商店街が活気づく少し前の朝。8人の撃退士へ、猫カフェを背にアルバイトの少女は一礼をした。
「お忙しい所お集まりいただいて……」
「固い挨拶は無し無し! 今日はたくさんの猫の可愛さに癒される日なんだからさ! ね、楓奈!」
「ん。たくさんの猫に囲まれる今日は、まさに至福の時」
思いを馳せるは可愛い猫。話を振られた里条 楓奈(
jb4066)は橘 優希(
jb0497)の言葉に頷いた。
「そういう事です。猫と戯れられるたぁお得な依頼だ」
少し冷たい朝の風に着物の裾を揺らす猫柳 睛一郎(
jb2040)が優しげに笑う。
「噂に聞くにゃんこ天国っ! お世話なんて、滅多にできないもんね!」
「にゃんこ天国、違いないわぁ」
明るい声色で同調する媛神 菊理(
jb4439)に宇田川 千鶴(
ja1613)は笑みを零した。
「猫まみれ、だからな」
無表情で呟いた北島 瑞鳳(
ja3365)は、頭へ巻いた日本手拭いの結びを強くした。気合の現れである。
「皆さん……!」
和やかな雰囲気に流され、少女も笑顔を浮かべるその横。
(「猫まみれ……だと? これは浮気にはならないか? 大丈夫だろうか……」)
ニグレット(
jb3052)が一人悶々と考え悩んでいた。ニグレットの家に待つ子猫以外を相手にするなんてと迷いが生じているようだ。
「猫カフェの猫ってある程度躾けられてるんじゃないのか」
ニグレットの悩む姿を尻目に朱史 春夏(
ja9611)が鋭い言葉を投げる。
「……手のかかる子程、可愛いってやつか」
直後に付け足した言葉からも、手に持つ猫用ケーキからも春夏が今回の依頼に力を入れているのは明白だ。
「そ、そうなんです! えと……本日はよろしくお願いします!」
少女はぺこりと頭を下げた。
●部屋1
猫カフェにある部屋を利用し、3手に分かれて対応すると言うのが今回の計画だ。
逃走を防止する柵も設置済みである手前の部屋には、白猫たちと喧嘩の絶えない黒猫3匹と食欲に忠実すぎる三毛猫が2匹。
お相手を務めるのは千鶴と春夏。
「ほら、そっち行ったらあかんよー」
事前に調べたお気に入りのおもちゃを手に、千鶴は黒猫の注意を自分へと向けた。
時折ゆるーい猫ぱんちを食らうが、千鶴にとってはご褒美である。
黒猫の視線に合わせて身をかがめ、目と鼻の先で遊ぶ姿に心が癒されるのだ。
「宇田川さん、黒いのは……」
「大丈夫! ええ子たちよー」
人前であるのを忘れそうになるこの瞬間。春夏の言葉に千鶴はぐっと顔の筋肉に力を込めて緩む顔を引き締めた。
黒猫とじゃれる千鶴を後ろ背に問題がないと判断すると、春夏は自分の左手に甘噛みをする三毛猫を引き剥がした。
次の1匹が交代とでも言うように左手に甘噛みされた。
「…………」
右手を差し出したが、こちらはあまり好まれない様子。
ため息混じりに息を吐くと、春夏は事前に用意した魚の形の猫用無添加クッキーを右手に差し出してみた。
「やっと食べ物を食べたか」
食いしん坊らしく勢い良く食べ始める2匹の様子に僅かに浮かぶ笑み。指に当たる牙が若干痛い。
それでもこれ幸いと食べている間に三毛に分かれた毛ざわりを実際に体感した。
「もっふ、もふ」
日々のストレスが猫を抱きしめるだけで解消される事に、改めて感動を覚える春夏であった。
●部屋2
赤いリボンで括った黒髪が揺れるその頭に付けた猫耳カチューシャ。
猫カフェの意味を履き違えそうな姿で、優希は食いしん坊な猫達の長毛の美しいペルシャと耳折れが可愛らしいスコティッシュフォールドを相手にしていた。
「ほらほら猫さん。お仲間ですにゃー? 一緒に遊ぼー?」
