……何かの映画で動物の声が聞こえるようになるというのがあったような」
店主が苦く笑った。
さて、カレーパンが評判のとあるパン屋の店頭にも看板動物が居た。
「あ。憐さんいつもご贔屓に、てかちょっとオレの愚痴に付き合ってくださいよぉ」
「……ん。言いたいこと、食べながら、聞く」
焼きたての(※買い占める勢いで買った)カレーパンを手に、最上 憐(
jb1522)は誘ってきた声の主であるウサギの横についた。
今風の敬語を崩した高校生な口調のウサギは、道行く人がギョッと目を向ける程度の破壊力があった。
「オレの餌野菜なんすけど、いーかげん飽きるんですよ。たまには刺激的なモノ食いたいんすよ」
切実な愚痴に、憐は手のカレーパンを見つめた。
「……ん。カレーパン、食べる? 刺激的で。美味」
「毒っすよそれ。いやせめて飲み物だけでも」
「カレーは、飲み物。つまりカレーパンも、飲み物」
「なんすかそのカレー推し。オレ死にますよ!」
ぐぐぐとカレーパンを近づける憐に、ウサギが悲鳴を上げ愚痴を取りやめた。
「じゃ次、オレの名前ピーちゃんですよ。明らか鳥の名前じゃん! リコーダーが出す間抜けな音みたいじゃないっすか!」
長ったらしい次の愚痴がウサギの口から漏れた。憐は新たなカレーパンを頬張った。
「……ん。アレクサンダーとか。権左右衛門とかの方が、良いの?」
「ソレ極論っていうんすよ!」
「分かり易く、覚え易い方が。老若男女に受けが。良いかもよ」
最もらしいお言葉、返す言葉がないウサギは別の愚痴へ走った。
「じゃあこの服! オレオスっすよ! 身動き取れねーわ道行く女が無駄に写メるわ、うざいんすよ!」
「……ん。世の中には。男だけど嬉々として。メイド服、着てる人。いるよ」
ビシ! とかじりかけのカレーパンをウサギに向け憐が淡々と述べる。
「ハァ? 人間ってそんなコトすんですか、ワケわかんねぇ!」
「昨今、男の娘と言うジャンルが。流行らしいから」
ウサギに向けたカレーパンを、憐は再び自分の口へと運ぶ。
「目指したら」
「嫌ですよ!」
ウサギの叫び声が青い空に轟いた。それは悲痛な、何とも言えぬオス野郎の叫び。
「……ん。とりあえず。店主にソレとなく。進言して、改善を求めてみる。よ」
ウサギの背にぽんと手を置いて、憐は愚痴劇場に終止符を打った。
●学園での話
「おはよう……」
「ん。あぁ、お前か」
「…………」
目があったからした挨拶。それが切欠だった。
猫が喋った、と何度も何度も心の中で呟き、特に驚く事もなく喋る猫の横に腰を下ろしたのが少し前。
セレス・ダリエ(
ja0189)が学園内、暖かな日差しがさす中庭のベンチで優雅に毛づくろいをする顔見知りの猫を見下ろしたのがその後。
「……何時も会うね。名前、は……?」
毛づくろいが終わったのを見計らい、セレスはぽつりと話しかけた。猫がセレスを見上げた。
「無いね。まぁ猫ちゃんとか、にゃんことか、それぞれが適当に言ってるよ」
ぺろ、と持ち上げた前足をざらざらした舌で舐め始めた。
「……今日も良い天気だけれど、アナタはどんな天気が好き?」
ふと、セレスが空を見上げて質問を重ねた。猫も、空を一瞥してまた前足を舐める。
「好きも何もない。あえて言えば今日みたいな日だな。所詮猫、日向ぼっこは気持ちが良い」
「……私は、どんな天気でも気にしないけれど、雨の日とかは大変そうね」
「雨の日は極端だ。少なければ水溜りができないし、多ければ増水した川に飲み込まれる。運次第だな」
