●火は生き物である
「……アウルの力があっても……これ、平気なんでしょうかねえ……」
火災は時間が経てば経つほど、手に負えなくなる。火災の様を目の当たりにして、大学部1年のディバインナイト、鴉守 凛(
ja5462)は一瞬途方に暮れる。幸い、撃退士達が転移装置を使い現地に到着するその前から既に消防による放水が始まっていたため、ある程度の猶予はあるようだった。
「何とか爆発だけは、食い止めなければです」
凛の声を聞いてか、隣で御手洗 紘人(
ja2549)が神妙な顔になって頷く。こちらは高等部1年のダアトである。
「火は全てを失う……作業場に初めて入るときに言われましたっけ……」
普段のポニーテールを一度解き、シニヨンにまとめ直しながら高等部2年のアストラルヴァンガード、道明寺 詩愛(
ja3388)が呟く。
(私情は忘れるべき、ですが……)
同様に髪をまとめる斐川幽夜(
ja1965)はやや思いつめた表情を見せる。今回の現場となった町工場に、大学部1年のインフィルトレイターは自らの過去を重ねる。懐かしい、楽しかった工場街。
(……やれることは全て、余さずやり抜きたい。後悔だけはしないために)
彼女らもそうだが、今回集まった撃退士達のうち、女性陣は全員が髪を長く伸ばしている。皆、詩愛や幽夜と同様に髪を纏めていた。今回の戦いでは、防災防煙マスクの着用が必須だったためである。幸いと言うべきか、マスクにはまとめた髪を保護するネットも備え付けてあったので、それを併用する。
頭全体をすっぽり包むフードの中で、口と鼻を特殊フィルターの付いた防煙マスクが覆う。視界は透明樹脂製のバイザーで広く確保されるので、粉塵や煙の充満する場所でも視界と呼吸を確保出来る。マスクの都合で口が大きく開かないのと、声が若干届きにくくなるのを除けば、普段とそれほど変わりない活動が出来るようであった。フードをバンドで固定するだけで、着用もそれほど難しいものではない。ヘルメットでもないので、重量も思ったほど重くないようだった。
「どうにも激しい現場になるわね。迅速かつ的確な行動が求められる……気を引き締めていかないと」
マスクを被りながら、口を真一文字に結ぶのは月臣 朔羅(
ja0820)である。高等部2年の鬼道忍軍の彼女は、消防隊員に手伝ってもらい、高圧の放水ポンプを装着している。ベルトでしっかりと体に固定されたそれは、水を充填したタンクとポンプ、そして放水用のホースが繋がっている。消火器と同様にホースを火元に向けてレバーを握れば、勢い良く水が噴き出す仕組みである。ただ、多量の水を高圧で一気に放出するため消耗が激しく、長く使えるものではない。彼女と同様に、桂木 潮(
ja0488)もポンプを装着する。彼は今回の最年少、初等部3年のアストラルヴァンガードだ。
「早々に参りましょう」
既に被ったマスク越しに、阿修羅の高等部2年、レイラ(
ja0365)が仲間達に促した。詩愛が用意したミネラルウォーターを各々頭から被って全員の準備が出来たのを確認、潮を先頭に彼らは工場へ突入した。
●FireFighters
ディアボロ『バーニングシャドウ』が存在するのは工場の玄関を上がったすぐと、生産ライン最奥の二箇所である。特に奥の一体が、付近にボイラー室や燃料貯蔵庫があるため危険と判断されている。そのため、彼らは二手に分担して先に奥のバーニングシャドウを撃破する戦術を立てていた。まず潮と高等部1年のルインズブレイド、妃宮 千早(
ja1526)、そして紘人の3人が入り口側のバーニングシャドウの足止めに当たる。その間に残りの5人が奥へ進み、最奥のバーニングシャドウを撃破する手筈である。