仲間意識を持たせる試みだ。挨拶がわりにおもちゃを眼前で振ってみると、スコティッシュフォールドがてしてしと肉球を当ててくれた。
「優希、今のところ大丈夫か?」
白猫が3匹と数人は入れる囲いの中で、楓奈が顔を上げ優希へと目をやった。しっかり、白猫とおもちゃで遊びながら。
「大丈夫、大人しいよ。白猫達の様子は?」
「こちらも大人しい。黒猫と喧嘩になるだけで、基本は大人しいんだろう」
「やっぱり。この子達も食欲旺盛だけど、いい子達なんだね」
ちょいちょい手を出してくるスコティッシュフォールドに癒されながら、優希はおもちゃをちょこちょこと動かす。
そんな優希の顔から、楓奈の視線がすーっと持ち上がり頭部へ向けられた。
「猫耳の効果はどうだ?」
「まぁまぁかな」
「そうか」
何食わぬ顔で問いかけた後に再び白猫達の相手をする楓奈と、何食わぬ顔で答えてからペルシャとスコティッシュフォールドの相手をする優希。
何かこう、猫耳カチューシャに対して言うんじゃないかと思われる光景だが、二人は小学生からの幼馴染。これが平常運転なのだろう。
「あ! 楓奈、ペルシャが遊びに来てくれた!」
「良かったな。きっと猫耳が通じたんだろう」
なんだこの会話、と思われる物も幼馴染というだけですべてが片付く不思議である。
「それじゃブラッシングターイム! 楓奈、少しの間だけこの子のお世話頼むよ」
「任せろ。ゆっくりブラッシングしていてくれ」
囲いから出ると、楓奈はスコティッシュフォールドを抱えて再び囲いの中へ座り込んだ。
楓奈の顔に浮かべられる微笑みは猫にも安心感を与えたようで、猫もすぐじゃれつく。
「もー可愛いなぁー」
対してペルシャにブラシをかける優希の顔は終始にやけていた。
●部屋3
出入口から一番遠いこの部屋には脱走したがりの虎猫2匹とロシアンブルーとアメリカンショートヘア2匹。
瑞鳳、睛一郎、ニグレット、菊理が部屋の出入り口側で猫達と対峙していた。
細まった猫達の瞳孔が見つめる先はやはり部屋の出入り口。5匹の猫が今か今かと人間くさくチャンスを伺っているのだ。
「眺める分にゃ可愛いもんだが、正面から相手しようと思うと果てしなく厄介だな。特に、脱走グセのある連中は」
他の部屋より人員を割いたのは瑞鳳の言う通りやんちゃ揃いという点もある。
延々と続きそうな睨み合いの中、睛一郎は徐に懐へ手をいれさっと何かを取り出した。
「さ。睨み合うよりは、構い倒して遊ぶのが猫にとっても楽しいもんです。しかし構い倒すにはそれなりの準備が必要。ってな訳で取り出したるはこのハンドプレイヤー」
す、と取り出されたのは、もこもことした質感で厚みがある猫の手型の手袋が2つ。これなら引っ掻かれたってなんて事はないだろうし、両手にはめれば2匹同時に面倒が見れてなんとも便利。
「猫手袋……! よし、ボクもこのぬいぐるみと!」
自分も負けじと、菊理が取り出したのは外に干してお日様の匂いのする小さな縫いぐるみ数点。猫の大好きな紐付きである。
「にゃん子にも手伝ってもらおう!」
次いで彼女の猫好きが体現したと取れる猫龍であるにゃん子が召喚された。ラグドールの背に小さな翼のついた姿は、対峙した猫達に何ら違和感なく混ざれるだろう。
にゃあん。
「ダンディ……だな」
「ダンディ……ですねぇ菊理嬢」
「ダンディはいいと思うんだよ、ボク!」
まるで人間の男性のような低い声に瑞鳳と睛一郎が感想を零し、菊理が頷く。
「なっ……」
先程まで猫の群れに悶えていたニグレット、その目に猫としか思えないにゃん子が追加された。いよいよショートしかねない。
「覚悟を決めなければ……」
拳にぐっと力を込め、四足揃えて帰りを待つ子猫に心の中で謝罪の意を示すと、ニグレットは家より持参した真新しいであろうおもちゃを握った。