「そう……」
自分の顔に舐めた前足を押し付けて猫は顔を洗い始めた。
「……好きな食べ物とかある? あるのなら、今度持ってくるけれど……」
それを横目に、セレスはゆったりと質問を続けた。
「炭火で焼いた焼き魚」
「…………」
「冗談。変に気遣いしなくて良い。自分の腹は自分でなんとかできる」
返答を返さないセレスに猫が顔を洗うのを中断して、付け加えた。
「……アナタには」
「ん?」
「何が不思議?」
顔を洗おうかという間際に、ほんの僅かな時間をおいてセレスが質問、いや。疑問を猫に問うた。
「私には、全てが不思議」
ずっと向けていた猫から視線を外し、セレスはもう一度空を見上げる。
降り注ぐ日差しに眩しそうに目を細めて。
「不思議」
猫が復唱した。
「俺には、お前のような撃退士という存在が不思議でしょうがない」
セレスが徐に立ち上がり、顔を洗い始めた猫に改めて顔を向けた。
「……それじゃあ、また」
「あぁ。またな」
彼女と猫の別れは、何時も通り。
そんな中庭からさほど遠くない青嵐寮近くで、依頼と依頼の僅かな合間を縫って真一はかけるの散歩帰りに道草をしていた。
「なぁかける」
「なになに?」
嬉しそうにしっぽを振るかけるに視線を合わせて真一はしゃがんだ。
「俺な。依頼から帰って一番、お前の顔を見ることだけで癒されるんだ。でも最近は忙しくて散歩は寮母さんに頼みっぱなしで、悪いな」
「しょうがないよ! 依頼は大事!」
「だから」
真一が、かけるの頭を撫でた。
「時間のある時は出来るだけ、一緒にいような!」
「うん!」
夢であったとしても、真一はニッと口角を上げこれ以上ないほどしっぽを振るかけるに笑いかけた。
●鴉との話
夕方、ピーナッツを食べるのも音楽を聴くのも小説を読むのも終えてしまった鴉乃宮 歌音(
ja0427)はベンチの上で暇を紛らわすのも疲れたように息を吐いた。
目前のアレは鴉同士の決闘、らしい。
今朝、ゴミを漁らない代わり、時々餌をねだられれば応えるという関係を持つ鴉にお願いされた。
自分のテリトリーに入ってきたよそもんが、群れのもんを何羽も襲う。決闘をするにあたって立会を。
「勝ったでやす」
もう一度読むか、と歌音が小説を開きかけた間際。座るベンチの背もたれに、一羽の鴉がとまった。
小説をぱたんと閉じ、歌音は体の横に置いていたジャーキーを鴉の嘴へ添えた。
「はいお疲れ」
「また御厄介になりやす」
「はいはい」
負けた、らしいよそもんの鴉が飛び立ち赤の夕日に消えゆく様を見上げ歌音は視線を背もたれにとまる鴉へと向けた。
やけに長かった決闘を終えた鴉は急いでジャーキーを胃袋に詰め込んでいた。
急ぐなよ、と声をかけてはみたがまるで聞いちゃいない。
「ジャーキーはここのブランドが一番でやんす」
「そうか。では新商品出るまでは、それだな」
「ダンナ」
白衣の裾を払う歌音に、忙しく食べている鴉が顔を上げて声をかけた。
「いい加減あっしが喋ってる事にツッコんでやってくだせえ」
暫く、沈黙が続く。
「今更。……ええーヒトの言葉喋ってるー」
えらく酷い棒読みで、歌音は答えてやった。
●自室の話
「あらこんばんは。ご機嫌麗しゅう」
そう言ってどこからともなく聞こえてきた、自分より少しお姉さんかというくらいの声が部屋に響いたのはつい先ほど。
「……わ、クモが……しゃべ、った」
声の主を見つけてぽつり、ぽつりと言葉を返したのもつい先ほど。
「貴方、私を見ても悲鳴をあげませんのね。不思議な方ですこと。大抵のヒトは悲鳴をあげますのに」