まず、奥への進入ルートを作る。潮は火災の状況を確認し、生産ラインへ続く道を放水で確保する。
「ここは私達に任せて、どうぞ奥へ!」
「僕らで時間稼ぎをしておきます……」
千早と紘人の声に送られ、潮の先導の元、奥のディアボロに当たる5人が進んでいく。その姿を横目に見送りながら、千早はふふふと笑みを浮かべる。
「これ、一度言ってみたかったんです♪」
「でも、倒してしまってもいいんですよね? ……なんて言えたらいいんですけどね、はぁ……」
紘人は溜息。対照的な二人であった。既に千早はツーハンデッドソードを、紘人はスクロールを構え、入口側のバーニングシャドウに相対している。
真っ先に千早が、バーニングシャドウ目掛け駈け出した。先ほどまでの柔和な微笑は既になく、冷たい眼差しをディアボロに叩きつけながら。
ゆっくりと、全身が燃え盛る炎で出来たそのディアボロが振り返り、一歩踏み出す。その足跡も、炎で出来ていた。
一方の潮は生産ラインへ進み、放水で移動ルートを確保していく。5人の中ではポンプを背負った朔羅が先頭に立っていたが、奥の状況が判らない。その為、朔羅の放水は温存する必要があると判断していた。町工場でそれほど広くはないとは言え、それなりの距離はある。朔羅は搬入口から貯蔵庫への直通ルートはないかと思い確認したのだが、縦長の工場施設はどうやら生産ラインを通らねば貯蔵庫にたどり着けないようだった。レイラも手伝い、道を広げる。朔羅の放水を温存するにしても、潮自身の放水も必要最低限に済ませなければならなかった。
「こちらはよろしくおねがいします!」
ルートの確保が確認出来た時点で後を5人に任せ、潮は引き返す。入り口側の二人にも、加勢は必須だった。
熟練者の振るう鞭は、時として先端が音速を超える事すらあるという。この時、鞭の先端は空気を叩き、大きな音を鳴らす。その破裂音と共に、レイラの振るうブルウィップがバーニングシャドウの炎の体を斬りつけた。それが戦闘開始の合図となった。
「攻撃に専念する、と言うのは初めてですね……」
幽夜は両手で構えたリボルバーを連発させる。前のメンバーが射線の確保を意識して動いてくれているため、狙いやすいのは有難かった。弱点があれば狙うつもりで、人体であれば心臓に当たる部分を狙い撃ってみるが、効果はあまり見られない。
ゆらり。炎の体が揺らめくように、その片腕を持ち上げた。そのまま落とすように殴りかかる。炎を撒き散らす訳にはいかない。凛がツーハンデッドソードでその拳を受ける。衝撃と、何よりも熱波が彼女を襲った。
「……この熱、息苦しさが貴方の意思……」
戦いを対話と捉える凛の言葉に、ディアボロは答えない。
「時間をかける訳には……」
詩愛が蹴りを放つと、その足先から魔力弾が放たれる。ブーツにスクロールを仕込んでいる為だ。彼女は蹴り上げた足を更に踵落としの容量で振りおろし再度魔力弾を放ちながら、ちらりと視線をディアボロから外す。その先では、朔羅が燃料貯蔵庫のプレートのかかった扉に水を放っていた。
前衛に立つレイラと凛は、後ろの二人の射線とバーニングシャドウの放つ火球や地を走る炎の射線に注意しなければならない。その上で交戦すれば、どうしても時には味方と射線が重なる瞬間が訪れる。当然それは敵も狙うところであったようだ。一瞬、レイラと詩愛が直線に並んだ瞬間にバーニングシャドウが炎を地面に叩きつける。その炎はそれ自体が生きているかのように、一直線に彼女らへ突き進んだ。レイラが炎を押し留めようと耐えるが、炎は彼女の身を焼き更に突き抜ける。詩愛も同様に炎を押し止めようとし、そこでようやく炎が消えたが、床は直線状に火が残る。ひとまず貯蔵庫とボイラー室の消火を終えた朔羅が、慌ててその火を消し止めた。