「おもちゃとは何も商品化されている物に限らないだろう」
用意周到なのは瑞鳳も漏れず。麻縄、レジ袋、手鏡、新聞紙。人間の日常に溢れているものほど、猫カフェの猫にとっては接点が少なく逆に効果は高いはず。
「さぁて皆さん方、一つ張り切って参りましょうや」
「大変だけど、頑張るぞーっ!」
「ま、体力だけには自信がある。修行の一環と思ってやってみるか」
「……よし!」
にゃあん。
にゃん子の低い声が合図となって、猫を構い倒しに4人は動いた。
●それぞれのお昼
「皆さん、お弁当を食べる際は休憩室がありますのでそちらでどうぞ!」
アルバイトの少女が各部屋に声をかけて回った。今回のお弁当の中身は、猫の顔に形取られたご飯が3つ。白米、桜飯、海苔。白猫、虎猫、黒猫をイメージしている。
器用に海苔やかまぼこで顔を作り、その周りにおかずを乗せた可愛らしい仕様だ。
「あら、ほんま可愛い。食べるの勿体ないわぁ。後でお礼言わないと」
千鶴が蓋を開けての第一声を発した。ぱぁっと笑顔が浮かぶ、というか今日は笑顔でしか居ない気がする。
「こ、ここにも猫が……! 浮気なのか? 浮気なのかっ……!」
ほんわか和んでいる千鶴の耳に、ニグレットのひきつれた叫びが聞こえてきた。そちらへ顔を向ければ、蓋を開けたまま硬直するニグレットの姿。
「も、もしもーし?」
キャラ弁の概要を知らぬニグレットが飲まず食わずでやっていくにはまずい。千鶴は、時間をかけてキャラ弁のなんたるかを教えていた。
静かな時間である。実に、静かな時間である。
猫のキャラ弁を穴が空くほどじっと眺め、一定の早さで箸を進めるのは春夏。今度、自作で作ろうかと頭の中で考えている途中。
そして可愛いだろうが何だろうが、躊躇なく食べるのは瑞鳳。実に効率的な食べ方である。早くにでも猫を構い倒したいのだろう。
「美味しい……けど」
凄まじく食べにくそうにしているのは優希。先ほど記念に写メを撮ってからと言う物の、以降は実に静かで重苦しい空気だ。
「中々。美味かった」
ふと、瑞鳳が箸を置き静かに手を合わせた。食べ終わったらしい、手早く片すと部屋を出て行った。
1分もしないくらいだろうか。
「ご飯ー! 猫ちゃんお弁当ー! ゆっくり食べたいけど早くにゃんこ達と遊びたーい!」
明るい声色で菊理が部屋に入ると同時に、緊張の糸が切れた優希は盛大に息を吐いた。
「……元気だな」
春夏が他人事に、そんな事をつぶやいた。
視覚共有とは便利だ、と改めて思ったのは楓奈。部屋で猫の遊び相手として活躍するヒリュウに感謝し弁当を食していたが、少食もあって早々に食事を切り上げんとしていた。
「早食いは、体に悪いのでは?」
首をかくりと傾げて、足早に部屋を出ようとする楓奈へ声をかけたのは睛一郎だった。
最もな言葉だと楓奈は肩をすくめ、それから口を開いた。
「猫天国を前にして、悠長に飯など喰っておれんよ」
ふっと笑って、楓奈は部屋を後にした。
「違いない」
睛一郎が操作をした携帯画面にいたのは、先程まで構い倒していた虎猫が可愛らしく写っていた。
●もふもふ
食いしん坊であり凶暴でもある猫たちを預かった2つの部屋は忙しない。
「こら、これあげるから、他の子の取らんのよ」
春夏の用意した猫用ケーキとクッキーを餌に、にゃあにゃあと鳴き騒ぐ三毛猫を千鶴が黒猫から引き離した。黒猫達が食べ終わるまでぐっと抱っこすると決めた。
「飯時はやっぱり、凶暴だな」
春夏に至ってはまたも左手を食われている始末だが、怪我には繋がらない甘噛み。