小さな蜘蛛が流暢に言葉を喋りながら、軽い身のこなしでテーブルに舞い降りた、。
「……どこに、すんでいるの……?」
人に嫌われる存在。そうして、どこかシンパシーを感じたらしい黒崎 ルイ(
ja6737)が問うたのが始まり。
就寝寸前であった事を思わせる黒い寝間着姿のルイは紅茶を挟み、2cmほどのアシダカグモ、その黒い姿を見つめた。
「家を固定するヒトとは違いますから、ない、でしょうね」
表情は一切伺えない蜘蛛、彼女の声は感情を感じられないほどに淡々としていた。
「……ひとに、いっぱいのひとに……きらわれてて……つらく、ないの……?」
「私はヒトに嫌われているとか、好かれているとか。そんなこと関係ありませんの。ただただ、一日一日を過ごすだけですわ。けれど――」
重ねて次の質問にも淡々と答えていく。それのみかと思えば、声が途切れた。
「好かれるという事を知る事ができれば、また違った答えを出せるかもしれませんわ」
「……ルイも、むかしは……いっぱい、きらわれてた……。だから、クモさんのきょうぐうが……なんとなく、わかる……」
鮮やかな紅茶に映し出される自分自身の顔を眺め、ルイはぽつぽつと言葉を告げる。
「昔は?」
「……いまは、ちがう……」
「そうですの」
深く追求するわけでもなく、彼女はルイにたった一言を返した。
「――それはそうと、ヒトの生活はどのようなものですの? 宜しければ教えてくださいまし」
「……うん、いいよ……」
「ありがとうございます、ね」
彼女の声が、ほんの少し優しい色になった。
●月夜の話
「今日の依頼はな――」
雲がひとつもない夜空に煌々と輝く月を眺め炎宇(
jb1189)は酒を片手に呟いた。
炎宇の傍にいる灰へ、飼い犬として帰りをずっと待ちながら一日を留守番で過ごす灰へ宛てて。
返事はなく、他人から見ればただ独り言を口にしているだけと見られるだろう。
「炎兄さんはいつも、悲しそうな顔をしていますね」
今日だけは違った。
月を映していた炎宇の赤い目が見開かれ、窓越しの月から大人の男性の声がした方向へ顔を向けた。
何一つ、何時もと変わった所はない十字の傷を額に持つ灰の姿。
十字を目にした炎宇の表情が、学園へ来る切っ掛けとなった出来事を思い出され僅かに歪んだ。
「炎兄さんと話せる日がきたらずっと伝えたいことがありました」
灰は変わらず炎宇の顔をじっと見つめ、対する炎宇は酒を机に置き体共々視線を灰へ向ける。
「炎兄さんがあの日をずっと悔やんで、苦しむ姿を見てきました」
黄緑とも、黄色ともつかぬ灰の目から炎宇は視線を下に向け、ゴツゴツとしたその手のひらを灰の頭に乗せた。
「そんなこと」
「俺は貴方にとって、たった一人の家族です。そんなことない、わけがないです」
炎宇の言葉を灰が遮った。
「……そうだな、そうだよな」
震えた声で告げたその直後、炎宇は空いている片手を自らの顔に添えた。
その様子を視線を動かすことなく、灰は続けて口を開く。
「俺は貴方を助けたいんです。今この瞬間も、明日も、明後日も、ずっと先も。貴方が俺を、あの日俺を助けてくれたように」
顔の走る炎宇の傷痕に、覆う手の隙間をすり抜けて一筋の涙が伝った。
「俺も、お前に伝えたい事がある」
炎宇が顔に添えた手を涙を拭う様に退け、今一度灰の顔を見据えた。
「誰も何も、奪われないようにもっと強くなる。これからも宜しく頼む……俺の大事な、義弟」
月の光が炎宇の笑顔とも泣き顔ともとれない顔を照らした。