「……私に火炎は効きませんっ!」
炎を耐えたレイラが、カウンター気味に鞭を繰り出す。無論、ダメージは負っている。その痛み、熱さを堪え、己の身を奮い立たせる言葉だった。
「無粋はやめてください……熱き敵意を向けるは、私の身と心……」
位置取りの妙と言うべきか。レイラの反対側、すなわちバーニングシャドウの後ろに回りこんだ凛が、大剣を炎の人影に叩きつける。挟撃であった。その炎は自然と凛へのカウンターとなるが、それを構う彼女ではない。むしろ、その痛みと熱で自らを高揚させていた。頬の紅潮は、どうやら敵の放つ熱だけが原因ではないらしい。
その間も幽夜は銃撃を止めない。3人とはまた別の方向で射線を確保し、積極的にアウルの銃弾を撃ち込んでいる。反撃にバーニングシャドウが放った火球を避けるも、その炎は近くに積まれていた梱包用ダンボールに引火する。その熱に一瞬顔を顰めた。慌てて、炎を避けるように立ち位置を変える。朔羅はその炎を消火する。
この工場はどうやら、電子部品の加工を行なっているようだった。生産物そのものは基盤やコンデンサ類、
コード等で可燃物は少ない。しかし、小さい部品が多いため、それらの梱包用品が多くある。多くの場合その梱包用品はダンボールや厚紙であり、非常に数が多く燃えやすい状況であった。
ゆらり。バーニングシャドウは向きを変え、再び凛を狙う。その拳をまたも大剣で受け、反撃に出るが若干力が入らない。熱に中てられたのかと、たたらを踏みながらも一撃。詩愛がそれを見て、回復のスクロールを取り出し凛の傷を癒した。これで熱の影響は兎も角、体力は多少戻る。
バーニングシャドウが凛とレイラを狙うなら、消火を続ける必要はない。バーニングシャドウの足元を中心に床に引火はしているが、それが広がるにはまだ暫くの時間はあると思われた。ならば今は攻撃に加わるべきと、朔羅はホースをポンプに仕舞って代わりに苦無を取り出す。
「火遊びはそこまでよ。罰を受けなさい!」
詩愛や幽夜とはまた別の射線から、アウルの刃を飛ばして遠距離からバーニングシャドウに斬撃を与えた。しかし、朔羅は眉をひそめる。思ったよりも、背中のポンプは動きを阻害するようだった。なるべく腕を後ろに流さず、フリーに使える構えに切り替えながらの攻撃となる。逆に顔らしき部分を朔羅に向けたと思しきバーニングシャドウは、またも床に炎を落とす。落ちた炎は床を走って朔羅目掛け一直線に襲ってくる。思わず一歩引いてその炎を避け、慌ててホースを取り出す。その炎に高圧水を叩きつけ、消し止めた。
バーニングシャドウには確実にダメージを与えている一同の攻撃だが、それを受けてなお、バーニングシャドウは怯む様子を見せない。恐らく知能は低いか存在せず、痛みも死も恐れないのだろうと撃退士たちは見た。
攻撃が通用しているのか、いまいち判断が難しい。5人の攻撃が集中してもなお、暫くはバーニングシャドウのその身は揺るがず、それどころか反撃さえ行って来ていた。それが唐突に途切れた。
ここぞとばかりに勝負を決めようとレイラが鞭を振るうと、ぼうっと一瞬大きく燃え上がる。そしてその炎が収まると同時に、バーニングシャドウの姿自体が消えていた。ディアボロの立っていた場所に残った小さな火を、朔羅が消し止めた。
「……もしかして、倒したのかしら」
火の気が残らない。朔羅が呟く。4人が周囲を見回すが、バーニングシャドウが出現する気配はない。恐らくは倒したのだろうと、ボイラー室周囲に残っていた火を朔羅が消し止めた。