それに凶暴ではあるがこちらは撃退士、力及ばぬ猫はうにゃうにゃと言いながら2人の腕に収まっているしかないのだ。問題ない。
「うにゃうにゃ言う姿も」
「かわいいんだ」
息のあった感想を述べた2人だった。
「美味しいか? よしよし、ゆっくり食べろ」
ペルシャを腕の中に抱きながら、楓奈はささみを手に食事を促していた。微笑んだまま、さりげなく長毛種の柔らかな毛並みを堪能する事も忘れず。
「いだ!」
しかし。優希の抱えるスコティッシュフォールドはガツガツとささみを食した後も腕に噛み付き、終いには猫キックまで食らわせる。
絆創膏が封を開けられるのも時間の問題かもしれない。優希が涙目で楓奈へ視線を向けた。
「幸せなら良しとしよう、優希」
「……そうだね」
微笑む楓奈に、優希も釣られて笑みを浮かべ暴れるスコティッシュフォールドの背中に顔をうずめた。
「あいた!」
猫キックを食らった。
準備の良い彼らといると、猫たちも脱走意欲を削がれるようだ。
平和な脱走猫集団と4人と、1匹のいる部屋では、各々が猫と戯れていた。
部屋の片隅では新聞紙を広げ、まるで父親のように眺める瑞鳳の姿。作務衣にひっつく虎猫が1匹、瑞鳳のあぐらの中にゃあにゃあと鳴いている。
「ささみはそんなに、美味しかったか」
にゃあ。
「そうか」
猫の頭を優しく撫でながら、猫の姿や仕草を観察していた。
そこから時計回りに、アメリカンショートヘア2匹を相手にする睛一郎とニグレット。
「全く可愛い子で……何です? この図体でこの猫の手は不釣り合い? まぁ其処はご愛嬌てぇ事で……擽っちまいやしょうかぁ」
内、1匹を相手にこしょこしょとハンドプレイヤー越しにお腹をくすぐりじゃれるのは睛一郎。実に楽しそうである。
「………」
睛一郎よりハンドプレイヤーをひとつ借りたニグレットは、大きな手をたまに、本当にたまに動かしながらじっと猫と見つめ合っていた。
にゃうん。
「にゃ……」
口を噤むニグレットと、猫が何を思っていたのかは1人と1匹のみぞ知る。
更にそこから時計回りすると、遊び疲れたらしいロシアンブルーと菊理が仲良く午後の日なたの中で昼寝をしていた。
見張りとしてにゃん子はじっとその姿を見つめているが、ロシアンブルーに寄り添っている所を見れば、仲良くなっているとわかる。
「もっふもっふで……ふわっふわぁ……」
菊理が幸せそうな笑顔で、寝言を言った。
●5時
スタッフの帰りを告げる鐘が鳴った。猫カフェの建物の外、夕日の色が商店街を照らす。
「う、うぅ、あっという間だったよ……」
「あらあら。泣いたらあかんよ、笑顔笑顔!」
「……楽しい時間は短いものだ」
今生の別れと言わんばかりにボロボロと涙を流す菊理を千鶴が宥める横で、ニグレットが寂しげに言う。
「確かに。世話も良いが……今度は是非、客として戯れたいもんだね」
「お客さんとして……! ボク、また来ます!」
「……変わり身、早いな」
「そ、そこは立ち直りが早いって事だよ!」
睛一郎の言葉に元気を取り戻した菊理が宣言する姿を横目に、ぼそりと告げる春夏に続いて優希がフォローをした。
「そうだな、また客として来れる」
楓奈が大きな猫である猫カフェの建物を見上げた。
「別れを惜しむのも良いが、こちらとしても学ぶところが多かった。感謝する」
無表情であった瑞鳳の顔に微かな笑みが浮かぶ。その言葉に少女は照れたように頬をかいた。
「こちらこそ! 皆さん、今日は本当にありがとうございました!」
●暫く経った日の猫カフェ
3匹の猫がじゃれあう、小さな陶製のオブジェが店の受付横でお客を出迎えた。
「このオブジェ、縁あった撃退士さんが贈ってくださったんですよ!」
アルバイトの少女が、お客へ嬉しそうに言った。