ボイラー室と燃料貯蔵庫の無事を確認すると、彼女たち5人は入り口へ向かって走りだした。
「ここは終わり……もう一体」
詩愛の言葉通り。敵はまだ一体、残っている筈である。そして、工場内の炎全てを鎮火したわけではない。時間がないのは変わらないのである。
一方、入り口近く。
「敵に情けは無用でしょう……」
目的自体は、奥へ進んだ味方が戻ってくるまでの時間稼ぎと延焼の阻止であった。しかし、だからといって油断すれば、バーニングシャドウに思いもよらぬ被害を受ける。そうでなくとも、千早は最初から敵を倒すつもりでかかっていた。
千早の大剣がバーニングシャドウに食い込む。その身を包む炎がそのまま千早の手を焼き、更にバーニングシャドウは千早に殴りかかる。千早も凛と同じく、大剣で受け止める。熱い炎を目の当たりにしながらも、彼女の瞳は変わらず冷たい。拳を引くにあわせて千早は大剣を振りかぶり、更に斬りかかった。
紘人はスクロールから魔力弾を撃ち出した。位置取りで外を背にして、万一火が燃え移っても上手く被害を抑えられるようにと狙ってのことだ。反撃と言わんばかりに、バーニングシャドウは紘人に攻撃を向けた。その身体から火球を撃ち出す。
「一か八か……相殺させて貰うのです!」
紘人はスクロールから魔力弾を連射する。しかし、普段狙う天魔に比べてあまりに小さい火球が相手では、流石に狙いも定めにくい。結局、相殺は諦めてギリギリで火球を躱す。
状況は芳しくない。しかし、やるしかない。紘人がそれを呟いたところで、ようやく潮が戻ってきた。真正面からの白兵戦になっている千早をまず回復のスクロールで癒す。次いで、ホースで放水。ここまでの立ち回りで引火した床や壁の炎を粗方消し止めた。
「これ以上に被害が拡大する前に、倒してしまいませんと」
潮の言葉に、千早と紘人が頷く。とはいえ、3人では少々厳しい戦いである。彼らは火の手を広げさせないように動きの阻害を狙いながら、奥の仲間が戻るまで我慢の戦いを強いられることとなった。潮は三節棍の鎖を引き棒状に固定。突きと払いで千早と連携し攻める。敵の行動を制限させるため、横方向からの攻撃を中心に据えた。潮の回復のスクロールも使いきり、それでも戦いを続ける。特に千早の傷は決して軽くないが、それでも耐え切った。奥から5人が戻り、ようやく合流したのである。詩愛が残った回復のスクロールで千早を癒し、その間に4人が戦線に加わる。ここまでの戦いで結構なダメージを与えていたらしく、8人揃った彼らの前ではバーニングシャドウの抵抗も時間の問題であった。
●火災の痕で
二体のディアボロを撃破し、無事脱出に成功した彼らは、消火活動の行われる町工場を見つめていた。工場の建物こそ全焼は免れなかったものの、延焼や爆発は防いだ。製造用の機材も多少は無事なものが残ったようで、建物さえどうにかなれば再建も出来るし、それ以上に死者が出なくてなによりだった、とは工場の社長の弁である。
マスクを脱いだ詩愛は、シニヨンをポニーテールにまとめ直していた。髪が痛まないか気になるのは、年頃の少女らしいと言うべきか。
「……すみません、少しぼーっと」
紅潮した頬を抑える凛。敵の攻撃が頭を離れない。何か変な癖が芽生え始めているようだ。
ぽつりと、幽夜は呟いた。
「これが、今の私のやれる限り、ですか……」
脱ぎかけたマスクを顔に押し付ける。懐かしい匂いを嗅いで、煙も目にしみた。少しだけ涙が溢れる。次はもっとうまくやろう。そう言い聞かせた。
「炎より、熱き心で、払う闇」
戦いの後、潮が詠んだ一句である。